古今を架橋する超宇宙論

目次

第四章 古代と現代に架橋する宇宙構造モデル概念 ・・・・・ ⇒ 

一、当宇宙構造モデルを考えるにあたって ・・・・・ ⇒ 

二、基礎研究 ・・・・・ ⇒ 

三、モデルの基本的仕組み ・・・・・ ⇒ 

四、モデル概念の原理的検討 ・・・・・ ⇒ 

五、総  括 ・・・・・ ⇒ 

六、心霊学に関するアプローチ ・・・・・ ⇒ 

七、古代思想との整合 ・・・・・ ⇒ 

八、おわりに ・・・・・ ⇒ 

あとがき ・・・・・ ⇒ 

参考文献 ・・・・・ ⇒ 


第四章 古代と現代に架橋する宇宙構造モデル概念

古代の物理学観は我々の世界はもとより、はるか神の領域にまで思索を及ぼし、神を中心存在

として秩序立った体系をもっていた。その取り扱う範囲から言えば、現代の物理学の対象とする

領域を包含する関係にあったことは確かである。そして科学の発達の経移からみても現代物理学

の基礎原理は多く古代の索引から得られており、その上に詳細な発見物をつけ加えて今日に至っ

ているというのが実情である。

しかし、近、現代物理学は観測可能なもの、証左のあるもの、公理や規定に基づき推測できる

ものといった公認の枠を設定し、そのらち外にある古代的科学観を排除した。このことは初め、

様々な不合理性や迷信を排し、多くの発明とそれによる文化の発達という良いものを生みつづけ

てこの方向づけに間違いはないと思われた。ところが、進化論と相まって人類至上主義が幅を動

かせ、今ほど自然を我が物顔で踏みにじることが平然とおこなわれている時代も無い。人は精神

の無い科学観と繋がりのない知識情報の氾濫の中で本質を見る目さえも摘まれょうとしている感

がある。いつもトラブル発生の後に反省し改めようとする傾向もまるで自然現象であるかの如く

理論化されたりしている。これらは実に奇妙な現象である。倫理観念の欠如、昨今の教育の荒廃、

心的不安など挙げればきりがないが一重に物質的豊かさの反面、精神的に虚無であることを如実

に物語る現象ではあるまいか。これら現代の半病的有様は最小限、古代思想が持っていた「全能

の神により万民に役割が付与され生かしめられている」というただこの認識に立つだけで改善し

ていくはずのものである。神が本当に在るのか、と言われるむきもあろうが、古代思想は神を認

識させるための膨大な知識体系と神に接近するための実践論を持っていた。これらのものが不合

理の名のもとに一べつもされなくなってから既に久しいのである。

本源に立ち帰らねばならないことは明らかである。不可知であっても神の存在に意義を見出す

動きが科学の中に出てこなくてはならない。そのためには科学的態度が表面的追求から脱して内

奥の本質を穿つ方向に進路がとられねばならない。それが難しいことなら、現代と古代の科学観

の融合をはかってゆくことが望ましい。少なくとも今、現代の半病的様相を改善する手段が見出

されていない以上、この方向に活路が開かれるべきことは言うまでもなく、この研究が時代のす

う勢となることは間違いないものと思われる。

話は変わるが、ここで現代の謎とされるUFO現象を考えてみよう。地球外知性の乗物である

といわれるこの不思議な飛行体は、人類に現状のゆきがかりを改めるよう注告を与えているとい

われる。筆者は中でも、その運動形態に新たなものの嘱望されていることを窺い知ることができ

た。アメリカで起きたUFO現象に図4 ・1のような成りゆき をしたものがある。各コマは右記

時間経過後の光体の変化を示しているものとする。

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この解説は至って簡単である。四次元時空上に十手型に横たわった物体を時刻tの断面でスラ

イスして目撃していたというわけである(図4 ・2)だが、このような変則的物体を四次元時空

に置くという所業は五次元的なことではありはしないか。この後、UFOは米空軍のヘリコプター

のまわりを旋回して推進原理の明らかな違いを見せつけているという。

五次元世界、これは表面観察を続ける現代物理学では認め難い言葉である。逆に今は黙殺され

ている古代科学なら得意とするところであった。そしてこれすら全体の中の一部にすぎないと言

うであろう。この皮肉に我々の歴史の負った業のようなものを感ぜざるを得ない。しかし、考え

ようによりけりである。この両者が合すれば、やがて″活″となる。そしてそのような変革が今、

内外から要求されていると思われるのである。幸い、古代科学は現代科学の扱う領域を包含する

関係にある。そして現代科学は可観測な仕組みを詳細に考えているに対し、古代科学はむしろそ

の外周から無限の神域までの非可観測な仕組みを概括的に与えている。このため、融合は互いの

主義を闘わせながらも比較的容易であろうと思われるのである。

もし古代思想を充分に説明できて、なおかつ現代物理学と整合性の保てる新旧統合の物理理論

ができたら画期的なことである。そのときには現代の抱える諸余の問題を考えれば、少なくとも

古代思想の積極的な再検討が図られるべきことは言うまでもない。拙論は、そのような現代とい

う時代の暗黙の要請に基づいて提案する一つの試案である。

その前に、古代思想特有の基幹概念に少なくとも次のようなものがあることを述べておこう。

1 超空間(現実世界とは別の天界や冥界など)

2 原型的世界(理念、アカシックレコードの存在領域)

3 意識

4  霊

これらのことは現代物理学では全く解き得ない。1が解けないとUFO現象は説明できない。

2は物理学的土台をくつがえすものであるゆえに一べつも与えようとしないだろう。すると3が

説明困難となってくる。拙論はそのような中に新しいモデルに基づく新物理概念を展開し、これ

らの問題を統一的に解明しようとするものである。

一、当宇宙構 造モデルを考えるにあたって

現代物理学が自然界に不変の法則性を見出すべく努力する根拠には、自然界を運行せじめるあ

る種のメカニズムの前提的な想定があるからに他ならない。それなら一層のこと、コンピューター

のようなものを法則の担い手として、現象の背後に仮定して物事を考え直してみてはどうだろう

かと考え、 一つの宇宙構造に関するモデル試案を構築した。概略骨子を述べると、現象は超越的

なコンピューター的メカニズムにより、原型的プログラムが実行された結果、生じていると仮定

していることである。このときのコンピューターとは銀河、超銀河のマクロコスモスから人間そ

れ以下のミクロコスモスの精神部分であり、それらが連合して矛盾のない宇宙の運行がおこなわ

れていると考えている。ここで取り上げるものは、 一般的な数理的モデルではなく、機能モデル

であり、しかもモデルの構成要素が単純なものではないので、 一般に受け入れ難いものであるに

違いない。加えて、現状の四次元時空の物理観からすれば、背後のメカニズムなどの存在する余

地は無いというのが大かたの見解であろう。

だが最近、ある方面からこれを可能してくれる概念のあることが分かった。アメリカのミサイ

ルエ学の専門家であるトーマス・ベアデンの創案した超空間概念である )。彼は、エベレット

理論などを根拠にUFOを含む超自然現象を統一的に扱うことのできるモデル概念を発展させて

いるが、筆者の考え方とはかなり共通するところがあるので多く参考にすることとした。拙モデ

ルの中核をなすコンピューターとは、ベアデンの考え方を流用すれば、超空間にある有機的精神

物体ということになろうか。

ところで、どうしてコンピューターなどを模型にしなくてはならなかったのか。少なくとも精

神の領域を語ろうとするのに無感動冷酷な金属物体でおこなうとは何事かとお叱かりを受けるか

も知れない。古代思想で基本的に言明されているのは、「人間は神の模倣」、詳しく言うと「大宇

宙と人間は同じ仕組みで作られ、神はそれらの世界を包み、かつ融合している」ということである。

このことは幾多の民族に共通した思想ともなっている。もっと古い伝承によると、「最も原初の頃、

人は神と対等であった」とさえ記されている。

人を神や宇宙をあらわす模型として科学する方法が古代にあったことも確かであろう。それは

多く、人間に内在する神的部分の拡大と意識的接近にふりむけられ、現在において隆盛すること

となった瞑想学を登場させた。しかし学問の側で、人間という有機生命体をつかって表現するこ

とは非常に複雑で難しく、現代のように人間の機能の細部まで理解されるような時代となったと

いえども、それは不可能なことであろう。古代においては、そのエッセンスを抽出して、積極的

にモデル化が図られたようである。

カバラでは「生命の木」のモデルがあり、それは宇宙にも人間にも適用されるとしている。ま

たインドでは「マンダラ」があり、やはりこれも宇宙(如来)と人間の両本性を結びつけるシン

ボルとされた。それらは瞑想のためにも用いられたが、重要な学究的モデルであった。このよう

にシンボライズされなくてはならない理由があったのではないだろうか。その理由として筆者は、

人間をモデルにすると余計に不鮮明になるということを揚げたい。

現代に至リバイオニクスの成果が実り、人間は自分に似せて多くの機械を発明した。中でもコ

ンピューターは人間の中枢的機能を美事に模倣し、いつでも機器的構成図などの形で機能が明確

に把めるようになっている。宇宙の模倣が人間で、その模倣がコンピューターなら、コンピュー

ターモデルで宇宙が説明できるのではなかろうか。

物理学は最近とみに物事を観念的に扱えなくなり、数理的手法に頼るようになった。ミクロの

状態記述にはやたらと演算子が登場してくるようになった。筆者の予想では恐らく近いうちに物

事は情報とその演算によって成立しているのだと物理学は結論するだろう。またマクロを扱う生

物学においても、行動生物学は動植物の本能の世界を支配するのは信号と反応の連鎖、すなわち

情報伝達とその情報に規定された手順の発動のくり返しで成るのみであることを言明している。

人間の場合、創造性や伝達系の錯誤などにより、極めて異例の行動様式を備えているが、それで

も基本的には同じである。

自然界における反応系、人間をはじめ、生物の行動、さらに原子・分子の動き、各種保存則の

成立などを考えると、情報伝達を抜きにしては語れないのであり、その有機的機能体であるコン

ピューター的反応形態は汎ゆる生命現象の根底をなす基本原理と言っても良いものである。人間

は本来、生化学的コンピューターとしての性能を持っている。そして現行のコンピューターは人

間の仕組みを判り易くする便宜的手法でもあることを理解願いたいのである。

では、次に拙モデルを支持してくれそうな一風変わった傍証を掲げておこう。五井昌久氏を通

じて宇宙人のもたらした知識情報の中には現象生成がまるで磁気コアメモリを磁化するような方

法でなされている一節があつた。また超能力者ユリ・グラーはスペクトラムとかロンバス四次元

とか名乗る超空間上のコンピューターから知識やエネルギーを受け取っていたという。また、ヨー

ガをはじめ、古代インド哲学でいうアカシックレコードとは、予め設定されている現象生成のプ

ログラムのようである。それは過・現・未に渡って歴史のなりゆく様やありうべき知識が理念の

世界に存在しているというものである。予言者や発明家は多くここから情報を得ているという。

古事記にも、現象生成の仕組みがコンピューターと相似の関係にあることが述べられている。

「思金の神」は山田久延日子氏の言われるようにコンピューター。この神の親が「高御産巣日の神」

すなわち現象運行の摂理なのである。詳しくは後程古代思想との関連説明の際に表で示す。

二、基礎研究

量子論では、時間とエネルギーの間には不確定性関係が成立っているから、極めて短い時間に

はエネルギー保存則を満たさない過程も起りうるとされる。このため、電子などは短時的には仮

想的な光子を放出吸収していると考えることができる。これは、仮想的プロセスなのであるが、

運動量変化に伴う光子放出や、相互作用を考える上で欠かせないものとなっている。陽子や中性

子でもπ中間子を出し入れしており、核力の理由とされている。

仮想光子に対し筆者は実質的意義として、次のように想定したい。それは、粒子というものが、

ある種の励起状態にあるものを言い、その元となるものが観測にはかからないが存在しており、

仮想光子は元のものを粒子に励起する「基エネルギー」として働いているのではないか、という

ことである。

図4 ・3を観ていただきたい。粒子の時空構造や性質を記述した”情報″のようなものがまず

あってそれを仮想光子が次々と点燈していくというモデルである。これは粒子が仮想のボーズ粒

子を出し入れているとする量子論的事実と矛循しない。ここで重要なのは、時間が仮想光子に付

随して発生しており、常に現象は、励起された最新のものが存在しているということである。詳

しく言うと、仮想光子が情報と作用して時間が生じているため、生じる時間の範疇でおこなわれ

る物理的観測には情報そのものは検知されないし、仮想光子も現象上には登場してこないのであ

る.。(すると量子論でいう仮想光子のふるまいに帰因する発散の問題は解決つくのではないか。

識者は調べられたい)

null

次に不確定性の意義を考えてみよう。

場の量子論では四次元時空上の量子場は、それを頂点とする光円鐘の内側にある過去の源に

よって決定される。つまり、現時点の量子場は過去の一意に決まった地点をもとに相対論的因果律を満

たして存在しなくてはならないとしている。ここで電子のみに限って、図4 ・4をモデルとして次のよ

うな仮定をおこなおう。

null

時間的にみれば、電子はA点にあった次の瞬間(現時点)にはBの局面の確率的に分っているどこかに

在ると考えられる。その間には拙論のみにユニークなアイデアでぁるが、考えられるB点との間に軌道

が無限に引けると仮想される。現時点ではこれを確定できないが、保存則の成立が必要であるため先述

の仮想光子が放出された時点、つまりCの局面に達した時にはB点として一意に確定されていな

くてはならない。

つまり、現時点の量子は仮想光子が投入されてできている一種の過渡状態ということができる。

原因と結果の関係は予め、相対論的因果律に従い無限通りの方法が確率的に決

まっているのであるが、 一通りの時間の中では量子という過渡状態を経過することにより、

一通りの経路のみが選択確定されているのではないかと考えられる。つまり、 一刹那毎に確定する

過去、過渡状態としての現実(量子)前提として刹那毎に無限分岐するプログラム情報の存在が仮定

されてくるだろう。このうち、我々の関知するのは過渡状態のさらに特別な場合のみであり、前後二者

は全く知り得ない状態にあることを理解されたい。

以上してきた議論は、現象運行の基礎がコンピューターの動作原理に相当するものを内在させ

ていること、およびこの説明のためにコンピューターモデルが有効であることを述べようとした

ものである。またこの後、物理学的議論から漸次、意識、超意識へと話を進めていくが、その前

提となる考え方であることに注意されたい。なお、物理学上の用法と混同を避けるため、仮想光

子は次節から虚光子と改める。

三、モデルの 基本的仕組み

前節でおこなったモデル化のための基礎的事実の考え直しの結果に適合するように基本的に次

のようなモデル構成を考える。

ノイマン型コンピューターを中核にし、ホログラフィを入力系、空間媒質グラフィックスを出

カ系に配置し、次段階入力制御のためのセンサー観測、その結果のフィードバック機構を併せて、

モデル構成の1ユニットとする(図4 ・5)これが他系と通信回線で連絡し、後述する階層的ネッ

トワーク組織を形成すると考える。(モデルの構成要素のあらましは、表4 ・1を参照のこと)

null

null

モデルの構成要素は機能的仮定によるものであり、実際には積分された有機的精神物体として

超空間に存在する。このために我々の感覚はじめ物理学的観測にはかからない。その仕組みは大

まかに、コンピューターによるプログラムの実行によって現象が生起していると考えるものであ

る。図4 ・5の構成要素の全ては超空間にある。さしずめ、空間媒質が我々の世界であるようだ

がそうではない。空間媒質は実験炉であり、そこに火が入れられてなおかつ、センサー検知で観

測され始めて現象空間が(識域下に)生じることになる。

我々の世界と超空間を結びつける唯一の次元は時間である。これはベアベンの考え方に一致する。

しかしさらに言うと、この両世界は時間の中の変化を通して相互作用すると考えられる。

これが拙論にュニークな点である。

ここで、人間の有機的精神物体とは何かというと博識な読者ならお分かりのように、心霊学でいう幽体であり、神

智学でいうアストラル体である。だからコンピューターといえども雲をつかむような高度生命体であることがお分か 「

りになろう。

モデルの設定が最新技術の枠ばかりを集めたような結果になったが、現象説明に有効であるということ以外に次の

ような筆者独自の思想がある。すなわち、歴史は最先端ほど宇宙の真相を累積的にまた総決算的に吐露していると考

えるのである。特に現代は良いものも悪いものも何でもかんでもひしめき合うようにして表出しているのであり、そ

こから何を汲み取るかは人の自由意志に任されていると考える。

現象生起の大まかな仕組みは次のようになる。

1 まず前提的にホログラムに記録された現象の運行を記述したプログラムがある。ホログラム

は無限次元であると仮定し、*1絶 対的超空間に在るとする。これは一種のデーターバンクで

ある。プログラムは全宇宙の発生から終結、無限小から無限大(極限が有るなら大の果てから

小の果てまで)のすべての成りゆきうる場合を網羅しているとする。前提的なプログラムの存

在という考え方は、現代物理学、現時点が時間軸上の最前線に在ることを自負する―― からす

れば御法度のことであり、科学界の権威の根底をくつがえす忌むべき概念であるに違いない。

しかしこれは既に故湯川博士が打ち出された素領域論の前提的概念でもある。この論は今検討

されているところであるというが、この東洋的発想に凱歌が上がらんことを期待したい。

2 *2超空間のコン ピューターは自系他系に発生する情報を考慮しつつ、自己の目的や資質に

応じたプログラムを自己のメモリ空間(やはリホログラム)に呼び込み、それをもとに順次実行する。

3 実行の過程には*3虚 光子(ホログラムに対するレーザー参照光)による参照と解読により、

一*4情報単位(一命令 語)のn次元情報が取り出され、演算されてn次元空間媒質のいわゆ

る実験炉に投射され励起した結果が現象となる。

4 実験炉の中で現象生成の波頭に乗ってこの結果が観測され、次の実行サイクルのために情報

がフィードバックされる。

物理学的観測は、3項で励起された二次体(量子)の相互作用の記憶をとどめる光子の情報を

もとにしている。厳密には、観測者にとっては、時間の刹那毎に起る自己の内部変化だけが検知

されているにすぎず、与えられるままに変化の流れを読取るにすぎないと言える。既に申上げて

いるとおり、プログラム情報は一切検知されない。これゆえ、情報の存在空間と現象生起の空間

は全く独立したものとすることができるし、情報系に対しては、絶対空間の概念が適用されても

構わない。相対的な形式はこれが実行された結果、生じるのである。

なお、実行時の演算結果をタイムリーにモニターする割込み処理が内部でおこなわれていると

すれば、現象は完全に精神の中でおこなわれる変化の流れにすぎなくなり、空間媒質すらも不要

となる。ベアデンは観測者にとっては時間の刹那に併い起る自己の内部の変化が検知されるのみ

であるとして、現象とは観測者の精神の内部変化であるという推論を進めているが、拙モデルは

ちょうどこれを超空間から観たものとなっている。

また、図4 ・5からも分るように、システムの1ユニットに関係する観測は三種類ある。 一つ

は物理学的観測、二つは、他系からの情報入力、三つは自己の内部状態(実行状態)をモニター

するもので、いづれも次段階の制御入力となる。(以降、「観測者」と言う時は、物理学的観測者

を示す。また、「実行者」とは、1ユニットそれ自体に起る変化に係わる超空間部分に在る全て

を示すものとする「観測者と実行者は処理の一連の過程の中で表裏一体となっている。)

なお、人間の機能と対応させて言えば、実行者とは超空間上の有機的精神物体であり、観測者

こそ我々の肉体、中でも五感の観測結果を統合して情報を創り出す脳であることに注意されたい。

四、モデル概 念の原理的検討

物理学上のいくつかの根本的問題をモデルによって明らかにし、発展的に超自然現象、超心理

現象の仕組み、その意味あい等を考えてみることにする。

(一)時間

時間は我々が考えているように一定の大きさを持って不変に運行しているというものではな

い。自然界は非常に小さいところで切断しているというのが最近の物理学の見方である。そこに

はプランク定数が関わっており、それが時空に渡って存在する最小の現象をつくるエネルギー的

基底量と対応していると考えられている。拙モデルから考えれば、現象は情報が励起された結果

として生じているとする。(情報の励起とは情報の実行あるいは演算の結果を空間媒質に出力す

るという意味であり、今後この表現を用いることになる)

時間はコンピューターの実行に随伴して発生する。たとえば、参照光により得られる情報(命

令語)を一単位づつ実行するとき、この順序の中に光速や各種の保存則などの相対論的因果律が

情報レペルで規定されていると共に一単位毎に「みかけの」時間の大きさが与えられると考えら

れる。このため我々が円滑と考えがちの時間の流れも実は破断しており、その間には何事も保証

できないのである。

時間経過はプログラム上の二地点間の論理的距離や発生時間の累積値として求められるが現象

上ではこれを観測できず、空間的な測定結果から推量されるだけである。ただ、これは実行者の

超空間では観測可能なわけであり、生物時計や発生分化、老衰プロセス発動の根拠となる観測系

の存在を予告するものである。

(二)光子と虚光子、そして量子化現象

我々のいう光子は拙モデルでは情報の演算結果であり、その他の粒子と情報形式の差こそあれ

原理的には同じであると考えられる。情報の演算過程には虚光子が介在しており、現象の陰の担

い手は虚光子であると言える。 一方虚光子は超空間上でコンピューターの実行サイクルに関わる

電磁的物質であり、我々の世界に作用するときに現象励起の基エネルギーとしてあらわれる。し

かし現象上には情報をかぶった仮面としてしかあらわれてこない。

光子は虚光子が情報にチャージして表現された量子である。時間も同様に量子である。そして

情報に従い時間と空間は虚光子を介して相互変換しているというわけである。それは相対論に基

づく。また、我々がする観測は量子間の相互作用の結果の記憶を持った量子によっておこなう。

この反応系には相対論的因果律が支配する。 一方、虚光子は無限分岐する未確定な時空情報に

チャージして量子を励起させ、次の瞬間ここから放出されると同時に確定された一つの情報(粒

子の足跡)を残していくタイプのものである。これには相対論は適用されない。

電荷やスピンのような量子化は基本最小単位がbitであることによるだろう。(むろん、この

場合のbitというのもさらに明細が下位にブレークダウンしているのであり、ここではある実行

者の実行状態における最小の代表情報なのかも知れない)これに基エネルギーがチャージされデ

ジタルな演算の結果、bitを基底とした値が出てくるのである。これは一つの情報単位にかかる

下位の*5情報素量のレベ ルで出てくる。これは*6量子数的量子化と言われる。

また、場やエネルギーのような*7量 子的量子化の方は情報単位のレベルで出てくる。つまり、「

粒子自体励起の一単位であるからだ。その基底には演算前の基エネルギー(虚光子)があり、そ

の仮面として量子が出てくるのである。ところで粒子と分かるものは現時点の量子から推測され

る過去の情報であることに注意。

このように量子化現象は潜在したコンピューター性を端的に示している。

(三)プログラムの情報構造

コンピューターの扱うことのできる命令語の大きさに制限があることは自明である。同様に、

各種の情報単位を構成する情報素量には大きさの枠があることが明らかであり、これが演算後の

各種物理量に表現上の限界を与えていることは充分推測できる。

では情報構造としてどのようなものが仮定できるのであろうか。従来、分子から原子そして素粒子さらにクォーク

といった究極的実体を探ることがおこなわれてきた。しかし未だに最終がどこにあるとの解答は無い。また、いくつ

か考えられている相互作用が粒子交換モデルにより統一できるのではないかと考えられている。だが、これも重力場

を組み入れるに至っていない。重力場には計算の過程で、非線型性が生じてきて計算上の限界をきたしてしまうとい

うのである。これに対して重力場記述に関しては四次元座標では足りないのだという推測がある。このようなことか

ら、拙モデルでは、次のように考えてみる。

プログラムは、ある因果律に従い、予め命令語で記述されている。同様に現象の変化を示したプログラムもある種

の命令語で記述されるが、その構造は図4 ・6のように階層構造をしていると考えられる。局所的にみれば、下位の

ボックスは上位に対し粒子の性質を決める情報素量の役割を果たす。つまり、ゲージの演算子場

やクォークのような、さらに細分化できる粒子などを与えるものと考えられる。

null

図4 ・6左は粒子がより下位の粒子で構成されていること、量子場が様々な場の関数として出

現しているという事実から考えたモデルである。ここでは下位の粒子が上位の粒子の性質を与え

ると共に量子化したときの演算子を供出することや、上位の粒子が下位の粒子の存在の枠を決定

することが示されると考えられる。また、下位の構成子を必要なだけ設定すれば何次元の要素で

も記述が可能となる。これはミクロの話においても、マクロでも充分機能する。我々の人体模型

や太陽系の構造にも、また観念的な物事の説明にも対応のとれるものである。よって、汎ゆる自

然現象の根本原理図と言ってもはばかられないであろう。

実際には、このような局面的階層関係が、時間と空間の構造を含んで上位にも、下位にも際限

なく組織されているものが一つのプログラムにまとまっていると考えられる。(図4 ・6右)

ここで一つの重要な仮定であるが、このプログラムの情報構造は実行者(コンピューター)が

観測のために要求する精度に応じて、可能な限りの無限小から無限大までの任意の階層かつ任意

のサイズの情報を一情報単位として供給することを可能にするものになっているのではないか。

つまり、現象の破断は実行者によって起こされているのであり、それを可とするプログラム構造

になっているのではないかというわけである。

不確定性でいう観測時間の長短の問題の実質的意義はここにあらわれている。観測的時間が長

ければ現象は我々の目で観測するほどのマクロなものとなるし、短かければ素粒子よりもなお下

層の領域を調べるものになりうる。その差は時間が量子化していることによる。物質界が量子化

しているから、時間もそれに対応しなくてはならない。それは観測光のエネルギーとして与えら

れる。高エネルギー的光子はより下位の粒子を探るであろうが、その場合一担、相互作用の時間

を限定する中間子に変化していると考えればよい。この量子化したものこそ、その精神体、とし

ての実行者と対応がとれるものである。よって、情報の規模に応じて実行者もとびとびのスケー

ルをもっているし、とびとびに定在し、受け持ち範囲を勤めているというわけである。

(四)情報上に記述された変化と保存則

量子論では素粒子のできたところと消えるところといった観測点には、汎ゆる可能性があって、

時空の連続性の概念さえも、いかなる基礎もないとされている。この中には二つの問題が提起さ

れている。 一つは変化の究極的な時点(地点)が定まらないこと、二つは、観測およびそれから

導かれる推測に限界があることである。これらは、従来のモデルが表面的追求に終っていたため

に起きている。

情報構造からすると変化は分明(デジタル)に記載されている決定事項であり、不可知性は一

切無い。問題は、やはり量子化過程にあるのである。虚光子が投入されてできている過程には、

そこで形成される時間においてのみ、時空の連続性は保たれるがそれ以外は全く保証されない。

つまり潜在した領域の話なので語りようがない。変化の究極点も、最初から破断しているも

のであり、この境界を考えること自体ナンセンスである。実行は明滅的になされ、観測はその

「明」のときだけなされるのであり、マクロな観測者はただ、量子の点燈した時の結果の集合

をもとに連合させて隔った時間と空間の間がなめらかにつながっていることを感じているだけ

なのである。

変化の過程を示すために図4 ・7を掲げる。

null

図は粒子の崩壊の例であり、 一粒子が分裂し二つの同じ粒子に変化する様を示している。現象

的にはa粒子は次の瞬間bとcの粒子に分裂している。だがこのとき、実行者も含めた上で考

えており、El系実行者の時間軸に繋がっていた情報がツリーの或る個所で二つに分解されそ

の一っはE2系に引継がれていく方法をとる。

(El系も消えて全く別のE3系に転進すると考えてもよい)その間には各階層に応じた情報量

保存則が成立している。これから分かるように粒子は時間の刹那というボックスの下に記述され

た情報であると言え、これを統合するのが超空間の実行者であるということになる。

お気づきかも知れないが図4 ・7はコンピューター技法中、データーベース手法の一般的なも

のを流用している。要は実行者が何をデータの索引キーにしているかによって、みかけの時間軸

が生じているというわけである。実行はこのように特定の索引キーによって実行者毎にユニーク

になされる。このように実行者個有に系を形成しているという概念により、物理学が現在当面し

ている多くの問題に客観的な説明を施せるようになると思われる。相対論的因果律は起源ではな

く、より起源的なものの派生物にすぎないことも言える。ただ、それをマクロな事象に結びつけ

ていくとき、かなり飛躍した考え方を呼び込まねばならないのであるが、幸い、古代科学がガイ

ドをつとめてくれることになると思われる。

(五)情報構造とマクロな現象

では、このような情報構造と現象が一体どのような関係にあるのかをもう少しみてみよう。あ

りうる限りの無限小から無限大までがそのまま現象上に投影されているとすれば、いかにも簡単

であるが、それでは始めから情報を現象と区別して考えなくても済むことである。ところが実際

に現象はそれほど簡単なものではない。まず、観測者に基準が起かれるとする相対論が扱えない。

また、量子化する理由が説明つかない。ニユートン絶対系とは実験的に異なるのである。

今の物理学でも存在の態様がどのようなものであるかは実験的に、数理的に導き出せたが、そ

の理由となると分かっていない。そのようなことは考えなくても良い、また納得できる説明のつ

くものではないというのが信条なのかも知れないがそれでは大きな未知を残すことになる。

筆者は図4 ・6をもとに、次のようなことを考える。実行者は少なくとも一つのボックス乃至

は一つのボックスを頂点とした複数階層を同時に一情報単位として実行する。ミクロの場合、そ

の階層は少ないがマクロなレベルでは多階層もありえるだろう。そしてミクロ、マクロがどのよ

うにして秩序立って統合され、あたかも一通りであるかのように運行されているかについては次

のように考えられる。

観測の側から考ぇたとき、ある観測者にとっては極ミクロのことまでを感知する必要はなく、

必要とあらば別の観測者をたててそこから情報収集すればよい。それと同様に、実行者も細部ま

で関知する必要はなく、別の実行者をたてて、下位の現象を運行させているのであろう。だが、我々

の世界をみれば分かるように、観測者のレベルでは観測は全く独立し、排他的になされる。そし

て意図して結びつけられることがなければ有機的なものになりえない。しかし、実行者のレベル

では実行すべきプログラムや下位の観測結果等の受け渡しがたぇずおこなわれており、それが緊

密であるため現象上には矛循が生じてこないと考えられる。これは精神界と物質界の大きな相異

と言えよう。精神界でのふるまいは波動的であり、物事はミックスされて出てくる。だが物質界

は全てが自己の殻を持ち妥協を許し難い形態をしている。

ベアデンは、巨視的世界は点滅する光点から成るテレビ画面のようなものと言つたが、巨視的

世界は実行者ごとにユニークな情報処理がおこなわれている集積場のようなものと言い替えるこ

とができると思う。巨視的世界に矛盾のないまとまりがみられるのは、プログラムの階層構造に

対応して、実行者が階層構造的に組織的な情報処理をおこなっているからと言えよう。

(六)プログラムは観測者を基点にして実行される

さらにもう一つ重要な問題がある。観測はなぜ特殊相対論に従うのであろうか。通常のノイマ

ン型コンピューターでは一般的にベースアドレス方式が採られている。これは、同じプログラム

が異なったメモリ空間に置かれ別々に実行されても同じ結果が得られるようにハードウェアー的

にアドレス修飾ができるように工夫されているやり方である。若千二ュアンスが違うが、実行者

はプログラムをメモリ空間に導いた時点あるいは実行時に観測者を基点に時空を扱えるようにブ

ログラム情報を修飾していると考えられる。つまり、汎ゆる相対的な場の量は観測者に基準が置

かれるのである。これは実行者から現象を励起する光が発せられ、観測光が観測者に帰せられる

とすれば至極当り前のことかも知れない。

こうすると観測者個有の現象があたかも彼の周りをとりまいているようなものであるが、そう

ではなく、現象は超空間上の実行者の「心の面」に生起する出来事なのである。このように現象

は実行者に併い発生するゆえに、個我は他と区別されて意識される。そして、現象はあたかも他

の個我の領分と不可分に透け込んでいるが、トップダウンされたプログラムを観測点を違えて共

有しているのであり、 一時点一観測の原則は守られる。

(七)異なる時空の間の相互作用

ベアデンによると全系時間を与えた超座標系内で、実験室空間、超空間、物質、精神といった

ものの空間的な相互関係が認められるという。その中で、実験室空間の位相を変え、一直交回転で、

光子、二直交回転でニュートリノ、三以上で精神物体がそれぞれ存在しうる超空間であるとして

いる。そして、各空間の間の物質は、虚状態で充満的な無を媒介として干渉し合っているとして

いる。たとえば精神物体が凝集し、臨界に達すれば空間を超えて物質状態が変化し、我々の世界

に物質化現象としてあらわれたりする。その例として、UFOや幽霊、あるいはファチマの聖母

のタルポイドなどを携げ、人類の集合無意識が引き起こすキンドリング現象であると解釈してい

る。

拙論でも方法は違うが似通った考え方となる。まず、位相的な階層的超空間の概念は、階層的

励起モデルを基本的に支持してくれることを述べておく。

次に、精神物体が凝集し、下位時空に作用を及ぼす過程、すなわち、階層の上下空間間の相互

作用の形態はコンピューターの実行の過程への変化介入という方法で実現できる。実行の過程に

は、量子状態を実現すると共に、無限通りの進路から一通りを確定すると

いう演算がおこなわれていると考えられるが、ここで変化介入は、通常な

ら状態変化を示す情報素量について慣性的な進路がとられるのに対し、慣

性を情報的に破ることである。(図4 ・8)といってもプログラム情報の

実行直前の値を変えるというのではなく、参照光の方向乃至は波長を計算

で意図された分だけずらせばよい。すると慣性方向とはちがった地点から

実行が継続される格好になる。この瞬間、現象的には基本定数の変化が起

こり、短時的な超自然現象が実現していることになる。

null

既にお分りと思うが、制御された参照光こそが励起される現象時空の存

在の根底をつくっているのであり、これが物理学上の第四軸、時間を与え、

我々の世界を電磁波動的なものにしている理由である。この中で波長は通

常、 一定に保たれているものであるが、必要に応じて変動し、新局面を開く自由度を与える。(こ

の機能は図4 ・5の操作部が主制御部の指示を受けておこなうものである。)

これは現代物理学が目指す四次元時空のみで現象を記述できるとすることと何ら矛盾しない。

五次元的変化は時間次元を通してやってくるからである。五次元的事象は超空間の実行者を介し

て時たま出現するにとどまっている。特にミクロでは実行者が機能的に単純なので汎そ統計的に

ふるまう。よって統計的観測である限り全て統計的誤差に含められてしまうだろう。かえって、

この現象の多くは定量観測の困難な生命体の中で起きていると考えられる。(一つの試みとして、

超能力者を素粒子物理の実験室に連れて行けばかなり面白い観測が期待できるように思われる。)

(八)精神作用と現象への関わり方

変化介入は特に精神作用と関わりが深いことが考えられる。これは超心理学分野の問題でもあ

る。実行結果の観測結果情報は現象と独立したところでどのように演算加工されても構わない。

それは図4 ・5から分かるコンピューターの機能として自明である。むろんこの演算加工処理の

ためには実行者の中に処理プログラムが存在していることはもちろんであり、ミクロな実行者で

はそれは先述したように単純であると考えられる。しかし人間の場合、それはどうやら霊系から

の付与物であるらしい。ここに心霊学とのつながりが出てくる。

入力情報は現象からのフィードバックのみならず、他の情報系からの入力もあり、現象上の一

励起単位に対して演算加工に無限の奥行きを容認できることになる。そしてこの演算結果が、実

行中の時空に影響を与えるか否か、与えるとすればどのようにしておこなわれるかは、実行者の

意思決定に委ねられる。この演算加工と意思決定処理を併せて(超意識的な)精神作用という。(こ

こで言う精神作用とは大脳内の思考過程、すなわち現象上の作用を含まないことに注意)

では、人間の場合の精神作用の現象界へのあらわれ方はどうなのか。既に述べたように、三種

類の入力情報は、何らかの規則をもつ処理プログラムで処理され必要と意思決定されたとき適当

な強度、形態で情報が介入して慣性的実行順序を変化するのだろう。変化の強度は時間、空間の

広がりとして反映するようであり、そのうち軽度のものは最も脳の近傍で作用し、人の行動を潜

在意識的なバーストを介してコントロールするようである。これが「衝動」の本質であろう。こ

の形而上との接点は脳梁であるといわれ、そこから高次元情報が右脳に送られ、それがさらに左

脳で線形に分析を受け肉体側の精神過程にゆだねられると考えられる。その次は錯覚や幻覚など

で観測結果に直接働きかける。ここまでで充分慣性方向からの運命修正とも言える進路変更は果

たせる。さらに強度な場合は実行者の直轄する領域全ての存在状態を変え、あたかもトンネル効

果的に進路変更することもあるようだ。超能力者のPK現象はこのことを言うのだろう。

(九)高密度記録ホログラムから生ずる雑音

ベアデンは時間の一単位には虚の物体や精神物体がサブ量子的であり続けるほど充分に非凝集

性なら、無限に含むことができると言っている。この「サブ量子的」というのは観測界面上に登

らぬほどに繊細であるの意味であるが、拙論では時間軸を見かけのものとして複数用意すること

により階層別に全く独立した形で精神作用については無限の容量を認めることができる。

なお、「サブ量子的」なものの存在も、ホログラム模型の挙証として必須のものとなる。すな

わち、ある時点の主流プログラム以外に支流的プログラムが無限通り分、ホログラムからぼけと

して出現してくるのである。これは理念の幻影ともいうべきものであるが多重記録されるホログ

ラフィとしては仕方のないことである。つまり情報としての意味はもたないが、″基エネルギー″

のいく分かをもらって、潜在したエネルギーとして存在することになる。物体の周り、特にエネ

ルギー的に活発なプラズマ状態にある物質の周りには顕著にあらわれるだろう。「オーラ」はこ

の潜在エネルギーの偶ま検知されたものであると考えられる。

霊能者にこれが顕著に観測できるというのは、この霊能者をあらしめている実行者が照見のた

めに用いる光の波長が多少通常よりずれているから、彼の現象空間では多くハレーションが生じ、

通常無い成分が意味をもち、逆に通常のものがぼやけてくると考えられる。それだけ実行者(彼

の幽体)がユニークであると言えるだろう。

これらハレーションの物質状態は物理学的な一定の組み上がり規則を何らかの形で付与してや

ることによって、わずかな波動的ずれのために不完全である状態をあるものは脱し組織化を果し、

観測可能なものとして浮上してくることになる。このために高周波電磁場が有効であることをキ

ルリアン写真は物語っている。このハレーションの部分は、実行のなりゆきによっては具体化の

自由が約束されていた範囲を意味していることになる。

(十)無限階層宇宙と光子、時間、空間、物質の階層的関係

いままで、超空間とそこから励起される現象空間という三階層の世界を前提として話をしてき

た。だが、現象励起する実行者の存在する超空間も一定の時間の流れをもつ一つの現象世界であ

るに違いない。すると、この超空間を励起するさらに上位のコンピューターがありえ、そこにも

時空があるだろう。こうすると、上位に関して推測する限り、際限ない時空の階層的励起構造が

成立っていることが考えられる。

超意識的な精神作用は超空間コンピューターの動作の中にあり、これは虚光子のサイクルとn

対一で対応する。しかも虚光子と超空間時間はさらに上位からみれば同じものの異形態であるの

みだから、よって、精神と超空間時間は虚光子に担われ、その微分型として物質、現象上時間、

光子があらわれていることになる。それは隣接する上、下位の関係にあるどのような時空でも同

じであると考えられる。そこでは全系時間が連綿として流れている中で、多種多様な見かけの時

間と空間がありえていることになる。

上位については、際限ない宇宙構造が可能と考えられる。では、下位に対してはどうだろう。

さしずめ、我々の現象世界の下にコンピューターによって励起されているものは無く、ここが下

限かと思われる。ところがミクロの世界にそれは続いているのである。既にみたように量子現象

の過程の中に知られざるコンピューター的な照合と実行のメカニズムがありえているのである。

量子は粒子がとるべき一つの行程をはっきりさせるための演算がなされている過渡状態であ

る。情報構造は、下位に際限なく情報素量を階層的に展開しているが、量子状態とは、この無窮

の階程の情報群の階層的実行を含んでいると考えられる。下位階層の実行ほど、我々の時間から

比較して、短時間に終了することが分っているから、下位階層全体の実行の終了を待って次の刹

那に至るといっても、その時間は大きいものではない。量子時間は収束の無限級数で与えられる

ことになる。その大きさは決してゼロではなく、それがなおも、現象に時空の厚みを持たせてい

ると考えられるのである。

粒子のコンプトン波長以下の内部構造を調べる試みは、観測光に高エネルギーの量子を投入し、

観測時間を短時間に局限しておこなわれるわけであるが、これは情報の下位の構成子の演算過程

をのぞくことに相当する。たとえば中性子に高エネルギー光子を投入して中の構造を観るとき、

光子は量子時間の中における相互作用のための情報構造を予め創り上げている。その中には中性

子との交流に関わる位相情報をもっており、その対応の如何によっては、クオークの演算子場と

相互作用したり、あるいはグルーオン。あるいは全くダミーな演算子場との相互作用の形態があ

りえ、散乱結果は多様性をもつと考えられる。

また、様々な研究から、自然界の極小限界が提案されている。それはプランクの長さ(10-33Cm)

であり、少くとも我々の知る限りの宇宙ではこの長さ程度で切断していると考えられている。こ

れは情報構造の最小限界とも考えられるが後程出てくる図4 ・10上にあるよう、まだ、無限の一

部なのかも知れない。いづれにしても、これがbitに対応するに違いない。

これから逆に、情報の一単位(実行の一励起単位)に投入される基エネルギー量にも推測がつく。

それは、プランク質量(-1019Gev)で表現される ものになるだろう。またそれは、極ミクロか

ら大宇宙、さらに超空間に関するいかなるスケールの実行者でも同じだけ必要であろう。という

のは、後述五節(2)~(6)の仮定原理の理由による。

以上のことから、図4 ・6の模型が実は我々がごく微細な一点として所属している全世界を示

すものであることがお分りになろう。無限階層情報構造を示すと共に、無限階層励起型時空構造

の全貌を示しているのである。そこでは、どのような微細粒子においても情報で成り立ち、階層

の節目にコンピューター的機能が働いていると考えられる。ちなみに図4 ・6の意味を与え直し

図4 ・9 (前頁)に掲げる。

null

(十一)プログラムを索引してくる意識体「索引念体」

図4 ・9の繋ぎのラインはもっと複雑に錯綜するうちの基幹的なものをあらわしたにすぎな

い。というのは、中には例外的な索引形態(時空を生成するための時間軸に沿わない)をもつも

のがある。たとえば思考活動や精神作用の過程で随時発生して観測データをもたらして適当な寿

命で消滅するような、いわゆる一定の目標に指向したベクトルプロセッサである。それ自体、局

限的な意識体なのであろうが、そこまで高度な情報処理能力を有しないものをここでは「索引念

体(あるいは単に念体)」と呼ぶことにする。というのは念いの作用によって不完全な形態で生

じることが多いと考えられるからである。

念体の機能はデーターバンクにある任意のプログラムを主体的実行者の実行のために準備する

ことである。 一般的にコンピューターは実行に際して共用データーバンクからプログラムを自己

のメモリ空間に導入してきておいて、その先頭番地から実行を開始するのであるが、それと同様

に念体は必要となった時点でこのようなことをおこなうと考える。つまり、念体の機能はデーター

バンクにある任意のプログラムを索き実行者のメモリ空間上の発生点のプログラムに繋げること

であると仮定する。これによリコンピューターモデルのもつ全ての機能が満足することになる。

ホログラムの参照とプログラムの入手は、参照光に一定のマッチトフィルターをもたせた念体に

よる。マッチトフィルターは、やはり一種の高次元情報であるがそれは割合大雑把な形で精神作

用によって創られる。それがホログラムの記録と近似の照合をみせたものが索かれてくることに

なり、そのもたらされる内容は、主体的情報だけでなくハレーション的情報およびそれらの下位

につながる情報の全てである。念体は実行の動機づけをおこなうものということもできる。通常

の実行が順次おこなわれるに対して、念体はダイナミックにプログラム自体を操作する。念体は

実行者の中の一つの機能と考えても良い。この二者の動きが備わっていて始めて一つの柔軟性あ

る意識体として機能することができるのである。

索引念体の意義として次の二つのものが考えられる。 一つとして、実行者が自己のメモリ空間

に処理を必要とするプログラムを導入したり一部入れ替えをしたりする、いわゆる基幹的プログ

ラムのメンテナンスの役割を果たすものがある。二つとして、定石的プログラムの呼出しである。

これは、発生点が情報上のミスの少ない情報素量の中に経験的に築かれているもので相互作用や

有機物の組織化規則などの法則の定型演算子のキャリアーとして確実に作用する。二つとして、

未開拓または頻度の少ないプログラムの偶発的呼出しがある。これは発生点が不完全な思考活動

や偶然などで生じ、半試行錯誤的なマッチトフィルターをもつために、発想とか、原始生命の誕

生や偶発的進化のプロセスの担い手である。

このような念体生起のプロセスがそれ自体情報素量として情報構造の随所に組み込まれてお

り、実行者による時間の展開に併い順次発現するのである。DNAは高次元なプログラムのミニ

チュア版である。A・G・C・Tの各基の組合せで成る情報群は、これだけで生物個体の発生から

消滅までに関する出来事を秩序づけているはずはない。この一連の符号の中には体内電流と作用

して超空間に念体を生起するタイプのものが充満していると考えられる。

(十二)我々の宇宙史の展開に関わる超空間生命体の発生と分化

我々の宇宙を運行する超空間の意識生命体(実行者)の活動は次のように考えられる。我々の

含まれる四次元宇宙は「宇宙意識」(仮定)というコンピューターに励起されている。実際には、

まだ間に数段階の集合意識をおいて、我々をはじめ様々な意識形態を備えたコンピューターと連

絡し、たえず情報交換をおこなっていると考えられる。たとえば、超銀河、銀河、太陽系、地球

を創造する意識とブレークダウンし、さらに人類、国家、専門分野と多種多様な意識形態があり

えていて、我々の個我意識にあたかも干渉縞のようにふりかかっていると。(図4 ・10a)だか

ら図4 ・9は基幹的な繋ぎを示したにすぎず、本質的には大脳神経系を書きあらわしたように複

雑であると考えられる。

null

ここでは宇宙意識がプログラムバンクからプログラム塊を自己の実メモリに呼び込み、それを

サブプロセッサである下位意識(我々も含む)に役割分担しているわけである。逆に言えば、下

位意識が自己の実メモリ上に分担されたプログラムを導入し、それをもとにして局部的実行を始

め、その結果、個我の認識領域が発生していると考えられる。(図4 ・10c)これを意識の時空

で時系列的にみれば次のようになる。

まず宇宙意識がメモリ上のプログラムの実行を始める。現象宇宙が開闢し、しばらく経つと宇

宙意識の中に細部を扱う意識が崩芽し、それに細部的なプログラムの実行と観測の役割が分担さ

れる。このようにして、時間経過のうちにプログラムの複雑な局面になるに従い、より多くの多

段階のコンピューターがあたかも人間の脳神経系のように増殖して、プログラムの微細に至るま

でが取り扱われるようになる。これは全プログラム消化というテーマに対して発生する超意識レ

ベルの生命現象と言ってもよい。宇宙意識を母体とした発生と分化の仕組みがここにあるのであ

る。(図4 ・10b)

この仕組みは、上位時空のメカニズムから下位時空が生起される要領でおこなわれる階層構造

的な超空間の励起においても同じことが言えるものと思われる。理念(プログラム)は全宇宙の

有機的運行と共に上位から下位へと運ばれる。そして現象の観測結果が実行理念に関与する時は

逆に下位から上位へとフィードバックされて大域的な理念を渇望し、その傾向を決定する。

下位の意識体の要求する理念の質(直接的にはマッチトフィルターの質)が総合的に向上する

ことは、これを抱える局部意識系からより大域系へと理念の相対的な質的向上に寄与することに

なるはずである。このことから、「宇宙構造は、精神物体(物質を含む)の分布状況で決まる」

という拡張マッハ原理を提言するしだいである。

(十三)UFOのメカニズムと意識体の力関係

ここで、UFOとはどのようなメカニズムのものなのかを考えてみよう。

UFOが異空間航法を用いていることが真実であるなら、UFOは現象を独自に励起していく

だけの「宇宙意識に準じたメカニズム」を備えていると考えられる。つまり、 一種の意識体(実

行者)である。それは単一目的を志向したメカニズムであるだけに安定し強力であるに違いない。

それは非稼動状態では宇宙意識の傘下にある無能力なコンピューターであるにすぎない。だが稼

動中には宇宙意識とUFO内部の個我意識の間に割ってはいる新たな意識体として一段階増結さ

れるものである。はじめは宇宙意識の呈示する法則に従い、プログラムをもらっているが、やがて

その範囲内で不確定性をマクロ化したようなジグザグ運動をおこない、さらにすすめばそれ自体

で宇宙意識のもつプログラムの別の部分を奪ってきて、時空の乗り替えをおこなったりするのだ

ろう。

その傘下にある個我は以前の宇宙意識から受けていたものとは異る新しいプログラムをここか

ら受けて、UFOで実現されているのと等しい状態を認識するのである。それはたとえUFOが

飛ぶための機能を備えていなくとも新たなプログラムを供給するというだけのことで観測者(宇

宙人)は新局面を観測することが可能となる。アメリカで調査された墜落UFOにはこれといっ

た推進機構が積まれていなかったというのもこの辺に理由が見出せるのではないか。(高水準の

暗示学習装置と言えるだろう)

そんな馬鹿なことはない。何らかのエンジンが積まれているはずだと考えられるかも知れない。

だが既に冒頭でみたように、五次元的現象を考えるとき、もはや従来の物理観に基づく四次元的

メカニズムでは解決がつかないことが分るだろう。確かにメカニズム部分は持つに違いないが、

単なる機械でなく、超次元意識体と適確に連動し合う仕組みになっていると考えられる。(その

仕組みと類似したものが人体であると考えれば分り易い。ヨガでは人体は一種の宇宙機と言われ

空中浮揚やテレポートなどの現象が起きているという)しかしその機械の本質は、ベアデンのい

うようにキンドリングした精神物体、あるいは精神の投影体であろう。

また、UFO目撃者の側にとっても、後の意識体がUFOのそれの傘下に従属している状態に

ある場合が多い。この時のUFOをタルポイドと呼ぶかどうかは読者の判断に委ねる。

ここで重要なことに気付かれることと思う。人の個我意識は上位意識体が与える情報をうのみ

にして実行し、観測しているというわけである。もしここに霊力並みならぬヒマラヤ聖者がいて、

ある人の意識を故意に支配下に置いたとしよう。すると、この人は聖者が無言であったとしても

催眠術的な制御を受け、実際には単なる棒切れも蛇に観測してしまうようなことが起こりうるの

である。同様のことがすでに我々が宇宙意識から地域的集合意識に至るまでの多段階の意識体の

傘下に置かれることによって発生している。それはほとんど「うのみ」の状態である。

また意識体は、たとえ突然発生したものといえども、重層する様々な意識体の任意の位置に割

り込みをおこなうことができるし、かつて従属していたものでも、その発達によって勢いが逆転

することもありうることが理解されよう。超能力者は短時的ではあるが宇宙意識もしくは少なく

とも地球人類意識を超えることができている。そこには、ある種の力関係が明らかに存在してお

り、その力の規模は可変であることを物語っている。古代の求道者の多くは、この力の獲得のた

めに訓練を重ね、ちょうどUFOがそぅでぁるように解脱を遂げたものではなかっただろうか。

(十四)ホログラフィー的現実世界の臨場感の理由

なぜ我々は映像的世界に対して現実的すぎるほどに臨場感をいだくのであろう。それは、我々

がたえず目に見えぬ集合意識から暗示をかけられているからではないだろうか。この場合の暗示

とは催眠術師が言葉でつくる誘導と非常に似ている。催眠術の場合、やや複雑であるが、術者の

言葉を被術者が自らの考えの中で元なる言葉に翻訳して、自らの意識の中で照会用マッチトフィ

ルターをつくり索引念体を介してデーターバンクから類似プログラムを入手し、彼の意識の場の

中で実行して現実を経験すると考えられる。この効果は非常に強力であることが示されている。

ところが現実では集合意識が与える意識場の中に個々の意識が浴しているのであり、直接的に

個我は暗示を「元の言葉」で受けとることになる。これほど簡便で強力な暗示はない。個我の意

識状態は様々な形態をとりうるが、顕在思考に同調しているときには、その集合意識と同調せざ

るを得なくなり、定在的な実現象として認知せざるを得なくなると考えられる。

逆に、睡眠に入り意識状態が大脳皮質的思考から外れてくるなら、個我は異なる集合意識、す

なわち旧脳的なものと同調し、なおも進めば意識体が観測器肉体から分離して、いわゆる意識レ

ベルの先祖がえりと言うべきものになる。ここでは「認識する意識」が別の記憶と思考中枢を備

えた意識体へと移動しているのである。ここでも意識は与えられた場に臨場感を以て臨んでいる。

(十五)意識体(霊、幽、肉体)と意識場

心霊学的な分類では肉体に重層するようにして存在する幽体(アストラル体)そして霊体(ス

ピリッツ)を想定している。これらは客観的にみて人の意識体が何重層もなしていることに対し、

異なった人格を一個のものに認めるかわりに人格の媒体としての意識体を多数仮定したものと考

えても良いと思う。自我から主観的にみれば、意識体は本来一つであって、このメモリ上には特

定の期間内に演ずべきプログラムが現実時空を与えるものから異時空を与えるものまでつめこま

れていて、それらが幾つかの分離される状態を形成しており、意識原理はその状態(すなわち異

なるプログラム)間をただサイクリックに飛び回っているのであるとも考えられる。

それぞれの状態は他の状態から侵犯を受けぬよう、記憶域の保護をおこなっているとすれば意

識状態が変わる毎にその前の記憶が薄れてしまうことも言いうる。夢の経験を忘れてしまうこと、前世

の記憶をもちこせないことなどはこの事情を証明するものであろう。意識がある状態を経験した記憶は、

その状態における記憶領域にストアされ、他の状態における経験によってできる限り壊されないように

なっている。このため、他の状態に移るとき、それまでの記憶は遷移時に(バースト的に)転送されない

限り失なわれてしまう。しかしまた元の状態に戻れば記憶をとりもどし、逆にその前を忘れてしまうと

いうことになる。

記憶領域はその状態のプログラムに対して(あるいは意識体に対して)割りつけられる。このため、

プログラム(あるいは意識体)の消滅の直前にもしそれまでの記憶が必要ならば次の状態に移る直前に

次の状態の側に情報をバースト的に一括転送して記憶の存続をおこなう。ここで記憶に二種類あること

に注意。 一つは宇宙的な記憶であり、無限分岐時空を一意にたどる過程の中に自動的に形成され

る。二つは、自我のためにする記憶であり、夢の内容の記憶や、ニアデス体験者の語る「生前の

記憶の巻き戻し的展開」の過程はこれである。その仕組みは現在のォーソドックスなコンピュー

ターが十年も前から採っている方法と何ら変わりないのである。(図4 ・11)

null

意識体の存在空間は階層構造をしていること、それらは全て現象界と同様の仕組みで段階的に

生成されていることを扱ってきた。これから宇宙構造に普遍して考えられることは階層的宇宙の

それぞれが量子的にとびとびの状態で存在していることである。特に個我を中心にして考えたと

き、霊界、幽界などの考え方をとることを別として、これらの概念は薄れて一つの「意識場」と

も言える量子場が個我(意識原理)を中心にして発生していると考えられる。その中には、基底

からとびとびに「意識原理」の定在すべき状態が存在し、そこには、それぞれに適合したプログ

ラムがあり、意識的経験の素地が与えられているのであろう。

現象は全て量子化していることの関連事項をまとめると次のようになる。

1 全宇宙は最も根元的な量子である。階層型宇宙はとびとびの状態で存在している。

2 人間は「意識場」をもち、その中で意識はとびとびの状態をとりうる。各状態は意識体とも

等価である。この関係はちょうど場の理論と素粒子論の観方の相違に似ている。主観的→意識

場  客観的→意識体(霊体など)

3 意識の状態毎に(あるいは意識体毎に)記憶領域と記憶保護機能が存在している。

4 無限次元空間媒質中では汎そ全宇宙に存在する要素の数ほど無数の波動の干渉縞として意識

場が生じている。客観的にはあたかも無限次元超「まんだら」?の如くであると想像される。

(十六)細胞レベルに封じられている宇宙の基本的仕組み

理念(プログラム)の段階的ブレークダウンの仕組みは四・(十二)節で述べたメカニズムを

基本にすると考えられるが、我々の身辺にもそれが縮図化されている例がある。それは、我々の

身体を構成する細胞で日夜行なわれている事実の中に在る。

DNAに記録されたプログラム情報は人体をどのように空間的に構成し、時間的に変化させる

かを詳細に網羅し、体じゅうの汎ゆる細胞の中に同じパターンが組み込まれているのであるが、

細胞は脳神経を創るものであったり肝臓を創るものであったりして、全く似ても似つかぬ形態を

表面化させていることは衆知のことである。生物学ではこれを「機能分化」という簡単な用語で

定義しているが、これこそ宇宙を語るものに他ならないのである。

機能分化の理由は誰しも知る通り、DNAの中のある機能を満たす特定のプログラムが励起さ

れ用いられた結果、この特定情報を複写する伝令RNAやその結果として生ずる酵素にユニーク

なものができ、このために末端的に生産される化学物質に相異が生じ外形的変化となり、マクロ

な機能分化へと展開していくわけである。歴史をつくる理念プログラムの具体化も全く似ている。

伝令RNAに相当するのが中間段階の介添役である人間に相当する。その結果生じるのが生産物

質(歴史)や老廃物質(カルマ)であったりする。

理念の部分的紐解きには時間経過が重大な役割をするのと同様のことがRNAにも言える。人

類の歴史の場合、宇宙意識の下位にある人類集合意識がプログラム実行と共に時間認識をしてお

り、それがしだいに実行順序を一つの定型パターンの中に変化させてゆくと考えられる。同様に

宇宙意識の下位にある幽体が人体の生滅に関する時間情報を認識し細胞レベルに電磁的変化を通

して賦活をおこない、個人の生涯を定型的に変化させていると考えられるわけである。

ここでまとめると次表のようになる。細胞の中に宇宙の基本的仕組みが活在しているのである。

null

五、総 括

さて、現象励起のメカニズムは以上の通り決してシンプルなものではない。だがこのモデルも

現象の機微に渡って潜んでいるメカニズムを言い表わしたものであるにすぎない。冒頭で述べた

ように、観測一つ考えても決して光子一個のごときものではありえない。現在の物理学は物質世

界における根本法則を導き出すことにあるため己むを得ないことであるが、これでは有機体や生

命現象を扱う分野との繋がりは有りえないと思われる。だが拙モデル構築の思想は様々な分野を

総合化することにある。このため、原理的なものの整合性には注意を払うが、理論化はせず、物

質世界の話題は現代物理学の与える解答が情報構造の解明に役立つであろう見通しを述べるにと

どめている。そして拙モデルの意義は、もっと別のところに見出されねばならないと考えている。

ところで、このモデルはもっと簡単にかつ総括的に言い表わすことができる。それは、全ての

時空がプログラムを基にしていることから結論づけられることである。

絶対的超空間とは無限次元であり、これが記録されているホログラムも無限次元である。する

と対応するコンピューターに無限次元の処理能力を仮定すれば、 一台の超・超コンピューターに

より全ての階層的時空が生起していると置き替えられる。

ハードウェア的な機能をソフトウェアであるプログラムの手続きで置換できることは衆知のこ

とである。つまり、階層的励起はメインジョブからサブジョブ、サブタスクを呼び出し起動する

のと要領は同じなのである。この階層が無限であるかそれとも有限であるのか、それは元より不

可知なものからの推測ゆえ分らないが、原理的には何段階でも可能である。先程来のコンピュー

ターを介する異時空の間の相互作用と観測の連合はプログラム間の情報と制御のやりとりに置き

かえられる。

たとえば、図4 ・9内記号Cの通信回線は具体的な情報交換があれば、プログラム間連絡があ

る時点でおこなわれることになっていたことを示している。また、上位のボックスに対する下位

のボックスはメインプログラムとサブプログラムの対応である。同様に図4 ・9全体は現象的(動

的)には階層型コンピューターネットワークであるが、潜在的(静的)にはストラクトチャード

プログラムを示したものと言える。

以上のことからモデルの各要素に次のような原理的仮定ができると思われる。

(1)どのような時空においても物質で最速のものは時空に個有の「光」として表出する。

(2)本質的に光子(虚光子)は無限次元である。階層のフィルターを経て次元を落とした結

果としてたとえば我々の世界における電磁波として登場している。

(3)本質的な光子は全系の時間を担うが、この微分として各階層のみかけの光子や時間があ

りえている。

(4)m次元ホログラムの記録物は光を偏向していくことによって全てのものを顕わすことが

できる。(m=∞)

一般的にホログラムは参照光の照射方向や波長を変化することにより、多重記録が可能

である。本質的な光の中に波長の意味あいをもつ次元がm個あると考えると、原理的には

このうちの一つの次元についてパルス的に照射される光の波長を一定値ずつ一パルス毎に

変化させてやればよい。すると、その次元に関して実行順序がつくられ、見かけの時間が

発生することになる。

(5)コンピューターは光の波長相当のm次元について任意の次元を(4)の要領で変化させ

る仕組みをもっている。

我々や宇宙意識などは一次元分を操作するにとどまるが、程度の高いものであれば複数

の次元を組み合せて操作し、プログラム間を多次元的に飛び回るだろう。このようなもの

がUFOであったり、高級霊界人であったりすると思われる。つまり、実行者は階層的に

上位であるほど自由度が高く、下位になるほど情報的にフィルターがかけられて次元が固

定され自由度は低くなるのである。

(6)ホログラムに作用するのは、本質的に一台のm次元分を操作可能なコンピューターで事

足りる。現象的な無数の時空とコンピューターはメインジョブから階層的に発せられるサ

ブジョブ、サブタスクである。(図4 ・10下、図4 ・11はその性質を表わしている)

(7)(6)が真理であるなら、現象は本質的に一筆書き的に確定していくものである。そして、

本質的な光のもとでは一時一点観測である。そのとき、無数の集合意識や個我意識は一本

の光が相互作用して通過した結果であることになる。それは今日下おこなわれているとい

うよりも既に終った残像という観方ができる。光は無限速であると同時に、その中に時間

経過は無い。ただあるのは光と情報の相互作用結果のみである。その記憶をたどる行為が

意識として表出していると考えられる。

(8)実行と観測は相補し合う。ホログラムには記録と再生の二過程がある。今まで前者には

全く触れていなかった。これは次のように考えられる。

現象の運行は既成のホログラムの再生であり、その結果として一本の軌跡が確定される

ところに記録がある。または、n次元情報を再生して(n-1)次元で記録がある。(上

位意識のかかえる情報を下位のものが部分的に受持つ)

次に確定された結果を近似的に観測し、認識するところに仮想的な再生プロセスがあり、

その結果から意識作用によってプログラムの傾向を変えたり、プログラムを置き替えたり

するところに記録がある。(だがこれもプログラムを新作するというのではない。なぜなら、

次元的なブレークダウンを既にしているからである。では一体誰が始めて根元的な情報を

創ったのか。それはもはや唯一者「神」であるとしか言いようがない。この深奥については、

古代哲学が明快な解答を与えてくれる。七節でそれをみていくことにする)

このように無限から有限なものへ具体化と、波動的な状態から粒子的なものへの変換が連綿と

なされているものと考えられるが、このようなところに現象運行の目的のようなものが見出せる

ようである。

六、心霊学に関するアプローチ

四・(九)節から得られる結論として、消化すべき全宇宙のプログラムに随伴して実行者のぼ

う大な体系を形成するプログラムがこの内に包含されているのであると言えるだろう。

ここには非常に重要な問題が存在している。 一つは心霊学でいう霊魂、そしていま一つはカル

マとは何であるかについてである。

心霊学に言う人間の果たすべき神に接近する行為である霊の進化という過程の存在を中核にし

て、新参霊、分霊、精霊、低級霊、高級霊、などの階程に関係した顕われ方、形体がどのような

原理に基づくものなのかを考えてみるときに、四・(十五)節で示した図4 ・11を改めた図4 ・12

(次頁)の考え方でアプローチできるのではないかと考えられる。

null

(一)霊魂と宇宙的役割の関係

前提的に通常言われる霊界よりも、もう少し上位階層の霊界を考える。ここには祖神がおられ

ることとしよう。そこでは畏れ多いが、祖霊が身自らを偏極して分霊し、多くの子霊を創り、下

位霊界に投入している。(このことは霊界通信の語るところである)この分霊は祖霊の霊域(D)にお

いて発生するのではなく、Dを根拠にしてCで生じるのである。だが、Cにおいても無から突然生じる

というのではなく(勿論例外も有りうるが)、各階層における情報量保存則を満たすために、その構成

元素をその階層界から取り入れなければならない。

このため、自然界の動きを担う精霊体などからそれを譲り受けたり、略奪してこれをおこなうのである。

つまり、自然(霊)系への人為(霊)系の移入である。この点については、古代思想が直接アカシャ

を観てきたものであるらしいことから、それが参考にできる。古事記で言えば、国つ神の領域に天つ神

の役割が移殖されることとなっている。ギリシャ神話も然りである。旧約聖書も極めて簡単に「神は土

から人間を創り、それに息を吹き入れた」とある。よって、霊自体も動物的組因を多く残すと言える。

また、もとより宇宙的役割の消化のために霊が調達されたものならばその目的に適った形に霊

自体アレンジされていなくてはならない。つまり、始めから、特別な偏極が内在した意識体とし

て下位に投影されるのだ。新参なら、まだ本来の目的とすべき機能は発揮し得ず、加えて動物的

因子や制御の困難さによる余計な因子(カルマ)により試行錯誤が多く、それに相応したプログ

ラム(地球的次元のような)が分担されねばならない。

やがて壮年期になり、その霊の独自性が発揮され、歴史上(広義の)に確かなる足跡を残せる

ようになる。さらに晩年期には、独自性の角が取れ、滅し尽くした平衡の状に達し、かくて祖霊

の許に帰つてゆくことになる。そこには霊(体)のレベルにおける生成衰滅の定型パターンに乗っ

た成りゆきが在るだけであろう。それを我々の世界では多くが知り得ず霊魂の進化と呼んでいる

のだろう。もっとも、祖霊に帰れば終りなのではなく、より上層の神、究極的一神が無限の彼方

にあるなら、そこに向けて無限の階程を登りつめる行為を総称することになるかも知れないが。

新参霊はとにかく非常に高次的な偏極を受けいるため、これを塗り漬し、本来の自由度を回復

するまでには非常に時間がかかるというわけでぁる。逆に言えば我々は基より、祖霊の偏極され

た極性の一方であり、祖霊にももう一方の陰性的な極性が残っているのだとすれば、無限の一者

にとって、欠けがえのない一部であることになる。

これは古代哲学や霊界通信が何度も説いてきたことを新しい観点から述べ直したものである。

(二)本源的カルマとその消去の仕組み

神でない我々の霊は、 一種の平衡状態からの逸脱であり、多くの空孔を含むディラックの海の

ようなものだろう。この空孔を埋めようとして正衡を目指して動く過程が、実行者の登場、すな

わち分霊という理念になっていると考えられる。神の領域における一個の空孔の波紋が、無限の

階程を伝わって来るうちに無限個の擾乱として我々の宇宙に反映しているのかも知れない。その

一個の空孔こそ、もとは無限次元の一条の光が射す行為と対応がとれるものと思われる。それは

既に普遍するものを平衡を求めて移ろう反動で照見していく過程なのであろう。この空孔(純粋

な)こそ、第一義のカルマと言うべきものである。そして動物的因子など不合理部分のもたらす

ものを第二義のカルマとすべきであろう。

次にカルマについて図4 ・10(c)を基にして説明しよう。霊の抱える空孔は常に充足されるこ

とを前提としている。だがそれは自然界のどこかに隠されていて、自らの中で経験していくこと

によってそれを発見するのである。

霊はちょうど陽電子のホールと考えればよい。そこには充たされるべき負のエネルギーレベル

の電子は幾等でもあるが、本来の電子が出てこないと充足し消滅することはない。よって、周囲

に電磁場を波及させ、電子を引き寄せようとたえず努力している。霊も、同様であり、電磁場に

相当する演算子を空孔の質に応じてデーターバンクから上位階層の霊を通じて供給されている。

これがいわゆる、処理プログラムであり、その存在によって、最も必要な時空(経験)へとたえず

セッティングされるよう、はからわれていると言える。既に四・(七)節で述べたように、これ

は実行順序に変化介入するための精神作用の奥底に導入されている。

それは霊がさらに下位時空の現象界(我々の世界)に、かてを求めねばならない時に接続しな

くてはならない幽体に対しても同じことが言える。幽体はさらに低次元のホールを抱えている。

なぜなら霊よりもはるかに動物的な因子、排他性を根拠とした闘争、それによる悲惨さ、そして

生産に直結した本能体系、さらに物質界特有の鈍重な反応体系にややもするとホールの増長を招

きかねないからである。それはコントロールする霊にとっても大変なことである。なぜなら、ホー

ルの多い霊ほど当面する現象は錯綜しまごまごするうちに幽体はどんどんホールを増すだろうか

らである。そして現界と幽界を切離すとき、霊にとっては幸せなときとなる。しかし、この時、

増加したホールの幽体切離しの際、記憶を吸収する反動で新たなホールが霊に形成されることも

多いのであるらしい。

幽体のもつホールこそ、第二義的カルマであることに注意したい。ぞしてこれは霊に致命的な

欠患を指摘するもののみ幽体の切離しのときに霊にホールとして復刻される。(これ以外は幽界

留まりである。このため、幽体が幽界の土壌に復帰する毎に汚染を残し、次の構成元素利用者に

迷惑を及ぼすのである。このために定期的に幽界は浄化されなくてはならず、地球史に関しては

過去に何回もこの手続きがとられたことが古伝承には語られている。)幽体の処理プログラムは

霊からやってくる。霊にホールが多いと処理プログラムにも抜けが多い。ところが実行すべき時

空プログラムの方は霊、幽の資質と目的をキーにして索かれて導入されてくるのだから、もとも

と処理の困難な勝手を知らないプログラムが選抜して与えられているようなものである。だがそ

の中に間違いなくホールを埋める因子が入っていることも言える。そしてそれと合致したなら、

問題は解けるようにもなっていて、 一つのホールは特別な目を持たなくても消去されたと分かる

ようになっていると思われる。これが我々が地上の経験を通して得なければならない霊的進歩と

いうものの原理ではあるまいか。

七、古代思想 との整合

もとより、古代思想は超自然現象を含む汎ゆる自然界の仕組みに解答を与えるものであった。

紀元四千年の昔から四大文明に始まると考えられている古代民族国家は高度な数字、天文学を持

ち、それに併う高度な宇宙観があった。それは発達を遂げ様々な現在の底辺をなす宗教の教儀に

採り入れられている。今最も盛んなのは、現代人のストレスとそこから起る万病の予防のための

瞑想学であろう。このため古伝を基磯に様々な応用が試みられている。また、理論の方は、人々

に倫理観をもたせ精神的な虚無から救う多くのものをもっている。もちろんこれは最低限の効果

であり、この真価が発揮されれば精神と物質文明の協調的発展の理想時代も夢ではないだろう。

しかし、未だに多くの点が謎に埋もれたままであり、その良さを疑問視するむきがあるのは残念

なことである。

その最たる原因が古代智に対する先入観である。進化論の考え方からしても古代人の方がより

思想的に優れていたと考えるのは矛盾したことである。だがここで筆者には反論がある。進化論

は巨視的な流れを語っているのであり、矛盾を起さないだけの期間内にあってはゆらぎがあって

も構わないはずではないか。進化は試行のうちに創られそれをもたらす突然変異は細胞レベルの

非常に徴小な範囲の試行錯誤のくり返しの中の一ケースで起きているのである。生物学的歴史は

数億年あるのに、わずか数千年の間に原始人から文明人となり得たとするのは奇妙なことである。

一説に紀元前四千年を逆登る昔(歴史学で認められていないので「超古代」という)に現代に

匹適するほどの高文明が存在し、各民族が伝承するような「大異変」によって壊滅し、火事場か

ら焼け出されるようにして、精神的、思想的なものだけが持ち越されたのだろうとする考え方が

ある。また一説に、古代人はシャーマンの側面を持っていたため、慣習的にアカシックレコード(根

元的理念)を読む機会に恵まれており、多くの本質的概念を現象の機微に及ばぬまでも入手して

いたのであろうとする考え方もある。この考え方は拙論で説明できるばかりでなく、現在でも多

くの霊能者や予言者、瞑想家の間では定理とされていることである。

筆者の研究では、古事記の神話は、まさにこの両面の性格を備えている。 一方で理念であり、

現象上にスケールを異として発生する定型パターンを言い表わしており、また一方で超古代に生

じた最低二回の時代と、最低二回の異変を言い表わしていると解釈できている。旧約聖書はどち

らかというと、理念の参照を物語る。だが古代インドの叙事詩などは過去にあった驚異的な出来

事を物語る。前者からはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教が生まれ、もとあった思想のうち奥

儀的なものはカバラ派やグノーシス派などに受け継がれた。後者の奥儀的なものからは、ヒンヅー

教、仏教が生まれ、生命の真髄を語り今でも多くの人の思想的基盤となっている。

では、古代の哲学、宗教思想がいかに以上してきた議論にぴったりとするか、その点を申し上

げようと思う。(以降、実藤氏著文献(24)より引用し、解釈を加える)

古代ヘルメス哲学では次のように言う。「神は全ての存在を内にはらみ、全ての世界を包み込

んでいる。中心がいたるところにあって、周辺がどこにも無い円である」と。これは次のように

して言い表わせるだろう。

実行者は神の光の通路である。その実行者はいたるところに観られ、その顕わす範囲は他と不

可分に透け込んでいる。理念は神から供給され、実行結果とその観測結果は神の本源へとフィー

ドバックされる。供給と反映の中に、神と自然と人間が一体となった巨大なサイクルがある。と。

また次のように言う。「世界の全存在、森羅万象は神の一部で、世界の歴史は神の歴史でもある」

と。また言う。「唯一の存在者は限りなく多彩な形をとって我々の前に現われる。汎ゆる被造物は、

この唯一のものから出ている。ただ特性によって分化しているだけである」と。

時間の流れ、あるいは大宇宙の歴史の流れは、唯一者の創りおき賜うた「大目的」をあらわし

ていく過程である。この大目的の中には善も悪も智も無知も剛も柔も汎ゆる要素が波動的にミッ

スクされている。それをあらわすために照見の光が投入され、あたかも毛糸の玉をほどく如く索

引系(時間軸)を設定して多くの分光により、分担精査されてゆくわけだろう。

さらに、ヘルメス哲学では次のように言う。「三つの世界がある。原型的世界、大宇宙、小宇宙、

神、自然、人間。魂、精神、肉体。人間は大宇宙の反映であり、同じ法則に基づいて作られている」

と。

原型的世界とは理念(プログラム)界、また魂、精神はそれぞれ霊、幽に対応するだろう。こ

こには互いに重畳しながら、階層的、独立的であってなおも三位一体である関係について述べら

れているようだ。まず理念があってそれが大宇宙、小宇宙へと階層的にブレークダウンされ、そ

れが各階層の実行者によって具体化される。そして万物何によらず、魂、精神、肉体の関係にあ

ることを述べ、それら, の構造が相似型に成り立っていることを述べているようだ。既にみてきた

ように神(巨大情報網)―実行者(コンピューターの積分)―人間の脳神経系― コンピューター

の相似はこのことを証明している。

この概念は非常に起源が古いためか仏教(密教)にも表象として用いられているようである。

写真5の「金剛界蔓茶羅」は図4 ・13のように絵解きできる ようだ。(次頁、次々頁)

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また究極的唯一者の本性について、プロティノスは次のように言う。「叡知以前のも

のである。叡知は存在者のうちの何かであるのに一者は何かではなく、むしろ全ての個々

のもの以前であり存在者ではない。 一者は存在者を含む叡知以下の系列のいづれでもな

い」と。

すなわち一者は、叡知を投げかけ自然を創り出す存在者のらち外にある、元の元たる創

り主というわけである。奇しくも先述した五節の(8)項の解答が与えられている。―ち

なみにプロティノスの言ほかにみられる概念の根本を語る重要な言葉と拙モデル用語を対

応づけると下表のようになる。まとめの意味で参考に願いたい。

null

グノーシス派の宇宙像では創造以前の原初から存在する世界に神と原型的世界があり、

神が原型世界に投射することによって天上界、宇宙、エーテル、太陽系、地上界などの創造され

た世界が登場するとしている。また、古代インド哲学では「ブラフマン」は変化して生じた一切

の事物の原因であり、ブラフマンは自己の力で自己を開展したのであると説いている。また、シ

ナの哲学でいう「太極」は世界万物の生ずる根元であり宇宙の本体であるとされている。

筆者の研究では、古事記にも超空間の実在が語られている。また神話はもとより、神道哲学的

に言えば自然現象の荒御魂(すなわち現象以前の原型的理念)をあらわしたものだとされている。

さらに言えば、原型的理念は実現象として生起するまでには二段階以上の中間段階を経ることす

ら語られている。そして、我々は末端に位置づけられ、最も適切な名詞「ひと」で呼ばれた,こ

れは「日戸」すなわち「理念(知恵)を世に出す門戸の役割を担う者」の意である。

このような古代思想は一体何を言おうとしているのか、それは十分考えてみるに値するだろう。

ここでは幾つかの根元的概念をとりあげ、拙モデルがそれによって支持されていることを述べた。

八、おわりに

最後に現代における最大の謎UFO現象に目を転じてみよう,それは既に忘れ去られようとし

ている古代思考がいかに未来において重要であるかを如実に示してくれる。地球外知性の鳴らす

警鐘というべきではないだろうか。

UFOが我々に教えてくれる新しい現象とそれから得られるアドバイスには次のようなものが

あると思われる。

1 UFOのふるまいは五次元宇宙の存在を暗示していること。

2 UFOのふるまいは観測的現象が映像的であることを暗示していること。

3 UFOはそのジグザグ運動の中に量子のマクロ化現象であることを暗示していること。

4 UFO目撃者やコンタクティーという少数の人々を通じて「役割」というものの存在を知

らしめたこと。特に実体験者はそれを感じる度合いが強いものと思われる。が、これは同時

により普遍すべき人類の救済手段を示していると考えられる。

1については、既に冒頭で述べた。現行物理学では理由の分らない問題である。2については

筆者の経験も一枚かんでいる。あるUFO問題研究グループと共にUFO観測をおこなった時の

ことである。筆者の目撃したのは夜間四時間ほどのうちに十数回であったが、その半数位のとき

に強い「見えそうだ」という確信のわき上がりと共に夜空の一瞬の「ぶれ」に似た稲光りが肉眼

で微妙に検知できた。その直後光体が視界を横切るのである。これは後のテレビ番組でE ・メイ

ヤーのUFO録画取りをコマ分解したところ、円盤の出現と消滅の各々3/ 50秒前にコマ全体が

光っていることを述べたが、関係があるようである。これは電磁的なバーストが観測者を覆うよ

うにして空間全体に起っているらしい。

筆者の眼には弱い稲光りと写ったが、すぐ直後にどこかに出現していて、ややおいて視界に飛

び込んできたと考えられる。UFO観測者にとって夜空は映画のスクリーンのようなものだ。夜

空ばかりでなく、筆者の居る空間すらそれに含まれていて、立体的な一つのコマがある瞬間別の

ものに置き替つていて、その後矛盾なく進行しているという感じなのである。

関連して、超能力者清田君のPK時にはちょうど周辺空間の電磁場の乱れが観測器で検知され

ている。また、同じくマシュー・マニングのPK時にはしばしば周辺空間の歪曲すら目撃されて

いるという。これらのことは、いづれも類似した現象であることを物語ると共に時空それ自体が

映像的であることを証していると思われる。

3の意味はUFOが意識部分と、二次元物体の間を遷移する存在であることを示している。そ

れは稼動状態において一種の「場」として、ふるまうということである。よって、ジグザグ運動

あるいは光組運動は自由電子のとりうる飛跡に類似のものとなると考えられる。このことは我々

に「物理法則は適当な処理を施せば変更することが可能」であることを示している。その方法

はUFOが身を以て示しているというわけである。

UFO現象に関して言えば、以上の三点が満足される理論が今後の物理学に登場しなくてはな

らないことを暗示しているのである。

4については、現代が終末論ささやかれる時代だから、コンタクティーが歴史的に重要な部分

を担うという意味にとってもらって良い。しかし、ここではより広範囲な、はるか昔から現在、

そして今後久遠の未来に至るまで、人が生まれた以上は、神の歴史に対して果たすべき役割があ

ることを示しており、誰もがそれによって贖われるだろうということを言いたいのである。それ

は何も役割を意識したしなかったの意ではなく、ただ神の歴史を担うことそのものが役割なので

はないか。ある者は戦争を起こした重本人、またある者は生まれる前に死んでいたかも知れない。

このような場合でも、大目的のために為しているに変わりはないはずだ。

人々は果たした役割について比較級的なこだわりをもつことから、異物的なカルマが発生して

いると考えられる。それを取り払えば、少なくとも正常なカルマの作用に基づく、次の役割が付

与され、順調ななりゆきが約束されることであろう。人が自らの原罪意識を克服するには、神ヘ

の奉仕のためという大義名分を以て宇宙の大目的のため、あるいは役割に基づく行動を知らず知

らずのうちにおこなっていたという深い認識を過去にしてきた行為に対してとることが必要では

ないだろうか。古代の宗教思想は、いづれも神を前提にし神に奉仕するという認識に立つべきこ

とを語っている。

地球人は宇宙のリズムから外れた異端児なのではなく、大目的の一部である「無知迷盲」を演

ずべき時にあるのであり、それを克服していくことに一つの試練があると考えられるのである。

それはトップダウン的に下された理念の一部であり、それを演ずるに適わしい資質の者がこうし

て地球上に集まったとすべきだろう。

宇宙の知性はその最も手っ取り早い原罪克服法のあることを特にコンタクティーや目撃者や関

心のある者を通して語りかけているのではあるまいか。是非とも我々はこの暗黙の啓蒙に醒めた

目を向け心を傾けねばならないと思うのである。

注 釈

*1 絶対的超空間 現象 を成立させる基がプログラムであるとした場合、その全プログラム

を優劣なく同格に扱うことのできる、観念的な空間。いわゆるデーターバンクである。

*2 超空間 *1のプロ グラムの実行の進程でコンピューターが介在して起こす仮想的空間

は、理論的に無限数個可能である。この中の一つが我々の現象空間(実験室空間)であり、それ

を除くものを超空間という。

*3 虚光子 超空間上の 光子。コンピューターが現象の励起のために供給する基エネルギー

である。虚光子と情報との相互作用で量子化現象が生じ、その特定の場合が実験室空間における

光子となる。

*5 情報素量 情報単位 を構成する要素の機能単位。命令語でいえばオペランドの個々の要

素。(ビットではない)

*4 情報単位 コン ピューターが実行すべき情報処理単位、すなわち命令語である。この場

合、多次元情報構造をしている。

*6、*7 量子数的量 子、量子的量子 一電子の電荷は量子化されてeの値をとり、決して

0.9eといった半端な存在は許されない。また電子が磁気をもつ理由となっているスピンも半整数、

整数の値しか取り得ないようになっている。このように性質がとびとびの値をもって出てくるこ

とを量子化されていると言い、特にこの場合を量子数的量子化という。これに対し、エネルギー

や場の大きさのようにそれ自体連続を許すが、粒子としての性質を併せもつものを量子的量子と

いう。基底にディジタル情報とメカニズムがある限り、仕方のない出来事であるといえよう。

*8 マッチトフィルター  参照光に特定のパターン情報を付けてホログラム側の同じパター

ンの情報と照合させることによリホログラム上の参照アドレスを見出したり、あるいは近傍の情

報を連想的に索こうとするものである。そのときの参照光に記録されたパターンを照会用フィル

ターと呼んでいる。

 


あ と が き

私はこの書をちょうど古事記がそうであったように、私自身のとりとめのない空想に満ちた半

生に終止符を打つ墓誌と考えて出した。といっても決して自殺志願のような物騒なものではなく、

役割の返上と共に新たな実直な役割に基づく半生のスタートという意味を込めているわけで、私

にとっての新嘗の儀式であると考えてもらえたら良い。

だが、本当にこれで終らせて良かったかというと、どうもそのような気がしない。蛇の道は蛇

ということもあるし、この方向の役割は無価値に見えてその実重要なものであることが否めない

からである。

現代は知識情報が豊富であり、それに併って価値感も多様化している。そしてどれが本当だと

いうことも言えない、選択と意思決定の困難な時代となっている。だが、 一つだけ確かであるこ

とは、全ての人が現代という世界を演ずる役割を個々に背負っていることだろう。多くの人はマ

イホーム主義のうちに幸せな家庭を築くことが特権であろうし、またいくつかの人々は企業経営

し、社会的役割に寄与すると共に利益追求にいそしむことを役割とするむきもあろう。それらは

全て無くてはならないことである。

しかし、その役割も千差万別である。どこかが、平和で豊かな高文明を満喫している間に飢餓

や戦争で苦しむという役割下にある人も居る。そうしたとき、少しでも多くを考える暇に恵まれ

ている者がより良い未来の役割を導くことのために力を注いでいくべきことは確かであろう。

具体的にどうすれば良いか、はよく分らないが、これからは単独で事を進めるのではなく、大

域的な総合的な動きの中で行動していくことが必要となってくるだろう。そのようなとき、私も

不肖不随ながら参加協力を願い出ようと思う。その時が来るまで、また来ることを期待して、一

つの役割の仮終止符を打たせていただくことにする。

最後に、本書の前稿である散逸的かつ未熟な記事を逐一採り上げて下さった日本サイ科学会の

関英男先生、実藤遠先生に心から感謝申し上げるしだいである。また、本書の製作にあたってと

りとめのない拙稿のまとめから文量の多い校正に渡り快よく応じて下さった交友印刷備の飛田二

三哉氏。寺西誠氏に心からお礼申し上げるしだいである。

昭和58年3月20 日

奥 野   環

 


参考文献

(1)ペルシャ文化渡来考 伊藤義教 岩波書店

(2)古代の日本とイラン 井本英一 学生社

(3)古代史上の天皇と氏族 肥後和男 弘文堂

(4)古事記偽書説の周辺 大和岩雄 名著出版

(5)世界の宗教と経典 綾部恒雄、他 自由国民社

(6)矢われた文明 A ・ゴルボフスキー 講談社

(7)ムー文明の発堀 トニー・アール 大陸書房

(8)失われた大陸 E ・B ・アンドレーエヴァ  岩波新書

(9)古事記 武田裕吉訳註 角川文庫

(10)神代文字 佐治芳彦 歴史読本臨時増刊 ’81-12

(11)シュメール 金子史朗 歴史読本臨時増刊 ’81-12

( 12)真説・古事記 山田久延日子 徳間書店

(13)神話の創造性 久米 博 現代思想 ’80-11

( 14)神体山 景山春樹 学生社

( 15)マヤ神話 ― ‐チラム・バラムの予言― ― ル・クレジヲ 新潮社

( 16)ギリシャ神話 呉 茂一 新潮社

( 17)気象衛星ひまわり写真 神戸新聞 ’81-12-14 夕刊

( 18)まんだら(金剛界) 学研「ムー」1月号特別付録ポスター

(19)ョガ真義 M ・ドーリル博士 霞ケ関書房

( 20)魔法入門 W ・E ・バトラー 角川文庫

( 21)「出雲八重垣」の謎の究明 拙著 日本サイ科学会 サイVol.2

(22)古事記の謎解き 拙著’79-9

(23)謎のビラミッドパワー ビル・シュール他 勁文社

( 24)転生の秘密 ジナ・サーミナラ たま出版

( 25)オカルト秘法 浅野八郎 講談社

( 26)法華経と宇宙物理学 志田行賢

(27)超能力者ユリ・ゲラー アンドリャ・H ・プハーリツク

(28)精神/頭脳/物質モデル トーマス・ベアデン ユニバース出版 UFOと宇宙 Vol.30,32,65,74

(29)17世紀までの科学観はサイ科学的であった 実藤 遠 日本サイ科学会 サイ Vol.2

( 30)素粒子と加速器 ロベール・ギラン 平凡社

( 31)古典場から量子場への道 高橋 康 講談社サイエンティフィク

( 32)高エネルギー物理学 武田暁、他 海洋出版 号外フィジクス

(33)物性物理学の世界 伊達宗行 講談社ブルーバックス

( 34)素粒子論の世界 片山泰久 講談社ブルーバッスク

(35)相対性理論の考え方 J ・L ・シンジ 講談社ブルーバックス

( 36)素粒子を光で見る 本間二郎 講談社ブルーバックス

( 37)生命の物理学 今堀和友 講談社ブルーバックス

(38)五次元の世界 K ・A ・ブランスタイン 講談社ブルーバックス

( 39)ホログラフィーの実験と基礎 平井紀光 芝立出版

( 40)メカ二カル宇宙論 拙著 日本PS学 会 サイ情報 Vol.1 No.5

 


 

一九八三年七月五日印刷

一九八三年七月十日発行

古事記と超古代史 (C)

著者 奥野  環

神戸市長田区・・・・・・・・・・・・

TEL (〇七八)・・・・・・・・・・・・・

印刷 交友印刷株式会社

TEL (〇七八)・・・・・・・・・・・・・

なお、・・・・・・・・・・の箇所は、一九九五年の阪神大震災により滅失しています。