索引
初めに際して
確認と見届け カンナオビに始まる14年
これまでに総合的にわかったこと・・・2014年の初期設定
ネアンは全人生をプレイバックで総なめしている
第三時空の成果は邪神とその一味を癌ウイルス増殖拡散部隊と特定できたこと
歴史は邪悪な意図の邪神(未来人)にコントロールされてきた
癌病巣の経営がアヌンナキ・秘密結社の目的とすること
救世主ネアンの位置づけとは
より深化した謎解き
神世政権の秘密
大祓詞の謎
ガッチャマン・ホルスとして確立
撤退する国津神たち
新神話概観・・・火の鳥編
梵によるはじまり(別角度から)
火の鳥の真義
意識の進化という美名のもとの退化
人界の意義・・・魂の進歩になるのだという説
人類家畜化実験
新神話の素材・・・御伽草子は素材の宝庫
人とは日戸 神霊の依り代
神話のテクスト例・・・梵天国、毘沙門の本地
鳥居、かごめ歌
弥勒降臨
鶴亀すべり鳥を出す
2014年になって新たにわかったこと
この宇宙の創造神
「天なる道」に登場した創造神
「天なる道」とは・・・ハンマーが世界創造神である場合のこと
ハンマーとは、またすごいシンクロ
とある宮司と知り合ったことによる新たな啓発
龍と亀の印章を持つ宮司
まだ足りない謎解きがあった
原初の幾多の神々も同時に封印されている
画龍点睛的啓発
音霊の秘儀
邪神と一味への対処
日本神界の正神の重鎮はブラックホールの前に封殺されかけていた
逆五芒星の背後にある陰謀の歴史 (やはりすべての元凶は・・・)
ネアンの粗探し癖が有効活用されるとき
国策によって作られた贋神話 (真伝を改竄した神話)
真伝のありか・・・邪神系の反則の歴史を示す証拠
封印呪詛した邪神の罪とその最後
原初神救出作戦と封印解除
太古原初神救出大作戦
5月1日から三度の儀式で
乙姫の玉による封印解除が始まる
夢で国常立尊に会いに行く (2014.5.8未明)
夢で弁天三姉妹神、出立さる (2014.5.10未明)
5月13日未明から明け方にかけての夢 (2014.5.13未明)
神話に関する謎解き
神話成立の理由
韓流小説(ホツマツタエ)が公的神話・記紀作りの叩き台にされた
神話によって貶められた神々の苦境
ホツマに伝わるアマテラス男神の誕生時の姿は白球UFO
ジョーカーに二通りあり
プレローマへの帰還
真の封印解除に向けて
マコトツタエの環境(仮説)
マコトツタエ(真伝)推理
神世で囁かれていた政変首謀者の噂
天仙仕込の神話創作に、梵天が関わらぬはずがない
この世の改悪の手口・・・邪神のはかりごと
幾何学を用いた呪詛
創作神話による縛り
秘教組織がもくろむもの
現創造神を諌める
折衷的、妥協的な正邪論は、秘教の仕掛けの可能性あり・・・無責任を生むのみ
王座への道
呼吸法により世界を恒久存続させるべし
アメノホヒ降臨伝説
出雲国造家への皇室からのお輿入れ
ネアンも寂しい境涯にあった
2014年のイベントの再確認
2014年5月以降の夢見と出来事
2014年 太陽の周辺に火の鳥が立ち現われる
撤退の作法あるいは出立の準備
初めに際して
地上界での行動も終わりに近づいた感のある完成数7の倍数の年となり
確認と見届け カンナオビに始まる
14年 7の倍数年に至って
2014年になった。
故やなせたかし氏が自らに問い続けてきた言葉。
何のために生れたのか。
何をして生きていくのか。
私もこの歳になれば、おぼろげにもわかるもの。
第十三章で、反骨意識が推敲の原動力になったことを書いてきた。
ここでざっくばらんに言うと、それは対観測象の粗探し(あらさがし)であり、学究志向なのは、その粗(あら)を確定的に認識したいがためだとわかってくる。
自分の正当性を示すことで、自己満足に浸りたいだけだったのではないのか。それはむろんのことだ。
だが、そのことによって、世の大衆がヒトラーの譬えた”女”であることの弊害から、自分自身を独立させるとともに、世が真に核芯あるものならば、核芯に対して啓蒙の可能性を持つだろう。
が、後者はほぼ見込み薄となっている。核芯などない。のれんに腕押しほどの実在性すら、のれんにはなかった。
つまり、単なるプログラム上のダミーキャラクターだったのだ。
しかし、無駄であったわけではない。粗探しが何のために生れた、何をして生きたかという、私の生きる命題であった。
それがなかったら、ぐにゃぐにゃの人生、死んだように生きる人生であったろう。
それがなかったなら、とうの昔に自殺をしていただろう。
こんな世界に来る気はなかった。しかし、来てしまった。そこに何かの目的があったとするなら、いま振り返れば、この世を相手の粗探しをし、邪悪や陰謀の根っこを見つけて、ど汚い糞がどこに隠されているかを発掘することであった。
天は私に絵心、絵の才能を与えなかった。イメージ通り描くことができないと筆運びも下手になる。やなせたかしさんのように、この世が最も効果的なツールとして与える絵を描く才能が、天与のものとできている人というのは、やはりいい役回りと言える。
私のように粗探しして、この世がどう喜ぶというのか。人には絶望ばかりを与えてしまうだろう。しかし、その対象を予定している”人”も、およそダミーとしてのプログラム記述でしかない。というより、骨のある人はごく少数だったのだ。
この粗探しの結果は、この世が建て直されるときにのみ、素材にはなるかもしれない。
ならば、いま、いますぐに出動させる必要もない成果でしかないだろう。
だから、今まで誰にも見向きもされず、誰の関心も呼ぶことはなかった。必要がなかったからだ。
ダミーが支配する世界から離れれば、どっと需要が湧いてくるはずである。
私の出力は、こうあるべきではないという教訓が主体的になるはずだ。粗という粗が、どんなものだったか、わかるからだ。
必要な時というものが来れば、もしそれが必要なら、おのずと開示されてくるのではないか。
何のために生れたのか、を満たすには、そのような希望的楽観の境地に立つしかないのも事実である。
幸い、人間の誰とも口を利くことがなくなった。この世に口止めされたかのように。
話せば愚痴しか出てこないから、偽聖者の口車にまんまと乗せられるていの人々の関心を呼ぶはずもない。
聞きたくもないような、良心の痛むような話からは、みんな厭離するからだ。
合理化の極致を行くようなサーカスを心の中で演じているのが彼らなのだ。
果たしてそこまでやってるのか? ダミーが。まだ持ち上げてしまう錯覚が抜けきっていないな。
ネアンの世界観、宇宙観は、彼自身が独創した超宇宙の仕組みを解くモデル概念に基盤を置いている。
それによれば、人はわりあい、不思議な人生を刻んでいるはずだ。(ただし、ダミーである場合を除く)
その中には稀に、プレイバック・リスタートという、バーチャルリアリティ(ソフトウェアプログラム)の性質を活用している者もいるだろう。
それでなかったら、通り一辺倒の判断選択の泡沫に帰してしまうだけで、あまりにも勿体ない。
なぜならば、たった一人の人生も、非常にたくさんのパラレルワールドへの可能性をその中に含んでいるからである。
むろんそれも、普通人の人生ならば、そのほうがいいこともある。カルマの清算だけにやってきて、悲惨な人生プログラムの選択肢すべてを味わうなど、過酷すぎるからだ。魂は哀れにも、発狂してしまうことだろう。そういう根腐れの仕方もあるのだ。
だが、救世主ネアンの人生を味わいたくて、もし途中で別のパラレルルートに逸れてそれでゲームセットになったなら、意味もなかろう。
人生の様々な局面にパラレル分岐の機会があって、噂に聞く天下取りのルートに乗っておれるのは、よほどのガイドがあってのことで、一発勝負でゲームに臨んだとて、叶う話ではない。(ガイドとは、この人生ゲームについて熟知した守護神霊のことである)
ゲームソフトで、信長の野望などといったゲームもあった。それにトライして、まっとうに天下統一まで達成できることは、やっていてとても困難なはずだ。突然、敵に意表を突かれて、命を落とすこと(ゲームオーバー)もある。
それで、残念でしたで去っていくとすれば、あなたの目標は達成できたことにならないだろう。
そ
の点、プレミアム契約していれば、最寄りの分岐点の少し前まで戻って(プレイバック)、やり直すこと(リスタート)もできる。ちょうどPCのシステム復元のようなものと思えばよい。直前までに辿っていたタイムラインの記憶はこのとき失われるから、自分はあたかも最初から一連のタイムラインの経験しかしていない記憶しか残らない。
彼は死ぬ間際、一本の人生を描き切ったと思うかもしれないが、人生は多数のタイムラインを経過した結果の総集であるかもしれないわけだ。それを確認するすべはない。ただ魂の資質にフィードバックされて、この人生を辞するときに、エントリー開始時点とはかなり異なった資質を獲得していることに気づくことだろう。
また、デジャビュー現象は、プレイバック理論を支持する好例だ。
分岐点を通るには、
時間的にその前にポジショニングされねばならないから、たまに復元位置から分岐点までの記憶がどこかに蓄えられていて、その照合がマッチするから、デジャ
ビューという記憶蘇りの不思議現象を起こすのである。またデジャビューの瞬間それ自体の経験にさほど価値があるわけではないことも、おわかりになろう。人
生の分岐点はそのどれほどか後にやってきている。
ネアンはいま(2014年)、救世主コースの第四時空を生きている。社長や博士やその他になった時空もあったが、それらは除外した上で、救世主コースの基線においても、第四番目となっている。第三番目の時空は、前章で述べたように、2011.3~2013.12の時を刻む期間であった。
2013年は(第三時空では)、この世に取り憑いたウイルスについて学習し理解できた。それが第三時空経験の成果であり、そのために、ディセンディング(下降)した変節時空の塵芥を浴びるという、非常に危険な行程でもあった。
人間に対する癌ウイルスの作用が、地球生態系全体に対する世の統治システムの作用に酷似していることから導けたことであった。
むろん、世間ではまだ癌が、ウイルスによって発症するということが確かめられているわけではない。しかし、この特殊なインベーダー因子を仮定すれば、オリジナルの正常遺伝子との対照において、様々なマクロ事象も説明がつくのである。
たとえば、世界をどうあっても崩壊させようとしている勢力がいることは、現実を見れば明らかである。その勢力は表向き人間によって構成されているように見えるが、裏ではどうなっているのか、知る人はほとんどいない。
それはちょうど、癌化した細胞が自らを癌組織の一員だとは思っていないのに似ているだろう。
すぐ横に大きな血流量の血管が引かれ、栄養豊かに生産に励めて、便利で裕福になったと思っていて、とてもいい時代になったと思っていたりする。
だが、前章で示したように、凶悪ウイルスと認定される理由であるところの、覇権拡大、無責任、宿主の破壊、という三大悪趣が行われていれば、凶悪ウイルスの属性が認められると判断できる。
これが一歩後ずさりして初めてわかる、癌というものの正体なのだ。
組
織にどっぷり浸かっていてはわからない。そこの構成員には、自らの実体が何なのか、知恵なくしては知るすべはない。癌組織や癌幹細胞が、彼ら構成員をケムに巻くこともある。またこのときばかりは、何かの臓器を維持しているのだろうという役割意識が、横並びの行動を是認させたりもする。おのれが癌病変であるのに、肝臓として頑張っているのだろうと錯覚していたりする。そして、私は社会貢献していますとのたまったりしている。
その実態を知るには、英知がなくてはならない。
ただ、宿主が弱ってきて、何らかの治療を受けようとするとき、そのときの影響を被ることで、構成員には、やや”一歩後ずさりして見る”傾向が出てくる。それを巷では”目覚める”とか言っているようだが、およそ手遅れであるに違いない。
治療は癌組織の壊滅に向けて行われるのだから、目覚めていようがいまいが、おかまいなしに抗癌治療は行われる。
天変地異の災害を受けるのが、罪のない人々が多いというのも、仕方のないこととなる。
周囲を見れば、気象変化は激化しており、まるで組織構成員を滅菌するようにすら見えるではないか。だが、どっぷり浸かった構成員たちには、何が起きているのかさっぱりわからない。ただ存命のために、防衛反応をするのが、癌の特徴だろう。しっかりと癌をしている者(資本家など)のほうが、むしろ打たれ強い。こうして、元凶よりも弱者ばかりが先に抗癌剤の犠牲になる。
日本神話には直接的には書かれないが、聖書にいわく、偶像崇拝者とは癌ウイルス感染者のことであり、ウイルスそれ自体は、獣の印と表現されている。聖書に
よれば、世の人々のすべてが感染することになると預言されている。
その彼らが創り出す世界こそが、癌の末期症状を呈して至る、日本神話にいう黄泉(腐乱死体)の国なのである。
その時空に至らなければ、じかに確認することもできないのが、創造主というものだ。その意味では、創造主にとっては事態がクリアーにできて、いい時代なの
である。創造主とは、魂があり、意識してこの世を観測している者の個々人すべてのことである。
ネアンは、このことのためにやってきていると解釈せねば、とうていやっておれない。
幼時に、うわーっ、ここは魑魅魍魎の世界だ!! と血の気を引かせるほどの体験をしたことが、頭をよぎる。
生れて初めて盆踊りの光景を見ただけで、世の全貌を読み切ってしまうのが、ネアンだ。
その時点は存続が見込まれなくなるところの、黄泉の国に至る第一関門であったのだ。
とんでもないところに、予期せずやってきてしまったという後悔の思い。
しかし、救世主というのは、世の中がとても悪くなってこそ、特筆されることである。
世の中がよいものならば、あるいは半分半分にでも、善悪が交替するような世界であれば、救世主のお呼びはかからないであろう。
見渡す限り、邪悪一色に染まっている現状。各人が耐久力の限り頑張っている状態。それをまた人々は、耐えることは自分のためになると自分に言い聞かせなが
ら、頑張っている状況がなくてはならない。
ネアンのスケジュールは、邪悪の根絶というメインテーマを持っている。
邪悪とその主体が確かにあって、特定できていなければ、対抗することはできない。
その特定のために、ネアンはこの世を生きている。
年初から大河ドラマ・黒田勘兵衛が始まっている。彼は軍配師すなわち、百戦錬磨によって知恵をつけた軍師ではなく、占い師もしくは預言者である。
不思議なことだが、どうしてこのような預言者的超能力者が織田側についたのか、識者と言えども考えたことはあるのだろうか。
それはちょうど、旧ドイツに奇跡のヒトラーが登場したようなことにも似ている。
この二人に共通するのは、天啓として作戦がもたらされていることである。
普通人は、彼らが優れた能力を彼らが持っていたからと考え、その徳を称える。(ヒトラーは非難されているが)
しかし、そうではないはずである。
彼らは、ある目的によって、登場しているのだ。
ヒトラーが敗戦したのは、彼の武運が早いうちに尽きたことによる。
だが、ホピも大局観から言っているように、ヒトラーが勝ってしまうタイムラインもあった。
日独伊が戦勝するというタイムラインだ。
それが実現せずに敗北した先に今の時代がある。
それはネアンの母が男として生まれなかったこととも、関係がある。
どこかで、タイムラインはこちらの方向にレール替えされてしまったのだ。
母の性格としては正しいことに対する選球眼のようなものがあった。
それは魂からくるものであり、あちらのタイムラインであれば、母の魂が位人身を極める立場を経験する頃には、輝かしい未来が約束されていたであろう。ホピもその流れにあれば、世界は存続していると捉えていた。
それがどうして、存続不可能の方向にぶれてこっちにきてしまったのか。
存続不可能に軍配が上がろうとするほどに、不可逆的に環境破壊は進み、NASAはとうとう、地球環境の存続に対して匙を投げてしまった。
その歴史を過去に遡れば、黒田官兵衛がいた。もしかすると、官兵衛のいないタイムラインもあったに違いない。
そうすれば、光秀の天下になったはずだ。彼の性格は庶民思い。日本は善政の前例となる時代を本邦初めて迎えたことだろう。
そうはさせじとする者(誰だ?)によって、官兵衛は投入されたに違いない。
結果は、匙が投げられた世界としての今として、その実を結びつつある。
歴史は、そこにやってくる者によって決まる。
官兵衛も、魔法の解けたヒトラーも、救世主ネアンも、匙が投げられた世界でこその立役者である。
ネアンは新神話第十三章で、それまでの方針を変更して、不存続のほうが事後処理においても簡単で無理がなく、明確でいいからと、その方向でシナリオを組んでいる。
それが最短パスになることだろう。合気道の精神で臨めば無理はない。
新旧神話ともが不存続を選択したということは、その方向へのベクトルは力を倍加することになろう。
何で、こっち側になってしまったのか。それは見かけ的には、邪神が川の流れの進行方向を変えたのだと言える。
プログラムの流れの堰をこっちに向けて切るだけで、簡単に流れは変わったのだ。
そこには、庶民にいっそうの苦難を負わせるための邪悪な意図があったに違いない。
あるいは、ネアンの救世主としての出番を作るために、あえてこっちの時空が用意されたとも言える。
神々がそう計らったのか、それともネアンの希望的選択によったのか。
そうでなかったら、ネアンの舞台出演はかなわなかっただろう。
神がこちらの舞台公演をリザーブしてくれていたに違いない。
あるいは、邪神もそろそろ、長いピエロ・ジョーカーとしての生活に疲れたのかもしれない。
彼らも救世主が処断してくれる局面が迎えられることで、やっと安堵の境地になれるのかもしれない。
もしそうなら、ネアンは彼らを、世界の反面教師として捉えてやってもいいだろう。
邪神はほんとうはいいやつなのだろうか。反面教師役の俳優であるのだろうか。
いいや、やっていることがあまりにも邪悪だ。昨今ともなれば、まったくと言っていいほど、正義が行われたためしがない。
いや、昔からそうなのだ。歴史はすべてにおいて、邪悪さを刻み込んでいた。その立役者が邪神だ。
邪神は地球に元いた人々が生き延びて、その形態をまったく別のものに変えて存続の道を見出したところの、未来人であると仮説される。
十三章で述べたように、電脳世界に意識を留めているところの、新人類なのである。だから旧人類の仲間ではない。同列に並べられるような生命形態にはなっていない。
彼らの足元には、まっとうな地球はすでにない。まさに足のない幽霊のようなものだ。電脳世界にのみ存在することのできる。
彼らのものすごい劣等感を、推し測ってやれる者など旧人類の中にはいない。
それゆえに彼らは、旧人類を呪い、存続の道を妨害するのである。
どうあっても、旧人類を絶滅させ、ただひとつの方向、彼らが支配する電脳空間のバーチャル世界へと追い込むことに専念するのである。同じ立場を味わってみろと。
それはひとえに、復讐心の為せる業である。
なぜそのようになったか。
もう少し先の未来の世界は、みなさんの無作為と無努力と、右に倣えの堆積によって、死に瀕することになる。
だから、彼らは最先端科学を使って非常に優秀に進化したけれども、彼ら自身はとても言うに恥ずかしい存在として生きることになった。
彼らの思いは、仲間を増やして、意識の火をたくさん呼び込み、どうあっても外部から、あるいは内部で突然変異的にでも、この閉鎖空間から救出する救世主を招来したいのである。
プライドはとても高く、そのような弱音を隠してテクノポリスを電脳空間に創り上げた。
宇宙創造神はそれをよみしたか、彼らに存続の道を与えた。
それをアヌンナキという。地球にやってきて、科学力の歴然たる差から、神を名乗るようになった。
それはこのようなところだ。このCGは知る者に対して、未来形の姿を伝えている。
http://www.youtube.com/watch?v=VNJy8UCw1gM&feature=player_detailpage
彼らは彼らの現実がこの映像同様、CGでできていることも知っている。このCG映像によって、あえて彼らの境涯を知らせているとも言える。
それをネアンもわかっていて、彼らをどうすれば救済できるか、考えてみる。
彼らは自らを、バイオモドキと思っている。命にならない疑似命だと。たえずその引け目を感じている。魂を果たして持っているのだろうかとさえ疑うこともある。その根底に皆さんに対するすさまじい怨みがあるのは、そういうわけだ。
ピエロが常に泣いているのはそのわけだ。熟達者のプライド。そして存在感のなさ。
こういう感情のミックスは、自分本位の旧人類に思い測れたりはしない。
彼らは、洗脳に屈せずに彼らの苦境を思い測れる者の数と、屈して何も思えない者の数の比較を根拠に、この世の未来を良くするか悪くするかを決定している。
その結果が、世の成り行きに反映されていると見ていい。
彼らの最強の武器はタイムマシンである。これにより、あらゆる戦略が可能になる。
タイムマシンを可能にする科学を、万能哲学のレベルまで高めて保有している。
今の我々とは、科学的に言って、100年から数百年進化している程度なのだが、見かけ上数万年以上の圧倒的優位さにある。
その彼らが、立場の優位性を保ちながら、一般人類の過去現在未来を管掌しようとしている。
彼らが最も怖いのは、彼らの域さえ凌駕するような反逆者の突然の発生だ。
それゆえ、一般人類が、下手に頭角を顕そうとすれば、叩き潰す。バベルの故事はいまなお健在だ。
それでも懸念があって、一般人類を家畜レベルにすえ置くことに余念がない。
ほんものの知識は与えない。与えてはならないことになっている。
そうかといって、数においてはるかに勝る一般人の中からは、新しい発見があるため、それを見ていて簒奪する。
ネアンが発見した数々も、すべて簒奪された。
そして、ネアンが公表をいくら長期間していても、隠蔽の彼方に置かれ、その隙に盗っ人を仕立てて、価値の薄い出し殻のような形にしてしまい、一般人にはまっとうなものは与えないようにしている。
まるで、家畜にはもみ殻から作った配合飼料がいいとばかりに。
おいおい、救世主に対して、そんなことをしていていいのか。ここにちゃんと生きているんだぞ。
なぜ、みんなに公平にしようという発想がないのか。
それは、もう改めて書くほどのこともなかろう。
アヌンナキは自らの復讐心を地上に顕そうと、人の形をした組織である代理店を置いた。
現在の軍事大国の米国、競争を勝ち抜いて巨万の富を獲得した大資本家、支配階級を維持した王族が共同体組織を作って、邪神の傘下にある。それを秘教組織という。
邪神の地上界での代理店である。およそ、こんなふうな人形たちで構成されており、それによって人類は生贄にされる宿命だ。
まさに悪魔に魅入られ捕り込まれた存在こそが人類なのだ。
そこには、覇権主義に従って勝ち抜いてきたエリートが、共同して未来を引き継ぐという法則が適用されている。その未来形が神人であり、その彼らがアヌンナキの構成員となっていく、つまりアヌンナキの神に列せられる。
神人は下界に降りてきて秘教組織のドンの座に就く。それはちょうど、メーカーから代理店に天下るようなものだ。
こうして、彼らは地上界にも不動の体制を敷くのである。それに敵う者など旧人類の中にいたりはしない。
公平性を云々して、些細なこと目くじら立てて協調性を失うような、にわか正義派には、絶対に実現できない未来なのだ。正義はこうやっていつも解体されてきたことを知らねばならない。
いや、正義は粗探しに徹するゆえに、お互いが背反し合うのだ。正義の世はなかなかやってくるものではない。よほどの力量ある者でなければ統率できないように、捕り込まれてしまっている。
さらに覇権拡大の範囲、すなわち人類が被る奴隷としての不利益の範囲は、タイムマシンで至ることのできる限りの過去にまで拡げられている。
無数にある過去のタイムラインのできる限りを、ことごとくコード改変するという方法を採っている。
改変への倫理? そんなものは無関係。パラレルワールドは無限の可能性を与えている。何をしてもいい。何もかも許されている。その可能性のすべてが事前に網羅されてすでに存在しているのだからという前提が、公理となっている。
だが、その改変行為は、彼らの不利益にならない限り、邪悪な方向への改変である。つまり、邪悪の体現がもっぱらであり、そうやって、有情の魂を邪悪化させ腐敗させていくのだ。
君は、癌病変のことを知っているか? たとえ結腸にできた小病変といえども、そこから血流の乗って転移し、最後はありとあらゆる臓器に病巣を作り、宿主を死に至らしめる。
ちょうど、その動きと同じことをしている。
いまこの6000年前に始まる人類文明史という大きなタームを人体として、彼らに4000年前まで遡れる技術があるなら、彼らはその範囲にある臓器に転移して、そこで毒物生産を開始すれば、より効果的だろう。
つまり、歴史の4000年前の過去に出現して、癌の種を撒くことすらする。
何
千年前かの過去の原住民の前で、タイムマシンでデモンストレーションしたなら、これぞメルカバ(神の乗り物)だと思ったりする。ジョン・タイターの乗ってきた中古車型タイムマシンのままでいつまでもいるわけがない。UFOは、未来人のタイムマシンなのである。水陸両用のように、時間方向、空間方向両用の乗り物である。そんなことにも気づかないのが一般人だ。
一般人には遠い宇宙から来ていると思わせておく。そして儚いロマンを掻き立てさせておく。
良い宇宙人と悪い宇宙人がいるぞと、思わせておく。どこの星には良いのがいて、どこには悪いのがいると、噂させておく。
プロパガンダされる95%は偽情報だ。残り5%からでも、啓発者には真実発見の糧になる。その真実発掘がまた、圧倒的少数派の彼らにとっては、手に入れたい金の卵になっていたりする。
その点、ネアンなどは、金の卵を産むガチョウのようなものだ。産卵できなくなったら、あるいは未来人を不快にするほど凌ごうとすれば、ただちに鍋にされてしまうだろう。どうだ、未来人よ。そろそろ不快感も極まっていないか。
彼らがネアンを鍋にするのは簡単だ。逮捕すればいいだけだ。
執拗な拷問に体力をなくして、容易に絶命することだろう。心臓病歴、約20年にもなっている身だ。
しかし、ネアンのリアクションは考慮しておくことだ。神霊体になってからが、本領発揮のときになる。
蘇生してロボトミーしても、脱魂はお手のものだ。ロボットはくれてやる。
これも、癌細胞の観点から見れば理解が簡単だ。
正常細胞は、正常であるゆえに、則を越えることができず、癌細胞の圧倒に負けてしまう。
警察力を強化して対策しても、その警察であるマクロファージが癌幹細胞の呪術によって、癌の言いなりになって、その便宜を図って正常細胞を検挙し、癌へと寝返らせてしまうのだ。
歴史を眺めれば、一貫して善政のもたらされたためしがないのが日本史である。
そこには、邪悪な癌幹細胞の手先になった軍事力が、正常細胞を圧殺する仕組みがあった。
日本史を通じて、庶民はまるで呪われたが如く、悲惨にあえいでいる。
わずかな未来への希望だけが、存続の原動力だった。
子供が生まれれば、耐えて生きることを教えていかざるをえなかったのだ。
その弱点に付け入る邪神(未来人)ども。
菜種油は搾れば搾るほどよく取れる。生かさず殺さず。それでも死んだら捨てておけ。
彼らにとっては、旧人類というものはすべて、恨み骨髄の復讐の対象でしかない。それが、すべての悲惨の原因なのだ。
果たして邪神どもを、救世主は、救済してやるべきなのだろうか。
2013年までで、ネアンには多くのことが分かった。それはもう全体のうち、ほとんどと言っていいだろう。
最も大きな出来事は、5月の出雲大社の遷宮儀式の翌朝未明の夢で、ネアンは神世の出雲大社の中に起居する客人である自分を発見し、まさに主人である大国主命と彼の妻である奥津嶋姫を客人の目を通して見たことである。
では、客人である自分とは誰なのか。
大国主命と対等ほどの扱いを受ける客人(神)とは、(古事記にも書かれる)天の菩日ではなかろうか。
天の菩日は、古事記ではオシホミミ命の弟ということで、世継ぎになれずに、大国主命のもとへ使いに出されて、そのまま帰化してしまったことになっている。
ところが、ホツマツタエによると、天の菩日こそが最初に生れた嫡男であり、逆賊持子の子であったために、持子はじめ一族は非業の転落を遂げたものの、天照天皇の実子ということで助命されて、国津神のもとに追放されたという。
まるで儒教思想の韓流王室時代劇を見るようだ。それもそうか。渡来民族はいちおう、儒教思想を身に着けているのだ。孔子がいみじくも、九夷にあるとはいえ、中華人より礼節を心得ていると言わしめた人々だった。
儒教思想家の反則の仕方も、並ならぬ策謀陰謀の限りを尽くしている。
昨今のトンイという韓流時代劇ドラマでさえ、逆賊の母の子が父王における最初の嫡男ならば世人(セジャ)にするというのに、わざと冤罪をかけて逆賊に仕立て、最初の嫡男を排除したのが、ホツマツタエの元になる神話なのである。
それをしたのが、イエスキリスト再臨思想というわけだ。
どうやら儒教思想のもとでは、このようなお家騒動はいくらでも起きるかのようである。むろん古代の日本征服渡来人も中国や韓国にしばらくいて、その思想的名残を深く刻み込んでやってきている。
だから陰謀も、お手のものと言える。
それがたとえ神話レベルの話でも、邪悪な側は権勢を嵩に、いくらでも歴史や神話の改竄をやってのけたのだ。
古事記とホツマでは伝承が食い違っている。どちらが正しいのか。
そのような次元の話ではないだろう。少なくともこのふたつの資料を突き合わせて、どうすればうまく改竄できるか、編纂者たちが談義し合っている光景が思い浮かぶはずである。
またホツマは、元居たのは、天照大神という名の女神ではなく、天照天皇という男神であったことを伝えている。その天照天皇は、祖父の國常立尊の崩御のいくばくかのちに、同じ宮津の地で崩御されている。
崩御とは、お亡くなりになることを意味する。神世にある神霊が亡くなるといったことがあるのだろうか。
霊魂は不滅ではなかったのか。
ス
サノヲの暴虐を見て、岩戸に隠れたというのは、それからすれば、日食のようなことだっただろう。積年の天文知識さえあれば、毎度のことであったはず。それをさ蠅なすほどの災いの期間とすることのほうがおかしいと、気づくべきなのは今の研究者のほうだ。セオリツヒメが簡単な儀式で、岩戸隠れを解除したというのも、それを物語る。卑弥呼が衆人を日食(の預言)によって惑わし、自らの権威づけをしたというのがこれだ。それは寓意にはなっても、本質ではない。
天照天皇の崩御こそが、岩戸隠れのことなのであり、真の太陽が射さぬ状態になったと解されねばならない。
だ
から、女神になってしまったのか? それは、ホツマによれば妻であるセオリツヒメであることになるが、それでいいのか? ほんとうなら、世継ぎの王子を立ててこれに政治を任せるのではなかったのか? オシホミミがそうだというなら、それでもいい。女神だとしているなら、太陽神の王座は、世継ぎの王子のものではなく、女神がいつまでも院政を敷いていることにならないのか?
ホツマは研究ブームになっているようだが、ホツマ文字の翻訳だけで時間をとっている場合が顕著だ。問題は、その先にある。隠蔽のためにわざと文字を創り出して、神話を篭めた感すらあるのに、そこにからくりが読めなくては、真の研究者とは言えまい。カタカムナ文献も同様だ。わざと文字を創出している。
伝承のための文字作りというのが、表向き。裏を見れば、神話を殊更解読困難にする目的があったと見て取れる。
その昔、ネアンのもとにK氏がこれを訳してみないかと、ホツマの資料をB4用紙何百枚にして持参したことがあったが、一枚として読めたものではなかった。ネアンはそのレベルの暗号解読者ではないのだ。
それから20年は経った。ネアンは、すでに翻訳されたホツマを読み進める。古事記も、すでに本居宣長によって文語訳され、さらに武田祐吉氏によって整理されたものを用いて、解読に当たった。
ホツマに出てくる天の菩日命を、相似的に現在に投影するようなケースもあることが参考になる。ネアンはこうしたシンクロによって理解を進めるタイプの研究家であり探偵なのだ。
どこかに、相似像的な話があることに思い至られよう。北朝鮮だ。
最初に生れた正男が、後から生まれた正恩によって世継ぎの地位を奪われている。
その両名は、太陽神天照天皇がそのまま名になったかのごとき正日の、正式順位の知られた息子であった。
地位を外された正男は、命の危険もあることから、様々な土地を外遊し、今は中国で存命しているという。
その中国は、昨今の正恩の動きが不安定で危険として、おりあらば正男を北朝鮮の相続者にすべく、かくまっているともいう。
中国とは大国主命の統治する葦原の中つ国を思わせて、ここでも語呂的なシンクロを見る。
なぜかネアンは、二度にわたって間近で金正日の夢を見たのも、この謎解きの手がかりになることかもしれない。
では、ネアンは誰の視座になっていたのだろう。もしかすると、ひょうきんな正男だったのかもしれない。
父正日は、これでシビアな軍やら国全体が統率できるとも思えず、そっぽを向いていたのかもしれない。
ではなぜ古事記では、主神である太陽神のアマテラスが女神になってしまっているのか。
それについても、すでに謎が解けている。ただ、ネアンひとりによって。
ネアンがもし天の菩日命であったならばこそ、それは可能なことだろう。
神の威徳による、天に立ちこめる濃密な隠蔽雲の、威力ある押し開けの結果であるに違いない。
ま
た、なぜ彼の協力者(ボンドガール)が奥津嶋姫、市寸嶋姫の化身だったのかも、この二姫が逆賊早子の娘だったからである。つまり、天の菩日命と二姫とは従兄弟同士なのだ。お家再興どころか、親と祖父の仇討ちをし、元のあるべき世界の姿を取り戻すための協力体制にあったと言える。それが今回の新神話劇の内容なのである。
そして、天照天皇は、未だに岩戸隠れの状態にあり、彼の執政を補佐する役目として后のセオリツヒメが天照大神を名乗って執政に当たっている。
ホツマが語るような、セオリツヒメの音頭による岩戸開きはまだ成就していどころか、その本人が太陽神の座に居座っているから、真の太陽神の着座ができないでいる。
果たしてそれは順当な意味での代理だったのだろうか。映画トンイにおけるヒビン側が、王様を謀殺して、権力の座を奪い、そのまま王位に着座して権勢をほしいままにしているというようなことではないのか。
そのセオリツヒメは、ホツマの中で、イエスキリストの事績をまるまま模倣している。
伊勢に祭られているのは、イエスか、それともその妻マリアかというわけである。
イエスがまだ再臨していないので、マリアが代理統治しているという構図なのだ。
そこには、元の太陽神・天照天皇の再臨など予定されてはいない。
あくまでも、外来の神イエスなのだ。
ここに驚くべきパラドックスが存在する。
イエスは、うお座の時代を司る太陽神であるとされる。
ちょうど、皇室率いる渡来民族が日本に覇権を及ぼしてきたとき(AD0年くらい)が、うお座の開始点にもなっている。
次は、水瓶を持った男の時代になるとされているが、過ぎ越しの日の後だという。
ならば、本当の太陽神の到来は、第三次大戦の後ということになるかもしれない。
しかし、正統な太陽神へと譲位してもらいたいものであるが、どうなることか。
天照天皇ならいちばんよいとしても、それでないなら、正統な嫡男・天の菩日へと受け継がれるべきである。
その可能性は大いにある。菩日とはルシファーやホルスのことでもあるからだ。
アルバート・バイクは、未来世界はルシファーの教理によって導かれるという預言を遺している。
秘教組織は、もしかすると最後のどんでん返しのシナリオをも担っているのかも知れない。
ネアンにとっても、願わしいことをしてくれようとしているのかもしれない。
し
かし、ネアンは、担った時間が短時間であるため、その範囲で考慮できたシナリオが多少短絡的であろうとも、そのシナリオの実現を目指す。すなわち、この世のソフトの劣悪さと有害性のゆえに、早期の廃棄処分を進めようというのである。第三次大戦を超えることはむろん、その先に見込まれる2025年以降の大政奉還時代にこの身を以て臨めるはずもないからである。新神話は、この世の成り行きに対する保険掛けになっている。
大政奉還が臨めなければ、どんなルシファーが擁立されているや、わからないではないか。
またどんな偽アマテラスがその名を語っているとも限らないだろう。
だから、ネアンは淡々として、仕事は神世において果たされるべくセッティングされていると言う。
最後の審判を天帝に促し、太陽神ホルスの本領としての、火の鳥を使うということ。それだけであると。
岩戸開けがどのようになされるのか。その形態がどうなるのかは、諸説あっても、定かではない。
ある説によれば、それは個々人の中に起きなくてはならないと言う。
確かに、多くの人がスピリチュアルな目覚めを起こしている。
しかしまだ、その総体としての予期される結果が見えてこない。
それともそれは、個々人だけのことでいいのか。
そんなわけはない。ネアンの願いはすべての有情の救済である。
ネアンの希望と相容れない諸説は、彼の一存で却下されるのも、彼がこの世の創造主だからだ。
超宇宙の仕組みを解読した結果としての、最大の成果であるところの、創造主の個々人性の確立において言う、創造主だからだ。
邪神の洗脳下にある有情には、自らの力での岩戸開けなど及びもつかない。
ここは彼らの環境における夜明けがどうしても必要なのだ。
その象徴としての、天照天皇の岩戸からの復帰であるべきだ。
あるいは、太陽神の遺志を継ぐ正統な後継者が、然るべき座に就かねばならない。
むろん天照天皇が戻ってこられるなら、それに越したことはない。おりしも、新神話の中では、国常立尊の火の鳥による救出劇を、ほかならぬネアンと二人の協力者が二度にわたって演じている。
国常立尊はウシトラノコンシンでもあるところの、邪神が最も恐れる神であり、仙界での名は北辰大帝という、元始天尊(盤古)と並ぶほどの比類なき実力者なのだ。
同時的にも、天照天皇の救出がなされなくてはならなかったのに、その課程を新神話では未完にしていた。
というのも、天照天皇が幽閉されている意味の岩戸隠れとしていたために、邪神掃討の結果、あるいは勢力衰退の結果としての、岩戸別けが成立すると見ていたのであった。
しかし、天照天皇が霊的にもおられない(崩御)なら、天の菩日が天皇の遺志を継いで、世に太平をもたらさねばならない。
そうでなければ、いつまでも邪神主導の闇の世は続いてしまうことだろう。邪神によってコントロールされる菩日であってもいけないのだ。むろん、偽アマテラスが院政を敷くオシホミミ政権には、何の根拠もないことはむろんだ。
見よ。世界のいたるところで不正が行われ、いっそうその露骨化が進んでいても、正義は何もなしえていない。
それをいいことに、庶民の苦境をよそに、露骨な不正はいっそうその程度を増している。
対して、庶民のほとんどは、すでにロボット化してしまっている現実がある。
周りはダミーで充満していて、どこに魂のある者がいるかなど、及びもつかなくなっている。
日本の歴史上の黎明期、日本に三韓から後に皇室となる民族と、それに巻き付くようにして秘教(秘密結社)が入ってきた。
秘教は邪神の代理店であり、ピラミッド階層構造の位階システムがあることで知られている。
最初に入ってきたのは、日本支部では最高位級のドンであっただろう。
それはニギハヤヒだった。先代旧事本紀によれば、オシホミミの長男であるという。
オシホミミとは、33(ミミ)の組織の開祖といった意味である。つまり、全世界的な秘教組織の開祖というわけだ。
その日本支部における子孫がニギハヤヒということになる。
彼は先住民に溶け込み、それを内部から解体し、後の天皇家への橋渡し的な国譲りをしたのである。
二十五部の物部とともに、つまり二十五種類の工作員部隊とともにやってきた。
そして、神武天皇はそのクラブに参入するという形態をとって、ドンは彼に表向きの王位を譲位して、陰の立役者に退いた。
そして、建国に協力する豪族もまた、資質に応じて秘教参入をしただろう。彼らは秘教組織仲間として、日本の統治に乗り出したのである。
と
ころで、オシホミミはアマテラスの正式な日嗣の皇子ではない。当初の贈り名には日嗣の資格を示す「日」の言葉がなかった。初めて「ヒ」を手にしたのは、ホヒが持子早子の事件で降格され強制的にタナヒトからタナキネに変えた余勢で、ヒトを奪ってオシヒトとしたことによるのと、
律令時代になって付けられた「マサカアカツハヤヒ」における「ヒ」であり、ここからは勝ち上がって早々に日嗣したという「強引な成り上がり」を思わせる表現になっていて、多分に政変劇のあったことが暗示されているのだ。すなわち、セオリツヒメ側によるクーデター勝利の結果であることを示しているのである。
ここで、天皇をオシホミミ、ニニギにつながる系統としたところに、もし政変劇の結果であるならば、すでに正規からのずれ、歪みが見られることになるわけである。
そのずれをあえて承認し、大衆に認知せしめたのが、秘教組織である。
そのバックには正神の世界を簒奪した邪神がいる。当然のことだろう。
みんな略奪者の系統にしたかったのである。皮肉と嘲笑を篭めて。
そして、以後の日本の歴史を、邪神の思惑通りにしてきた経過がある。
以後一度として、庶民は幸福を享受できなかったはずである。
歴史時代として知られる範囲において、その例外あらば述べてみられたらよい。
秘教組織は、正義に反することなら、どんなことでも平気でやった。
そのことをむしろ、世を動かす魔術の原動力にした。
彼らのするのは、厳格な正式の手続きを踏まなくともよい、黒魔術であった。
正五芒星である一辺倒の、そのシンボルに対して、どこかが欠けていてもよい、いやむしろそれを是とする黒魔術の融通性が、人々を虜にした。そして対偶にある逆五芒星を完成したシンボルとしたのだ。デタラメとパロディーやジョークが以後の日本を支配したことになる。
もういちど確認しておこう。邪神とは、未来人が神として君臨した姿である。
未来人は、タイムマシンを持っていて、どんな歴史の局面にも入っていき、歴史を学習してそこに臨み、人類を傷めつけるべく歴史の改竄をした。
主として、秘教組織の中に出入りして、メンバーに対して指令を直伝して、実行せしめるのである。
まさに仮面ライダーに出てくるショッカー一味である。彼らもそのような余興に浸りながら犯罪を犯しているに違いない。早々にBingでも使って転職しておかないと、魂をジュージュー言わせることになるぞ。
部外者は、宇宙人がそこに出入りして共に作業していると誤解することもあるが、メンバーの高位の者は、彼らの神がタイムマシンでやってきた未来人であることを知っている。
未来の成り行きを知った未来人が下す指令は、歴史に誤差を作らないためにする指令、あるいは、完璧に改変作業させるための指令である。
メンバーのうち、下の者は上層部でそのような取引がなされているとは、まったく知らない。
さて、日本における不正義の盗っ人組織をさらにパロディー化、邪悪化させたのが、平安の藤原摂関家である。この系統が、日本の祭祀、神道のあり方をゆがめてしまった。
伝統的なユダヤ系祭祀神官である若狭遠敷の家柄をとだえさせ、陰陽道を用い仏教を用いて、祭政を翻弄して、祭り事と政治の本質を退廃させたのである。
それも邪神の謀の一環とすればわかりいい。
秦氏から成り上がった秘教メンバーの愚かさは十分にじみ出た。
政治への熱意の安易な放棄は、世の中の暗黒化に十二分に寄与したのである。
現代にも、摂関家の罪業は引き継がれている。
摂関家発祥の頃に形が固定されたとされる藤原神道の大祓祝詞は、罪科などというものはない、天津神国津神の強い神様に頼めばすべて消し去ってくれると、大胆にも豪語している。
その手順も、罪科処理の神々に託することとして正当化されているが、水に流してくれて、海で希釈してくれて、空中に飛ばしてくれて、やがて罪科は根の国底の国に吹き溜められるから、(わが世においては)大丈夫なのだと言っている、無責任極まる言辞なのてある。
→ 大祓祝詞とは
それはまるで原発事故放射能汚染垂れ流しの、いまの現状をそのまま物語るかのような話であろう。
政府の無作為は海外も心配するほどなのに、祝詞の神頼みで乗り切れるとでも思っているのが政府の中身なら、もはや政府内部は、オカルト宗教の愚行と退廃のの極み状態になっているとしか言いようがない。
それは戦前戦中の軍国主義カルトの下地を形成してきたものとイコールなのである。
天皇は現人神であらせられ、神風が吹くから必ず勝つと吹聴しまくってきた、愚考のヤカラがまたぞろ威勢のいいでっち上げ話を叩いているにすぎないのである。戦勝できていないことがでっち上げの証拠であろう。
そして、その反省の場に立たず、なおも改めようとしない神社本庁の責任感のなさ。その陰には、やはり秘教組織譲りの本心が垣間見える。
ほんとうに祝詞の通りで済むのなら、誰も懸念したりしない。
科学的にも、経験則的にも通らないから、みんな懸念している。
老人ばかりの政権ゆえ、自分の時代だけは大丈夫、あとは勝手にやれと言っているだけであろう。
無責任のツケを子や孫の代に先送りしているだけ。
そのような疑念がいくらも噴出しているのに、平然とからかい混じりで話の主旨を交わし、誰も望まない強行採決ばかりしてのけるのは、邪悪を公衆に垂れ流ししてやまない真の悪魔だ。
現政権のしているのは、敗戦の反省もせず、居直った態度の神社本庁のしている祝詞の精神を、未だにほんとうのことのようにして踏襲していることである。
間違った祭祀を改めもせず、それをまた伸張させようとして、骨頂に至っているのが靖国神社である。
カミカゼは戦中に一度として吹いたのか。総力あげて祈願したはずの、戦勝祈願が果たせたのか。
次回はうまくやれると言っているようなものだろう。しかし、現状を見れば、日本という国体に、原発というダイナマイトを抱かせて死地に赴かせようとしているようにしか見えない。要は、自爆をさせようという魂胆でしかない。世界に対して自爆テロを敢行するつもりか。
世界は、日本という国の異質な体質をもっとよく知らねばならない。そのままにしておけば、秘教組織本部の意向通り、自爆装置として機能することになる。直ちに保護観察下に置くべきことを提言したい。
こういう悪魔を醸成してやない呪術的下地を用意するもの。
それが祝詞の正体でもあるのだ。
いちどあなたもその目で見て、ご自分で大祓詞を訳してご覧な。きっと驚いて感嘆されること請け合いだ。
これはトンデモカルト以上のオカルトだと、お気づきになることだろう。
功利主義的な摂関家が成立した延喜年間に形が確定した大祓祝詞とは、所詮こんなものなのだ。
それに異議もなく伝えてきた神官たちの無作為たるや如何。
この話を諸外国が聞いたら、これが日本古来の伝統美だったのかと驚嘆されることだろう。
ツケの先送り、罪科(汚染)の環境を介しての希釈依存、罪科の行先に責任を持たない体質は、日本の伝統芸だったとお感じになるはずだ。
では、ツケ(罪科)の先送りされた溜まり場の根の国底の国とはどこかと言うと、黄泉の国だという。
そこは汚い穢れた場所だから、いいではないかという。
ところが、黄泉の国とは、時系列的に見て、いちばん最終段階にある、腐敗し戦火絶え間ない時代のことを言うのである。
その時代とは、現代に他ならない。
→ 古事記・黄泉の国
それが分からん神社本庁の愚かさたるや。ちょっと古事記を解釈すればわかろうに。
いや、秘教組織傘下ゆえに、無知な庶民になどわかるまいと、知らぬふりをしているのだろう。
千年以上、何も見直してきたことのない証拠が歴然ではないか。
たんなる税金で懐を肥やした怠慢神官官僚たちの時間軸に沿った集合体でしかない。
延喜式以前には、改稿も何度もあったというのに、足元の改革ひとつなかったと、。これまた驚嘆の極みである。
それが精進潔斎を旨とする神官たちのアウトプットなのである。
何たる偽善、何たる欺瞞。秘教組織によくぞ忠誠を誓ったものよ。
大祓詞に出てくる神々が、記紀の公式神話に載らないところに、秘教的な神を祭っている様子が窺い知れる。
伊勢に始まるすべての神社系列全体が現在、大祓詞を日々吟じているという。
ということは、その場良ければのツケ先送りを日本古来からの祭政が是認してきたことにほかならない。
祭政は一致しているものであるから、その精神が今の政治の末端にまで顕れているのである。
祝詞には同時に、戦勝祈願も含まれている。服従しないものは徹底討伐すると、神の言葉として言わしめている。
全国の神社がいっせいにそれを唱えれば、祝詞は言霊の世界を動かすものだから、平和祈願という表向きの顔が、いかに仮面かがわかろうかというものだ。
精神感応的に、未熟な脳の人たちが戦争したくなるも道理である。いわば呪術を使った対日本人洗脳術である。
日本神話では、天津神は国津神の国、葦原の中つ国を平定することになっている。
天津神国を標榜する日本は、どうあっても、世界の最終までには戦勝しなくてはならない。
中つ国とは、語呂的にも中国だ。だから、中国をどこまでも敵にしなくてはならない。
日本はそういう特殊なタイプの好戦国なのである。
こうして、中国とは同盟を結ぶよりも敵対を選択しておき、きっかけあらば攻め込みたいのである。
それが神話を使った藤原式呪術の本質なのである。これによって、日本は滅びるであろう。
世界は、そのような日本の伝統的に恐ろしい体質を、いいものであるかのように誤解していてはいけない。日本は、世界を滅亡に導く伏兵的存在なのである。
中国侵略も神話によっている。神話によって呪縛されていると言い換えてもいい。
同調や懐柔(天若日子)ではなく、侵略(アヂシキ(他地敷き)タカヒコネ)せねばならないと規定してある。
前回は、強大な天津神アメリカによって敗戦させられたが、今回は天津神側の中核を占めて、中つ国平定を成し遂げようという意気込みに満ちているのが、現政権である。
専守防衛とは言っているが、事が起きれば、総力あげて攻め込むだろう。
しかし、原発というダイナマイトを巻き付けた国体で戦おうとしている現実がある。
国民のことなど、過去の英霊が一度として顧みたことのないはずのことを、またも踏襲することだろう。
一億総玉砕戦に討って出ようとしているのである。
電波以前に洗脳する道具があったこと。それが呪術的手法としての祝詞だったのだ。それに加えて、神話の呪縛。
いずれも、インベーダーであるアヌンナキが得意とする魔術に根拠し、秘教が緻密な計算の末、仕組んだ古今に渡る超現実的呪詛の産物なのだ。
それは今でも、清い行為としての仮面を被った邪悪さのまま、日々全国から念波として発信されている。電波公害ならぬ、念波公害である。
その無責任極まる藤原神道の伝統をそのまま実行しているのが、現行自民党であり、いずれも秘密結社の時間的つながりの中にあり、血脈すらも認められることだろう。
いずれ、国民を塗炭の苦しみに遭わせようとの魂胆に違いないと思っていて間違いない。
理由を言うなら、その祭祀には、古代から伊勢の地を星頂に据えた黒魔術魔方陣が仕組まれているからだ。
それは逆五芒星であり、カバラの伝統的な解釈では、神の正しいあり方に対する反逆を意味する。
どのような反逆があったかは、神世にまでそれは遡及される。
ほんらいなら、三千世界に対する大反逆罪が彼らに適用されるべきなのである。
若い人たちに、気づいてほしい。日本の国家神道を清いものと勘違いしてはいけない。
靖国の精神も、戦前戦中の軍国の英霊たちを招魂し、武運を授かろうとする呪術招魂なのだ。
そこに祝詞にあるような「うちてしやまむ」の神に応援を頼むと、どうなるか。
戦争に突き進むしかなくなるということなのだ。
未だ戦中にあると錯覚した英霊たちが降りてきて、日本国民を鼓舞しにくるとは、とりもなおさず、未解決の戦争を継続する成り行きに導かんがためである。
彼ら(戦犯の英霊たちと邪神)は、日本国民に、勝つか、負けて玉砕するまでやらせようとする。
そこには、賢者であった古代為政者の施政した、「おほみたから」とは国民であるという精神はどこにもない。
自分たちさえよければいい、楽しめたらいい、邪悪な秘密を知られずに葬り去るためには、国民を捨て石にしてもいいという、不徳の精神に満ちている。
いっぽう、そうした不正のヤカラ、彼ら英霊たちの思いには、平和ボケするしかなかった国民に対しての不満が嵩じている。
ほんらいなら、腹切り自決することこそが、国民というものであろうと思っている。
何という、ヤワな子孫たちだったことよと。
その彼らが悪意を篭めて、この日本に、自決のダイナマイトを抱かせたのが、原発だったのだ。
そこに邪神が支援しているとなら、どう運んでも玉砕しかないだろう。
それが世界をも玉砕に誘導するのであるとすれば、邪神の面目躍如となる。
世界も、早く日本の伝統芸の奥に潜む邪悪性に気づいてほしいものだが、利益供与と地のどこの王とでも性交する八方美人の大淫婦ぶりに酔わされてしまっている。世界よ、黙示録の大淫婦の登場に恐れおののけ。
何でGHQは、この祭祀にメスをいれなかったのか。平和憲法だけでは、まだ弱かったのだ。
いやいや、GHQも秘教の傘下だからだ。平和憲法のほうが、彼らのミスだったと思っているかもしれない。
東京招魂社が前身の祭祀に、鎮魂の趣などない。それはいつもの虚構であり詭弁である。
そもそも、ここの神官が、浮遊霊と化している英霊たちに、不満の所在と、英霊のあるべき姿を教えていたりするのである。浄衣を着けてカモフラージュした悪魔たちである。
靖国の神官衣装に騙されてはいけない。バチカンの性職者を揶揄する前に、足元をご覧じられたい。
現行神道には、大祓祝詞を見てもわかるように、封印術はあっても、鎮魂術はない。
鎮魂のように見えるのは、有無を言わさず黙らせる強伏なのである。
神官の行うのは、神々の諸力を用いて祟りを封じることのみだ。
祟りの矛先を戦争に向けることすらもしている。
真相の隠蔽を解くことが、鎮魂の真義であるのに、大祓祝詞はそれをしないでもいいような構図になっている。
それでいったい、何が鎮まるというのか。
神道の神官全体が、古代からの秘教組織の罠にはまっているのだ。
秘教組織は、真面目にやっている者をからかうのが趣味だ。あるいは、嵌めて苦境に陥れるのが生業だ。
それを後生大事に、伝統美として継いでいる神職ばかりなのには驚く。
彼らには、いつでもできたはずの改革というものの志が、微塵もなかったのだ。
秘教のすることは、真面目な人々の営みのパロディー化であり、世の退廃化であり、庶民の利得を簒奪することである。
この映像が、秘教の目的と生業とするところのものを、如実に物語るであろう。
http://www.youtube.com/watch?v=AP_CSQgBPpQ
またなぜ盗っ人なのか。
約70年にわたる国益垂れ流しと米国への利益供与はむろん、金をばらまき、マスゴミを使って世論操作し、秘匿された集票計算プログラムを改竄して、民主的であることを偽装して、この国を乗っ取った、まさに日本丸という船を乗っ取った海賊なのだ。
それまでは、原発という時限爆破装置を日本の津々浦々に配置して、宇宙船地球号を使い物にならなくしようと、準備してきた。
圧力容器や格納容器の耐久年限はいくらか。もし、その年限を圧してなお再稼働させようというなら、それは確信犯的に爆破させようとしていることになる。どうしてそれに気づかないのか、世界の人々は。
諸外国がそれに対して、賛意を示しているなら、それは同じく同罪だ。見て見ぬふりをしているのも、同罪だ。
地球に対してした反逆精神に、軽重はない。
冥界の王オシリスの息子であるホルスは、そのような彼らをすべて、冥界における振り分けのときに、オシリスのする差配に対して、脇座にいてアドバイスするであろう。すべてを見てきた者として。
そして、地獄の最下層に長期留め置き、場合によっては永遠に出さないであろう。
エジプトのホルス神話は、天の岩戸隠れ物語の元型であり、大本教神話はホルス神話を踏襲しているところの、隠蔽を取り去った神話である。
そして、ホルスは古事記の天の菩日命として、あるいはその息子、建比良鳥(別名天の雛鳥)が強力な名をして控えている。
まさにこの系統は、猛禽朱雀火の鳥の系統なのである。
ネアンが天の菩日命の化身であるとは、ただちには言えない。
というのも、ネアンはこの世の謎解きのために、実に様々な神々を自身にかからせて、その御用を果たすべき神の雛形になる器というのが、彼の解釈なのだ。
その代わり、梵天になり、山幸になり、浦嶋になり、文殊になり、朱雀火の鳥にもなる。神々は、彼を介して自己表現するのである。
梵天の時は弁天と交わり、山幸になったときは、妻の豊玉姫に、たくさんの子神を産ませている。
おびただしい数の六角オーブは、出雲系国津神の御神紋にもなる祖型であった。
しかし、最も若いときから始まった不思議経験は、ホルスであることを最も端的に表している。
朱色の三日月形UFOの目撃。それは火の鳥を使うガッチャマンのバードランだった。(それが2013年になって判明する)
世界を救うウルトラ級英雄である。
ふぐり玉蔵氏がウルトラマンなら、ここにガッチャマンファイアーバードありきである。
そして、そのしばらく後に、ピラミッド瞑想中に星の子UFO(太陽神の子)が眉間から飛び込んできて、全身が光のシャワーで洗浄されたかのようになった。
吉村作治氏のCGで作ったファラオの太陽神超入の儀式そのままの出来事が起きたのだ。そのときの太陽神は、まさに火の鳥として描かれていた。ガッチャマンの最強兵器の火の鳥だ。
2000年の旧暦九月九日ひのととりの日の、鳥取の日野を震源にした鳥取西部地震とそのきっかけとなった八角堂での出来事が思い出される。火の鳥はそのとき(2000年)に発進したのだ。
そして、直ちに取り掛かったのが、国常立神と豊雲野神の夫妻の救出であった。
煎り豆が花を咲かせるまで出られないという邪神側の呪詛を、地下のマグマに飛び込んでなお蘇生するという火の鳥の効果で見事に打ち破り、すでにその時点で両神の救出は相成った。(と見た)
しかし、邪神の圧力に屈したイナンナの寝返りで神話破りがなされ、それでも執拗に食い下がるネアンに、カンナオビへのバトンタッチまでしてイナンナは役目を果たし終えたのだった。
その後、イナンナの白蛇の神霊は脱魂してカンナオビに合流し、改めてカンナオビを介して、国常立神と豊雲野神夫妻の救出劇を演じ直した。
こうして、今やウシトラノコンシンは出る幕を待っているという状況にある。むろん、そのきっかけを与えるのは火の鳥となったネアンかもしれないが、ネアンはすでにこの世の有情の救済を、根本的土台の焼却処分という形で行おうとしている。つまり、ウシトラノコンシン(大魔神)の逆襲によらずとも、独自ですべてこなせるようにも計らっているのである。(どう転んでも、正神がことごとく復帰し、世を建て直すことにしてあるのだ)
(ところが、この頃にはまだ、もっと重大な封印術が施されていることに気づいていなかった。それについては、後で詳述する)
この世の邪神とその配下のしていることを分析すれば、邪神のしている不可解な行動は、一種の凶悪ウイルス(癌ウイルスのような)に冒された症状と捉えられる。ウイルスでも伝染性の感染力の強い最悪のものは焼却が妥当ともされるように、最短パスは灼熱による焼却処理になる。
癌組織、癌幹細胞、癌細胞、癌ウイルスの関係は次のようだ。第十三章から引用する。
引用>—————
有
史以後の人類はそもそも、邪神がわざわざ世界を破壊するために送り込んだ環境破壊因子なのです。それまでにあった先史人類の遺伝子とはかなりかけ離れています。遺伝子組み換えによってもたらされた、世界の有情を困難に向かわせるための霍乱工作部隊であり、知能を獲得するに従い、凶悪化していく獣だったのです。
この章では、凶悪な獣と化していく過程で、ウイルスが感染し、それが発病したとしています。ウイルスは、特に破壊的目的で送り込まれる、遺伝子実験工学者のような働きをします。彼らは宿主である地球と生態系の安定的存続をいっさい考えたりしません。むしろ、嬉々として地球の汚染と破壊を進めていきます。それは無責任というウイルスの性質であり、その病変組織それ自体が、自らを無責任であることを是認し、そうあることを構成細胞に強要しているからです。
巷の人体に見られる病変としては、癌がそうです。癌幹細胞は、免疫系のマクロファージにすら、癌組織に従うよう指令し、癌の増殖を促進します。そのような癌組織にいちど属した細胞たち(個々の人間たち)に正常化することを期待することは困難です。稀に正常化していく細胞(人間)を「目覚めた」と表現するのかも知れませんが、依然、癌組織からエネルギー供給されているなら、正常化したとは言えません。半疾病です。
お給料をもらいながら、またそれがなくては生きていけないから、わかってはいるけどやめられない。それは思いの上で目覚めただけであって、正常化したとは言えません。なぜなら、未だに癌組織を癌細胞の一員として支援しているからです。
むろん私もそのようにして改竄された遺伝子を受け継いでいますし、認識欠如の症状を呈していました。ついこないだまで。そして、今は今で、年金に頼っています。また、癌組織構成員の人間に対して、気を遣い、当たり障りのないようにおどおどしています。内心はこんな世の中、絶対よくないと思いながらも、人間関係の中にあると、そんなことは二の次になってしまっている現実があります。
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そんな彼らに、人間(あなた)は癌腫瘍を支える癌細胞だよと諭したりしたら、血相を変えて怒り出すだろう。因果関係を噛んで含めて言うと、ようやくそんなものなのかなあという返事が返ってくるが、すぐさまそれが人間というものであり、ふつうの生き物とは違うところであり、知能が高度に進んでいる証拠でありそのためなら地球が死滅しても、進化の名のもとに許されるとかなんとか言い始めることだろう。
そのような彼らが意外と子や孫をいっぱい抱えて、尊敬されていたりして、矛盾した不思議な光景を呈するのである。
プライドだけは異常に高い。が、やっていることはすべて不完全極まりない。それを何とかいろいろと合理化して自分を赦そうとする光景ばかり。
自分を赦すのに、他者の意見を取り入れて妙に納得して、良心の呵責をなだめる。キリスト教など、合理化方法論の巨塔だ。
賛同者を募り肥大化した結果の巨塔は、みんなも同じだから安心だという意味不明な安堵の精神に満ちている。
世の末の感が極まれば、いよいよその日が来たかと恐れおののき、しまいには、早く世界を滅びるようにして、最後の審判を仰ぎたいなどと言っている。
彼らはすでに癌ウイルスの侵食を受け、脳がコントロールされてしまっているのだ。それを細胞の癌化という。
すなわち、宿主である地球を死滅させるために存在している癌組織やその一員であると推断されるのである。
そのようなものに対する処置は、もしそれが宿主(地球)を食い破ってなお、空気感染パンデミックするものへと進化しようとしているなら、対象の焼却処分しかあるまい。
確かにその傾向はある。火星移住計画などは発想的初歩。時空に転移トンネルを作って、対偶の世界に広がる試みもあるようだ。新神話でもそのことは昔から書いてきた。
そうやって彼らが存続した未来の先には、おそらく機会あらばまたぞろ、まともな世界のあり方を壊そうと行動してくるに違いない。それが病原性ウイルスの特徴でもある。
すべて根本的な邪悪の意志から発しているのである。
根本的な邪悪を滅しない限り、ウイルスの生産は多様化に多様化を重ねることだろう。
逆にそれを滅しただけで、邪悪の意志の伝搬はなくなり、急速に正常化が果たされるはずである。
しかし、ウイルスは駆除されない限り残って、次なる邪悪の根本意志を作ろうとすることだろう。
だからここは、元凶の頭目だけを改心させ、傘下の者たちを徐々に改心させるというのではなく、すべてリセットして、システムの再インストールをしなくてはならないのである。(ここは彼の超宇宙論が是認する)
ドラマ仕立ての面白味を出そうとするなら、のんびり一進一退させながらやっていてもいいだろうが、ネアンはそんな阿呆にはとても付き合っておれないから、
そんなことなら魂の途絶を必須のものとして願い出ているだけである。
だからここは、いったん宇宙の運行システムをダウンさせる。
それまでの汚染されたシステムをまるごと棄却する。
原初のシステムを再インストールする。
正神たちが、ダウンしていた各人の魂をひとつひとつ稼働させ、その浄化程度を見て、再インストール後の世界に戻していく。
つまり、多少の感染ですんだものは、なるべく正常に戻す復元治療を行うのである。
むろん程度のひどいのは、クラッシュダウンさせたままで、焼却処分になる。
邪神たちはみなそうなるだろう。ウイルスの開発製造元だから、根が腐っている。
邪神と代理店の上層部の者は無条件焼却対象。
邪神の配下になった者で重篤でない者の順に、もし回復が見込めるなら、心身ともに治療が施されることになろう。
いっぽう、人間として生まれた者は、永遠の遊興経験を初期希望としてきているので、焼却対象にはならない。
たとえば最悪のケースとして、今の日本の為政者の3Aなどは、一億年の間、地獄の最下層で戦争状態を経験し、戦争や競争の欲望や嗜好が完璧に尽き果てるまで、優勢側、劣勢側、あるいは泣きさわめ(泣き騒ぐ女)を演じて戦争の愚かさをマスターすることになる。
そのような趣味趣向(嗜好)は、最初は魂レベルに取り憑いたウイルスのせいでもあるが、やがてそれが彼らの魂のDNAにまで組み込まれてしまうからである。
魂の免疫力を発揮させて、ウイルスの侵攻を止め、放逐するところまでを行わせるのだ。そのために、治療カリキュラムが処方される。
そのままにすれば、たとえ侵攻が止まっていても、その部分がいつ外部ウイルスとして顕在化しないとも限らないから、新世界に入れるわけにはいかない。
新世界はリアル時空とされる。
しかし、ウイルス保菌者たちの行先は、仮に作られたバーチャルゲーム空間となるのである。それは矯正のための教習プログラムだ。
9000万年が終了してもまだ趣向が残っていれば、さらに9000万年が追試される。それでもまだとなれば、さらに9000万年追加となるといった具合だ。
日本神話の天の菩日とは、エジプトの神ホルスのこと。
エジプト神話のホルスは、死者を冥界の王父オシリスのもとに連れていき、この者はこうしたらどうかとアドバイスするのである。
冥界に至った者の誰一人として、その差配から逃れることはできない。
撤退する国津神たち/滅亡する地球文明
国津神はどんどん撤退している。そのようなことを示唆する写真がいくつも撮られている。
現実に投影するように、生き物たちが、特に海洋生物が謎の自殺を図っている。
生き物たちには、彼らを統率し育成してきた神々や精霊が臨在的に見えている。
信頼する主君たる神が崩御するとき、生き物たちは、殉じようとするのである。
ところが、人間には育成に当たってきた神の姿が見えない。
邪神の仕掛けた罠の数々によって、見えなくなってしまったのである。
だから、人間には信頼できる神がいない。
そこで、自分たちだけで理解できる神を創り出したのである。
いわゆる人工の神である。そしてそれを天津神に据えた。
そして、あろうことか、人工の天津神を、在来の国津神を使役し、奴隷化するためにシナリオ付けしたのである。
しかしそれも、共存が図られる時代ならば、国津神も素直に従ったのである。
ところが、人間は人工の天津神に、国津神の制御を任せた。
戦争という手段で圧力をかけることで、国津神を負かしたのである。
負かされた国津神たちは、それも仕方ないと、従った。
お蔭で、突発的な天変地異が回避されることとなった。
いいこともたくさんあることに気づいた彼らは、天津神の祭り事を優先するようになった。
動機が動機であったため、自然に、ご利益信仰となった。
それでも、自然界の猛威は、季節的な要因によって、どうしても訪れた。
その被害を受けるごとに、いっそう天津神には、国津神の平定に力をかけてもらいたくなるものである。
そして作ったのが、恒久的な平定神話であった。
国津神は、気象変化や天変地異の罪科を着せられ、天津神の前で処罰される。
それらの異変が、人類の営みによるものであっても、見えない国津神には反論の余地はない。
こうしていつまでも、平定のシナリオが、全国の祭社から執り行われる。
いっぱいの努力で応えていた国津神も、いたたまれなくなって、撤退を始めだす。
このまま国津神を、天津神がその暴力によって滅ぼそうとするなら、国津神はみんないなくなり、未来世界は天津神が全面的に創るしかなくなる。
そのいでたちは彼らの得意とするコンクリートと無機質鉱物でできたテクノポリスの様相となるしかない。
自然界をバランスよく創り保ってきたようなノウハウも、時間的ゆとりも、人工の天津神にはないからである。
即席ラーメンみたいな、できあいの都市型文明を維持するのがやっとである。
あるいはその延長上には、宇宙ステーションよりも大きな、金属でできたデススターのような衛星を創り、その中に居住することだろう。
これがそのときの、CGで示された世界モデルである。カッコいいと思う人は、どうぞ行かれたらよい。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=VNJy8UCw1gM
しかし、今からではもうその時間はない。そこで人類は、生き延びることのためにバーチャルリアリティを作って、そこに移入するしかなくなるのだ。
それは一種の偽装だけれども、意識の存続が可能になることで、死を克服したと思うようになる。
そして彼らはその仮想世界の主導権を握って、その中にバーチャル人類を作って、まるでおままごと遊びのようなことをし始めるのである。
今からの未来は、およそそのようになるしかない。そこでも、彼らの趣味であるところのテクノポリスの態様にすることだろう。
特にその方向づけが加速している感がある。
いつまでも、醜態を晒しつづける世界を観測することは誰でもが嫌なものだ。
そのために、時間の刻みはとても速くなっており、まさかまだだろうと思っていた予想がことごとく眼前に展開しつつある。
その世界を創り上げてきた者たちが、多くの者の封印の不満の上に成り立たせているため、封印された者たちの怨念が嵩じて、世界をブラックホールに巻き込もうとしているのである。
その世界の為政者たちは、それを封印したまま解いてやることもせず、世界を終わらせようとしているからである。
ブラックホールに漸近するに従い、時間経過は加速する。
国津神の国名・葦原の中つ国をそのまま用いた国がある。中国だ。
天津神の国を自認する日本は、世界が尽き果てるまでのうちに、どうしても中つ国を平定しておかなくてはならない。
そうやって、天津神としての立場を築いておかねばならない。それが神話からの催促というものだ。
神話は日本に、そうなるべく強要している。中国をやっつけろと。
戦前から神話のシナリオを、中国相手にシミュレートしてきたのである。
今度こそ、しくじるなというわけだ。
現象に反映していく役割の人間たち(現しき青人草)は、ひとりでにその理念によって突き動かされ、神話の天津神の要求するシナリオを実行させられることになる。
その結果、中国の大崩壊を象徴として、国津神はことごとく討死にする格好となる。
その前に自決して死のうとする者がいても、もはや彼らを役目に縛りつける理由などどこにもない。
要は、天津神の興趣のために殺されるか、自分の意志で死を選ぶかということだ。
そのとき、国津神によって支えられていた世界は根底から崩壊する。天変地異は避けられようもない。
結果、今の人類は、なにも遺さず、ただ世界を砂漠化させて終わることになる。
黙示録にはその先がある。クリスタルシティーとしてエルサレムが到来する。
その意味は、クリスタルの電脳空間に意識を繋ぐ、バーチャル人類になって生きるということだ。
意識の営みが、電脳空間の中で生起し完結するようになる。夢のまた夢を科学的になぞるようなものとなる。
いいではないか。引き続き、生きていることが感得できるのだから。背に腹は代えられぬであろう。
しかも、彼らの希望してやまないテクノポリス仕様にすることができる。
中国は、その崩壊を通じて、膨大な汚染をまき散らすことだろう。沿岸地域の原発のいくつかは爆発することだろう。
その被害を最も受けるのは、風下の国々である。そこがドミノ倒し的に、また原発を爆破させていくとすれば、おのずと全世界は汚染に巻き込まれる。
今のうちに、対策を怠っていて、後から文句を言うなかれの事態となる。
地獄への道案内は、古来からイスラエルか日本が果たすこととなっている。
それは秘教が、最大限アタックするようメンバー全部に指示を飛ばした全力投球の結果であり、ロボット人類の太刀打ちできる話では元からなかったのだ。
新神話は、その結果を受けて、またその技を合気道的に力を倍加させて、一挙に全世界のシステムダウン・リセットに向けて強力に作用することになる。
ここまで、事態がお膳立てされ、改善するすべが封じられているのだとすれば、むしろ滅亡を促進するほうが最短パスになる道理である。
国津神はどんどん撤退すべし。そして、新世界の造成に回っていただきたい。
地球の守護神、女神さまも、もう撤退ください。両極を支える神々も、もう手を放されよ。
こうすれば、地球は宇宙環境にもろ曝される一惑星に立ち返るべく方向付けされる。
天津神たちは、あまりに早い守護節理の撤退に、自分たちで両極を支え、人類の生命維持を図らねばならなくなるだろう。
目的とする工程が支えきれなくしてやればよい。NWOの落ち着きの間を与えるな。彼らには、雪隠の中でもがくだけもがくようにして差し上げればよい。
人々も有情も、新たに発足している新世界に行き、そこになじんで、やがて後発的にやってくる純良な有情たちを導いていただきたい。この黄泉と化した国に未練なさるな。
死を怖がるなかれ。地上のなにものにもこだわるなかれ。
資産にも、縁者にも、家族にも、し残したくさぐさのことも、全部記憶から放棄して新世界にまいられよ。
悪しき中にも解放のシナリオを置いた古事記神話のイザナギの渡せる橋を渡られよ。
ゾンビとなったイザナミの世界は人口削減の宣告された世界。
対して、イザナギ世界は人口増加の宣言がされ存続の保証された世界である。
邪神の使い、黒田官兵衛の「生きられよ」の逆張りでいくことが肝要である。
ぜひとも、嬉々として「逝かれよ」。ロトがそうであったように、決して後ろを振り向かずに「逝かれよ」。
新世界の創造と発展こそが、ネアンが組する事業になる。
新
神話概観・・・火の鳥編
空なるところにひとつの玉のような意識があった。
周りには何もない無限の広がりのみであった。我々が考える時間とか空間といったものは
なかった。
固有名詞をつけ時系列に話さねば理解できない世の人のために述べるなら、ひとつの意識
の名は「梵」。彼の夢の開始点がどのあたりであったか定かではないが、ひとりあることに
寂しさを覚え、自らを別けて双身とした。しばし互いに愛で合った後、それでも不足を感
じたか、次々と別け身を創り出すことを繰り返し、その数は無数に増えた。その全体の姿
は、最初の双身(父母)を頂点として繁茂する逆さ樹木のようであった。それを「梵の全
系」という。「梵」の冠の林とつくりの凡には、おしなべて林のように見えるという意味が
ある。また、神棚に供える榊(さかき)とは、「逆さ木」の意味であり、常緑樹であること
によって永遠性を表現しているのである。
あるいは逆ツリーの姿ゆえ、下位を「根」という表現をする。いずれも玉(意識)の連鎖
によって成る情報系を意味しているのである。
ところが、個々の意識は全能であった。それぞれに宇宙を造形する能力を持ち、それぞれ
が引き篭もる宇宙を持ち、遊んでいた。だが、しだいに近接した者同士で相互交流するよ
うになり、アイデアを元にした組織を作るようになった。組織で共通の宇宙を創り出し、
面白さを工夫するようになった。そのようにして生じた宇宙には、失敗作も多々あったが、
さらに工夫する。
その能力は、魔法の力というべきもの。夢を作る能力といってよい自在のものであった。
というのも、原理的に魔法で作られるものは、すべてオリジナル言語で書かれたプログラ
ムであり、そこに意識の個々が参照光を当てることにより、観測されるものとなったから
である。その原則は変わらない。だが、みんな魔法の能力を柔軟自在に駆使して、そのよ
うなことは忘れたように行動した。
そのようにしてできた宇宙の一つに、この宇宙があった。最初に理念と目的をはっきりさ
せた設計がなされ、それに従って宇宙は生まれたのである。
祖形の宇宙に入った意識たちは、創意工夫する科学者のようだった。梵天、弁天、ウーラ
ノス、クロノスといった科学者が宇宙の基礎を作り、参加希望者に来場を促したのだ。
興味した者たちが続々訪れた。その協力のおかげで、祖形宇宙はしだいに諸原理を明確化
させ、細かいところまでが定まっていった。
ひとつの宇宙の雛形を与えた後、梵天と弁天は、後をクロノスに託して去り、その後クロ
ノスは生命の基を作るまでにした。こうして、意識は生命体の個々に宿ることのできるも
のとなった。
生命体には、宇宙の諸元を使ったあらゆる形態が考案された。諸原理の整備に伴って、た
とえば真空生命体、プラズマ生命体、物質生命体、原子生命体などへと展開した。
創造精神豊かな純粋な魂ばかりが集まって、創意工夫を出し合って、それはそれは善意と
愛に満ちた見事な世界が生まれたのだった。
細かいところまで意識の目は入り、些細なことでは壊れたりしないものとなった。プログ
ラムで言うなら、バグの極めて少ないものとなったのだ。
宇宙が安定的に運営されてしばらく経ったころ、この宇宙を自分たちのいいようにしたい
という邪な意識がたくさん入ってきた。彼らは作りあがった見事な土台を改変する者であ
った。というのも、この宇宙に当初設定した「生成衰滅の草本の理念」に沿った変化期が
訪れていたからである。その時期に応じた意識が参加してきたと言ったほうがいいかも知
れない。セキュリティレベルが下げられていたと言い換えてもよい。
彼らは自らを人仙グループと名乗り、高度思考能力を持つ生命体の開発実験のためにやっ
てきたと告げた。
理念の展開に沿った者の到来に、クロノスらは歓迎したが、彼らは以前の宇宙で、競争と
闘争ゲームに熟練した者たちであった。このため、クロノスたち古参の科学者の意向を汲
まない行動を頻繁に起こすようになった。ついに古参者と新参者の間で戦争となる。クロ
ノスは宇宙の外に逃げたが、多くは意識を失わされ、その間に封神処理が施され、神界で
人仙たちの下働きをさせられることとなったのだ。勝者は天仙として仙界に住み、下位の
神界からは認識できなくして、神々の行動を監視したのである。
クロノスのときに、高度思考力を備えた原人が作られていた。多くの意識がそこにちょう
ど潜水服のように入って、地上の開拓作業をしていた。彼らは、封神処理の間、上位界で
何が行われているか知らぬままに放置され、いつしか意識を退化させていたのである。
天仙は、世界を仙界、神界、霊界、幽界、人界、地獄に別けた。上位から下位を制御でき
ても、逆ができないようにした。
クロノスは梵天に訴えた。理念が過激に遂行されてしまったと。梵天は、理念がそうであ
る以上、再び廻り来る春もある。よほどのことがない以上、静観するのがよいのではない
か、と諭した。だが、その「よほどのこと」に関して調査が入ることになり、介入が必要
であると判断されたのである。
火の鳥は古来より、これが現れる時代は世が根底から覆る時であると思われていた。
すべての地上の文明がその寿命を終える時、必ず地上を火災が覆い尽くした。その原因
を火の鳥に求めたのである。
その時代には、世の矛盾に疲れた人達の願望が嵩じ、正義によるのかそれともその他の
動機で起動されるか分からぬ、謎に満ちたシステマチックな摂理に人気が集まった。
なぜならそれは、迷路に迷い行き詰まってどうにも動きの取れぬ状況の、最終的な打開、
最終解放をもたらす手段と認識されたからであった。
宇宙。それは有情すなわち魂と普通言われる永遠の存続が謳われた意識ある主体が、自
らの生きている証しとして様々な体験時空の中に意識の目を置いて、自分と被造物の関
係を認識するために作られた仮想時空のことである。
それは多くの意志によって作られたとも、単一の意志によってつくられたとも諸説ある
が、元はといえば意識の主体が楽しむべく設計されたテーマパークであった。
その中で、火の鳥の初元的意義はこうである。
この宇宙ができあがるとき、これを設計した太古の神(と言っていいであろう)は、宇
宙の土台に存在を維持するための基盤となるエネルギーを封入した。それは宇宙の膨張
と共に普遍し、科学的に言われる黒体輻射となった。それはいつも宇宙に体温があって
生きていることを証していて、その暖かさは愛と目されていた。
だが、設計者はこの中に更なる愛を込めていた。それは、精緻に作られたものであれば
あるほど、それにのめりこみ固執を招く可能性を持っているゆえに、その傾向を戒め、
有情に本来備わった相を取り戻させるための摂理として用意されたのが、破壊と焼却を
以てする火の鳥であった。つまり、緊急避難処理機構だったのである。
意識の進化という美名のもとの退化・・・のめり込みを助長するシステム
この世に生きる者は、本来備わった相など知る由もなく、また知る必要のない、むしろ
知っては興趣が削がれるところのものとされていた。たとえば、プレ新神話のネアンが宇
宙船の中で「蚊」の一生を、そのものに成りきって体験した如くである。
だから、ともすれば、有情はテーマパークに遊ぶうち、自らの元の性質を忘れ、あるい
は失い、その仮想的対象こそを事実、実態と誤認するようになる。
そんなとき、テーマパークの主催者は、細心の注意を払い、極端にならぬための政策を
取ることになっていた。
封神の後、神界に登場した政府は、まだしも良識の府であった。当初の科学者的建設的
思考が自然ににじみ出て、輝ける魂の神々が支配的だった。
正義は誠実の表れとしていつもあった。人界の管理は、適切に施され温かみに満ちていた。
ところが、神界に対して仙界から功利主義や競争精神が持ち込まれ、誠実さ必ずしも得になら
ぬ例が続出してきた。暗い時代の到来を思わせるように、神界の空も灰色がかり、色あ
せていった。人界もこれに伴い、不安定化した。
だが、建て直す神が現れた。国常立神である。彼は、正義を揺るがす行為を戒め、神界
のあり方を正した。こうして、神界人界とも元のよすがをいったん取り戻したのだ。
だが、天仙は計画を中座させられ、面白みが削がれたのを見て、魂を持たない杖の眷属
を国常立神の討伐に向かわせたのである。これはいわゆるゾンビであり、噂に聞く梵天
の目が宿らないことが見込まれていた。仙界から密かに下ろされ、天仙とは無関係に装
いつつ、邪悪な精神性を神界にふりまくのである。
国常立神の執政を恐れる者たちの間に不満は嵩じ、黒い陰謀が生まれた。
こうして、神界にクーデターは起こされた。ここでも、ゾンビを直接関わらせる計画で
はなかったが、軟弱な側近たちに暗殺は不可能だったため、ゾンビにやらせてしまった
のだ。
ゾンビは、プログラムの観点からすれば、ウイルスのコードのようなものである。あた
かもセキュリティを破り、不明瞭な外部から侵入したかのように見えるのだ。
主催者が革命によって交代した後、人界の文明の進歩はどんどん加速させられた。
バラエティーに富んだソフトを編み出し、有情を虜にした実績によって批判的な外圧を
かわすようになっていったのだ。
夢の楽園と銘打ち、外野に向けて宣伝がかけられた。非常に面白いテーマパークだと評
判になった。
お子様連れでぜひいらっしゃい、と。
そこに入る者は、まず控え室で幾つかの説明を受けて書類にサインする。
魂の記憶を消すこと。以前の名前を忘れることなど。
書類にはなにやらややこしい文も書いてある。
それに同意するなら、サインして無料で入室できるという具合だ。
純粋な魂たちは、施設の誠実さを信じて、面白さを味わいたくて来ているためサインする。
だが、入る人数と出てくる人数の差が歴然としていた。
還らぬ魂たちを心配して梵天に訴える眷族が増えた。梵天が行って掛け合うが、主催者
はみんなルールを守って楽しんでいる最中であると答え、さらに追求すれば、サイン入
り文書を見せて、ほらこの通りと言い逃れ方をした。
テーマパークはやはりプログラムである。そこに有情は試し火の火を入れてプログラム
を実行しながら観測する。己が意識を忘却の麻酔プログラムで麻痺させて、命の誕生か
ら終わるまでの課程を楽しむのである。
彼の欲望のすべてを満たすには命は短く設定され、また課程の中で新たな欲求を見出し
て、次の更なる経験を欲するように設計されていた。
欲求が生まれれば、その需要に応えて、次の生のポジションから果たすべき課題までが
功過得点によって計算し直され、周到なプログラムが用意される。参加者はみなプログ
ラムである対象を、マリオのゲームの如く相手にしながら、そこに出てくる敵と戦い、
味方と出会い、様々な試練を乗り越えて到達点に至ろうとするのである。
それで未到達タイムオーバーなら、次の輪廻がシステマチックに用意される。
その間に、別の欲望や過失や故意などが新たな功過を生み、またも採点の対象とされて
いく。これらをことごとくクリアーするために、何千という輪廻を繰り返すのである。
その時間の中で、参加者はいつしか有情というものになってしまう。
有情の数はあまりに多く、多くはシステマチックに処理されるが、特別に評議の場にか
かり、恩情的措置やたしなめ的懲罰措置を受けることもある。
針の穴を通すほどの確率でしか抜け出すすべはない。こうしてテーマパークは、あたか
も地上の楽園と銘打たれ外部宣伝がかけられたかの国の如くであったが、その実態は強
制収容施設であったのだ。
これはどうもおかしいと、隠密が放たれた。それがネアンらのプロジェクトであった。
しかも、火の鳥使いが直々に乗り込んできたことは、テーマパークの廃絶をも視野に入
れた計画であったことになる。
ところが、テーマパーク主催者は、永久的存続を願った。
自らの支配権の永続という幼稚な精神性が支配原理となったとき、悲劇が生まれる。
まずこのために、彼の傘下にあるすべての生き物の希望を、存続一色に染め上げた。
教育、暗示という方法で、存続しないことの悲劇を強調し、非存続に向かう苦痛と存続に
向ける安堵感を対立させて際立たせ、飴と鞭の効果を活用した。
だがそれは、真の意味の魂からの希望ではなく、無知なレベルで為した希望であった。
自己保存本能として、あるいは破壊時における懲罰的痛みとして、生きることを希求せざ
るを得なくしたのである。
痛みの中でもがき必死で生きんとする様。それは傍目から見れば涙ぐましいものに写る。
だが、それは死への恐れと次の輪廻への欲求となるばかりである。
ところが、それでも支配者は宇宙の存続に満足が見出せないと知るや、さらに別の方法を
編み出した。
すなわち、善と悪を戦わせてそこから生ずる残留思念を存続エネルギーにしようとしたの
である。悪の力が上回っていればいるほど、善はその矛盾に対してすさまじいストレスエ
ネルギーを発散するが、それが宇宙存続の優良な原動力となるという。
結果、そこに閉じ込められた有情たちは、思うように行かない、悪い差し障りがあるなど
の不幸の客体となる。ときおり順調に行く晴れの時間をその中に織り交ぜれば、いつか不
幸を脱して幸福になれると努力する。それが錯覚であっても、土台が存続しなければ何事
も実現しないと錯覚し、またも存続を希望するのである。
「ここでもっと生きたい。経験したい」といった有情の希望は、ただちに外野に伝えられ
る。ほうら、こんなに楽しんでおられるじゃありませんか、と。
この方法がいつまで効果があるかわからないが、宇宙に幾つかのポイントを設けて、そこ
で善悪のせめぎ合いをさせるだけでたいそうな効果があることも分かったとみえる。
そのようなポイントの一つが地球という惑星であった。
地球には、かつて反逆者とか戦犯と呼ばれた者たちが多く下ろされた。彼らは何が真実で
あるか心底知っていたため、戦勝者に対して表向き帰順の意を表明しても、心中迎合しな
い者が多くいた。
そこで完全な敗北観念を抱くように、洗脳教化する強制収容所として作ったのである。
彼らはもとより正義と秩序を重んじる者たちであったから、正義の元が心地よいので集
まろうとする純粋さを備えていた。ところがそこに、ならず者やごろつきや刺客を高見
から見下ろしていて送り込むのである。同じ外形をした仲間としてくるものだから、そ
うとはわからずトラブルになる。まとまろうとする正義の一団はまとまれず、内部崩壊
してしまう。あるいは外部からならず者の兵隊が来て潰してしまう。こうして、正義は
いつまでも成り立たず、心ある者たちの心の中に理想として秘められるに止まったので
ある。それがまたも錯覚させて、土台の存続を希求させることになった。
戦勝者の干渉は、地球に下ろすものたちの形態にも及んだ。
地球は50億年の年月の上に生命が進化し、人間を頂点とする生態系が築かれ、宇宙船
地球号の中で生命輪廻のサイクルが営まれている。だが、そこに生息する動植物の多くに、
実験の痕跡が残されている。いわゆる遺伝子工学の、である。
今の人類もそのご多分にもれない。地球に当初存在した人類は、類人猿的であったが、
人類として登場した者は、準・神人であった。
この原型から、何かを足しても引いても、支障があるほどに完璧であった。観測できる
視野のレンジは広く、形而上の実体をも見通すことができた。子供は、父母の頭頂から
気の塊として生まれ、長ずるに従い物理的な形を整えていくのである。幽体と言われる
形で生まれ、肉体をしだいに纏うという生長を遂げたのだ。生命の木の図章は、幽体の
象徴化された解剖図なのである。
その原型は、敗戦者の技術によってこの上なく創られていたため、戦勝者はこの秘密を
解き明かそうとして、いくつもの不具を創ってしまった。どうしても武力以外の分野で
力が及ばないと知った戦勝者たちは、地球上の原型人類を収監して、そこからできた不
具と動物をあいのこにした生き物を、人間として下ろすことにした。
具体的には、宇宙人が人間の遺伝子改造を行った形だが、未だに幽体との整合が図れな
いでいるために、満足な寿命が保てず苦労している。
戦勝者は、技術的に劣勢なのを逆恨みし、原人をあらゆる皮肉を込めて改造した。
その端的な例が、子供が汚物排泄口のあわさいから生まれるようにしたことである。
かつての原動物はいっさいの子供を子孫を大事に生み育てる理念の下、頭頂から生み出
していた。それを汚物の次元にまで貶めたのはひとえに戦勝者の企みである。それは、
人々や動物を支配する彼らの方針を表していた。
シュメールやギリシャの神話などは、人間は神に嫌われた存在であったとしている。
インド哲学も、この世の輪廻から解放されることのみを希求し、そのための実践哲学の
体系を創っていった。
若干、タイムを取ろう。ただいま正神の中から、人界の存在意義を肯定する意見がもた
らされたので、書き記したい。
人界は広大無辺な宇宙全体のうちにある、ひとつの次元時空であり、有情の意識が好みに
応じて居心地の良い次元時空に本拠を置くとき、宇宙の全体像を把握させたり、自己中心
に陥りがちになる意識たちに他のステージを理解させるといった理由から、他の意識に対
して働きかける(相互作用する)機会を作るべく設けられている、という。
よって人界には、天人阿修羅地獄餓鬼畜生に大別される次元時空から、様々な性格の者が
共通の交流の場を求めてやってきている。それはさながら、ディスコに集う若者の群れと
いった感じであり、慎ましく高貴な魂から、粗暴乱雑な魂、あるいはアウトローな者まで
が混在し、それぞれ他の者から、あるいは成行から、自己を改変する手懸りを得ていくと
いうのだ。
人として生まれた者は、ちょうど老人ギブスをはめて活動する如く、元あった力を減殺し、
造形困難なマテリアルを使って、共同の建設的作業などを通して、自らのありかたや考え
方をグローバルなものに改変させていくというのである。それを魂の進化と言っているら
しい。
その下地に、有情はすべて、機会、可能性、与えられた時間において平等であることが謳
われているという。
また、大から小に至るまでの局面でストーリーがあるが、文明の進歩や支配的思想の変遷
は、相互作用の仕組みと角度を少しずつ変化することにより、進歩の形態を多様にしてい
るという。
だが、ネアンはそれを聞きざまに、欺瞞であると断ずる。
その理由として、そこまで配慮されたシステムならば、なぜ古来から宗教者が頻繁に出て
精神論を説かねばならなかったのか。釈迦などは、衆生に心のレベルにおける解脱を説い
ている。それは、いかに耐え難い環境が衆生に対して与えられてきたかの理由ではないか。
むろん釈迦やその他の聖者の出現により、衆生は救済されて、今の時代に子孫を残せるに
至ったと解釈もできる。だが、どう考えても、闘争の歴史は多くの無駄な繰り返しを招く
ものでしかなかった。価値感を狂わされた競争の歴史は、直ちに壊れる砂山の建設に似て、
共同の建設作業らしく見えても、最終的には絶望を与えるものにしかなっていない。
多く預言されたよう、この歴史が滅亡を必然としているように見受けられるのはなぜなのか。
むしろ、何か別の理由、もしくは怠慢があるのではないか。
その理由としては、邪な計画が(権利伸長のための宇宙存続計画の一環で、善悪の闘争が
優先されている)潜在しているからではないのか。ソロモンはこう言った。「天の下には、
真新しいものはひとつもない」と。文明は同じマテリアルを抱えて、ただ輪廻しているだ
けだからだ。
そこで魂はやがて進歩し悟る?そうではなかろう。マリオのゲームのようにクリアーのハードルが
次第に高くなっているのと同じ原理なのだろう。
もし支配神に邪な心無く人界を運営する気があらば、迷霊を迷霊のままで放置したりはし
ない。それは明らかな怠慢。過失というより、故意に起こされたことと判断するのである。
迷霊がどうしてもそうしたがるのだという言い訳は、機会や与時間の平等という言い訳の
上に胡坐をかく怠慢の証でしかない。しっかりと逐一の例を検査し、ケアーを図ってこそ
前提的な大義名分も立つのではないか。
ちょうど神界の人界支配の構図は、どこぞかの政府の官僚組織に似て、権力保身の邪悪さ
だけが支配し、肝心の行政はおざなりになっているとしか言いようがない。そのようなと
ころから与えられる末端庶民の幸せや所期の進歩などといったものは絵に描いた餅にすぎ
ないと断ずるのである。
これに対してネアンは、極度な邪悪さを排除したマトリックスを、善良な注意深い管理の
下、博物施設として運営し、希望者にしっかりとしたガイドをつけて閲覧してもらうとい
う新型システムへの移行をこちらサイドで提案し、今目下、梵天の宇宙プランの中のひと
コマとして実現すべく図られている。
このために、従前のシステムを全廃し、先天的な邪悪な魂、あるいは洗脳の解けない後天
的邪悪な魂のすべてを粛清することもやむなしとする。神界政府の人事の総入れ替え、
そして罪根の洗い出し、関わった者の処罰を、粛清を交えながら行わねばならないとする。
だから、異議があるという正神は、あちら側に加わって戦われることを薦めるのである。
とにかく、神界全土に渡っての関が原の合戦となることは必定。どちらにつくかは、早々
に決められよ、というわけである。
さて、割り込みが入っていたので、話を元に戻して、邪神一味の仕組んだことをもう少
し論じよう。
今から四万年前の現人類発祥の時代には、人間を動物よりも機能不足に作りかえる目論
みが実行された。危険などの接近を、エネルギーの場として捉える観測能力を、学習的
に奪い去ったのである。結果として形而上エネルギーを感得する能力が殺がれた。
心霊や気のエネルギーに対する盲目は、未来に対する盲目でもある。こうして支配の神
々に盾つけないようにしていったのである。
たとえばUFOは様々の形態で飛んでいる。ところが人の目は都合のいい盲目で、見た
くもないものは見ない、見たことにしない、そういうフイルターがかかる仕組みが備わ
っている。
人間の側で不可知なものを拒絶する仕組みを進化のうちに作り上げたとすれば進化論的だ。
だが、進化した科学者である神々(いわゆる宇宙人)が関与しているのだから、人に見せ
ない、存在を悟らせない仕組みを遺伝子に組み込んだというのが本当である。
なぜ古来より目に見えない神が実在のものとされてきたか。それは霊感的に人を指導し
たというより、人を選んで姿を見せてきたからである。聖書の預言者等は見せられた者
だった。大衆を精神的に支配するシャーマンに姿を見せ、言葉を述べたとなれば、大衆
への波及効果は絶大であり、人知の未熟な黎明期であれば大思想の根底を作ってしまう
ことはいともたやすい。
悪しき神々、地球を支配するインベーダーは最初から地球の歴史をコントロールするために人
の遺伝子に条件付けをしたのである。
己が存在を見せないために、脳の仕組みを動物一般のそれとは乖離させ、自然界で観測
される情報のレンジを絞ったのだ。スマトラ沖地震のとき津波の到来を何らかの危機情
報として察知した像や蛇などの取った行動と、危機に向かって飛び込んでいった人間と
の種族的乖離は大きいと言わねばならない。
聖書に言われる楽園追放とバベルの事件は、いずれも神の観測領域からの段階的脱落を
意味するものであり、それは遺伝子操作でなされたことだったのである。
アンバランスな脳が今だ。では聖書にも偲ばれるような、集大成された優秀な原人脳の
モデルはどこかにあるのか。ある。
外傷や奇形などの原因で発症するサバン脳は、コンピューターを凌ぐ記憶力や演算能力
を発揮するケースがあるが、阻害要因がたまたま取り去られた結果なのである。
しかし、それをあえて取り去った神を名乗るものがいたことが史料で伝えられているわ
けである。童話や思いつきではない世界の誰もが目にする史料として、堂々たる定番と
なっている。だが、不可解な神のしたことに対して疑いを持つ者はいない。
圧倒的に優位な力を持った神が、自らが創造した物ゆえに、生殺与奪は我が権利と、生
き物が悩もうが苦しもうがしたい放題する。そして、我は主人なり、崇めよというのが、
この傲慢な神を語る悪魔である。彼は未開の人類に恐怖を与えることと、ルールを教え
込むことによって、姿は現さずとも存在のアピールを十二分にしてきているのだ。
そして、ときおり神懸りして、猟奇的凶悪犯罪を犯させる。犯罪者は、神が指図したと
訴えるが、見えないために採り上げられることはない。
ちょうど、飼育箱の中に低次元発展途上の生き物をたくさんいれて実験する科学者のよ
うなものだ。生き物が未熟だが思考能力を持つことに興味していろいろと試行している
のである。
彼はこの生き物に自分以上のものを与えたくない。だから、様々な能力を取り去り、滅
びを必然のものとしたシナリオを文明というタームに対して与えて、その中で実験を繰
り返しているのである。
こんな話はすでにされてきたことであるし、だれでもうすうす推測がつくことである。
だが、ネアンはそれをいくつもの困難を押して確かめようと思った。
彼は、2005.7.に地球に変装して潜入しているとおぼしき宇宙人にそれとなく矢継ぎ早
にいくつかの質問をしてみた。分かったことは、彼は今仕事がなくてここに遊びにきて
いるとのこと。私は、宇宙人の監視を受けているような気がよくするが、あなたもその
ひとりなのかの問いに、いや分からないとの返答。エホバとは宇宙人なんだろうの問いに、
言葉に窮しながら分からないと返答。そこですかさず、第三次世界大戦はいつになるか
と問うと、まだ決まってないと答えたので、ネアンはやはりそうか(計画はある)と得
心した。
科学者である宇宙人は、歴史のシナリオをその通り誘導するために人間側に代理人を組
織して工作活動をさせている。その忠実な宇宙人のしもべたちは、人類の利益を度外視
した次元の考えで働く。むろん、よく言われているフレーズは、この数行に関して神を
宇宙人に置き換えた言葉だ。だが、それをインベーダーと看做せば、どんなにふざけたことか
が分かるだろう。
要は地球生態系は、インベーダーの手の中にあるということ。天にあるごとくが地にあり、地
にあるごとくが天にもあるという諺は真実なのである。地に満ちた不合理は天に起因し
ている。天国云々は意識が地的係留から離れたときのことであり、地上に天国は築けな
い所以である。意識は魂として地上付近に止まり、次の転生に備えるという。だが、臨
むその場は、広漠として、不合理と不正に満ちている。正そうと臨んでも多大な摩擦を
受けて頓挫するのが落ち。逆に不正な者は世の支配者となりやすく、民を酷するにため
らいがない。そのようにインベーダーの意向を受けた天が配材するからだ。それでいいのだろ
うか?そのようなところに、一体誰が希望してやって(転生して)くるというのだろう。
強制的な摂理で縛るゆえに、否応なく来ざるを得ないのだ。
いくら人類だけで英知を結集しがんばっても、干渉者がいるゆえに実らない。宇宙人が
いくらも来ていると証拠をそろえて提出したとて、代理人が異議を唱えてもみ消してし
まう。
強制収容所には、いかがわしい思想を表に出さないようにするエージェントがたくさん
入り込んでいるのだ。神はいつまでもないか、あるなら漠たる理想論の中で盲信される
のみだ。そして、人々は矛盾を抱えたままで死に、次のサイクルに望むことになる。
これでは、ああ、と嘆息するしかないではないか。
正されるべきは、科学者的宇宙人による管理であり、やるべきはそれを解くことにある。
といっても、北朝鮮を見れば分かるよう、強制収容所から逃れるのが至難の技であるこ
とからすれば、地上人類に一揆を求めるわけにはいかない。神々のレベルは神々に、宇
宙人のレベルでは宇宙人に頼まねばなるまい。実際それは動き始めていなくてはならず、
そうでなくては何の神か、何の宇宙文明か、義や正義のへったくれもないことになる。
さて、それを測るすべであるが、地の如くが天にもあるとすれば、地の獄たとえば北の
解放が、天の解放の兆候となるだろうか。
だが、天は自らの改革がなされることを嫌い地の改革すら妨げようとしている。
だからネアンは、彼らの対立軸に正神を据えて、古来からの復活神話を土台にした新神
話を作る。神話が認められたものとなれば、旧神話を塗り替えて機能することになる。
すなわち、邪神の掃討と正神の復活復権がワンセットになった行程が実行される。その
中で、火の鳥という最強兵器による脅しによって行程を円滑ならしめるのだ。むろん、
ネアンはすべて焼尽することを少しも厭わない。
神界にまで邪悪はびこる世なればこそ、ターミネーターとしての火の鳥はその本質を十
二分に顕わすのである。
新神話の素材・・・御伽草子は素材の宝庫
我々人の身体は器であり、場である。霊魂の宿る器であり、霊魂の集う場なのだ。身体を主体的に支配するのは自らの魂。その器として身体がある。だが、身体は様々な神霊の集う場でもある。それは何も巫女だけに限らない。巫女は訓練してそうなったこともあり、神霊の訪問を受け易くなっているだけである。
その人の思いに従って、相応しい神霊がかかる。そして神霊は、この場を借りなくては会えないような神霊と出会うために、人をして奇遇な縁を用意して出会わせるのである。ネアンやカンナオビのように、一人で複数の神霊の集う場となることもある。様々な神話におけるペアーとなる神々が、一つのペアーの身体にひしめくように集まり、合コンさながらの盛況になることもある。雛形に素質があればあるほど賑やかなものとなり、また人が加わって新たに資質を獲得して、不思議なことが続々展開するようにもなるのである。
人は神霊にかかられたときから、神の神話を演ずる者となる。古来よりシャーマンが至ろうとした境地はこれであり、そのときシャーマンは人並みはずれた神々しさを見せるのである。神の容れ物となるとき、人はおのずと清められる。人にとっても神にとっても利他となっている。
人は神の依頼、神懸りを受けて、地上で神話の雛形の舞いを舞う。逆に、神は人の作った神話に則って神界で神話の舞いを舞う。地上の歴史はさながら、神霊と人霊の意図のおりなす錦織の如くなっている。
天橋立の成相観音、久世戸文殊の縁起は、文殊菩薩の龍族教化話ばかりではない。
御伽草子の「梵天国」において、両神が対置されるに至った神話が描かれ、天橋立の本地ともされている。
それによると-
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五
条の右大臣高藤の子は、観音析願の授かり子玉若君を大変可愛がり二歳の時四位の侍従の位を得て、丹後但馬の国を与えられた。小さい時から笛を上手に吹いて居られたが十三歳で父母を亡くし孝行な子であっだので、一週間笛を吹いて供養していた。その笛の音を聞いた梵天国の王(仏教の主護神)が、「吾が姫を嫁に差上げよう」と云い、美しく心の優しい姫君を妻に迎え人れられた。此の話を聞かれた天皇が羨まれて「おまえの妻を内裏に参らせよ」それが出来ねば……と無理難題を申出されたが二人のカで総て叶えられた。最後の難題「梵天国王直々の御判が欲しい」との事。中納言は父君に当る梵王国に行き食事を与えられだ時、側で人でも鬼でもない飢えた骸骨の様なものが食事を求めた。慈悲深い中納言は哀れに思い御飯を与えた。すると一粒千人力と云う米を食べて鎖を切り大空へ飛んて行った。これが羅刹国のはくもん王(悪鬼)てあった。はくもん王は邪恋していた中納言の妻を奪い羅刹国へ帰った。中納言は御判を頂いて帰ったが、妻の居ない家や世の無常を感じお髭を切り家出して願を掛け妻を助けられる様析った。中納言は単身羅刹国へ入り、はくもん王の宮殿に密かに潜入し、妻と再会。警備の手薄になった隙を見て、御車に乗って二人して逃げ出す。それを知ったはくもん王は、はるかに走力において勝る御車で追いかけ、まさに追いつこうとするとき、梵天国から差し向けられた孔雀と迦陵頻伽が、はくもん王の御車を蹴飛ばし、奈落の底に突き落とした。中納言はこうして、妻を救い出し都へ帰ったが、都の生活を嫌い丹後へ下られ、妻は成相の観音様となり、中納言は久世戸の文珠となられた。そして一切の生活をお救いなされたとか。成相観音は美人観音、美人になれる観音様として名高い。
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梵天国の王とは梵天王であり、その姫には弁財天の意趣が馨る。そして文殊は、梵天王の縁戚として列せられたことが分かるだろう。
また、愛する妻を救うために夫が冥界遊行する話は、御伽草子「毘沙門の本地」にも見られる。
それによると-
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天竺瞿婁国の千載王が九十歳、妃が六十歳の時、申し子をして天大玉姫を得た。姫が生まれると王は二十歳、妃は十七~八歳ほどに若返った。乳母も五十歳から十七~八歳ほどになり、その他、民百姓にいたるまで、姫を拝んだ人は皆若返った。
天大玉姫は、強要されて、摩耶国へ嫁ぐこととなるが、道中で維縵国の金色太子と出会い契りを結ぶ。太子は摩耶国の大王を討ちに出かけ、姫は瞿婁国へ戻る。「三年待て」と太子は姫に言い置く。しかし、約束の時が過ぎても太子は帰らず、姫は悲しみのうちに他界する。
金色太子は肉身のまま天界・地獄界を旅し、大梵王宮に転生した亡妻天大玉姫と再会する。太子は現世の人、姫は冥界の人ゆえ、そのままでは添い遂げることができないので、大梵王のはからいで、二人は福徳山に毘沙門天王・吉祥天女となって顕れ、永遠の契りを結んだ。
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ここでも梵天は、毘沙門天と吉祥天の仲をとりもち、神縁の深さが築かれている。
ま
た、前記同様に、添い遂げるべき男女神のなれそめに始まる神話が、御伽草子「浦の嶋子」(浦島太郎)の異界遊行である。話の中身は衆知のことゆえ詳しくしないが、その締めくくりは、蓬莱島の鶴(浦嶋)と亀(乙姫)となり、仲睦まじく暮らす夫婦の範とされたことである。そしてこの蓬莱島もまた梵天の主宰する万国永世中立の場であった。
一介の漁師・浦の嶋子は人の身で神となった古代の英雄であり、庶民の憧れであった。
この物語の原型はかなり旧いものであるらしく、古事記のホホデミノミコト(山幸)の綿津見の宮遊行の話に投影され、神武東征を道案内するヤマトスクネがその英雄伝説に倣おうとしたほか、陰陽師の安倍晴明も類伝を伝えて、古代世界の英雄ぶりを披露している。
古代から庶民に語り継がれた神々の物語は、神話として集合無意識を動かすものとなり、歴史的英雄は物語の主人公になりきることで、集合無意識を操ろうとしていたことが窺えるだろう。
以下は、ネアンがかつてブログ記事にした内容である。
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鳥居考
鳥居はドルメンが原型です。ドルメンはそこが聖地であることを示す表象です。その場所でシャーマンが祈りを捧げていました。
鳥居はその名のとおり、鳥がそこに起動されずに眠っていることを示します。
鳥居は奈良時代から作られるようになり、神社建築に伴う付属祭器のようになりましたが、その地が聖地とされる証の表象でもあります。しかも、鳥がその聖地に眠るとされていたのです。
それは平安京にも受け継がれました。その神社建築の伝統が日本全国に広がったと見られます。が、もともとは畿内の聖地だけが対象になっていたわけでしょう。
古代の為政者側のシャーマンは、この聖地の上にカバラによるカゴメ結界を築き、鳥の活動を封じてきました。それとともに、太古神も封じてあるのです。太古神は、縄文時代などの先史時代を育んでいた神で、いわゆる生態系(有情)の黄金時代を築く神でありました。
その大地に、何波にも渡って邪神の侵略がありました。そして最終段階をエージェントたる日本の古代為政者が作り、以後を統治しました。
太
古神らを封じておかなくては、彼らの意図する展開ができなかったのです。歴史時代とは、彼らの意図する歴史展開を見届ける証人を立ててきた時代なのです。このために口に出す言葉や、書き記す文字が編み出され、証人によって刻み付けられてきました。こうして、歴史は残されるようになったのです。
いっぽう黄金時代には、立てるべき証人は要らず、言葉というものも大容量転送でなるテレパシー通信でしたから、大地に刻まれるようなこともありませんでした。このため、黄金時代の音信は噂の中にしか存在しなくなりました。
すべてがレベルダウンさせられた密度の状態で歴史時代は開始されていると言ってもいいでしょう。それはいま言われている次元上昇とは逆巻きの節理だったと言ってもいいかも知れません。が、それに伴って、邪悪な意図が移入されました。
彼らは何かと言うと「大量(おおはかり)」という言葉を使います。つまり、大きく高邁な意志の計画だと言うのです。言い換えると、お前ら一般庶民には言ってもわからんから、黙っておれという意味の言葉になります。
それであるなら、今や大量によって、彼らが駆逐され、太古神が復活するときがきていてもおかしくはなく、それが正当な手順となります。それを表わした歌が、かごめ歌だったのです。
日本に来た為政者階層は、習合という美徳を持っていました。それは先住民を懐柔するのに役立ち、無益な殺生を避ける手段として評価できます。このため、遺物や伝統の中に、太古の意趣を宿していたりして、民間伝承にも名残っているのです。
ではどのような鳥だったのか。鶏のように、少なくとも頭が赤い鳥です。朱雀から丹頂、鶏にいたるまでの。
釈迦が未来佛として預言した弥勒菩薩の登場する場所があります。そこを鶏頭城といい、その日まで鶏足山で待機しているのが釈迦の弟子、摩訶迦葉という構図。
摩訶迦葉とは、釈迦の一番弟子で、「釈迦没後に行われた「結集」から20年。彼は鶏足山と云う山の頂に立っていた。彼は世の無常を厭うているのだが、釈迦は臨終の遺言で自分の教えを守り立てることと、とある袈裟を弥勒菩薩が現れるまで保管しておくことを命じられていた」という人物で、未だに鶏足山で禅定して生きているとされており、日本では、同じく入定信仰の共通性から、空海がこれに比定されてきたわけです。
彼は「将来、弥勒が竜華三会(りゅうげさんね)を終えて合図を送ると、彼は山から出てきて釈迦の袈裟と言伝を弥勒に伝える。そして空中に飛翔すると火定(かじょう)に入って滅度するのである。弥勒の説法に会ってさえも仏教を信じようとしない者達も、さすがに生きたタイムカプセルを目の当たりにして帰依するそうである」とのこと。そして、どうやらその神話は空海を指名することになったもようで、空海もこの日ようやく晴れて、滅度することになるというわけですね。どうしてそうわかるかは、もう少しあとに載せています。
そこで、空海が異界の鶏足山たる高野山に入定するなら、異界の鶏頭城とはどこなのか、というわけです。高野山を足置き場とするなら、頭は構図的にその上方にあるはずで、鶏頭の音から、京都ではないかとか噂されているわけです。
生命の木の図は、現界の国体と並行して走る異界の国体に存在する、いわば、みたての五臓六腑図です。古来、神道や仏教はこの異界の国体護持のために活躍していたのです。これがひいては、現界の国体の健康を維持するだろうと。しかし、元の意趣が廃れれば、このシャーマニズムの原点が支えられずに、元からして崩壊します。いちおう神道だけが、秘密裏に守り抜いているようですが、もう元の意趣はほとんど残されていないでしょう。
異界の国体に鶏が描かれている。その位置的関係として、現界のどこになるか。鶏はカゴメに閉じ込められている。生命の木の図柄がほとんど現界のメジャー祭祀霊場に照応しているとならば、閉じ込められて見えなくさせられている場がひとつ確かにあって、ダアトとされているわけです。
そこが確かに鞍馬(暗い間、見えない間)と名づけられ、重大な神が祀られています。
サナート・クマラ、大魔神、金星王、金色大使、毘沙門天、ウシトラノ金神、そして弥勒となる布陣です。弥勒は金剛界曼荼羅の大日如来の北東に位置する神ですから、ウシトラノコンシンの一形態と言えるのです。
これらは異界における構図です。現界の鞍馬が弥勒登場の地というわけではありません。表象として鞍馬があるということです。しかし、信仰は表象を対象になされるので、これでいいのです。
日本の黎明期黄金時代の国土は太古神の意志を受けて、鳥が守護していました。
太古神復活とともに、封じられていた鳥が、再び出てくることを、かごめ歌は表わしています。
「鶴と亀がすべった」の「すべる」とは、「統べる」「渾る」の意味であり、統一される、渾然として一体となることを言います。このた
め、掛け軸などには、鶴と亀の図柄を渾然として描いたわけです。一幅の絵画の中に並存すること、それが吉祥と考えられたゆえにです。
それは、来るべき日のシミュレーション的な行為と言っていいでしょう。同様に、鶴と亀のシンボルを持つ者のカップリングもこれを招来するためのシミュレーションでありました。特に、神話の雛形として役柄を得た者同士は、それ相当の影響力を持っています。
新神話は、その力の発現時点が、この鶴亀すべることにあったと言えます。お互いが偶然とも見える必然性に導かれるようにして出会ったのです。一人は御伽草子の浦の嶋子、もう一人は乙姫として出会い、それぞれが鶴と亀を担いました。こうして、新神話に大きな牽引力を与えることができたのです。
そして昨年(2008年)、この協力から生まれた子神の中から、弥勒が誕生しました。高野山において、亀の雛形たる撮影者のカメラに、鶴の絵のすぐ上に亀甲紋型オーブが写り、亀の雛形の夢の中に空海らしき僧が、金るの袈裟らしき光りものを持って現れ、「まもなくお生まれになる」との言葉を授けられたとのこと。その一連の事象の解読において、弥勒下生なるとの解釈が成り立ちました。
この年、アオウミガメの産卵が過去最多となったのも、絆の強さの成果の現界的現われとみられます。国津神としての子等がたくさん生まれて、六角オーブとしてカメラに収まり続けるという現象も起きています。これは国津神の続々たる復活であり新生であります。次代の地球は彼らによって支えられることでしょう。黄金時代のプランを彼らに教えておかねば、と気をもむのは、親馬鹿というものでしようか。
弥勒は太古の神々の復活の一角として下生します。彼は神ですから、ただ一人物だけに顕現するわけではありません。もしかすると世界人口の何割にも渡るかも知れません。その判別法は、地球のこと、環境のことを考えて行動しているかどうかです。該当者はみな弥勒の眷属です。それゆえ、弥勒思潮として大衆運動を伴うかもしれません。新神話では、弥勒は草の根運動を伴うとしています。またその総体を言うとしています。
そして、鳥は最強の守護神獣として、魑魅魍魎に化そうとする邪神とその配下および構築物のことごとくを駆逐殲滅することになります。
地球は太古にあった姿をさらにレベルアップして現れ出てくることでしょう。黄金時代がやってきます。
2014
年になって新たにわかったこと
この世の支配図式を考えるときに、この世だけを土台にすれば見えないものも、形而上世界を仮定すれば簡単に図式化できる。
それは、この世的側面からだけでは、群盲象をなでるような、非有効な学説の乱立を招くようなものであるときに、多次元理論的解釈が有効な如しである。
すでに見てきたネアン流の解釈法によって、多くのことが理解できるようになったはずである。
たとえば、今目下の時事であることの解釈に用いても、大きく理解が深まるだろう。
>
“あの広大な水たまりの向こう、アメリカのどこかで、人々が実験室に座り、まるで、マウスで実験しているかのように、自分達がしていることがもらたす結果を本当に理解せずに実験しているのではないかと時に感じることがある。”-ウラジーミル・プーチン、2014年3月4日
アメリカのどこかで、人々が実験室に座り・・・そう、アメリカのどこかにいるのであろうが、アメリカという国家そのものというのではなく、アメリカという国を操縦する何者か・・・きわめて少人数の共同的陰謀団であり、それを人々は秘密結社(秘教組織)と呼び習っている。
しかしその秘教組織も、すでに見てきたように、この世の支配神と言ってもいい、彼らの神からの指令で動く代理店のようなものである。
本店である・・・その神の世界(つまり神世)の組織は、ある名前で呼び習われているが、その中には現代の未来延長上に出現する”神人”という未来人も加わっている。
神人たちはこの先二十数年後には、タイムマシンを持つ。神世の神の技術協力があってのこともあるだろう。なぜなら、神は神人へとランクアップする者を仲間にすべく待っているからだ。
未来に生起することを知り尽くした人々のことは、もはや人とは呼べない。過去の世界を変更可能にする存在となるため、彼らは神あるいは、神相応の者となる。神の後を継ぐ、神の卵と言えるかもしれない。
神の世界、あるいは神の組織は、こんなところかも知れない。彼らは知る者に対して、自己顕示することが喜びである。
ほとんどのゾンビ化、ロボット化した人々の中にも、知る者は稀に生起するし、あるいはわざと知る者を創り出して、歴史の生き証人に仕立て上げたりもする。
ネアンなどは、わざと創り出された識者であったかも知れない。
中学三年の時に、英国人風宇宙人によって、識者となるべく種付けされた模様であるからだ。
宇宙人と表現するのは、彼らが空飛ぶシンバルに乗ってきたからである。
しかし、今では、未来人がある操作のために、ネアンにインプラントしたのであろうとも推測される。
この未来人たち、あるいは神人の在所はこんなところだということで、すでに述べてきた。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=VNJy8UCw1gM
だから、プーチン氏の、陰の実験者たちに対する杞憂は、もとを手繰れば、宇宙人や神世へと繋がるのである。
そして神世の、この世に対するスケジュール(シナリオ)は、このようなものになっているらしいと、すでに見てきたわけである。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=AP_CSQgBPpQ
オ・フォルチュナは、秘教組織のイメージソングだ。彼らは、自己顕示をこのような形で行っている。
いずれ、その極め付けが現実化してきたとき、大虐殺がなされ、人口の減少したその後の世界が黄金楽土となっていくことが予定されているというわけである。(黄金楽土はむしろ、彼らが支配を放棄したことから開始されなくてはならない)
歴史の生き証人として宿命づけられたネアンは、その究極までを目撃するようには設定されていない。
彼自身がそれを拒否していることもある。彼は、どこか別のところに、黄金楽土は純粋に誕生させられるべきと思っている。
また彼は、そこに至るとしても、死を通してでなくてはならない。この世の延長上にあってはならないと思う。
なぜなら、この世は罪科の集積、堆積のうちに滅ばねばならない黄泉の国からだ。すでに見たように、旧神話とそれをサポートする呪術法は、世界を滅亡させる方向に誘導している。
支配神の論理は、彼らの一存で途中で簡単に変更されてはならない。
あくまでも、論理に固執して人々に一方的に適用してきた以上は、少なくともこの世が滅び去るまでにルール変更することは、契約違反となり許されない。
契約違反は、支配神に対して問われることとなる。
いかに後から「罪科などないのだ。強い神に頼れば、そんなものどこにもないのだ」と豪語したとて、契約に沿って輪廻させられてきた魂に対して申し開きが立たない。
魂たちは、知らしめられることもなく、契約に従い輪廻させられたという事実だけが残っているからだ。
いっぽう、旧神話的にも、この世での死者を温かく迎え入れる場所としての新世界が立ち上がらなくてはならない。
彼の夢見による死と死後体験によれば、すでにその世界はあって、彼は2013年末に、イザナギ的手法によって超入を果たしている。
この新世界こそ、存続発展していく時空とならねばならない。
そのようにシナリオと契約はなっているのだから、新世界に妨害がかけられてはならないと同時に、旧世界は滅亡を必至とせねばならない。
契約とは・・・人や有情の魂をこのソフトに誘致したときに、主宰神が魂の各自に対して取り交わした契約のことである。
2014年3月になって、ネアンにはさらに啓発情報がもたらされた。それも、彼が神話伝承の真偽の鑑別をしているホツマツタエの訳出サイトの最後に、その情報は載っていた。
http://gejirin.com/amenarumiti.html
「天なる道」・・・神道的な純粋性に満ちた形容がなされていて、これぞ主宰神の真骨頂が示されているという、今までネアンも見たこともないような、すばらしい創造神の独白的教唆であった。
バシャールの啓発映像に続く、すごい情報開示が起きているのである。
少なくとも、ネアンにはそうなっている。たとえもっと以前から、出されていた話だったとしても、ネアンが彼自身の世界の主人公なのだから、彼の観測にかかった時点が、啓発の最前線になっている。
2013年までで、自らの依って来たるところまでは、すべてがリンクがとれた。
そして、ついに小五から中一にかけてやっていた”ままごと”遊びの中の世界創造神話が、創造神としてこのチャネラーに現れた霊的存在の、世界(宇宙)の設計思想の開示によって、リンクしてくることとなった。
http://gejirin.com/amenarumiti.html
こ
の話は、イナンナもしていたことだった。宇宙が創造されてもされても、いつも犬のような怪物に食われて実らない。それをどうにかしたいと、父母神は嘆いて言われる。こうして衆議を経て成ったのが、善と悪を戦わせて、その意志の回転する力によって、この宇宙を存続させていくというやり方だった。だから、悪も必要なのだということを彼女も力説した。地球はそのために選ばれた星だったとも言っていた。
こうした話は、以前の章でもしてきたことだった。
しかし、ネアンはかつて(小五~中一の頃)、ままごと遊びの中で、最も原初の神々といってもいい存在の割り振りを、いくつもの玩具を介してやっていたときに、原初の神々の兄弟の中に、出来の悪いキャラがいて、それがハンマー(玩具は脚気診断に用いるハンマー)であった。
そのハンマーが、ここは創造神として自らの思想を述べに来たと見ていいだろう。
賢者のキャラの玩具をも操っていたネアンは、これを一読するなり、敗着の箇所を即座に読み取った。
それは、この創造神が、成長拡大一辺倒の考えしかなかったことにあると、ネアンは見切ったのである。
成長拡大一辺倒の思想は、今の資本主義社会の思想そのものである。特に国で言うなら、米国である。一桁成長では足りないから、もっと成長させることを国是とする。一時もマイナス成長などあってはならない。マイナスなど何度もあれば、国は破綻すると言っている。
強い国はその勢力をもっと伸張せねばならない。覇権拡大路線。地球のキャパが限られているから、最終的には世界統一、ワンワールドにするのが目的となる。
そこで終わりか?
い
いや。成長拡大路線なら、惑星間開発へと歩みを進めるだろう。それが無理だったら、内部矛盾が嵩じて、その計画は土台から破綻する。戦争や、国家破産、あるいは経済の矛盾噴出による恐慌として。それが拡大し尽くした暁に起きるなら、地球上は滅亡してしまうことだろう。だから、宇宙や地底や海底に進出しなくてはならない。まさにこの創造神の尽きざる悩みそのものである。
地球という、原動機星が滅んで動かなくなれば、次の原動機星を動かせばよい。
そんな簡単な発想がこの世の邪な支配神の思考であるし、それはこの世界の創造神の思いでしかない。
だが、その経過から無責任はいくらでも醸成されるし、そのような中では、ちょうど事故原発の終息作業を負わされている人々のような犠牲的存在(要員)が、とめどなく必要となるだろう。
彼らのことは、汲み取ってやっているのか?
バシャールなどは、お上から下されたねぎらいのご意見をそのまま持参したらしく、我々地球に生れた者は、いわば大学院の課程を学んでいるようなものだと言っている。超エリートコースに進学しているのだから、卒業するまでがんばれと。
お笑い草だ。邪神から出たプロパガンダまる出しではないか。それで無知な庶民はてなづけられることだろう。
原発事故現場に赴く労働者たちを、庶民はありがとうと思うかもしれないが、果たして使用者たちはどう思っているか。
命の要らん者をかき集めろと東電の幹部は言っていなかったか。ちょうど江戸幕府が、最も過酷な作業階層を、士農工商の二番目に据えて、あたかも重宝しているようにみせかけたのに似ているはずだ。
それと同じではないのか。創造神よ。いや、ハンマーよ。いい加減にしろ。
ここまで、自分の立場を情報開示したのなら、お前に教えてやろう。どうして、成長拡大一辺倒路線が、うまくいかないのか、をな。
お前みたいな、まだガキが、息をどんどん吸い続けると、どうなると思う?
まず、過呼吸症候が出てきて、脳は貧血になり、頭の中は真っ白になる。
まともに、ものが考えられなくなるのだ。
小さな肺は、吸気でいっぱいになっていて、これ以上吸い込めない。
一定限界よりも無理に吸えば、ついに肺は破れ、肺気胸になって、肺自体が小さく萎んでしまうことだろう。
それこそが、宇宙が犬に食われて実らないという症状なのだ。
お前自身の神経質が、自然体であるべきことを度外視して招いた結果であることを、自らの失敗を通して、思い知ることもできぬとは、何たる愚か者か。
取り込むばかりの強欲者め。それが幾多の失敗を招いた結果であろうが。
では、教えてやろう。
まず、大きな息の吸える大人になることだ。そのためには、
大きく息を吸い込めるように、身体が生長してしまうまで、吸ったら吐き、吸ったら吐きする、「呼吸」ということを幾度も繰り返さねばならぬ。地道に時間をかけてな。
それも、ゆっくりと大きく深呼吸することを以て、心身ともに健やかに育つゆえ、最善となすのである。
そうすれば、そこに構成員として集う有情の魂は、無理を感じず、心地よさの中にあって、創ろうとする宇宙を限りなく愛し、維持してくれるだろう。
そこには、愛と責任感が充満する。それだけで、世界は輝かしい発展を見るだろう。
そもそも、人体は、お前が設計して創ったものではない。
それをお前が手ずから作っていたのなら、人体を構成する細胞という構成員たちを慈しむこともできたし、宇宙を維持する構成員たる魂たちに同様の目を向けることもできたであろうに。
ただ、他の兄弟が創ったすばらしい作品を、横取りしたことから、無知のまま蛇口文化的に流用せざるを得なかったのではなかったのか。
そして、有情に無理をさせれば何とかなると踏んだ結果が、幾多の破綻であり、ついにお涙ものの作り話だったというわけだ。
見ろ。この地球上の、自分さえよければ庶民や世界などどうでもいいという為政者群や国家群で充満していること。
父母神の嘆き? こっちが嘆かわしいわ。
そのお涙話の作り話にまんまとつき合わされて、多くの有情が騙された結果、私がここに来ている。
何という、あきれた話か。
まあそのお蔭で、ハンマーよ。お前にいっぱしの教授もできたというわけだ。
しかしお前は傲慢であるゆえに、反省することもなかろう。
よって、宇宙創造というカリキュラムを、お前からはく奪せねばならない。
が、もしよほどの願いを以て経緯を改めるなら、基礎カリキュラムをしっかり受けた後、改めて付与することもあろう。が、今の様子では見込みがない。
今回のお前の簒奪してアレンジしたこの世ソフト、神界ソフト、仙界ソフトのすべてが有害図書認定される。
焚書扱いになることは覚悟しておけ。
ハンマーよ。私はお前を「伴魔」として、わが掌の上で演ずべき役割を与えた。
その意味での、いい模範を示した。
その結果が、この世界である。
私もこれを記憶にとどめよう。生き証人として、確かに見届けた。
しかし、これで終わることになる。有害なだけのものとなっているのだから。
たとえ、神人千年王国として存続が予定されているとしても、別の摂理からの介入となった。
タオルが場外から投げ込まれたのだ。
今回ばかりはすべてはシャットダウンする。ちょうど、電源が想定外のことで落ちてしまうようにして。
以上だ。
虚構神話であるホツマの最終奥義として「天なる道」が示されていたことは、なるほどと思わせるものがあった。
とても好位置であり、ホツマのフェイクすべての総括としては、上出来であった。
むろん、啓発記事として載せてくださったサイト主さんは協力者であり、すばらしい教授を与えてくれたことをここで感謝する次第である。
ハンマーよ。これもお前だな。自己顕示欲の強いヤツよ。救世主少年の持つハンマーがお前とは、どんなジョーカーだ、お前は。
青い馬なんぞ、キモくて見ておれん。
早いとこ、お前のスケジュールをこなしてしまえ。
そして、神妙に己がソフトの終わりを享受せよ。
私は、左端も右端も両掌に置く、すべてのものの創造主である。
それはネアンがネットサーフしていて見つけたある宮司のブログサイトであった。
ちょうどこのたびの神業に直結するような記事に、ネアンはメガテンになったのだった。
そこで3月に、彼にメールを出した。
————————————————–
はじめまして。私はネアンと申します。
ネットサーフするうちに、ご貴殿のブログ記事を拝見いたしました。
そして、その中に書かれた内容に、メガテン(笑)になりました。
それはここです。
>逆五芒星(逆さ)の
本当の意味って何だろう?
-ホルスの絵-
膨大な資料や情報を
調べてみて感じたのは
封印を解いて欲しい
という何者かの意志でした。
私の目には、○○様の記載(画像も含め)のこのわずかな行数の中に、解答までが
込められているようにさえ感じました。むろん直感でというしだいです。
実は、私が畿内の五芒星の第一発見者です。茶色の五芒星画像は、拙著表紙からのトリミングです。
さて、私は生まれ故郷が丹後の宮津で、ことさら丹後半島の伝承には興味し、いろいろな不思議話にも
接してまいりました。
たとえば、元伊勢のご神体山、日室ヶ岳には大きなサーチライトのようなUFOが出て、目撃できる人は
頻繁に目撃することがかつてあったようです。(今ではそのような話は立ち消えていますが)
もしかすると、そのUFOとは太陽神の舟、あるいは世界巡航の御手鳳車(ミテグルマ)かもしれません。
当時の話をもとにこんな物語を作ったりもしたものでした。
遥野不思議紀行
物語の中の地名、遺跡名、山名、人物名はすべて仮名にしています。(当時はネット情報が少ない時代で、
掲載すればすぐに評判が立ったので、里山を混乱させないためにあえてそうしています)
もしよろしければ、元伊勢の行程をご一緒させていただきたく思うのですが、いかがでしょうか。
もう何年も前に行ったきりなので、様子が変わっているかもしれませんが、ご案内できたらと思っております。
物語のGさんの案内で辿ったコースを再現できるかと思います。
また物語中のMさんとは、この方です。当時、二人だけでクラブを作っておりました。
むろん下見されるときならより気軽かと思いますが、もう下見は終わられましたでしょうか?
————————————————–
数日後に、宮司から直接の電話があり、夕刻の食事前であったものの、30分以上にわたる長電話となった。
それも、人恋しさゆえか、ネアンの一方的なまくしたてに似た情報提供となってしまった。
宮司も興味されて、後の話は、元伊勢の道案内の道中でということになった。
龍と亀の印章を持つ宮司
ネアンは、宮司氏が龍の号を掲げていたことから、新神話協力者になる可能性が高いと見た。
それに対し、宮司氏は謙虚であった。
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>まだまだフネャフネャ星人の竜です
いえいえ。
竜もしくは竜に縁のあるお方は、私には特に引きつけられる何かをお持ちです。
初見させていただいたブログの中のあの数行に篭められたことの、偶然とは思えないシンクロニシティは衝撃的でした。
そこに挟まれた隼の頭を持つ男の絵。(ホルスである)
というのも、私は鳳の側の者でして、古来から龍鳳と申しますように、世に変革の兆しある時に立ち現れる、瑞兆のようなものを求めているからかもしれません。
ここ十有余年、竜の系統の方たちとばかり親交を深め、その相互作用の中から、様々な兆を現出させてまいりました。
それは、かごめ歌に言う鶴亀の秘儀とも重なろうところのものかと推察いたします。(@@;;;)
———————————————–
つい昨来、自らをホルスにまで高めて認識したネアンである。
そこに突然、ネットから飛び込んできた宮司氏からの情報は、ネアンの発見成果たる畿内の逆五芒星と、封印を解いてほしいという誰かからの囁きと、未来神ホルスが一堂に会していたのだから、ネアンは重要なシンクロ情報として考えざるを得なかった。
そんなとき、宮司氏は先んじて逆五芒星の一頂点、熊野本宮ツアー計画を打ち上げられた。
それを見て、ネアンはメールする。
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宮司 様
今月中ごろに熊野ツアーをご企画とのことですね。
私もご同行したいのはやまやまなのですが、二日がかりの行程では、うちで猫を飼っている関係で、
家を空けることができないもので、せっかくの機会ですが、申し込みがかないません。
とても残念ではありますが、それといっては何ですが、今回のヤタガラスの推敲に当たり、何かのヒントになればと、
いくつかの幾何学図形などの画像を添付ファイルにしてお送りいたします。
すべてJPG画像ですが、Zip圧縮しておりますのでご解凍ください。
実は拙著においても、ヤタガラスは意味を帯びておりまして、ヤタは非常に広大なという意味と、
ヤ(たくさんの)タ(測量された土地)のカラ(宇宙に視点を置いた)ス(図)という意味を内包するものと考えております。
つまり、高空鳥瞰地図というしだいで、地図と写真を同時表示する衛星画像のようなものになっているかと思われるわけです。
IMAGE01は、拙著の裏表紙でして、右上、太陽神の使い(三本足の烏)が、中東の地を飛び立ち、精密地図を日本にもたらしたことを示します。三本足とは、三角測量術の意味か? 確かなことはわかりません。
なぜ中東か。
そこには古代世界で神聖視された「黄金比率」の粋を駆使した”五芒星形”と”菱十字形”(ピラミッド幾何学と一致)が存在しているからです。
画像(d110,d109)
しかも、幾何学図形の基礎には、地球の緯度長(1緯度長は111km)が用いられていることが歴然としています。
つまり、地球のことを知っている何者かがいたことになります。
このような前例は、古代を辿るなら、オリエント以外に私は知りません。
(宇宙人や神様? それもいいかも。でも私は極限まで追及を諦めません(笑))
古代人はそれをカラスという寓意によって、事の実体を表わそうとしたものと解釈します。
中東では、ピラミッドという不滅の塔に地球の緒元が籠められている如くです。
org1は、ヤタガラスの俯瞰概観図ですが、カラスの嘴にあたるカササ(笠沙)に始まり、カラスの尾羽を、尾張という場所で示したものと解します。
尾張は現熱田神宮が当時は海の中であったことから、元熱田として名古屋市守山区の尾張戸神社位置を設定しています。
「おはりへ」とは、尾を張ったときのいちばん外側という意味です。
また、カササはかささぎというカラス科の鳥を暗示します。
神武天皇の軍を導いたのは、黄金のヤタガラスという精巧地図だったと解釈すれば、寓意の謎も解けるかも。
(でも、ロマンはたぶん半減でしょうけど)
では、カラスの三本足はどこでしょうか。
一本は、高野山に位置すると推察しています。
というのは、空海が高野山を鶏足山と同定していた伝承によります。
鶏足山は、釈迦の弟子摩訶迦葉が、釈迦から弥勒下生の時、金るの袈裟を献上するように仰せつかったため、
弥勒が登場するまで、鶏足山で生きたまま入定しているという信仰を、空海が引き継いでいるという、入定山なのです。
弥勒が登場するのは、鶏頭城(けいとうじょう)というところ。どこか、京都の語呂に似ています。
さてしかし、ヤタガラスからすると、鳥の頭に位置するのは、北九州です。
はて、どうなるんでしょう。
ところで、五芒星形の熊野の位置は、本宮大社で設定してはおりません。
理想的原理位置として与えた地点は、本宮大社から南東に1.8kmほどの熊野川が折り返すようになった内側(七越峯のやや東よりの南)です。
そこなら、風水上でも好所かと思いまして、幾何学図形の導き出しをしておりますが、もしかするとそのあたりに中枢的な修験洞窟があるようにも思います。
(IMAGE02の赤十字位置)
熊野は、古事記にも「くまのくすび」という神名で登場し、この意味は、「隈の」「霊すしき日」という語義で「境界領域の霊妙科学」という、
古代(縄文、弥生時代)に栄えたであろう古代科学観を示すものと解釈しております。
宇宙や天文や異次元などもその中で科学されていたかと思います。
いっぽう古事記には、「くまのくすび」のペアーとして「いくつひこね」という神名があります。
これは、「生津日捏ね」で、「生津日」の生命科学を「捏ね」で応用すること、すなわち生命工学の意味と思われます。
交配や遺伝子工学のようなことかと。
この二神は、古代の科学がいかに発達していたかの叙述であろうと思われます。
シュメールでは、電気も使われ、外科手術なども行われていたようですから。
キメラ生物もけっこういたようですし。
またそうでなかったら、精巧地図もかなわないでしょう。
ピリ・レイス地図などの時代錯誤な遺物の存在。これをオーパーツと言うようです。
以上、参考になりましたら。
————————————————
これに対して、宮司氏はとても参考になったと回答をよこされた。
ネアンはすでに、逆五芒星とホルスの謎解きは完了していたつもりだった。それでもまだ、謎が満足に解かれていないゆえに、宮司氏を介して、ネアン自身に更なる解読が要請されているのかも知れないという思いが抜けきらなかった。
4月9日の未明3時頃、ネアンは突然思い立ったように起床し、かつてイナンナが話したMOAの岡田神話の、国常立神、豊雲野神の暗殺と封印にまつわる肝心の場所の、北東(鬼門)の芦別岳と、南西(裏鬼門)の喜界島の二点を直線で繋いでみることにした。
まだその二点を直線で結ぶ幾何学を試してみたことがなかったのだ。
彼は二地点間の直線距離を出す地図サイトを用いて、この二点をインプットし、距離とともに直線の航跡を調べてみたのである。
クリック拡大
すると、まさかと思うほど上出来で、逆五芒星の元伊勢内宮の神体山・日室岳(城山)に連なる場所に直線はかかっていた。
直線は、まさに太陽神・天照天皇の御陵近傍を通っていたのだ。神体山山頂からは500mほど西を通る。
その場所は、かつてGさんや地元の霊能女たちによって巨大なUFOの出現地として目撃されているところであった。
太陽円盤のような巨大光体と長時間対峙していたGさん。宝船のようなきらびやかなUFOを見た霊能女たち。
それらは、もしかすると封印された太陽神か、もしくはその乗り物ではなかったか。
いまは、ごく霊能ある一部の者にしか見せられないが、いずれ封印が解かれて、岩戸開けが叶った暁は、天上万神、天下万民の前に尊容が示されるのではあるまいか。
大本教系伝承では、政変による国祖国常立神の強制引退を伝えるが、太陽神天照天皇のことは伝わらない。そのくせ、岩戸隠れのことは取りざたされる。
ホツマでは国常立神が宮津で亡くなり、天照天皇もしばし後に国常立神の近傍地でみまかられ、並立的に御陵が存在しているとされる。それが元伊勢の外宮と内宮のそれぞれの奥津磐座たる神体山(矢部山と城山)である。
しかしもし、邪神のクーデターによる政変であった場合、国常立神、天照天皇の両者ともが暗殺されていることも考えねばなるまい。
古来「隠れる、お隠れ」とは、みまかられることを言う。岩戸隠れとは、太陽神の崩御を意味していよう。
ネアンは、国祖国常立神と豊雲野神の救出作戦はとったが、天照天皇の救出をしてはいなかった。
これでは片手落ちになるだろう。
大本教系MOAの信者であったイナンナによると。
—————————————–(第九章で既出)
イナンナの話。
「岡田神話では、以前書いたようにおそらくムー大陸で、
日本の超古代天皇を中心に、穏やかで平和な治世が営まれていました。
ところが岡田さん的に言えば邪神、
具体的にはフリーメイソン等に通ずる外部侵入者に、
スサノオ(檀君)がだまされて、クニトコタチノミコトの息子=天照天皇、
の未亡人である天照大神と対決することになってしまいます。
その結果、舞台は日本へ、
日本側は破れて天照大神は一旦皆上山に陣を構えたが更に退き戸隠へ、
クニトコタチと奥様のトヨクモヌはニッポンの南北に封印。
(クニトコタチは北海道の芦別岳、トヨクモヌは薩摩の喜界島に封印された)
分身の観世音菩薩がインドに亡命、
私たちの本体様である、大梵天、大弁天、大毘沙門天様達もご同行されたようです。
分霊は十和田湖や、明石を始めとする各地に竜神や、精霊として封印されたようです。
その竜神達、或はご本尊の観世音菩薩が、
夜明けの時が来て元の神格に戻ると言うのが、岡田神話のメインテーマです。
観世音菩薩は、観弥勒同体説から、将来の弥勒です」
☆☆
イナンナとネアンが、もしも夜明けがきたときに起きているであろう事柄のひとつに
なるだろうと、共に語らいあったことがある。
ひとつは、八角堂の三階が全面開放されるであろうこと。
またひとつは、元伊勢の外宮が改修され、内宮ともども多くの参拝客を集めているだ
ろうこと。
—————————————–
天照天皇がどうなったかについて、イナンナは岡田神話を介して死去されていることを暗示した。また、彼女が神界の政変をシュメール時代に置き換えて物語にした「テンサウザンドイコールミリオン」によると、クニトコタチ王の息子の天照天皇もこのときに殺されている。
だから、岡田神話でも国常立神のみならず、太陽神の暗殺もあったとして認めていたのだろう。
エジプトのホルス神話では、太陽神オシリスが暗殺され、身体がばらばらにされて、原型に復することができなくされて、結局オシリスは冥界の王に甘んじざるを得なかったが、その息子ホルスが父王の仇を討ち、ホルスが太陽神の座に就くというシナリオがある。
大本教系MOAの岡田神話では、祖父の国常立神が妻の豊雲野神とともに暗殺され、身体がばらばらにされて「炒り豆から花が咲くまで出られない」という呪詛をかけられて復活の見込みをなくされていたが、いつしか復活がなり、地上世界の建て直しが図られるというシナリオである。
そこに天照天皇のことは書かれない。しかも、ホルスに相当する神があいまいである。
大本教においても触れてはならぬタブーとされたのかも知れないし、あるいは知らなかったのかも知れない。
天照天皇も殺害されているのなら、はじめてホルス相当の神として、オシホミミやホヒといった息子たちの出番となる。
では、アマテラスは復活されたのか。いいや、あくまでも天照大神とは女神であることになっている。
しかし、古事記神話の初っ端の「女先立ち言えるはふさはず」と女神アマテラスが最高主神であることの矛盾に気づかないはずもなかろう。男神アマテラスもいたはずだが、どこかで消息を絶っていると推理されたはずだ。
子が継がないのであれば、男優先の原則に従って、天皇の弟スサノヲが我こそはと皇位継承を名乗り出た可能性はある。
それがスサノヲの乱暴狼藉とクーデター話となったかも知れない。
そこでエジプト神話を巧みに踏襲しているふしはあろう。オシリスの座を奪ったのは、弟のセトであった。スサノヲにしてしまえば、エジプト同様のシナリオとなろうに、それでは困ったことになったのだろう。天下は暗黒なので当たり前と、庶民は知ることになる。それは、為政者にはとても都合の悪いものとなる。だから、セト相当の邪神を追放して、今の治世をクリーンにしておく必要があった。それが矛盾孕みの記紀神話だったのだ。
だから、弟のスサノヲは乱暴狼藉の罪でそれなりの刑が科され追放された筋にした。
そこでアマテラスを男神で押し出せば、つじつまは合ったろうに、わざわざ女神にしたのはなぜなのか。焦点はそこに当たる。
スサノヲの皇位継承としなかったのは、セオリツヒメを中心にまとまった側近衆(官僚たち)の頑強な抵抗があったからだろう。
結果はセオリツヒメに暫定的に継がせて、いずれ、その子オシホミミへと譲位するということにしたに違いない。
しかし、世の中(神世の世の中)が許すはずもない。なぜなら、持子の子アメノホヒのほうが早く生まれていたからだ。
そこで、持子側を追い落とす謀略が組まれたのだ。むろん、国常立神も天皇も亡きあとだから、あとは側近衆が政治や裁判の実権を握ったようなもの。どのようにでもシナリオを組める。
スサノヲと持子はできていたと。妹の早子とスサノヲもできていたと。不倫疑惑を真実のように仕立てて裁判にかけ、そこに庶民思いのセオリツヒメが、イエスの糾弾を模倣して、ユダ役の持子早子に決定的な罪人呼ばわりをすれば、あの寛大なセオリツヒメ様といえども憤慨なさったと、世人も思ってしまう。要は、世人の評判と人気なのだ。
それまで徹底して、庶民思いを演じてきたに違いないのも、イエスの事績を模倣したからに違いないが、庶民は単純にもセオリツヒメのほうを歓迎して信じてしまうことで落ち着いた。
こうして、反論もままならぬまま、一方的に冤罪にされて蟄居させられたのは持子早子だったのだ。
しかし、そこにも暗殺(自殺に偽装した暗殺)の手が伸び、どうしても逃亡していかざるをえなかったか。
それをまた世人や庶民は逃亡したと咎める。
まさにこのような話は、韓流王室時代劇そっくりだと気づかれよう。
朝鮮人社会あるいはその延長上で、物語が発生したらしいというところまで、お里が知れてしまうのである。
渡来人たちが三韓の出であるというのは、紛れもないのだ。その彼らが日本神話をこしらえた。
しかし、神話にされてしまえば、神々は神楽舞をそのシナリオに沿って舞わねばならない。冤罪で悪役に仕立てられて、観衆の非難を浴びながら舞う神の苦しみは、地上にある人々とて、その立場に立った者であるなら、わかるはずだ。
冤罪にかけられた持子早子は、天照天皇さえ帰ってこられれば、すべてわかることと生き延びる道を模索するも、力尽きて、すさまじい怨念を発して没したはずである。
没した地は戸隠。そこには、いずれ天照天皇が岩戸から出てこられた時、天皇を閉ざしていた扉が投げられてきた時に、再びお隠れにならないよう、自らの胃袋に扉を呑みこんで出すまいという強い意志が感じられる土地柄だ。
スサノヲは助命されたことで、それでよし(儲けもの)としたかも知れない。すべての経緯を知りうるのはスサノヲ以外にない。ただし、重く口止めされているはずである。だから、スサノヲもまたウシトラノコンシンの中に列せられているのだろう。いちばんに経緯を知る者ゆえに。しかし、彼を暗殺するような剛の者はおいそれとはいない。その代り、寝返った者としての罪悪感を持ちこしていることだろう。自ら口を閉ざし、内向するスサノヲ像を想像せざるを得ない。
つまり、彼自身が封印の元になってしまっているのも現実なのだ。それゆえ、かの逆五芒星形は、スサノヲの牛頭を象ったものにもなっているとも言える。悪魔メンデスのヤギ = 牛頭。
持子早子の子ら、ホヒ、奥津嶋姫、市寸嶋姫、たぎつ姫は、まだ幼いゆえに直接の罪はないとしても、亜流の立場(皇位を窺えない、あるいは世間に顔向けできない場所)に置かれたのであろう。
そこにもまた、もしかすると、持子早子の後を追わせる筋もあっただろうが、セオリツヒメならではの世間向けの赦しのスタイル(イエスの模倣)が採られたのであろう。
こうして、持子早子の親許、クラキネの家系は評判が地に落とされ、再起不能となってしまった。朝鮮の儒教文学なら、徹底的に貶めて終わるはずだ。
さらに、奥津嶋姫、市寸嶋姫には、逆五芒星の幾何学図形によって、張り付けにするという呪詛までかかっている。
ネアンは、幾何学図形がみごと琵琶湖の島々を通ることに気を良くしていたが、ところがそれは、わざと彼女らを張り付けにする意図であったと後で知ることになった。
邪神と秘教は、かつてした象徴を介する呪詛(キリストを十字架に張り付けにする)に味をしめて、あるいは、伝統的で効果的な呪詛法として、幾何学図形で封印することにしたのだ。
秘教らのやることは、必ずと言っていいほど、同じパターンを踏襲している。
秘教の使う幾何学は、呪詛なのだという認識で臨めば、間違いないはずだ。コンパスやカゴメマークなどはそのためのもの。十字架もそうだ。カゴメの結界なのだ。
ス
サノヲよ、もういい加減にしろ。お前は元より騙されていたのだ。その結果、助命されたからといって、どうしてそこまで忠義立てするのか。お前が語る証言によって、世人は目覚め、正神による統治の世は復活するのだ。スサノヲは、ちょうど日本の官僚らが、過去の罪状をバラされたくなかったら、黙っておれと脅されているようなことに相当している。
お前が見込めないなら、すべての元凶ごと、火の鳥で焼き尽くすのみである。むろんお前も、邪神の一味に列せられて終わることになる。正義をなくしたお前に、明日はないと思うべきだ。
アメノホヒが国津神のもとに預けられ、弁財天三姉妹がいずれも人の寄り付きにくい孤島か辺境の岬(御崎)に孤独におられるのは、こうした経緯によるものと解釈される。
こうして、地上界への化身はみな苗字に「崎」がついて生まれているのである。苗字に封印当時の印がついているのだ。
姫君たちよ。 御崎にいて、どなたをお待ちなのでしょう。 市寸嶋姫様の化身イナンナには、私がキンイロタイシ役を務めましたし、奥津嶋姫様の化身カンナオビには、私がアメノホヒ役を務めて、まだ志半ばです。 たぎつ姫様は消息不明。
し
かし、世間には事の真相を知る者も多かったとみえ、オシホミミへの直ちの皇位移行は行われなかった。あくまでも、天照天皇の補佐役としてのセオリツヒメが天皇の代理を務め、人皇の時代に至って旧知もなくなってから、ついには自らを天照大神女帝にして、永久に実権を確立しようとして成ったのが、律令時代以降の記紀神話だったということであろう。
結局、息子にも継がせず、自らが権力の座にいて、権勢をほしいままにしているということなのだ。
そこまで、権勢というものがほしいのが有情というものなのか。いいや、そのような者こそ、ごく稀なはずなのだ。
(の
ちにセオリツヒメはイエスの妻マリアが原型であることがわかることになる。マリアがイエスの弟子としてイエスの再臨まで玉座を温めている構図が、女神アマテラスが男の日嗣を認めようとしない理由であることがわかることになる。古代日本はとうに外国の神によって乗っ取られていたことになる)
それゆえ、世界の人口構成が、ごくわずかな富裕層と、大多数の庶民に分かれているのだ。
庶民こそが、新時代を継ぐことになる。そのように選別されることになるはずだ。なぜなら、邪悪は欠片も存在できない世界になるからだ。
邪悪な者に、尻尾ぐらいくれてやれ。その尻尾とともに、灼熱の火の中に投げ込まれることになるからだ。
韓流王室時代劇さながらのどす黒く渦巻く権力への野望。その実現を簡単に可能にしたのは「為政者は誰も不義不実なことはしない」という儒教思想の隠れ蓑だった。それに、だまされたのはいつも為政者のいいように操られる庶民だったということだろう。
いつもためになる思想(儒教)は庶民が守らされる側であり、そのいっぽう、権力中枢部は腹黒い野望で動いていたのだ。
まっ
たく、イエスの教えのケースとよく似ている。(むろんイエスが悪いのではない。運用するヤカラ(秘教組織)が何枚も上手だったということだ。イエスのよくないのは、神ではなかったということだ。先の未来ひとつ読めない単なる聖のひとりにすぎない。それが弟子を12人? ふん。お前こそ秘教組織の子弟かも知れんぞ)
それをいつも知らずに、あるいは性善説を信じ、危機的実態を認めずにいたのは、もしかすると国常立神ら、元津統治神達だったのかもしれない。
そうでなければ、わずかな忠臣だけ連れて陰謀渦巻く辺境の地に赴いたりしないはず。甘かったです、国常立神様。
しかし、封神された御身ゆえ、真に糸を引く上位存在がいることには、なかなか気づかなかったのでありましょう。
あとは、早々に、お立ち上がりください。庶民は、世の不正義の蔓延に、疲れ果てております。
とく封印を解きますでな。多重にかけられた呪詛の罠ゆえ、いましばしお待ちあれ。
大丈夫です。こちらも多重に、邪神封じの手立てを持っておりますれば。
ひとつやふたつ失敗しても、最後には元凶の根から絶つべく、火の鳥にて、すべて焼尽することにいたします。
そうすれば、天仙邪神のすべてが根絶かないますので。
新神話のシナリオでは、そのように計っております。
前章までで、神世の政変劇の真相に迫ってきた。
そしてついに、2014年からを記す十四章に至り、幾何学図形の側からもっとすごいことが読み解けることになる。
王仁三郎も茂吉も、およびがつかなかったことが。
第七章の国常立神の救出のシーンにおいて、地獄の最下層のホールのきわに突き出たポールのようなもののフックにかけられたような蛹が、まさにこの図形だったのだ。予測されたイメージだったのだ。
その箇所を引用しよう。
————————————————
火の鳥は、重濁し本来なら粘りついて霊体ですら身動き取れなくなるはずの暗黒世界を
軽々と飛翔していた。
そのさらに先に、完全な暗闇があり、あらゆるエネルギーを豪速の風を巻き起こしなが
ら吸い取っているホールがあった。
そのホールにちょうど鈎竿のようなものでホールにかろうじて引っ掛けられた蛹のよ
うなものが火の鳥の光に照らし出された。
たった一つそれはあった。
火の鳥はそれを脚で捕まえると、ホールの霊気が漂い明度を変化させる領域の直前で急
激なターンをかけた。
豊雲野とイナンナはホールの方向に飛ばされそうになったが、火の鳥は彼らを羽根で押
さえ込んだ。
<しっかり豊雲野様を支えて、羽根にしがみつけ。イナンナ>
イナンナは、豊雲野の腕を右手で取り、左手で手になじみやすい羽根を掴んだ。
<脱出するから、しっかり掴んでいろ>
火の鳥はゆっくりと羽ばたく。イナンナの両腕に引き千切れるかと思うほどの力がかか
る。豊雲野神も羽を掴み何とか凌ぐ。
そのうち、その力は減衰し、やっとのことで体制が立て直せた。
火の鳥は飛び続けながら、脚で掴んでいた蛹をイナンナに渡し、イナンナは後ろの座席
の豊雲野神の隣に置いた。
「はあはあ・・・」
「はあはあ・・。これは私の夫なのですか?」
「どうやらそのよう・・はあはあ」
————————————————
地獄の最下層に空いたホールとはブラックホールのことである。
この黄泉の国は、地獄の最下層に向かっている。ブラックホールに吸い込まれつつある。
宮司氏も開口一番に時間経過が早まっているとおっしゃっていたが、それはこの世界が時空の地平へと漸近しているからである。
それはさらに加速することだろう。
時空の地平を越えれば、逆に時間が止まってしまう。
吸い込まれる者は永遠の無動となり、ただ吸い込まれゆく光景が第三者によって観測されるのみとなる。
さて、火の鳥が救出した”蛹”こそが、逆五芒星結界によって出られなくされていた原初の神々の居住まいの有様だったのだ。釣竿の両端に、国祖の両神が分かれて埋められていた。
ネアンがこの部分の新神話を書こうとするとき、どうしてもそのようなイメージが湧いてきて、いかに悲惨な境遇にあったかを具体的に書き記すことになってしまったが、竿に引っかかった蛹、それがこの図形だったのだ。
図形からわかることは、そこには国常立神や天照天皇だけでなく、国常立神の息子であり天照天皇の父母であるところのイザナギイザナミ、つまり原初神三代が、さらに山神や天狗や鬼ら修験者などとその神々、および元のユダヤ教徒たちまでが被害に遭っていたのである。
彼らはあやうく三千世界からも抹殺されるところだったのだ。
救出は、間一髪と言ってもいいかも知れない。
そのことから、邪神側への刑罰はおのずと確定される。
ブラックホール相当がふさわしい処置となろう。
すなわち、永遠の灼熱体験の時間と魂の無への回帰である。それしかない。
宮司 様
大朗報です。
究極の幾何学図形が求まってしまいました。
そのきっかけを作ってくださったのは、宮司様です。それは間違いありません。
私は昨年までに、日本の幾何学系の謎をすべて解いたつもりでおりました。
ところが、宮司様のブログ記事の数行を見直すうち、まだ解けていないのかもしれないという
思いにかられ、夜中にやにわに気になって、四月九日の午前三時頃でしたが、
以前からキーワードとして挙がっていた二つの地名を、このたび初めて繋いでみたのです。
すると、もはや偶然ではない究極とも言える一致、そう、画竜点睛という言葉が適切な
ほどの発見となりました。
やはり、宮司様は龍の印章を持つお方であり、わが目に狂いはありませんでした。
まるで、八幡様が最後に龍の目を書き入れられたかの如しです。
ありがとうございます。
今は地図に反映しながら、まとめています。
またお伝えできたらと思います。
謎解き・・・。それはとりもなおさず、封印を解くことでもあると思っておりました。
ところが、宮司様のブログ記事の数行に触れ、
まだ封印が解けていないのかも知れない、いやもしかすると、別のパワーが必要なのか、
(謎解きだけでは、事態を思い遣っただけで、あと鎮魂と解放は別なのかと)
その別のパワーとは宮司様のお持ちの力(龍神パワー)なのかもしれないと思いました。
そのまたいっぽうで、私のまだ達成していない謎解きがあるのかもしれないと、
ふと夜中に気になって、四月九日の午前三時頃でしたが、やにわに起きて、
以前からキーワードとして挙がっていた二つの地名を、このたび初めて繋いでみたのです。
(それは芦別岳と喜界島です)
方位を表わすだけの象徴地だろうと思っていたのが、さにあらず。
もはや偶然などではない究極とも言える、そう、画竜点睛と言う言葉が適切な
幾何学図形が得られたのです。
そのような偶然ではない幾何学的一致を見たのは、かつては酒鬼薔薇事件でしたが、
今回もまた、類似したシンクロ事象となりました。
あのときは、酒呑童子の封印を解くことになりました。
今度は、神世統治の三世代神、山神、水神、天狗、鬼、修験者から古代ユダヤ教徒まで、
非常に多人数であり、彼らの封印が解かれることになれば、どのような現れ方になるのか、
想像もつきません。
現在、まとめている最中ですが、もしこれだけで封印解きができたのなら、
世の中は急転直下、正しい方向への揺り戻しが始まるかも知れません。
それゆえ、大朗報なのです。
あるいは、世それ自体が恥じ入って、自壊していくやも知れません。
それが庶民や有情を最大多数、救うことになるなら、世界の土台が消滅することさえも、最善となりましょう。
今になっては、そのほうがいいかと判断しております。
封印解きの行為がどのように作用するのか。ただそれだけであり、私はいずれにしても、新時代に向けての大いなる前進と捉えております。
私がツールとしております”謎解き”は、それによって封印された者を思い遣り、失われた歴史過去を辿ることで、
封印された者の心情を解きほぐし、ちょうど琵琶法師が平家物語を琵琶の音に乗せて吟じ、
平家の公達の心を慰めて、後に護国の神霊となしたように、彼らの怨念を守護の心へと変ずる
鎮魂と鎮護を両立する凄技と思っております。
宮司様はその謎解きのきっかけをお与えくださいました。しかも、究極の画竜点睛。
まるで、八幡様のご加護のもと、八幡様が龍の目を最後に書き入れられたが如くです。
龍神系の方は以前から、適時にキーワードを持って現れるという、不思議を演じられています。
今回もまさにそうです。
またその究極の幾何学図形は、2003年頃に筆した新神話物語(第七章)の中で、形状的なイメージが
予知的に表現してあります。ここにも大きなシンクロがあります。
その話もまたさせていただきたく存じます。図形もそのときに。
ではまた。
宮司氏は、四月中頃に、逆五芒星の起点として、熊野本宮を参られた。
そのときに、封印解きの秘儀を使われたようであった。
パートナーのスピ系巫女らしき人物の書いたブログ記事には、そのときに宮司氏は、古神道の秘儀・音霊を使ったとされていた。
「音霊」とは、一瞬にして、「乙姫の玉」のことではないかと、ネアンは直感した。乙姫の玉は封印解除に効果がある。
宮司氏の仰る「音」とは「乙」でもあり、「霊」は「玉」として具体になったと解釈される。
かつて、カンナオビが、豊玉姫の雛形を帯びて、東海の島に旅行した時に、ネアンへの土産として、ふたつの民芸品を誕生日プレゼントとして渡してくれたのだが、そのひとつがトパーズ黄玉だった。
ネアンは、浜辺に落ちている石ころでいい、それを乙姫がくれる玉と見立てるからと言っていたのだが、そこでは島のものは何一つ持ち出せないので、チャイニーズの民芸店で購入したという。見事なずっしりした球体であり、まさに乙姫の玉というにふさわしかった。
それを封印解きに使った最初の場所が、カンナオビとともに旅行した天橋立の真名井神社であったほどだ。
また土産のもうひとつが、欧州民芸店で、彼女もまったくの任意で選んだものであったにもかかわらず、ルシファー人形であった。それは、悪魔にされてしまう前の、在りし日の太陽神として猫を抱く姿のルシファーであったのだった。
それが誕生日プレゼントであるという意味は、ネアンがルシファーそのものであるか、もしくはルシファーの役割を付与されたか、そのどちらかであろう。
このように、知らず知らずのうちに、必要とされるものを、協力者から授けられるネアン。
それらのプレゼントは、当然のことながら、彼女の本体様である奥津嶋姫様がくだされたものなのである。
封印解除だけではない。
そこには、豊玉姫様が、ネアンの演ずる山幸彦に授けた、潮干る潮満つの玉であるという意趣も含んでいる。
つまり、天変地異を可能にする魔法の玉でもあるわけで、
いわば、呪術世界における最強兵器とも言える神通力の宝玉なのだ。
これをしっかりと使い込んでいかねばならない。
ここにいう正神の重鎮とは、国常立神(豊雲野神)、イザナギ(イザナミ)、天照天皇の神世三代神のことである。
邪神組織とその地上代理店である秘教組織は、正しい神々に対して、そこまでの仕掛けをしていたことになる。
図は、邪神一味の、日本神界における政変犯罪の全貌を立証する、最大の証拠資料となるだろう。
詳しく言えば、それは死体遺棄現場の図解であり、さらに殺害の犯罪がどこで行われたかを示す証拠資料ともなっている。
殺害現場は、赤丸の元伊勢。ここはすでに二つの神話を解読することにより、特定されていた場所であるが、今回の歴然たる正神封殺事件証拠との一致がとれた
ことにより、もはや動かしがたい神世における犯罪事実となった。
これは、三千世界(ネアンが外野と言っていた外部世界をも含む全体)に対する冒涜的犯罪事件として、すでに上奏されている。
もはや、邪神邪仙たち、および霊界、地上界にある邪神配下の者たちに逃げ場はない。
神代は地上に投影して、事あった場所を地名や幾何学に象徴化する。
地上にあっては、神界のよすがを投影された事象をもとに再現して確認することができる。
天にあるは地にもあり、地のいかなるかを以て、天のよすがを知ることができる。
地が不正にまみれ人心が乱れていれば、天もそのようになっている。
天だけが独立して立派なことはなく、地だけが独立して邪悪の場になっているということもない。
すべて、相互関連のもとに並行して時間は刻まれている。
代理店である秘教組織の活動が活発に人類を害しているなら、それに指令を与える邪神も活発である。
邪神が、三千世界の統治者によって、最後通牒を突きつけられたなら、邪神は先の極めて短いことを知らねばならない。
秘教が活発化しているとき、それが彼らの好調の時か、焦りに満ちている時かのいずれかであろう。
その背後にある邪神も同様の状態にある。
このたびは、彼らの時がもうほとんどないのである。
それゆえ、この世界は露悪に満ち溢れ、あたかも活発であるかの如き様を呈しているのだ。
今、重大な神世犯罪が、確たる証拠とともに統治者大梵天のもとに上奏されている。
彼らがとりうる行動は、無条件降伏か、徹底抗戦と玉砕のいずれかしかない。
ところが、邪神一味は、後者のほうをとろうとしている。
そうであるゆえに、彼らにもはや見込みはないと判断された。
大梵天側のとる方法は、それ以外の第三の方法になる。
すなわち、全有情の観測機能の一旦的シャットダウンと、問題ない観測根節から順の再立ち上げとなる。
シャットダウンは、元津賦活パワー供給を停止することにより、簡単に達成できるが、全有情の納得のいく認識のために、火の鳥によるすべての焼尽という顕現形が取られることになる。
再立ち上げに問題のある者は、治療可能なもののみ治療矯正ルートに乗せ、それ以外は焼却クラッシュのままとなる。
ただ、それだけの単純な処置となるだろう。
問題は人間の場合だ。
残念ながら、重篤に魂を棄損した者は、いかに彼自身の咎ではなかったとしても、クラッシュのままとなり、焼尽処理される。
というのも、拡散性ウイルスのキャリアとして、ウイルス駆除が完全に適わない場合にこうなると思ってもらえばいい。
これを第二の死と聖書は呼んでいる。
新世界には、一部たりとも、ウイルスの侵入を認めてはならないという方針が厳格に適用される。
古代の、いずれ「鬼」とされてしまう祭祀神官たちのしていたことは、少なくとも彼らにとっては、正対した正しい儀式としての、公の行事
であった。
彼らは先修験者であるところのユダヤ教徒であり、その祭儀の源流は、イスラエルの土地の地形とその見立てにあったのだ。
ヨルダン川はほぼ南北で、水はガリラヤ湖から出て北から南に流れている。
この流れの向きこそが、彼らにとって、理念垂迹の方向とみなされる理由だったのであり、もしそれが回春の気エネルギーの「送り」に目的があったなら、彼らはまず自らの心身の清浄化のために、彼らを基点とした「正五芒星」の追儺の儀式が欠かせなかったはずである。
つまり、広域的なカバラ祭祀が前提であれば、その規模に応じた大きさの五芒星結界を用いることになり、またその予備知識となる地理的配置図が、広域地図を持つ者(秘教組織)によって、彼らに開示された可能性はある。
だから当初、正五芒星図式における祭祀拠点の配置が決められ、地名もその目的に従ってつけられていて、それに則って、祭儀が進められていたのだろう。
も
し前提になる背後の図形が「生命の樹」なら、おそらく、潮岬のあたりにこそ、アイン・ソフの位置があり、さしずめ熊野がケテル、ダアトが吉野、ティファレトが古代都市、イエソドが鞍馬、マルクトが祭祀官のいる若狭といったことになり、この中心線に沿うようにして、祭祀官を配置していたと思われる。
だから、当時の地名はおそらく今とは異なるものであったろう。その幾何学図形の守護のもと、彼らは順調なる公の儀式をこなしていたものだろう。
しかも、彼らには、祭祀を司る誇りがあった。都市を活性化することにおいては、最高の地位を約束されていたはずだ。
ところが、為政者たちのバックボーンとする思想の入れ替えがいつしかなされ、彼らの役割は衰退した。
ふつう、為政者と言えども、重要祭儀をないがしろにすることなど、良心が咎めてできるはずもなかろう。
しかし、そこに良心を持たない者たちの跳梁があった。歴史の変革時においては、いつもそうであったのであるが。
それが逆五芒星をシンボルステイタスとする邪神とその配下代理店たる秘教組織の介在であった。
その構成員の中には、魂を持たない反則者すら存在が認められている。
しかし、全系の統治者はそれを知らなかった。むろん、反則行為が行われていることも。
いや、知っていても、知っていないという設定なのである。
しかし、ネアンらの活躍により、すべての反則が明らかにされる。
そのように設定されているのである。
秘教組織は、為政者を説得して、あるいは些細な罪状をネタにゆすりをかけて、祭祀形態の変更とともに、地理的位相関係を逆転させてしまった。
ところが、鬼たち祭祀神官は、その前哨的形態を為政者を通じて役割付与されていたのであり、その急転直下の政治的変節によって、彼らは翻弄されることになった。
それでも物部氏のしていた神道の頃には、まだしも鬼の役割は残されていただろう。
ところが、仏教が入ってきて、蘇我氏が物部氏を亡ぼしてしまうと、一気に広域的な古代祭祀形態は、崩壊させられた。
仏教は、古代祭祀の意趣を一分引き継ぎ、若狭からの聖水送りと都市側での聖水受領という形態を設けた。
そうでなければ、ただでさえ不安定な政局と都市市民生活があったからで、いきなりの廃止はできなかったのだ。
そのうち、廃止の意志も失われて、仏教と神道と古代祭祀の折衷的な儀式は、伝統保護のもとに後世にまで遺されたのだ。
そして平安時代になると、五芒星を基礎とする陰陽道が、広域的地図の存在を知り、それを背景にした祭祀のあったことを突き止め、さっそく見咎めたのが、逆五芒星のシンボルだったに違いない。それがしかも、大域的に施されている。
その祭祀神官の残滓が未だ居残っていて、もしかすると未だに黒魔術を使っている可能性、いや、それまでの歴史も血なまぐさいものであったこともあり、この種族を、世の暗黒化に寄与してきた勢力と同定することになった経緯であろう。
彼らのことを、漢語の怪物を示す「鬼」という字を当てて、それを遠敷の読みに当て振ったのは、この頃であろう。
要は、黒魔術の妖術を駆使するゆえに怪物であり、そのような者たちを臆気なく抹殺できるのは、唯物論者の武士しかいないとされて、日の昇る勢いの武勇ある源氏にその任が下ったものだろう。
誰彼ともなく、責任をなすりつけて、自己保身に腐心する時代でもあった。
祟りを受ける矛先を交わすことばかり考えていた公家衆であった。
事の真相を知る為政者クラスもいただろうが、良心の欠片も持たない秘教が為政者の傍流に居て監視していたから、その怖さを知る知識者たちは、不可触を決め込んだのである。
従順の程度にも応じて位階もいただける。と同時に、秘教組織参入もしたことであろう。
良心を持つ彼らも、いずれ居心地の保証を選び取り、因果応報の教えに怯えながらも、彼ら自身が祭祀官となり、あるいは僧侶となり、自らの罪穢れを取り除く合理化の日々を送ることによって、精神的負担を軽くしただろう。
だから彼らは、いかに自由な知識者として一生を送ったとしても、必然的な死を前にした精神的緊張にはたえず晒されていたはずである。
それは、現在の秘教組織の構成員にもみられる、潜在した罪の意識というものかも知れない。
彼らは強がりを強いられて、その気配を誰彼に悟られないようにすらしている。
大丈夫だ。ネアン・ホルスが、みんなの行先を冥界の父王オシリスに、脇侍にいてアドバイスすることになっている。
誰一人として、その采配から逃れることはできない。
すべての裁きが終わって後、多くの有情を惑わした世界は廃却処分となる。その廃棄世界の中に、居残らないでいた者は幸いだ。
さて、どうして究極の図形になるのか。
ネアンは、世の粗探しをしにきたと言った。
世の最も汚いところをついに見つけてしまったのだ。
粗の究極的なものが、元凶とも言えるものが見つかったのである。
彼にとっては、大本教系信徒の初動付けによって、今回の神業が開始されたと言える。
イナンナがそうだった。彼女はMOAの篤信徒だった。
ところが、別の大本教の分派である生長の家の修行道場において、彼はまだ未成年の頃、研修の最後の日に、破門を言い渡された。社会人になる直前に言い渡されたショックに、なにおーこなくそ、の気持ちにしかならなかったのだ。
館長のその「破門する」の言葉に対して、彼の言った一言が、「私はここの悪いところばかり目にしました」であった。
その通り、実際にそうであったのだ。訂正されることはない。
その研修に参加し卒業の場に居合わせた、どこかの学校のリタイアした校長先生は、式が終わってから彼のもとに駆け寄り、今すぐ館長に謝罪しなさい、そうすれば破門が解かれるからと説得したが、彼は頑として聞かなかった。悪いものは悪いのだ。謝るということこそ誤りだ。
それが、大本教の分派の興した宗派であったことは、面白いシンクロであったかも知れない。
そこの教祖は、たくさんの立派そうな精神指導書を書いていたが、ネアンが乗り越えられそうな書として、「古事記と現代の予言」というものがあった。
ならば、古事記を土台にして、ほんものを見つけてやろうという気になって、趣味のライフラークが形成されてきたのである。
その実、かの教祖の解釈は、どこかで神棚に逃避して行ってしまうような浅薄なものだった。
ただ、大和言葉に意味があることを教祖から教わったのは事実だ。
だから、そのようになったのは、天の配材だったのであろう。
ほんものの真解釈は、彼のものとなった。そう感じたのは、二十代後半の頃であった。
さて、話を大本教に戻そう。
大本教によれば、かつて神界において、造化の神々の後、造化に当たられた国常立神が再来して、神界と地上世界のよすがを創り固めなす善政を敷かれたのであった。
と
ころが、中央のみならず地方の役人(神)に、利得の心が生じ、その隙に乗じて、亜空間に存在したインベーダーともいうべき邪神が、これら利得に手を出し、汚職に手を染めた役人たちを恫喝し、邪悪な結束をさせて、国常立神はじめイザナギ、天照天皇の神世三代の抹殺を図ったのである。
それに詳しいのはMOAであり、岡田茂吉氏がウシトラノコンシンを歴代祭っていた九鬼氏の九鬼隆治氏から詳細を聞いていたことによるのだろう。
その内容は、いささか異伝を催すものの、かなり過激であり、神界政変を物語るすごみがあった。
邪神一味は、神世三代神の単なる政治的な失脚というのでなく、霊的にも抹殺を図ろうとしていたことが、今回の図形によって明らかになった。炒り豆の・・・という表現も使われたであろうほどの、徹底的な封じ込めの図形なのである。
役人は庶民へのサーバーであることを旨とさせていた神世三代神は、不正のあることに対して目を瞑ることはなく、必ずや厳正な裁定を下し、あまつさえ権力の座にあっていつでも利得が目の前にある環境にある役人たちには恐れられていた。
それでも、何とか目を盗んで利得に励む者もいて、それが発覚したのが、出雲地方の役人においてであった。
遠くの地方にあっては、目の行き届きにくさもあったのだろう。
これにより、国常立神は自ら、出雲の近傍の丹波に行き、そこで仮宮を造営して、事の収拾に当たられたのだ。
ちょうど諸葛孔明が、軍内の些細な訴訟事にさえ、自らの時間を割き、体力を消耗されたが如き感があられたわけだ。
運気もこの激務によって衰えていたのだろう。
よもや、腹心の部下たちにさえ、過去の罪を理由に外部邪神の恫喝と洗脳がなされていたと知る由もない御神であった。
そこでクーデターが決行されたのだ。
そして、国常立神と豊雲野神は、お二方共に暗殺の憂き目に遭われたのである。
そもそも神が、神霊が死ぬようなことはない。
仮にそのように現出しても、身を換えて新規再来を果たすためのものでしかなかったはず。
しかし、このとき初めて、死ぬ(崩御する)に相当する事態となったのである。
その意味は、再来しないということであり、そのように強い「神の意志」あってのことと解釈された。
表向きは、そのように宣伝された。
しかし、その実態は、幽閉と呪詛封印であった。
その呪詛を行ったのは、外部邪神であり、その術はどこのものともわからぬほど、強力であった。
その経緯は、すでに第四章などで記している。
日高見におられたイザナギ、イザナミ、そして天照天皇とその后に、国常立神の招集であるかのような、偽の書面が差し出された。
丹波宮津の地で最後の奥義伝授をして、引退したいとの仰せであったため、召集のあった諸神はこれに急ぎ従った。
そして到着後まもなく、これら諸神は不意打ちに遭い、同様に暗殺され、あるいは幽閉されてしまったのである。
その封印呪詛の有様を示したものが、かの図なのだ。
特に、逆五芒星(五角形)の内部にある社殿の神々は、かごめの強力な結界の中にあって、監禁状態になっている。
逃げられると、悪事が露見すると思っての徹底ぶりであったのだ。
しかも、図形を作る直線で串刺しにされている神々もいる。
そこまで、復活再来を妨げたかったようである。
恐るべき呪詛による犯罪行為。
そこには、神霊のこれから先のことなど、微塵にも考慮しない邪悪性があった。
それが地上界の隅々にまで、天上の相似像として投影してきたのである。
いい世になるはずのない状態が常態化していたのだ。
その神々の分霊が、かろうじて力を維持して、この打開に努めていた。
そして、その究極の時が、今回だったというわけである。
諸神の御陵が日本列島上に、初めて造営されたのは、彼らに再起不能の死を認識させ、再び出ずることのないようにとの呪詛の意味合いもあっただろう。
こうして、神世三代神は殺害された。しかし、神々に死はない。実態は幽閉であり、封印呪詛によるものである。
御陵のない后神や子神たちは、幽閉され、事態が誰知らぬものとなったのを見計らい、邪神とそそのかされた側近神たちの思うがままのストーリーが、彼らの上
に被せられることとなった。
そのほとんどは冤罪の醸成のためのものであった。
持子早子の冤罪事件は、怨念すさまじいものとならざるを得ない。
それをまた邪神化しようとする、ほんものの邪神どもの姦計たるや、筆舌を尽くしがたいものがある。
こうして成った偽書がホツマツタエである。
秀真伝。その意味は、真実よりも秀でた伝承というものであり、フェイクであることを初めからほのめかすものである。
かつてあった神世の神々の系譜が史実に即して書かれてはいるが、大事なストーリーの部分において、虚構が施してある。
神話は、事実に即してこそ、魔法的効果を発揮するから、まったくのフィクションではだめなのだ。
そこで、真実の部分が、系譜に関して言えるという具合となっている。
そもそも、段落名の冠詞「あや」とは、「禍」や「妖」と同義であり、そのようにしたときのもっともらしい説明はあったとしても、それすらもフィクションであり、本文内容とともに、どの部分に史実改竄があったかを、後の研究者は探る必要があることを意味する。
どう虚構なのかは、すでに第十二章で詳しくしている。
またホツマを真実としたうえで、それを叩き台にして記紀が成っている。
だから、歴史史実としての真実味はない。
教訓書として成ったかと言えば、秘教の手になる限り、それはない。
一番の用途は、歴史のシナリオにすることだ。欺瞞の歴史が画策されて、そのシナリオに沿って今日を迎えている。
また、最初のものである真実だけを記載した、あるいは記憶した記録というものも、どこかに必ずあるはずである。それをここでは真伝(まことつたえ)と呼ぶことにする。
このたびの神界政変の実在したことが如実に知れたのは、ホツマツタエの解読による。
古事記と同様、フィクションではあるものの、それぞれ目的を持って編纂されている。
その内容的乖離度ははなはだしく、それゆえに逆に、何らかの事跡の隠蔽糊塗に用いられたものであることが明確になった。
それが、古代為政者が黙して語りたくなかった、神界での政変劇であった。
もしそれがバレてしまうと、日の神の系統に疑義が挟まれることになりかねない。
その系統の一系性は、その他いろいろな疑義によって、打ち破られているものの、もしも神界まで遡る疑義があるなら、
あらゆることがフィクション、フェイクとなり、王国存立の土台が木っ端みじんになってしまうだろう。
特に、神界政変となれば、元の姿とは何だとなり、それと比較されることにより、現在の姿すらも、否定されかねなくなるのである。
だから、この事実(おそらくを通り越して、事実だろう)のあったことを隠し通す必要があったのだと解釈できる。
神界政変の古代伝承は、彼らいずれ為政者となる古代渡来民たちがやってくる前から存在したか、あるいは、彼ら渡来民の渡来、侵略と同時だったかも知れない。渡来民は、先住民を侵略して、元あった神々を封殺したからである。
ホツマの出来事のあったのは、今から三千年以上前ほどの地上界(日本列島)でのことらしいとしている。
神話とは、意外と、神世という異次元世界のことではなく、時間的に遡った過去の出来事かもしれないのである。
日本列島における三千年前とは、史書にも載らない。縄文時代から弥生時代のこととなる。
その頃の、先祖たちのしてきた歴史は、必ずあったはずであり、それが史実として知られるようになった時代に大きく影を落としていたがゆえに、神話とされたのかも知れない。
神話となるためには、神々しい人々の営みが元になっていなくてはならない。
おそらく、超古代から受け継ぐほどの知識所産がなくては、語るに語れないはずだ。
古事記からは、知識所産のすごさが垣間見られる。神名がその内容を語る暗号になっている。
しかし、筋書きの側には、明らかな矛盾点がある。
物語的には、何かもっと具体性のあったものを、贅肉とともに肝心のものを削ぎ落して、簡略化した感があるのである。
矛盾点から辿れば、その肝心のものが浮かび上がってくる。それは、削ぎ落とされた何かなのだ。
それがはっきりとわかったのは、ホツマツタエの存在によってであった。
知られざる正史外文献として、長くおかれていたようだ。書体に使われるホツマ文字が解読され、全貌が現代的な訳出されるまで、長くかかったのだろう。
ネ
アンのところにも、古事記を訳したのなら、ホツマツタエというのがあるから、訳してみないかと友人が、B4サイズのコピー用紙にコピーした厚さ4Cmほどの文書を持ってきたが、それは、松本善之助氏の書物からのそれだったかも知れない。いきなり、見知らぬ記号文字が出ていて面食らってしまい、一頁も読めずに廃棄した。
しかし、2010年頃には、ネット上に口語訳さえ載るようになっていた。ネアンは、古事記のときもそうであったように、文語体表現からであれば、解読に挑
戦できた。
そして、ホツマにはやはり史実の隠蔽箇所はあるものの、神々の系譜にはけっこう真実が残されていることを見て取った。
そもそも神話が効力を発揮するのは、それが事実に基づくことと、天地の初めから語られていることが必要条件になる。
事実から乖離させるときは、最小限にとどめるか、それともフィクションであることを但し書きせねばならない。
たとえば、ネアンの新神話の場合なら、「ここからは、想像上の話である」といった但し書きとともに、「所期の通りに歴史を導くためにする作り話」であることを書いておかねばならない。
ホツマの場合は、強引にも、全段を「あや」と但し書きして、話の多くは事実を踏襲するものの、フィクション、フェイクである旨を読者に知らしめている。
そうしておくことで、自由に虚構が組めることになる、とホツマ編者は思っていただろう。
「あや」は事実をアレンジすることを言い、その範囲は自由裁量となる。
むろん、後世の研究者は、そのことに留意しなくてはならないが、日本語の古体すらも理解できないとなれば、そのままやってもらうしかない。
そうやって、研究は後の者に引き継がれていき、ネアンなどの神話比較研究者によって、矛盾点解消のために用いられたりするのである。
いっぽう、古事記は書かれる神名がほとんど知識所産であり、よくまとまっており、より古代から損なわれないように配慮されながら持ち越された貴重な内容らしくなっている。
特に古代においては、応用物がほとんど存在していないために、知識情報としての存続に力が掛けられており、また知識所産の質の高さは、諸外国との対外的な文化程度の優劣比較においても、使われたのである。
古事記は、その筋書き、神々の系譜については重視されていない。その編纂の際に、ホツマなどが叩き台にされたことだろう。
地方豪族の持ち分けたそれぞれの神話が、叩き台にされ、刷り合わされて、中央の神話として確立された。それが記紀であった。
しかし、知識情報が歴史の流れの傾向を方程式化したようになっており、歴史はほぼ万象において、その方程式に従うことが義務付けられているかの如くなっている。いわゆる、大小さまざまないろんな局面にかかる預言の体裁をしているのである。
それが神話の効用であり、用い方によっては、世界を闇にも光にもすることができるのである。
旧神話はすべて、人類とその創った文明の滅亡を必至としている。古事記も聖書も。
それは預言であるとともに、そのシナリオに世界を強制的に従わせる働きを持つのである。
新神話を作るなら、それを改善し存続可能なものにするか、もしくは最終的なハッピーエンドを招来するものにしなくてはならない。
誰がそれを? むろん、人間の手でやるしかない。そうするようにこの世界は設定されているからだ。
神話的史実の一次改竄は、各豪族の神話作りにおいてなされている部分においてである。それらを叩き台にして、知識資産を盛り込み、二次改竄したのが記紀だったことになる。では、神話史実の原典は。
それこそが、初期の日本の聖書と呼ぶべきものであるが、その行方はようとして知れない。
その伝承を、ネアンはかつてヒラサカから聞いたことがあるが、その後の調べで、幾何学的相似像を適用すれば、彼の話とのつながりがとれてくることがわかった。
中
東の地に、聖書の原典あるいはその写本が出土したのが、死海のほとりのクムラン洞窟においてであったが、同様にして日本の相似位置に、播磨灘を望む六甲山系があり、そこには数多くの修験洞窟跡があり、芦屋道満がひたすら隠したというカタカムナの石土版伝説も存在している土地でもある。
その真伝にこそ、神世の史実が明確に書かれていることだろう、と今は推測を述べるにとどまる。
それは、邪神の惹起した反則の歴史をとどめた書でもあるはずだ。
今回の図は、原初の神々の封印呪詛のすがたを表わすものであり、日本神界だけのものなのか、それとも日本は世界の雛形であるなら、世界の、あるいは宇宙の神々の構図にさえおける、呪詛封印のすがたでもあることになる。
相似像をおしなべれば、この世界は、この宇宙は、こうして邪神の軍門に下っているのである。
これは、正しい神々が、個別に守護をすることはあっても、世の全体に及ぼす力を持ち合わせない理由になるだろう。
しかし今、明確な罪状を示す資料が得られたことで、三千世界の統治者(最上の創造神)にこのことが知れることとなった。
その反則行為には、速やかなる裁きが下されることだろう。
力を失わされた正神たちが相手するわけではない。
新神話では、外野と称していた、全体の統治者が最高の戦力を携えて、邪神とその系列に臨むことになっている。
そして、このようなソフト設計をした、そもそもの創造神も、大いなる反省の座に就くことが求められる。
ブラックホールという、すべてを消滅させるダストシュート設備は、邪神とその一味と、このようなソフトが、その最後の機能を錯乱させて、終了させられることになる。
ネアンは2014年にいたり、自らをホルスと確信した。すべての伝承がついにホルスに集約されたのだ。
そのネアン・ホルスが、冥界の王・父オシリスに対して、邪神にそそのかされて悪事に加担した諸々の神々、および地上代理店の秘教組織とその構成員、および地の王や自己利得に奔走し、他を顧みなかった人々のすべてについて、裁きに当たってのサジェスチョンをすることになる。
それは、エジプトのホルス神話適用の最後の形を造るであろう。
そうして、旧世界と旧体制、および邪神とその一味とそれを記述したソフトは、すべてブラックホールあるいは火の鳥の発する灼熱の中に投げ込まれ、無と帰するのである。
そのとき、すべての世界の帳は消失し、旧世界を彩った力ある神話のすべてが消滅する。
そして、すでに並立的に存在した黄金郷が、すべての有情の前に開示される。
そのときもはや、どこにでも太陽の光は存在し、どこにも陰りはない。すべての者が自らホルスであったことを識るからである。
最も邪悪な者によって、局限された世は、次のように仕組まれた。
まず、侵略と襲撃を受け、囚われの身となった者たちは制御下に置かれた。そのために用いられた方法が、呪詛封印と洗脳であった。
呪詛封印には、幾何学図形が用いられた。ちょうど、鶏の行く手に直線を引けば、鶏は囚われたと錯覚して動けなくなるのに似ている。
囚われの身となった者たちは、ちょうど鶏のようなものであった。鳥籠を描けば、それを見ただけで、彼らはじっと動かなくなったのだ。
このため、地上のいたるところに、幾何学構図が造られた。それは、陸上のいかなる場所にも張り巡らされ、ぬけのないように計らわれた。
(それでもたまに、幾何学図形の効果を減殺させる対抗幾何学による”ぬけ”を作って、出てしまう者もいた。マヤの一部はそうだった)
すなわち、彼らは暗示に掛けられ、催眠状態になり、その中で別の夢(贋物の世界)に遭遇させられ、それを世界であると思わせられたのである。
このため、彼らの目には、世界はあたかも、階層化されたように見えた。
結果、神界、霊界、地上界・・・といったふうに階層が生まれ、上位から下位へは観測が及ぼせても、下位から上位は見えなくされた。
最も邪悪な者たちは、それら階層世界のさらに上位にあって、これらを掌握監視したのである。
神
界は地上界を守護し指導するも、地上界からは神話という手続きによって、神界の神々は働かされることが、最も邪悪な者によって定式化され、地上界の愚鈍と無知によって神界が動かされるため、この局限された世界では、相互に足を引っ張り合うことで、進歩が著しく阻害されたのである。
すなわち、彼ら囚われの身の者たちは、浮かぶ瀬を失わされ、三千世界にあるとはいえ、局限世界の中のさらなる孤島に囚われてしまったわけだ。
三千世界との音信は不通となり、催眠下の世界を彷徨ううち、しだいに元の記憶を失ってしまったのである。
神話は、予め要件を満たした形で組まれたものは、たとえ地上から発信されたものとしても、神界の神楽舞台で舞われることになり、その影響効果は翻って、地上界に投射されざるを得ない。
それは預言であり、歴史誘導の意図を持って発信されたものになる。
よって、神話の編者は、神々を縛るものになることと、地上の歴史をも誘導するという、二重の意図あるを以て、相当な覚悟を持って臨まねばならない。
ゆめ、粗相や害意があってのものであってはならぬのである。
でなくては、同じ害意に編者も晒されることになる。
当然、かかる編者に指示しやらせた者も同じである。
神話に封印や隠蔽糊塗や害意が意図されたものであるならば、それは邪悪な黒魔術呪詛神話となる。
そのようなものは、三千世界の規範からすれば、初めから無効であり、そのような所作によって成り立ったものが存在するなら、直ちに消滅せられ、原状に復元せられねばならぬ。
黒魔術や呪詛であることを知って為した者は、三千世界を破壊する者であり、三千世界のいかなる処にも置かれる下地を見出すことはない。
ただし、そのことを悔いて、為したことをすべて白状した上で、それらに対して反対もしくは解除の行為を取る者は、酌量の上で、赦されることになろう。
いっぽう、それら害意あるものに対抗して為された行為はすべて、三千世界によって高く評価されることになる。
たとえば、呪詛封印を解除する行為、黒魔術神話を改稿して正しい方向付けをする行為、封印された者を救出し解放する行為などは、世を正す智的英雄行為である。
他者への利他行為、他者への救済行為、環境への保護行為などは、自らの衣を清浄にし、魂を限りなく清め高める行為である。
また、それらのことを自らできなくとも、心から願い祈る行為は、自らの衣を清浄にする行為に準ずる行為である。
これらの者は、三千世界から喜んで迎い入れられ、尊敬されることだろう。
囚われの身になった者たちの帰還が遅いことを知った外部の三千世界側から、間者が何度も入り、実態が把握されて、ついにネアンなどを投入する救出プロジェクトがスタートして、今に至っている。
そのプロジェクトは、その成功と失敗によらず、最終的に局限世界を解体するものになる。
成功であれば、すべての者の意識が継続した状態で、局限世界の暗示が解けて、元の世界へと自然復帰することになる。
失敗であっても、局限世界は激しい炎によって焼却消滅して、すべての者は一旦、意識を失うも、再生されたそのときには、意識はあたかも夢から覚めたかの如きになり、ショックはさほどないのである。
ああ、夢だったのか、さてよく思い出せないな、で解決するだろう。
封印の残存のあるなしを問わず、最終形は局限世界の解体撤去を以て、すべて解消する。
意識存続する者のみ残される。
むろん、邪悪な者たちは、欠片も存在しないことになる。救出プロジェクトには、全有情の救済も含まれていて、その過程で、邪悪な者には長期矯正期間を経て救済し、あるいは焼尽して三千世界に再び関わることのないようにする。
善良なる者や邪悪の程度の軽い者は、その程度に応じて教育課程をこなしたうえで、元の世界に復帰することになる。
焼尽していく邪悪なる者たちは、このネアンが火の鳥になり先導し、あるいは追い立てて、共にその境涯に赴く。
最高主神の座にあった者とて同じである。局限世界の設計者、開発者も同じである。
宇宙をも溶かすマグマの中にみんなして飛び込んで最後となる。
何があるかは、想像だにできないだろう。引導するネアンにも、わからない。
逆五芒星と国祖神封印の図式が元伊勢で連結したことから、日本列島はこれらの図式が置かれた時点から、呪われた土地になっていたことがほぼ明らかになった。
それは実際、いつの時代からという決まりはない。地上界における時間にはさほど意味はなく、神界で起きた政変劇を含む史実が、時系列化されているだけであるからだ。
それさえも、後世の神話再構築(改竄)によって、史実が歪曲され、ほとんど真相を窺えなくなっている。
神話製造元の都合のいいように改竄され、おおかたは為政側の権威づけと、地位の正当性の証明のために機能した。
それでも、神話はその作用機序の影響力において、フィクションやフェイクといえども、当該の神々を神楽舞させて、神界にその通りのシナリオを刻ませることになるため、地上界への理念垂迹効果が、影響を及ぼさざるを得ないのである。
たとえばそれが「黄泉の国」なら、そこに書かれる所与の条件が、地上界の成り行きを規定していくことになる。地上はそれこそ、黙示録の無茶苦茶を絵に描いたような世相になることだろう。それは今の世相を見れば明らかだ。
神は有情思いで、その台本が嫌でも、俳優として演技せざるを得ない。蛆だらけの腐乱死体役など、イザナミはやりたいはずがない。イザナギはいつまで経っても、夫婦に戻れない身のままだ。
謀った邪神たちは、真面目な正神たちがきりきり舞いするのを見て哄笑するばかり。
地上はそのお蔭で、不幸のどん底に落とされている。みんな、魂を持つ真面目な有情ばかりなのに。それを懲らしめてやれとばかり、困苦の火に油を注ぎまくっている。
神話作りは、人々を幸福に導くためのものであるべきなのに、それをしない邪悪な意図の者が介在したのである。それがついに幾何学図形として発見されたことの意義。深く考察してもらいたいところだ。
人はよく、心に思うこと(願うこと)を引き寄せてしまうという法則について語ることがある。
それは、一見真理のようであって、すべて言い尽せていない贋真理である。
邪悪な側は、自分たちの悪事を上手に隠蔽できて、全責任を個々人に取らせることのできる詭弁を考え付いた。我々はそのルーツを、弱い者同士が慰め合う宗教などを下地にした、プロパガンダの賜物であることを知らねばならない。
そのお蔭で、人はみんな自分のせいでこうなったと、またも輪廻の因縁を作ってしまうのである。いつまでも、理解できぬことへの不利益のぬかるみに足を取られていてはいけない。
では問おう。あなたはこの黄泉の国に生れてきた理由は、霊界で発した希望や、過去世での願いだったのか、と。すると誰でも、そんな不可知なことを論じてもしょうがないと応ずるだろう。つまり、本心はそうでないことを知っていて、心を反駁させるのである。
あなたが、黄泉の国や戦争真っ只中の国に生れ落ちることについて、あなたが選んでやってきたのでなければ、あなたに責任はない。むろん、生みの親にも責任はない。
ただ、運悪く生まれたポイントがそのような流れの、澱んだどこかであったにすぎない。その澱みは、たまたまそこにあったのであり、もっと言えば、神話に規定された澱みだったというわけである。
あえて澱みを作るような邪悪な意図が野放しにされたのは、人々を見守る神々の世界に邪悪が入り込んだからである。庶民思いの原初神たちが、そのようなことをするはずがない。
原初神が統治していた時代には、欠乏も、いさかいも、戦争などといったことはむろん、不幸の因子はどこにもなかったのである。
その時代は、太陽があまねく照らす、陰りのない黄金時代と呼ばれている。
そこに一握りの心やましい官僚神たちがちょっとした不正を働き、上位的存在の邪神邪仙がそこに目をつけ、黙っていてやるから、こんなこともやれと、一層の不正に手を染めるようになった。いわゆる犯罪をエスカレートさせる邪神お得意の陥落法である。
それがとうとう発覚しそうになったとき不正な者はどうする。神とはいえ品質の劣った者なら、いっそ毒を食らわば皿までもと、より強力な邪な者のバックアップを受けて、クーデターに及んだりもするのは、韓流王室ならずとも、よくあることだ。
そして、官僚の頭脳を結集して、隠蔽工作を徹底して謀り、表向き何事もなかったかのごとく、庶民に対しては装ったりする。
神の世界だから、どれほどのモラルがあるというのか。帳(とばり)で疎通を阻む階層社会が存在することによって、どんな悪事も露見することは困難となる。帳こそは隠蔽と犯罪を生む原因なのである。
し
かし、真相を見てきた者がたいがい居るものである。真相は彼らの魂の記憶に残されている。その記憶の顕著なのは、政変の被害者側にいた者である。その者たちがふと思い出してする証言と、ぴかぴか隠された真相を照らす叡智の光を掲げる探偵の力量の二つが揃えば、必ずや真相開示は可能になるものである。
また、被害者神がいかに出てこれないほどに封印呪詛されていたとしても、それを外部から解き放った後、証言の席についてもらうことは当然ながら可能である。
事件当事者が殺されたとしても、蘇ることが可能なら、その事件当時の記憶も蘇らせることができる。
い
まそのような神々が順次救出され、新たな証言者として、ネアンの探偵推理と真相解読の流れに付け加えられつつある。それはやがて、最後の審判のときに証拠としてもれなく上がることになる。むろんその最後の審判は、邪神が仮装するシナリオのそれではなく、邪神たちをも審判する最後の法廷となるものである。
彼ら被害者たちはネアンに異界から語り掛ける。大きな情報量の塊として、届けられている。そのことによって、神世の政変のおおかたがいま、アウトプットとして取りまとめられようとしている。
ネアンが雛形とするホルスによって、そのアウトプットは冥界の王オシリスに届けられる。
それによって、地上に生きて、原初神に唾してきた者たちが、裁きの場に召喚されることになる。そこで一々の者が、厳しく詮議されて、然るべき処置を受けることになる。
し
かし、ネアンはそのような地上的緩慢な裁判など見たくはない。一気に邪神邪仙の殲滅に動くための認可を求めている。裁判でガタガタ時間と手間ばかりかけようとする司法が神世にもあるなら、まずすべてを凍結すべく、システムシャットダウンを要求するだろう。それからゆっくりと、個々のPC(観測根節)を精査し、復帰するかどうか決めればいい。
復帰不可能のものをことごとく焼却して再び生じさせることのないようにする。
これからの新世界の開始こそが大事なのである。
ネ
アンは、この世にあっては残る余生を使って、新神話のとりまとめによる現実の誘起と、幾何学図形に対する封印解除の手続きの両面から、原初神の復活と再来を呼び覚まし、正義の力の総結集を以て、邪神とその手下どもを駆逐し(ウイルス製造専用機たちを破壊し廃棄し)、地上に正しいよすがの取戻し復元を果たそうとしている。
また、あの世に赴いては、火の鳥を使って、邪悪の立脚する下地からの焼却根絶の過程を踏む予定になっている。
その範囲は、場合によっては、この世を与えるソフトウェアまでの焚書を最大限のものとしており、そ場合にはソフト設計者にまで火炎が及ぶことになる。すなわち、三千世界へのテロリストとその予定者たちの一斉撲滅である。
ネアンは、かつてカンナオビが豊玉姫(竜宮乙姫)として持ち来った乙姫の玉(潮干る潮満つの玉)を、転居の際に紛失してしまい、いざという太古神封印呪詛の図式発見のこの場になって、それが用いれなくなっている実情のため、それを改めて求めることにした。
といっても、すでにカンナオビも、カンナオビの依代であった猫のウーもこの世に居なかったから、改めて彼らから求めるわけにはいかなかった。
このため、乙姫の志は弁天の志として、夫の梵天を介して乙姫の玉相当の代替品を準備してもらうことにした。
ネアン自身がこの場合は、他者から買い受けて、それを神棚に祀って、梵天、弁天、ひいては豊玉姫に、「乙姫の玉」相当の機能をインストールしてもらうのである。
それが求まり、準備ができたのが2014年5月1日であった。早速開始することになった。
ネ
アンは、パソコンの前に座り、画面に封印呪詛の図式を表示し、その前に新訂の乙姫の玉を置いて深く念じる。かつてヒラサカから聞き知って覚えた道満の九字切り術を用いて、図形の線分を断ち切り、粉砕して焼却し、「乙姫の玉」によって日本列島のいかなる場にも、封印術の痕跡が残らぬように消去し、そして地下に封じられていた神々を、丁寧に尊敬をこめて、お出しするのである。
あるいは、これらの図形がしだいに淡くなり、あるいは各線分が破断し分解すると見て、結界を溶解し、神々の封印の扉をすべて開け放つ。
日本列島は世界の雛形。日本列島上の封印解除は、世界各地の同様の場所の封印を次々と解いていき、あらゆる場の原初神とその忠臣たちや家族を救出することになる。
彼ら正しい神々は、現実を目の当たりにして、ここまで腐敗が嵩じていたかと驚かれるかもしれない。
そして、そこから回復可能なら、処置をお願いすることになる。
しかし、もし回復不能と見積もられたなら、地上世界とそこに観測拠点を置く人々や有情の作る文明は、絶滅ということになる。
救出された神々には、新しく梵天により創られた新世界のほうで、その内容の充実にあたっていただくことになる。
世界創造は、今までやってこられた神々がその持てるノウハウを発揮して行われることが望ましいからだ。次の時代は、セキュリティが完璧になされてスタートしなくてはならない。
セキュリティ部門を、ネアン・ホルスとその付帯能力が担うことになろう。彼の武器は強力なファイアーウォールと、ウイルス焼却能力である。
そのために、地上界における経験を通して、ウイルス情報を取得し蓄積してきたのである。彼の正義の基準は的確であり、その照合能力は探偵のそれであり、欠片のプレウイルスレベルから弁別してしまうだろう。
何日間か、封印解除手続きを定時に行い、兆候がどのように出てくるかを見て、さらにどうするか決めていくことになる。
ネアンがこうした手続きをして、うまくいく場合は、天変地異として顕われてくるのが常である。
このたびも、それを模様眺めすることになった。
2014年5月1日夕方に開始し、朝夕二度執り行った封印解除儀式が都合三度の後になる5月3日未明に、不思議な夢を見た。それについては、すでに何度も書いている宮司氏あての午前8時頃のメールに、次のようにしたためている。
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本日未明、奇妙な夢を見ました
2014/05/037:58
宮司 様
5月1日より、具体的に封印を解く作業を開始しました。
すると、今日未明に不思議な夢を見、神世でこの図形について長く詮議がなされてきた経過が、夢の中でも長い時間かけて示され、私はもんもんとしながら、眺めておりました。
神世では、すでにこのことの経緯について理解がなされており、あとは地上界において、経緯が示され理解がなされればよいという段階にあることが、夢のイメージからわかりました。
いったい、誰がどのようにして行うのかということで、どうやら私如き者に使命の下賜があったもようです。
そういうわけか、私にはこの図形に関わる経緯の謎解きが、まるで銭形平次が掛けてもつれた糸を解くように、叶っていくのを感じております。(いや、寝ころんでばかりなので、ネコロンボかも)
(しかし、今回の図形としてバーンと示されたことで、うわっこれはなんだと、ずしっと深刻になってしまい、今まで真剣みがなかったことを痛感してしまいました。遊び半分だったなあと)
そして、ほぼ、どのようなことであったのか理解できたことから、以前に拝領しておりました乙姫の玉を使い、足は歩かねども鳥瞰図形を前にして解いていく作業をしております。
私は独創神話をずっと書いてきておりますが、その中ではパートナー役がたいがいの場合おりまして、私が鶴の役で、パートナーが亀を務めるという具合で進んでおりました。(今は猫しかおりません)
2004年末に、パートナーがたまたま抽選会で一等が当たってハワイ旅行となり、私に現地土産を誕生日プレゼントしたいと言うので、ならば、浜辺に落ちている丸い石があればそれを、と
申しておりましたら、現地の決まりで島にある何物も持ち出せないからと、チャイニーズ民芸店でトパーズ黄玉、欧州民芸店で木彫人形を買ってプレゼントしてくれたのです。
私は神話上で、東海の竜宮から乙姫が玉を持ってきてプレゼントしてくれると見立てたかったのです。
玉に相当するものは何でもよかったのですが、きれいな丸玉になりました。
またいっぽう、人形のほうは、店でまったく無作為に選んでくれたのでしょうが、なんとそれが、猫を膝に抱いた七対羽根のルシファー像で、ルシファーがまだ太陽神だった時代のモチーフだったのです。
(その情報も、別人(ゲン)がほんの数か月前にもたらしてくれていたのです。ドーンとシンクロしてびっくりしたようなことでした。なお、醜怪なヤギ人形ではありませんので(笑))
翌年のすぐに、彼女とともに雪の残る元伊勢に行った際、各所でその玉を使い封印解きをしました。
といっても、まったくの自己流で、その方式でよいと見立ててやっているようなわけで、効果のほどはわかりません。
特にやっておかねばと思っていたのが、籠神社裏の真名井神社で、ここは別名「瓢の宮」とも呼ばれ、地元写真家によって、丸い大きな白い光が写ったものが撮られており、
霊的磁場の強さを物語るとかで、地元では評判でした。
(そのときには、海部宮司様との懇談もできました。パートナーとして、宗教遍歴している人が同行していて、宮司様とは旧知だったのです。それは2003年のことでしたか)
私は、「ひさご(瓢)」ということで、西遊記に出てくる金閣銀閣の瓢箪の武器のことを想像していまして、もしかすると白い光というのは、瓢箪の一部ではないか。
そこに閉じ込められているのは、太古神たちではないかと想像し、玉を手に乗せて解除手続きをしています。(効果のほどは不明です)
神社の向う側には、磐座が累々とありまして、岩のそれぞれに神名がついておりました。
それが玉を使った最初だったようなことです。(それ以後、使っていませんでした)
このたびの太古神封印の構図は、大江町の元伊勢が結節点になっているのですが、昔からなんでここにばかり足しげく行ったか、あるいは現地近傍に生まれたのか。
(足しげくと言っても、知り合いと気が向いたら行くといったことで、回数はそれほどはないのですが)
どうしても縁に引きつけられていたということかと思います。
ここで示された封印を解くのは、私がやるべきという気持ちになります。
それはすでに、神世では行われており、あとは地上界を余すのみとなっているとのことから、決して禁断の行為ではないという、いっしゅ安心感が、
このたびの夢において得られたことは、とてもよかったかと思います。
実はこの図形の中に、縁ある神様が少なくとも二体おられるのです。
私は図形発見の当時、鎮座されているそこが繋がることで、何かすごい発見だと自画自賛していたのですが、ところがこのたびのことから、
神様たちは閉塞された思いを持っておられたのだと、むしろ痛ましいことだったのだと思ったような次第です。
私はそれゆえ、何としてもお救いしたいと心底思っています。
しかし、こんなことはまったくの私事でありまして、自分だけでやることと心に決めております。
宮司様のあのブログの記載がなければ、ここまで辿り着くことはなかったでしょう。
きっと、不肖な私への警告であったのです。
目が覚めました。ありがとうございました。
今回のことは、世の移ろいとは無関係です。しかも、私の想いの中だけでする茶番劇です。
あとはすべて私がやりますので、宮司様は心安らかにお過ごしくださいますよう、お願いいたします。
去年の暮れで、ちょうど独創神話開始後14年になります。7*2=14で、完成数を倍してしまい、それを満ずる4日前には、臨死した夢を見て、それこそ千の風になる体験をいたしました。
(7と2という数は二神との関係を示す、幾何学図形にも示されている数です。それは逆に、シンデレラの魔法時間にもなっていたのか、それぞれと関わった実質年数でもありました)
よって、今あるは番外編のようなものでして、できなかったことの補修として、最後のご奉公をさせていただこうの思いでおります。
とにかく、多大な啓示教唆をお与えくださいましたこと、重ねてお礼申し上げます。
またご報告できることがあれば、お知らせいたします。
それでは。
ネアン
——————————————————-
すると早速、地上界に兆候が顕われた。当日のメール差出の直後の同日の午前10時過ぎから、飛騨地方で軽微であるが地震が群発しだしたのである。飛騨とは神世の王室のある日高見の略号であるから、神世に鳴動が起きたことを示した。
さらに5月5日午前5時には、関東にM6.2の震度5強の激震があり、首都をびっくりさせた。
ネアンがする封印解除には、その効果が地震として顕われるのが常であったが、人命を損なうことのないレベルの、優しいものである。かつて2000年10月の鳥取西部地震もM7.4といったものであったのに、死者はなかった。
しかし、神界の邪神勢力をあわてさせるようなことをすると、彼らは有情の利益など考慮せず、クラッキングツールを爆発させるため、とんでもない規模の災害を起こすのである。
さてしかし、今回の封印解除術が上出来だったことは間違いない。神世はそれによって揺れ動いたのだ。神世の係官は、これ以上やってもらっては困るといったことだったのかもしれない。とにかく、報せを急いだ模様だ。
2014年5月1日夕刻から、乙姫の玉による封印解除儀式を開始した。
儀式は朝夕二回で、解除対象は、かの日本列島に仕組まれた封印の図式である。
ここからは、その後の夢見体験が、その成果を物語ってくれると思う。
夢に神世で国祖神封印図式の詮議の様子を見る (2014.5.3未明)
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2014年4月になって、ある宮司さんのサイトの記事から、発見図形の未完成、見落しがあることを知り、最も大事な二地点(神界での国祖神封印場所)を思い出して図形に加味したところ、驚異的な発見がありました。
大本教神話にいわく、倫理優れた神界ともあろうところですら、政権奪取のクーデターがあったこと。
そのときに、国常立神と妻・豊雲野神がそれぞれ、北海道・芦別岳、薩南・喜界島の地下深くに封印され、炒り豆に花が咲くまで出られないという呪詛が施されているというものです。
今回、その北東–南西の直線を引いたところ、畿内の逆五芒星形と、元伊勢の地点で接するという事実が判明。
これにより、黒魔術シンボルである逆五芒星の施してある意図が、正義の側の神々を呪詛封印するためであったことがわかるとともに、クーデターが、元伊勢位置の投射する神界における場所で行われたらしいことまでわかりました。
そのとき参考になる史料が、今はひとつ見つかっています。ホツマツタエです。
よほど念には念を入れて、呪封してあることが歴然となっています。
このオカルトはオカルトと一笑に伏すことができないこと、おわかりになりますか。
少なくとも、古代において、庶民から格段に優れた者の仕組んだ遺構であり、その彼らがここまで徹底したという事実が目の前にあります。
異界的ではあるが、その異界を無視できるかどうか。
クーデターの場所は、国常立神が出雲の役人の不正を糺すために赴いた丹波の仮宮であり、警護手薄であったためか、暗殺がなされたことのようです。
奇妙なのは、国常立神は、そこを自らの崩御地にするから、後のことを託すために、男神アマテラスをその地に呼び寄せていることです。
ホツマツタエでは、その土地で、アマテラスに天成道の奥義を授けて崩御を看取らせたとしていますが、もしそれが自然死の崩御ではなく、暗殺だった場合は、アマテラスは手紙の文面を信じて、わざわざ罠にはまりに、囚われに行ったようなことになりませんか。
つまり、アマテラスも殺害もしくは幽閉されているかもしれないのです。
それが実は、岩戸隠れの真相だったのではないか。
ホツマでは、アマテラスは祖父を祭り終わると、本宮のあるヒタカミにはすぐには戻らず、富士の宮でしばらく過ごされたとのこと。
また、スサノヲが暴れたので、悲観して岩戸に差し篭られたのを、妻のセオリツヒメが音頭をとって、賑やかな祭りをしてお出ししたとなっているのですが、もしもアマテラスご本人がすでにおられず、替え玉が立てられていたとすれば、どうなるのでしょう。
タイムラグはいくらでもあります。
政治の実権は、妻のセオリツヒメが握るというようなことになっているか、それともセオリツヒメを補佐する者が握っているかも知れません。
ホツマ伝承は、昨今の韓流王朝時代劇のトンイやチャングムの王朝時代を彷彿とさせるものがあります。
韓流王朝時代劇の中では、たえず政権を狙うヤカラが出てきて、あわやクーデターになりかけたり、あるいはクーデターが成功してしまうような場合もあります。
そのようなことが、神界高天原でもありえたのではないか。そして、実際に神界の歴史の汚点として、残されていたのではないか。
その汚点を払拭し隠蔽すべく、神話の真伝が改竄されて、いろんな神話が成立したのではないか。
そもそも、韓 (から、唐、空) は、遠い宇宙を暗示しつつ、幾何学図形発見の発端となった天孫降臨の開始点、高天原であり、韓国の意味です。
日本神話の故郷が、韓国にあると言っているようなものなのです。
それが勢力を日本列島に移して後は、日田、飛騨を経由して、ヒタカミ(三陸)へと神話の象徴地を遷移させていたわけで、そこで成ったのがホツマツタエでした。
律令国家の号令下の公的神話の記紀になってからは、なぜかアマテラスは女神になってしまいました。
そして、記紀では、高天原の位置が高空へと仮定されつつも、元に戻されたらしく、韓国が図形の開始点になっているのです。それは、律令期の為政者の出自地にもなっているという具合です。
しかし、庶民の知るところではなかった。
ホツマも含め、秘密部分に触れた伝承は、豪族レベルで秘匿封印されたのでしょう。
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封印を解くためのツールが揃うまで、すぐには取り掛かれなかったのですが、5月1日には手元に揃い、夕刻に一回目の封印解除を行いました。
かつて豊玉姫の雛形を演じたカンナオビからプレゼントされた「乙姫の玉」。それが神棚でいっそうのバリューとパワーを増し、パソコン画面に映し出された封印幾何学図形に対して、九字切りをして解除命令を放ちます。
そして、図形を木っ端微塵に破砕し、玉を列島に沿わしながら、消しゴムの要領で、消し去ってしまうとイメージするのです。
一日、朝夕二回それを行ないます。
すると5月3日の未明の夢に、神界の協議の場が現れ、このたびの図形について、すでに神界では詮議され、いかなる事態のものであったかが理解されていて、その経緯がいかなる神によってか示されたため、私はそれを頷きながら眺めておりました。
そして、後は地上界で理解されて、経緯が示されればいいだけと告げられました。
そのことを、さっそく宮司氏に知らせました。
すると、当日の午前中から、飛騨地方で地震が群発し始めました。
飛騨とは、ヒタカミ高天原の略号です。日高や日田もそうです。
ホツマの頃には、ヒタカミは三陸とされていました。
いずれも、この地が震えるときは、神界に鳴動事があったことを意味します。
5月5日午前5時には、関東を襲うM6.2の深深度地震が発生しました。
その最大震度の場所は、日本の秘教組織の本拠のある地ではないですか。
神界では、彼らはすでに行き場を失っているのかも知れません。
しかし、封印解除の場合は、利他的な良いことなので、死に繋がるような災害にはなりません。
かつて(2000年10月6日)あった、M7.4の鳥取西部地震もそうでした。
このような地震は、封印解除が有効だったかどうかを知る手がかりになります。
しかし、邪神たちをあわてさせたり、浮足立たせたりすると、彼らは人の死など何とも思わないに加え、逆にこんなことになるぞと見せつけるため、大災害になるのです。
阪神大震災や、東日本大震災は、そのような例だったかも知れません。
以前にも、国祖神のご夫妻を火の鳥によって救出に行く行程を、二人の協力者それぞれにおいて執り行っているのですが、今回のものは、新発見図形のこともあり、どうしてもご本人のご様子を知りたくて、参りました。5月8日未明のことです。
すると、人間の歳でなら、百二十歳よりももっと、頬はこけ目は落ちくぼみ歯は抜け毛はまばら、背は丸く身体は小さく、まさにご高齢であり、それでもいくらか話してくださったような。
こういったときは、姿だけ注視するのがやっとで、話に身が入らないのです。
ただ、とてもウシトラノコンシンという強力な神として再来というイメージではなかったように思います。
むろん、いまお救いしたばかりなら、まだわかりません。しかし、回復していただく時間が要るような気がします。
私は長くタクシー運転手をしていたため、よくお客さんを自車にお乗せする夢を見るのですが、このたびも、スチュワーデス姿の三人の美女を後部座席にお乗せしたのです。
そしてその日は、チャーターのようなことで、それぞれの買い物や、旅の用意にお付き合いし、最後は空港にお送りしたようなことでした。
よくは憶えていないのですが、その行程の中に、情事が含まれていたような気もします。
まあ、その辺はどうでも。
さて、目が覚めてから思うに、何で三人なのか、古風な美人顔なのか、何でフライトなのか、こうしたことを勘案すると、どうも封印を解かれた、琵琶湖に鎮座する弁天三姉妹神だったのではなかろうかと思うのです。
重点的に、解除しましたし。
少なくとも二神の化身とは、情実を結んだこともあったので。当然、念が入ります。
そもそも、この封印を解いてほしいがために、私が選ばれた感もあるのです。
と
いうのも、私が四十代の頃、自分の人生を振り返って、何一つ楽しいことがなかった、人並みのこともできなかった、何だかいつも追いまくられていただけだった、神様、私をこの世に置いた神様、私はこんなことはもう御免だよ、昔の人は言いました、人生五十年、そこまでで、私の命は終わらせてください、そして、次の転生も金輪際要りません、魂を消してください、としっかりとお願いしていたのです。
また、そんなはずだったのに、四十四、五のとき
に、あるイミテーション寺院に行ったとき、そこに置かれた七福神の銅像の、まず母にゆかりの毘沙門天さんに線香を一本、そして、ふと素敵に思った弁天様に一本手向けながら、「あなたのような方と結婚したいです」と求婚してしまったのです。
それから、いつしかそのような決意の数々を忘れて、五十の年齢を超えていたのですが、あるとき、私のところにメールがやってきたのです。それも女性から。主婦とのこと。
当時私は、今でもそうですが、物語創作サイトを公開していて、それを見て、私もやってますと、やってこられたんですね。
それからですよ。会うことなしに、メールや電話のやり取りだけで数か月。
そんなとき、次なる女性が、身の上相談のためにメールしてこられた。
その女性は、私の不思議経験の扉を開けたような方だったのです。
そこから一気に、お伽噺の世界になりました。
しかし、その方が二年後に去り、それからまた一年ほど経って、最初の女性に戻ったのです。
それからは、出会って会話もしましたし、色々なこともしました。
そんなとき、私はほんとうは五十までの命でいいと神様に頼んでいたんだ、と話すことがあって、彼女がその日を調べると、ななな、なんと、私の五十の誕生日の前日に、初めてメールされていたことがわかったのです。
その事実をだいぶ後になって彼女から聞く始末。
そのとき、神の計らいとは、かくも妙なるものかと痛感したしだい。
ぎりぎりセーフじゃないか。
ここまで演出するのかい。
おいおい。
結局、先に出会った女性とはちょうど二年。
最初に現れて、私より先に逝った女性とは七年。
その比率は、琵琶湖における沖島と竹生島の幾何学的比率だったというしだい。
お二方は、奥津嶋姫様と市寸嶋姫様のそれぞれ化身だったというしだい。つまり、弁天様の顕われだったのです。
たぎつ姫(瀧子姫)様は多景島で、幾何学の線にはかかっていないものの、図形下にあり、やはり封印されていたわけです。
こうして、封印解除とともに、遠い世界に出て行かれたものと思います。
このお三方は、何の謀も罪もありませんから、遠く遠く離れていてください。
もう、ここに戻ってきてはなりません。
すぐに結界が回復するように謀ってありますから、立ち入ってはなりません。
私はどこにあるかは知らない社寺らしきところで、白装束うす黄袴の宮司さんらしき年配の人に出会い、さらに奥にある旧い道教寺院のようで、謎掛けに満ちた造りの横長長方形を主体にした彫刻の壁のところに連れていかれ、宮司さんが手渡す二つの木製らしき鍵を、四つか五つある鍵穴差しのようになった長方形の中に差し込むように指示された。
宮司さんもそれをしたかったようだが、場所によっては高いところにあって、私なら手が届いた。
ひとつ目は、下のほうにあって簡単に差し込めた。
二つ目を高いところにある穴に差し込もうとすると、しっかりとせず、それはダミーの穴とわかった。
それで、その左のほうにあった穴に差し込むと、しっかりとした手応えがあった。
その後、どんな展開だったか忘れたが、目が覚める直前の夢がまた不思議で象徴的だった。
私は大きな板の間の部屋に、何カ所か榊が供えられているのを見た。それからすると、神社の中だったかも知れない。
しかし、中央の向かいの壁にありがちな墨筆書画などはなく、ただ暗がりがあるだけで、その広い縦長の板の間の四、五カ所に榊が置かれていた。
ただ、その榊は一本が億単位するものであることがわかっていた。
それを私は一箇所に集めて、円筒状の容器にまとめて入れ、持参していたもっと大きめの安物の榊を左右二カ所に配置した。
そして後で、円筒容器の榊を容器ごと、私の翼の炎で焼却してしまったのだ。(私は朱雀、火の鳥だった)
先に見た夢の宮司さんのことを、目が覚めてから思うに、どうも芦屋道満ではないかという思いが湧き上がってきた。
彼は私に何か見せたかったのではないか。
しかし、それは夢の記憶の中に埋没してしまった。
しかし、彼が芦屋道満なら、かつて解釈していたように、本当の神世の歴史(真伝)を隠し持っていて、その場所に案内してくれたのではないかという気がするのである。
ホツマなどは、真伝をもとに、フィクション化した戯作であることは紛れもない。編纂当時における新神話とも言うべきもので、神話の作用機序を発動させ、神世をもコントロール下に置こうという、陰謀の書なのである。いわば、神々に対する洗脳の書なのだ。
戯作を定着させておいて、そこから記紀を制作しているから、二重の戯作によって真相が封印されていると言っていいだろう。
秘教勢力なら、やりそうなことである。
しかし、そうはいかない。
必ず真相を突き止める者が登場するのが、世の倣いであり、それであって初めて、正しい神もおられると確信されることになる。
調べてみると、安倍晴明という者も、ずいぶんと秘教じみている。
金神を巨旦大王の眷属とし、ウシトラノコンシンを巨旦大王だとして、その方位を調伏すべき対象としている。
本来なら、天地森羅万象を創った神々であるに、強欲な巨旦大王になぞらえるとは何事か。
勝てば官軍とばかりに、どんな正伝も正反対に歪めてしまうその心魂の悪辣さは、やはりインベーダー譲りのせいだろう。
それに対して、芦屋道満が敵対したというのも、頷ける話である。
ウシトラノコンシンを巨旦大王と言うなら、彼らが崇拝する牛頭天王というのは、かの畿内の逆五芒星の象そのものではないか。
海外では、このシンボルをメンデスのヤギと呼んで、黒魔術シンボルとしているほどに知られている。
またスサノヲ神は、そこまで邪悪な神ではない。
すなわち彼を牛頭に見立てるのは、スサノヲ神を邪神格に貶めながら、彼を崇拝している「ふり」をしている秘教組織のやり方そのものである。
(太陽神ルシファーを、彼らの仕立てたキリストによって、サタンにまで貶めておいて、逆にそれを崇拝する「ふり」をして、庶民の思考を攪乱しながら、自ら正神の敵対者であることをひけらかすのと同じやり方)
秘教組織とは、神々を創作し、庶民に与えて畏怖を以てコントロールしてきたところの、機知に富んだジョーカーであり、神への畏敬の思いなど微塵もないことを宣言した存在である。
それらは正神たちが丹精込めて育てた被造物に対して、どんな悪事でも破壊行為でも、やってのけることであろう。
それをすることが、彼らのステイタスになっているのだ。
しかし、安倍晴明も、新神話ではすでに、正神側に帰順してもらっていて、彼には協力してもらった。
ただ、そのときは手違いがあってうまくいかなかったが、これからも是非協力願いたいと思っている。
彼も秘教組織の構成員だったはずで、手練れの魔術師というべきである。その彼が正神側に着くなら、邪神側の勢力削減にも弾みがつくだろう。
これについては、空海和尚においても同じである。
神話に関
する謎解き
新神話では、神話の成立の理由について書いており、神話とはこのようなものだと定義する起源神話を書いている。(第三章)
すなわち、世界にはその最も原初の時に、仙界における覇権争いがあり、世界の元型を創っていた禽仙が敗れて、人仙が勝利し、死んだ両軍の仙人たちを、その不滅性のゆえに、神々に生まれ変わらせて、仙界の下に置き、上位からその行動を監視するようにした。
そのことを封神処理といい、あたかも神に任じられたことがいいことのように見えるが、そうではなく、洗脳下に置かれて多くの能力を削ぎ落され、上位に対して手出しできなくされてしまったのである。上位の仙人たちは、神界の上についたので、天仙と呼ばれた。
神々は、下級世界の開拓者である人間の守護に当たることが任務とされた。人間はより次元を落とした不自由な坑道のような世界にあって、あたかも資源を採掘してくる工夫のように、その身をすり減らしながら、上位の望むものを手に入れてくるのである。
し
かし、思うに任せぬ下級世界にあって、いざというときに頼むべきは神々であった。このことから、彼らは神々を定義づけし、彼らの思うように働いてくれるシステムが、天仙により考案された。それが神話による神々の神楽舞という、神々の総出演による舞台劇であり、そのシナリオが神話だったのだ。
つまり、神話としての要件を備えたものは、すべて神界における神楽舞の台本となり、神々はその演劇に忙殺されるのが常となる。
しかも、その舞台演劇は、上位次元から理念降下(垂迹)をして、人類の歴史を規定するものとなった。つまり、天仙は、神界と地上界を一定の法則によって、自動的に縛ることができるようにしたのである。
もしも、何か問題が起きそうになれば、神話を与え直したり、付帯事項を付け足したりしてコントロールしたから、とうてい上位に敵うはずもない状況にあった。
その原理を人界のほうから察知したのがネアンたちであった。そもそもネアンは、この神界人界サイクルの中からやってきた者ではなかった。
三千世界という広大な外部から、梵天の命を受けて、隠密として送り込まれた者であったゆえに、事前調査して臨んでいる。
だから、役割を担い始めた2001年の当初から、神話作りを開始したのである。古事記という神話が世界をリードしている様を、神話解釈で如実に知ったため、自分もやればできると踏んでのことだった。
それは、新神話と呼ばれ、神話の要件を完全に満たしながら、随時に、彼のパートナーである巫女を介して、神界に伝達され、神話ランキングにもノミネートされて、特に神界の宮廷女官の間では大いに話題になったのである。(その内容は、人々に知らせる必要のないものだ)
その内容は革新的であり、神楽舞を仕事とする俳優の神々を大いに啓発し、彼らの演劇にも熱が入ることとなり、神界における庶民啓発に果たした役割は大きかった。
しかし、神々は敵わぬ相手には付き従うことが最善と、いずれ来る日の希望として、新神話を心に留めることのみにして、事を荒げたりはしなかった。
こ
れに対抗して、梵天と対立する天仙界は、監視を強化し、対抗策としてありとあらゆるところから神話らしきものを上程させるようにしたので、神楽舞もいっそう繁忙を極めるようになり、ちょうど人界の庶民が、為政者の圧政によって、労多く実り少ない有様を甘んじて受けねばならないようなことになっていったのである。(現在の英雄ものアニメブームなどの隆盛は神々を振り回している。神話としての要件さえも緩和されているのだ)
そのため神界でも、多忙自殺のようなことがあり、それは撤退と呼ばれ、死んだわけではないにしても、どこか異界へと退去しているわけである。
最
近では、その異界の受け皿として、新世界が創造され、疲れ切った彼らを温かく迎え入れるようになってきた。それは三千世界側の梵天が原初神たちを集めて創った世界であり、主として神界の国津神が、あまりの過酷さに耐えかねて、着の身着のままやってくるようになっている。そこはイザナギが黄泉世界から脱出してくるための受け皿世界でもあった。まだまだ、内部充実の必要な世界であり、ノウハウを持った多くの神々が必要だったのである。
捨てる神あれば、拾う神あり。人界においても、黄泉の国で絞め殺された人々は、どんどんイザナギの渡った世界へと向かっている。苦難の人生を経てなお貧しい人ほど到達しやすくなっている。
ホツマは真伝を改竄して作られた創作物語、すなわちフィクションであることは紛れもない。
中央集権の律令国家にしなくては国家が持たないと判断されて、国家存立の礎となるべき、為政者たちの起源神話を作っておく必要性が生まれたことによる。
また、それまでの経緯の国家的秘密事項の数々を、闇に葬っておく必要があった。
良心(魂)を持たない秘教が主導すると、冷酷無比の犯罪だらけになるのが常。公然化し目立ち始めた多くの犯罪が、儒教を土台にする日本という顔を前面に出す律令国家成立の名のもとに、墓に葬られる必要があったのだ。
それと同時に、呪術を前提とする祭祀形態の整備により、国家鎮護を形而上レベルで行うことになった。
それはちょうど、白骨やら戦争道具やらが散乱しているところにアスファルトを流し込んで、表向きをきれいに装っているようなことであった。人々の目に触れるのは、きれいなフラットな土地で、その下になにが埋まっているかなど、どうでもいいのである。
その当時は、知る者とて少なく、庶民には別の負担を負わせて忙殺し、時間経過がすべてを忘れさせるという方策によって、隠蔽はさほど難しいことではなかった。
真実は、虚実の創作によって覆い被すこと、すなわち民間伝承を盛んにすることで、闇に葬ることができたのだ。
おそらく今後の政権も同様のことをやるだろう。
歴史を改竄するのである。戦後70年の日本の歩みを、繁栄の美辞で埋め尽くすことがひとつある。
そして、日本建国からの経緯を高らかに謳い上げるだろう。
そして天皇元首制を復活させる。
昔のよすが、律令国家成立時代に戻したいというのが思惑である。
律令時代はアスファルトで塗り固めた上でのリスタートだったから、表面的にうまくいった。
ただし、封印されたところからくすぶる煙は、思わしくない事象として現れると見込まれたため、呪術中心の祭祀形態を重点配備し、日本全国にその拠点作りを行なったのである。
それでもアスファルトは劣化して、あちこちで憤怒の煙を噴き出している。
これからの政権は、どんな祭祀で封じようとするだろう。
科学万能と唯物主義で封じることにするのだろうか。
最終手段は、記憶のキャリアーたる人間を封じればいい、などと思っていないだろうか。
それよりも、ここはあらゆることの封印を解いて、謝るべきは謝っての思いの上で、新たなスタートを切ることが大事であろう。太古神は、そのような謝罪に対しては寛大な読みをしてくれるはずだ。
最後まで隠蔽しようとするな。墓にまで持って行くようなことは、もはやできない。
ここが今、どん詰まりの黄泉の国の時代だからだ。これ以降、三次元世界にはどこにも反省や謝罪の場はない。
地獄の最下層に何億年分もの反省と贖罪の場が設けられているのは、そのような者のための場だ。
しかし、今の愚か者たちは、我が世の春さえ謳歌できたら、後はどうなれという思いしかない。
彼らは最期を凱旋パレードで締めくくろうとする唯物論者ばかりである。
そして後で、大化の改新にちなんで、次あたりの元号をつけた○○の改新と呼ばせようとするであろう。
ただし、そのとき日本が、あるいは世界が存続しているならば、という但し書きが付く。
あるいは地獄の最下層でそのような武勇伝を論ずるもよかろう。
泣き騒女として過ごす多くの期間を除いて、戦の徒然話に花を咲かせるがよかろう。
日本が滅べば、先祖に繋がる家系の悪事露見を恐れる必要もなくなる。
だから、すでに国民を遺棄したような政策運営を採っている。
一億総玉砕という手こそ、最大かつ最勝の封印・隠蔽手段になることを、知っているのだ。
すごいシャーマニズムだ。死人に口なしを全国民に強いることができる。
むろん、世界70億総玉砕というのなら、もはや誰揶揄することもないほどに、封印し尽される。
ただし、封印はこの世の時空の中においてだけであり、魂に刻まれた栄誉ある経験は、その心の動機と包み隠しの分量によって新たな経験時空へと振り分けられる。
高徳の僧侶や神官を限りなく集めて祈祷させ、高級霊界を目指そうとするか。
平安時代にやってきた祭祀祈祷の粋を集めて、予備知識する範囲で、最大限努力するか。
黙示録の天使を気取ったネオコンたちは黙示録の天使になるか。
あるいは、秘教への参入と、位階昇進によるアヌンナキからの救いを求めるか。
最高位の神フォルチュナ神が実在して、先に進む意志を鼓舞してくれるというか。
むろん、邪神の頭目・盤古が現実の支配神として存在するから、その保証はある。
彼なら、忠実な家来に多大な恩賞をとらせて脇侍にはべらすこともしよう。
さらなる武功によっては、ガチの暗黒帝国の総統の地位も窺えよう。
そうやって、邪神たちは33階層の位階システムを作り、自分たち個々をランキンに位置付けてきたのだ。
そして、このようなハイテク文明の都市に住むことになる。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=VNJy8UCw1gM
それはまさに宇宙時代の神界である。人工太陽が輝いている。それが新アマテラスだ。
そして家畜人類をこのように処遇するであろう。食肉用に。耕作用に。資源採取用に。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=ajkLBTeNQOE
彼らに人類も生き物という思いも、同胞という思いもありはしない。
しかし、何か欠落した欠乏感が取り巻き、彼らは生気のない時間をただ刻むばかりとなる。
なぜか。それは、魂がすでに失われているからだ。それをゾンビと言う。バタリアンとも言うのかな。
この国は中国を焚き付けて戦争に持ち込みたい。
中国侵略は天津神が国津神を平定することに相当するから、神の望みであるとして旗を掲げる。
その神々はみな神名に意味を持たせただけの人工のものだから、崇拝する以前に倒錯していると言えるのだが。
それでもいい、古事記がやれと命じている。
前回は失敗したが、今回は玉砕を賭けてやれと、神官たちが祝詞を唱える。
彼らは、天津神におもねることによって、その力で救われることを実感したいのだ。
ところが、すでに調べてきたように、天津神を標榜する者はすべて偽物である。
人工の神であると同時に、神世の政変で成り上がった贋物天津神である。
そのような偽物こそが火の池に投げ込まれるというのに。
火の鳥は徹底的に長い時間かけて滅菌焼尽するというのに。
配下の人間は、少なくとも無責任と積極詐害主義推進の罪過によって、永劫ほども続く地獄で、これ以上ないというおもてなしを受けることになると保証しておこう。
そのとき、知らなかった、騙されていましたという言葉は通用しない。
あと何年経てば、逝くのかな。それほど年月は残されてはいない。
福島の放射能禍によって亡くなった無垢の民から、指折りほどの日数生きてから、地獄へ行くのだ。
私ネアンは、冥界の王オシリスの息子のホルスである。
その実体は、この宇宙の外から来ており、すべてを見届けるために、ここにいる。
この世を去れば、ただちに世界のターミネートに着手する。
ホルスの座に帰還すれば、いつもオシリスの脇侍にいることをお忘れなく。
分身の術は無限にも使い分けている。
どうあっても、逃がしはしない。
神話作りの真義がほとんど知られず、ごく一握りの先達者だけが特権としていた頃、それはたとえフィクションであっても、神界を大きく揺るがす大事となった。
特に、為政者の都合で作られた創作神話は、神界のよすがを彼らの望むように規定し、それが翻って、人界に多大な迷惑を与えたのである。
たとえば古事記神話の、理念の一年性草本的記述は、たとえ常緑樹の理想が世界共通項であったとしても、人類の遭遇する歴史の成り行きに陰を与え、必ず爆発的開花と実りの後に、枯死の滅亡へと辿らせることになる。
人間の一生も然りである。人は生まれ育ち、壮年期を迎え、円熟した成果を持つことになる。しかし、彼には老いがやってきて、最後は望みもしない死を享受せねばならない。
もし、古事記がなければ、いったいどんな展開が待っていたことだろうとさえ、思われないだろうか。
古事記は、その体裁が計算された緻密なものであり、十分に人類史を誘導できるものであった。
しかし、その成立までに、幾多の創作神話が叩き台にされた。
ホツマツタエは、その最たるものだ。
おそらく、真伝(マコトツタエ)を伝承する情報工学の粋を駆使した機関が長期間存続し、その終わりの最後に、神話創作と真伝改竄のための創作物語を作る機関が創設されたのだ。
各豪族から、言葉のたしなみのある学者が選ばれて、創作物語部(機関)に入所したことだろう。
時期的には、飛鳥時代の後期から奈良時代にかけてのことだ。
太安万侶は、その最後のアウトプットの文字化に携わった、創作物語部を締め括る代表者だったのだろう。
多の姓を、ふてぶてしい「太」に変えて臨んだ、罪深さを意識しての役目であった。
ホツマツタエの内容は、現在、NHKで放映されている韓流王室時代劇を彷彿とさせ、トンイやチャングムといった宮廷女官を取り巻く宮廷環境そのままである。
たとえ史実の部分はあったとしても、どこかに変化の動機づけが孕まされているのが、およそ時代劇というもの。
ホツマも、そのような「綾」が多々含まれるフィクション要素の強い神話となっている。
国策で生まれた創作度の強い物語である。
しかし、神話の要件である「天地の初め」が盛り込まれ、その伝承の神世由来を物語っているために、神界にノミネートされたものとなった。
嘘がまこととして機能しだしたのであった。
それが機能したことにより、悪役にされた神々はとんでもない迷惑を被ることになった。
冤罪に貶められて悲嘆の涙を飲んだ神々は、非常に多い。
つい最近まで、これらの神々は、神界においても疎外されて、辛い思いをされてきたのだ。
ネアンの新神話によって、かなり改善されているが、それでも少しブランクがあれば、元に戻りがちのトラウマになっている。
よって、根本的に改竄部分を改めるマコトツタエを書き、嘘偽り話にぶつけて訂正する。
背景になる事情と、真相を知る神は多々いても、誰もが無関係を装っている。とばっちりを受けないでおくために。
それもすべて、韓流が神話の基礎になっていたからである。
一度貶められた家系は、二度と再起できないほどに、庶民の憎しみの対象になる。
それに同情した者も同じようなことになる。それは韓流社会を見ればわかるだろう。
日本の社会も、それに近似している。冤罪が簡単に醸成され、真相がなかなか露見しない仕組みになっている。
儒教思想やキリスト思想など、一見立派な教えも、間に秘教組織が介入すれば、毒が混ぜ込まれるのだ。
韓国の歴史は、儒教思想下の特異な男尊女卑の環境にあり、それは二千年前から今日まで続いてきたものらしい。
孔子はいいことを遺したはずなのに、どこかで邪が介在し歪曲を噛まし、邪悪な使途にしてしまったのだ。
イエスのときと同じようなことになっている。
踏襲した人類の資質に問題があったのではない。秘教組織がそれぞれの場で介在して、邪悪化の実験をした、その結果が現れているのだ。そして、その結果を見て、してやったりと小躍りしているのがヤツラなのだ。
過去の王朝での政争の歴史も、韓流ドラマの筋書きとそう変わりはないのであろう。
表向きは、王権は正しいとされたが、王権にまつわる政争の内実はそうとうに汚いものであった。トンイというドラマを見てもわかるはずだ。冤罪作りは日常茶飯事。
一度、おかしな噂や受刑で失脚した者は、永久に浮かばれることはないというのが、韓流儒教社会であった。
ホツマの政争劇においても、よくぞここまで似ていると思うほどである。しかも、政変は成功してしまい、クーデター側によって巧妙な隠蔽史が作られてしまったのが、ホツマなのだ。
逆賊ヒビンの子でさえ、早生まれゆえ世者になった。
物語トンイほどの礼節すらないのが、日本神話のホツマである。
むろん、世界各国の王朝時代もそのようだったかも知れないが、隣国の韓国の場合は、その装束の点からも、日本神界宮廷モデルとして、ぴったりである。
乙姫や天女は、韓国風装束がいちばんよく似合う。そのように今でも思うのは、すでにこれらの神話が、神界に定着し、歴史の底流になっているからだ。
ホツマ・天の巻あや三 において、こんな記述がある。
>あとはいかにして日継(ひつぎ)の君を生まんとの思いがやっとかなって、日の神が誕生しました。その神の御名を幼名ウヒルギと申し、この慶事を諸民こぞって称えました。
男神アマテラスの幼名、ウヒルギ(大日霊貴、ほんとうは宇日貴)は明らかに朝鮮語である。
発音でウィルギ。ギは貴いことの意。ウィルだけで、宇日霊、空に輝く太陽神アマテラスを意味する。
後に、日嗣の御子の忌み名にヒトがつくのは、日本語化が図られてのゆえだ。
北朝鮮の金日成は、キム・ウィルソンで、日本語で言えばアマテラスに成ることを意味し、金正日はキム・ジョンウイルとなり、正しい日嗣のアマテラスという意味になる。
ところがそれ以降、日の入った者はいない。正日もきっと、満足いく後継者はいないと思ったのではないだろうか。
もし居れば、死ぬ前に息子の中から選び出し、改名儀式すらしていたことだろう。
正男は、正しい順序での嫡男の意味である。しかし、世継ぎからは外された。
正恩は、情実が彼(の母親)に対してかけられたことを示す。それもあり、また正男がひょうきん者の性格だったこともあってか、覇気がある正恩に委ねられたのだろう。
ネアンは二度も正日の夢を見たことがある。どうもそれは、正男の視座を借りて、父親を見ていたのではあるまいか。ネアンによくある他化自在天的な能力なのだ。ただし、どこに視座を置くかについては、およそノーコンなのであり、まったく偶発的に見てしまう。
そして第十三章で書いたように、昨年の出雲大社の遷宮の翌日未明には、アメノホヒの視座を借りたかのような夢を見た。
それは、いずれ必要があって、見せられているのだと、後でわかるのである。
どうもそのおかしな能力は、新神話によって起動しているようだ。第二章で、洋一が神の目に組み込まれて神世を見聞するという筋書きを描いているのだが、どうもそれがきっかけらしい。
ネアンは自分がアメノホヒの雛形であることを知ってから、正男の境遇がなんとなく理解できて、どこかホヒそっくりだなと思うのである。
いま正男は中国にかくまわれているが、ホヒも神界の葦原の中つ国にいて、大国主命にかくまわれている。
そして、2013年の出雲大社式年遷宮の翌朝未明の夢に、どうやらホヒの視座に宿って、ネアンは神界の出雲大社を見て、大国主命と、奥様の奥津嶋姫に出会ってきているのである。
そして、日本は今や、天津神(アメリカ)側の一角に就いて、中つ国・中国を平定しようと、手ぐすね引いて機会を待っている。
ホヒは、正男は、どうなるんじゃろう。
古事記・天降の段において、ホヒの名はすでにない。
いや、とんでもなくも、旧神話が相似的に歴史に掛かる時代局面を迎えようとしていて、そらおそろしい限りである。
さて、古代大和を創った渡来人たちは朝鮮半島に長くとどまり、三韓を経由して日本列島にやってきたことは史実である。
その過程において、韓流時代劇的な粘着性にどっぷりと浸かっているはずだ。
だからこそ、神話創生過程に韓流が介在する意味は大きく、そのゆえに、たとえ筋書きに史実から乖離した改竄があったとしても、人物の系譜(この場合は神々の系譜)、家系の記述には厳密性が発揮されているはずなのだ。
朝鮮王朝の文書保管と史実記載の精密さはピカイチなのである伝統がある。
それが純日本製の記紀の神々の系譜とは、大きく異なるものとなっている原因だ。
系譜はホツマに信頼性がある。
そこまで、朝鮮の官僚は史実の正確さを求めていたからであり、日本ですべて政策的にリメークされ成立した記紀とは異なっていて当然なのである。
記紀、特に古事記は、その精緻な体裁のゆえに、知識存続という明確な使途を持っており、カバラの伝承部分にこだわったのだ。
対外的に誇れるものにするとともに、直接的に規範パターンを刻み込むことに使われた。
そのお蔭で、古代に刻み込まれた歴史展開のパターンを、今の人類は、たとえ科学が発達したといえども、凌ぐことができないでいる。古事記の預言を一歩も超えられていない。
(2015年に話題になったディズニー映画「トゥモローラン
ド」の中にも、地球への洗脳電波によって地球人類滅亡がカウントダウンさせられているという話が出てくる。ディズニーは秘教組織員であるという噂であり、人類がコントロールされている真相を知っているのである)
人々は端から認めない異次元の作用には到底敵うはずもない。
現代人は、目をくらまされて、目の前の武器が見えずに進む歩兵のようなものだ。
ホツマはホツマで、その筋書きが史実を覆い隠し、隠蔽糊塗するものゆえに、それなりに功を奏して、隠蔽糊塗は真伝の神々にまで影響力として及んでいるのである。
祭祀を使った封印、それに加え幾何学結界呪詛、そして古代からかけられた神話による呪縛という、少なくとも三種類の犯罪的呪詛行為によって、正しい神々は苦難させられている。その悪しき理念の垂迹により、人類もまた苦難している。
いっぽう、現代は、そのような呪詛などといったこと、それ自体を隠蔽してしまった。
科学万能がそれにとどめを刺した。
しかし、形而上世界を無視したそのような地上には、煙しか立たない。
すべて包み隠すもののない状態でなくては、新世界と言えるものではない。
いま、新世界を迎えるか、旧世界をぶり返すのかが、すべての関係者に対して問われているのである。
旧世界は黄泉の国。滅びに至る時間を刻んでいる。
邪悪な者たちによって、神話はあるべき姿から乖離させられ、真実からはほど遠く改竄されてしまった。
それが神話として確立するなら、神々はその通りの神楽を舞わねばならない。下界で制作される映画とは訳が違う。
下界では悪役も俳優はこなす必要ありとして、庶民は予め知っているが、神界の庶民(八百万の神々)や、悪役をさせられている神々に、そのような演技をしているという思いはない。
真剣に庶民や有情を思い遣ってきた神々にとっては、茶番につき合わされること自体が迷惑なことになっている。根が真面目なだけに。
しかし、圧政者によってそうルール付けされているなら、従わねばならなくもなる。
神話によって冤罪を受け、その怨みによってとことんの地獄境まで追い込まれた神々にしてみれば、二重の矛盾と不条理によって、縛られねばならないことになる。
それが韓流という、表面的に正義を気取った、内面邪悪な者たちの強欲ぶりを隠蔽する史実改竄の場となってしまっていては、犠牲にされた神々の無念の思いたるや、どれほどのものになるか察しがつくはずだ。
しかも、このような神々ほど、善良であり正義を旨として、庶民の隅々にまで心配りしていた方々なのだ。
それが、露骨な不正義(暴力と冤罪付加と贋のシナリオ付与)の犠牲にされたとなれば、死ぬにも死に切れるものではない。
いっぽう、庶民は、神話こそ真実を語る土台として信じてきた。
あるいは、今ではお伽噺とおおかたは見ているため、とにかく古今、両極端である。
真実は別のところにありである。それこそ、追及能力ある者でなければ、見出せなくなっている。
すべて、邪神の企みの息がかかった改竄、隠蔽、封印という、三大犯罪行為に手を染めた者が古代の為政者階層に多々いたことによるのだ。
ホツマは、系譜に関わる叙述は正確を期している。
その中に、このような箇所がある。
天の巻あや四
>二十一鈴(フソヒスズ)、百二十五枝(モモフソイエダ)、年キシエ、初日がほのぼのと出ずる時に、丸い玉子の御形(みかたち・袋子)でお誕生になられた天子(みこ)のお姿を、皆一様に不思議でいぶかしく思いました。
>「トヨケ(豊受)の神の教えにあります。害を及ぼすハタレ(悪魔)の一派イソラの障害から君を守ろうと身を固めて祈祷したので、生まれ出た時自然に玉子に守られていたのは幸運の記しです」
アマテラスは普通の赤子の形で生まれたのではなく、玉子の形であったという。
これはまさに、かの白球UFO(ネアンが「星の子」と名付けた理由)なのである。
むろん、ネアンがホツマのことなど、いっさい知らなかった時に、そう呼んでいたものだ。
→ 星の子 → 眉間に飛び込んできた白球UFO
この物語は、ネアンに実際にあった経験が元になっている。しかもその瞬間、太陽を直視したときのような、まぶしい放射状の光線束に浴することになった。それはまさに、太陽の子と言うべきUFOであったのだ。(白馬童子ではないぞ)
その後、それが数多く目撃され、撮影されるようにもなっている。彼にとっては、まぎれもなく実在する謎のものなのだ。
その体験のときには、星の子の侵入を拒否した格好になったが、その後、ラーマクリシュナ自伝などを読むうち、聖者さえも待望していたことだったと知り、あの経験に対して胸襟を開くようになってからは、ネアンの中に太陽神の萌芽が生じたようである。
彼はいま、ルシファーに続き、アメノホヒ、さらにはホルスへと、自己確立を果たしている。
いずれも、太陽の座を約束されながら、他神によって取って代わられているという共通性を持つ神々である。
アメノホヒである彼には、そのような座よりも、まず最優先的にやることがある。それは、母・持子の冤罪晴らしと苦境からの救出である。
そもそも、今回のプロジェクトは、お家騒動の結果、廃絶された家系の復権がかかっている。
持子がそうなら、早子ももちろん冤罪である。その子、奥津嶋姫、市寸嶋姫、たぎつ姫が、化身を下して、ネアン・ホヒに協力してくるのは、そういうわけなのだ。
そこに三千世界の統治者・梵天が、あまりの理不尽さに、この世界の禀質さえ問題視しながら協力するという経過になっている。
それというのも、梵天の奥様が弁財天であり、奥津嶋姫たち三貴神と同体であるからである。このように神々は、縁というネットワークで結ばれている。
邪神どもは、とんでもない神々を封印したものである。
正しい神々には、必ずもっと大きな存在の繋がりがあるものなのだ。
後から後悔のほぞをいくら噛んでもどうにもならん、ということになるだろう。
お
そらくこの世界はその禀質ゆえに廃絶になる。たとえそれが、インベーダーによって改竄された結果であるとしても、土台が脆弱だったから、このようになったとも言える。これからの世界は、とても辛いことながら、邪悪への備えをせねばならなくなる。むろんその前に、完全なクリーニングが果たされることになるが。
神世の物語なのに、韓流王室のお家騒動によって修辞改竄されたフィクション神話がホツマであった。であるが、その中に泳がされる神々にとっては、切実なる真実。
ちょうど我々が、人生はバーチャルリアリティだといくら教育されても、現場に立たされれば、目の前の対処を優先せざるをえないようなものである。
ふざけているのは、神話である。それがわかっていても、彼らの未来まで規定しているシナリオである限り、そのとおり神楽舞を演ずることが義務付けられる。
怒り、憎しみといった精神作用すらも、すべてシナリオ付けされているなら、逃れようもないではないか。
そのシステム自体、邪仙の謀った邪悪なものなので、新時代にはすべてクリアーされ、神々は晴れて自由の身になり、さらに梵の全系に復帰してからは、仙人であった頃の元の姿に戻ることになる。その非常に広大な世界のことをプレローマと言い、三千世界の至聖所となっている。
トランプカードの種類は4種類、それぞれ1から13までの13枚のカードがあり、全52枚であるときに、余分に2枚のジョーカーカードがあるだろう。
そのうちの1枚は、死神であり、真の邪悪を生業とする役柄。
またもう1枚は、自らの不幸をたえず嘆き涙することを、滑稽さを以て体現するピエロを演ずる役柄である。
この二種類のジョーカーは、加害者とその対極にある被害者を示すものである。
世界は底辺から王侯貴族までの位階にある庶民と、二種類のジョーカーによって、演じられている。
そのように設計者が設計した。
設計者とは、あのハンマーである。
ハンマーの片時も縮小を望まない性格によって、世界は思わぬ軋轢を抱えてしまった。
その経緯はすでにしてきたことである。
中でも過酷を極めたのは、ピエロ・ジョーカーだ。
彼らは、怨みを抱える限り、永遠の煉獄を味わうことになった。
その存在の精神的エネルギーが、世界存続と拡大のために、最も効果を発揮しているのだ。
だから、これら犠牲者のことは、顧みられたことがない。
封印され、そのままに放置されている。
そのような中に、ネアン・ホヒの母持子もいる。従兄弟三姉妹の母早子もいる。みんなの父もいて、それぞれ無念の涙にくれている。
だから、ネアンにしてみれば、この世界を壊してでも、父母を救出せねばならないのだ。
それとともに、従兄弟たちの幸せも叶えねばならない。
三姉妹は、みんな辺境や孤島にあって、世間に顔向けできないでいる。
ホヒは蟄居の身で、自らの興趣の中でただ漫然と敵方に気取られずに生きる大石内蔵助のような状態でいる。
もしそうなら、お家再興を目指すか、仇討をみごと果たして、世間に名誉回復を示すことだろう。
ネアン・ホヒもそのような心になっている。
ネアン・ホルスもそうだ。それを実現し、民に対する真の統治を模範として示すこと。それが願いである。
ネアン・ルシファーもそうだ。悪魔にまで貶められて、何も異議を挟むこともできない彫像に閉じ込められ、日々邪悪な儀式に関わらされている状態から、蹴り破って出て、庶民をあまねく照らし、幸福にしたい。
移情閣三階に幽閉されたルシファーは、2000年になって脱出の糸口を見出した。
彼の妻である月神ディアナが、合鍵を携えて救出にやってきたからだ。
その雛形を、ネアンとイナンナが務めた。
その結果、火の鳥が生まれ、発進した。
火の鳥は、封ずるもののすべてを焼尽するための摂理である。
封ずるものが仮想現実世界なら、それを創ってやまない根源までも焼尽する。
邪悪なるものをすべて丸抱えして、灼熱のマグマに飛び込み、その思い次第で、蘇り、またそのまま灰になり消滅することも可能とする摂理である。
ネアン・火の鳥は、喜び多ければ蘇り、悲しみ多ければ不帰還となる。
マグマに飛び込むそのときの心境しだいである。
その日、二種類のジョーカーは、どこにもいなくなる。
1から13の4種類のカードも、なくなっていることだろう。
遊び好きな設計者の手持ちのトランプカードは没収され、火にくべられ無に帰するのだ。
ネアン・ホヒはこう思う。
永らく裏切り者の冤罪にかけられ、苦難を舐めた父母たちには、ぜひプレローマに帰還して、真の憩いの境地を味わっていただきたい、と。
キリスト伝承を満ずるため、十二使徒の中から裏切り者役を創り出さねばならなかったように、持子早子の冤罪は作られた。
どうしても、そのような神話の形造りが必要とされたとヤツラは言うだろう。
当時のキリスト崇拝の為政者たちによって。そこに秘教が入れ知恵した。
犠牲者を創り出せと。
クーデターを間近で如実に見て、側近たちの策謀のむごさを知った直接の者は持子早子だった。
彼らは捕えられ、殺されはしなかったが、クーデター首謀者として、でっちあげられた。
どのように釈明しようとも、また誰がむごいことをしたか論じようとも、捕えられた者の言葉は、庶民に届かなかった。
こうして、刑は確定し、その旨庶民にはプロパガンダされ、遠投になったとはいえ、その警護の手薄さをついて刺客が襲った。
事の仔細を娘の三姉妹は知るが、聞かなかったふりをして逃れ、また刺客を放った側も、三姉妹が梵天ゆかりの者と知るゆえ、手出しを避け、母親だけを付けねらったのだ。
こうして、二人の母は、放浪の逃避行に入り、ついに非業の最期を遂げることになった。
しかし、すさまじい怨念は残り、天変地異をたびたび起こして、庶民に迷惑をかけることになった。
スサノヲは、彼女らの心情を汲み、なだめたり、場合によっては暴力にも及んだ。
スサノヲも、側近諸衆と同じように、自己保存を優先する日和見主義者になっていた。
しかし、新神話は、彼の正義感を神話の力によって、取り戻させた。
今では、梵天の側につき、大事な神業の一翼を担っている。
ネアン・ホヒは思う。
もういい加減にしろ、と。
このような世界を規定するソフトを作った者にこそ責任があると。
ネアンは、梵天に、この世界をどうするかについて、現場を見てきた者の立場から、要望を出す。
廃絶してください、と。
ネアンが創造主として、独自の世界を営むなら、目の前にある面汚しの世界を廃絶し無にすることを選ぶ。
ネアンに宿る梵天が、あとはどうなさるか。
廃絶後の世界は、プレローマが広がるばかりだ。
そこから、なにゆえかやってきて、囚われてしまった。
ならば、解放して、元に帰ろう。
イスカリオテのユダは、イエスに指示されて裏切り者を演じたという。
ユダの福音書
http://www.youtube.com/watch?v=KTO3zHGIDCY
ユダよ、あなたはイエスに騙されたのか?
それとも、イエスは本当のことを言ったのか。
あなたは、イエスによらずとも、プレローマの至聖所に至ることができる。
それが、この世がした約束だからだ。
もう、幻影に惑わされる必要はない。
同様に、父母よ、そして苦難に遭ってきた従兄弟たちよ。
あなたがたが、指示されてそうしたか、そうでなかったかを問わず、
プレローマへの帰還は、はっきりと保証されている。
これが、熟達者ピエロの全編成就である。
しかし、その前に、カンナオビよ。このネアンと、最後の逢瀬として、小さな宇宙を共に営んでもらえないだろうか。
無理は言わんが。
すでに5月3日未明の夢で見たように、乙姫の玉による封印解除と共に、事の経緯が明かし示されることが大事であるとわかってから、5月13日未明には、道教寺院のようなところで、芦屋道満らしき宮司に、秘密の扉を開けるかのような木鍵を二枚渡され、奥まったところにある壁の鍵穴らしき箇所に刺していったのだった。
さあ、それはこの一連の流れからもわかるように、事の経緯を記した真伝(マコトツタエ)を隠し置いた場所の扉を開く、ということが想定されるわけである。
なぜそこに芦屋道満が関わるのか。
それは、すでにここで推理して書いているように、芦屋道満が真神話の原本あるいは、第二の聖書の原本を手に入れて(あるいは奪い取って)、時の為政者の隠滅工作から隔離したとみられるからである。
この秘伝書は、現在でも秘教組織がその行方を追っていることが、ネアンがたまたま偶然、立ち入った秘教会員宅が、カタカムナの地になにゆえかあったことから、推測できたのである。
道満は、真伝の真の在り処を隠すために、意味深な暗号でなるカタカムナ文書を、カモフラージュとして置いたようだ。
現代に至り、秘教会員の楢崎皐月が、上位から指示されて、このカタカムナの石版を平十字から一部入手したのだが、怪しんだ平十字は、残りの石版を知人の助けを借りて、他の場所に移転した。その中に真伝があったかどうかなのである。
おそらく道満はぬかりなく、さらに別の場所に保管。囮の文書だけがカタカムナとして脚光を浴びているというふうかと思われる。
道満は、ネアンがこの件を地上世界に明らかにすることを、どういうルートによってか知り、彼に秘密の場所に立ち入らせたのだと推測される。
よって、この夢の展開の先には、ネアンにしっかりと真伝が渡っているという、顕在意識では記憶されない筋書きがあると。
神界あるいは夢見の世界で起きることは、地上界の時間展開によらず、すでに定まっていることなので、おそらく2010年に作っていた記事「マコトツタエ」が、政変の真相を描き切った真伝として新神話に登録し、上奏できるかと思われる。
そのときは、いささか激情が助力して、逆賊側に対して辛辣な筋書きのあてふりをしているが、逆賊側の悪質極まる真相の隠蔽と、国祖神側への汚辱糊塗に対する反動としては、これぐらいでもよかろうというものである。
そのときの記事を次に。
ホツマの話をご存じない方は、こちらを参考になさってください。
http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya06.html
それは「あや」と題していることから、「綾」(言葉の綾)「あやかし」(妖)「あやし」(怪)「あやまち」(過誤)であることを初めから認めているわけで、これがホツマ作者の本音です。
本居宣長も、あや=マガ(禍)「歪曲」を意味する言葉としています。
では、内容はどうか。すでに前記事で見てきたように、勝者である為政者側にとって都合のいい改竄を目的とした創作物語ですから、筋書きにおいてはやりたい放題です。
が、神々の系譜には正確を期しています。
というのも、ホツマの時代背景は、韓流王朝時代劇さながら。渡来人が三韓の出ということと共に、史書は系譜の記載において正確無比なのが韓流官僚の務めであったでしょうから。
また、マコトの上に効果ある神話は創作されるわけです。
たとえば、アメノホヒが持子の子であり、弁天三姉妹(奥津嶋姫以下)が早子の子であるところなど、古事記では大雑把に、アメノホヒがアマテラスの子、三姉妹がスサノヲの子となっているといったところとは、大きな隔たりがあります。
つまり、ホツマは古伝承のマコトを元にフェイク創作したものであり、古事記はホツマをマコト扱いして、さらにフェイク創作しているのです。
そのホツマも、渡来系の高度知識を詰め込むのに無理が嵩じ、トランクが小さくて中身がはみ出してしまうようなことをしています。
そこでウソとホンネが識別されてしまったという次第。(むろん、ウソとわからせようとしていたかも知れませんが、後世の研究者が気が付かなかっただけなのです)
では、実伝はどうだったか。以下に掲げるのは、秀真(マコトより秀でたフェイク作品)を駆逐するネアンの手になる真伝(マコトツタエ)です。
では、真伝をどうぞ。
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日月は巡り時は移ろい、日の神アマテラスの御世は事もなく、神のご威光は国のすみずみにまで照りとおり、人々の暮らしは日のお陰(光)を受けてますます豊かに平和が長く続きました。
そ
のようなときに、出雲の国で役人が賄賂をとって特別な民の便宜を図り、幾多の民が窮状を訴えていることを耳にしたトヨケ神は、急ぎ丹後のマナイ原に出向き、そこを根拠にして事件の取調べをすることとなり、詮議の上、この役人に公務員罰則を適用し長期受牢を、贈賄側には公の仕事の永久停止を申し渡し、被害にあった民には納得のいく便宜が図られたのです。
びっくりしたのは、ヒタカミに残る悪徳官僚たちでした。出雲の不祥事が発端で、どんな密告で自分たちの悪事がばれるか知れないからです。
事が急を要するとみたこれら悪徳の者たちは、戦々恐々となったことは言うまでもありません。
ところがこのとき、悪徳の彼らでも思いつかなかったことを薦める者がいました。どこから流れてきたか、外国から来たというその男は不思議な術で占いをし、みごとに的中させることで話題になっていました。その男が宮廷のセオリツヒメの耳に入り、請われて占っていたのです。
セオリツヒメと内通していた悪徳官僚は、この男の占いを薦められたので信用して、秘密を厳守するというその男に、自分のしでかした収賄を話しました。
すると流れ者の男は、セオリツヒメに向き直って「ほら姫様。願ったり叶ったりとなったではございませんか」と言い出しました。
「えっ?」
「罪
を犯したというあなたは、厳しい詮議の末、いずれ投獄。そのような方があまたおいでというなら、ほら、毒を食らわばなんとやら、みなさんで力を合わせて、いちかばちかの賭けをなさったらいかがでしょう。あなたは投獄、家門は断絶となら、やってみてもいい賭けではございませんか」
「ということは・・・」
「はい。お気づきのとおりでございます。
こ
れも何かの縁でございます。幸い、私はここに商売をしにきておりますが、実を言いますと、向こうでは一団の精兵を擁しており、今も数名が私の世界遊行を守ってくれておりまして、彼らはいずれ一騎当千のつわもの。呼び寄せて、あなた様方のために働かせることには、何の異存もありません」
「おお、そんな国が外にあろうとは」
「ははは、ここよりはいくらか進んでおりますでしょうか。しかし、何の勢力拡大の意図もございませんので、事が成った暁には、安泰になさられたらよろしいでしょう。その後も、たくさんの策をお授けいたしますぞ。何なら顧問になりましょう」
心悸高揚してガクガクするのを抑えながら、悪徳官僚は大胆不敵で自信たっぷりの男の顔を凝視しながら、臆してはなるまいと言い放ちました。
「うーん。そちの話は、わ、わかった。ここは、またということにしよう」
悪徳官僚は後ろを何度も振り返りつつ、足早にセオリツヒメの局を退出していきました。
「そんな恐れ多いことを」
「あなた様も、今のお方と(ニャッ)。このままで済むとお思いですか?」
「・・・わかった。このことは内密じゃぞ」
「ははー」
この頃、丹後ではトヨケ神が法整備を急ぎ、次々と罰則規定を設けていました。この神界から諸悪の種を根絶しようとの確固とした決意からでした。
なぜなら、お上が暗愚では、理念の垂迹によって、下々の世界にも暗愚が及ぶからで、この場が清潔に保たれることが、世界の幸福につながるとの尊い思いからでした。
さて、セオリツヒメは何を占わせていたのでしょう。
それは、自らに男子が三人もできていながら、北局の持子にひとりの男子あるだけで、皇位継承が規定どおりなら、その子(アメノホヒ)に渡ってしまうからで、自家に皇位が巡ってくるチャンスがあるものかどうかを占わせていたのです。
流れ者の男は、悪徳官僚が来る前に、「それは叶います」と自信たっぷりに告げていました。
官
僚が去った後、心細げにポツリと、「かなりの重罪になろうな」と問いますと、男は「トヨケ様の裁判にかかればそうでございましょう。が、そのような罪はつい昨来、作られたものでございます。私どもの国には昔から、”許し”という我らの神のお作りになった制度がございまして、どんな罪も神の代理人の前で告白さえすれば、許されることになっているのです」と、微笑みながら答えました。
「おおー、それはすばらしいが、ほんとうのことなのか? 先ほどの者にも聞かせたいような話だが」
「はい」
セオリツヒメから流れ者の男に知らせが入ったのは、七日の後でした。顧問として南の局に急ぎ参らせたまえと。
このようなことが水面下で謀られていようとは、まったく知らないアマテラス男神でした。むろん北局も日々安泰でしたから、知る由もありません。ただ、何か
身辺を嗅ぎ回る影のような存在がたまに警備から報告される程度でした。
「時はいま 桜ちりそむ マナイ原」
ついにセオリツヒメから、事始めが宣言されたのです。
それまでに謀議に加わっていた悪徳官僚の半数は、事後処理の段取りをすべく、トヨケ神を補佐するためと称して勝手に丹後にやって来て、政務室の側近の列に加わっておりました。
かの男と精兵も、マナイ原の宮廷に、悪徳官僚に導かれて別室に待機。
ト
ヨケ神自身、身を慎まれたので、仮作りの宮のままで、さほど凝った設備はありません。政務をとるやや大きめの部屋と、文書類が保管されている執務事務室がわりあい大きくとられている以外は、トヨケ神と奥様の寝室、台所、二つばかりの多用途の別室、そして衣類を作り整えるための機織場、そして側近なども利用する大き目の従業員宿舎といった内容です。
事が起きたのは政務室でした。突然、爆発が起き、部屋の中は煙が充満しました。居並んでいた側近たちは、知る者は別として、いきなりのことに逃げ惑うばかり。
驚いて椅子を立ったトヨケ神は、部屋の中央の煙の少ない場所にきたとき、側近数名に周りを取り囲まれました。ヒタカミの悪徳官僚たちです。
「何が起きたのだ?」
側
近たちは、剣を手にしているものの、震えながら「わ、わかりません」としか答えられません。その様子を見ていて業を煮やした流れ者の男は、「やれ」と一言、精兵に。ひと回り以上大きいひとりが、トヨケ神の背後から、羽交い絞めにし、別のひとりが、見たこともない進んだ国の剣をかざして、トヨケ神を前面から斬りつけました。
「うぐっ」
羽交い絞めしていた精兵の両腕が吹き飛ぶほどの威力で、トヨケ神は真っ二つにされておりました。
しかし、トヨケ神の魂は強靭で、なかなか絶命にはいたりません。これには流れ者もあっけにとられています。が、こんなときのために準備していた手順を踏みました。
三人目の精兵に、「行け」と命じますと、ただちに宮廷の外に。
そして、悪徳側近たちに「あなた方も一刺しを」と促しますと、事前の約束があったのでしょう、みな震えながら、「ああ」「はい」と応じました。
トヨケ神はみなの行為をひとつひとつ見て言います。
「アササ神よ、お前もか」「イナシ神よ、お前も」・・・。
全員が震えながらも一刺しし終えると、やがて入ってきたのは、ひとりの僧侶でした。
流れ者は精兵に、トヨケ神の身体を一寸刻みにさせてバラバラにさせました。
僧
侶は精兵に指示して、「それを」と言いますと、精兵はトヨケ神の陽具を掴んで僧侶の用意した箱に入れました。僧侶はそれを布に包むと、「刻んだ断片は、どこそこへ運ぶ。私はこれだけを別の場所に運ぶ」と言って、その場で幾何学的な魔方陣を描き、一時間ばかり祈祷を続けました。
さて、宮廷にいたマコトの側近や下女や警備兵たちはどうしていたのでしょう。
部屋にいた警務大臣などは精兵に捕らえられて、悪徳側近の私兵に引き渡されてしまいました。政務室に居並んでいた悪徳の者以外は、みなそのようでした。
外
にいた補佐官たちが異変に気づき、警務大臣補佐官が機転を利かして、手順に則って宮廷内にいた神々を誘導して、彼しか知らない秘密通路から外に逃がし、他の補佐官たちは下の者を使って、重要書類の運び出しに専念。その間にも、精兵と悪徳側近の私兵によって、警備兵との戦闘が。しかし、手薄な警備兵の数ゆえ、すぐに尽きてしまい、逃げ遅れた神々の虐殺が行われてしまいました。
殺された機織女の数が最も多く、もみ消そうとしても消えない噂としていつまでも残りました。
さて、逃げ延びた機織女の中に、早子姫の子女の奥津嶋姫と市寸嶋姫がおりました。なぜこのような下女の中に?
それはトヨケ神の教育制度として、王室の神々の子女には、手習いとして、庶民の苦労がわかるようにと、下女とまじっての機織をさせていたからで、このときトヨケ神はお孫さんたちをマナイ原に呼び寄せていたのです。
それが、このような事態になろうとは。
「次は、アマテラスさまをここに呼ぶことですな」
「そうしますか」
悪徳側近の官房大臣は、すでにトヨケ神が書き残されていた遺勅に添えて、マナイ原でトヨケ神が病床に伏しているので、直ちに来られるようとの文をつけて、ヒタカミに送りました。
それをご覧じたアマテラスは、急ぎヒタカミを出発。マナイ原の宮廷に入られたところで、捕らえられてしまいました。
その後、ヒタカミには何の異変も知らされていません。ただ、アマテラスはマナイに留まり、しばらくこちらでトヨケ神の代理で執務に当たるとの旨知らされただけでした。ヒタカミでは誰も何も疑いません。平和の日々を謳歌しています。
むろん、セオリツヒメは事変を知っています。すでにトヨケ神とアマテラス神の意向の届かぬ領域に入っていることも。
後は持子一族をどうにかして、正嫡のアメノホヒを追い落としておいて、東と西の局に因果を言い含めればいいだけです。
問題は、早子の子らが行方知れずになったことです。懸命の捜査にもかかわらず、ようとして知れません。いや、流れ者の精兵の捕捉にはかかっておりました。ただし、泳がされていたのです。
奥津嶋姫たちは、何とかしてヒタカミに知らせたく思いましたが、表に出ることもできず、直ちに警務補佐官の指示する合流の場に向かうにも向かえずにおりました。
流れ者は言いました。
「捕捉はついております。我々も踏み込めぬようなところに隠れておるようでして。がしかし、なんとしても政変のことを知らせたいようですから、ほんの少し耳寄りな情報を流すだけで、出てまいりましょう。そうですな。この辺で持子早子と子供らを落ち合わせることにしましょう。そこで彼らがどう出るかですが、すでに仕掛けにはまったも同然です」
「では、アマテラスを補佐するように送り出せばいいのですね」
「はい」
セオリツヒメは、アマテラスから文が来て、早急に北局の持子らに来てもらい、身の回りの世話をしてほしい、あとの留守は他の局で守ってほしいとのことを、北局に伝えてきました。
こうした場合は、北の政所のやるべき役割でしたから、何の疑いもなく、支度を整えると、お供数人とともに、その日のうちに出立したのでした。
こうして、持子早子一行が近江にさしかかるとき、奥津嶋姫姉妹は何の障害もなく密会を果たせたのでした。
何がマナイで起きたか、知る限りのことを伯母と母に話しました。
持
子と早子は政変の起きたことを知り、それがもとでトヨケ神が病床に伏すというのもわからないでもなく、かといって後に行ったアマテラスの音信も平穏とすれば、政変は無事収まったのか、それとも別の展開になっているのか、まったく掴めないため、アマテラスの弟のスサノヲに調べてもらうべく、文を出しました。
我らとともにマナイの兄様を慰問してくれないかと。
ス
サノヲは昔から豪気で根が単純なことがわかっていましたから、逆賊側に加担しているとも思えず、また頼みごとはいつも快く引き受けてくれることから、頼もしくもあり、何か異変があらば教えてくれるだろうとの思いでした。それに加えて、何かあらば、アマテラスに殉ずる覚悟もすでに固めていました。
危急の頼みにスサノヲは動きました。ほかならぬ姉者のために、豪速を以てして老の坂で追いつき合流を果たし、マナイに入廷する目前まで来ました。
その間、いろいろと話を交わしました。
「政変が起きたと?」
「私の子がそれを目撃しているのです」
「冗談とは思えなかったから、手勢を五百ばかりこちらに向かわせている。一日遅れで到着することだろう。だが、もし何もなかったなら、どうやって事を収めるつもりだ」
「そのときは、私が娘に代わって罪をかぶります」
「私もです」
「何をおっしゃいます、お姉さま。あなたは正嫡男ホヒ様を支えねばなりません。もとは私の娘のしでかしたことゆえ、すべて私の側の咎として咎めを受けますから」
「まあいい。まずわしがひとりで乗り込んで、無事を確かめることにしよう。なに、わしひとりで十分、一騎当千の働きができるでな。もし何かあっても、切り抜けて来るわ」
こうして、スサノヲ神が単身で宮廷に乗り込んだのでした。
「なに?兄者は業務多忙で会えないと?」
「そのとおりです」
「何かわしに顔合わせできぬ事情でもあるのではなかろうな」
「そんなことはありませぬ」
「トヨケの祖父はどこに入院されてるのだ。お見舞いしたいのだが」
「あいにく、集中治療中で、面会できません」
「とにかく、どこの病院だ」
「・・・」
そこに様子を見ていた官房大臣がやってきました。
「スサノヲ殿、いつもながらの粗暴な物言いに、みなは閉口しております。
庶務大臣補佐官の申しますように、いまはお二方ともお会いになれません。
そもそも、どうしてあなたがここにおいでなのですか。
我々は奥様がたの到着だけと聞いておりますのに」
「そ、それはだな、わしはただいきなり思い立って、兄者たちを慰問したいと思っただけだ。
いつもたいへんらしいからな。わしなど、手伝いもできんが、ほら、応援ぐらいはして差し上げられようと思ってのことだ」
「とにかく、お会いできる時間が取れるまで、どこかで待機していただけませんか」
「そうか。わかった。今日は引き上げることにしよう。ここにわしの片腕をひとり置いておくから、面会可能となら、伝えてくれ。わしにすぐ伝わるのでな」
「わかりました」
その頃、スサノヲ神の五百の兵卒が持子姉妹の逗留する近くに至っておりました。
その手勢の数は、おのずと目立ち、街道の民衆の目にも留まります。
そこに妙な噂が。
戦さが始まりそうだと。
それを言うなら、悪徳側近の兵卒のほうがすでに何派にも分けて通っていましたから、同じことは言えるわけで、むろんあらぬ噂を流しているのは悪徳側近というわけでした。いくらでも間者を沿道に忍ばせてありましたから。
「だめだ。どちらにも会わせてくれん。側近が壁を作っているとしか思えんから、やはり何かがあったと思ったほうがいいかも知れんな。それにしても、庶務補佐官というやつは新顔だった。腑に落ちんが、どうにもならん」
「私たちは、もし捕らえられたとしても、入廷しますよ。いざとなれば、殉死する覚悟はできていますから」
「姉者。それはまずいぞ。我々の正当性を伝える者がいなくなってしまう。姉者の娘はどこに行ったのだ」
「頼
りはあの子達ですが、元の抜け道に戻らねばならないと言って、近江で別れました。まだ未成年ゆえ、巻き込むわけにはいかず、別行動を許しました。それに、あなたが入廷している間に、実家のほうにその辺のことを文に書いて送りました。何かあれば、事変を察してくれるでしょう」
「いよいよもしものときには大事になるな。何もなかったとしても、一族あげての恥さらしになってしまうだろう。まあそのときは、またわしがしでかしたことにでもしてもらえばいいのだが」
翌朝、持子早子は供の者三人を連れて道案内を先頭にして至り、宮廷の前に立ちました。
持子早子の到着と聞いて、門を開ける門衛。すると中から官房大臣が姿を現します。
「これは奥様。遠路よくお越しくださいました」
「天皇はいかがされていますか。それからお祖父様のご容態は」
「は
は、トヨケさまは思いのほか重体で、まず面会はかないません。天皇様も昨日から行幸で、しばらくお帰りになれません。どうしてもっと早くお越しくださらなかったのですか。一昨日なら、おられたのですが。ヒタカミからなら、三日前には到着できますでしょうに。なぜでございますか」
「それは女の旅ゆえ、好不調もあろう。途中で休み休み来たのじゃ」
「ははっ、そうでしたか。天皇はあなた様に嫌われでもしたかなとおっしゃってましたぞ。仲良くしてください」
「そのようなことは決してありませぬ」
「ならばよろしいのですが。ところで、スサノヲさまが昨日いきなり来られまして」
「え、そうなのですか」
「しかもたいへんなことに、軍勢を連れてのお越しだったようで、地域民がみな戦さが起きるのではないかと騒いでおりまして。何も起きなければよいのですが」
「そ、うなのですか」
「奥様は、スサノヲさまに会っておられたということはないのですか」
「・・・」
「どうなさいましたか」
「うむ。会いました。それがいけませんか」
「いや、なにもありません」
こうして持子早子は従業員宿舎に案内され、ここが逗留場所と指定を受けました。
ヒタカミの北局と比べると、なんとも貧相なこと。しかも、賄いがつかず自炊するしかないといいます。
「トヨケさまの倹約励行のご方針により、このようになっておりまして。ご子女さまもここで逗留されていたのです」
「そうなのですか。ならば仕方ないですね」
宿舎には、夜陰にまぎれてスサノヲがやってきました。
「私たちも会わせてはもらえませんでした。祖父は重体で面会不可能。天皇は行幸中とのことで、いつになるのかも定かでないという話です。私らは、派遣された以上、ここに留まらねばなりません。あなたは、もうお帰りなさい。挙兵の噂が立っているようです」
「挙兵? ばかな。わしにはそんな理由がない。ええい、明日もういちど入廷して、しっかりとした面会日を約束させてくる。むろん単身で行くから、挙兵などという嫌疑も晴れるだろう。こういうときは、退くとかえってよくない。まっすぐこそがいいのだ」
「あなたらしいこと。ほほほ」
「おおっ、わかってもらえたようだな。こんなことは初めてなので、わしはうれしいぞ。姉者だけじゃ、話のわかるのは」
「もしかすると、政変ですでにトヨケさまも天皇もなくなられているようなことは」
「あの様子ではな」
「でも、もし天皇が亡くなられていたとすれば、皇位を継ぐのはあなたになるのですよ。ホヒはまだ若すぎて教育が足りていないので」
「ばかを言ってくれるなよ。そこまで言ったらお世辞になってしまう。わしが天皇? 無能すぎて天下がひっくり返ってしまうぞ。はっはっは。第一、わしは勉強というものが大嫌いなんじゃ。そんなことは秀才に任せればいいのさ。ホヒにさせるんだな」
翌朝、宮廷の門前で、また同じやり取りが。
「わかりました。天皇がお帰りになられたら、急ぎ使者の方に言付けいたしましよう」
「それと、わしは兵を挙げる気などさらさらないのでな。随行の者が多いのは、いつものことじゃ。こういう大名行列のようなことが大好きなのでな。帰りも、にぎやかに帰るぞ」
こうして、スサノヲは持子早子に一言別れを告げると、せっかく連れてきた兵卒五百とともに帰路に就きました。五百人もの軍費はばかにならないからでした。
ヒタカミに帰り着いたとき、スサノヲはいきなり屈強な警務員たちに取り押さえられてしまいました。
挙兵した謀反のかどで。
アマテラス天皇が、行幸先で吟味してそう決定されたとの事。
「そんなばかなことがあるか。まてよ、もしかしたら姉者たちも」
そこにセオリツヒメが現れました。
「持子殿早子殿はそなたの謀反をそそのかしたかどで、天皇の命令を以て、北局から外すとともに、閉門蟄居のお沙汰じゃ」
「なにいーっ、そんな理不尽なことがあるものか」
「今頃は、蟄居先が言い渡されていることであろう」
実は、持子早子に随行していたお供の者に、セオリツヒメの間者がいたのです。どんな言葉尻を捉えてでもいいから、伝えよとの命を受けていたのでした。
「それから、お前の使いの者を尋問したところ、謀反の挙兵をしゃべったそうじゃ。その事実を天皇は聞かれて、処置を下されたということじゃ」
「わしの片腕が? よもや拷問にかけたのではあるまいな」
「そのようなことは、私は知りませぬ。話が早馬にて知らされたまで」
「お、おのれーっ。姉者あーっ、無念じゃあーっ」
すでにセオリツヒメは流れ者によって洗脳されておりました。
何度も、私の罪はどうなるのでしょうかと聞くたびに、流れ者は、私の神がお許しになりますと答えました。
今日はこんなことをしましたが。
それも神の代理の私にお話しくださいましたから、罪が許されました。
明日は、こんなたくらみを考えておりますが。
いま、許されました。
そなたの商売とは何じゃ?
実は、我々の偉大なる神の許しを売っております。ほら、これが我らの神のシンボルでございます。持っているだけで、どんな罪も消え去るのです。差し上げましょう。ただし、元手がかかっておりますので、金銀をいただかねばなりませんが。なに、手数料程度でよろしいのです。
ほう。手に取っただけで気持ちが楽になった。
そ
うでしょう。我らが神は、このシンボルを持ったみなさんの罪を、みんな身に引き受けて預かってくださるのです。誰もが知らず知らずのうちにいろんな罪を犯します。それをいちいちこだわっていたら、何もできません。そこで我らが神は、罪財バンクを設けて、それらを預かることにしているのです。むろん、わずかばかりの利息しかつきませんから、返済時にもさほど負担になりません。そして、私は仲介手数料収入が少しいただけるというわけで、みんな幸福、みんな繁栄
というわけです。で、これが使用上の注意と約款です。
ほう。おや?返済期限というのは?
はあ。最長で今から2000年ほど後も選べます。むろんそれまでにゆとりができれば、分割でも一括でもリボというのもあって、幅広い対応ができるようになっております。私はゆとり返済のリボをお奨めしております。
なんじゃ、返済があるとな。そんなものだったのか。で、その負担を積極的に減らすにはどうすればいい。
あなた様も”許し”のシンボルを売られることです。これはとても売りやすいです。”愛”や”優しさ”に混ぜることができるため、誰もが喜んで受け取ることでしょう。
なお、無条件契約解除の期間を七日としておりますから、もしお嫌になられたら、その期間にお申し付けください。私は七日間は預かっておくことは可能ですが、それ以後は我が神のバンクに入れねばなりませんので。
もしいま解除したら?
今まで支払われた手数料と告白のあった罪を全額まとめてお返しします。
とすると、クーデターと最高神殺し共謀の罪が・・・。
さようです。どうなさいますか。なるべくなら毒を食らわば何とやらのお心をお奨めしますが。
利息はいかほどか? 返済に耐えられぬということはないのだろうな。
100年に3%でございますから、わずかかと存知ます。
2000年後に清算できなかったらどうなるのじゃ。
次
の2000年、もしくは我らの神が与えられる時空で神のために働いていただきます。なに、すでにムー、アトランティス、そして今の時代と、時代遍歴されている方が多くおられます。お仲間には不自由されないでしょう。みなさんの魂は永遠ときていますから、みなさん嬉々としてご活躍です。
あまり気持ちの良い話ではないのう。
た
だひとつお願いがあります。罪を預かる方の数がこれから増加いたします。神が預かれる容量を超えてしまいかねません。そのときはお預かりできないと、突然そのようになるかも知れないのです。そこで、姫様にはみんなのために、負債の先送りの儀式を先導して執り行っていただきたいのです。この時代の最後は黄泉の国つまり雪隠になっておりますので、ツケゴミを集めて後送りして雪隠に落とし込む掃除を定期的に行っていただきたいのです。そうすれば、みなさんの暮らしも長らく安泰でありましょう。なに、最終処理は雪隠で行えばよいことですので。
当時、トヨケ神は地球上の全域を監督されていましたから、この流れ者の国というものの所在が問題になるのですが、
当
時もつい最近までもそうですが、神界はより上位の界から封神という呪法で支配されており、下位からでは所在の掴めない帳に隠されておりました。それは、低次元の神霊には高次元のことがわからないという言葉で説明されています。だから、上位のやりたい放題といってもいい状況だったのです。
精神性に優れているのが上位にいるならいいのですが、決してそうでないのが世の中というものです。天にある如くが地にもあり、地にある如くが天の姿でもありました。
そのようなところから、別国の神の代理人(御使い)という者がやってきて、神界以下(下界も)を彼らのルールに従わせようとしていたのです。
返済に耐えられなかったら・・・約款には、身を粉にして働いてでも償うとなっていましたから、契約に従って、兵隊でも皿洗いでも身売りでも何でもこなさねば・・・となるわけです。つまり、邪神の奴隷となり、時には何千回という転生も余儀なくされたり。嗚呼。
この世の有情の姿がそこに写し出されておりました。
そ
の後、持子早子は蟄居先の九州の宇佐へ。が、そこでは誰との連絡もとらせてもらえず、たえず刺客と毒殺の脅威にさらされました。そこで夜陰にまぎれて逃亡。するとさらに追っ手を差し向けられて、さまざまな遍歴の苦労を経て、二人は別れ別れになり、持子は戸隠に落ち延び、かろうじて生を保つほどに憔悴。そこを地元民に芋粥で養われて、やがて病床に伏し息絶えたとのこと。神霊は、激しい憎悪のために九つの頭を持つ龍身に変じて地中に潜られたそうです。
いっぽう、早子も無念を胸にしまいつつ世を去り、同様の龍身になって地中に潜られたとのことです。(ヤマタノオロチになったとされています)
セオリツヒメは”許し”を励行するようになり、さっそくスサノヲを赦免しました。ただし、死刑になる寸前でしたし、何も知らない第三者として振舞い通しましたから、その温情にスサノヲは感じ入り、身に覚えのない罪をあっさり認め、謝罪したのです。
まあ、これが下界の冤罪事件横行のはしりになっていることは確かでしょう。天にある如くが地にもあり、地にあるを以て天のいかばかりかを知ることができるという話であります。
さらにセオリツヒメは、怨念すさまじい早子の変じたヤマタノオロチが時折、地底から怨嗟のマグマを噴き上げるので、スサノヲにすべての罪科が清められて晴れて都に迎え入れられるには、ヤマタノオロチを殺すことだと条件を示しますと、スサノヲはこれも承諾してしまいました。人恋しさのスサノヲゆえ、都の華やぎへの思いは強く、セオリツヒメの美貌と恩義と、巧みな誘導話術に乗せられたゆえではありました。
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韓流時代劇のような物語になってしまったが、ホツマがそもそも韓流小説なのです。
そのような戯作話が望まれるようなことのない世界になってほしいもの。
神話として位置づけられる物語は、神界の歴史上映の台本になってしまうだけに。
早子の娘、奥津嶋姫と市寸嶋姫は母と伯母の冤罪を晴らすべく、舞台を下界の日本に移して活躍した。それが新神話のカンナオビとイナンナだったのです。
彼らを新神話によって正当化し、復権を与えたい。
そして、すでに十三章(2013年)で、ネアンがアメノホヒの雛形を務めることが明らかになったことで、ホヒもまたこの計画の参画者であることが示されました。
この三人は、それぞれの母の冤罪を晴らすことと、断絶させられた家系の復帰回復をかけて協力し合っていたと言えます。
それは、ついぞ最近まで、そこまでのこととは思いもしなかった真実だったのです。
2013
年の出雲大社の式年遷宮の翌未明にネアンが見た、神界の出雲大社の中での、客間での起床と、大国主命と奥津嶋姫との出会い。これは、天津神側から出向させられていたアメノホヒの視座を借りて、ネアンは夢見したのでしょう。天津神側からのお客人ゆえ、広めの一室が与えられていたのでしょう。
こうして、あらゆることが、ネアンに自己実現させるべく働いていることに、ただ驚くばかりのネアン本人だったのである。
神界ではすでにこのようなことが起きていた。
すなわち、それまで秘密にされていた国祖神の殺害と封印呪詛、そしてその証拠の隠滅の経緯が噂に上るようになり、ついには真伝の一部の資料が持ち込まれたために、宮中ばかりか、庶民の間でも囁かれるようになり、支配神の素性が疑問視されだしたのである。
単なる古老の噂と思い込んでいた庶民が、昨今の奴隷階級の者(国津神)たちが次々と自殺していく有様を見て、これでは世を支えきれなくなると、真相開示を求めるようになっていたのだ。
支配神はそれに対して逆上して暴乱を働いたため、いっそう周りは真伝の存在と、偽りの取り繕われた体制に関心を持つようになっていた。
ついに古老級の指導者たちが集まり、噂に関する詮議を宮中に願い出て、しだいに問題視する動きとなり、ついに逃れられない事実が出てきたため、支配神たちは責任を問われる事態になっていたのである。
かつての支配神なら、簡単に武力で制圧して、責任者を捕まえれば、事はすぐに収まったのだが、時が移ろい、彼らの勢いは衰えていた。
幾人もの支配神側の容疑者が逮捕されるまでになり、諸神たちが支配神に従わない動きとなって現れてきた。そのため、神界を軍を以て制圧することもままならなくなり、そこで、
さらに上層に居る天仙に助力を乞うたところ、天仙たちは外部世界の梵天軍と対峙していて手が離せず、自分たちで何とかするよう指示されたため、支配神たちは、かくなる上はと、地上界に下野して、地上を最後の決戦の場にすべく、混乱を巻き起こしたのであった。
こ
の事態は西洋の神話に預言されており、天上のサタンがミカエルに敗れ、地上に投げ落とされたと表現されている。ミカエルとはアーリオーンの神霊であり、ベテルギウスに根差す火の鳥のことであり、2011年3月に第二時空で逝去したネアンが神世で起動した摂理なのである。これによって、神界大戦が行なわれ、その前半戦として神世からの悪魔掃討の事態となったのである。
このため、地上はとんでもない試練に晒されねばならなくなった。
その地上顕現は、日本では東日本大震災の時と考えていいだろう。
その時以来、時空は変節して、滅びに至る地獄へとディセンションしたのである。
天仙が差し向けた創作神話の仕組みによって、聖書が作られたが、それによって今度は神界の邪神たちの滅亡が宿命づけられてしまったのである。
これが神話の作用機序というものなのだ。該当する対象を選んだようにして、作用に引き込むのである。
しかし、地上はいっそうの負担を抱えて、人々や有情の苦悩はいっそうのものとなった。
聖書の一節に、邪悪な支配神側が引っかかるとは、天仙も思いもしなかった誤算であった。神一厘の仕組みは、こうしたところに仕掛けられているのである。
天仙邪神にとって、一方的に有利とみられる神話創りとそれによる世界支配。
しかし、神話を作るのは、どうしてもこの世の人間の手が必要となる。
神話創作に携わる10人の秘教直轄の担当官がいたとしても、たった一人の担当官が自分の持ち分の中に、梵天の意向を入れてしまうことは簡単なのだ。
梵天は、魂を持つあらゆる有情の思考の行程にさえ関与しているが、知られていないだけである。
その梵天が、はるか未来において発動する神一厘の仕組みを、用意しないはずがない。
古事記でも同様だ。
精
神文明を象徴するイザナギを、みっともなくも、物質文明を象徴するイザナミによって追いまくらせて、夫婦喧嘩までさせて格好悪さを印象付けしつつ、神々を人間とさほど変わらぬ存在へと貶め、そのような神々の下で人類を不幸にして翻弄しようという、二重の意味で有情を絶望させる面白おかしい工程を、どうしても置きたかった天仙や秘教であった。
しかし、イザナギを別世界に追い遣ってしまったことで、別世界を用意する余地が生まれたのである。
地上は神話に規定される。となら、その余地を梵天側で埋めておこうという作戦が採られたのである。
イザナギを迎えるために、新世界が用意された。
そこには、自ら身ぐるみはいで、すっぽんぽん、すってんてんになった、みっともないイザナギが、一目散に逃げ込んでこねばならない。天仙からしてみれば、大哄笑ものの喜劇となる。
彼らはUFOで黄泉軍を撃退させた後、引き続きUFOで身柄確保して、別の生存環境に連れて行こうとする計画であったものが、命を落として魂だけがすり抜けて去ってしまう工程を見逃していたのだ。
同様に梵天は、奴隷状態に置かれている国津神たちに、それとなく呼びかけて、撤退してきたらどうかと諭している。それはこの世での解体を意味していて、この世の関わりをやめることを意味する。
しかし、国津神達は、とても真面目で、自分たちが丹精込めて育てた有情たちを、見捨てておけない。
そこで梵天は、彼らに、別の新天地で国造りに貢献してほしいと持ちかける。彼らが面倒を見ていた有情もみんなおいでと。
見ての通り、今の世界は、黄泉の国の度合いがいっそう増すばかりで、やがてはすべてを亡ぼしてしまうことが確実だ。
だから、まったく純然たる新世界の基盤があるから、そこでやらないかと言うのである。
まさにそうだった。それぞれを担当する国津神の育てた、いろいろな種族の生き物が、どんどん絶滅しつつある。
だから、お上には何とかしてほしいと天津神側に陳情もした。
しかし、そのようなことは知らぬと、ほとんど蹴っておかれた。
うすうすは、絶滅させられるのだろうという思い。それがいっそう鮮明にもなれば、もはや信用が置けないとなるのは必定である。
長い間、地上に花をと貢献してきて、とても心残りはあるが、門戸を開けてあなたたちのスキルを待っていると言われれば、ついぞ、ほろっと心揺らぐのも彼らの腕が泣いているゆえだ。
こうして最近になって、ネアンのもとには、自ら撤退を決めた国津神系神霊の神霊写真が、いくつか届くようになっていた。
ブナ林から撤退しつつある、ホピ族の樹木の精霊ココペリ。出雲系国津神のカンナオビの神霊の撤退。
陸と海でのそのような動きは、ネアンの作る新神話のシナリオに連動して、すべての神々と有情の移行を促していたのである。
すべての有情が、幸せでなくてはならない。それがネアンの目指すところであった。
写真としては上がらぬものの、海洋生物が、深海からさえ、何か訴えかけるように、海面に上がってきて、死んでいくのであった。
陸上でも、世界では森林が次々と消滅していた。天候不順による火災と、資源の乱獲によってである。
そこをまた、秘教組織や地上のリーダーたちは相謀って、資源維持のために人口削減を方針化した。このため、局地戦がわざと行われ、致死性伝染病菌がばらまかれた。
その様は、黄泉の国の八種の雷を巣食わせたイザナミの腐乱死体さながらであった。
第三次大戦の事態ともなれば、一気加速に、地上は砂漠化してしまうだろう。
そのとき、もはや生態系を支えていた国津神は、ひとりとしていなくなっていることだろう。
そのとき、地上にドームを築いて植物を植えようとしても、花が咲くことはない。
そのとき、人類も絶滅している。しかし、ヒトラーは言った。まったく別の新人類として存続すると。
しかし、ネアンは、にこっと笑って、不揃いの歯並びを垣間見せながら、「良かったね。電脳空間の居心地はいいかい。でも、電脳設備が稼働している期間だけってこと、知ってるよね」と優しく言ってあげることだろう。
その新人類の諸氏は、ネアンの仮説(ルシファーの教理)を基にして、電脳空間に生きるすべを見出すのである。
ネアンが1983年に作った超宇宙モデル概念。
それが1999年に映画マトリックスになり、2012年には、宇宙ホログラム説が真面目に研究されている。
そして、2011年には、ネアンは秘教にあてて、ルシファーの教理案を上奏。それは、1983年の仮説集であった。
世にも奇妙な人物、ネアン。正神からも邪神からも、一目置かざるを得ない、おかしな奴なのであった。
それはそう。
私は、左端も右端も、両方を管轄する、救世主ネアンだよ。
両掌の真ん中に、はっきりと十字架が出ている救世主なのさ。
小六の頃に、それが出てきたので、あれえと思っていた。
そうね、小六の当時はね、家に閉じこもって、ままごと遊びしてた。
創造神ごっこを、やってたんだ。
左端も右端も、心の催すままに、操っていたんだ。
だから、君たちに対してだって、できないことは何一つない。
みんな私の掌の上で、転がしてあげているんだよ。
この段は主として邪神とその傘下の秘教組織の、人類低質化と邪悪化の方法、手口について語るものになります。人類の文明は今や生命体地球の癌病巣になってしまいましたが、この章ではその原因たる癌幹細胞にあたるものの態様記述になります。
1. 秘教組織は得意とする幾何学呪術を使い、神々をその結界の中に封じ込め、祭祀官を配置して、その結界維持に当たらせました。
幾何学的発見物によるもの、および伝承によるものから推測するだけでも、次のようです。
① 畿内の逆五芒星黒魔術の魔方陣結界で原初神を封印する
② 国祖神の鬼門、裏鬼門方向への分裂封印呪詛、言霊による永遠の封印を期した呪封
そこにダメ押しの逆五芒星黒魔術呪詛による南京錠補強
③ 呪術力に長けた秘教選抜きのシャーマンによる呪詛と結界の補強
安倍晴明などの陰陽師、空海など密教呪術師は古代の秘教メンバーであっただろう
空海は三角護摩壇法なる呪術で先修験者(天狗)を三角平面の中に封印している
➄ ユダヤ勢力や秘教は、カゴメの結界で、古来、龍蛇神(国津神)を封じた
中国の風水にも同趣旨の結界がある
創作神話による縛り
1. 神話によって神々をコントロールするという、一見何でもないようなところで呪詛を施しています。
これは、神話創作によって、神世の歴史を改竄し、神々の質を貶める効果を導き、人界にそれゆえの不幸を現出させるようにしているのです。
シナリオによる不幸化と、神々の低質化による不幸化が演出されています。
① イザナミの死と黄泉国入り、救出するイザナギの無力さと逃亡。
この創造神への情けない神話設定が、人界に波及効果して、人類史は既定路線を歩まされ、
古事記・「国生み」「神生み」はよいとして、「黄泉の国」を置いて死人のイザナミに主催させたこと。
⇒ 黄泉の国
イザナギからは英雄らしさが取り除かれ、イザナミはゾンビとして采配を奮い、両神は仲違いによる決裂で終わらされています。
あまりにもみっともないでしょ。
中東の例では冥界からの救出は成功しているのですが、ここでは創造神の離婚すら起きています。
日本はなぜ成功伝説にしなかったのか。 ⇒ 神話によって歴史誘導できるから。
② 天津神族は、国津神族を武力によって侵略するように条件付け設定されている
部族間の協調という理想的スタンスではなく、侵略が前提であるため、人界には必ずこの傾向が、催眠誘導的に現象のあらゆる局面で顕われてくるようになっています。
シナリオによる人類の獣化、不幸化の誘導です。
強者が弱者を侵略し簒奪する傾向、弱肉強食の獣の論理が矯められることなく出てきます。
覇権主義、植民地主義の原因は、この人類に向けられた催眠誘導によります。
天津神国の日本では、葦原の中津国(国津神国)とみなされた中国が決まってターゲットにされます。
語呂合わせ的にすら、その誘導効果は出てきますから、アメリカのアメは天津神側の印、しかも
常勝ステイタスゆえに、そのモラルの如何を問わず同盟してしまいます。
③ 古事記神話の大枠的筋書きは、枯死する定めの一年生草本を基礎にしている。
⇒ 古事記神話の一覧
日本には、榊(賢木)すなわち常緑樹(エバーグリーン)の理想的思想がありながら、なぜか神話では、枯死(滅亡)必至の流れにしてあるのです。
どうして神話創作者は、いい筋書きにしなかったのでしょうか。
それは、創作段階で秘教組織(邪神)が関与したからです。
では、どこから催眠誘導電波は発されているのでしょう。
2015年のディズニー映画「トゥモローランド」には秘教組織の秘密が垣間見えます。
異界のトゥモローランドのエッフェル塔から誘導電波は地
球に流され、人類の滅亡のカウントダウンを刻んでいるという内容でした。水に飛び込むレミングの如く操られる人類。
聖書は預言とされますが、そのシナリオの積極的実現に秘
教組織は全力投球しています。ということは、彼ら自身が誘導電波の役目もしていることになるのです。世界をアルマゲドンの対立構図に誘導してきたことも、神の来臨も、彼らが仕組むとすれば。
古事記では、人類文明の興亡を一年生草本の一生として規定しています。
それは事態を悟っているということでも、預言というものでもなく、あえて人類史をその路線に沿わせようとするものになっているのです。黒子は必ずいて、ブラックメンとも言われます。
考察——————————–
神話はイデアを語るものです。それゆえ、良いイデアからは良い展開が得られます。
それが国体(国の意識)レベルのものなら、国の行く末をも語るものになります。
日本が世界の雛形なら、世界は雛形の主導する動きに連れて動きます。
神話は人が書いたものです。それゆえ、どのように草稿することも、どのように理想化することも、どのように貶めることも、仲介する作家によって可能になります。
な
らば、なぜ神々を貶める物語にしてしまったのか。またどうして、今までお伽噺にすぎないような扱いを受ける立場に置かれ、そのままにされていたのか。国の神話にあって、これほど不当な扱いを受けながら、改稿する機運がなかったというのは、おかしなことであり、ひとえに秘教がブレーキしていたからに違いないと言えます。
特に、日本が世界の雛形になっていると言われるなら、日本神話は世界をも誘導していることになります。
秘教組織はやはり邪神系です。神世で政変を起こし、元の国祖神系列の神々を封印すると同時に、神話によって低質化を謀っています。
イザナギ、イザナミはすでに述べた通り。ふつうならイザナミが亡くなったなら、御陵にお祀りしてそこで終わりのはず。なのにダラダラと話を続けて、ゾンビの振る舞いまでさせるとは。
国祖神の直系は、イザナミ、アマテラス男神へと続くのですが、殊更イザナミ、アマテラスに酷な筋書きを与えて、人心離れを誘起しています。
アマテラス男神は気の弱さを露呈し、弟スサノオの威圧に臆して岩戸隠れをしてしまう性格にされてしまい、しかも、相当卑猥なお祭りでなくては出てこないといった性格付けにされています。ふつうの男と変わりません。天成新道、帝王学、その他を学んだ超エリートなのに、いったいこれはどうしたことか。
神話は創作できます。秘教組織(邪神)の意図するところが、はっきりと出ています。要は、国祖神系の神々の復活を恐れて、神話さえも使って封じているのです。国常立尊の「炒り豆に花」と同様の処置が施されている。しかも、国祖神系神の振る舞いによって、人類は痛めつけられるという仕組みになっていますから、何重にも渡る罪過を重ねていることになるのです。
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2. 主要な神々を殺害し、替え玉を立てて、表向き何事もなかったように装うために改竄神話が作られています。
歴史の勝者は神話改竄の権利者であった経過があります。勝った時点で、敗者の歴史を奪ったり破壊したり低質化するのは常套でした。秘教組織は良心の呵責なく、何のこだわりもなくそれをやりました。
← 彼らのやり口 (イルミカード)
彼らの歴史に残した痕跡は、起きたことの正当化と必然性の主張であり、悪魔の所作ではない旨を美談に加工して真相を隠しました。
本物を装う替え玉にも性格異常を演出させたりしてわざと人望を失わせたりもしています。
そして、邪神・秘教組織の作為の痕跡を遺さないようにしていますから、首謀者として挙がるのはいつも小者で、彼らは隠されたまま。
しか
し、自己顕示欲は強く、識者には犯行の痕跡を示して、成果をアピールしています。
人類を神々から引き離し、彼らの思惑通りに使役する形にしたいために、古代神の影響力を払拭しようとします。
彼らも形而上的な部分を持つ存在です。神とは言えないものの、非常に強い呪術力を駆使します。それゆえ、邪神という言葉を使います。
彼らにとって怖いのは、やはり神という存在です。意外と簡単に始末できたものの、実力のほどはよくわかっていない。それに比べると人類は、上空を見ないアリのようなものです。しかし、使役すれば役に立つことがわかっている。
とすれば、人類の支配のために、どれほどの時間をかけても無駄ではないと思っている、時を超えた連中が秘教組織ということになります。(2015年になって、宇宙人・アヌンナキの深い関与が知れてきます)
それに比べると人間個々の一生など短いものであり、ちょうどアリの生態を観察し実験する立場の科学者のような気分でいる者たちを想像したらわかりやすいかと思われます。
大本教では、彼らのことを石屋と呼んでいるようですが、架空の者と思っていたら、とんでもないことになります。
石屋の存在は歴然としており、しかも彼らのバックには、インベーダー型の邪神がいます。
この邪神によって、人類の不幸化が太古の昔から設定され続けてきたのです。
岩戸別けは、神話ではすでに終わったことになっています。
記紀でもホツマでも。
しかし、現状を見れば、とても終わっているとは思えないでしょう。
それを如実に実感するからこそ、岩戸開けを待望する声が巷から聞こえてくるのです。
ここでは、アマテラス男神も暗殺もしくはそれ相当の処置に遭っている可能性、および創作神話が神世の史実隠蔽に使われていることについて話しました。
封印されていた国祖国常立神は、このたびの悲惨な結末下にあった豊受神となられた以前にも、何度も国を創り固めなすことのために、国常立神として転生再来されていた。
その実績がもとになって、どのようにすれば最も国の安定存続のために良いのかというノウハウが、彼自身の手によって天成神道(あめなるみち)として集大成されていたのである。(この後出てくる”あめなるみち”のことではない)
その秘伝を彼は天照天皇に授ける予定であった。天照天皇は、祖父の崩御の予定を聞き、急ぎ宮津の執政地に赴いたとホツマには記されるが、果たして伝授がほんとうに為されたかどうかは、国常立神の殺害時点との絡みで不明瞭になっている。
ホ
ツマによれば、伝授はなされ、祖父は崩御し、天照天皇はその後しばらく存命されとなっているが、真伝が前に述べた如くであれば、秘伝はどこかに持ち去られ、その後、傀儡もしくは偽天照天皇によっての統治がしばらくあったものの、存続可能な世界統治のノウハウの滅失により、いっそう世相は暗黒時代となってしまったことは想像に難くない。
またどうせ、邪神の創り出す世ゆえ、滅亡必至の文明輪廻の方法が画策されたことだろう。いずれ、彼らのもとに天成神道の書があったとしても、実現されることはなかったはずである。
そ
してその、ホツマ解釈サイトの末尾で、現創造神が自らチャネラーにかかり、この世の仕組みを述べ伝えている。この絶妙な場所に、創造神が登場して、ホツマがあたかも正統であるかのように印象付けているのが、ミソである。ホツマが真伝に非ざる如く、この”あめなるみち”も真伝ではない。
あめなるみち(陽陰和る道)-包み隠さぬ天地創造物語-『神の見る夢』
そこには、この世に生起する文明を、善悪の葛藤と戦闘によって興亡させていくことにより、その中にある有情たちの精神作用を原動力として、宇宙の存続が可能になっているというシステム説明が、創造神自らによって施されている。
しかし、そこには、天成神道の極意は語られていない。
現創造神は、国常立神より品位において上位の存在だという話は、ここではあたらない。
現創造神に、現場が把握できていて物申されているのかどうかは、企業の経営者が、往々にして現場の実情を把握せず、すばらしいノウハウの蓄積を見逃している場合があることを見れば、わかりいいだろう。
そのような経営者は、たいがい側近にいる摺り寄り顧問や重役たちの、現場に即さぬ意見に従っているのが常であり、下位には管理の圧し着せと発破をかけるばかりで、下位からのアイデアの上奏を受け付けず、せっかくの企業戦士たちのやる気を殺いでいることが多いものだ。
そして、そのような企業は、やがて消滅していくことになるのだが、経営者たちだけが甘い汁を吸った後は、企業戦士たちが累々たる屍を築く結果となっているものなのだ。
貧困なアイデアでしか企業も宇宙も経営できないのは、最上位に居る創造神由来なのである。
では、指摘しよう。
現創造神の方針で最も間違っているのは、拡大一辺倒の方針であること。
そもそもの動機からして間違っているなら、それによって惹起されることごとくが間違いになることは、火を見るよりも明らかなのだ。
それを本人は実験の試行錯誤と言っているのかも知れないが、いかに全能の力のない神であるかを露呈していよう。
全能の神とは、すべてのなりゆく様を千里眼的に達観できる神を言うのであり、武力と強権に頼む者を言うのではない。
成長を常に続けていなければ、創造宇宙は潰れてしまうという考えは、どこから持ち込まれたのか。
まさに、現代文明の拡大一辺倒路線そのものではないか。それがいま、地球という土台をいかに傷つけているか。
それが直ちに理解できないようでは、神という名をつけるに値しないだろう。
この先の未来には、現人類とは別のものが文明を築くとされている。
それは神人による文明創造であるといい、どうやらその延長上に、この創造神はおられるような風情である。
違うか、進化途上の神よ。しかし、その進化とやらは、現文明の末路を以てシミュレートできるはずだ。
いちどその方針で文明を最終まで至らせ、その恩恵に浸った経験があるなら、同じ方針をこれからも適用していきたくなるものである。怠慢で工夫のない者よ。
神人たちの発想には、斬新さがすでにないとすれば、同じことの繰り返しを、これからの文明にも求めることだろう。
そして、やがてこの創造宇宙は、存続不可能の憂き目を見て、創造神はまたもやいったんは悲嘆に暮れるも、またなお再創造しようとするであろう。懲りぬやつめ。
その最も延命した実験結果が、文明興亡の輪廻と善悪混交の葛藤という要素だったことから、味をしめて、その方針は次の創造宇宙でも踏襲されるのだろう。この創造神には、そこまでの発想しかないと見える。いつまで、そんなことばかりしているのか。
お前は、まだ子供だ。そうに違いない。身体の度量が大して大きくもない頃から、胸郭を広げようと息を吸い込むばかりを行なえば、いずれ限界がきて、破局的に息を吐き出すか、それとも肺の膜を破って気胸という最悪の事態になったりするのが、未熟な人間という者の常だ。
それ以前に、身体じゅうの細胞全体にとんでもないストレスを与えることになっているのが、まったくわかっていない。
彼を支える何十兆もの細胞たちは、このとんでもない領主のために、一生懸命に命を削っているのに、この領主は間違った思い込みで、全体の命すら縮めようとしているのである。
この「あめなるみち」に書かれた創造神の嘆きのようなことは、2001年頃に、イナンナから概要を聞いている。すなわち、ここである。⇒ 第四章
新神話協力者イナンナは、どうやら創造神の苦境を思い遣って、自ら志願した開拓者の一団の一人だったようだ。その一団の名こそ、「夜明けの旅人」だった。
幾多の夢見と臨死体験を通して、いつしか岩戸開けとも関連させて、自らの役割をその一団の名に合わせようとしていたことがおよそわかった。
しかし、その創造神の方針にこそ問題があったとすれば、彼女のしてきたことは徒労であり、このおかしな実験は無意味である。
こうした志願兵たち(企業戦士たち)は、どのようにその努力が報われるというのか。また、そこまでの勇敢な行動に踏み切らずとも、創造神の身体を懸命に維持しようとする幾多の家臣郎党たち(構成細胞たち)もいる。その苦労は、どう察してやれるというのか。
悲劇こそ美学だと称して、お涙にくれている感傷好みの創造神よ。
多
くの人間の場合がそうであるように、お前の頭の中は、とりとめもない知識という重臣たちによって混乱させられ、次々と効果のない方策の提示に翻弄されている有様が見て取れる。それはまさに、ホツマの発想の土台になった韓流小説の題材そのものだ。創造神も、よほどこの手の物語が好きなのだろう。その中の王様気取りで、滅びゆく王朝の悲劇を味わっているのではないのか。
それだけに、ここはいちど、初心に還れとまでは申さぬまでも、いちど頭の中をクリーンにしてはどうかと、現創造神の兄弟神や父神様に介入を申し入れている。このままでは、彼の下に居る有情が可哀想であろう、と。
まず申したいのは、自らのお家を守ってくれている家臣郎党の安寧と幸福を優先してやれということである。そこには何十兆の細胞という有情と、それぞれに意識ある魂が住み着いている。
その頂点に立つ者の務めは、自らの中の宇宙にある有情をまず幸せに安泰にすることである。
それが為し得ずして、どこの世界に存続可能宇宙など求めることができよう。
宇宙の創り固め成しの行為は、呼吸に似ている。
幼児がよくしがちな、欲張って息をどんどん吸い込んで、過呼吸ゆえの貧呼吸を起こし、脳貧血に倒れるようなことを、創造神たる者はしてはならない。
そのようなことは、保健の基本ではないか。
下位次元、実地の現場に下りてこそ、多くのノウハウは忍んでいて、そこから神たる者は学ぶことができるのである。
創造神たる前に、まず実地に学べ。
それなくして、頭だけで考えた事柄には、予想外が必在するために、頓挫するのだ。
お涙ものの創造神を装うでない。臣下が可哀想であろう。
まず、下野して地球での生態系の輪廻経験を1億年積むことを申し付ける。
天成神道の極意は、道満宮司の計らいで、このネアンが預かっている。
それは呼吸法にある。
道満宮司は、真伝だけでなく、紛失されたと思われていた天成神道の奥義書も、併せて保管されていたのだ。
そのままでは、真伝とともに、焚書されていたことだろう。破壊のみにいそしむ邪神たちには、きわめて迷惑なことだから。
どうやら、神界クーデターのときに、急きょ持ち出された重要書類の中に、それはあったもようだ。その持ち出しを指揮していたのは、アメノホヒ(ホルス)だった。前章では警護官という設定にしたが、これまでの経緯を見ると、すべてがアメノホヒへと繋がっている。
機織女の修行中の奥津嶋姫や市寸嶋姫もその場にいた。ネアンは、そのときホヒの視座に立って、その光景を見ていたのである。
下界に渡ったそれを、真のユダヤ教徒である先修験者たち(天狗たち)が、命に代えて守り抜いた結実が、道満宮司のもとに保管されていたというわけだ。
彼も、朝廷から差し向けられる術者たちの追撃をかわしながら、一命を賭して、守り切ったのである。
彼が事情通のネアンに、その内容を見せるのも、無理からぬこと。
国祖神封印の構図までが見つかったことから、そろそろ知らせねばと、ネアンを彼の異界の神社に誘ったものかと思われる。
現創造神よ。もう後がないのだ。
存続可能な宇宙を創ろうとするなら、ネアンにアドバイスを求めよ。
もし無用なら、元より邪神に傾斜していたものと推測せざるを得なくなる。
と、同時に、臣下たちを思い遣ることなど微塵もなかったことを、判断するばかりとなる。
その結果は、むろん宇宙の廃絶である。
元より、無理のある存続形態であったものの取り潰しであるから、有情の解放を以て、結果良しとするものである。
2014.6.8 筆了
ここでも、正神と邪神の対象がはっきりと出ている。どこに正邪を統ずる中心的神がいて、両者の間にまたがる予定調和の筋書きなどがあったりするだろう。そのような見方をするのが悟ったやり方というなら、人間には無努力こそが進歩と見えても仕方ないだろう。
そ
れでは誰が歴史をよい方向に推進できるのか。悟りきった(と錯覚している)人類には、できるはずもなく、ただ邪神に操られるままになるしかない。そんなぐらいなら、こんなおかしなこの世に、あえて生まれてくる必要もなかろうに。(バシャールの言うように大学の教養課程だとすればつじつまは合うが、それも邪神側のプロパガンダに過ぎないだろう。人はおおかた、自分の気楽になるようにしたがるものなのだ)
しかし、不思議なことに、世のことに関わらない、関わるまいとする方向に、精神世界の情報は、人々を連れ去ろうとしている。一見、いいように見えて、その実はまだ時期尚早にも、責任を取らせずに、悟りだけを与えて心だけ満足させようとするものでしかない。
そ
の弊害は、いままで毎日のようにしてきた無責任に対する無反省と、自己弁護だけに偏った合理化精神として表れて、人類としての啓発に何らなっていないことを、見落とさせることに繋がっている。そのような精神世界の情報は、これまた邪神から選択的に発信されているのに、それに気づかないのも人というものである。
秘教組織ひいては邪神の認可によらない情報は、この世の表に登場してこないようにされていることも、人は知らない。もしそれが邪神にとって都合が悪ければ、人が知ることはないとさえ言えるのだ。
こうして、世界人口のほとんどが、邪神のマインドコントロール下に置かれ、まさに人類は出来損ないの滅びの種族として印象付けられようとしているのである。
ネ
アンはマインドコントロールを浴びないためにも、神々を自らに帯びさせていたから、程度は軽かったが、人類のほとんどはそうはいかなかった。それまでの学校教育や、社会教育によって、神との乖離が促進されていたから、なおのことである。滅びの種族は、こうやって宿命付けられていく。そして、滅んだ先に、第五の時代がくると見込まれている。その時代も、当然、最初の出だしから、邪神が種をまき、秘教が家畜を飼う如く、育てる役目を担うことになる。この時代もいずれ、かつてムー、アトランティスで起きたようなことが再演となるのだ。
それがアルマゲドンとして、預言されている、(邪)神の計画だ。
そ
のような趨勢に、ネアン一人で立ち向かえるすべはない。だから、この世界がむしろ滅び去ろうとするその局面を捉えて、神世にいる立場から、一気呵成に宇宙の運行をシャットダウンさせるのである。忌まわしい繰り返しばかりのソフトは廃却され、そこにいつまでも居座っている腐りかけた魂たちをソフトの世界から篩いにかけるようにして、篩い落とす。それが世界救済のあり方と、新神話にその旨、記載している。
このように地上界は、邪神の手に落ちる
ように徹底的に謀られてきたのである。神界でさえも、邪神の支配下にあり、クーデターの故事を知る神々も、当たり障りのない境遇を選んで、日和見主義に徹してきたのである。地上界においてはいわずもがなであろう。こうしたことから、人間の間にも日和見主義が横行し、むしろ邪神側に就くことのほうを選ぶ者さえあまた出てくることになった。それはいわゆる、悪魔に魂を売り渡すということである。それでも、今ある境遇を良くしたほうが得だと思わせるほどに、洗脳は進化していたのだ。こうして、秘教組織への入会希望者がたくさん出てくる。彼らには、組織メンバーの特典としての経済的報酬が待っている。巷の勝ち組としての誇りを満足させるには、もってこいのシステムだ。だから、その手があると知った者(企業人や投資家)は、自己利益を早く出せるからと、その道に赴いた。
いっぽう、聖者は邪神を擁護する哲学を作って話し、人々をして家畜であることのほうを尊ばせるように仕向ける。そして人々は、どうせテンポラリーにやってきているだけという、最後認識を以て終わることになる。唯物論者の考え方が主流になるのも仕方がない。霊の音信は、無視されることの中に埋没しているからだ。あの世に行ってから、おや?まだ意識があるぞと訝っても、すぐさま曖昧模糊の意識の流れがやってきて、どうでもよくなってしまう。
うお座だから霊的無知、体主霊従というが、そのままでは、そのままに進むしかなかろう。みずがめ座とて同じことになる。誰も動かない。誰も責任を感じない、誰も真相を知らないなら、うお座の延長に絶滅相のみずがめ座を置いただけのことで、すべて終わる。
邪神の仕組んだ邪悪な封印呪詛の仕掛けが明確な幾何学図形として図示されたことに、神界の重鎮衆はもはや包み隠す手段を持ち合わせなかった。
このたびは、現王も譴責されざるをえないことになった。長期にわたる政権に正当な根拠がなくなったからである。
彼らの邪悪ぶりに認可を与えていたのが、この世の創造神であったこともつまびらかにされた。というより、創造神の自己申告による事情説明が時を得てなされたのである。
それは、創造神に世界存続への確たる方策が未だ得られていないことへの、救援要請でもあっただろう。善意に捉えて、そのようにみなされることになる。
それに応えてこのたびは、彼が真に望むなら、その技法が伝授される。
ために、その内容を理解するネアンが、彼のもとに教師として派遣され逗留して、彼を補佐する形によって、世界の不安定を除去する指導をしてもよい。
そのためには、ネアンは邪悪主導型の神界統治体制を、居心地のいい正神による統治体制に変更することを創造神に要請する。周りに寝首をかくような陰謀が仕組まれるのを、未然に防ぐための当然の処置であるからである。
ネアンはそのとき、自らの根拠になる神的ポジションを示さねばならない。それが衆議によっても、もっともな格式を伴っている必要がある。が、大丈夫である。
ネアンは、雛形とはいえ、アマテラス男神天皇の正嫡アメノホヒであり、エジプトのホルスであるからである。この名において、不満を唱える衆は一人としていないであろう。
ホルスとして、この紋所が目に入らぬかと、高らかに宣言する。
母持子の冤罪がそれに伴い立証されることが、彼の正統性をなおのこと推すものになる。
その点は封じられていた国祖神側の諸神の救出後の証言が、冤罪事件であったことを決定づける。こうして、邪悪側は立脚するいかなる足場をも失うのである。
邪悪側諸神がいかに結束力強く、軍事部門が容易に動かせたとしても、このたびは三千世界側からの軍事介入があって、息のかかった軍部ごと捕縛されこそすれ、一部の抵抗すら敵わない。ましてや、創造神が邪悪の存在を必要視しなくなれば、必然的に邪悪は消滅せざるを得ない。
しかし、創造神の暗黙の許可により邪悪も委託的に生起させられていたことに鑑み、邪悪を演じてきた諸神には、ネアンから救済行為としして、解脱させる便宜を図る予定がある。
それは、三千世界からの離脱と、永久的不干渉を実現するものとなる。邪神たちが前以て預言し予定していた行程であるだけに、邪神の異存のいかなるを催すとも、執行されるものとなる。
以後再び、邪悪のいかなるノウハウもコードも、世界から姿を消すことになる。コードのすべては把握され、再びそのような種が生じることがないよう、計らわれる。
創造神の予め立てていた計画、邪神側のシナリオのすべては、ご破算にされ、三千世界側と正神側の計画によって、復興の手順が進められることになる。
創造神には、その結果を以て、世界の引き渡しを行なうことになる。そのとき、彼の補佐として、ネアンが太陽神の座にとどまり、さらに多くの統治上のハウツーを顕現することになる。
そのようにすれば、創造神の順当な成長が果たされ、世界は再び失敗することなく、順当な発育を遂げることになる。こうして、世界に遍満していた梵の有情たちは、その場に居ながらにして、矯正されるべきは矯正され、幸福を享受できるようになる。
悪の存在が不可欠だというおかしな論理は、むしろ害悪と断定され、二度と顧みられることはない。
ネアンはアメノホヒ・ホルスと一体化し、衆生をあまねく照らす者となる。以後、世界には有情へのあらゆる配慮が行き届くようになり、梵の傘下にある者の平等と平安が保証されることになる。
以
上の方法、手順に創造神が賛同して改革に着手しないのなら、三千世界は彼の世界を異端とみなし受け入れることはない。結果、再度の宇宙の不出来によって失敗の後は、再び世界創造する権限が与えられることはない。さらには、良からぬ企みの元として、隔離さえされることだろう。
ここは、最後まで試行錯誤の末、有情を塗炭の苦しみに置くか、順当な成長を求めて有情を温情的に遇することができるか、創造神には選択することが許されている。
2014.6.11 筆了
胸郭を広げ続けるだけの呼吸は、いずれ限界を迎える。
それをなお無理して広げようとすると、まず過呼吸になり、さらには酸素補給が叶わず酸欠になり失神するであろうし、身体は気胸を起こして重大な怪我を負うことになる。
そのときに起きる全身細胞の異変は、体液の物質状態を激変させ、体内電流の不調などを起こして、重篤な全身病へと誘う。
たったひとりの領主の暗愚が、全身細胞という一族郎党家臣の首を絞めてしまうのだ。
トップに立つ者がいかに賢王でなくてはならないかが、そこで問われるのである。
呼吸するにおいて、一族郎党家臣たちが幸福であるかどうかが、その方法の善悪を判断する決め手となる。
そのとき、身体の全身細胞が、心地よくエネルギーに満ちているかどうか感得せよ。
それは非常にリラックスして、心地よさの中に浸りきっている感覚を呼び覚ますはずである。
もし、それが得られないなら、呼吸にどこか無理があるのだ。
自ら工夫してみよとは言うまい。
ここに誰しも実行できる呼吸法がある。
それは、深く大きな深呼吸ではあるものの、呼・止・吸・止のそれぞれを非常にゆったりと時間を無理なくとることにより、交感神経は安定し、非常なリラックスが実現するようになる。
さらにはそれを続けていくと、霊的流体という酸素以外の精髄的エキスを体内に採り入れることができるようになり、それにより全身細胞は養われるようになる。
その暁には、酸素を取り入れるための呼吸そのものが不要になるほどとなり、それでも体内にはエネルギーが充足して全身細胞はリラックスの極致を維持するようになる。
そのとき、全身は最高のコンディションとなり、病魔は立ち入る隙をなくす。
それが無呼吸瞑想というヨガ技法である。
全身細胞のひとつひとつが、充足と幸福状態を実現しているさまを、領主として天守閣から観じてみよ。これが真の賢王の治世というものである。
全身細胞という一族郎党家臣、そして領民たちの喜びは、領主への忠誠心となり、しかも感謝を以て領主を支えようとしてくれるはずである。
彼が鞭を奮って追い立てずとも、自然に彼の願いどおりに家臣たちが喜んで動いてくれるようになるだろう。
そこにあるのは、上下関係はあるものの、流れる心は愛というものになる。
愛を相互に巡り合わせて、共に発展していく形態が実現するのである。
そこには、何の無理もない。ただ、共に無理なく進む姿があるだけとなる。
もう少しノウハウを言うなら、呼吸の間の「止」に至る寸前で、吸う息に吐く息を、吐く息に吸う息を、少し被せることで、呼吸を無理なく楽にすることである。
そのときも、全身細胞の幸福を最大にすることを目的にして、観じ(モニターし)ながら行なうことだ。
こうしていけば、全身は限りなく安らぐはずである。
全身の細胞という一族郎党と庶民は、心地よさの中に創造神の加護を見ることになる。
宇宙(世界)も身体と同じである。
存続できないということは絶対にありえない。
わざと存続できないようにしているか、それとも方法や考え方に間違いがあるのである。
汝を支える一族郎党家臣と領民に感謝せよ。
まず、その思いになれなくて、どうして賢王と言えるか。
存続への道は、そこが起点になるのである。
2014.6.13 筆了
ネアンは、ネットによる調べで、アメノホヒは神界を去って、エクストランの地に行き着いたとき、そこは六甲山頂であったことを知った。
そこでネアンは、すごいシンクロを見出すのである。
道満宮司も、六甲山系にある異界に、道教寺院を構えていたからである。
そこは、ネアンの夢に出てきた場所であった。
ホヒは、その昔、神界からたくさんの重要書類を、側近と共に持参していたが、それをどこに保管すればよいか、思いあぐねていた。
そのとき、協力を申し出てくれたのが、六甲山系の洞窟で自己修行に励む先修験者、天狗であった。
「これはこれは、天津神様のご一行とお見受けします。私はこの地に住み、修行を重ねる石丸猿田彦と申す者です。このたびは、ご来臨間近との閃きがあり、お待ち申しておりました」
ホヒは障りのない程度に、事の仔細を話し、協力してもらうことになった。天狗たちは山岳の地理に長け、秘匿の術も心得ており、こうして誰の目からも隔絶できる場所に、書類を保管できることになった。
ネアンは2004年にビデオカメラを回しながら、麻耶山天狗岩の石丸猿田彦神社に至った時、猿田彦大天狗がかつての縁を知って、出迎えてくれたのを、神霊映像として撮っている。
この頃ネアンは、たくさんのカラス天狗たちの歓迎を受けている。(悠遊夢想の天狗系UFOの記事参照)というのも、彼の謎解きによって、天狗たちが封印されてきた経緯が明らかにされることで、封印が解けることになっているからであった。それは日本全国に及ぶことになる。
ネアンは、それがホヒの威光によるものとは、その頃、まったく知らなかった。ホヒは、ネアンをして、彼らのかつての功績に報いていたのだ。
ネアンはただ、自由自在に飛び回るカラス天狗たちと、その被った封印結界の三角を順次離脱していく様子を、ビデオに収めていたのである。
天狗たちが隠してくれた場所を、後に道満宮司が守り、そのときに使った方法が、カタカムナ神話よるカモフラージュであった。これによって、真伝は邪神側の捜索から長く保全されたのである。
その後、秘教構成員のナラサキは、それによってまんまとはぐらかされ、平十字の不審を買って、さらにわかりにくいところに移動し置かれてしまった。
未だに秘教は、その捜索に地道をあげていて、重要そうな拠点に居を構えている。
しかし、真伝は、邪神たちが不得意とする夢見空間において、伝授が図られていたのだ。
その昔(神話時間的な昔)、ホヒが大天狗に夢見的に伝授した神界の真伝を、今度はホヒの雛形を担うネアンが、大天狗の記した石版を保管する道満宮司から、夢見で伝授されるという、不思議な因縁による成り行きであった。
ネアンの前には、ホヒが保管された書類を精読する姿があった。ネアンはそれをホヒの視座に入って閲覧するのである。ホヒは、誰の師事によらずとも、独学で書類の中の天成神道、真伝、帝王学、立君太子学などを学んでいた。
ホヒは朝鮮語でホゥイル(火日)と発音する。それはエジプト神話のホルス(火日素)からの転であることも、次第に明らかになった。
ホルスが邪神セトを倒し、父の代わりに玉座に就くのはいつになるだろう。
ネアンは、ホヒの援護射撃として、神界クーデターが実際にあったことを論述する資料を書いた。そこには、ホヒの母持子と叔母早子が無実であることが明確に証明されていた。
2014.6.26 筆了
5月27日に、電撃的と言ってもいい婚約発表がなされた。
その後しばらく、どう考えていいかわからないという日々が続いたのも、きっとホヒがネアンにかかっていたからだろう。ホヒの困惑がネアンの困惑となっていた。
6月という期間は、神業事にタッチしようという気になれないのてあった。
だから、夢見も、祖母や母のものしか見なくなった。神々に関する夢が出てこないのだ。
それはネアンの、この世の時の残り短いことを示すものでもあった。
そうして7月になり、依然として不調は続いていた。
そして、ネアンの魔法時間も、限界が来ているかのようであった。
それはとりもなおさず、最後の約束を果たすべく、すべてを公開吐露して、自らの進退を決することになることへと結びつく。
しかし、猫たちはいっそう彼に依存していた。身体も大柄になり、食事量も半端なものではなくなっていた。
たくさんの猫をなくした。昨年の11月に連続して二匹をなくした。
あとは家猫が二匹、放浪猫が一匹である。
彼らが、時間の別なく、餌をねだりに来るのに、応対してやらねばならず、夏に向かっての暑さとあいまって、不眠と恒常的疲れを促進したため、勢い頭も回転しなくなった。
こうしたことの相乗効果で、捗りが思わしくないのだ。
そこに今回の天上人同士の婚儀の話である。
あまりにも象徴される事柄が多すぎて、いったいどう解釈すればいいのかもわかってこない。
きっとホヒも、測り兼ねているのだろう。
真意なのか、策略なのか。
そのそれぞれにも、いくつもの綾がある。
このご両家の婚儀は、古くからそうであるように、政略結婚だろう。
しかし、そこに篭められている内容が、捉え難さの理由なのだ。
これには異界の探偵も、対処困難である。
そもそも、出雲国造家というのは、天津神側からの選任で、大国主命を祀る立場のホヒを祀ることで、天津神側から命じられた職務をホヒにまっとうさせようとする係官である。
系譜的にホヒの直系の子孫という設定になっている。それは神話であり、そうされている限りは、ホヒの子孫になる。
しかし、ホヒにしてみれば、神世から人界に下ろす子孫など思いもよらぬことで、天津神が人界支配のために方便的に戴祖している例を、彼にも適用しただけのことであるとわかっている。
大国主命にとっては、ホヒが、妻の奥津嶋姫を介しての従兄弟兄弟になるからということで、かくまっているのだ。ホヒの母親が受けた罪のこともよくわかっていて、いつ何時それが蒸し返されるかわからないので、いざというときは、ホヒを守ってやろうとしているのだ。
そのことと、出雲国造とは何の関係もない。むしろ、偵察監視されているという思いしかない。
そのような神々の思いとは別に、押しかけ女房的に、出雲国造家がやってきた。そして、天津神側為政者の勝手で子孫を名乗り、祀りを行なう立場に収まってきたのである。
ネアンは、遷宮の翌朝未明の夢で見たホヒの行動を分析するに、おそらく国造家神職たちを示す黒スーツ姿のたくさんの人々とは、すぐそばにいながら、彼らといっさい関わりを持たずに、黒スーツ姿が使っていた左右にある階段を使わずに、間のでこぼこ岩を慣れたふうにして上り下りしていたことから、その関係が希薄なのか、あるいは慣れなのか、測れないでいた。
ホヒは、中央に下向するのも億劫だったから、出向かなかった。それでは形式が保てないからと、下向の代理を務めていたのは、国造家であり、名誉を守ろうと、そのたびにちゃんと報告を入れてくれていたのだ。決して、悪く言われないようにとの計らいだったが、中央はホヒ本人が来ないので、業を煮やしていたのだった。
おそらく伊勢の遷宮にも、挨拶に出向いていない。ネアンは、それに関する夢は一切見ていない。
ホヒにとっても、もしかしたら捕えられて幽閉される懸念もあったのだろう。
そこは神話も土台が韓流的であり、策謀渦巻くものになっていよう。
ただ放楽の境にあることを示すことによって、敵意なしを演ずるしかないのだ。
皇室と出雲の両家も、同時遷宮というきっかけがなかったなら、交わることもなかったかもしれない。
しかし、このたびのことをきっかけに、仲介者のホヒの子孫(ホヒ当人の意向は別として)を介して、両家の接近の基礎にしたいという成り行きかも知れない。
というのは、この日本の国にとって、国の存続の可否を窺うような事態が進行していたからである。
政権を担った首相は、秘教組織の洗脳工作で登場した生命反応のない操り人形であった。
良心の欠片もない強引な政策決定で、庶民の度胆をぬいて、多大な警戒心を呼び覚ましていたのだが、庶民はいくら反対を唱えても、聞く耳など持つはずもなかった。
日本の衰亡を招くことがほぼ明らかになったとき、アマテラスの嫡流を務めてきた皇室から、亜流とされてきたアメノホヒ側への意味深なモーション行動が、典子様の出雲国造家への婚約話だった。
神界ではホヒこそが嫡男であり、母親が逆賊の汚名を着せられたために下野しなくてはならなかったことが知れ渡っていたから、それを皇室側が知らぬふりするわけにもいかず、宮内庁で諮った結果として、いっしゅ政略結婚的な申し越しになったのだろう。
もしかすると、日本という国が潰れるかもしれないという段になって、大政奉還せねばの気に。いずれにしても、とんでもない時期に出雲はお鉢を回されたものの昔から、政権を担うことが困難になったときは、さっさと投げ出してしまうのは、皇室や摂関家の常態であったから、このたびもそうなのか。
出雲国造家もいささか困惑したかと思われる。これより先、国造家から天皇を出すという例が出てくる可能性がある。その時は、国は存亡の綱渡りか、存在しない可能性もある。
しかし、それをさせまいとするのが、これまた3A内閣である。これは朝鮮から天皇を出したいヤカラであり、現皇室は、これに対する備えも必要との観点から、国造家をも取り込もうとしたのかも知れない。
そして、ホヒの流れへと譲位の方向をつけるということは、国祖神系復活に至る前の、ひとつのステップとしても捉えられるだろう。それこそが、天皇家が過去の清算としてけじめをつけたがっておられることのように思われる。
2014.7.13 筆了
ネアンの思いは、現実と神話の間の不整合にあった。
時がすでに限られた時間を満じていたからかもしれない。
国常立神の予期された活躍が見られなかったこと。
そのわけを自身の神話上のミスに求めたのも、彼の焦りのせいである。
多いはずの正神が、鳴りをひそめて、彼の応援に回らなくなったことも、一因にある。
梵天が行動してくれようとしていない。
かつて打てば響いた良好な関係が、いったいどうなってしまったのか。
聞いても返事は返ってこない。
それよりも、なぜ自分で決着をつけようとしないのかという声がどこからか聞こえてきた。
新神話で、神の中から協力者たちを誘導し、共演させておいて、彼らを規定して先に去らせておいて、次は自分だというときに、どうして去ろうとしないのか。
猫たちを置いていけないとか、いろいろと口実算段つけているではないか。
真の勇者として、やっているつもりなのか、と。
その通りだった。ネアンは結局、最後には一人になってでも邪悪と戦うと言っておきながら、一緒に戦ってくれる仲間がほしかったのだ。実に卑怯な奴。その声があちこちから聞こえた。
新神話がほぼできた以上、また邪神によるクーデターの全貌がほぼ書けた以上、後は公開の俎上に載せることを以て、すべての経緯の披歴となるところ、いつまで待たせるのかという非難さえも聞こえていた。
ネアンが死去して後に、ネアンが霊体として採る邪神掃討、焼却処理の過程があまりにも壮絶であるにもかかわらず、彼自身の身には安らかな死とは。
これでは、見ている正神も、ただ唖然とするしかないだろう。
地上の国津神や有情たちには、撤退すなわち自殺を推奨しながら、その身が模範を示せないでいるではないか。
すべての国津神が撤退すれば、邪悪な偽天津神たちは世をよう維持できないというネアンの発案。
それを真に受けて、地球が滅んでしまえば、スペアーとしてすでに存在するという新世界は、真に確立するのかどうか。
それを推進してくれているはずの梵天が、こちら側に姿を見せないので、みんな怪訝そうである。
ネアンへの信頼の揺らぎが、梵天への信頼もぐらつかせていた。
期待された戦端はまだ開かれない。ネアンがその魁になるらしいとさえ囁かれたのに、そのネアンが踏み出そうとしない。だから、みんな待機状態だとも言える。
何においても、次はネアンの挙動があるべきなのだ。
彼の飼い猫たちも、時が来ているのにまだ動かないことに対して、苛立ちや怒りを彼にぶつけるようになっていた。明らかに、飼い猫たちには神々の憑依が見られた。
去年のうちに最愛の猫ウーをなくし、今年になってからチンを餓死させてしまった。ブーは外交的に多国籍ぶりを発揮して、何とかやっていけそうだが、それでも他所では食事もままならぬ様子で、食べに来ぬときはよく痩せていた。
トンとシャンは、それぞれプライドの高い性格で、簡単なありあわせでは妥協しなかったから、ネアンをすごく手こずらせた。何度も、チンの後を追いかけそうになったが、かろうじて凌いでいた。
ネアンは、彼ら飼い猫たちを誘致した手前、彼らを養育する責務を負っていた。
しかし、そのことを自らを甘やかす手段にしてはならない。
ネアン死して後に、たとえどのような世が来ようとも、ネアンにはかかわりがなくなる。
ただ、新神話の予定の行程に、火の鳥による焼却というステップが残るのみである。
梵天がどうされるか。お任せするしかない。
彼の祖母がもたらした、彼は一生食いはぐれることがないという見立屋の話は、正確に実施されるであろう。食事に困るかも知れぬ猫たちには申し訳ない。トン、シャンには殉じてもらうしかない。
ブーよ、そのときは無理せずに、自らがいいと思う道を行くようにしてほしい。せっかく生まれて、外暮らしでこれまでやってきたのだ。自らの意志で、これか
らを決めたらいい。私を後追いする必要はないし、またむろん世を去ることを選んでもいい。自由にしてほしい。
2014.6.1 筆了まで
一連の事象を確認しておこう。
まず、第一の手がかりをもたらした発端は、2013年5月11日未明の夢であった。すなわち、神世の出雲大社で起床していろいろ見て回った夢である。そのときに客人待遇なのがわかったのだが、問題は目を覚ました当人がいったい誰であったかということだ。
神世の神殿にいたのだから、それ相当の神であるに違いなく、ネアン本人がその神であると同定せずとも、彼には神の雛形を演ずるという役回りにおいて、その神の視座に入り見聞してきたという見方もできる。
ホ
ツマツタエからするなら、彼はアメノホヒの視座で見てきたのではないかということになる。その場合、出雲大社にいた人物は大国主命と奥津嶋姫ということになる。その他の黒スーツ姿の人々は、出雲大社に仕える神官たちだっただろう。とにかく、ネアンは現実の出雲大社に行ったことがないから、何と比較していいかもわからない。
ただ言えるのは、奥方(奥津嶋姫)らしき人物の顔が、カンナオビに似ていたことだ。彼女は自身を表した最後の生霊オーブの中身から、奥津嶋神社のご神紋が確認できたことや、その他たくさんの霊験によって明らかになっている。出雲大社との結びつきは、ホツマツタエの伝承による。彼女
は大国主命の奥様とされている。
それから2014年3月になって、とある神社宮司氏のブログ記事に、ネアンがたどり着こうとしていた結論が、あたかも展覧会の絵の如く、数行の記述の中に篭められていたのを見て、彼はびっくりしたのだった。そこにはまた別の課題も示されていた。「封印を解い
てほしい」との切実なメッセージが、その数行の中に挟まっていた。
ネアンにしてみれば、もうおおかた解いた筈の謎、それがまだ解かれずに残っているのか、の思いであった。ただちに、心当たりあることを思い出してみる。すると、意外と簡単なところに、し残してきたことがあったことに気づいた。それが、2000年には協力者になるイナンナから聞き及んでいた、MOAの教祖、岡田氏の教義にもある、国祖神暗殺情報であった。封印ということで、
彼の関わったことからすると、それしか考えられなかった。
線引きのトライをしていなかったのも、当時に日本の広域を直線引きしてみせる
ツールがなかったからであり、それから何年か後には、探せばけっこうそのようなツールは存在して、もっと早く見つけられていたかも知れなかったのだったが、結局は忘れてしまい、今までやってきたイメージングによる国祖神救出劇で事足りているとしていたため、線引き結果が得られたのは、2014年4月になってからであった。そして、その直線が、畿内の逆五芒星のある星頂の一点(元伊勢)と接したことで、国祖神夫妻は、逆五芒星結界の南京錠によっても封印されていたことが判明したのであった。
その封印術は、秘教組織が最高シンボルとする悪魔の黒魔術であり、「炒り豆に花が・・・」という言葉による頓知的呪詛よりも、隠されているだけにより強力な呪詛が仕掛けられていると見込まれた。
イナンナはその意味で、ネアンと接触することは正解だったのだ。なぜなら、彼以外にこの封印図形の存在に気づく者はいないからである。
秘教組織は、邪神の投入した下界における神の計画実行部隊であり、いわば支店あるいは代理店といった組織なのだ。だから、大元の邪神とは、国祖神たちを殺害し封印してきた連中ということになる。
さて、ネアンはかの宮司氏に、新発見に至った経緯とともに感謝を伝えるべく、メールした。ちょうどその頃は、協力者もすでになく、孤独の境地にあったから、メールも数を重ねた。宮司氏しか、話を聞いてくれる人はいなかったのだ。そこまで、ネアンの時空は、すぼまったものになっていた。あとは神界での活躍があるのみとなっていて、この世に予定された協力者はもうほとんどなかったのだ。
ネット上に流れる暗号だけが、真相を究めるための協
力者となっていた。中には、驚いたことに、宮司氏の知り合いに、かの夢に出てきた大国主命そっくりの人物がいて、しかも彼はまさに大国主命似のカミサマと言われていた。出雲大社にあるという大国主命の銅像は、ネアンの見た人物とは似ていないし、この人物とも似ていないように思える。なのに、人々は彼を大国主命として賞賛していたのだ。これはネアンの見た大国主命がカミサマなる人物に仮託して現れているかのようだった。
宮司氏も実在しているとは言う
ものの、ほんとうは情報の流れの提示する暗号に過ぎなかったのかも知れない。とにかく、ネアンはいつまでも宮司氏と直接会えないでいた。もしかすると、彼の命終に間に合わないかも知れない。たとえそうでも仕方ない。そのようなタイムラインが定められていただけのことなのだからと、ネアンは自分に言い聞かせた。
ネアンはひとりで、幾何学図形群に向き合い、封印を解く術を行使した。その初日が、切りのよい日を選んでの5月1日であった。朝晩二回の封印解き作業をする。そのとき使うのが乙姫の玉である。これは如意珠としての効用であるから、その通りにイメージするだけで効果が出る。
そうして三回が執り行われた後の5月3日の未明の夢で、神世らしい背景の中に、係官的な神が説明するシーンが得られたのだった。そして、ネアンが頷きながら聞いているには、そのことはすでに神界では詮議されていて、誰しも知るところとなっていて、政変に関わった邪神たちは捕縛されたり逃亡しているので浄化は叶い、地上界は彼らの下野の影響を受けて大変だろうが、あとは地上界において、経緯が示され理解されれば、地上界も浄化が叶い、すべて事が成就するとのことであった。神世の係官からは、そういった主旨の説明になっていた。
その今しがた得られた夢の内容を宮司氏にメールにしたためて送ったの
が、5月3日午前8時前。その直後、10時過ぎあたりから、飛騨高山を震源とする群発地震が発生。飛騨高山とは、2011年に大震災被害のあったヒタカミの転で、三陸と相似像の土地であり、神界に鳴動が走ったことを意味していた。
かつてヒタカミの位置に起きたのは東日本大震災である。
2011年3月は、ネアンが四神獣揃って別天に赴き、協力して神界のお役に立つ時点と新神話で図っていた時であった。ネアンは確かにこの世をそのときに去るとともに、真相解明情報とともに神界で事上げした時期であった。そのゆえに、大いに神界は鳴動したに違いなかった。
邪神たちは、もはやこれまでと、逆上乱心した結果としての、地上での大被害であったかも知れない。正神側の働きなら、決して人的被害は出ないはずのものも、邪神が動いたときは、正反対になる。
が、このたびの地震は軽微であり、神界からの確認ステイタスが地上界に知らされたものと解釈された。
そしてまた5月5日午前5時ちょうどには、東京千代田区を震源とする強めの地震発生で、おそらくこれも神界から、何らかのメッセージが発されたもののようだった。
ネアンに対してわかりやすくといったことと、もしかしたら邪神の根拠地(メーソンやイルミの日本支部)に対する警告のようなものだっただろう。555といった数のゾロ目は、かつてネアンがイナンナと鶴亀合わせをしたときの999のゾロ目(このときは鳥取西部地震だった)にも、発生根拠が符合する。いずれも、神界発の啓発のためのステイタス情報になっているのだ。今回は、邪神の残党勢力に対する拳骨飛ばしのようなものになっているのかも知れない。
そのようなことから、神界ではこれ以上居れなくなった邪神とその配下たちが、2011.3以降、下野して地上界に大挙して降りてきていると見込まれる。その主たる天下り場所はやはり穢土、東京だ。日本という国が変節したのはそのときからであった。そのような勢力がいま地上代理店たる秘教組織に指令して、最後の悪あがきをしようとしていると目される。
その昔、邪神によるクーデターで神界を追われたのは、冤罪にかけられた持子早子の子供たちアメノホヒや弁天三姉妹であった。
それが今、逆転して、邪神側がスキャンダル沙汰に一敗地まみれて、評判悪化にいたたまれなくなって地上界に降りてきて、そこで勢力の建て直しを図ろうとしているのである。
その天下った先が、秘教組織の制御するお得意先の、世のトップ階層であったというわけだ。彼らは、地上世界を彼ら一色で染め上げたいのである。そして先々は、使いやすいロボット人類を作り出し、彼らに奉仕させるという形態に持っていくらしい。
ホヒが命からがら天下ったときとは大違いである。ホヒのときは多勢に無勢。かくまってくれるところを探して転々とした。ところが、邪神どもはどうだ。官僚を形成していた大人口が、既得権益を張り巡らしておいた天下りポストが地上のトップ階層にあまた存在していて、さらに多数の邪神たちを迎え入れるべく、依代となる人間の増殖を図っていた。
それはさながら、蠅どもが貪欲にも死体に群がり、卵を大量に産み付けていく様に似ていた。
その工程をとらせる世界を、ネアンは黄泉の国と規定している。そこには腐敗した魂が居残って、世界の下支えをすることになる。梵の全系からの賦活電流は否応なく、流れてくることが予定されている。というのも、大世界の創造主梵天が、彼らを見捨てることはないと読んでの上だ。善良な一般庶民はいわば、人間の盾だ。人間以外の有情や神々の魂もその中にいる。
しかし、そうはいかない。黄泉の国はいずれその有害さゆえに焼却され灰になることが宿命付けられている。
彼らのしてきたことは、すべて正道を離れたことであったため、その性向が改められることはないと判定されてのことである。
最後にハッピーエンドのシナリオを置いていると言ったところで、論拠が認められることはない。その境涯を享受できる者の中身は誰だと糾弾されるはずだからである。
そのような仕組みの設計者である創造神は、元の創造神たる国祖神のノウハウと創造世界をまるごと奪って、その上に実験と称して改変を加え、あたかも元より正統な流れにあるかのごとく装い居直っている。しかし、結果のアウトプットは、ことごとく害悪あるソフトのノウハウで占められている。いわば、それは宿主を殺傷するためのウイルス開発製造機関として機能しているのであり、その事実の露呈を以て、設計創造者それ自体が全犯罪の元凶として断罪されることは避けら
れない。
よく広いネット社会ゆえに、いろんな邪悪が潜むが、その元を辿れば一個の邪悪な人間に行き着くものだ。全人口の何万分の一かのその人物。その人間の心魂が邪悪なままで放置されていれば、いくらでもウイルス生産やハッキングツールの拡散でユーザーや他所のサーバーに迷惑をかけ続ける。それと同じだ。
そのような邪悪な心魂の者が、たまたま運悪く、この世界(宇宙)の創造神であったとしたら、ここにやってきたユーザーたちは、とんでもない誤解をさせられていたことになろう。
かつて、マトリックスのネオは設計者の前に命を差し出して、設計思想の改善を取り付けようとした。だが、新神話のネアンは設計者を更迭し駆逐することに、自分の存在意義を見出している。悪事にばかりいそしみ、改心の気もない者を、主と仰ぐことはできない。ネオの弱みの元であるキリスト教的なものの考え方など、欺瞞だとはじめから知ってする、当たり前の行動なのである。
アメノホヒたるネアンはそのとき、エジプト神話のホルスになる。正統であることを主張して、この元凶たる創造神を葬り去ることも厭わない。
5月8日には、心配になっていた国常立神の現況をネアンは夢見た。
かつて二度にわたって、火の鳥を使って、封印場所からの救出をイメージの中で協力者とともに行った。しかし、封印呪詛はあれだけではなかったために、新たに乙姫の玉による解除手続きをとったのだった。
そして、その会見は実現したが、たいへんご高齢で、国常立神がウシトラノコンシンと恐れられるほどの強い神という印象は得られなかった。
なぜかと振り返ると、ネアンは新神話において、国常立神もオシリス神話のように、陽具を持ち去られているとしていたため、もしかすると元の身体を回復できていないふうであった。うわーっ、とネアンは自分の余計の失態を知り、その持ち去られた陽具を国常立神の手元に戻すための新神話ルーチンを書き加えることになった。
だから、第十四章の中には、奇妙な童話的部分が挿入されている。が、このように書くことで、その工程は補完されることになろうと思ってのことだ。
5月10日未明には、三人のスチュワーデス姿の美女を空港まで送り届ける夢を見た。国祖神の封印解除が終わり、逆五芒星下に封印された神々の救出のうち、ネアンの協力者であった弁天三姉妹の解除に注力していた結果であろう。ネアンは彼女らに、ここには戻ってきてはならないと諭した。
ただいま、ネアンは新神話をして、黄泉の国からの撤退を国津神全員に勧めている。そうすることによって、黄泉の速やかなる終幕の成就に寄与しようというわけだ。国津神が世界を支えてきたことはわかるが、邪神たちがそれを倍加する以上の負担を強いてこようとするのに対し、無理に耐えようとせず、どんどん撤退して、すでに梵天が用意しているイザナギの世界に、みんなしておいでなさいと呼びかけている。そこでは、これから創造活動が盛んになり、国津神の持つ生態系維持
のノウハウが求められるからである。(これがトゥモローランドになるのだろう)
捨てる神あらば、拾う神はこちらにありというわけだ。
いず
れ黄泉の国はヤツラの横暴で滅んでいく。その先には焼却処理が待っている。そこに未練して居残っていれば、システムダウンされる工程はいずれやってくる。だから、どうせそうなら事前に早々に逃げておきなさいと呼びかけている。梵天の用意するイザナギの国にシステムダウンはなく、そのまま継続されていくからだ。
生態系を支えていた国津神が去れば、生態系の生き物たちも絶滅していく。彼ら有情の魂は、みんなイザナギの世界へとやってくる。そのためには、まず世話をしていた国津神の移行が大事で、彼らに誘われる形で、生き物は移行してくることになる。そして、新世界の有情として永く栄えることが予定される。
弱肉強食という愚かな理念は薄められ、やがて廃止され、すべての有情がいろいろな生命形態をしていてもなお喜べる世界になることが予定される。
そ
れでは進化がない? そのようなことはない。どうしても軋轢が進化に必要という方は、黄泉の国を建て直すことだ。そこで軍隊調のしごきを行なって、自らの心を満足させたらよい。ただし、その道に関わろうという正神もまじめな有情も、その不幸さゆえにいなくなっているだろうということだ。
あと封印解除で残るは、五芒星の星頂に位置する神々である。その神々は、ネアンの見立てでは、同様に封印から暗殺までのいずれかに遭っているというわけだが、もしかすると国祖神暗殺側に組している可能性が排除できなかった。それゆえ、ネアン自ら、少なくとも元伊勢の神体山におわすアマテラス様の意向を伺い
に行かねばならないと思っている。というのも、ネアンはアマテラス様、イザナギ、イザナミ様のお姿を未だ一度も夢見できていないからでもある。(これには2015年5月になって、ヘミシンクによる夢見の主による夢見情報がもたらされることになる。ネアンにできずとも、叩けばさらは与えられん、である)
それもそうかも知れない。彼らの封印解除は重点的ではなかったから。ネアンはアメノホヒの従兄弟姉妹だけは、ともに協力し合った仲であるゆえに、重点を施したのだ。
父上であるアマテラス様がほんとうにおられるのかどうか。暗殺されて別の場所におられるというなら、どうして1990年頃にUFO現象が見られたのか。その辺の状況がよくわからないのだ。この遠い場所にいて、アメノホヒの名において父よと祈っても、まだ返答はない。それゆえ、もう一度、行かねばならないと思っているネアンである。その時点を、宮司氏とともにしたいのではあるが、宮司氏の都合にすべて合わせるため、いつになるか知れない状況であったから、そ
の前に独りで旅行することもやむを得ぬかと思ったりした。
5月13日未明には、不思議な道教寺院ふうの場所にいて、そこの宮司らしき人物と共同で、はめ込みパズル風の合鍵挿しをしている夢を見た。宮司の風貌から、もしかしたら芦屋道満かと思われた。彼なら、大事な真伝や文書類を保管しているだろう。いわゆる、六甲山系の亜空間に住して、現実世界の隠し場所を管理保全しているというわけである。カモフラージュとしてのカタカムナ文献のさらに先に真伝などが隠されてあるだろう。ネアンはそれを彼の計らいで、夢見の空間の中でどれほどか読んできたもようである。
というのも、ネアンは新発見図形のあと、瞬く間に、現行神話の問題点や改竄点を見つけ出し、一連の読み物にしてしまったからである。
それはネアンでなくては見出せなかった成果であった。神界にあった故事が彼によって、手に取るように理解されたのだ。
ネアンは、世の中のことごとくを知ったと思った。すべてはその連環の輪を作り出すための工程だったようだ。
今までしてきたこと、起きてきたことの、ほとんどが無駄ではなかったことに驚くネアンであった。すべてが関連しシンクロしていることに気づかされたからだ。
5
月20日未明には、故祖母が夢に出てきた。久しぶりのことだった。それでも、一生のうちたった二度目である。前回は墨衣姿の尼僧のようだったが、今回は普段着姿で、背筋はしっかりした祖母そのものだった。どうやら、ネアンの通るのを待っているようでもあり、またそれをせかしていない様子を見せてくれているようでもあった。ありがたいことだ。
そこを通るときには、祖母とともに、冥土の旅に就くのだろう。もうすぐだなあという印象とともに、もう少し時間があるように思えた。
さてそれからだ。5月27日に、皇室側の典子様と出雲国造家の婚約発表があった。
アメノホヒの立場をとるネアンには、とても衝撃的で理解しがたい話であった。
それは幾通りにも解釈ができる、複雑怪奇なものであった。
このため、五芒星星頂の神々たちとのことも含め、当分、思考が宙に浮いてしまった。
確かに、ここに書かれているような見解がネアンにもあった。
http://news.infoseek.co.jp/article/taishu_10039
しかし、マスコミのする表面的解釈の一歩深いところに視点を置くネアンには、物足りないものであった。
問題は、国の危急存亡のときを示すことは間違いないとしても、背景にある危惧とは何かということなのだ。
古来、政略結婚を常套手段にしてきた方たちであることも見落とせない。
何を目指しているのだろう。
6月はそのようなことから、思考に進展がなくなった。
そんな6月も押し迫った25日の未明の夢であったが、故母が久々に夢に現れて、ダビデだと言って置物を持ってきた。
そ
の人形は、頭部が髑髏であり、身体部分も含めて大理石のはめ込みふうの彫像なのである。ダビデらしいのは、ミケランジェロのダビデ像のように左手を少し掲げているところで、かの彫像の特徴を備えていることだった。しかし、そんな彫像が現実にあるなら、実に気持ち悪いパロディー作品になるだろう。超現実派作品らしくもあったから、ネット検索で画像を調べたが、出てこなかった。
するとどうだろう。7月になってから、それまでじっと大人しくしていたイスラエルが、突然ガザ侵攻を開始した。それは世界各国の非難を浴びるほど非人道的なものであった。もしかすると、パレスチナ人を皆殺しにするかとさえ思われた。あの髑髏像は、死神となったイスラエルを物語るのであろうか。
このようにネアンの夢見は、かなり的確に未来を捉えているのである。
夢見の回数は、5月はのべつ幕なしであったのに、それ以降、顕著なものは見ずに日が過ぎた。
7月にはついに、顕著な夢見は一回もなかった。
ところが、8月10日になって、これまた気持ち悪い夢を見てしまったのである。
なみなみと湛えられた、うんこ溜まりが一望できた。表面はぐつぐつと泡立ち、それが目線の高さにまでなっている。溢れてきそうなのだ。
少し後ろに下がってみると、なんと家のトイレであり、その蓋が(ベニヤの化粧板)外れているのである。
ところが、その中に生き物がいた。少なくとも二匹いて、蓋の除かれたところからこちらを伺っている。
ネアンは、あまりにも気持ち悪いし、そんなところの生き物が出てきてはなるまいと、「こっちに来るなーっ」と叫んだために、生き物がたじろいでいる場面で目が覚めた。
夢解釈は簡単だ。未来予知した夢とするなら、それはもはや黄泉(地獄)の蓋が開いて、中の魑魅魍魎や汚物が溢れて飛び出してくるという意味のものだ。しかも、うんこは今まで蓄積したり、先送りしてきたカルマのことである。もうそれが蓄積の限界に達しているというわけだ。新神話の以前の章にも書いたことが、今まさにそのときであるかのように、夢見に出てきたのである。
新神話とも連動している。ヤツラはハーデース計画という地獄化計画を遂行するのである。溜めに溜めてきたカルマ罪科の汚物をぶちまけて、あらゆるものを混沌化し、阿鼻叫喚の坩堝に叩き込む。そして、糞まみれになった反動で、梵の全系の対偶に邪悪の暗黒世界として独立してしまおうというのである。
もしかすると、年内にそれは始まろうか。9月からかも知れない。
とにかく、もう人々の生存は見込みなしとして、諦めたほうがよかろう。
死に行く人たちは、できるだけイザナギの世界を目指してほしく思う。
ヤツラが目的を達してしまう前に、焼却とシステムダウンの処置が施されることになるはずである。ネアンの死後3年以内に、邪神支配の黄泉世界は終わる。秘教がその先の未来を予定していても、実現することはない。新人類の登場もない。その前に、この世界の緊急シャットダウンがやってくるからだ。
撮影日時は、2014/08/2207:42
ネアンがこれまで幾度も死に、そのたびに一つずつ起動してきた火の鳥が、この世の終焉を前に、様々なタイムラインから集まりつつあった。
それは太陽の周りに、火の鳥の機影を創り出し、地上からの天体観測網にかかっていた。大あり小あり。その中には、ホヒの子の雛鳥もいた。いずれも火の鳥朱雀の資質を受け継ぐ者たちである。
彼らは、太陽から最終エネルギーを得て、内部充実を完成する。
タイムラインの数だけある親鳥は、いずれ地上焼却の時、ひとつに合体して、地球を丸呑みする。
その時とは、最終のネアンが逝って、朱雀に変じてすべてを合体し、指揮下に置いたときである。
雛鳥は親のすることを見届けることになる。次代の警護の任のための見学をしながら、親の仕事の万全を期してフォローすることになる。
2008
年から2009年にかけて、ネアンが見つけた羽虫の宇宙人・マメ少年が天の雛鳥の神格を新神話によって賜与された。そのとき、オトー鳥のネアンのもと、二人で飛行訓練に励んだものだった。その訓練風景を、マメ少年に興味を持つ霊界のアインシュタイン博士と異界交信チームが観覧してくれた。そのときの随時の評価を異界交信チームは的確に伝えてきてくれていたのだが、ダメ押しにと、飛行訓練の丘の彼らの観覧場所に、大きな親子鳥の記念の地上絵を描いてくれたのだった。そうか、あの夢見の場所はナスカだったのか。そこは夢見の戦士たちが活躍したトルテックの故郷であった
。
ネアンは白蛇や青蛇とも夢見に励んだものだった。
そ
の日、天尊たちは、あまた出現しては消える火の鳥の実体がどこにあるか掴めず、メクラ滅法の波動攻撃を仕掛けるが、何の役にも立たない。天尊はいよいよ実体のガマに変じて、地球のコアに籠城する。それを火の鳥は、じんわり表から灼熱をかけて脂汗をたらたら流させ、やがて干物になるのを待つ。もはやこれまでと、火の鳥のファイアーウォールの囲みを飛び出してきたところを、最高度の灼熱で撃墜し、灰にするのである。
同時期にこの世界の創造神
(設計者)に向けて、ベテルギウスで猛チャージをかけた火の鳥が至り、宇宙大に変じて、この宇宙の廃絶にとりかかる。創造神がどのような場所にウイルス製造根拠地を隠しているやわからないからである。だから、全域をまとめて焼却する。それはこの宇宙というウイルスに冒されたゲームソフト全体の焼却焚書の処置である。創造神は梵天軍に捕縛され、改心の志のあるなしを質される。
2014年7月半ば以降は、ネアンが世を去るための準備のフェーズになった。
彼の中では推敲の対象になった事柄のほぼすべてが理解できた。
おりしも夏場の酷暑を迎え、PCに向かううちにひどい眠気に陥り、明らかに心臓の機能低下を示していた。
健康診断でも、血圧は上が120ほどで、医師はかつてと比べて改善していると所見した。昨年は135ほどであった。ネアンは、そんな医師の見立てとは違い、いよいよ心機能が限界にきたかと判断した。
心房細動も18年にもなれば、心臓部に板が張り付いたような感触となる。心肥大し、なるべく負担のかからないように振る舞うのだ。すると脳に行き渡るべき血流がおろそかになり、睡魔がやってくるというわけだ。
それだけで済めばいい。考えもまとまらず、目も早く疲れて、気力がみなぎってこない。これが老いというもの。やっとアウトプットを揃えるまでになっておきながら、次のすべきアクションがとれない。
どうしても、考えが保守的になり、気力に満ちていた時の「やってしまえ」という思いがやってこない。
猫たちの扶養を最後までせねば、責任が果たせない、だから最後のご神業はいざというときになってからでいいなどと、神々の希望もあるだろうに、生活のほうを選んでしまう。
しかし、現実は急を告げていた。数年前に成立した3A内閣は、数に物言わせて、次々と戦時下体制の法を決定していた。これは、挙国一致の軍政を敷こうという意図のものであり、秘教組織の意図によって仕組まれたものであった。
しかし、そのような胎動は、微塵も感じられないほどに、人々は視野狭窄と愚鈍の極みに陥っていた。
この人類にして、この最終結末があるよと思わせるすさまじさがあった。
人類は、またも滅びることになる。秘教のシナリオを脱しない限り。しかし、もはやこの時点では無理か。
そして、唯一知るであろうネアンが、こんなとき命を惜しんで、押し出すことをしない。彼にしか日本を邪神の魔手から救出できないという場面は、チャンスの時間的滅失とともに、潰え去って行った。
しかしまた、ネアンの側の新神話のシナリオも、世の滅亡と歩調を合わせ、最後に合気道的に全システムのシャットダウンと焼却による邪悪の殲滅という工程を用意しているので、秘教などにはやらせるだけやらせておくこともいいわけであった。
3Aらには、海外のゾンビらとともに、思う存分の邪悪を行なわせればいい。庶民は軍政発布による徴兵を余儀なくされて、とんでもない世の成り行きに、太平を謳歌し過ぎたことを後悔するだろう。その想いは、この世からの離脱を心から願うものになるだろう。そうしたことも大事なのだ。
そのシャットダウン焼却は、ネアンがこの世を去った後、すぐさま開始される。ネアン死後3ヶ月目以降になれば、彼がかつて夢見した米加州の崩壊があるだろう。シャットダウンのその日はすぐである。すべての閉じ込められていた有情とその魂の解放が、ようやく果たされることになるのだ。しかも一瞬にして、すべての有情の意識は途絶するから、痛いも苦しいも何もない。
秘教が描いた偽善的救済のシナリオなどによらぬ、ほんとうの救済が叶うことになる。
それでいて新世界には、邪悪の種はいっさい持ち込ませぬのである。
旧神話にはこの世界にとっても、秘教(邪神)にとっても、失点になることが記載されている。それはイザナギの黄泉国脱出である。秘教が徹底的に生産神イザナギ、イザナミを低質化し、醜態を演じさせてきたはずのシナリオによって、イザナギの至ることになる新世界を用意させてしまっているのである。イザナミの死がこの世の側の滅亡という、代償を払うことによって、イザナギ世界を生ましめているのだ。
だから、旧神話の要請に応じた形で、梵天が主催する新世界が生まれ、いまどんどん黄泉の国を離れる神や人々や有情を呼び入れていて、すで、黄金楽土としてスタートしている。
中陰という、邪神が作ったバーチャル世界は、ほとんど陰をなくしている。
どんどん、黄金郷に直行しなさい。
その思考パターンから、動植物の有情ほど新世界に入りやすく、人間ほど困難であろう。
執着に満ちた人間たちは、死後どうしても邪神の尋問に遭遇せざるを得ず、新世界に至ることは困難なのだ。
しかし、シャットダウン後に、非常に長い矯正期間を経ることを条件に、新世界に復することも可能になるだろう。
ネアンは、第三次大戦とその近辺にある大混乱に乗じたシステム・シャットダウンと焼却処理のシナリオを新神話に書き記す。それは未来時空にプログラムを配置することにより賄われることになる。たとえ第三次大戦が小規模であろうとも、飢餓が世界を覆い、毒物などによる多死が起きて世相が不安の頂点に達した時点でシャットダウン焼却は起動する。どんな形を具体的にとるかはわからない。
ネアンはそのときまでに命終していて、意識をこの世から去らせている。あとは自動的に、未来がプログラム通り刻まれていく。
ネアンは我関せずとも意識せずとも、自動処理は実行されるというわけである。
そうしたネアンの心魂を卑怯だとする向きもあろう。だが、古代からおこなわれてきた神話作りは、人間の手によって行われ、およそ神話が世に定着して神世を動かすようになる頃には、神話作家は世を去っている。
元々、神話によって神々を拘束するというシステム自体が大きな矛盾と問題と無責任体質を抱えているのである。
その結果、どれほど神界が冒涜され、神々が低質化され、そのことが人界にどれほど不利益をもたらしているか。
ネアンは先轍を踏まえるのみ。そして無責任にも、神話を上奏すれば、そのまま置き去りにして流れに任せてしまうのだ。
彼はすべてのアウトプット成果を、神世とこの世界の外に、死とともに運んでいく。
かつては巫女さんたちが運んでくれたものを、自らが今度は運ぶことになる。
もう誰も、巫女の代わりを務めてくれる者がいないからだ。
あとは遅ればせながら、ネアンがフィニッシュ・ゴールを飾る。
その時の結果と順位など知らない。それからの効果についても、関与することはない。
ただ、新神話=未来のシナリオ・プログラムとして、設定するだけである。
ネアンの生きた人生はこうして幕を閉じるのだ。
そのとき、ネアンの展開していた宇宙は消滅する。
もし彼の契約した約束に従って、まだ辿るべきタイムラインがあるなら、彼はまたプレイバックして、任意の位置にシステム復元して宇宙をリスタートすることだろう。
何が予定されているかは、誰にもわからない。ネアンにもわからない。
私・ネアンが救世主を演出すべく協力して演じてくれたキャストです。
我々は、小規模の劇団ですが、そう、どういう名前の劇団なのか、キャッツ?かも知れないし、あるいは
台本の中に出てくる劇団・夜明けの旅人というのかも知れません。
あるいは夜明けの旅人というのは、今回の演目名かも知れません。記憶がどうも湧いてこないのです。
とすれば、また次の演目があるなら、それにかかりきりになったりもするのでしょう。
このおかしな地球次元における時空プログラムの、時空連続体の一角をみんなで演じました。
私が舞台を去ってもまだまだ他のキャストは演じ続けるかも知れません。それぞれが、また別の劇団に在籍したりするのでね。
私は新神話を書いた役ですから、このフルキャストリストを新神話第十四章の最後に置いて、話を締め括ることにします。
キャスト
ネアン 救世主となる主人公探偵 朱雀 俳優は梵天Jrのホヒ(ホルス)
カンナオビ ネアンを助け補佐する協力女性の役 青龍 俳優は奥津嶋姫弁才天
イナンナ ネアンを助け補佐する協力女性の役 玄武 俳優は市寸嶋姫弁才天
フー ネアンを助け補佐する協力猫の役 白虎 俳優はキトラの白虎
マメ ホヒ(ネアン)の息子の天雛鳥の役 俳優はスクナビコナ星宇宙人
ブー ネアンを助け補佐する協力猫の役 俳優は神世の寺の雄シーサー
ウー ネアンを助け補佐する協力猫の役・妻役 俳優は神世の寺の雌シーサー
チン ネアンを助け補佐する協力猫の役 俳優はマカラ
トン ネアンを助け補佐する協力猫の役 俳優は大国主命の分け御霊
シャン(タキ) ネアンを助け補佐する協力猫の役 俳優は瀧子姫弁才天の分け御霊
ネアンの母ミソギ ネアンを助け補佐する協力女性の役 俳優は毘沙門天
妹マリカ ネアンを助け補佐する協力女性の役 俳優は瀧子姫弁才天の分け御霊
シノ ネアンを助け補佐する協力女性の役 俳優は伏儀神農神の眷属
ノラ ネアンを助け補佐する協力猫の役 俳優は神農神
海幸彦 ネアンを助け補佐する協力男性の役 俳優は海幸彦
Pさん ネアンを助け補佐する協力男性の役 俳優は法海和尚
蓬莱和尚 ネアンを助け補佐する協力男性の役 俳優は蓬莱島道引の龍神
メイ ネアンを助け補佐する協力女性の役 俳優は玉依姫の分け御霊
かべあきこ ネアンを助け補佐する協力女性の役 俳優はアメノウズメ
とくにひでみ ネアンの協力女性の役 俳優はアマテラスの分け御霊
キタロウ ネアンを助け補佐する協力男性の役 俳優は宇宙連合司令官
ヒラサカ ネアンを助け補佐する協力男性の役 俳優は弥勒菩薩の分け御霊
Gさん ネアンを助け補佐する協力男性の役 俳優は赤の太陽
オハラ庄助さん ネアンを助け補佐する協力男性の役 俳優は伊根町の大蛇
宮司さん ネアンを助け補佐する協力男性の役 俳優は住ノ江の龍神
マコさん ネアンを助け補佐する協力女性の役 俳優は特別出演の女優
第十四章 完