弥勒下生

 

当会の坂本さんはいよいよすごい人であることが分かってきた。
ある日、坂本さんは自宅の仏間で瞑想中、突然海が押し寄せてきて、家の中もすべて海中に沈んだという。
水は完全に部屋の中に充満しているのにもかかわらず、普通どおりに息はできた。
と、そのとき胸の辺りにへばりついているものがある。
それは何と、仏教絵画に出てくる「龍魚」であった。
それが手を彼の胸につけて、何かをしている。
その手をどけて見ると、胸にぽっかりと空洞が空いており、そこから金色のまばゆい光がさしていた。
胸の皮一枚で、中の神々しい光の空間を包んでいるような感じなのである。

「ここで何をしている」と坂本さん。
龍魚は「お懐かしゅうございます。一万九千年前に突如おられなくなって、みんなで探し回っていたのですよ。こんなところにおられたとは。私はあなた様を ずっとお慕い申し上げておりました。いま私の命をあなた様にお吹き込みしますから、どうか御本神をお顕わしください。私はここで死ぬことができて本望で す」と、またも手を彼の胸に置く。

その手を再び振り解いて、「待ちなさい。お前の命と引き換えにするわけにはいかない。私はここにいてすべきことがあるのだ」と諭す。
「あなた様は私たちの憧れの的だったのです。どうかこのような穢土におられず、私どもと共にただちにお帰りください」

「いいや、私はここに最後まで救われずにいた者を救って帰りたいのだ」
と押し問答になろうとする頃、「特別な時間は終わった」と大音声が響いて、龍魚は引き潮に引っ張られるようにして、「また引き離されるのは残念です。お元 気でお暮らしください」と言葉を残して去っていった。

坂本さんは、そのようなことがあったにもかかわらず、自分がいったい何であったか、思い出せない。
以前にも、太陽の神に伴われていろいろ旅をしたが、その最後にまるで謎掛けのように、「御身の名は何と申す」と言って去った神。
それが分かれば、自分のすべきことの全貌も分かるはずと思い、もしかして分かるかも知れないと、謎解き第一の奥人に尋ねられた。

奥人は、いきなりのこととはいえ、すでに奥人の中で持っていた神話上の配役の名を口にした。
「黄泉津比良坂の坂本さんでしょ?」

「そのココロは、古事記にも載っているように、イザナギの命が、黄泉の国からイザナミ・黄泉神連合軍に追われて逃げ出すとき、まずエビカヅラ、次にタカム ナを投げて時間稼ぎして、いよいよ最後の土地の比良坂で坂本というところに生えていた桃の実を投げて、黄泉軍を撃退したとなっているわけですが、この意味 は”空に満ちるほど丸いUFOがやってきて、地上軍を打ち破るというストーリーなんですよ。
坂本さんはさる9月7日に実際に”桃の実”が空に満ちるほどやってきたのを目撃し、撮影もしているわけです。つまり、実物の予行演習なんですよ。だから、 本当の名前があるなら、おそらく坂本さんは、黄泉津比良坂の坂本さんではないかと思っています。
いや、もしかすると、桃の実を投げたイザナギの命のほうかも知れません」

「うーむ。そうかなあ」
奥人がさらりと言ってしまったので、そんなふうに言わざるを得ない坂本さんであったが、どこかまだ物足りないようだった。

奥人の言う黄泉津比良坂では、この後、イザナギの命と黄泉大神となったイザナミの命が、時空を隔ててしまう大きな岩を道の真ん中において、”言戸”を言い 渡し合う。

すなわち、イザナミの「私は今後一日あたり千人ずつ殺してやろう」と言うに対し、イザナギは「ならば私は、一日あたり千五百の産屋を建てよう」と、悪霊に 捕りつかれたイザナミに愛想を尽かし、永遠の離別を言い渡すのである。

これは間もなく起きる、聖書に言う最終戦争と、その後の成り行きを思わせる。
この選別の時を経て、穢土脱出の選民たちによる新しいエルサレム建設が始まるというわけだ。
まさに、古事記と聖書は同じことを言っているようである。

それはやがて間もなくやってくることであり、その引き金を引く国もすでに知れたことであるが、ここの読者ならすぐに分かろうことだ。
そのようなとき、奥人の周りに、「弥勒」というキーワードが出現し始めた。

奥人自身、弥勒菩薩というのは、あまり期待を持っていた神ではない。
というのは、奥人の著述「古代日本にカバラが来ていた」を引用転載している、彩明日迦著の「弥勒降臨」では、釈迦滅後56億7千万年後に来て衆生を救うと いったふうな未到来の約束手形を持たされて望みを繋ぐタイプのドグマを引きずることへの揶揄が見られるが、奥人もそう思うからであり、また光瀬龍の「百億 の昼と千億の夜」の阿修羅王のファンでもあるからだ。

そして実際、奥人は協力者の登場により目覚めて、2000年9月から、邪神支配と黄泉国化に対する行動を開始した。
大本神話にいう、国常立神の復活と復権という錦の御旗を立てての行動であったが、2002年8月にこの肝心の協力者の裏切りにあって頓挫してしまった。
これがうまくいっていれば、すでに今頃、世界に夜明けの光がさしていたであろうと信じ切っているため、この裏切りへの恨みは根深い。

そんなとき相前後するように現れた坂本さんであった。
9月この人の祝福を受けて西に帰る際、正面に神々しい神の目のような西日が見え、去り行く彼の家の方には、満環の大きな虹がかかり、さながら不思議な時空 のゲートを潜る如き感があった。瑞兆であるに違いなかった。奥人は、そこから坂本さんの属する別の時空に入っているのだ。

ところが、2003年からなぜか”弥勒”という言葉があちこちから囁かれる。
奥人のサイトを訪問された愚民党さんが紹介を載せられた阿修羅サイトを見られたオリハルさんが、九つに仕切った奥人の創作サイトのトップページを見て、 「弥勒十字」だと断言された。

奥人は、この創作サイトは、縁者を招くためのものと認識していた。
よって、弥勒が関係するなら、それも縁者ということになる。
また、国常立神は北東(丑寅)の方角に封印されているわけだが、弥勒菩薩も曼荼羅において大日如来の東北に配置されている将来仏である。
とすれば、救出を企てていた国常立神(ウシトラノコンシン)と弥勒菩薩は同体ではないのか。

そのようなとき、坂本さんがもう一度奥人に、自分の名前は何だろうと聞かれた。
奥人が、やや畏まりながら「弥勒菩薩」と言うと、「そうや」と返事があった。
坂本さんも、UFOから強い光線を浴びせられるつど、封印された過去を思い出してくると言われていたが、ついにご自分の本神を悟られたようだ。

奥人は、坂本さんに出会った当初から、七福神の宝船に、七福神の神様一体ずつ背負って乗り組む、定められた人物を探している途上であると聞かされ、奥人は その船の水先案内を勤める役目だと聞かされていた。
なぜ初対面からそんな預言めいたことをと思うが、弥勒浄土にいざなう宝船というわけなのだろう。

坂本さんは、神に対して、今生の間に最低でも一万人救うことを約束していると言う。
それを大人口の中から選別して、阿弥陀の浄土に連れて行かねばならぬと言う。
宇宙からきた正統な神々の遺伝子が、日本人にだけ伝えられていると坂本さんは言っていることなので、さしずめ日本人だけが対象となるであろう。

だが、奥人は、宇宙の一千億兆の有情の魂すべてを救わなかったらあかんと言って、叱咤激励している。が、それは宇宙神である梵天の仕事かも知れない。
また、国常立神(ウシトラノコンシン)と同体なら、もっと正義感が強くてあってほしいが、まだまだだ。厳格な元の神の能力もいずれ開花されることだろう。
奥人は、あのときもしかすると、新神話は頓挫したのではなく、ちゃんと機能したのかもしれないと思った。

弥勒は草の根グループとして発展する集団であり、ウシトラノコンシンは、いま奥人の関わる最大の人物としていま傍にいる。
弥勒の記憶を取り戻しつつある人物が傍にいる。
彼は弥勒、666の人間である。不完全な人間の形をとらなければ、この壮大な役割は果たせないのである。
そのために、はるかトソツ天を突然辞して、この穢土にやってこられたのだ。
封印された丑寅の地を蹴って出られたのである。
彼は人と同じように悩みまた試行錯誤してこの時空に活きている。
彼の意志の元、世界を夜明けに導くために、我々は自然に集った救世旅団である。
すぐ目の前まで来ている夜明けのために。

当会の旧メンバー新メンバーで、そこまで切迫感を持っているのは、坂本さんと奥人ぐらいのものである。
武良さんは、いざのとき宇宙連合の助けがあるからか、地上のことに何ら切迫感はない。ただ一塊の伝令役のような機能でいて、最後には宇宙人が何とかすると いった感じである。
また、YさんもSさんも、神様お任せの境地にあるためか、先に起こる事にそのようなインスピレーションはない。
同胞ながら、彼らは救われる側の立場をしっかりと認識しているせいで、あわてないのだ。

その点、救う側の立場で奔走する坂本さんと奥人は、ノー天気な彼らのわがままに付き合わされてたいへんである。
奥人はぼやく。「水先案内の船頭も、船の中で乗組員があっち座ったりこっち座ったりのてんでばらばらなら、舵を切れんと往生するで。こら責任負えんで」 と。

平成十五年十一月 奥人

追記
その後、2008年(平成二十年)8月に、弥勒下生の情報が、 カンナオビが高野詣でをした際に、空海ご自身からもたらされている。同時に不思議な六角オーブが、鶴亀すべるを象徴的に示す構図として写真に撮 られている。
次に掲げます。

 

空海の夢のお告げ・・・「まもなくお生まれになるぞ」

2008年(平成二十年)9月のお彼岸すぎに、弥勒下生の情報が、 奥人最大のパートナーが高野詣でをした直後の夢の中で、空海ご自身からもたらされた。同時に不思議な六角オーブが、鶴亀すべるを象徴的に示す構図として、 金剛峰寺持仏間を写した際の写真に撮 られている。

これも当時のブログ上の回顧録から・・・

弥勒下生は間近だ!!

昨日(2008年9月24日)は身内さんが地元のバスツアーで高野山に行かれました。私は、彼女が出かけてから知ることとなり、あの地は結界がきついから 一日心配なわけでしたが、案の定お蔭をもらって帰ってこられました。

私も鏡を見るように彼女と同様、昨晩から今朝にかけて、”気”が憔悴してしまい、ひどい体温低下とだるさに悩みました。しかし、お互いのコミがとれてから は情報の受け渡しができたために、気の疎通が図れて具合はいくぶん回復しています。

彼女の開口一番の情報は、高野山の話かと思えばさにあらず、昨晩見た夢の話でした。
彼女はすでに帰路のバスの中で強い睡魔に襲われていて、帰ってくるなり寝床で爆睡したといいます。
その際に見た夢がびっくりするような夢で、相撲の若貴兄弟のうちの若ノ花(兄のほう)の顔に似たお坊さんが、懐に白と金の光りもの(布にくるまっているよ うな何か)を抱えて現れ、おごそかに「まもなくお生まれになるぞ」と言ったそうです。

私はその話を聞いて、咄嗟にその御坊とは空海・弘法大師であり、お生まれになるものとは弥勒菩薩であろうと直感しました。というのも、事前に知識していた のです。
身内さんは「若の花みたいな顔で、がっしりした体格の背が高くない人物だったから、ほんとに空海?」と言いましたが、ではと、空海の肖像画をネットで探し てきて見せると、「似てる」と言います。
そのサイトはここ。空海 伝説にも詳しく、いいサイトを見つけたと思いました。

似てるという空海の肖像画

さらに彼女は、現地で写真を何枚か撮ったが、中に巨大なオーブが写っている一枚があるので鑑定してほしいと言います。
見ると、それは金剛峰寺の大広間と持仏間を写したもので、オーブは加納元信の描いた群鶴のふすま絵の鶴一羽の頭上に現れていました。↓

一枚のふすま絵の上で、鶴亀が一堂に会しています ⇒ 鶴亀すべる
持仏間は、「本尊にお大師さまを奉安し、両側には歴代天皇御尊儀のお位牌や歴代座主のお位牌をおまつりしています。」とのことです。↓
http://www.koyasan.or.jp/kongobuji/about/jinai_01.html

持仏間の扉になる襖絵の手前にオーブはあるわけです。
しかも普通、オーブというと丸いたまゆらでしょう。ところがこの場合は六角形なのです。私も変形オーブは生霊の一例ぐらいしか撮ったことがありません。
しかし、六角とは。主体が強い想念であれば、着物の形も出るかもしれませんね。とすれば高僧の姿か? それとも、六という数字を暗示しているのでしょうか。ならば六六六の弥勒ではなかろうか。(3つの6、身六)
あるいは、六角オーブの中に髭の濃い人物の顔が認められないでしょうか。

私は不思議現象があれば、こだわって見ることにしています。さらに重要なメッセージがあるかもしれないからです。見つけたならば、推理の連環に加えて行き ます。すると、それはおよそシンクロですから、連環の強化で築かれた魔法がいっそう強化することになるわけです。新神話という魔法は、少なくとも私の固有 の世界で良好な働きをすることになるわけですね。
いつかきっとさんの交信メッセージも随時の状態把握に役立っていて、神話魔法の係り具合を確認できます。
本名が”宮崎というのも不思議なシンクロです。メイさんの随時の夢や経験談にも、はっと驚くことがあり ます。
みなさんに感謝感激もいいとこなんですよ。
そのときのまとめものを次にしておりますので、ぜひご覧下さい。

弥勒降臨・推測のプロセス

さて、話を続けましょう。
釈迦の預言した弥勒が降臨する場所とは、この世でどこよりも繁栄している鶏頭城というところで、それは日本ではないかと噂されています。発音的に、京都と も東京ともとれそう。
いっぽう釈迦の弟子の摩訶迦葉は、弥勒の出現を待って、釈迦の養母の献じた金るの袈裟を手渡すためにその間、鶏足山で入定の状態で待機しているといいま す。鳥の頭と足の呼応ですよ。これは紀元前の話。
いっぽう空海は、入滅に際して、未来において弥勒菩薩の下生に合わせて復活すると宣言しています。鶏頭城が日本ならば・・・こうして、摩訶迦葉は空海に比 定され、鶏足山は高野山に比定されているわけなんです。
もしかしたら、身内さんの夢に現れた僧が抱えていたのは、弥勒に捧げる”金るの袈裟”だったかも知れないし、あるいはすでにそれにくるまれた赤子の弥勒 だったのかも知れませんね。

オーブも、空海自身か、もしくは生まれる弥勒のたまゆらだったのでしょうか。鶴=トリ=鶏の頭上に出ていることが、鶏頭城を示しているかのようです。鶏頭 城の弥勒=身六(霊身は六)を示したか。
夢、写真のおかしな写り、偶然ではないメッセージ、こうしたものを通じて示される異界の出来事は、我々にとっては象徴として感得されるのが常です。とにか く、今この時期ゆえに、弥勒下生がいつ何時あってもおかしくないと思う次第です。

私はまだ憔悴感がすべてはぬぐえていません。たぶん彼女もそうでしょう。これを記事化して顕わし終えたとき、不調から解放されると信じ、取り組んでいると ころです。早くしなくちゃ。
しかし、弥勒降臨を伝えるのに、しんどいのはないんじゃない?

もうひとつ、過去にあったシンクロについて語っておきましょう。上の知識はそこから多く得ているからです。
私はHPに掲載中の「古代日本謎の 中東思想渡来考」の原著を「古代日本にカバラが来ていた」題で1995年に出版しています。
ところが、それにいくぶん感化を受けた著者によって、「弥勒降臨」という著書が1997年に出されています。私の著書から多く引用されていて、名古屋の旧 友から盗作されているみたいだから、抗議したほうがいいと指摘を受けて、一冊購入したようなことでした。

見れば、私が別図書で引用した程度のことであり、礼儀も守っているので何も文句つけることはないように思いましたが、文章表現をまるごと使っている箇所が いくらもあるのはどうなんでしょうね。
いや、それよりもこの著書の内容が私の1999年末以降の新神話形成に大きく関わってくるとは、思ってもみなかったことでした。特に拙著引用部分に切り込 んでくる「かごめ歌」の解釈からは、大いに啓発され、人生がそのシナリオ展開に乗っかってしまう格好にさえなったのでした。これも不思議なシンクロと言え ます。
その他のいろんなところで、拙著の文章表現が散見されました。もしかして、彩明日迦=北卓司(拙ペンネーム)をねらったのかな??
申しておきますが、別人ですから。(^^;;;

これを書き終えた時点で、体の不具合もほとんどなくなった。これまた不可思議。
身内さんの具合もきっと良くなってることでしょう。

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後でいろいろと調べてみれば、占星学的には2008年からみずがめ座に入ったと言います。それまでは、うお座の霊的抑圧時代だったというわけですね。弥勒 はそれに合わせてご出現になろうということのようです。インドの弥勒像は手に水瓶を持っているとも。

また、そのときはノー天気だったのですが、リーマンショックがあったのが2008年9月だっ
たのですね。つまり、弥勒は破壊相としてまず現れて、建て直しがその後にやってくるらしいことです。これからすると、特定の人物とするよりも、世の中の大 きな流れと言ってもいいかも知れません。