古事記と超古代史 目次 本論

目次

 

はじめに ・・・・ ⇒ 

第一章 古事記の知識の起源 ・・・・・ ⇒ 

一、古事記の神話は理想的古代の真実を伝える ・・・・・ ⇒ 

二、理想的古代の起源をたどる ・・・・・ ⇒ 

三、神話は真実を語る ・・・・・ ⇒ 

四、失われた超古代に起因する理想 ・・・・・ ⇒ 

五、大異変が高文明を壊滅させた ・・・・・ ⇒ 

六、模範的なムーロア文明 ・・・・・ ⇒ 

七、新嘗祭と神体山信仰の原点 ・・・・・ ⇒ 

八、古事記の知識は時代間の破局をみてきた者の記録か ・・・・・ ⇒ 

九、知識は皇室が古代中東から日本に持ち来たした ・・・・・ ⇒ 

十、皇室は超古代より連綿として続く賢者の系譜か ・・・・・ ⇒ 

十一、古代皇室は情報工学的手法を先んじて使っていた ・・・・・ ⇒ 
(上古史への新たな仮説一)

十二、知識保全プロジェクトの衰退 ・・・・・ ⇒ 
(上古史への新たな仮説二)

十三、大化の改新は古代的皇道の撤廃にあつた ・・・・・ ⇒ 
(上古史への新たな仮説三)

十四、古事記編纂の動機(古事記は古代皇道の墓誌である) ・・・・・ ⇒ 

十五、まとめ ・・・・・ ⇒ 

 

第二章 古事記上つ巻解釈 ・・・・・ ⇒ 

一、古事記上つ巻の概要 ・・・・・ ⇒ 

二、古事記解釈の基礎原理 ・・・・・ ⇒ 

三、古事記上つ巻の解釈 ・・・・・ ⇒ 

(一) 天地のはじめ 超宇宙、宇宙開びゃく論 ・・・・・ ⇒ 

(二) 島々の生成 地球創成、大陸生成論 ・・・・・ ⇒ 

(三)神々の生成 人類文明史、全盛から衰退まで ・・・・・ ⇒ 

(四)黄泉の国 人類文明史、破局の詳細 ・・・・・ ⇒ 

(五)身楔 地上の浄化 ・・・・・ ⇒ 

(六)誓約 自然の猛威と科学力 ・・・・・ ⇒ 

(七)天の岩戸 地球上を襲った大変災と建て直しの記録 ・・・・・ ⇒ 

(八)穀物の種 次時代への知的遺産の引継ぎ ・・・・・ ⇒ 

(九)八俣の大蛇 異変の後遺症、火山活動の鎮静機構 ・・・・・ ⇒ 

(十)須佐の男の命の系譜 治山、灌漑、農耕事業 ・・・・・ ⇒ 

(十一)因幡の白兎 農耕民族の台頭 ・・・・・ ⇒ 

(十二)きさ貝姫とうむ貝姫 農耕民族の被る試練と興亡のくり返し ・・・・・ ⇒ 

(十三)根の堅州国 大地の支配権の確立 ・・・・・ ⇒ 

(十四)大国主の神、大年の神の系譜 農耕文化全盛時代の様相 ・・・・・ ⇒ 

(十五)少名毘古那の神 宇宙からの援助 ・・・・・ ⇒ 

(十六)御諸の山の神 祭り事の本義を教えた宇宙人 ・・・・・ ⇒ 

(十七)天若日子 宇宙からの侵略(懐柔策)の失敗 ・・・・・ ⇒ 

(十八)国譲り 核攻撃による威嚇と国土支配権の委譲 ・・・・・ ⇒ 

(十九)天孫降臨 高度物質文化の委嘱 ・・・・・ ⇒ 

(二十)猿女の君 某先進文明国家の海没 ・・・・・ ⇒ 

(二十一)木の花の咲くや姫 急燃焼し短命に終わる高文明 ・・・・・ ⇒ 

(二十二)海幸と山幸 先進海洋民族の衰退と山間民族の台頭 ・・・・・ ⇒ 

(二十三)豊玉姫の命 精神文明の体制造りの中断 ・・・・・ ⇒ 

(二十四)鵜葺草葺合へずの命 次の時代(有史時代)の中途半端 な船出 ・・・・・ ⇒ 

 

第三章 古代人の世界観 ・・・・・ ⇒ 

一、地球上の文明は生滅をくり返してきた ・・・・・ ⇒ 
(人類文明史七千年周期説)

二、古事記神話に込められた伏線 ・・・・・ ⇒ 

三、古代人の考えていた世界の種類 ・・・・・ ⇒ 

四、万物を生滅輪廻させる草本の理念と樹木の思想 ・・・・・ ⇒ 

五、古代人の理念世界の考え方 ・・・・・ ⇒ 

六、古代人の認識していた神の恩籠、生命環境制御システム ・・・・・ ⇒ 

七、新嘗の思想 ・・・・・ ⇒ 

八、「命(みこと)」と「顕わし」の原理 ・・・・・ ⇒ 

 

第四章 古今を架橋する超宇宙論 ・・・・ ⇒ 別ページにて

 

 


古事記と超古代史

古事記の真義

古代祭杞の原点

失われた歴史の真相

古今融合の宙構造論

奥野自家本刊行 1983年7月 10日

 




はしがき

本書は様々なもののかけ橋の書である。
一世紀以上前から有史を逆上る過去にムー・レムリア・アトランティスといった高度な文明の存
在したことが論じられ、様々に議論をかもしてきた。しかし、我々の時代との間に起こった変災
が大規模なものであったせいか、決定的な確証が未だ得られていない。
またそのような、超古代文明の名残りともみられる古代思想は非常に多くの優れた面を持ちな
がら、現代科学の不合理性排除の考え方により光が当てられることなく今日に至っている。古代
思想の長所は、それが累々とした過去の教訓を土台にし、個、集合、そして全体世界の目的が何
であるかを明らかにしていることであり、それに接する人は大きな世界の有り方を知り役割意識
の復活を感じるにちがいない。

しかし、そのような考え方が封ぜられて久しく、現在ほど科学万能の名のもとに自然界に対し
て横暴がおこなわれる時代もない。 一方で物質的豊かさをもたらしているように見える反面、物
知り顔をした知識情報の洪水と精神的虚無による心的不安の増大や日々刻々の自然破壊を生むと
いう半疾病時代を現出した。これらのことは、神を中心に万物がトップ・ダウンされてくるとい
う古代的物の観方や全てが役割を以て生かしめられているという古代的認識の復活により改善し
ていくはずのものである。本来であれば、古代思想は科学の凡そ半分を占めて、現代科学と車の
両輪のようにして協調発展させていかねばならないものであったであろう。

こう書くと、類書の多い中のやや異色の現代文明批判の書かと思われるかも知れないがそうで
はない。本書の目的は、古代思想がいかに合理的であったかを示すと共に、古今融合のアイデァ
を提供していくことにある。
そのために、日本の代表的古文献・古事記をもとに失われた超古代文明史を解明し、古代思想
の源流を探ることを第一主眼とする。その過程で非常に多くの未解明の古代的謎に解答が与えら
れることと思う。

だがもし読者が保守的な考古学的解釈を期待されるなら、あてはずれになろう。弊書も若干の
ガイダンスを一章を使ってお知らせするが、少なくともかつて超古代文明の音信に触れ、それに
ロマンを抱いた人、それも多少の予備知識のある人向けの書になっている。

古事記は御存知のとおり、上。中・下の三巻から成り、ギリシャ神話風に言えば、神話時代、
英雄伝説時代、史実といった分類になる。今回の本題は上つ巻神話解読の結果から有史以前の閥
史時代の驚異的な真相に接近できたことに端を発する。それは、今の時代を除いて凡そ二時代の
文明の興亡と再生に関する物語であり、これが真実であった場合、古代人の物の考え方に強く反
映していることは間違いないと考えられた。その実、古代の文献、伝承、宗教からえられる世界
観には滅亡と再生の根強い記憶、理想的古代への憧景などが含まれているのを窺い知ることがで
きる。そこで本書の場合、古代の思想を新らしい側から逆上って考えていくという今までの方法
ではなくて、全く逆説的に起源の側から解き明かしていくというュニークな方法が可能となつて
いるのである。

第二の主眼として、古代思想のうち、特に科学観の側面について信憑性の簿いものでは決して
無いことを示すために、現代物理学を立場として古代科学観の本質を穿つ、宇宙構造モデル概念
を提案しようと考えている。古代思想はかなり先進した超古代文明のあったことを考えれば確か
なものと考えても良いと思うが、そればかりでは空想論的でありすぎる。このため、ややもすれ
ば宙に浮きそうな、古代思想の繋留線として掲げるつもりである。

またこれは、古代と現代の科学の融合を図るという壮大な夢を胎んだ一つの試案にもなつてい
る。その結果、超古代文明・古代思想・古今融合の宇宙モデルが一つの連繋をもって説明できた
と感じるのであるが、元より表現力乏しい拙筆のことゆえ、旨く理解願えれば幸いである。また、
古今融合の思想的動き、あるいはその研究の一助になればこれに勝る光栄は無い。

本書の構成は、一章から三章までを超古代史と古代思想の解明にあて、四章において宇宙構造
モデル概念を述べていくことにしている。

第1章  古事記の知識の起源

神話は、はじめから多大な労力をかけて語り継がれねばならないものであったようである。ど
のような国でも祭祀の中にとり入れられて、古代人の信仰の土台となり、思想的なよりどころと
なっていた。 一体そのような神話とは何が語られているのであろうか。この章では、古代人が理
想とした遠い過去を神話に置き替え、非常に長い間風化から守り抜いてきたことを説明し、神話
解釈の本論である二章に繋ごうと思う。

一、古事記の神話は理想的古代の真実を伝える

日本の神話は古事記に代表される。古事記は上、中、下の三巻から成り、この前に古事記成立
の動機などを示す序文が付けられている。偽書の話題が出ているのが序文であり、筆者が太安萬
呂に同定できないとされている。だが、古事記本文自体一定の目的を果たすべく書かれたもので
あることは間違いなく、序文筆者の意図するところと異なる方針で書かれたものとは考えられな
い。私の考えでは、序文筆が安萬呂であっても多人長であっても構わないし、本文筆も安萬呂
Iであっても漢語に猛けた語部であっても構わない。要は序文に示される役割が時と人を超えて遂
行されていると考えるのである。

古事記序文には、「最古の時代は暗く逢か昔のことであるが、前々からの教えによって国土を
生み出した時のことを知り、先の物知り人によって神を生み人間を成り立たせた世のことが分る」
とあり、また、「歴代天皇はそれぞれ保守的である進歩的であるの違い、華やか質素の違いがあっ
ても、いつの時代においても古事を調べ、現代を指導し、衰えようとする典教を正し補強された」
とあるように、本辞は古い過去から先賢によって伝えられてきた古代の知識または事実と考えら
れていたものに基づいていることが分る。(序文訳は文献0訳を要約)

これは後世になって、古事記と命名された由縁でもある。本辞は、中央や地方部族に設けられ
ていた「語部」の口誦伝承の中にあったものである。このことから、今の歴史家は本辞を様々な
地方で創られた説話であり、歴史的な信憑性が低いものと観ている。ところが、序文には全く逆
のことが書いてある。天武天皇の古事記編纂の動機が、諸部族の受け持ち伝えている本辞が伝承
のうちに差異を生じつつあることを心配されてのゆえというのである。この中には、中央にこそ
本辞の原型があり、それが地方に分担されたことが暗示されている。そればかりか、元の知識が
伝承の正確を期して丁重に扱われていたことはもちろんのこと、さらには「語部」が古代皇室の
計画から生まれたことや、その役割が少なくとも本辞の正確な口伝にあったことなどを窺い知る
ことができる。これは神話考古学上の第一の盲点であり、無視するか否かによっては神話自体の
意義を生かすか殺すかの分岐点でもある。

肥後和男氏は、古代人の歴史思考が過去に逆上るほど広大な概念に発展し、理想を古い方向に
投射している事実を指摘し、古代人がより過去に素晴しい歴史のあったことを信じ、それを回復
する努力をしていたという考えをもっておられる。本辞を主体的に構成する神話部分が、歴帝の
事績を語る、中、下巻に優先して置かれていることをみても、理想的古代がテーマになっている
ことは明らかである。少なくともその復元の材料を示唆すると信じられたからこそ、誤ることの
ないよう後世に残す努力が採られてきたのではあるまいか。そもそも当時の世相に虚構と真向か
ら分っていることに対し、存続の努力をとることは先ず考えられないことである。現代の考古学
が極めて柔軟性に欠けるのは、古代人の行動様式を非合理なものと前提するところから始まって
いる。このようなところから与えられる、古代人は素朴だとか文学的だとかいう底の浅い評価は
真相を伝えるものとは思えないのである。

二、理想的古代の起源をたどる

では、古代人の考えていた理想的古代とはどのようなものであったのだろう。時間を過去へと
たどって推測してみることから始めよう。
一般的に、皇室は新民族と共に海外から渡来したと言われている。諸説があり、東南アジア、蒙古
、朝鮮など比較的日本に近い所からのものが有力 なようである。だが、古代の文化は私達が
考えるよりも、もっと広域に伝搬するものであることが最近多く分るようになった。例えば、正
倉院の御物にはペルシャ以西のものが多くみられ、中には向こうの思想を適てはめなければ解け
ないような絵柄がある。(文献①)(図1 ・1)

図1・1 羊木蟷結屏風(正倉院蔵)

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また、日本書紀には七世紀頃、多数のベルシャ人の

来訪した事実が書かれている。このように日本の歴史のれい明期には有力な歴史書が少ないため

に多くが知られていないが、海外との交流は盛んであったと考えられる。

では、理想は遠い異邦の地にあったのかというと、そうでもないのである。神話の類型をはかる目安と

して、天地創造、二元論的な観方、善神悪神の系譜の根元的一致、よみがえり、大洪水

などの基本要素があるが、それらがヨーロッパ、中東、インド、中国、日本と、内容的、表現的

差異こそあれ世界的に共通した話題として登場している。そして、それらがこぞって、史実の中

に神話を優先し、様々な哲学者や詩人をしてより古代によりよき時代があったと言わしめている

のである。そして神話は、いづれの地でも古代人の思想的基盤となった。多く宗教や哲学に反映し、

少なくとも語りつぐべき伝承として今に持ち越されている。

つまり、神話は世界共通の重要な記憶であったのであり、何も日本神話のルーツをペルシャや

ヨーロッパに求めるべき問題ではない。ただ、紀元前数世紀から後三世紀程の間に局限的な伝播

がありえたことは考えられる。しかし時として、日本神話の方が海外のものより、より優れた体

系をもっていたりするのはどうしてだろう。これは後程詳しくするとして、とにかく、理想のルー

ツは、本質的には空間よりも時間的過去に求められなくてはならないのである。

三、神話は真実を語る

神話の信憑性は、古代人の歴史に対する敬虔な扱い方が伺よりも物語ると思われる。それは、

比較的後世の歴史書に虚構が記載されていないからである。荒唐無稽と思われた斎明記でも飛鳥

の水落遺跡から水時計の遺物発見に併い信憑性の高まったことはみての通りである。海外でも

様々な考証材料の発堀により同様のことがありえている。もちろん、史書記載の際、適切な言葉

がなく「擬態」により表現しなくてはならなくなったものもあろう。斎明記における、「鬼」と

は一体何であったか不明であるが、おおかた自系人種ではなかったかとの説もある。神話には、

この擬態表現が多く用いられている。それは驚異的な過去の知識を示すには余りにも言葉足らず

であったことを示している。このように考えると、史実群の冒頭にいつの時も掲げられる神話と

は真実でなくてはおかしいのである。

一方で、古事記と日本書紀の差異を指摘するむきもある。観点の違い、歴帝の御歳の相異、神々

の系譜の相異など多くの一致しない点がある。だが、それは原型(本辞)の意図が違うところに

あるからであり、虚構であるためとは言えない。そもそも長年月の歴史の記録を後世に伝承し易

くするためにわずかの言葉に要約するとしたらどうするだろう。 一連の年表にまとめるか、それ

とも若千の思想を付加して簡単な興味深い物語にするぐらいしかないであろう。彼等は、過去に

あったことの精神を大事にして後者のやり方を選んだと考えられる。恐らくその過程において、

それほど重要でないものは細かい扱いを受けなかったのであろう。神々の系譜や歴帝の御歳に重

要性がないとは、逆に神話を皇室が権力誇示の目的に使ったのではない証しではあるまいか。

四、失われた 超古代に起因する理想

現代考古学では文明と呼べるものは最古としても四大文明までであり、それ以前は原始石器時

代とされている。そこに果して神代と呼べる原型があつたかというと、それは難しい。神話を育

くんだ時代と生活条件が同等以下と考えられねばならないからである。ところが、シュメールの

古代都市などは美事な計画のもとに作られていた。また、どの文明も非常に高度な建築技術や天

文学知識や数学知識をもっていた。ある説では突然確率的にまれであるが文明の随所に天才が生

まれて、このような文化を築き上げたのだという。その説によるなら、そのような時期こそ神話

に語られるべき英雄の時代であろう。確かに様々な民族の伝承には遠い祖先の時代に人々に敬わ

れる英雄(賢者)のあらわれたことが語られている。だがそれはこぞってどこか遠い所から突然

やつてきたとされていてこの説とはくい違う。また、そのような高度な知識が華開いた反面、もっ

と簡単なことが、おこなわれていないという事実がある。

たとえば、マヤ人は車輪や陶工ろくろや鉄を知らなかった。しかしその代わり、グレゴリオ暦

をしのぐ精度の暦をもっていた。しかもそれは現代の正確な一年の長さと六秒しか違わない。シュ

メールでは一年が三分の誤差であるが、月の回転周期がわずか〇.四秒の誤差であった。「宇宙

の無限性」の考え方もエジプト・インド・ペルー等でみられ、エジプトでは地球は金星や土星な

どの他の惑星と同じ法則で動いていることを知っていた。これらのことは、必要不可欠な日常の

話題とは余り縁のないことでありすぎはしないか。これはそれより以前に何らかの文明があり、

それが突然壊滅して火事場から焼け出されるたとえのようにごく一部の知識しか持ち出せなかっ

たか、あるいはどこか全く違った高文明世界から知識が移入されたかのいづれかでしかないであ

ろう。これについて、ソビエトのA ・ゴルボフスキーは前者を肯定し、かってあった大文明が変

災で滅び、そのとき知識の救出にあたっていた賢者が居たという考えを打ち立てている。そして、

その賢者が民族発祥の各地に出現し、人々を指導したのだという。

五、大異変が 高文明を壊滅させた

では、大文明を壊滅させた事件とは一体何であろう。これもゴルボフスキーが明快な解答を与

えている世界の神話に共通する伝説上の大洪水に求められるょうである。彼は世界の様々な民族

がもつ記録の内容と地理条件をもとに大異変の中心地を求め、その原因を仮説している。それに

よると、大異変の中心は大西洋のどこかであるという。その一帯は今でもアトランティス論議の

盛んなところである。その理由は大西洋から遠くなるにつれて民族伝承の異変の規模が小さく

なっているからであるという。たとえばアラスカのインディオの伝説では「大洪水が襲い、山の

頂上に逃がれて助かった」というが異変の極近に居合わせた記録と思われるメキショの古文書チ

マルポポーカでは、「天が地に接近し、 一日のうちに全てのものが滅び去った。山も水の中に隠

れた。……テリゾントリが物凄い音をたてて沸騰し赤い色の山が宙に舞い上った」と言っている。

ちなみに、彼はこの原因を天体の接近及至は墜落とみている。

このような異変によって一度栄えた文明が壊滅したとすると、神話の起源は考え易くなる。そ

の頃の文明の程度が高ければ高いほど、神話化する度合いも大きくなるだろう。神話とは俗界と

は異った驚嘆すべき世界を示すために登場する者に重みづけして表現する物語であると考えるこ

ともできるからである。たとえば、インドの叙事詩ラーマヤーナには空飛ぶ車について書かれて

いる。それは飛び上るとき、地平線に轟く豪音を上げたとか、空の中の彗星のように赤い火となっ

て輝いたとか、「翼ある稲妻」により動いたとか言われている。それはまさに現代のロケットを

ほうふつとさせる。また、マハーバーラタには核戦争を思わせる情景が語られている。「火の玉

のように輝く砲弾が発射されると、濃い霧が軍隊を包み、不吉をもたらす竜巻が起り、黒雲がう

なり、音をたて空高く登っていった」という。この他、「その光には太陽でさえ目をまわした」

とか「兵器の熱で世界は熱くなった」といい、兵器は「巨大な鉄の矢に似る」と形容されている。

これらはいづれも半神半人の英雄の時代を語る叙事詩である。現代人の我々でもまさかと思うよ

うなこの情景描写は、間違いなく過去のものである。このようなものは、古代人からすれば驚異

的かつ畏怖すべき神域の出来事と考えられても無理はない。だが、民衆があこがれる世界はその

ような戦争や洪水の中には無いはずである。このような文明の形成期にこそ、気力の充実した理

想郷があったのではないか。そのような時期の事を記した古文献も見つかっているので紹介しよ

う。

六、模範的な ムーロア文明

トニー・アールは、メキシコ盆地から出土した「ムーロア古写本」の解読結果から、今から二

万三千年(炭素同位元素年代判定による)以上も前に栄えた文明について述べている。この国は

ムーロアといい、広大な土地の中に二つの郡と七つの都市があり、農業、鉱工業、水産業を中心

にして商業活動、航海に秀でていた。政治は神権政治ともいえるものであり、太陽神、月神の権

化とされる男女教皇が主催し、優れた知恵を有する多数の神宮と産業別地区別代表者が補佐し

人々は光明神をおしいただいて非常に敬虔であった。農業は穀類、柑橘類、ブドウなどの生産や

酪農がおこなわれ、鉱業は銀、銅の採堀とそれによる装飾品がつくられた。七都市の半数以上が

港町であり航海術に優れ、海外に誇れる海軍があり商船が活躍したという。都市には道路整備が

施され、塵芥、排泄物の処理設備、上下水道設備などがあった。大学もあり、宗教大学と民間大

学が設けられていて、卒業者はそれぞれ神官や専門技術者となったという。特にこの古写本は神

官課程に進んだ者の手で書かれている。彼の体験の中には私達の知っているものよりはるかに高

度な催眠学習による短時間の経験移入や知識付与がおこなわれたことを物語るものがある。また、

スポーツや年中行事としての興祭りなどは、我々のものとそう変わりがなく、知識伝承の風化

し難さを感じさせる。また、このような安定した国にも反乱があり鎮圧後主課者は極刑として葦

船で流されたというが、古事記にも名残りがみられる。

ここでは概略しかお伝えできないので、詳細は彼の著書を読まれたい。このような国が理想的

であるかどうかは分らないが、筆者は今すぐにでも屋敷をたたんで引越したい気がした。無暗に

発展し弊害をもたらす高度物質文明よりは余程ましであろうし、長い寿命を保つことのできる文

明形態であるに違いないと思った。長所は、精神と物質が程良く調和して、人々が両面から恩恵

を被つていることであろう。それは人間の進歩と指導を基調とし、人間と宇宙の本質を理解した

科学の上に華開いたものであったと思われる。

ゴルボフスキーによると、大西洋両側の神話と伝説は共に人類の存在期間を四つに分け、現在

の世界は最後の第四期にあることを認識しているという。そしてそれぞれの期は色で示され、ほ

ぼ第一期「白」、第二期「黄」、第二期「赤」、第四期「黒」となっている。これは、ヘシオドス

による「黄金」、「自銀」、「青銅」、「鉄」の各時代にあてはまるものである。彼は、「青銅」と「鉄」

(現時代)の間に「英雄伝説」時代を置いているのがユニークであるが、前の時代に含まれるも

のと考えられる。筆者研究では、後程述べることになるが、大文明周期が約七千年を単位として

ありえていると結論している。すると、ムーロアはちょうど第一期の黄金時代に当たる。古代人

の時代観がこのような伝承に裏付けられているものであったとすれば、当然より古代に逆上るほ

ど理想郷であったと言えるだろう。

七、新嘗祭と 神体山信仰の原点

では、なぜこのような理想的文明が滅ばねばならなかったのだろうか。それは天体の墜落とい

う不可抗力的なものであったかも知れないが、古代人は神を信じる以上、そのような諦観はなく、

納得のいく理由を求めたことであろう。そうであれば、古代人の思考形態は、きわめて複雑であっ

たに違いない。

一大文明の壊滅とそこからの再生のときこそ、歴史の陰に隠れたちょうど舞台裏の出来事であ

り、もし歴史に偶然以上の意味があるならばヽ全ての反省がなされ、また次の時代への全ての基

礎設定がなされるこの時期に重要な意義が見出せるはずである。

その精神的な痕跡は古代から今に持ちこされている新嘗の儀式に反映されているょうである。

古代人の新嘗の観念は実にユニークである。人間の生死と魂の輪廻の考え方を含みつつ、自然界

の万物に壊滅と再生の法則が具有されていることを観念として持っている。これは、自然界への

恐怖心から身の周りのものに神を想像し多神教崇拝となったという現代考古学的解釈の理由とも

なっている。だが、新嘗には強力な時間の観念が併っていて、単なる信仰心や恐怖心から出てい

るという理由づけで解決できないのである。

新嘗は前段階として一度前身が滅んだとき、過去の行為の反省とその忘却がなされ、次段階と

して神の前で威儀を正し、純自な心構えとなった精神が、次の新たな局面のために再び新たな身

を以てよみがえることとされ、長い時間経過のおりふし、特に新年や節分などの一年の一定の機

会に新嘗祭としてとりおこなわれている。そしてこれは時期、方法の差こそあれ、どのような宗

教の祭礼の中にも採り入れられているものである。この観念の基礎に超古代と古代の接点にあっ

た衝撃的事件の記憶があると考えることは的を得ていると思われる。それは一つの不幸ゆえに禁

忌であると同時に、通常では遭い難い神との会見と新規巻直しという厳粛な喜びの機会を得るこ

とであったようである。これゆえ、古代人のそれを模倣した儀式では、最高の威儀と手続きを通

しておこなわれたのである。

また、いま一つ、古代祭祀で欠かせないのは神体山信仰であろう。日本に関する古代の信仰は、

神体山を原点としている。神社の社殿はあくまでも後世のものであり、神体山を祭るために建立

されていたことに注意が要る。神体山信仰の理由は山に何らかの力があると考えられていたから、

というのが最も古代人の合理性を重視した考え方であろう。現代では何のことか全く説明のつか

ないことかも知れないが、やはり、神体山それ自体に秘められた故事があり、それが古代人の記

憶として伝承されてきたものと思われる。

八、古事記の 知識は時代間の破局をみてきた者の記 録か

古事記は、これらの現代考古学では解明できない様々な謎を説き明かすための充分な解答を包

含している。これが今まで未解明であったのは、古事記自体が相当な暗号化文献であり、現代で

すら未だに出現していない科学技術に言及するからである。ちょうど本居宣長が言葉の意味まで

考えようとしたのに、近世日本の風物に比類する物がなかったために直訳的になってしまったと

思われるが、そのようなことが今でもありうるかも知れない。しかし、古事記に語られる非常に

多くのものが現在出現し、知識として提供されているから内容的に多くが解釈できるようになっ

たことは確かである。

時代の再生の過程に何がおこなわれたかについては海外伝承にも若干書かれていることであ

る。バイブルでは、ノアがアララテ山に漂着したことと神と対話したぐらいのことであり、その

他幾多ある伝承も理想化がなされていて本旨からかけ離れている。ところが古事記には再生の過

程についてかなりのウエイトで書かれていて、神話の中核を成すほどに繰り返し念を入れて解説

してあるのである。(もちろん、表面的な解釈や古代人の考え方を無視するようなやり方では一

語句すらも進展しないと思われるが)つまり、時代の壊滅と再生の接点に居合せて事実を観てき

た者の手によって本辞の原型がつくられていることはほぼ間違いのないことである。まさか、 一

万年も昔のことが、時代の浅い日本などに伝えられているなどとは誰も信じないであろう。紀元

前二千年以上の歴史をもつバイブルなどの方が優位な条件にあることも確かなことである。しか

し私はこの原因を知識伝承者の知識に対する誠実度や能力の差に求められると考えている。その

辺の事情を全力推理して数節を使ってお伝えしよう。

九、知識は皇 室が古代中東から日本に持ち来たした

A ・ゴルボフスキーによると、ベロッソスの伝承に、洪水がシュメールを襲ちたときその災害

を予知していた時の帝王クシストロスの手で全ての事の始まりから終りまでの歴史が記録し保存

され次の時代に持ち越された話があるという。このような大変災に併う、予知者による知識の持

ち越し伝説はエジプトにもあり、トゥトがこれにあたっている。

ところが、筆者の調べでは、古事記の神話には傍線部のことが大把かみではあるが書かれてい

ることが分っている。既に冒頭で述べたように古事記製作の動機が連綿として語り伝えられてき

た知識の風化にあったことといい、それまでの皇室にとって、本辞の知識保全の志は、かの遠い

祖先が苦難の末持ち来たした時の志と決して不可分ではない。シュメールの知識と共に当時の知

識保全の継志が日本に伝えられていると考えられるのである。古事記の元なる知識をもたらした

のは新民族と共に来た皇室であったであろう。皇室とシュメールを結びつける要素は多く、関連

のありそうなものを揚げると次のようになる。

(一) 皇室を示す冠詞「スメラ」の語源を考えると、Sumer-aで筆者訳で「シュメールの開祖」

となる。シュメールは元来、統一のとれた世界を示すが、古代皇室が理想的世界実現の先峰を

志していたことを十分窺わせるものと言えよう。

(二) 日本書紀に書かれる斉明天皇のまれ人饗応譚(六五七年)は、かねてから古代中東の思想が浸

透していたことを窺わせると共に、斉明天皇の懐郷的行為ではないかと思われるものがある。

井本氏によると、ペルシャ人ダーラーが一行数十人を連れて六五七年に築紫に漂着した。これ

を知った時の斉明天皇は早馬にて大和に招き入れ、須弥山像を創って孟蘭盆会を初修してもて

なしたという。そのうち、須弥山は仏教にも縁があるが、古代中東にも類似概念があり、孟蘭

盆は仏教に語源はなく、古代中東の天則を回復した者(Ulavan)もしくは魂(Urvan)がそ

うであろうという。また斉明天皇は、狂心渠なる水路を造ろうとしている。これはペルシャの

灌漑水路に相当するだろうという。まれ人饗応はさらに東北方面の蝦夷に及ぶが、彼等は白系

のペルシャ人であったかも知れない。朝鮮、中国等の人種の出入りの多かったこの時代にあっ

て、相対的に強い憧景のようなものの存在が感じられるのである。

(三) 須弥山は仏教にもみられるが、思想的にはペルシャに逆上る。この語源を考えると梵語で

Sumer-uであり、(一)と同様にして「シュメールを覆う」という意味が見出せる。仏教で須弥

山は確かに世界の中心にそびえ立つ霊峰を示すものであり、筆者訳が決して誇張でないことが

お分かりになるだろう。ちなみに「a」と「u」はそれぞれ「開」と「宇」で割り付けている。

斉明天皇はこれらの思想を構成する表現やシンボルの意味を予じめ熟知していて、須弥山の神

の側に立ち、ダーラー一行の労をねぎらったものと思われる。

(四) 古代イランでは、須弥山に相当する山をハラー・ブルザティー(高峰ハラー)と呼び、神々

の住まう山岳と考え、遠方に臨まれる山岳をこれにみたてることによって人々は理想の中に生

活しようとしていたという。古代日本でもそれは同様であり、山岳信仰と神仏の名を冠した山

岳名に端的にあらわれている。(たとえば、帝釈山、釈迦が岳など)やはり語源の問題になるが、

高峰ハラーと高天が原の類似性は否定できない。高天が原はご存知のとおり神々の住まう天上

の国である。これは高みにある神仙を示す共通語的なハラー(原)に誤らぬための説明「高天(た

かあま)」が冠されたものではないだろうか。日本の高天が原に天照らす大御神があり、古代

中東のゾロアスター教の高峰ハラーにアフラ・マツダがあり、なおも仏教の須弥山に帝釈天や

釈迦があるという非常に類似した思想が古代日本には同居していたと思われる。だが日本人は

融合の資質に富み、比較し優劣を論じるのではなくいづれもの真意を汲み思想的に合流させよ

うとしたのではないだろうか。

その根拠は日本各地の山岳名に如実に語られている。九州、大和をはじめ各地にみられる釈

迦が岳の名は高天が原と等価であろう。その証拠として、関東平野の北方にある高原山(別名、

釈迦が岳)がある。同様に、弥山、頂仙岳、帝釈山なども古代に神仙とみたてられたことを物

語るものである。飛鳥時代より、急速に仏教の輸入が盛んとなり、その勢力に旧来の勢力がし

だいに押されていったといういきさつを想定する。

(五) 古代人が過去の時代に理想を置き、古き良き時代を再現しようとするならば、とりもな

おさず自分達の祖国の風俗や地理条件などを何らかの形で滞めようとするだろう。その例

として山岳のみたてがあった。だがいま一つ、チグリス・ユフラテス川流域にかつて栄えた

古代都市の並びがちょうど一致する場所が日本にも在る。といっても、古代都市の並びの

線が緯度線となす角度と同じ線が日本に在るというわけであり、シュメールの古代都市が

そのまま一対一に対応するのではない。そのラインは、図1 ・2に示すように九州を斜断

する。この特徴については二章三・(九)節で詳しく述べることにするが、簡単に言うと、こ

のライン上の地名が古事記の「天孫降臨」に

おいてニニギの命が降臨してくるときの言葉の中に出てくる地名と符合するのである。それ以

外にも驚くべき符合がいくつか見出せるいわくあるラインであり、 一応「ニニギの命の降臨ラ

イン」と名付けている。

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シュメールの側のラインはそれを延長すれば北西にはシュメールより古い文明が見つかった

という黒海西岸に至り南東にはやはり楽園伝説のあるバーレーン島を奇麗に繋ぐ、これは最古

の文明の伝搬ルートを暗示するようであるし、それがニニギの命降臨のルートとも幾何学的に

一致するというわけである。ここでは二つのラインに符合が見出せることから、シュメールと

新民族の関係が不可分ではないことを述べるに滞めておく。日本各地の地名とその地域的まと

まり(地名パターン)には類似したものが多いが、古代人の言葉足らずのゆえではなく、シュメー

ルの地名を踏襲しようとしたことによって起きたと考えても面白いと思われる。

十、皇室は 超古代より連綿として続く賢者の系譜か

過去の時代と新しい時代の接点において、多くの国に賢者と呼ばれる者が登場し、彼等の手で

知識の救出や存命策が構じられていたという。例えば、先述のクシストロスやトゥト、オアンネス、

古代インドのパラシャリア、古代ギリシャのペラゴス、メキショのケツアルコアトル、その他ボ

チク、コンティキ、ザナム、ククルカン、ヴォタンといづれも、農耕や建築、天文学、太陽礼拝、

律法などの文明の基となるものを付与し、その民族の開祖や神として祭られている。同様に皇室

の起源は、このような賢者の役割をもった人々であったと思われる。その出自の最たる候補地は、

拙説ではシュメールと考える。そして知識存続の後志は賢者の役割の系譜として皇室が以来担っ

てきたと考えるのである。

知識の救出もそうであるが知識の存続にあたる場合にも苦労があったはずである。ゴルボフス

キーは自然的風化に加えて、知識紛砕の人為が何度も歴史上にふりかかっていたことを指摘する。

それは決まって、 一握りの権力者の利益のために公然とおこなわれていた。だが、賢者はそのよ

うなやり口を熟知していて、単純な伝搬方法で済ますようなことは無かったという。例えばエジ

プトのビラミッドには膨大な知識が隠されているというし、賢者の手になった幾多の文献は容易

に意味を悟られないように暗号化されているという。

また、 一方賢者は知識が付与される側の人々を考慮しなくてはならなかった。なぜなら、知識

の多くは超古代の高文明の利器に関するものであり、教えられた後世の者が悪用することが心配

されたからだ。このためそのうちから時期に応じて必要なものが古代人の啓蒙のために使われた

が、残りの多くは、再現不可能なまでに要約されたり、それを開くべき時(これはどうして知る

のか読者注意)が来るまで暗号化されたり、タイムカプセル的なものの中に隠されたり、あるい

は強力なカースト制を敷いて容易に立ち入らせないようにしたという。これら二つの憂苦への対

策法は今現在、多くの謎の形式で発見されている古代遺物や伝承の中に織り込まれていて、多く

未解明のままで眠っているというわけである。

古代皇室が賢者の系統であることは、多くの事柄から間違いのないことと思われる。その挙証

を次に掲げ、従来までの上代史観が正しいのか拙論が正しいのか併せて問いかけることにする。

十一、古代皇室は情報工学的手法を先んじて使っていた

(上古史への新たな仮説一)

情報化時代の現代において、情報の保全のためには様々な方法が考えられているが、基本とす

るところは次のようなものにまとめられる。第一に、情報の複写と適時における照合。第二に情

報それ自体の体質強化をすること。第二に情報を伝える媒体の品質保全である。これに加えて、

必要とあらば、複写部数や照合回数を増やしたり、情報を記憶し易い形に加工したり、情報媒体

の質の向上をはかったり、これらの役割を組織化し制度化したりすれば十分に風化に耐えるもの

となる。さらに機密を要するなら、特別な知識者にのみ分かるように情報を暗号化するわけであ

る。日本においては最後の機密に関しては比較的オープンである。強いて言えば機密保持は情報

機器内部でおこなわれていて、使う者はそれ程意識していないのが実情である。とにかく、以上

のような基本事項が考慮されて現在のコンピューターを始めとする情報機器が設計されており、

同様の様式で情報化社会が成り立っているのである。

ところで、古代皇室は、これらの情報保全工学的要件を凡そ満足した施策を採っていたことが

理解される。それを以下に揚げてみよう。

(一)知識情報  まず保全すべき 知識情報とは何であるかというと、古事記の神話の基礎となっ

た本辞である。これは口伝であったが古事記とほぼ同じ調子の昔語りであった。この中の神名、

命名、島の名および筋書きに仕組まれた意味が知識部分なのである。だから神話の昔語りの一

連の筋書きをそのまま暗記するかもしくは書き記せば情報の保持の役割を果せたのである。

(二)情報の複写と照合  歴代天 皇は、地方のカタリベを定期的に宮中に招き口誦を楽しんだ

というが、このとき中央の持っている基の情報(本辞)と他家の受け持つ情報のすり合わせ照合 22

と誤り訂正をおこなっていたというのが真相であろう。

(三)複写情報の分担  (二)の 前提として、各地方諸家(のカタリベ)に知識を分担し受持

たせるということがおこなわれていた。これは冒頭で述べたように古事記序文から推測される。

すなわち現存する風土記に記されたものから推測されるように、ある地方に関係する主祭神、先

祖の命の伝説が中央や異なる地方の物語にも登場していることによって主観点(主人公)こそ違っ

ていても情報の複写に類したことがおこなわれていたと解せる。そのようなとき中央のものは登

場する神をできるだけ公平に表現しなくてはおかしいが、古事記にはそれが端的にあらわれてい

る。日本書記が倫理を重視して登場者の行為に厳しい意見をもつに対し、古事記は淡々としてい

る。

(四)情報の重みづけと単純化   重要な知識は神名と筋書きに語られる。このとき、「神」や「命」

の言葉は知識自体に力をもたせるためのものではなかったか。民衆はその知識の意味するところまで

知っても知らなくても良かった。彼等は見えぬ神におびえそして支えられ、畏敬の念と共に後世に語り

継ぐことになったわけである。また、情報を憶え易くするために、知識の集約、筋書きの単純化、説話

化がなされた。カタリベはこのためにも初期の頃は活躍したと思われるが、非常に高等なプロジェクト

であったことが察せられる。

(五)情報媒体の品質管理その一(人)   情報伝達の媒体は、カタリベとその底辺を支える民衆であ

るが、この強化のため古代の歴帝は万民に国語の教育を普及した。このため人々は後に万葉人と親しま

れるほど文学面に秀で、下層階級に至るまで自らの

心情を言葉に吐露し、素朴で力強い秀作が数多く創られている。だが、そこには、知識保全の支

援体制の拡充と優秀な人材の発堀と登用という期待が込められていたと考えられる。これは同時

に国力充実や国民の品性向上などの多くの効果をもたらす、まさに賢者ぶりを示す施策であった。

また、歴帝は国民を大切にすると共に古代の教訓をもとに徳育を施していたことも本当であろう。

少なくともこの頃の民の生活はまとまりをみせ、豊かであったと思われる。

(六)情報媒体の品質管理その二(組織)   カタリベは、知識の記憶を担うと共にその査察監

督の機能を果たしていたと考えられる。それを指揮していたのは天皇である。カタリベは皇室の

計画から生まれ、当初は国語の基盤造りから始まったと考えられることから知識情報の翻訳、説

話化の起源は古いものであったと推測される。それがやがて、文法の整備や新造語の取締まりな

どにも力を入れるものとなったであろう。そして、機能の大半は知識の保全に充てられたと考え

られる。カタリベは方法として、(知識の)語りに対して(舞いで)振りつけるという非常に効果

的な記憶法を用いていた。それは、今でも神楽舞いに名残りをとどめている。

また、古事記製作に重要な役割を果したカタリベの舎人という稗田の阿礼の名を語義分解する

と「日枝の顕れ」であり、その意味は「知識の分枝(または体系)をあからさまにする」という

ものである。これはカタリベ自体の役割を端的に示している。つまり、稗田の阿礼とはこの時の

カタリベもしくはプロジェクトの呼称であったのではないだろうか。また、彼は目が見えなかっ

たが、耳に聞いたものは全て憶え、間違わずに暗唱できたというが、まさに国家機密諜報機関の

ように秘密を守り、勅命に違わぬ精神を如実に示していると思われるのである。そもそも、当時

の部曲制とは現在のプロジェクトチーム体制のことである。それを現在のように営利企業でなく

国家組織の中でおこなったことが特徴的である。情報工学的知識保全策といい、プロジェクトチー

ム体制といい、古代人の知識水準が高度であったことは疑いのない事実である。

また、知識情報の内容を模倣する役割もあった。これは、知識情報の内容が余りに高度であり、

非常に重要であってもそれに引き当てるべき何物も無かったために、その示す実体や行為をしぐ

さで表現するものである。たとえば、隻人舞いや猿女舞い、また太卜の占術や祝詞の儀式などで

ある。これらは神楽や神社の祭祀儀礼の起源となった。古代人は知識がいづれ元あった通りに復

元されることを信じ、いつ再現されても良いように備えていたとも考えられる。

(七)知識情報の前提的な集約加工   海外より渡来した古代皇室が日本統一を画策していた当

初を考えてみよう。日本は多湿で地震国であったため、海外のように巨石建造物で記録を残すこ

とができなかった。しかし古代皇室は、どこよりもスケールが大きく利口な手段を用いた。知識

を断片化して身近な事物にあてつける連想記憶法という物憶えの手段がある。この方法を時間、

空間の位相とスケールを変換して応用し、日本中の皇室の支配下にある津々浦々の地名に縮図化

すると共に知識を統治下の部族に分担させ呼習わせたのである。このとき知識を予め神格化し、

部族の祖先または氏神として祭らせる準備が図られた。たとえば、イザナギの命は本来、宇宙的

スケールの知識なのであるが、御陵が淡路の多賀にあるという挿話を設けて民衆レベルに適わせ

るやり方が採られた。この方法は古事記に多くみられる。それは神話上に載せると共に対照する

ように実物を実際の地方に設けているのである。また、この神格化した知識は、皇室との縁籍の

深さを示すものとして一役買ったであろう。なおもこのために知識の分担が促進されたことは言

うまでもない。このように、日本征服に乗り出す前から知識存続保全のための綿密な計画があっ

たことは間違いないようである。

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このように観てくると、古代人といえどもいささかも現代に対して遜色はない。情報工学的手

段を余すところなく駆使しているに加えて、深い人間研究の成果がみてとれるわけである。 一体

どうしてと思われるかも知れないが、簡単である。彼等の持ち来たした知識に帰因しているので

ある。彼等は多くの文明の利器を再現できなかったかわりに、方法論的なものは極力駆使してい

たのである。古代日本人は、この知識のことを「ひ」と呼んだ。同音でも他に様々な概念を含む

言葉であるわけだが、古事記中では「ひ」は多くこの意味に使われている。たとえば、聖(ひじり)、

辺つ火(へつひ)はそれぞれ知識の管理者、物質的充足をもたらす知識(「かまど」はそのシン

ボル)を示す。同じように、天皇の敬称に使われた「ひつぎのみこ」は「古代知識の継承者」を

意味し、聖徳太子が隋にあてた親書の書き出し「ひいづるところの天子より……」は知識を活用

していく意気込みの強さを隋に誇示しているのだ。

「ひみこ」も決して卑弥呼ではなく、元は「(古代の)知識を総身にする」の意で、潜越さを

魏王にうとんぜられて卑屈なあて字がなされたものであろう“よって、卑弥呼も皇室の系統であ

る可能性が強い。古代より伝えている知識の再現は世界共通の憧れであったわけである。古代か

ら連綿として続く皇道なるものがあったとしたなら、それは、このような目的意志と確固とした

方針ではなかっただろうか。だが、日本は、やはり時代的に浅かった。中国は、その時代の奥行

きの中で知識に基づく理想復元の無理を知っていたのかも知れない。日本もやがて乗り切り難い

困難な局面を迎え、坐折していくのである。筆者はこの辺のなりゆきを次のように推測する。

十二、知識保全プロジェクトの衰退

(上古史への新たな仮説三)

大和を中心として日本の統一支配が始まり初めての安定期ともいうべき飛鳥時代に入ると歴帝

の予想も大きく喰い違つてきた。知識保全プロジェクトが根底からゆらぎ始めたのである。その

原因は、一つは豪族の利害進出、二つは中国文化の流入、そして三つは仏教勢力の拡大であった。

飛鳥時代は様々な面で転換をみせた時代であった。皇室率いる強い意気込みの民族は、日本渡

来以前から、日本統一を果たしてしばらくの間は、皇室を中心として一つの目標を貫こうとする

意志力で幾多の戦乱をくぐり、究境を打開してきたことであろう。そのまとまりの原動力となっ

た目的意識こそが世界の極東に統一国家を生ましめたのである。だが、世状が安定をみせてくる

と、今までとってきた目まぐるしい動きに対して反省がなされる。推進原理となった古代知識は、

それがいつの日か再現されるものとして至上の宝のように扱われてきたが、抽象的な方法論を除

くと未だ何一つ実現されたものはない。せめて韓の世界(朝鮮ではない)からの知的介入を期待

するとしても、具体的なビジョンを知らない。結局実現の約束のないものであることが分ってく

ると、現実論的な動きが出てくるのも無理からぬこととなる。これが古代皇道の第一のゆらぎで

ある。

その頃、海外からの文物流入も多彩を極め、西はベルシャに及ぶものまで様々でぁった。その

中でも日本に近いところにかねてから皮肉を込めてつき合ってきた中国は、古代の知識に描かれ

ている高文明からすれば見劣りのするものであつたが一定の水準を達成しており、魅力的であっ

た。日本がこれを越えるものとなるには、まずこの文化を採り入れ、研究しなくてはならなかっ

ただろう。ところが知識志向の考え方はしだいに大陸文化輸入の目先的なものにすりかえられて

きた。それはプロジエクト意識の手薄な新興の地方豪族から始まり、やがて中央にまでその波は

押しよせ、やがて中央では豪族間の利害対立を引起こすに至った。これが第二のゆらぎである。

次に文化流入は漢語の浸透をもたらした。これは大和言葉で存続してきたプロジェクトにとつ

ては根底を揺がす大事件である。カタリベもはじめは語いを増すための研究材料として扱ってい

たものも、その多彩さに色を無くした。漢字に訓をあてがうやり方で日本の独自性は守ったもの

の、優秀な人材が多く異言語のために流出することとなった。こうしてカタリベの独自の機能は

衰えをみせた。これが第二のゆらぎである。

思想的にも大変なものが入ってきた。仏典中最高と言われる法華経が早々に伝来し、聖徳太子

がその説明書を書いた。法華経と本辞をすり合わせれば自づと優劣も把えられてしまうものであ

る。たとえば、宇宙論では、本辞が宇宙史が基本三神から開始したとするに対し、法華経は無限

回数ほど宇宙は興亡したが、そのはるか前から如来は居たという概念があるためまず神と仏が規

模的に差があることが分かる。単純な者なら証さずともこれだけで仏教優位を観て取ってしまう。

次に、法華経はじめ仏教が人の精神的救済に主眼を置きそのための明快な哲学を有していたのに

対し、本辞は原理や法則、歴史の説明が主体であり、精神的なものは秘教化していたし、人々の

精神的充足は知識再現が果たされたらという条件付き約束がなされたぐらいのことであったに違

いない。このためであろうか大衆は、自づと仏教に傾き、神道はエリート的なものとなっている。

本辞は別の面で非常に優れていたのであるが、現実に密着した体系をもっていなかったために、

普段の状態で考えがちの当時の学者からして先入観を持ったものだろう。このようなことが豪族

の間で広まるともはや取り返しのつかないものとなってくる。蘇我氏が仏教に傾頭したのもこの

ようなことからであったろう。鉄壁と思われていたプロジェクトも人や言語といった情報媒体の

ゆらぎからもろくも崩れてゆくのである。

十三、大化の改新は古代的皇道の撤廃にあった

(上古史への新たな仮説三)

このような止めようのないなりゆきに鉄槌を下したのは中大兄皇子であった。彼は、うち続く

皇、豪族間の政争の中に古代知識の無力さと権威の失墜をみてとり、政治と皇道の分離の必要性

を考えていたのではないか。政治をほしいままにしていた蘇我氏を滅ぼした大化の改新は、かつ

ての歴帝が抱いていた復古思想を非現実的な理想として打ち砕くことに理由があったと思われ

る。その根拠は、過去の歴史書などの重要な記録の焼失であるが、これは謀略的焚書であると考

えられるのである。仏教に篤かった蘇我氏は新興豪族であり、古代知識を重要視していなかった。

だが権勢として、これを掌握しておくことは皇道自体を直搾することでもあり、かつ天皇と同等

の安全が約束されることであった。だから、蘇我蝦夷はこの管理者の位置で最高権力を自認して

いただろう。よって、子入鹿暗殺は全く予期せぬ事態であり、さらに、蝦夷の許に屍体が送り付

けられたことは天地が逆転する挑発的出来事である。逆上した蝦夷は然らば皇道もろともにの方

法を採り文献とともに屋敷を焼き払ったのであろう。

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この事件は部外者の目から見れば、仏教に溺れた蘇我氏の漬神的末路と映ったことであろう。

考徳天皇、斉明天皇は皇道の中絶と、陰謀と政争のぎくしゃくした政局にやりきれないものがあっ

たに違いない。斉明天皇は、白系のまれ人との親交を篤くし、汎ペルシャまがい

の狂心渠を造ろうとして、民心の反感を買った。この狂気的ともいえる懐古趣味

への内外の反感は、現実的改新派の天智帝の好評への布石になったことは言うま

でもない。さらに皇子はこのような中にあって既に実用化されていた中国の画期

的知識を採り入れ水時計を造営したことは知っての通りである。こうして旧態的

な政道は抹消され、現実的施策が着実に開始されることとなる。確かに、「大化」

の年号は、皇道の方針の大変革にちなんでいると言えよう。

古代の知識情報の面からみたこのようないきさつは、歴史書に採り上げられて

いるかどうかは不明である。無かったと

してもそれは不思議ではない。というのは、旧知識に関するプロジェクトおよび、それによって

成った地名や祭神、その他一切のいきさつが勅命によるかん口令で封じられたであろうからであ

る。そもそも、このようなプロジェクトがあったこと自体、表ざたにされてはならないものであっ

ただろう。それは文字(神代文字)があるのにわざわざ口伝で知識伝承をしていた徹底ぶりにも窺

える。そして我々が発見している歴史書はそれらの表面的な波頭がのせられているにすぎないと

言えよう。

十四、古事記編纂の動機

(古事記は古代皇道の墓誌である)

その後に立った天武天皇は天智天皇にはうとんぜられただけに、復古思想の再興を考えられて

いたようだ。これは、新方針をよしとしながらも、一方で皇道の回復をはかろうとする考えであっ

たろう。だが、重要な史書は焼失しており、かつてのプロジェクトは支配者層の変転で半壊し、

豪族も信頼性を失っていたであろうから容易ではない。もはや口伝に耐えぬ有様から、プロジェ

クトの寿命を見限られたために、帝は現存する本辞を文字で記すことを敢行されたのではないだ

ろうか。文字で顕わすことは、古代人の間では物事の成就と同等の意味をもっていた。この記載

が完了時点でプロジェクトは解散し、 一切表ざたにされないというものであったと思われる。こ

のとき、文字もプロジェクト関連のものは用いられず、漢字でのあてふりが検討されたであろう。

だが、御自身の時代にこれをおこなうことは、自らが皇道を大陸文化であがなうことになること

や、プロジェクト消滅の帝紀上不名誉な時代にしたくなかったことなどの理由でためらわれたの

であろう。御自身は編纂にあたられ、特命を滞びたカタリベチーム(稗田の阿礼)に口伝をお命

じになったのである。そして最も親しい側近である多氏に新方針がゆるぎないものになった時に

記すよう記載の役を任じられた。この多氏こそ隠れたプロジェクトの一雄であっただろう。

こうして、後の大宝律令制定とその後の元明天皇の時代の平城京遷都による革新時代の体制確

立の号令と歩調をあわせて、天武帝の志を継いだ古事記が書き記されることとなった。ここで、

旧態勢力の事実上の抹消(顕わし終わり)と新勢力のスタートが形式的に完成されるのである。

古事記の記録にあたった太安萬呂は、この執筆のために敢えてであろうか、「多」の姓を「太」

に改めている。そして彼は不名誉な事蹟をとがめられる形で墓葬が呪諷的かつ貧しいものであっ

たようである。これは彼が役割を受けた時から決められた最後であったようにも思われる。だが、

古事記序文はあくまでもプロジェクトがより一層充実するような言い回しになっている。それは、

古事記がこの連綿として統いてきた役割の墓誌であることを物語るからではないだろうか。(一

担滅んだものは再び蘇えるという思想に託したと考えられる。)この後、中央のカタリベは、宮

廷や神社の中の一機能の中に規模を縮小し、地方のものもやがて消滅し、かつての部民は自拍子

や後のびわ法師などに転身したと考えられる。また、多氏の一族もその後宮任えする者以外は隠

れ、根拠地である伊賀地方で、後の忍びのルーツとなったとするのも一興であろう。

また、皇室も皇基の凡そ一半を無くしたことによるゆらぎが否めない。古代歴帝の大義に満ち

た雄猛さは以降、明治時代に至るまで見られることは無かったのである。さて、これらのことは、

皇室を超古代知識存続の賢者と考える観点から発した古代史の新解釈であり、調べて書こうとし

たらそれだけで一冊の本が出来てしまうだろう。だが今回の本旨ではないのでこれで留めること

にする。

(三章二節に関連事項記載)

十五、ま  と め

以上のことから日本渡来の新民族は一つの理想状態と秩序を打ち立てようと考えていたことが

お分りになろう。それは、より古代の復元をはかろうとするものであった。そのためには、失わ

れた超古代から持ち越された知識が必要不可欠であり、経過を重視してその入手経路をも知識の

中に織り込んでいかねばならなかった。そして肝腎の神話はより過去ほど雄大に理想化してある

のである。

日本民族は古くからプライドが高かったが、それもこのような先古の知識を背景にし、持ち伝

えているという自負からきたものであった。皇室の万世一系性の根拠も血縁以上に強い知識存続

の役割意識に求められると思われる。なぜなら日本人は融合の精神を基調とし、思想、人種を越

えたところに目的を置いていたからである。妥協を許さぬものと言えば役割遂行の目的である知

識そのものであった。だから、あまた海外の宗教思想は観てきたことであろうが、独自の神道概

念を創り、その中で独自の知識を育成してきたものと思われる。

だが、まぎれもなく誤算はあった。まとまった思想の力は人々に非常に難かしいことを成し遂

げさせる。だが、思想が母体である限り、考える時間があり余る安定期には非常にもろかった。

それはどのような国家樹立の歴史をみても同じである。

また最大の誤算は知識が再現されるまでには、それから一千年以上の時間が必要であったこと

だ。そしてその時には逆に一文献を残して一切が無に帰しているのだから、歴史の皮肉、あるい

は呪われた黒の時代と言うべきなのかも知れない。

古事記は現代のなりゆきによく似た超古代にあった事実と重要な教訓を多く残している。今頃

になって解かれるよりも、もう半世紀も早く明らかになっていれば現在ある事態が、もっとまし

なものになっていたことも想像に固くない。それだけ古事記はここ数十年、 一握りの人間によっ

て都合のいいように歪曲され、用いられてきたのである。その意味では、暗号化されたこと自体、

問題があったのかも知れない。だが、今やその古代的懸念を払拭して超古代知識と継志を含めて

理念を昇率させる時期が来たのだということをここに感じるしだいである。

 


第二章 古事記上つ巻解釈

ここでは上つ巻の概要説明、解釈のための原理説明、そして本題の解釈に入ることにする。

一、古事記上 つ巻の概要

古事記は上、中、下巻に分けられている。この分類法には、ある種の意味が含まれている。そ

れは、イデアが現実に投影する段階といったものである。その中には時間の流れを含んでいて、

上からたどれば、より大枠から骨格へとイデアが固まりをみせて、やがて現実的なものとなり、

逆に下からたどるなら、段階的に幽幻の世界に透け込むような格好になる。だから下ほど細部の

正確性は有するが局限的であり、上は逆に細部は定かでないが、全体が把めるという具合いであ

る。つまり、「下」は現実世界であり、「中」はその精神の生きづいている世界、「上」は元つ理

念の世界であり、その性質上、神話は夢物語的に荒唐無稽であるが、少なくとも歴史展開の大枠

を示している。また、現代と非常によく似たなりゆきが上つ巻には語られている。つまり汎ゆる

歴史に類型をもたせる原型的理念の塊といった表現が適切な程である。このため、上つ巻は中、

下巻に先行する出来事(すなわち超古代史)を語るのみならず、中、下巻およびその後の我々の住む

現代をも包含しているものと言えるだろう。

では、次に上つ巻を構成する物語の各々が何をテーマにしているものか一覧表にしよう。

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二、古事記解釈の基礎原理

ヤマトコトバの一音は、象形文字の一字から発している。これは隠語である神代文字が発見さ

れていることから推測される。シュメールから発した皇室がまず手掛けたのは新言語体系の創設

であろう。元となった象形文字は非常に多くあったが、この中から基本音を紋り数十種類に抽出

した。そこには様々な途中経過した民族の考え方が反映されたわけであるが、ほぼ基本的なまと

まりをみせたのはインドの頃であろう。タミール、ブータンなどの各地方の人々は日本人と姿形、

発音言語ともによく似ている。

もとより、象形文字は、非常に豊富な概念をその一文字の中に宿していた。これは、まとまり

のないという意味ではなく高次元情報であるということである。それはちょうど、原子や分子を

形成する凡そ定まった性質と結合ルールを内包した不確定性的な素粒子に相当する。そして、そ

のような一音毎をまとめ上げる総合的な結合ルールが考えられていたことであろう。また、そう

でなくては、後世に文法と名のつくものは登場しなかったはずである。このような音が結合ルー

ルに従い、他の音をくっつけていき、はじめ一音では多様な表情の不確定な場であったものが骨

格を鮮明にし、やがて一意な語句あるいは文となっていくのである。それはちょうど、原型的理

念と具体化した事実の関係に似ている。言葉は実に天の理にかなった方法で造り出されているの

である。

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(一)ヤマトコトバの基本的表情解釈

前表は、筆者が日本人として生まれ育った土譲と経験において、察し得たヤマトコトバの各音

の基礎表情を解釈しまとめたものである。ここには万葉仮名の研究から得られる甲類、乙類と八

つの母音については考慮されていない。全く、ユニークなものである。

(二)少言語多意と擬態暗示の技法

飛鳥、奈良時代、およびそれを逆上る以前から言葉は非常に大切にされ、高下貴賤を問わず教

養として付与されていた。だが言葉自体はれい明期であり、少ない言葉の中に多くの意味を込め、

周囲の筋書きや事情から本意を示すということが多くおこなわれた。和歌はその好例であり、ゲー タ

ムの形態により一般教養として慣み易くなるとともに個人の才能を知る上で役立てられたと考え

られる。和歌は当初純粋であったが、後に掛詞や縁語などがあらわれたのは、それまで潜在して

いたものが表面化してきたためであろう。つまり、語句の中への意味の暗示化や多重化の技術は

知識情報を集約編集することをおこなっていたカタリベの中に在ったものであり、それが時と共

に流出したと考えられるのである。

上つ巻はこのような例がほとんどである。表面的な筋書きは伝承のし易さゆえ面白くしてある

が、表面的解釈する限りにおいては無価値である。では裏面解釈のためにどのような案内が施し

てあるのだろう。スフィンクスが道行く人に「朝は四本の足、昼は二本の足、晩は三本足で歩く

ものは何か」という謎かけをしたという。これと同様のやり方で物語の筋書きから推理させる方

法が非常に多く出てくるのである。これは、筋書きによる擬態暗示法とでも言えるものである。

これに対して、日常の身近な事物に引当てて、その裏面の意味を推理させるものも多く、これを

事物による擬態暗示と言うことにする。これは古代人の「みたて」の共通シンボルとその意味が

分かっていないと解けない代物である。なぜ、擬態暗示が施されねばならなかったかについては、

既に述べたように、暗号化する必要があったことと、知っていることを表現する言葉を持たなかつ

たことの二点によるだろう。

(三)古事記における特殊修飾語

古事記の語ろうとする重要な個々の意味は神名自体にある。既にお話したように知識存続上の

便宣から来たと考えることを理由の一半として、そして、解釈上の言葉のもつ圧迫感を棚上げに

しておくため、古事記解釈上の手順として一担次の語句を修飾語として扱い、後に本義を付加し

て考えてみることが望ましい。

まず、「神」と「命」であるが、これを第一類の特殊修飾語とする。この意味は、「神」(隠満)

が隠れ普遍する法則を示し、「命」(満言)が現象を生成する目的意志(理念)を示すものと考

える。つまり、「神」は「命」を登場させるための陰の演出者あるいは舞台設備であり、「命」は

脚本と言うべきである。たとえば「ゥヒヂニの神」といえば浮力をもたらす法則となり、「オホ

クニヌシの命」といえば農耕文化をもとに国造りする民族の理念となる。

次に、「日子(ひこ)」、「日女(ひめ)」を第二類の特殊修飾語とする。「ひこ」は知恵を有する

者の意があり、このうち「こ」は物言わぬ君子を意味する。「ひめ」は同じく知恵をもつ者の意

であるが、物を言う(生産あるいは表現し具体化してしまう)側である。男女の性を区別する以

外にこのような意味を含んでいるのであり、古代人は状態としては「ひこ」の方を重んじた。と

いうのは、古代人の間では、理念として存在しているものが形に顕われてしまうと理念自体の寿

命が尽きてしまうと思われていたからである。(この詳細は後章で述べる)それは物事の宿命的

本性とはいえ、つきまとう離別を考えると「ひこ」の状態を良しとし、老よりも若、それも幼な

児の状態を尊んだのである。

古事記では、男性原理を理念のチャージ段階におき、女性原理を理念の衰退に関与するものと

して物語が構成されていることに注意が要る。また、この語句が神名自体を構成する場合は意味

が異なる。たとえば、「活津日子根」(いくつひこね)の「ひこね」は「日捏ね」で「知恵により

造形する」の意となる。(彦根の地名もこれがもとになっていると考えられる)

(四)多重の伏線の仕掛けと縮図化の技法

暗号化の仕方は裏面暗示や擬態表現のみではない。 一本の物語に多重の真実を封入する方法も

とられている。主導的な筋書きを主線としたとき、残りは伏線という考え方をしようと思う。そ

の個所は、先述の各節テーマ一覧表で言えば、第二時代の開始部分である「穀物の種」から天孫

降臨後の結末を伝える「猿女の君」までの一連の筋書きにみられる。これを主線で言えば、 一時

代の歴史の開始から終了に至るまでの経過であるが、同時に多くの類似展開を言い表わしている。

つまり「起・承。転。結」もしくは「生・成・衰・滅」が一物に必在のものなら万物においても

これと同筋書きの展開がありうるということである。

ここには万物が本質的に潜在させている志のようなものを感ぜざるを得ないことから、この神

話自体、原型的理念を観破した者が読み取つたものであるという印象がぬぐえない。それは古代

東洋思想にみる原型理念アカシツクレコードのことであるが、古事記神話には、随所に「理念の

段階的展開」に関する記述がなされていて、神話の初源的な出所を示していると言えなくもない。

(この詳細は三章で述べることになる)よって、必ずしも筋書きに多重の意味を集約しようと技

巧をこらしたわけではなく、自然にそうなったというのが真相かも知れない。

三、古事記上 つ巻の解釈

言葉の結合ルールは、あまた存在したであろうが、筆者はそこまでの研究はおこなっていない

ので、古事記本文の解説には、語句に整理された後に充てられている意味を多く参考にしている。

但し、音の表情により分解判別できるものは、できるだけそれに従うことにしている。解読にあ

たってはできる限り字義分解例を揚げ神名と最終解釈の途中経過を示すことにする。

また、過去の高度な知識は、凡そ無の状態から出発した古代人にとってとても表現し切れるも

のではなく、日常生活の中で用いる事柄に対して過去の知識を重畳させ仮託している。そこで、

筆者はそのものが何をみたてたものになっているかを考えるために、古代人の世界観、宗教観な

どの物の見方を分折しつつ、海外伝承なども参考にしながらみていくことにしている。

原文索引は、武田裕吉訳註「古事記」により各節の区切りは、意味の明確化のため若干のとこ

ろで分離した以外は同書を準用している。また、神名は読み方に意味があるため必要と思われる

以外はカナで表現する一本文内容は、筋書き上重要なところを原文対訳で示し、各表題には原文

表題と、訳後判明したテーマを掲げまた、特に重要と考えられなかった個所は原文の全部乃至は

部分を省略する。

(一)天地 のはじめ

本文最初のこの節は、古代における物理学観を語る歴史書の先頭を飾るに適わしい宇宙開闢の

事件を扱うものである。

超空間原理の生成

—–原文 天地のはじめ(前半)——————

天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神。次に高御産巣日の神。

次に神産巣日の神。この三柱の神は、みな独神に成りまして、身を隠したまひき。

次に国若く、浮かべる脂の如くして水母なす漂へる時に、葦牙のごと崩えあがる物に因

りて成りませる神の名は、ウマシアシカビヒコヂの神。次に天の常立の神。この二柱の神も

みな独神に成りまして、身を隠したまひき。上の件、五柱の神は別天つ神。

—–訳 超空間の原理が、先ず完備した。- ———–

世界の最初の頃には、まず超空間があり、そこには全ての創造の要素が平衡状態になって

充満していました。次に、現象を展開せしめるメカニズムがあり、さらに、素材となる目的

理念を供給するメカニズムがありました。これらの機構は、私共の感覚では把握できません。

次に、現象の展開もこれからという当初は、プカプカと寒天質の意味不明なものが漂って

いましたが、そこに、生命の息吹の基となる光明が射しますと、同時に場としての時空間が

生じました。

これらの機構も私共の感覚を超えた出来事です。以上述べました事柄は、いづれも、私共

の宇宙とは異次元の出来事であります。

—————————————————-

古代人は物理学で「神」、「超空間」を扱っていた

古代人が我々の認識する宇宙とは異なる超空間の概念をもっていたことは様々な伝承から明ら

かである。簡単に紹介すれば、一つは人が死ぬと魂の行くとされる冥界。二つは常人では行けな

い宇宙。二つは、現世の我々の行動を逐一みそなわす神界。四つは海原。と古代人にとって未知

の領域が分類されて考えられていた。そして、それぞれ支配神が仮定されていた。(古事記、ギ

リシャ神話に共通)このうちの一と二において超空間であることがはっきりしているが、 一は現

世より下位にあるとされ、古事記では「黄泉の国」が相当する。この節で扱う「高天の原」は既

に述べたが、非セム系民族の神話から発した須弥山を母体にした宇宙の概念であり、我々の次元

を超えたところで鳥観する五次元的な超時空を扱ったものである。

「天の御中主」は、我々の表現で言えば、真空即ちディラックの海といえるエネルギーの充満

した平衡状態であり、偏極を与えることによって「場」をつくり、ひいては物質の生成を起す領

域である。だが、この場合、我々の次元を超越する超空間での話である。「高御産巣日」と「神

産巣日」は現象生成の造化の根元的二神である。 一説によると、これは顕われた法則と隠れた法

則を示すと考えるむきもある。「高」は「旻」で、「神」は「隠身」で、それぞれ顕在と潜在を示す。

だが、「産巣日」は知恵の結集した組織のことであり、 一種のメカニズムである。超空間の真空

が偏極を起こしただけで二種類の根元的組織体が出来上るというのは奇妙なことかも知れないが

古代ギリシャ哲学では、ここに叡知の存在を想定している。つまり、唯一者「神」の出口たる叡

知があり、初源的であるほど情報的に高次元であり、マイナス電荷が一つ増えるといったような

単次元的変化を起こすにとどまらない高度な変化がある。超空間でのなりゆきは、観念の間の相

互作用で成り立っていて、形ある実体間でおこなわれる我々の世界のものとは異なる。我々の世

界のものといえども究極的には実体の無い「場」の中のポテンシャルの相互関係でしかないから、

観念的な働きの一環に無いわけではないが、マクロな傾向の中に埋没してしまっている。

超空間の存在は、現代物理学では否定し去られている。相対性理論の検証が進められるに従い、

四次元ミンコフスキー時空が基本に据えられることとなった。だが、ミクロにおいて量子の不確

定性などを考えるときに新しい次元を必要とすることはほうぼうでささやかれていることであ

る。この方面からの研究は、現在続けられている。及ばずながら、筆者もこの件について一つの

案を所持している。いやしくも古代人の物の考え方の素晴しさを論じようとする者が現代的なえ

こひいきな偏見の枠に閉じ込められている古代科学観を引き出せないなら、語るに値しないでは

ないか。古代科学が現代科学と接合するときは、新しい次元軸を介してであるということ、そし

てその時には、古代科学が現代科学をその部分として包合しているであろうということ、この二

つは間違いないだろう。

神、自然、人間、古代哲学、現代科学をつなぐモデル化のかけ橋

筆者はこれまでに、一つのユニークな宇宙構造モデルとその概念を創り、79年に或る小雑誌で

公表している。これは、超越的なコンピューターが現象の素材であるホログラムに記録されたプ

ログラム情報に光を当てて実行することにより、二次励起的に現象が生起されるとする考え方で

ある。このモデル概念は、元NASAの研究員トーマス・ベアデンの超空間概念と基礎的に符合

するばかりか、不確定性や自然界の切断の理由に容易な解答を与え、発展して超自然現象から古

今の心理学的哲学的な究極の問題に至るまでを統一的に説明しうるものとなっている。奇しくも

古事記に拙モデル概念の根拠が見出せたことが超古代とその擁していた高文明の研究への動機に

もなっているわけである。ここでいうコンピューターとは、その機能をモデル化したものであり、

決してそれそのものではないし、しかも超空間上の存在であるから我々の感覚で把めるものでは

ない。それはベアデンに言わせれば精神物体であり、筆者からすれば有機組織的精神体である。

古事記がどう関係するかというと、先述の「産巣日」が有機組織(メカニズム)を示し、「高御産

巣日の神」が「思い金の神」すなわちコンピューターハードウエアの祖に位置付けられるとされ

ている。(天の岩戸物語参照三・(七)節)「思い金」がコンピューターであるという説は山田久延日

子氏が唱えられているが、筆者も全く同感である。すなわち、これは自然界の窮極原理の本質を

古事記の知識製作者が見抜いていたことを示している。つまり、トポロジカルな親子関係にある

と考えているのである。

海外の伝承にはコンピューターを扱ったと思われるものは無いようで、人間をモデルにしてい

るものがほとんどである。旧約聖書には「神は自らに形どりて人を創り、生気を吹き込まれた」

とあるように、その他の伝承でも人間は神の模倣であるとされている。筆者ももし、情報機器と

いう簡便法がなかったら恐らく、人間をモデルにしなくてはならなかっただろう。だが、人間は

非常に複雑であり、ややもすると、本質が見失われてしまいかねない。その点人間の長所を集め

て模倣したコンピューターなどの手段は有効である。まず、人間のもつ中枢的機能に的が絞って

あること、それから、その機能をブロックチャート的に簡略化できることがある。簡略化するこ

とによっていく分本意が失われるかも知れないが、モデル化するには好都合と思われる。

だが、プログラムの存在を示す伝承は多くある。もちろん、この場合のプログラムとは、我々

のレベルのものとは訳がちがう。命令語は多次元であり情報量はとてつもなく大きいし、かつ超

空間にあるわけだ。古代ギリシャ哲学でいう「叡知」はこれを言ったものであるし、ヨガでいう

アカシックレコードは過去、現在、未来に渡る歴史と知識がプログラムされたものであると言わ

れている。また、旧約聖書のエホバ(ありてあるもの)は現象の原型であるこれを言ったもので

ある。とにかく古代思想は前提的な理念の存在を抜きには語れない。また、旧約の創生記第一章、

「はじめに、神天地を創りたまへり。地は、形なく空しくして暗淵の面にあり、神の霊水の面を

覆ひたりき。神光あれと言ひたまひければ光ありき。」と古事記は、神の一元性、二元性を異と

してもほとんど一致した表現である。そして、これらの要素は、筆者のモデルの要素に次表の如

く置き直すことができる。(このモデルに基づく宇宙構造論は四章に詳しく説明する。)

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このモデルから得られる究極的結論は、「神は事あるすでに前に万象の源たる叡知を用意して

いた者であり、それに照見の光を投げかける者であり、結果として自然の運行をみそなわす者で

あり、全てをもたらし全てと融合するにもかかわらず全てとは独立してある者である。」とする

古代哲学観を完全に言い表わし得るのである。

現象宇宙の生成

——原文 天地のはじめ(後半)———————————-

次に成りませる神の名は、国の常立の神。次に豊雲野の神。この二柱の神も独神に成りま

して、身を隠したまひき。次に成りませる神の名は、ウヒヂニの神。次に妹スヒヂニの神

次にツノグヒの神。次に妹イクグヒの神。次にオホトノヂの神。次に妹オホトノベの神。次

オモダルの神。次に妹アヤカシヨネの神。次にイザナギの神。次に妹イザナミの神

上の件、国の常立より下、イザナミの神より前をあはせて神世七代と申す。

—–訳 次に物質世界の法則が完備した。- ————————–

いよいよ、宇宙空間① が生まれました。そこには、物質の母源②が豊かに 広がっておりま

した。これらのことも、私共の感覚では察するに余りあります。しかし、次におなじみの浮力、

重力をもたらす要素たる質量③ そして、堅ろうな極(陽子)、活発な極(電子)に代表され

電荷④また、 回転体の中心方向への力と接線方向への力で示される角運動量⑤ という物理

上の基本三性質ができ上がりました。このようにして、物性の諸要素が完備⑥し、これを土

台として汎ゆる現象の綾⑥ (相互作用の形態)が平衡化 (収束)の摂理と攪乱(拡散)の摂

理⑦によって捏 ねられることになりました。

以上、雌雄の法則を一つと数え、合計七つの完全数により、物質世界は展開されているの

です。

——————————————————————-

現代に劣らぬ基礎物理概念

ここから始めて我々の宇宙の話題になる。古事記では上位からきちんと順序立てて話を進めて

いる。それは、物事が生起するための手続きの順序でもある。(対訳の科学観は万葉人のもので

はなく、超古代人のものである。万葉人は情報のキャリアーにすぎないことに注意)

「国の常立」は前出の「天の常立」と対句でもある。「天の常立」は超空間における現象生成

の一定のサイクルが完成したことを示すが、「国の常立」はその結果として起こる現象空間である。

「豊雲野」は豊富なエネルギー・プラズマの沃野、あるいは直に星雲と言えるかも知れない。し

かし、「雲」は三・(九)節で述べることになるが、不可見なエネルギーを示すので、むしろ、

物質の母原とか暗黒星雲とすべきと考えた。

現在言われている相対論的宇宙論にいうビッグバンを古事記は言い得ていないように思われる

かも知れない。しかし、裏面的メカニズムを主体にした考え方からは、そのようなものはどうで

もよいことなのである。つまり、プログラム情報の構造や扱い方によって、何如ようにでも顕わ

せるからである。そもそも、我々の宇宙を一様等方と見限る根拠は何も無く、ただ便宣的にそう

すれば計算がし易かったうちの一つのテーマにすぎないのである。確かに、古代中国には、ビッ

グバンを扱った宇宙開閥神話「磐古の天地開き」がある。だが、これも末端的なテーマであるた

めか、古代世界共通の話題ではない。むしろ「磐古」が龍頭蛇身であったことの方が重要であろう。

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これは、万象がカルマ(業)によって生起したとする考え方である。エルンスト・マッハは、宇

宙構造は物質の分布状態から決まることや局所的法則は宇宙構造から決まることを仮説したが、

古代の思想は物質ばかりでなく精神の分布状態から無限数の宇宙の存在と広がりを事実のものと

考えていた。たとえば、仏教は三千世界や恒河沙数の仏国土思想を持っていた。その一々の世界は、

同族のカルマの精神を集合し、一つの理念のもとに運行せしめる領域であった。そして名けて「X

Xの仏土」とか、時間的には「△△劫」と表現していた。(物質とは精神物体の一形態である!)

古事記では、性質の上からそれらを現実世界(地上)との相対関係を観て五つの世界に大別して

いる。

次に、物理法則が語られる。ウヒヂニは浮土、スヒヂニは吸土で、浮力と重力の対照が明らか

である。導かれるものは質量である。また、ツノグヒ(角杭)は堅いポール、イクグヒ(活杭ま

たは活潜火)は活発なポールで、素粒子にあてはめれば対訳が導ける。また、オホトノヂ(大殿土)

は、力の集まる方向を示し、「トノ」は回転体を示す。オホトノベ(大殿辺)が外辺方向の力で

あるので、併せると角運動量が導ける。オモダル(面垂る)は諸相の充足完備を示し、アヤカ

シヨネ(綾彼し捏ね、または妖し捏ね)は現象を捻出していく動きを示す。そして、それを担

うのは、「凪ぎ」と「波」の摂理というわけである。まさに、この辺は物理的基礎性質を簡単

な表現で最大もらさず言い尽くしているのである。これゆえ古代世界の数霊的完全数″七″で

与えられているというわけで美事と言うしかない。(表中傍線部と番号で示す)

(二)島々の生成

この節では、時間経過の中で宇宙に自転する島宇宙、太陽系、そして地球が生成され、さらに

地球上に様々な大陸が形成されたことを物語る。

——原文 島々の生成(前半)————————————–

ここに天つ神諸の命以ちて、イザナギの命イザナミの命の二柱の神に詔りたまひて、この

漂へる国を治め固め成せと、天のヌボコを賜ひて、言依さしたまひき。かれ二柱の神、天の

浮橋に立たして、そのヌボコを指し下して書きたまひ、塩こをろこをろに書きなして、引き

上げたまひし時に、その矛の末より滴る塩の積もりて成れる島は、オノゴロ島なりcその

島に天降りまして、天の御柱を見立て八尋殿を見たてたまひき。

ここに……中略…… 「故この吾が身の成り余れるところを、汝が身の成り合はぬところに

さしふたぎて、国生み成さむと思ほすはいかに」とのりたまへば、……中略…… 「然らば吾

と汝とこの天の御柱を行き廻りあひて、ミトのマグアヒせむ」とのりたまひて、約りをへて

廻りたまふときに、……中略…… 「をみな先立ち言へるは適はず」とのりたまひき。然れど

もクミドに興して子ヒルコを生みたまひき。この子は葦船に入れて流し去りつ。次にアハシ

マを生みたまひき。こも子の数に入らず。

ここに二柱の神議りたまひて、……中略……天つ神の命を請ひたまひき。ここに天つ神の

命以ちて、フトマニにうらへてのりたまひしく、「をみなの先立ち言ひしによりて適はず、

また還り降りて改め言へ」とのりたまひき。

——訳 太陽系や地球ができた。—– ——————————-

さて、現象の展開は超空間で開始された訳ですが、現象宇宙の上では平衡化摂理と擾乱の

摂理の相補する形で歴史づくりがおこなわれました。

まず、物質が全て高温のプラズマ状態にあるとき、強い磁場により回転が与えられて集合し、

磁場の影響のなくなったところで物質が凝集して自転する天体をつくりました。大きくは銀

河系や太陽系がそうですし、身近には、地球がそうです。そして天体は、自転軸を中心にし

た非常に巨大な回転体でありました。これからお話しするのは、そのような天体の一つであ

る地球における現象生成の歴史物語です。

どのような現象についても、互いに片方だけではアンバランスな陰陽の二極性が全ての要一

素にあり、それが合して他の充実した諸性質をも一体のものとした新しい形態が様々に組織一

されてゆくものです。それは、私共男女の性にもあらわれています。男性側は堅ろうで収れ 一

んしようとする性質をもつゆえ「をとこ」(土の力)と言い、女性側は柔軟で広がる性質を

もつゆえ「をみな」(水の力)と言い、現象世界における普遍的性質になっています。

相補する雌雄の二極は、その相互作用が共通の方向軸に関する回転によってなされます。

たとえば、共通の磁場を柱にして雌雄の電離物質が回転することは、多くの現象生起(国生み)

の原動力となります。大域もしくはミクロの現象は割合、法則通りに調和したものですが、

局所的現象は様々なゆらぎがあり、なかなかそうはいきません。回転の方向が法則に決めら

れた通りでないことは先ずありますまい。が、雌雄同勢力のとき拡散性の雌側が運動を先行

したなら、現象は発散して結果が実りません。過去に地球上に起こった海陸の侵攻の歴史上

の忌むべき事件として、大量の水を含んだ天体の落下で一時に幾多の水没した島が生じまし

た。また一方、過去には拡散勢力が集中勢力をしのいで国の統治に関わろうとしたことがあ

りました。その時には内乱相継ぎ、結果的には多くの流浪民や葦船の流罪者を出しました。(一

章六節ムーロアの事件?)組織(くに)造りを通じて、まとめる側の理念が拡散し流動する

理念をしのがねば、結果はまとまったものとはなりません。この傾向は、どのような二極の

関係にも適てはまるものです。

組織づくりの是非は、このような様々な要因を考慮せねばならないため、複雑な計算をす

る太卜(ふとまに)占いに議りました。これは後世になって、偏平な骨を火で焼いてその表

情を観る占術として伝えられました。それは同時に海陸の侵攻、つまり大陸が地下の火でひ

び割れする原理を反映しております。

—————————————————————-

古代人は本質を穿った物理知識を持っていた

「天のヌボコ」とはプラズマ(広義の陰陽の分離状態)に東縛と回転を与える磁場であり、「天

の浮橋」は仮想の根拠地、超空間を示す。磁場はプラズマの分散と共に多岐に分散し力を弱め、

物質塊は冷却し安定に向い、重力により天体として凝集した。ここでいう天体は磁場の性質と強

度に応じて階層的に広がる超銀河、銀河、太陽系、惑星、そしてミクロに至っては素粒子をも含

めていう。つまり、過渡的な共鳴状態を脱した物質全搬を指す。この結果として、「天の御柱」

に示される方向が実在となる。この方向は、地球でいえば地軸に相当して分り易いが、多くは仮

想空間上の軸である。このため、原文の「見たて」る行為が必要となる。たとえば、銀河系の回

転軸は不可見であるし、素粒子の種々の回転軸も仮想されているにすぎない。しかしそれは実在

するとみなさねば現象が説明できないのである。

男根と女根の結合による国生みは、雌雄二極が万象生起に関わる本質であることを示す。たと

えば先述の超空間メカニズムもそうである。すなわち、レーザーを射込む側とそれにより光彩を

放つ側である。前者は単一的で妥協を許さないが、後者は大海のように広がるプログラムデーター

バンクである。現象生起の源は、汎ゆる形態の陰陽の相互作用にある。要素の種類は異っていて

も一つの有機体に組織することによって、その形体を介してより高度な組織(綾)が展開できる

のである。たとえば素粒子は最底三種類の要素を含む有機体である。これが再び別の陰陽の過不

足を供出して原子になり、さらに分子、高分子、生命体等に築き上っていくのである。

古事記では陰陽の勢力上の問題を多く扱っている。特に、それはマクロな局所的現象に適ては

められている。そして、人類が長年見聞してきたことの集成的な教訓となっている。その最大の

ものは、大異変に関する解釈にあり、水の過分な侵犯を訴えている。その次に、政治的問題であり、

反乱を戒めるものになっており、これらが重畳して語られていることに注意を要する。ヒルコな

どは、知識乃至は組織を転ずる(ひっくり返す)の意がある。

「太卜に占る」の原型は、驚かれるかも知れないが、もとはコンピューターに接続された表示

画面への分析データー表示を観る行為だったのである。これは三。(七)節で再度述べることに

なるが、非常に高度な文明が過去に存在もしくは介入したことの記憶が持ち越されているのであ

る)。

——原文 島々の生成(後)————————————-

かれここに降りまして、更にその天の御柱を往き廻りたまふこと、先の如くなりき。ここ

にイザナギの命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹イザナミの命、「あ

なにやし、えをとこを」とのりたまひき、かくのりたまひをへて、御合ひまして、子アハヂ

ノホノサワケの島を生みたまひき。……後略……

————————————————————–

一万四千年前の世界地理と大陸移動説

収束の摂理が先行することにより、無事、性交による成果がもたらされたことを示す。ミトノ

マグアヒ(水と上の交合)に示されるように、これは、八尋殿の示す大陸がひび割れて、海で分

断されて生じた幾つかの大陸について述べている。つまり、大陸移動説をとっている。この島々

の生成の部分は山田久延日子氏が極めて明快な解釈をしているので、ここでは取り上げず、氏の

著書に譲ることにする。だが、古事記のその他の部分は、ちょうど氏が大きな地質学レベルの歴

史を扱うのに対し、筆者は、文明史を扱うのでおのづと結論が異なっている。

なお、この地理上には、アトランティス大陸の名称記載がなくてはならない。というのは、こ

の節は今から一万四千年以上前(今から二時代前)の知識部分に相当するからである。そして、

もし、アトランティスに古事記上の島名を充てるなら、大倭豊秋津島がそれであり、日本列島を

中心にカムチャッカ、フィリピン諸島に細長い帯域に散在する島々こそ、粟の穂に似た淡路の穂

の狭分けの島である。そして古事記記載は思想的意味あいから東より始まり西へとたどっていな

くてはならないと思われる。

(三)神々 の生成

この節より以降は、人類史となる。

古事記には全体を通じて、最大三時代の人類文明史が語られ、上つ巻にはそのうちの二時代が

盛り込まれている。この分類は、文明の登場、発展、破局、滅亡、そして再生を一つのサイクル

とみなし、物語の展開に適てはめて得られた結果である。そして、これを諸説にいう失われた超

古代史に照合してみるとき、一時代が約七〇〇〇年を周期とし繰り返されていることが判明した。

この三時代を筆者なりに仮称すれば、先ず、アトランティス時代、英雄伝説時代、そして、我々

の登場する現時代となる。

一章で述べたムーロア文明は、これらに先立つ四時代前の出来事であり、これら併せて四時代

のことをヘシオドスは黄金、自銀、青銅、黒鉄の時代とそれぞれ呼称してぃたょうである。そして、

古事記は、残念ながら、自銀より以降を示していて(葦船による流刑の件だけはムーロアのもの

のようだ)或る程度失策した文明態様で描かれている。しかし、「もし××であれば、○○した

であろうのに」といつた表現が随所でとられていることをみると、より理想的な黄金の時代の記

憶が少なからず根底にあったのではないかとも考えられる。この節は、そのような比較されるベ

き失策を述べた、自銀の時代の物語である。

——-原文 神々の生成(前)————————————-

既に国を生み終えて、更に神を生みたまひき。かれ生みたまふ神の名は、大事忍男の神。

次に石土毘古の神を生みたまひ、次に石巣姫の神を生みたまひ、次に大戸日別の神を生みた

まひ、次に天の吹男の神を生みたまひ、次に大屋毘古の神を生みたまひ、次にカザモツワケ

ノオシヲの神を生みたまひ、次に海の神名はオホワタツミの神を生みたまひ、次に港の神名

はハャァキツヒコの神、次に妹ハヤアキッヒメの神を生みたまひき。

この速秋津日子、速秋津姫の二神、河海によりて持ち分けて生みたまふ神の名は、アワナ

ギの神。次にアワナミの神。次にツラナギの神。次にツラナミの神。次に天の水分の神。次

に国の水分の神。次に天のクヒザモチの神。次に国のクヒザモチの神。

次に風の神名はシナツヒコの神を生みたまひ、次に木の神名はククノチの神を生みたまひ、

次に山の神名はオホヤマツミの神を生みたまひ、次に野の神名はカヤノヒメの神を生みたま

ひき。またの名はノヅチの神といふ。

——–訳 ある卓抜した時代の歴史(活況な風俗)———————–

舞台設定が完了すれば、次は脚本のテーマが上演されることになります。まず、大事業が

推進されました。石や土を使った住居用の建造物の建築や、通風換気坑の敷設がなされ、強

い日射しや風に耐えられる家屋が大海原を臨んで建てられました。

また、港には人々の欲求を速かに満たすため、多くの物資を積んだ船が就航しました。こ

こは商業交易の中心地です。船は、海から内陸部へと運河を経てはいることができました。

ダムを造り、運河の水量を調節してこれを可能にしていました。

また、市街地には、上下水道が造られ、非常に長い間活況を呈して栄えたものでありました。

この都市は、広大な山野を背景にしておりました。

————————————————————–

ある海洋文明の風俗

「大事忍男」は大土木事業、「石土彦」と「石巣姫」以降は種々の石土造建造物である。ハヤ

アキツは「速倦きつ」で急速な充足すなわち貿易や流通のこと。アワナギ、アワナミは水の流量

調整による現象、ツラナギ、ツラナミは水源地あるいは運河の水面の様子、天と国の水分(ミ

クマリ)は、上水道および、下水処理設備のこと。クヒザモチは、水汲上げのポンプ設備である。

これらは水路や運河の写実的表現である。古代遺跡でこの情景を思わせるのが、アンデ

スのテスココ湖上のアステカの都市テノチテトランである。(図2 。1)だが、本文は海洋が

関係しており、内陸部に進めば広い原野があるのだから、どうやらアトランティス文明を示し

たものであるらしいことが理解される。

null

——–原文 神々の生成(後)————————————

この大山津見の神、野椎の神の二神、山野によりて持ち分けて生みたまふ神の名は、天の

狭土の神。次に国の狭土の神。次に天の狭霧の神。次に国の狭霧の神。次に天の間戸の神。

次に国の間戸の神。次にオホトマドヒコの神。次にオホトマドヒメの神。

次に生みたまふ神の名は、鳥の石楠船の神、またの名は天の鳥船といふ。次にオホゲツヒ

メの神を生みたまひ、次にホノヤギハヤラの神を生みたまひき。またの名はホノカガビコの

神といひ、またの名はホノカグツチの神といふ。この子を生みたまひしによりて、ミホト焼

かえて病み臥せり。たぐりになりませる神の名は金山毘古の神。次に金山姫の神。次に屎に

なりませる神の名はハニヤスビコの神。次にハニヤスビメの神。次に尿になりませる神の名

はミツハノメの神。次にワクムスビの神。この神の子はトヨウケビメの神といふ。かれイザ

ナミの神は、火の神を生みたまひしによりて、遂に神避りたまひき。

およそイザナギイザナミの二神、共に生みたまふ島拾四島、神参拾五神。

——–訳 ある卓抜した時代史(混迷の世相から破局へ)—————

ところが利己主義や目先欲の追求などの迷盲の理念が天下るや、国土は山野を中心に細分

され、分割領有され、さらに傾向は広がって国を挙げて目先の利益追求に奔走するようにな

り、巷では相互不信と抗争対立に明け暮れるようになりました。こうして世界は混迷の時期

を迎え、このような時に大工業が起り、堅ろうな高速艇や飛行船が造られ、燃焼が早く輝き

の良い石油が用いられるようになり、さらに爆薬が造られました。切角の優れた文明は、こ

れらの道具により崩壊していったのです。むろん、爆薬に対抗するように強じんな金属、非

金属があらわれ、それをまかなう工業も隆盛しました。また、それらの生産物を消費するだ

けの経済組織や需要力も発達しました。しかし、火器の悪用により物質文明は冥界への道を

辿ったのです。ここまでの歴史のあらわしは、造化の二神により完全数を以て成されました。

——————————————————————

海洋文明は人心の退廃で破局を迎えた

卓越した活況ある海洋文明も、人間の利己主義、独占主義が台頭してくると、様々な縄張り争

いが生じるようになる。これは我々の時代によく似ている。サヅチ、サギリ(狭切り)は領土細

分化、縄張り争いを示しクラト、オホトマドヒコは、倉庫の扉や大きな窓の意と、将来の不安や

混迷、戸惑いの意の二様が掛けて示され、前者は建造物の一貫として、後者は混迷の類として描

かれている。

そのうち、産業革命のようなことが起ったのだろう。天の烏船なる鳥形の飛行船がつくられ、

オホゲツヒメにいう大工業が発生した。さらには、ヤキハヤヲ(焼き速男)、ホノカガビコ(炎の

輝火)でいう石油類、それを応用したホノカグツチ(炎の輝土)にいう爆薬が生産された。また、

「金山」は金属、ハニヤス(埴土安)は土類で、セラミックのような非金属を示す。ミツハノメ(満

つ葉飲め)は、生産物の消費、ワクムスビ(涌く結び)は応用産業や経済、流通の組織、トユウ

ケ(豊受)は豊かな物資の受け皿、すなわち需要と供給の体制を示し、ここでは生産と物資流通

の体制が整えられていたことを意味している。

イザナギとイザナミの性格は前節のものから、かなり変化している。イザナミは綾の形成を盛

んにする因子で、イザナギはその波立ちをコントロールする因子であるが、それが人類史の上に

関わるときは、物質文明と精神文明を示すと考えてもよい。なぜなら、文明を役割の側からコン

トロールするのは知恵であり、これに依って物質的な生産調整がなされなければならないからで

ある。これが片方だけで進行すると、とりとめのないことになる。精神文明だけで進めば活気の

無い悟り切った歴史展開となる。逆に物質文明だけであると、行先の分らぬ様々な過不足と無価

値な生産がうち続くのみである。要は、この二者の程良いバランスとコンビネーションが理想社

会を築くのである。そこにも前節で述べたように、抑制する側の勢力が強くなくては、結果は宣

しくない。

ところが、この節では、イザナギの登場がないままに、イザナミだけで生産がおこなわれており、

イザナミも結末的にしか登場せぬほどに無意識的なのである。矢つぎ早に神々を生み、火の神を

生んで始めて病態を認識するというイザナミの無神経ぶりが端的にあらわれているのである。こ

れでは理想状態は望みようがない。

いま一つ奇妙なのは、山野関係の神が起点となって良くない事態が生じていることである。同

様に挿入的な神でもハヤアキツのような海洋関係からは知的産物が語られている。これには何か

意味があるのだろうか。またいま一つ、間に子神の生産神を含んでいるにもかかわらず、全ての

生産は、イザナギ、イザナミニ神の責任に帰せられていることが、「神参拾五神」から分かる。

この理由は、一体何だろう。

(四)黄泉 の国

この節は物質文明が戦争により崩壊したことを述べ、その終盤にどのような出来事があったか

を語る。解釈もこの辺りから破天荒の度を増してくる。だが、現代の様相と非常に似た文明が延

長上に引起す大事件ゆえに、我々にとっても見逃せない参考材料であることは言うまでもない。

——–原文 黄泉の国(前)————————————

かれここにイザナギの命ののりたまはく、「愛しき我が汝妹の命を、子の一本に易へつる

かも」とのりたまひて、御枕辺にはらばひ御足辺にはらばひて哭きたまふ時に、御涙に成り

ませる神は、香山のうねをの本のもとにます、名はナキサハメの神。かれその神避りたまひ

しイザナミの神は、出雲の国と伯伎の国との堺なる比婆の山におさめまつりき。

ここにイザナギの命、御偏の十挙の剣を抜きて、その子迦具土の神の首を斬りたまひき。

ここにその御刀の前につける血、湯津石村に走りつきて成りませる神の名は、石折の神。次

に根折の神。次に石筒の男の神。……中略……ミカハヤビの神。次にヒハヤビの神。次にタ

ケミカヅチノプの神。またの名は夕ヶフツの神。またの名はトヨフツの神。……中略……ク

ラオカミの神。次にクラミツハの神。殺さえたまひしカグツチの神の頭に成りませる神の名

は、正鹿山津見の神。……中略……

かれ斬りたまへる刀の名は、天のプハバリといひ、またの名はイツノヲハバリといふ。

——–訳 ある時代史の裏話(悔恨の断罪)————————-

一方、今まで積極的に生産に携われなかった精神文明の側では非常な後悔が生まれました。

相補し合い達成すべき両文化の均衡のとれた発展が、 一方の急速な燃焼により損われたから

です。とりわけ悔悟の最たるものは戦争と悲惨の間で泣く者達の心中に生まれました。無残

な物質文明の残がいは葬られ、古代の知恵と教訓の伝承となって残りました。

また、破滅の原因は糾弾され破壊されました。この時生まれた教訓はかの破滅の原因を次

のように語り、次代を継ぐ者達に再び組みするなかれと警告します。直接のものは、岩石を

折き(石折)根こそぎにしていく爆弾(根折)それを射出す砲身(石筒の男)そして折烈し

て辺り一面に広がる火災(ミカハヤヒ)さらに強いセン光を放つ強力爆弾(タケミカヅチ)

それを補助する多くのメカニズムであります。その結果として、大気汚染、海洋汚染が生じ

ました。戦争の瓜跡は山々に及び、ひどい所は亙れきの山や砂漠と化しました。

————————————————————-

物質文明の崩壊と事後処理

高度物質文明は、その生産物である戦火にょって、あえなく滅んで終った。これは非常に重大

な損失であり、どれ程良いものがその後出てくるか知れぬ時の不肖事であったことをイザナギに

代弁させている。この節では、その直接原因たる兵器類全ての破壊と放棄が、事後になって知恵

ある勢力(精神文明の手)によってなされたことをイザナギのカグツチ断罪により示しているの

である。ここでも、「正鹿山津見」などの種類の山容が好ましくない側として登場している。ど

のような意味があるのかは未だ以て分らない。

またイザナミを葬った「イヅモの国とハハキの国の間」とは次のような意味がある。イヅモ(出

面)は現象世界、ハハキ(掃木)は蛇の木であり、冥土への旅路で人が手にすると考えられてい

た杖を示している。つまり、生と死という意識空間の接点を古事記では地理空間の接点で示して

いるのである。このやり方は、古事記特有なので注意を要する。また、蛇の木と冥界の概念は、

ペルシャ、ギリシャなどに共通したモチーフである。

なお、神名に含まれる「ミカ」は閃光を示す。また、「フツ」または「フト」は機械のことで

ある。「ヨハバリ」は凍結して終らせる意をもつ。

——–原文 黄泉の国(中)————————————

ここにその妹イザナミの命を相見まく思ほして、黄泉国に追ひいでましき。ここに殿のく

みとよりいでむかへたまふ時に、イザナギの命語らひてのりたまひしく、「愛しき我が汝妹

の命、吾と汝と作れる国、いまだ作り終へずあれば、還りまさね」とのりたまひき。ここに

イザナミの命の答へたまはく、「悔しかも、速く来まさず。吾は黄泉戸食ひしつ。然れども

愛しき我が汝兄の命。入り来ませること畏し。かれ還りなむを。しまらく黄泉神と論はむ。

我をな視たまひそ」とかく白して、その殿内に還り入りませるほど、いと久しくて待ちかね

たまひき。かれ左の御讐に刺させる湯津爪櫛の男柱一つ取りかきて、 一つ火ともして入り見

たまふ時に、岨たかれころろぎて、頭には大雷居り、胸には火の雷居り、腹には……中略…

…併はせて八くさの雷神成りをりき。

ここにイザナギの命、見畏みて逃げ還りたまふ時に、その妹イザナミの命、「吾に辱見せつ」

と言ひて、すなはち黄泉醜女を遺はして追はじめき。ここにイザナギの命、黒御蔓を投げ棄

てたまひしかば、すなはちエビカヅラ生りき。こをひりひ食はむ間に逃げ行でますを、なほ

追ひしかば、またその右の御髪に刺させる湯津瓜櫛を引きかきて投げ棄てたまへば、すなは

ちタカムナ生りき。こを抜き食む間に逃げ行でましき。また後にはかの八くさの雷神に、千

五百の黄泉軍を副へて追はじめき。ここに御侃の十挙の剣を抜きて、後手に振きつつ逃げ

来ませるを、なほ追ひて黄泉比良坂の坂本に到る時に、その坂本なる桃の実三つを取りて持

ち撃ちたまひしかば、ことごとに逃げ返りき。

ここにイザナギの命、桃の実にのりたまはく、「汝、吾を助けしがごと、葦原の中つ国に

あらゆる現しき青人草の、苦き瀬に落ちて患惚まむ時に助けてよ」とのりたまひて、オホカ

ムヅミの命といふ名をたまひき。

——–訳 世を終淵に招いた最終戦争とUFO (聖衆来迎)————-

物質文明はもはや死者の世界の低次元の状態に移行していました。その状態から救い出す

べく精神文明の側からいま一度再建案と慈手がさしのべられました。「協力して創る予定の

理想的な世界がまだ出来上っていない。反省してやり直そう」の案が出されました。しかし

時すでに遅く、冥王に魂を売り渡したといったような手の施しようのない腐敗怠落ぶりであ

りました。それでもなお再建の努力をしたい旨の意思表示がありましたので、精神文明はそ

のまま準備が整うまで待つことにしました。しかし、いくら待ってもその様子が無いので、

しびれをきらして知恵の火で状況を窺ってみると、物質文明世界はいたる所で戦火が起り、

ありとあらゆる怒号が充満して、どろどろになるまで腐敗が進んでいました。はては核爆発

が随所で起り、地球の様子はさながら雷の巣窟でありました。

このため精神文明は救済をあきらめ、この汚土から脱出すべく逃げ出します。正体を見破

られたことを知った物質文明は、善も悪も、大も小も、賢も愚も全てを道連れにすべく最終

戦争を起しました。精神文明も物質文明も構成分子たる人間が担います。精神文明はとにか

く黄泉軍から逃がれるべく様々な時間かせぎをしました。なおも幾多の核爆弾に副えて、大

軍がくり出し無差別の大殺りくのそのさ中に、時代の境界点ともいうべき終結の時点を迎え

るのですが、その直前にこの境界地に居た桃の形をした飛行体が空に満ちるほどにしてやっ

てきて黄泉軍を撃退しました。

こうして、次の時代に歴史と理念が存続可能なものとして橋渡されたのです。ここに地球

文明史の将来に渡って、この桃の実に一つの委託がなされました。それは「理念の現わしに

貢献する人々が、今後このような苦境を迎え難儀するようなときに助け船になってくれ」と

いうものです。それにちなんでこの桃の実は「聖衆」とか「御神体」とかいう名前で呼ばれ

ます。

———————————————————–

文明のなりゆきは人類の集合無意識が決する

物質文明は既に理念の上では死滅していたが、やや遅れて物事が生起する現実の世界では、死

の影の濃厚な中で生き長らえていた。ここでは、まだ形の上で壊滅に至っていないので救い道が

ある。それゆえ、イザナギは黄泉に下って救出に来るという筋書きになっている。だが、イザナ

ギは、具体的な積極策を持たず、様子を気遣う以外にはただ一緒に帰ろうとしか言いようがない。

これは前節で神生みが半ば無意志的におこなわれたのと無関係ではない。この理由は、歴史を形

成していたのが、分子である人間であるからである。イザナギのこの呼びかけは、危機感をつの

らせ、高次元的救援を願望する大衆の集合意識の動きに他ならない。もちろん、これが具体化し

たものが、平和推進の大衆運動などになっているわけである。(時にはUFO現象もそれであろう)

古事記では、歴史展開を語る神名の多くが集合無意識を示している。たとえば、サヅチ(領有)

やオホトマドヒコ(混迷)などは人々の全体的な考え方の傾向であるし、カグツチやイハヅツノ

ヲ(兵器類)は悲惨さのゆえに人々の心に印象の強いものである。ここには、理念←現象←観測

←理念←現象←観測の循還的展開がおこなわれていることに注意を要する。これが形而上、形而

下に渡る歴史展開の連鎖の真相である。(現代の科学はこのうち現象の部分しか取り扱っていな

い)

だが、さらには、理念は、より高次元的なところからトップダウンされていて、むしろ結果的

なものである。これは古代哲学の認めるところでもある。筆者は人類の集合意識とトップダウン

的な理念の関係を次のように観る。すなわち、大域的なプログラム展開の大枠が凡そ決まってい

て、これが時間経過をはじめ、様々な要因によって順次ブレークダウンされてくる。この枠は可

変であるが、既に何度か同じことがおこなわれて、傾向ができたり(モデルの性質としての学習

性質や性癖)、あるいは、天体や精神天体の大域的影響(マッハ理論の拡張)などから、定型の

パターンが半強制的に与えられるのである。これに対して、外的要因とも言える人類の集合意識

が、この中に変化成分として作用してくるというわけである。(これゆえ「集合無意識」なので

はなく「集合意識」なのである。ただ個人では対処が難しいので無意識に等しいというわけである)

分り易く言えば、宇宙を生命体としたときの歴史のDNAのようなものが予め有って、人間の

DNAに発生と分化から発ガンのプログラムに至るまでが内含され、細胞内の物質条件や電気的

条件によっては発ガンしたりするように、外的要因によって用いられる部分が変化するのである。

ここでは人類意識が外的要因の一つとなるわけである。

一万数千年前のアトランティス時代にこのようなことがあって、現代が同様の進行をしている

のは、理念的な性癖によって大域的傾向が定まってしまっている証拠である。それは肝細胞から

分裂したものはDNAが人体全ての情報を網羅しているといっても肝細胞にしかなりようがない

のに似ている。だが、これは人間で例えるなら転生してでも乗り越えるべきカルマである。同様

に文明も転生して改めて課題の消化能力を問われていると考えても良いと思われる。それをなし

うるのは、外的要因の積極的変化である。それに係わる基本的な単位は、人の霊的記憶である。

この中には良いものも悪いものもある。だから、文明自体の霊(理念)は人類という構成要素(の

霊)に負うところが大きい。もしも人類に新しい進歩がなければ、文明もそれ以上のものにはな

りようがないのである。

精神文明側からは遅ればせながら回復の呼びかけがなされたが……

イザナギの呼びかけは、精神文明あるいは知識を代表する最近騒がれているUFOを駆使した

地球外知性の干渉としても表出している。それが人類に新しい進歩に目を向けさせるものである

限り、安易に否定し去るべきではない。 一万数千年前の教訓は続いて次のように語る。

イザナギの呼びかけに対し、イザナミは、「残念ながら、来てくれるのが少し遅かった。私は

冥王に魂を売り渡して終ったよ。だけどもわざわざ来てくれたので申訳ない。建て直そうと思う

ので、冥王と団判してくる。しばらく準備ができるまで待ちてて下さいよ。」と言って引きこもっ

た。だが、なかなか出てこない。そこでイザナギは貞察しに行き、大変なことを目撃した。イザ

ナギ(精神界の慈手)の呼びかけにイザナミ(物質文明)は一担応じたが準備が滞っていたばか

りか、表に掲げるように地球上至る所に戦火が起り、腐敗ぶりは凄まじいものになっていた。こ

のためイザナギは恐くなって逃げ出してしまったのである。

これはまず屍体が腐敗していく有様にたとえて、 一担破局を起した物質文明は後戻りが効かな

い不可逆現象であることを示している。また、同時に、精神文明の打つ手が早ければ、すぐに立

直らせることができたこと、および準備が速かにできていれば救出も可能であったことなども示

されているのである。もし、旨くいったなら、恐らく一章で述べたムーロアをより進歩させた形

態が約束されていたことであろう。

古代イランの「黄泉がえり」神話にイシュタルがその子タンズムを救出するために冥界下りす

るというのがあるが、この場合は無事救出がなされている。もちろん、この場合は穀物の実りが

毎年もたらされることに関係していて動機が異なるのであるが、そもそも、「よみがえり」自体

思想的には決して失敗する筋書きのものではないのである。ゆえに、古事記の場合は、やはり前

の時代における特定の失敗について語られているとみられるわけである。そして現代は再びこの

特定のケースに漸近していることは言うまでもない。

救済摂理の慈手は最終戦争の末期に到来し軍隊を撃破する

さて、このため、精神界の慈手は救援をあきらめ、引揚げようとする。すると、物質文明は全

てを道連れにすべく最終戦争を起す。エビカヅラ(壊火鬘)は火除けのシェルター、タカムナ(高

棟)は高層ビルとその地下など一時的存命設備である。これらは真先に黄泉軍の餌食となる。時

間かせぎの材料なのだ。結局、ヨモツヒラサカ(世面尽平逆)に示される世界の「時間的」な終

淵に来たときに、「桃の実三つ」(桃の実満つ)に示される大量の桃型UFOが飛来して地上軍を

撃滅することになる。そしてついに、ヒラサカノサカモト(平逆の逆基)の示す一つの時間的境

界地を隔てて、文明をはじめありと汎ゆる基盤が以前と逆転するというのである。

結局、次の時代に橋渡されたのは精神文明だけである。その役割を担ったのは分子である人間

であることは無論である。よってこの追撃と撃退の過程は、特定の役割をもった人間の救出劇

もある。これらの記憶が我々の時代に引継がれて、ユダヤの奇妙な選民思想や仏教の聖衆来迎思

想(世界が終末の時に釈迦をはじめ無量のサットバが衆生救済に飛来するという)などに反映し

たのである。旧約聖書は予言であると言われるが、実際には古代伝承を基にしたものか、それと

も傾向を滞びたアカシックレコードを読取ったものであろう。それはその通りに演ぜられてはま

ずいのであって、少なくとも努力して良い方向に持っていかねばならないのである。現時代の全

ての宗教思想は、この頃の強烈な印象が原型になっている。 一部的にしろ救出が成功したからこ

そ、古代哲学も華開いたし、多くの記憶が知識として持ち越された。しかし、顕著な文明の利器

はヒラサカの事件およびその後のうち続く変災により一切破壊されて断片すらも出てこないので

ある。

さて、様々な防御策が一時的で役立たなかった時に決定打となった桃の実(UFO)にはこの

ときに、表掲の預託がなされた。このことをみてもUFO問題や地球外知性のもたらした情報に

は目を向けていかねばならないと思われる。そればかりではない。古事記の多くの個所に地球外

知性の介入が語られていることからも、我々は決して一人ではないということが分るのである。

また、地球外知性の介入は歴史を定型的パターンのくり返しと考えたとき、特別の時点でしかお

こなわれていないことを古事記全訳を通して分っていただけたら良い。その時点の最初のケース

がこの節で出てきているわけである。そして本当の介入は、世界が終結する前夜にしかなされな

ことを知るべきである。それ以前のものは介入でなく注告と貞察であることをこの節は説いて

いるのである。

——–原文 黄泉の国(後)————————————

最後にイザナミの命、身みづから追ひ来ましき。ここに千引の石をその黄泉比良坂に引き

塞へて、その石を中に置きて、おのもおのも対き立たして、事戸を渡す時に、イザナミの命

のりたまはく、「愛しき我が汝兄の命かくしたまはば、汝の国の人草、一日に千頭紋り殺さむ」

とのりたまひき。ここにイザナギの命のりたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝然したまはば、

吾は一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。ここを以ちて一日にかならず千人死に、

一日にかならず千五百人なも生まるる。

かれそのイザナミの命に名けて黄泉つ大神といふ。またその追ひ及きしをもちて、道敷の

大神ともいへり。またその黄泉の坂に塞れる石は、道返へしの大神ともいひ、塞へます

黄泉戸の大神ともいふ。かれそのいはゆる黄泉比良坂は、今、出雲の国のイブヤ坂といふ。

———訳 旧い時代の終結と次代の開始————————

さて、私共の宇宙観では、理念が異り、存在状態(相)が隔たる二つの世界の間には、感

覚では把めぬ境界石が置かれ、互いに交通するのを距み、互いの秩序を保たせていると考え

ております。たとえば、現世と黄泉の世界の二世界を往来することは禁忌のことであり、許

された者が許された方法でのみ可能となるものなのです。時代の最後まで、物質文明は跳梁

しました。だが、ある一点を境にそれは完全消滅し、分子を減らした精神文明に切換わりま

した。時間軸上の原点に巨大な大岩が仮想され、それより過去と未来が対称的になっており、

これゆえ「ひらさか」と言います。精神文明を建て直していく人類は、物質文明を崩壊させ

ていった人類と好対称に増加の一途をたどることになりました。

また過去の汚濁した時空は、それを与えてきた理念プログラムと共に巻き戻され、新たな

歴史のプログラムの導入がはかられました。この接点の出来事を、今に「新生のための前夜

祭(イブヤ)」と言うのです。

————————————————————

古代人は時代の終結と再生の時間経過を「道」にみたてた

「道」は空間的な道を意味すると共に時間的な経過のうちにたどるべき歴史やその元となる理

念具体化の経路のことを意味する。特に古事記では伏線としての後二者の意味が主として使われ

ている。「道敷き」は道を仕切るの意で、歴史や理念を終了させるの意をもち、「道返へし」は道

をふり出しに戻すの意で、歴史や理念を原点に戻すことを示している。また、「塞へます黄泉戸」

は冥界との通路の閉鎖を意味し、総じてこの大岩により、原点への復帰(悪く言えば元の黙阿弥)

と、再び前のものが後に影響しないようにシャットアウトするという二つの意味を示しているの

である。

古代人の境界石に対する考え方は特筆すべきである。彼等は、次元の隔たった二世界の間に世

俗的な往来を拒否する厚い壁(大岩)を意識していた。それは後節の天の岩戸にもあらわれてい

るし、彼等の習俗上出てくる空間的境界を示す巷の道祖神石(ヘルメス)や神々の世界へのかけ

橋を示す秀麗な神体山などにもあらわれている。そして、古代人の道の観念は、時間的な道程を

も意味していた。その途中に置かれる岩は決して道中の安全を祈願するためのものではなく、隔

てられた新しい局面への不可逆的移行すなわち新嘗の厳粛な儀式のためにあった。古代人はその

場にあって否応なくやってくる新しい経験を有意義なものにするため、節目節目で威儀を正して

いたのである。古来より、おりふしにとりおこなわれる祭りは、この新嘗の観念から出ているこ

とであり、起源的には、時代の再生の時点に立会ってきた少数の人々の持ち来たした鮮烈な記憶

に至るのである。

古代人は時間的隔たりを空間的隔たりに置きかえて表現した。これは何と相対論的であること

か。現代人の我々ですら未だ時間と空間の同化を机上の理論の上でしか果たせていないのである。

あるいはまた、自然界の仕組みが一局面ごとに置石して展開する不可逆的因果律で成ることを理

解していた。これは、無知な者が単に時代の狭間をかいくぐってきただけでは決してできないア

イデアである。やはり、高度な文明が実在したというのが本当であろう。

(五)身楔

この節では新時代への新嘗のための地上の浄化がなされ新天地の支配体制が不充分ながら完成

することを物語る。この節も引続きユニークな解釈となっている。

———原文 身楔(前)—————————————–

ここを以ちてイザナギの大神の詔りたまひしく、「吾はいな醜め醜めききたなき国に到り

てありけり。かれ吾は御身の祓へせむ」とのりたまひて、筑紫の日向の橘の小門のアハギ原

に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。かれ投げ棄つる御杖になりませ る神の名は、衝き立つ船

戸の神。次に投げ棄つる御帯になりませる神の名は、道の長乳歯の神。次に投げ棄つる御

に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。かれ投げ棄つる御杖になりませ る神の名は、衝き立つ船

戸の神。次に投げ棄つる御帯になりませる神の名は、道の長乳歯の神。次に投げ棄つる御袋

になりませる神の名は、鶴量師の神。……中略・…煩ひの失しの神。……中略……道俣の神。

……中略……飽昨ひの失しの神。……中略…… 奥疎の神。次に奥津ナギサビコの神。次に

奥津カヒベラの神。……中略……辺疎の神。次に辺津ナギサビコの神。次に辺津カヒベラの神。

ここにのりたまはく、「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は弱し」とのりたまひて、初めて中つ瀬

に降り潜きて、灌ぎたまふ時に成りませる神の名は、八十禍津日の神。次に大禍津日の神。

この二神は、かのきたなき繁き国に到りたまひし時の、けがれによりて成りませる神なり。

次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、神直毘の神。次に大直昆の神。次にイヅノメ。

次に水底に灌ぎたまふ時に成りませる神の名は、底津綿津見の神。次に底筒の男の命。中に

灌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見の神。次に中筒の男の命。水の上に灌ぎた

まふ時に成りませる神の名は、上津綿津見の神。次に上筒の男の命。この三柱の綿津見の神は、

阿曇の連等が祖神と斎く神なり。……中略……筒の男の命三柱の神は墨の江の三前の大神な

り。

——–訳 接点の時代(地球の復元と浄化)—————————

さて、 一つの歴史が終了し、次の歴史が始まるまでの隠れた接点の時代の話になります。

まず、黄泉戦争で汚れ切った地球上は浄化されねばならず、救われた人々は一担地球を離れ

ることになり、ストーンサークルを築いて正確な帰還を期し、巷に魔除けの岩を据え、航行

の手順正確を期し、救済の慈手の提供した乗物で長い時空の旅に赴きました。乗物は、長い

道のりを時空の帯をまたいで超えてしまうもので、ストーンサークルのエネルギーパターン

が帰還の鍵になっていました。

さて、 一方、地上は水で洗われると共に、地球をとりまく精神圏も元あったように奇麗に

されました。海洋では、筒状の機構が活躍し、毒物を除去しました。こうして、地上は白紙

の状態に戻されたのであります。

—————————————————————-

古代の巨石モニュメントは宇宙船発着のエネルギー的なキーパターンを形成

ここでは、文明再生の基盤となる大地の復元の具体的な施策について語られる。「みそぎ祓え」

は、精神文明の一時的な退避と、その間の物質文明の汚物で濁された地球上の浄化を示している。

「衝き立つ船戸」は杖の形をした船の発着場。精神文明には地球外知性が援助して、宇宙船が遠

離のために用意されたと思われる。冥界往来の時、杖が必要と考えられたのは、宇宙空間に往く

ときに用いられたからではないだろうか。

「道の長ち歯」と「時はか師」は、長い時間をかけて地上の浄化がなされると共に救出された人々

の赴いた先の天体が非常に遠い所であることを物語る。プロテスタントの思想には、このような

メルヘンに満ちた救済説を掲げるものがあるが、あながち否定できないと思われる。「道俣」は二

俣の道を示し、ヘツカヒベラまでそれぞれ物欲や煩悩からの遠離を説き、確かに神道でいう身楔

の効果を物語っている。これは、物質文明との関わりを一切断ち切るという行為を並べたのであ

ろう。

また一方、次のような解釈もありえよう。「道俣の神」が道祖神として石のモニュメントで示

されていたように、ツキタツフナドからヘツカヒベラまで、表2 ・3のような石碑であると考え

られる。巨石建造物は不可見の未知のエネルギーの制御機構であるらしく、筆者の考える一説に

は、宇宙船の発着基地兼エネルギー補給機構、またもう一説には三・(七)節で述べるような地

球を一個の宇宙船と化するための要素であったのではないかと考えるのである。古代人が石や土

に霊力を認めていたことを考えても、これらのことは、あながち否定できないと思われる。

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また、「奥」と「辺」は、それぞれ左と右に対応する。これは、神社などの祭祀形態の座標を

示していて、前者は時間的に旧く、原型的であり、後者は新しく、現象的である。先程の石碑を

この考えに適てはめると図2 ・2のようになると想像される。

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理念界と地上の浄化がなされる

今一方、地上では、ヤツマガツヒ、オホマガツヒで示される放射能による超汚染がカムナホビ

から「上筒の男」までで示される浄化機構で清浄化された。その具体的な形や仕組みははっきり

しないが、筒の男は海洋浄化のための円筒状の機構であることは言える。ノストラダムス大予言

の二章四八編には毒物浄化機構を思わせる極地にある輪のことが述べられているが、この筒状の

機構の活在を意味してはいないだろうか。接点の時代にはこのような救済用設備が前面に出て活

躍し、文明期には人類に気取られることのないような所で潜かに運用されていると考えられる。

なお、イザナギが身体を浴ぐために降りようとした川の上、中、下流というのはアカシックレ

コードの投射の階層をあらわしていると考えられる。というのは、古代人が因果的な過去(時間

にしろ空間にしろ)を示そうとする際に用いるのが、身近な不可逆的な可視の(空間的な)擬態

表現なのである。「道」は不可逆性を石で作っていたが、川は自明である。加えて、ごく自然に

ブレークダウンしてくるものであり、否応ない法則としての理念の投射にあてはめられたのでは

ないだろうか。だから、ここで浄化がなされたというのは、多く精神界での出来事とみてよい。

上流はそのままにされ、中間段階に手が加えられた。これはアカシックレコードの原型は病んで

いなかったからであり、正常に事が進めば浄化などしなくともよかったものであろう。これゆえ、

この文明の歴史は失策であったと結論できるのである。

——–原文 身楔(後)————————————–

ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、天照らす大御神。次に右の御目を

洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月読の命。次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の

名は、建速須佐の男の命。……中略……天照らす大御神に賜ひてのりたまはく、「汝が命は

高天の原を知らせ」と、言依さして賜ひき。かれその御頸珠の名を、ミクラタナの神といふ。

次に月読の命にのりたまはく、「汝が命は夜の食国を知らせ」と、言依さしたまひき。次に

建速須佐の男の命にのりたまはく、「汝が命は海原を知らせ」と、言依さしたまひき。

かれおのもおのもよさし賜へる命のまにま知らしめす中に、速須佐の男の命、依さしたま

へる国を知らさずて、ヤツカヒゲ胸前に至るまで、泣きいさちき。その泣くさまは、青山は

枯山なす泣き枯らし河海はことごとに泣き乾しき。ここを以ちて荒ぶる神の音なひ、狭蝿な

す皆満ち、 萬の物の災ひことごとに起りき。

かれイザナギの大御神、速須佐の男の命にのりたまはく、「何とかも汝は言依させる国を

知らさずて、哭きいさちる」とのりたまへば、答へ臼さく、「僕は母の国根の堅州国に罷ら

むとおもふがからに哭く」とまをしたまひき。ここにイザナギの大御神、いたく忿らしての

りたまはく、「然らば汝はこの国にはなとどまりそ」とのりたまひて、すなわち神逐ひに逐ひ

たまひき。かれそのイザナギの大神は、淡路の多賀にまします。

————————————————————-

接点の時代の新しい天地の胎動

原文の対訳を省き、次に主要語訳を載せる。

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新天地の登場と荒廃した地上世界

この節では、新しい時代の天地支配の構図を示している。アマテラスの支配する高天の原は既

に述べたように超空間であり、地上世界の何事も鳥観できる五次元的時空である。だが逆に地上

の我々からは察知し得ないので、遠隔の太陽に擬態すると共に、ミクラタナ(棚の上の安定した

世界)と古代人の間では考えられていた。また、「月読」は「尽く黄泉」と解せ、地上を中心に

したとき、高天原の正反対の位置に在るべき冥界をあらわすと共に、現在みる月が文明の終局に

何らかの関わりがあったことを示している。後程述べる「天の斑駒」と関係が深いと思われる。

スサノヲは海原の守護を命ぜられるが、これは表裏の関係にある大地の守護をおこなうことで

もある。(これはギリシャ神話のゼウス、ヘーデース、ポセイドンの支配構図と一致している)

だが、彼はそれを履行しないばかりか、かえって海陸を逆転するようなことをした。「その泣く

様は……泣き乾しき」にあらわれている。これは海外にあるものと共通した洪水神話である。また、

スサノヲが洪水を起した理由が、母イザナミの居る黄泉の国に往くことであるから前節のイザナ

ギの水による地上の病んだ状態の浄化と同じことを示しているのではないかと考えられる。つま

り同一事件を異なった観点で述べているのである。海外の洪水神話がいづれも洪水の原因を不敬

な人類への神の怒りとその浄化に帰していることをみてもうなづけよう。

古事記上つ巻の訳の上から、ここで大きく歴史的に二つに分けられる。これより以前は一時代

の壊滅と次代の準備のための浄化までが書かれ、以降は次の時代の初期状態の説明で始まるので

ある。また、原文上でも、イザナギ、イザナミから天照らす大御神、スサノヲという天神、国神の

持ち分け支配へとバトンタッチされていくのである。

(六)誓約

この章は、挿入的に天神の武具の象徴する超科学力と国神の武具が象徴する大自然の力を対比

し、長い間両者の葛藤があったことを示している。後節の布石として掲げられているようだ。

———原文 誓約—————————————–

かれここに速須佐の男の命、まをしたまはく、「然らば天照らす大御神にまをして罷りなむ」

とまをして、天にまゐ上りたまふ時に、山川ことごとに動み国土皆震りき。ここに天照らす

大御神聞き驚かして、……中略……ヤサカノマガタマノイホツノミスマルノタマをまき持た

して、背には千程の収を負ひ、平には五百程の収を附け、また腎にはイツノタカトモを取り

侃して、……中略……イツノプタケビ踏み建びて、待ち問ひたまひしく、「何とかも上り来

ませる」と問ひたまひき。……中略……

かれここにおのもおのも天の安の河を中に置きて誓ふ時に、天照らす大御神まづ建速須佐

の男の命の侃かせる十挙の剣を乞ひ渡して、三段に打ち折りて、ぬなとももゆらに、天の

真名井に振り洛ぎて、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成りませる神の御名は、

多紀理姫の命、またの名は奥津島姫の命といふ。次に市寸島姫の命、またの御名は狭依姫の

命といふ。次に多岐都姫の命。……中略……左の御みづらにまかせる八尺の勾珠の五百津の

御統の珠を乞ひ渡して、……中略……吹き棄つる気吹の狭霧に成りませる神の御名は、マサ

カアカツカチハヤヒアメノオシホミミの命。……中略……アメノホヒの命。また御かづらに

まかせる珠を……中略……アマツヒコネの命。また左の御手にまかせる珠を……中略……イ

クツヒコネの命。また右の御手にまかせる珠を……中略……クマノクスビの命。……後略…

———————————————————-

超科学力と自然の力の対比

対訳は省く

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洪水が終ったと思えば、今度は地殻変動が大規模に起きた。それに対し、ミサイルや超音波な

どの科学力で抑え込もうとしたことをこの節では語ると共に、自然の猛威が並のものではないた

め、より高度な超科学力を対峙させて長期に及ぶ根本的解決の見通しを語っている。「ひ」とい

う言葉は、ほとんど、知識を示すと考えてもよい。天照らす大御神の持物から生じた神々は、次

のような知恵の権化である。

アメノホヒは、燃え上がる知恵、マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミは、何よりも勝れ

た知識の体系を示し、巨大エネルギー発生器を登場させるだけの科学知識ならではのものである。

アマツヒコネ(天つ日捏ね)は宇宙科学の総合、イクツヒコネは生命科学の総合、クマノクスビ(隈

の霊す日)は世界の境界を知る霊妙な科学を示している。我々の科学を科学と呼ぶなら、ここま

での広範囲を総合したものは、超科学と言える。

一方、スサノヲの持物から生じた神々は「姫」がつくもののこれは第二修飾語であり、本義は

タギリ(田切り)、サヨリ(狭依り)、タギツ(液つ)で、それぞれ細断、圧縮、焦熱の荒々しさ

を表現していて、いかにもスサノヲ(大地、自然力)の眷属らしさをもつ。これをみると自然の

爆発的力と知恵の力を並べ、力の出所が異なることを示し、どちらが優れているかを対比しよう

としているようである。だが、後節では、前者は後者に強伏されてゆくことを語っている。この

ため天神優位は絶対的なものと考えられたのであろう。

前節までで多く山野に関することが古事記では悪く言われ、海に関してそうでもないというこ

とを述べたが、この辺から汎ぞ察しがついてくる。スサノラとその系譜は地変の話題に関係して

いる。よってここまでの物語の原典の作成もしくは伝承者は、地変の災禍を受けた海洋民族の記

憶をもつ者であったという推測ができよう。すると、やはり、アトランティスぐらいが知識の出

所ではないかと考えられるのである。

また、タギリ姫は沖の島に、サヨリ姫は大島に、タギツ姫は宗像にそれぞれ祭られる。これを

地理的に結ぶ線は直線となり、既に述べた図2 ・2 (八十三頁)と次表のように対応する。また

さらに後述する八重垣ラインの角度と美事に一致するのである。(三・(九)節)

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問題は直線上に並ぶということであり、「奥つ」「辺つ」の関係は相対的なものであることに注

意を要する。すると、本来の「中つ」に相当するものは、九州の内陸部に求められ、九重山ぐら

いがそうであり、「辺つ」に相当するのは、延岡ぐらいであろうか。九重山はあたかも巨山のスト

ンサークルである。後述するが、このライン(群)は自然の猛威を知恵の力で抑え込もうとした

遺構である。

(七)天の 岩戸(地球上を襲った大変災とその建直 しの記録)

ここには、 一時代を壊滅させた大変災とそこからの回復のために採られた超科学的方法につい

て語られる。内容的に破天荒であるが、新嘗、輪廻等の古代思想の根底をなす記憶である。

——–原文 天の岩戸(前)—————————————

ここに速須佐の男の命、天照らす大御神に自したまひしく、「我が心あかければ我が生め

る子手弱女を得う。これに因りて言はば、おのづから我勝ちぬ」といひて、勝さびに天照ら

す大御神の営田の畔離ち、その溝埋み、またその大嘗聞じめす殿に屎まり散らしき。かれ

然すれども、天照らす大御神は咎めずて告りたまはく、「屎なすは酔ひて吐き散らすことこ

そ我が汝兄の命かくしつれ。また田の畔離ち溝埋むは、地を惜しとこそ我が汝兄の命かく

しつれ。」とのり直したまへども、なほその悪ぶる態止まずてうたてあり。天照らす大御神

の忌服屋にましまして神御衣織らしめたまふ時に、その服屋の頂をうがちて、天の斑馬を逆

はぎにはぎて堕し入るる時に、天の衣織女見驚きて、ひに陰部を衝きて死にき。かれここに

天照らす大御神見畏みて、天の岩屋戸を開きてさし隠りましき。ここに高天の原皆暗く、

葦原の中つ国ことごとに暗し。これによりて、常夜往く。ここに萬の神の音なひは、さ縄な

す満ち、 萬妖ひことごとに発りき。

——–訳 接点の時代の詳細———————————-

さて、もう一度かつての文明壊滅のいきさつをふり返ってみましょう。それまでに、人為

的な山野の乱開発や戦争による破壊によって、それ以前に目的があって整備され耕された土

地が多く駄目になっていました。そのような成りゆきも、恐らく一時的な戯れか、あるいは、

もっと良いことをするためであろうと放っておいたところ、いつまでたっても地上の所業は

収まりませんでした。

そうしているうち、ついに歴然とした大事件が起きました。水と土砂を大量に含んだ天体

が宇宙からやってきて、地球の近傍で爆発して衝突したのです。このために地上は一瞬に大

変動を起し、泥で大地を洗ったような格好になりました。また、清浄なオーロラを織りなし

ていた地磁場は急速に消失し、宇宙から射込む放射線は大気と作用して水滴核をつくり濃厚

な雨雲を形成しました。世界は暴風雨が吹き荒れ、寒冷化すると共に、暗黒の中に置かれま

した。こうして、地球上の生命は生命体地球の死と共に絶滅に頻したのであります。

————————————————————-

大異変(洪水)の原因は天体の落下

中核になる話は、「天のふちこま」に示される天体の落下とそれが引起した大異変である。天

の斑馬とはまだら馬のことであるが、井本英一氏によると死と再生を司どる禁忌の神馬であると

古代人の間では考えられていたという。筆者はこれに加えて、水と土の複合という意味がまだら

に込められていると考える。その逆はぎの有様とはまさに、水と土を大量に含んだ尾を引く天体

の姿と考えられるのである。そしてそれは前時代の死と新時代への再生をもたらした。

大異変は、単に天体物質と引力により巻上げられた物質による大洪水や噴火などの直接的なも

のと、いま一つ、地磁場消失という間接的なものがある。地磁場は、「忌服屋(いみはたや)」と「神

御衣」から想像できる極地のオーロラから導ける。これが、「服屋の頂」すなわち地球外から飛

び込んできた天体のためにだめになることをオーロラの織り手の生産機能の崩壊という擬態で示

している。

「身禊」からここまでは、一大変災に関する説明を多角的に施していると考えられる。先ず「身

禊」では地球生命の再出発のためにひどい汚染状態を浄化しておかねばならないという理由で、

水を正当化する。次に幼ないスサノヲの行状にたとえて、洪水という変災が地球の守護力あるい

は抵抗力不足で不可抗力的に訪れたことを示し、さらに「誓約」では、変災が地かく変動や火山

活動の原因になったことを示し、最後にここでその事件が天体の突入にあったこと、及び地磁場

を消滅させたことなどの詳細を語っているのである。

海外の諸民族の伝承にも、この記憶は根強く残っている。旧約聖書やギリシャ神話では、人々

の傲慢さに神が怒って洪水をもたらしたとしている。これは「身禊型」である。太平洋諸島の住

民の間では「最も暗い時代」とか「毎日が夜の時代」と称される時代があったとされている。また、 %

インディオの聖典「ポポル・ヴフ」には、大異変のあと、ひどい寒さが始まり、太陽が失われた

と書かれている。メキシコやベネズェラの神話にも大異変の後の寒気で海は氷におおわれたと語

られている。「タルムード」の中でも楽園追放の後で太陽が隠れたという記事があるという。こ

れらは「天の岩戸型」である。これらは、A ・ゴルボフスキーの著からの引用であるが、彼はこ

の原因として大異変ばかりでなくその影響を受けて起きたであろう磁極や地軸の移動を説いてい

る。また彼は、この異変の期間を、インド、マヤ、エジプト、アッシリアの暦の開始点をたどる

ことにより、B.C 一一六五二~B.C 一一五四二の約百十年の間だったとしている。仏教では

煩悩の数が百八つあるといい、新年の直前に滅尽の鐘をつくが、この近似は面白いと思われる。

諸悪の根元はスサノヲにあらず人類の無知にあり

また、筆者は後述するが、歴史の七千年周期説を掲げ、この事件を今から一時代前の始まりと

なった異変と考えている。その期間は、ほぼ一世紀に及ぶ長いものであるが、その前半を前の人

類のまいた業の浄化、後半を凍結の期間とし、その終了の頃に次節で述べる回復処理がなされた

と考えている。

自然力の横暴とも言えそうな大変災は、 一方では地球の防衛力の衰えに帰因もしていた。今か

ら一万四千年前地球磁場はちょうど現代と同じように衰亡期にさしかかっていた。磁場の衰えは、

人間で言えば生体磁場「オーラ」の衰えに相当し、外界からの悪影響を受け易くなるのであろう。

これゆえ、スサノヲの守護意志の精神的な放棄物語となったと考えられる。それは文明末期の

戦争によって加速されたのであろう。「勝さびに営田の畔離ちその溝埋み、大嘗聞じめす殿に屎

まり散らし」は山野の傲慢な乱開発や戦争による破壊行為を示している。自然の人為的破壊、地

磁場の衰え、外天体の干渉、大変災、生命体地球の死、これらは一連のつながりの中で把握でき

るのである。

また、この天体の投入が人為的に計画されたとも言える。それは、イザナギが自ら浄化のため

に水を使ったことや、次節でも述べるように、超科学力に自然の力が及ばないことを充々に示し

ていることからみても考えられることである。それをおこなったのは、宇宙の超科学である。

五島勉氏は著書「ファチマの予言」の中でファチマの聖母は地球外の高度の生物ではないかと

言っている。そのような聖母が今度はベロニカ・ルーケンを通じて語らしめたのによると「救い

の玉(漬罪の玉)が急速に地球に近づいている」「それは主イエスキリストが遺わされるもの」

というのである。キリストも聖母もこの場合、同格に地球外知性であり、論理的に天体あるいは

変災の投入が正統化されているように思われる。

では、地球外から干渉する地球外知性が悪いのかというとそうでもない。地上では人類のエゴ

による核戦争まで起きていたのであり、浄化のためとなら充分な大義名分がある。あるいはまた、

人類が集合無意識として持つ罪の意識がかかる変災を招いたとも考えられる。

そうするとかかる一連事象の最大の責任は何にあるかというと、人類それ自身の歴史への対応

の甘さということになる。だが、伝承の上では、全ての原因はスサノヲ系の大地にしわよせられ

ている。それだけ人類は宇宙の大義の中では理念を地上にあらわすための分子として破格の扱い

を受けているのである。ここで一句。

「命もち、愚子を育くみ 赤切れぬ 母なる大地は 悲しからずや」

人類は自らの置かれている立場を理解しなくては、いつまでも「類」の範ちゅうを出られない

のではないだろうか。

——–原文 天の岩戸(中)(天の宇受賣の踊り)————————-

ここを以ちて八百萬の神、天の安の河原に神集ひ集ひて、高御産巣日の神の子オモヒガネ

の神に思はじめて、常世のナガナキドリを集へて鳴かしめて、アメノヤスノカワの河上のアメ

ノカタシハを取り、天の金山のまがねを取りて、鍛人アマツマラを求ぎて、イシヨリドメの

命におほせて鏡を作らしめ、玉の祖の命におほせてヤサカノマガタマのイホツノミスマルノ

タマを作らしめて、アメノコヤネの命、フトダマの命をよびて、天の香山のマヲシカの肩を

内抜きに抜きて、天の香山の天のハハカを取りて、ウラナヒまかなはじめて、天の香山のイ

ホツノマサカキを根こじにこじて、上枝にヤサカノマガタマノイホツノミスマルノタマを取

りつけ、中つ枝にヤタノカガミを取りかけ、下技にシロニギテ、アオニギテを取り垂でてこ

の種々の物は、フトダマノ命、フトミテグラと取り持ちて、アメノコヤネの命フトノリトこ

とほぎもうして、アメノタヂカラフの神、戸のわきに隠り立ちて、アメノウズメの命、天の

香山のアメノヒカゲをたすきにかけて、アメノマサキをかづらとして、天の香山のささばを

手草にゆひて、天の岩戸にうけふせてふみとどろこし、神がかりしてむな乳をかきいでもの

ひもをほとに押し垂りき。

——–対訳 生命体地球を蘇生させた超科学——————–

宇宙人達は、静かな宇宙空間に陰ながら集まって、顕象の宇宙法則を模倣したコンピュー

ターの制御のもとに、超音波のつくるある特殊な状態の下で、元素周期律表の上層部にある

堅い鉱石と、どこにでもあるオーソドックスな金属を結合させ、この材料を鍛造して、輝く

結晶体を造り、UFOの母船の設計原図をもとにたくさんに分岐したマガタマを円の中に統

一した威力の出るエンジンを造り、ボディー及び主要な組みつけに関しては、たくさんの輝

く材料を丸く堅ろうな型にブレスして、輝く材料の小片で内装張りをして、やはり輝く材料

により造られた威力の源泉となる支柱の上辺部に先程のエンジンを取りつけ、中ほどに輝く

結晶の多面体を掛けて、下辺部に白と青のそれぞれにぎやかに輝くものを垂らしました。そ

して、この装置を地球上に設置したのです。この装置類はコントロールルームにある制御操従

系統と連動して、発進、駆動の合い言葉となる手続をふませると、強力な力場が、次元超越のト

ンネルの入口に見えないが発生してきて、回転系の動きは力場の真空地帯を兆型にして、空

間の分断域を周りにバリアとして張りめぐらし、笹の葉をたくさん結んで輪にしたような輝

かしい力場を発生させ、うつろな箱のような次元のトンネルの上で共振するようになると船

体(宇宙機と化した地球)は励起して元時空の縛りを超えて新時空にジャンプしました。

————————————————————-

地球を死から蘇らせる超科学技術

この節は、災疫に満ちた環境から脱出させ、生命力ある地球を再生する超科学的手段とその実

際を示している。そればかりか、これは宇宙人の乗物であるUFOの飛行原理をもあらわしてい

るようである。インドの古文献マハーバーラタにはイオン推進であるらしい宇宙機の説明がなさ

れているが、古事記のそれは、ある種の力場の回転により現時空を超越してしまうというもので

ある。その用途が決して遠距離の短時間航行にあるのでなく、現環境の離脱もしくは改善のため

にあったことがみてとれる。つまり存在状態の変革機構なのである。しかもこの機構の説明に要

した長い叙述が一文にまとめられていることに、他文にない特異性があり、明らかに特別重要な

知識群であることを物語っている。

この節に登場する主役は、もはや地球人類ではなく、地球外知性となる。だが、この史実をも

たらした者とは、地球人類の祖先である以上、接点の再生の時期のタイミングに偶然もしくは選

ばれて行きあわせた者であり、それも、本来なら秘密裏であるべき復元作業の現場に立会ってい

たものであろう。さらに、驚異的な科学力の半神半人的宇宙人の横で逐一教唆を受けていたとさえ

考えられるような製造行程の描写である。このような情景は現代でもコンタクトマンが公表して

いる宇宙人との会見談によく見うけられる。

UFOの構造、稼動原理

さて、この節の解釈ほど原文対訳が忠実にできた個所は無い。神名の意味は対訳と照合すれば

意味が把めるはずである。だが、重要な留意事項を次に掲げておこう。

オモヒガネ(思金)は考える金物のことで、宇宙文明の底流をなす利器、コンピューター(ハー

ドウェアー)のことである。この神がタカミムスビの神の子であることは、コンピューターの設

計思想が宇宙運行の原理を模倣したものであることを示している。これは拙宇宙モデルが古代的

観点から妥当である証拠の一つである。

アメノヤスノカハの「ヤス」はたくさんの物質のことで、全体で物質資源のことであり、この

河上とは元素周期律表の(最も重い元素の側の)上位であることや、物質生成の場の付近の意味

にもとれる。「カタシハ」は、堅い石片のことであり、ァメノカナヤマの意味するどこにでも見

かける山ほどにある金属の中の特に「マガネ」(これはマグネシウムかもしれない)とともに鍛

人アマツマラ(交転)の意味する融合炉にかけ、イシヨリドメ(石凝り留め)の鋳型に入れて、カ

ガミ(輝身)の示す輝く結晶体を造るというのである。

「香山」は、輝くたくさんの材料、「マヲシカの肩」は、丸く力ある船体(鹿は古来より神の

乗物であるとされる)の型、アメノハハカは細長いケーブル(ハハは蛇の意)、「ウラナヒマカナヒ」

は「占ひ」ではなく「裏絢ひ賄ひ」で、内装整備するの意となる。

「玉の祖の命におはせて……アオニギテを取り垂でて」の部分は、まさに空飛ぶ円盤の内部構

造を示すかのようである。(図2 ・3参照)ヤサカノマガタマノイホツノミスマルノタマは、た

くさんに分極した曲玉が円筒乃至球内に収まった多極巴えの外観をしたもので、これがパワーを

発生させる中心動力(エンジン)になっているという意味である。(図2 ・4参照)

ここまでで装置の部材からハードウェアまでを具体的にしているわけであるが、その次は運行

に併うソフトウェア的な説明となる。「フトダマ」、「フトノリト」、「フトミテグラ」の「フト」

とは、電子機械や電気そのものと解せ、それぞれ、機械船、メヵ的司令手順、メヵの充満した部

屋(電子制御室)を示すと考えられる。既に出てきた「フトマニ」は予測(占ひ)のための表示

画面であり、「タケフツ」は戦車や球電兵器を示している。

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また、「アメノタヂカラヲの神……天の岩戸にうけふせて」の部分は、まさに空飛ぶ円盤の稼

動状態を示すのであるが、何やら、J ・アダムスキーが金星人から示されたという「アダムスキー

文字」の説明をするかのようである。(図2 ・5参照)まず、エンジンが操作手順に従ってある

程度稼動した頃、「アメノヒカゲ(日陰)をたすきにかけ」に言うように、文字中の兆型で示さ

れる力場(の空域)をつくり、「アメノマ(目、間)サキ(訴き)をかづら(鬘)とし」にある

ように、同文字中の眼型で示される時空の分断域すなわち新しい存在状態のバリアーを機体の周

りに発生するというわけである。つまり、アダムスキー文字中のシンボルは、直接的に機体やエ

ンジンの形状を語るのではなく、二次的に発生した力場の有様なのである。「鬘」というのは頭

を保護するかぶりもののことである。この話が記憶付けられるために、マサキノカヅラという樹

名がつくられているが、実際はとてつもない代物である。また、葛城の山というのは奈良盆地の

西のとりまきの生駒山系をいうのであるが、これはまさに西からの悪疫を阻止する防壁の山並と

考えられたものである。

さらに「アメノウズメ(渦目)」はこのような有様を総括するものであるが、大変なのはこれ

が「うけふせて」にいわく、うつろな箱のような天の岩屋戸の上に載っかる格好で、きらびやか

に振動しているというのである。(「うけふせて」はうつろな箱の上に置くという意味)これは図

2 ・5中の眼型の下にある箱の図柄に示されているではないか。また、黒い部分(まだら)は何

となく半開きの岩戸そのものを示すようである。つまり、天の岩屋戸の景観を示している。そこ

は禁忌であるゆえに自黒のまだらにもなっている。このように、アダムスキー文字と天の岩戸物

語は対になってようやくその意味するところが把めてくるのである。

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現代の様々な目撃報告の研究からUFOは異次元航法をとるという情報がもたらされている

が、これは以上の言葉の解釈を妥当なものにすると思われる。「天の岩屋戸」は宇宙機が航行し

ていく次元のトンネルとみてよい。次元のトンネルはトーマス・ベアデンに言わせれば、虚状態

で実現するといい古代人が空虚な箱にみたてたのも奇妙に的を得ていると思われる。そして、「ふ

みとどろこし」に示されるように、力場が共鳴を起し、「神がかりして」に示されるように、機

体が励起状態にあって始めて、時空の縛り(面のひも)を解くことができるというのである。

また、この箱の図柄やいくつかの紋様に過不足のあるピンターダ文字(図2 ・6)は、多分、

非励起状態にある宇宙機の説明図ではないか。眼型のまわりの種々の草文字は、「八百萬の神」で、

対訳中では宇宙人と訳したが、次元飛躍現象を生起するために参加する物理諸法則と解した方が

望ましいかも知れない。とにかく、図2 ・5、図2 ・6は宇宙機の動作原理を説明したものであ

ることは確かである。拙宇宙モデルでは、このような現象はプログラムの慣性的な成りゆきを乗

り替えていくというやり方の一環で把握できることを申し述べておく。(四章にて)

地球を宇宙機に仕立てる機構はバミューダ海域にある!

もう一つ類例の図柄として、金星人が残したという靴跡の解説をしよう。(図2 ・7参照)宇

宙人関連ばかりで破天荒の極み申し訳なく思うが、これがまた重要なのである。

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左足のA部には宇宙機のハードウェアを示す古事記の原文がシンボリックに対応し、対隅に

ある右足のD部がソフトウェアを示すシンボルとなっている。さらにB部は、バミューダ海域

の略図と共に、力場の影響域を示し、C部はさらにその詳細図となっている。バミューダ海域

には、この時空跳躍の宇宙機と同じ原理で動作するメカニズムが埋設されており、その現象の

軽度のものが頻発する航空機の消滅事件であったと解される。そしてそのメカニズムの本格的

動作のおりには、地球がそれ自体宇宙機の性質を示すのではないかと思うのである。

そのようなことがかつて有ったことを古事記は語っている。その結果はご存知のとおり、太

陽の復活であり、生命体地球の蘇生であった。これはちょうど冥界から逃げていくイザナギの

とった行動と同等であり、改めて、「身楔」か

ら「天の岩戸」が同一事件の異なる側面からの観察記録であることが分るのである。イザナギの

逃避行動は地球を宇宙機とした時の時空ジャンプであったこと、ストーンヘンジがその補助材料

であったことなどが察せられよう。旧い時空はプログラムのブレークと共に過去に埋没したので

ある。それは、アダムスキーを通じて宇宙人が積極的に訴えようとした「現代にあっては、将来

にあてはまる」事件でありはしないか。

古代祭祀シンボルの意味

J 。チャーチヮードによれば、兆型の図形はムー文明のシンボルであり、聖なる原動力をあら

ゎすという。また井本氏によれば、古代世界に普遍的な吉祥のしるしで生命力の象徴であるとい

う。そして、中国雲南省の洪水神話で生き残った人類の始祖となる兄妹に×や卍の文字があては

められていることから死と再生のシンボルでもあったと言っている。筆者もこのような兆型シン

ボルのいわれを非常に重要なものと考える。それは死と再生、異時空への飛躍を物語るものであ

る。UFOは時空の関係からみた死と再生を繰り返す神域の乗り物であるし、広義な死と再生の

解釈をすれば、不可逆性をもってする自然界の時間経過それ自体が、このシンボルにあてはまる

であろう。ゆえに、古代人の間では、折りにふれ威儀を正そうと気がついた時点で兆型シンボル

が用いられたと思うのである。

とにかく、古代の普遍的なシンボルである兆型、鹿、蓮華、桃、まだら、そして石碑などは共

通した起源をもつと考えられる。鹿は古来より、神霊の宿る聖域をめざす神の乗物であり、鹿の

子まだらを内含している。まだらは複数の状態変化の可能性を象徴しているようである。 また、

黄泉醜女を撃退した桃の実や、伝説上の正義の使いを生んだ桃の実はUFOの形の擬態表現で

あろう。また、仏教における仏やサットバとは、悟りを開いた時空を超越した超人を示すとする

より、これであるとした方が似つかわしいのではないか。「天の香山の笹葉を手草に結ひて」

の表現は、実に蓮の華を思わせるような回転力場を発生することからきていると思われる。そ

の有様を霊能者が見たならば蓮華上に座する仏と例えるのではあるまいか。(図2 ・8)よって、

仏教でいう「聖衆来迎」は「黄泉の国」の段でみた「桃の実満つ」と同様の過去におこなわれ

た出来事であると考えるのである。

人類は、拙モデルでは、映像的時空に縛りつけられた存在である。だが、それを裏返せば、

UFOや超能力者にみるような、仮称「プログラム航法」による柔軟自在な行動が可能というこ

とでもある。仏教が個人の解脱や成仏を説き、キリスト教が新世界の到来を説いている。それら

は個とか全体とかの区別なくただ一点で境界を接する二種類の時空の間の移動について言ったも

のではないか。その一点とは尋常の手段では扉(岩戸)を閉ざしたままの障壁である。それを古

代人は汎ゆる自然界の仕組みにみてとり、境界地信仰や新嘗の儀式の中で思想を陪い、サイクリッ

クな定型パターンの摂理が起こす再び来たるべき機会に照準を合わせていたのであろう。

さて、以上見てきたように、古来より用いられ、また最近に至って地球外から呈示された不可

思議な謎かけの紋章は、宇宙の利器に関連して平易に解答できるのである。だが、いづれもこれ

以上のことは知ることはできず、何かのヒントにはなっても、ここから宇宙機を造ることなどは

到底不可能であろう。しかし、古事記はインデックスに相当する文献である。より専門的な知識

を記したものがもし有るならば、原典がどこかにあり、また、「天孫降臨」の章に示されるように、

中臣、忌部、鏡作などの豪族各氏が専門に従って持ち分けて伝承しているのかも知れない。いづ

れも暗号化された形で書かれていることであろうが、この発堀、解読を期待したい。

———原文 天の岩戸(後)—————————————

ここに高天の原動みて八百萬の神共に笑ひき。ここに天照らす大御神怪しとおもほして、

天の岩屋戸を細めに開きて内より告りたまはく、「吾が隠りますに因りて、高天の原おのづ

から暗く、葦原の中つ国も皆暗けむと思ふを、何とかも天の宇受賣は楽し、また八百萬の神

諸笑ふ」とのりたまひき。……中略……かく言ふ間に、天のコヤネの命、フトダマの命、そ

の鏡をさし出でて、天照らす大御神に見せまつる時に、天照らす大御神いよいよ奇しと思ほ

して、やや戸より出でて臨みます時に、その隠り立てる手力男の神、その御手を引き出しま

つりき。すなはちフトダマの命、尻久米縄をその御後方に引き渡して白さく、「ここより内

にな還り入りたまひそ」とまをしき。かれ天照らす大御神の出でます時に、高天の原と葦原

の中つ国とおのづから照り明りき。

ここに八百萬の神共に議りて、速須佐の男の命に千座の置戸を負せ、また家と手足の爪と

を切り、祓へじめて、一神逐ひ逐ひき。

———-訳 超科学力の成果 地球の復活————————

こうして超空間の摂理を動かして、地上の存在状態の根底をなす法則から顕在的な法則に

至るまでが震動しました。これにより、地磁場は回復をみせ、地球には生気が蘇り、太陽は

わずかに顔をのぞかせるようになりました。次はその太陽光を集光して地上の気温を上げる

努力が結晶体を積載した宇宙船を地球外に飛ばすやり方でおこなわれました。空中の厚い雲

は雨として降り注ぎ、消散していきました。こうして、新しい存在状態が安定したところで、

かつての存在状態に戻ることがないよう通路を封じたのであります。太陽は元のように輝き、

地上は明るくなりました。

大地の守護摂理(地磁場、地かく変動などを支配する理念)は、理念のレベルで爆発的な

勢力を削がれ、不安定な性格を嬌正されて、地上に追放されました。

————————————————————–

復活後の後始末

天照らす大御神が天の岩戸から出てきた後には再び帰還逆行することのないように、出入り禁

上の尻久米縄を張っている。これはイザナギが置いた「塞へます黄泉戸の大岩」と同意義である。

ここには、二つの因果事象の不可逆性を守る規律に従い時空ジャンプした後にとるべき後始末手

続きの必要性を示している。それだけ異次元航法をする宇宙機には因果律を乱さないための規則

が課されていると思われる。

天の岩戸物語を通じて、高天の原と葦原の中つ国の双方が太陽消失の被害に遭っていることに

なっている。この場合の高天の原は、超空間ではあるが、地球史の元となる理念圏の話であり、

タカミムスビ(現象生成のコンピューター)の存在域とは意味あいが違う。既に述べたイザナギ

が身楔のために降りた「中つ瀬」に相当するのである。理念圏の白紙化がおこなわれた結果、世

界は暗黒になっている。それは「実行すべきプログラムが無くなったために光が無い」という超

自然的メカニズム上の出来事なのであり、演ずべき理念が無いことのつじつまあわせが現象上で

は暗黒、凍結、滅亡、その結果としての空自として出現しているのである。この辺はC ・ユング

の心理学が解答を与えてくれそうである。

(八)穀物の種

この物語は、原文としては挿入話と言われている。だが、編者は物語の意義を十分に理解して

いたようである。ここでは、大異変の災禍をかいくぐって知識が後世に持ち込まれたことを示す。

———原文 穀物の種—————————————

また食物をオホゲツヒメの神に乞ひたまひき。ここにオホゲツヒメ、鼻口また尻より、種々

の味物を取り出でて、種々作り具へてたてまつる時に、速スサノヲの命、その態を立ち伺ひて、

きたなくして奉ると思ほして、そのオホゲツヒメの神を殺したまひき。かれ殺さえましし神

の身に生れる物は、頭に蚕生り、二つの目に稲種生り、二つの耳に粟生り、鼻に小豆生り、

陰に麦生り、尻に大豆生りき。かれここに神産業日御祖の命、こを取らしめて、種と成した

まひき。

——–訳 大異変から救出された技術知 識————————-

何度も蒸し返すようですが、かつての高文明は、大工業地帯、大穀倉地帯など様々な生産

の活況を呈しておりました。ところが、その生産物が多様で面白いものであった反面、既に

述べましたように械ないものであったため、大異変がこれを沫殺しました。しかし、それで

は余りにも勿体ないため、隠れた知識者が主として農業を中心とした知識を取りまとめて、

次の時代に持ち越した訳です。

この知識者は民族の開祖として敬われました。

——————————————————————-

変災禍中から知識の救出にあたった賢者の事蹟

オホゲツヒメは穀物の神である。だが古代人は穀物の種類により、様々な生産分野をあらわし

ていた。高文明下にあっては、「カナヤマ」、「ハニヤス」、「ワクムスビ」なども一つの分野であ

ることは現代も変わりがない。「神産巣日」はここでは「神」ではなく「命」であり、高次元的

存在ではないことを示している。それは、 一章で述べた民族の開祖(御祖の命)となった賢者の

事蹟をあらわしているのである。ゾロアスター教でも善神と悪神の抗争期に世界の植物が悪神の

毒で枯渇したとき善神アムルダードがこれをとり、多種樹につくりかえたという。現在みる植物

のすべては、この多種樹から生まれたとされる。(ゾ教の神話は古事記のそれと非常に共通性が

あり、同根であると感ずることしきりである)

(九)八俣 の大蛇

この物語は、大異変の後遺症ともいうべき火山活動の猛威を鎮静する仕組みが古代に知識者の

指示で創られたことを語る。これは新生した時代の当初に宇宙からもたらされた超科学である。

———原文 八俣の大蛇(前)———————————-

かれ逐はえて、出雲の国の肥の河上、名は鳥髪といふ地に降りましき。この時に、箸その

河ゆ流れ下りき。ここにスサノプの命、その河上に人ありと思ほして、求ぎ上り往でましし

かば、老夫と老女と二人ありて、童女を中に置きて泣く。ここに「汝たちは誰そ」と問ひた

まひき。かれその老夫、答へて言さく「僕は国つ神大山津見の神の子なり。僕が名は足名椎

といひ妻が名は手名椎といひ、女が名は櫛名田姫といふ」とまをしき。また「汝の哭く故は

何ぞ」と問ひたまひしかば、答へ白さく「我が女はもとより八稚女ありき。ここに高志の

八俣の大蛇、年ごとに来て食ふ。今その来べき時なれば泣く」とまをしき。ここに「その形

はいかに」と問ひたまひしかば「そが目は赤かがちの如くにして身一つに八つの頭八つの尾

あり。またその身に羅また桧杉生ひ、その文谷八谷尾八尾を度りて、その腹をとみれば、こ

とごとに常に血重りただれたり」とまをしき。ここに速須佐の男の命、その老夫にのりたま

はく、「これ汝が女ならば吾に奉らむや」……中略……ここに足名椎手名椎の神、「然まさば

恐し、奉らむ」とまをしき。

—————————————————————

火山の猛成による良質の土地の減少

追放されたスサノヲは地上圏に降りてくると、守護者の性格をあらわして大地の工作者となり、

民族の英雄となる。彼はまず地上(出雲の国)に流れ込む理念(ひ)の河の上流に何事かがある

ことを知る。河の流れが理念の天下る流路にみたてられていることは「身楔」のところでも述べた。

流れてくる「箸」は「橋」でもあり、理念の存在を伝えるもの、すなわち精神波動の中間領域で

ある。これは「天の浮橋」とも相通ずるものである。

スサノヲが上流に赴くと、そこには苦悩する人類の集合意識(泣く老夫老女および童女)があっ

た。わけをたずねると「八俣の大蛇」という怪物が来て毎年のように娘を喰っていき、今またそ

の時が来たので悲しんでいるのだという。このため、彼は天から降りてきた者であることを明か

して、怪物退治の一計を案じてやるわけである。「八俣の大蛇」とは、目が赤く輝き(赤輝地)、

身一つに多くの山河を被り、腹からはたえず血が流れていた、と形容されるように、多くの火山

を抱える火山帯の象徴である。(図2 ・9)これに対し、娘の「櫛名田姫」は「奇し、稲田」(書

紀)で、良質の耕作に適した土地のことである。

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それまでに多くの娘が食われたというのは、火山活動の猛威により良質の土地が多く火山灰や

溶岩土の下に埋没したことを示しているのである。無機質かつ酸性土である火山灰土では農地

として不適であることは言うまでもない。このような事態を哀れに思った守護者(ここでは天

降した地球外知性であろう)が救助するのだがその方法は超現実的なものであった。信じ難い

かも知れないが、この解釈により古代の遺物や宗教思想の謎が氷解してくるのである。

———原文 八俣の大蛇(中)———————————–

ここに速須佐の男の命、その童女を湯津爪櫛に取らして、御髪口に刺して、その足名椎、手

名椎の神に告りたまはく、「汝等、八塩折の酒を醸み、また垣を作り廻し、その垣に八つの

門を作り、門ごとに八つのサズキを結ひ、そのサズキごとに酒船を置きて、船ごとにその八

塩折の酒を盛りて待たさね」とのりたまひき。かれ告りたまへるまにまにして、かく設け備

へて待つ時に、その八俣の大蛇、まことに言ひしがごと来つ。 すなはち船ごとに己が頭を

集り入れてその酒を飲みき。ここに飲み酔ひて留まり伏し寝たり。ここに速須佐の男の命、

その御侃の十挙の剣を抜きて、その蛇を切り放りたまひしかば、肥の河血になりて流れき、

かれその中の尾を切りたまふ時に、御刀の刃欠けき。ここに怪しとおもほして、御刀の前も

ちて刺し割きて見そなはじしかば、ツムハの大刀あり。かれこの大刀を取らして、異しき物

ぞと思ほして、天照らす大御神に自し上げたまひき。こは草薙の大刀なり。

————————————————————–

天降した賢者の教えた火山活動を鎮めるシステムの創り方

宇宙から来た知識者は、ある種の火山活動を鎮静する具体的な方法を地上の人々に教えてやる。

それは、「汝等、ヤシホリの酒を……盛りて待たさね」に語られている。ヤシホリは「八締火離」

と分解でき、(火山エネルギーを)多くの部分で仕切って火勢を柔げる方法。この部分の意味は、「お

前達、火山帯の活動を鎮めようと思うなら、垣根を張りめぐらし、その垣根にたくさんの問(か

ど(角))を設け、その問ごとに供物台を組み、その上に酒船(逆船)を置いて、ヤシホリの仕

組みを仕掛けて待っていればよろしい」ということになる。

そこで足名椎たちはその通りにして待っていたら、確かにオロチはやって来て、酒船に頭をつっ

込んで酒を飲み、酔っ払って寝てしまった。これは、オロチの動き(火山活動)が活発になると、

この仕組みが自づと作用して弱らせてしまう働きをしてくれるというのである。

この後、スサノヲが大蛇を切り殺し、体内からツムハの大刀をとり出すが、ここにも重要な意

味がある。ツムハは「摘む歯」で去勢の意、この別名クサナギは「隠騒凪」で隠れた暴動の鎮圧

の意、さらに別名ムラクモは、次のように火山鎮静の原理を如実に示す。つまり、雲塊の群らが

る様子のことなのであるが、古代の「雲」という言葉にはただならぬ意味があり、クモのモは、

形をとる基になる要素のことで、今様に言えばエネルギーのこと、これに具体を意味する「ノ」

がつくと物体(もの)を示すと同様に、潜在を意味する「ク」がつくと不可見のエネルギーを示

すものとなる。ちなみに古事記では、空中に水滴によってできる雲を「アメシルカルミヅ」と呼

びその成因を明らかにして使い分けている。古事記に影響を与えていると思われるゾロアスター

教では、これをメーノーグ相にある不可見な物質状態として、形を併うゲーティーグ的なものと

区別している。これは非物質というのではないが、可見な物質状態よりもより繊細であるために

不可見な、いわゆる霊質とか「気」を意味するという。この種のエネルギー状態は古代において

世界共通に知られたことであったようだ。

また、大蛇(火山活動)を切り殺す筋書は先程のヤシホリの説明を再びくり返している。この

ことから、スサノヲが造らせた仕組みそのものが大蛇退治を直接おこなうためのものと考えるこ

とができる。まとめると、火山活動鎮静の原理は、「地エネルギーを細断して無形のエネルギー

の群塊にして取り出す」ということになる。

現存する大蛇退治の驚異的な仕組み

その仕組みが具体的にどのようなものであるかは、言葉を丹念に見ていけば分る。加えて、実

物が存在していればこれほど分り易いことはない。筆者は、これより前に日本列島上におびただ

しく存在する規則的な不可視のライン群を発見している。これは、古来より信仰を集めた神体山、

神社、巨石モニュメント、古来から残る特別な地名、門前町的都市などを結んで得られるもので

あり、特に出雲地方を中心に調べたためか、この辺りに密度が高い。(図2 ・10 表2 ・4参照)

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このライン群に関する意義は後程述べることになるがこのライン群と前述の「垣根」とが同じ

ものを意味するのではないかと思うのである。「酒船」は「逆船」でありちょうど船を逆さにし

たような秀麗な山のことであり、古来より信仰の篤かった神体山は汎そ「逆船型」である。神体

山には後世になって対置するように神社や仏閣が造られたが、もとはといえば「サズキ」たる神

体山を介して高みにおわす神を祭るというものであった。それが形式化と「みたて」の後退によっ

て、社殿式へと遷移したのである。だが基準となる法則は、余程後世のものでない限り、遵守さ

れていると考えられる。

また「門」というのは、「角」であり、線描の交差点のことではないか。それも形の良い直角

というのが本当であろう。うまり、「垣根」も「門」も、このライン群の外観を大局的にあらわ

したものと考えられる。要するにスサノヲが提示した火山鎮静システムの設計図面の特徴を身近

な当てはめ易い言葉に言い直したものと理解できるのである。図2 ・10はそのうちのごく一部分

にしろ表わせていると思われる。だが実物はもっと計算し尽くされた精致かつ細密なものであろ

うし、「出雲」自体西日本の地域にとどまらぬ世界のことを述べたものであるから、全貌を把む

ことなど途方もないことでぁる。

重大発見の裏には重大な裏付けあり

このライン群に関する重大発見は、次の六点であるが、これを応用して引ける多数の平行なラ

インにもやはり重大な符合が見出せる。

一、大和の南北のライン(1)上には、名所旧跡が、ちょうど緯度十分の等間隔で並ぶ。

二、その地点から東西に引いたラインに太陽の道と言われた北緯34゜32’

を含む(6)~(14)がある。中でも(6)は出雲、大山、元伊勢など神体山や神社の集中したラインである。

三、九州斜断のライン(2)は(1)と類似パターンのうえ、地名が等間隔である。(図2・11参照)

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四、ライン(2)およびこれと直交するライン(5)は古事記の「天孫降臨」で裏付けられた確実な証拠

がある。その上、重要な地点が九州上で巨大な直角二等辺三角形の幾何学図形を示している。

ニニギの命が筑紫の日向の高千穂の霊峰に降臨したときの言葉、「此地は韓国に向ひ笠紗

の御前にま来通りて、朝日の直射す……」に韓国、日向、笠紗の三地点が示され、前後併

せると筑紫(福岡)、高千穂もこのライン上の拠点となっている。そればかりか、筑紫―

日向と日向―笠紗が日向で直交して等距離となっているのである。(図2 ・12参照)ここ

で「ま来通り」が直交を意味し、(「巻き」か「真切」か「曲ぎ」の意)重要な測量概念であっ

たことを物語っている。

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五、「ま来通り」を応用して、ライン(2)と志賀島で直交するライン(3)は魏志倭人伝の地名、

恰土(伊都)、松浦(末慮)、そして、須佐の男系の祭社、宗像、出雲を通り、山陰の海岸

線を奇麗になでて、東北方へは十和田湖南環状列石付近にまで至っている。同時にこれは

大和朝延が征服を目録んだ北限を意味していもする。

六、ライン(2)上の志賀―高千穂の線分を7対6の比でとった日向神で(2)と直交する(4)は「神武天

皇の東征」で示される地名を通り、同時にやや小さめの直角二等辺三角形を形成する。(図2 ・12

参照)そこには、東征に関する「計画の高千穂」、「起点の日向(神)」、「筑紫」、そして「宇

沙(今の宇佐)」が二つの三角形で与えられている。

これらは、決して偶然のものではなく、航空写真でも用意しなければ分らない程の地名の設定

をやってのけているのである。通常の測量術でも、山岳の多いこの地方でこのスケールで距離を

出そうとするのは無理と言ってもいい。ちなみに、7対6というのは、この緯度帯における緯度

一度と経度一度の距離の比であり、ライン(2)の角度もこれに一致している。その他のラインにつ

いても意義を揚げればきりがないほどに重要なものが多い。

筆者が明らかにしたのは、ラインの角度であり、これに二種類あることとこれに直交する二種

類のあることであり、これにどのような意味があるのか、これ以外の角度があるのか、日本以外

あるいは緯度帯によって異なるのかといったことに尽きぬ疑間が残る。ただ、等緯度帯のオリエ

ント地方では、 一章図1 ・2で既に述べたように、ライン(2)と一致する角度のラインがシュメー

ルの古代都市の並びにはぼ一致している。これは、歴史的に旧い物を尊ぶ考え方が日本民族渡来

の時に九州の地理に作用したとも考えられる。だが、それ以上に、不可視なエネルギーを生成す

るラインが古代人の直感力で捉えられたとするのが本当のように思われるのである。

大蛇退治の遺構、築山らしい山は西日本の各地にみられる

次に神体山のような山が人工築山なのかどうかという疑間がある。西日本地方は河川の侵食で

できた隆起準平原であり、まろやかな山容がもとより在ったとするのが適切かも知れない。筆者

が地元から兵庫県の中部を調べてみたところでは、この地方一帯にピラミッド群がおびただしく

存在することが分っている。それだけに、神社の数も多く、過去に都が置かれたとしてもおかし

くない風土である。(図2 ・13参照)

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兵庫県氷上郡を中心にして、小高い山波が臨まれるが、この中に意図的に方錘型を目ざしたと

思われる陵線の張り出しのある小山が多く含まれている。エジプトやアンデスのものと基本的に

異なるのは、もとあつた平担な山に手を加えて形を整えたとみられることである。高さは二十m

~二百mほどであり、最多は四十m級である。数は正確には把めないが、県内だけでも百体を下

るまいと思われる。

形態は単独であるもの(最も少ない)、山並添いに東西または南北に連なるもの(多い)、大小

順に階段状に連なるもの(最も多い)、山嶺をふもとでとりまく格好のもの、元の素材が長円型

のためか二段階に構えたらしいものなどがある。(写真1 図2 ・14参照)ただこれらが本当に

ピラミッドと呼べるかどうかであるが、サンプリングして調べたところ、地面と陵線のなす角度

は、二十五度がほとんどで、側面の表出しているものは、ほぼ東西または南北の方向に沿ってい

ることが分かった。また、そのうちの階段状の一例に登ってみたところ頂上に方位石とみられる

岩の一角が見つかっている。現地の山は杉の植林か自然林で立入り難く、一例に滞まったが、そ

の他のものについても同様であろうと思われる。

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角度二十五度が本来のピラミッドの条件に適わないとされるむきもあろうが、エジプトの五十

二度は測量の技法に車輪が使われたためとする説もあるわけで、方錘型が重要であるのみならよ

り安定な二十五度の方が地震国日本にとっては、また砂山だけでも事足りる簡易さから言っても、

本物であるような気がするのである。ゆるやかな起伏に富み柔軟な砂岩質のこの地方の山岳は加

工し易く目的の形にするには都合が良かったと思われる。この一帯では加工物と非加工物の差

がはっきりと分かるので、多くの人が作為性を覚えていることと思う。そして、秀麗な山には

多く、神社が対置するように設けられ、古来より神体山であったことが窺われる。

また、氷上を中心とするマウンド群は既述の南北に引かれるべきラインに沿って帯状に広

がっている。(ラインとは言っても厳密なものではなく、或る幅をもった帯域であることに注

意)この真南には神戸市垂水区の雌岡山、雄岡山の夫婦マウンドがあり、この帯域への飛行艇

の進入灯を思わせるような神体山である。しかもこの地には須佐の男の命が櫛名田姫と連れ

だって降臨し、土地の人々に農耕を教えたという伝説があり、(写真2)このラインが、より

一層大蛇退治と結びつくことがお分かりになる

だろう。(また、地名の類似性についてみると、氷上(ひかみ)は日向神(ひうかみ)に相当し、

中(なか)は那河川(福岡)、春日や二和は九州、奈良とも同じである。また、青垣は古事記で

三輪山と結びつけられて、山に重点の置かれていたことが分るのである。

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さてライン群の関係からすると、このマウンド群の存在は西日本、さらには日本全土に広がって

いると思われる。車窓から気付いた個所として、びわ湖南近江地方にそれらしさを見出している。

——–原文 八俣の大蛇(後)————————————-

かれここを以ちてその速須佐の男の命、宮造るべき地を出雲の国に求ぎたまひき。ここに

須賀の地に到りましてのりたまはく、「吾ここに来て、我が御心すがすがし」とのりたまひて、

そこに宮作りてましましき。かれそこをば今に須賀といふ。この大神、初め須賀の宮作らし

し時に、そこより雲立ちのぼりき。ここに御歌よみしたまひき。その歌、

や雲立つ 出雲八重垣

妻隠みに 八重垣作る

その八重垣を     (歌謡番号一)

ここにその足名椎の神を召して告りたまはく、「汝をば我が宮の道に任けむ」と告りたまひ、

また名を稲田の宮主須賀の八耳の神と負せたまひき。

—————————————————————-

火山活動鎮静システムのその後

原文では、スサノプの命は大蛇退治の後、めでたく櫛名田姫と結婚して出雲の須賀という所に

出雲八重垣なる宮殿を造り、その景観を愛でて歌を詠む。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻隠みに 八重垣作る その八重垣を」

古事記の歌謡の一番目にあるこの歌は、全文が易しい暗号で成り立っている。それは語られて

いることの重要さを繰り返し強調すると共に、古事記自体が一連の暗号化文献であることをほの

めかしていると思われる。

「やくもたつ」は「たくさんの雲が立ち登る」の意で、単に枕詞ではない。(雲はもちろん空

の雲ではない!)「出雲八重垣」は、忠実に訳すと「雲を生成する多重の垣根」ということになり、

先述の大蛇退治の垣根と無関係ではない。さらに「妻隠みに」が「妻を守るために」の意で、良

質の農耕地(櫛名田姫)を保全する意味となるので、かつての垣根と出雲八重垣は同じものを示

していることになる。

つまり、この物語は、筋書きを基にしつつも筋書きを超えて、出雲八重垣の存在により、大蛇

のスタミナが奪われ八雲として立ち登り、そのおかげで妻が守られているという関係を言葉を最

低二回以上繰り返して強調しているのである。このような角度を少しづつ変えながらおこなう繰

り返し強調法は、既に「身楔」~「天の岩戸」を通じて再生の過程を示したり、「神々の生成・

後段」~「黄泉の国」で終末的世界の有様を示したりするのに用いられていた。

さて、歌の解釈を通しておこなうと、「大量の不可視なエネルギーを立ち登らせているエネル

ギー涌出の八重垣は良質の土地を守るために幾重にも垣根をめぐらせて作ったのだ。どんなもの

だ、八重垣の威力は」となる。ちなみに歌末の「を」は、古典字引きに載らない「力」を示す

接尾語である。

結論として、出雲八重垣とはマウンドを基調とした線描であり、容観的に垣根に見えるものの

ことである。これが地エネルギーを無作用なものに変える大域的なエネルギー変換網を形成して

いるというわけである。要所(門)に置かれた山やマウンドを個別にみれば、エネルギーを変換し、

分散する極ということになるが、それは山の名前に顕著に表現されている。三輪山は、「倭青垣

の東の山」とされる八重垣の重要拠点であり、別名、御諸山というが、「みわ」は充足するパワー

のこと、「みもろ」は相を変転するの意があり、 エネルギーコンバータというわけである。兵庫

県の三室山も同義である。古代人は決して思いつきや勝手気ままでなく、機能するところに応じ

て適わしい名前を付けているのである。(みわ=満。力、みもろ=満・面・転)こうして、先述

のライン群にも、「出雲八重垣」と命名できた。また、「出雲の国」とは、エネルギッシュな国と

いうことになり、島根県にとどまらない不特定な大域を示していることがお分りになろう。

出雲八重垣は、大蛇退治をおこなうシステムであり、基盤になるマウンド群が破壊されない限

り半永久的に動作し続けるはずのものである。古代知識人の努力は、これが破壊されないことの

ためにも払われた。 一つは神体山として祭り、禁忌の場としたこと であり、いま一つはそれ自体

墳墓化して慰霊の場とし、後世の人々の良識に委ねたのである。だが現代ではそのようなこと

も忘れ去られて、かってのスサノヲがしたような田や畔を壊し、溝を埋めるような行為を繰り

返している。それを「より良いことをしているのだろう」と決め込んで黙認した結果大異変が

起っていることも既に述べた。システムがどこまで持ちこたえるか、心配なことではないか。

(写真3)

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人類は地球の主人ではなく番人であった

さて、八重垣システムの製作に関して、スサノヲは計画立案し、製作は主として足名椎手名

椎たちにやらせている。だが彼等の関係は、為政者と民のそれではない。なぜなら、この後に

スサノヲは足名椎を召して宮殿の管理人(宮の首)に任命しているからである。つまり、スサ

ノプは、文明のれい明期に世界の各地に突然人々の前に現われて

有用な知識を授けて後を託して立去った賢者に相当し、足名椎たちはそれ以

降「みたて」に秀でることになった古代人なのである。先述の雌岡山のスサノヲ降臨伝説ともこ

うして符合するわけである。ちなみに、「足名椎、手名椎」とは「土ならし」の意味であり、機

能するところに応じて付けられたプロジェクトテームの名称であったことが分る。また、「八耳(や

つみみ)」とは、たくさんのマウンドや巨石碑のことである。

ところでいま一つ、スサノヲはもはや居ないのかどうかということにも、触れておこう。スサ

ノヲは表向きの支配権を譲ったのであり、彼自身は櫛名田姫すなわち有用な大地と共に居て、シ

ステムの効果的な動作をみそなわしているはずなのである。ずばり言うと、スサノヲは国神かつ

地神であるが、ここでは天降した者すなわち宇宙人なのである。スサノヲの経歴からすると一担

地球に居て、宇宙に往き、そして戻ってきたとするのが適切かも知れない。すると、かのイザナ

ギの脱出の時に救済された人々が温情的に戻ってきて啓蒙活動をしたのかも知れない。この辺の

話は全く推測の域を出ないのである。

だが、とにかく私達は私達人類だけで地球を牛耳っていると考えるのは大間違いである。私達

は未だに大地の管理人(番人)の末えいであるにすぎないことに注意したいものである。それは

キリスト教の教義の中心的認識と同じ意味あいに帰着するのである。

火山鎮静システムの活在を示す証拠

現在でも判別がつくスサノヲの企画、これはその遺構の存在と共に火山活動鎮静が今なお行な

われていることを示すものである。このシステムの効果、実在性は、一方で火山活動抑制の効果、

もう一方で涌出してくるエネルギーの作用の痕跡を調べることによって分かるだろう。だが、前

者はスサノヲ以前のデーターが無いと比較できないし、後者も不可見であるというのでは手の施

しようがないという感がある。だが、いささか気味の悪い話かも知れないが、前者は自然破壊が

促進された結果として、近未来に効果の中断としてあらわれてくる可能性がある。また後者も従

来の科学では説明できないようなところに現象が吐出している可能性がある。

まず、効果の面からすると、日本の全域、特に西日本に多く火山活動の抑制がなされているこ

とになるが、中国、四国、近畿に著しい動きがなく、白山火山帯が存在しているとはいえ、大人

しいのはこの理由によりはしないか。日本の他の地方も決して著しくはない。

しかし、近頃、山野は宅地造成や海岸埋立ての名目で乱開発を受け、古代智に基づく多くの有

用なマウンドが破壊されている。これが原因となり地殻変動期が再来する可能性が増大している

のである。最近、地震学者により日本の火山帯が活発期に入ったと報告されているのも、決して

無関係ではない。数千年前から、有珠、御岳と噴火し、つい一年前には兵庫県北部の神鍋山で地

熱上昇による避難騒ぎがあったが、この辺りはシステムの心臓部なのであり、八重垣が衰えをみ

せている証拠と考えられる。エドガー・ケーシーは近未来の日本海没を予言しているが、あなが

ち虚構であるとは思えない。既に三・(七)節で述べたように神話は幼ないスサノヲの暴挙に仮

託して、後世の無知に基づく乱行を強く戒めている。古代智に基づくシステムの効果の証拠を把

んだ時には既に手遅れであることに注意したい。

次に、不可見なエネルギーによると考えられる現象を揚げると、第一にUFO現象がある。目

撃されるUFOの多くは宇宙人の乗物ではなく、放出エネルギーの光物質化現象であろう。地球

外知性は確かに居るが、人間の願望、偶然、過剰エネルギー放出などで引起されるものも多いの

ではなかろうか。

例えば元伊勢の外宮には節分の夜毎に青白い光塊が立ち登るので、「龍燈の杉」と名けられた

神木があり、ここから南の神戸市の丹生山には、瀬戸内海をゆく船が暗夜で航路を見失ったとき

に丹生明神に祈ると灯明をともすと言い伝える「灯明杉」なる神木があった。これらは、システ

ムのラインに沿って起るエネルギー放出によるものだろう。それも地震の場合に似た周期性を伝

承のうちに伺い知ることができる。地エネルギーとしての元の性質を端的にあらわしているのだ。

また、地震の予兆として起ることのある山の発光現象や稲光りなども同様の理由であろう。ちな

みに火山エネルギー等に関して次の等式が成立つと思われる。

地の歪エネルギー=システム変換エネルギー(無形)十地震・火山エネルギー

システム放出エネルギー=不可見なエネルギー+光物質化エネルギー

このエネルギーは、最もオーソドックスな電磁エネルギーに変化し易いのである。

また、放出エネルギーは、ライヒのいうオルゴンやヨガでいうプラナと同じものかも知れない。

ライヒは、オルゴンを雲に照射して穴を開ける実験結果を得ているというが、規則正しい網目模

様や平行線を描くという地震雲は、システムのラインのパターンの反映と考えられなくもない。

また、日本上空の雲の出来具合いが図2 ・10のラインに平行した格好になり易いことが「ひ

まわり」の高空写真を調べると分る。図2 ・15右は冬に多いパターンであり、季節風の吹き出

しによるとされているが、天気図の等圧線との関係がほとんど無いから奇妙である。また、図

2 ・15左は偏西風によるとされているが、この角度より平担なものが少ないのはなぜだろう。

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また、オルゴンも、プラナも生命体に有用であり、特に意思力に反応してその実現を助ける

役割をもつと言われている。これを肯定するように、垣根の節目には神社、霊峰、都市などが

ある。神懸りのし易さ、超能力開発、精神修養のために有用な霊気が豊富であることから神社

造営の地が選ばれ、修験者の行場となっていると考えられるし、動植物の生育の良さや思考活動

のし易さ、ひいては住み易さのゆえに人々が本能的に集まり、都市を形成するに至ったとも考え

られる。また、先程の「灯明杉」はエネルギーが意思力(祈り)に感受することを示していた。

ところで、古代人はこれ程のエネルギーを利用しなかったであろうか。ヨーロッパのメガリス

には神秘的な力が認められるため異様な名前をもつ巨石が多く、触れると痛みを覚えたり、治病

力をもつものもあるといい、石の形質、配置などにより様々な形態でのエネルギーの取り出し方

が可能となっているようである。また伝説上のオリハルコンという自ら光る石や巨石加工、運搬

法などはこの実用化の例ではなかっただろうか。また、巨石碑特有の磁気異常、これも未知のエ

ネルギーのベクトル成分として表出しているのではないか。

巨石建造物は巨石の組合せにより、マウンド等から放出されるエネルギーを目的に応じて導き、

流動せしめる機能を持つと考えられる。石土造のマウンドなどがシステムを担っている以上、同

類の巨石碑も何らかの効果を持っていなくてはなるまい。さて、人工であるか天然であるかは別

として、先程のいのラインに沿ってある恵那峡および上流の苗木城はメガリスである。このライ

ンは、実は地元のUFO研究家によって、UFOの通り路と言われたほどの発光体の出没ライン

なのである。これは、かの二輪山に接続している。筆者の考えでは、これは線上の各拠点がちょ

うど真空管のカソード、グリッド、プレートのような機能を相補し合い、地表上でのエネルギー

的均衡を保ち、この結果、地殻内部をなおも安定にしていると思われる。それはあたかも針灸に

より表皮に刺激を与えて、内臓の具合いを良くする方法に似た効果なのではないか。これは、古

代人の利用というよりは地球的規模の大目的利用であるが、似たような方法が農耕のために用意

されていたようである。

西日本各地から大量に出土している銅鐸は、巨石と同様に補助的役割を果していたと考えられ

る。土地は外観的に同じでも場所によって耕作に適不適のあること(イヤシロチとケガレチ)は

知られている。この原因はこのシステムのもたらす波状的なエネルギー過不足によるだろう。そ

の局地的是正に用いられていたのが銅鐸、銅剣などでありはしなかったか。こうすれば銅器がな

ぜ土中に埋められる筋合いのものであったか、その謎の一半は解明できるものと思う。もしそう

なら、銅鐸は堀り出したままにせず、元あった場所に埋めておくのが本当であろう。付近の農家 頼

は知らずして迷惑を被ることになっているはずだ。

まだまだ、我々の知らないエネルギー理論はあるに違いない。古代人は石土造建造物に感覚以

上のものを見出していたことは確かであり、さもなくば世界各地に残されたマウンドやメガリス

に対して情熱をかけた古代人の努力が何の意味もなさないばかりか、永久的に未知の扉に閉ざさ

れてしまうだろう。古代人は共通して「みたて」の民族でぁった。しかし、「みたて」の基になつ

た知識あるいは超感覚は本物であったと思うのである。無形なエネルギーは有形な資源へと変換

されれば、地球が保証する無尽蔵なものとなりうるが、我々の科学がその域に達することはまだ

まだ難かしいと言わねばならない。

古代山城は超古代マウンド造営の模範例

ところでその後このマウンド造営を物語る証拠が、NHK総合TVの「知られざる古代」という番組で放送された。

主題は古代山城として採り上げられた西日本に散在するマウンドのことである。

それらはいづれも山の頂上付近に神籠石(こうごいし)なる摩かれた石材を列石に組み、その上に土を盛っ

て、これを隠すという(図2 ・16)、いわゆる版築という方法で土塁が築かれていて、山の名も、鬼の城(きのじょう)と

か石城山(いわきさん)とか「キ」という音を含む特徴をもつという。またこれらの山は古来よ

り信仰を集めた磐座を頂上にいただく神体山であつたことも知られている。

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筆者の考えでは、この神籠石なる石垣こそ、スサノヲの発言にあった「サズキ」(供物台)を

意味すると思われる。石垣に組むことを「サズキを結ふ」と言ったのだ。そして、これは逆船形

に土盛りがされて隠されたのである。丹念に磨いて作られた石がどうして最初から土中に埋めら

れる筋合いのものであったか、その一見不合理にみえる築山法の真相こそ、八重垣という大目的

のためにあったことを証し、我々の知り得ないエネルギー理論に根拠されたものであることを示

している。また、山名に「キ」のつく理由は、「サズキ」が「捧げる城」(授城)を意味すること

からきているようである。

ところで、筆者は、この例として岡山県総社市にある「鬼ノ城」に行き、 いま一つ異なつ

た発見をした。筆者の考えでは、「鬼ノ城」の構造は、土台をなす三メートル以上の巨石が土

中深く塁々として築かれていて、その上に土砂が盛られ、なおも一メートル以下の小さな石が

石組みとして山頂をとりまくょうな格好で築かれ、なおもそれに砂がかぶせられたという感が

した。つまり、時間とスケールを異として二世代のものが同居しているという具合いなのであ

る。(図2 ・17)

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これと良く似た例で、小岩の方が無いものを、中部地方、恵那峡上流にある苗木城(なえき)

にみることができる。ここも「キ」が付く名であるが、戦国時代に地の利を生かして山城とし

て利用されていた記録はあっても、古代山城ではないようだ。っまり、日本古代のれい明期に

築かれたものこそ、第二世代の小岩群であって、第一世代のものは、もっと前に存在したのでは

ないかということだ。そもそも苗木城の場合の大岩は、直径四~五メートルもある巨岩であり、

運搬できる筋合いのものではないっこれこそ、スサノプが為した功業というべきではなかろうか。

また、苗木城がもと神体山でぁったことは、この真北にある丸山神社が物語っている。境内に

は蛙や恐竜を型どった奇岩がみられる異様な辺つ磐座をかもしている。(ゾ教との関係も深いよ

うだ)このような、巨石組みの山は、日本の随所に存在すると思われる。これに対し、小岩組み

は民族の伝搬に併う後世のものだから、西日本に限られると考えても良いだろう。

また、いま一つ、スサノプの言葉は、小岩群にも生きているのである。巨石群でみた言葉の意

味づけと小岩群のそれの関係は図2 ・18のように示せる。これは一種の縮図化現象である。「垣」

を石垣としたなら、「サズキ」に相当するものも現地に存在していて、山頂に向けて設置されて

いる。「酒船」もかつてその上に置かれていたものだろう。

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だがこれは後世のものであり、周りにはそれより以前のものが土台を形成しているのであり、

時間的に大きく二段階にくびれて相似形に縮図化されているのである。(それがなおも後世には

神道で用いられる木で結った「サズキ」へと転進している)それはまるでギリシャ神話でいえば、

チターン時代から現時代に移った同一思想のものをスケールを縮めて重畳しているといった具合

いである。我々の時代の古代は、より古代のスケールの巨大さに圧倒されて縮図化してしまつて

いるという感が否めない。すると、この小岩群は、もとあった実用的なものの名残りをとどめる

ために模倣して作られたものかも知れない。

ここに次表のような世代的変遷をみるのである。

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地球的規模の大改造事業

ブルース・キャシーによると、不可視なエネルギー網がある種の数学式に従って地球上をとり

まいているという。彼は、ヨーロッパのメガリスや、バミューダの謎の海域の位置などがこの計

算によって割出せるといい、UFOの出現が網の交点に集中することから、UFOのエネルギー

補給網の可能性を説いている。筆者はその計算式が未だによく分らないが、もしかしたら、例の

ライン群との一致が見出せるに違いないと思っている。そればかりでなく、八重垣の設計原図に

より近いものが期待できるだろう。

出雲八重垣がUFOのエネルギー補給網であるなら、宇宙人は地球を基地にする目的で事業を

おこなっていたのかも知れない。だが、地球上の生命系を同時に安んずるなら、このような地球改

造は一石二鳥以上の大事業であったことになる。そして、その一環として古代人の啓蒙をもおこ

なっていたのであろうか。

大昔、天は非常に低かったが、エジプトのシュー神はこれをもち上げて高くしたとい

う。日本のククノチ、アマンジャク、ギリシャのチターンも類型である。これらは生命を育

くむ星「地球」の改造事業を物語っているようだ。

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古事記に書かれる限りでは、出雲八重垣なるエネルギー網は、地殻のエネルギーを

柔らげるべく、須佐の男に象徴される宇宙人乃至は賢者が企画し、足名椎手名椎とい

う優れた造成プロジェクトチームを古代人の間で組織して、八耳なるたくさんのマウ

ンドを築いたというのである。西日本各地に残る鬼の塚造り伝説は、この事実が素材

になっていると考えられよう。

この事件は今から一万三千年も前のことである。それが今から二千年前の古代日本

のれい明期の日本先住民族に縮図化されて

反映している。縮図化された事件についてはまた三章で詳しくしょう。

(十)須 佐の男の命の系譜

須佐の男の命の系譜は原文、対訳ともに省略する。この節では須佐の男の大地の工作者として

の後嗣を継いで、治山、灌漑、農耕に関した表現がおこなわれている。しかし、その表現は、意味

不明なものが多く、書紀、風土記を参考にすべきものもある。また分るものについては、スサノ

プの系譜らしく、スケールの大きなものであることが理解できる。事業のジャンル別に次に解釈

を施してみる。

———————————————————–

(治山)

オミヅヌの神  八束水臣津野(書紀) 各地からマウンド造りの材料となる土砂を運んできた

プロジェクトのこと。特に平地を堀り起して後の農業用灌漑池としたので、水に関係した名がつ

き、山神、土木神であると共に農耕神の性格をもつ。

フノヅノ神  威力ある角型のマウンド、すなわちピラミッドもしくはそれを造ったプロジエク

トのこと。

フテミミの神(太耳)  エネルギーを蓄えた巨大なマウンドもしくはそれを造ったプロジェク

トのこと。エネルギー変換量は恐らく、マウンドの大きい方が多く、形は平山よりは方錘型の方

が効率が良いのだろう。

(灌漑)

日河姫  川の水が干上っている様子を示す。

深淵のミヅヤレハナの神  深く水をたたえ、必要な時に放水する灌漑池すなわちダムである。

(農耕)

大年の神  長い年月をかけて植物が成育していくことを示す。

刺国大、刺国若姫  狭い耕地をしだいに開拓し広げていくことを示す。多い段々畑。

大国主の神、オホチムヂの神  広い農耕地を得た古代人を示す。

アシハラシコヲの神  地上(葦原)を(とり)仕切る力をもった古代人の形容。

ヤチホコの神  大量の銅鉾、銅剣のこと。時として戦闘用に、主として祭祀用に使われた。

ウツシクニタマの神  鋼鐸のこと。祭祀に使われた。「フテミミ」や「フノヅノ」がその形の

中に込められている。

—————————————————-

超古代の志を縮図化した銅器

銅は古来より、物事を映す鏡と考えられた。銅鏡は、物の実像を映すものと、物の精神(理念)

を映すものがあり、主として、後者の役割が大であった。

銅(器)のことを古代人は「ウツシ」と表現していただろう。その意味は「理念が反映して現

実の姿を取ってあらわれたもの」であり、その指す対象は非常に広範囲かつ不特定である。たと

えば「ウツシクニタマ」とは「大地の精神を反映した実物」であり、農耕民族そのもの(オホク

ニヌシ)をみたててあり、かつ(大地の工作者スサノプの造らせた)神体山をみたててあるわけで、

それを縮図化した銅鐸が代表物として作られたのである。

また、オホクニヌシの別名、ヤチホコは確かに諸説でいうところの幾多の戦闘をあらわしてい

る。だがそれがみたてられた仮物として銅鉾が造られているのである。この銅鉾は実際に斬り合

いには使われず、祭器であった。

銅剣、銅鉾は、統治力の精神を反映するとされた。それを適当な土地に埋めて、平治、戦勝、豊

穣の祈りを涌出するエネルギーに託すわけである。銅器は不可見な領域と古代人の精神をつなぐ

「みたて」のシンボルであったのだ。そしてこの種の「みたて」がいかに理念の領域に影響をも

つものであるかは、種々の瞑想学で取り沙汰されていることである。

銅鐸は農耕の原点である秀麗な山容を型取り、同時に既述の一定の機能を満たすべく設計された利器であっ

た。そこに描かれる流水紋、渦水紋は、不可見なエネルギーの効果的な流れを意図するものであり、それが現象

上の水の流れにみたてられ、どちらも共に重要視されたわけである。狩猟、農耕関連の図柄は、やはリエネルギー

の流れに託して豊穣を祈願するものである。また、時折、

男女二神が流水紋の起点に描かれているが、これは八重垣システムを見守るスサノヲ、櫛名田姫

であると同時に、後述する大国主の命、スセリ姫でもある。そしてまた、水源の神としてもみた

てられている。

銅器は以上のように超古代の表わし難い事実をなぞらえて表現する手段として古代人の間で用

いられているいわば一種の縮図化された事物なのである。それは、ほとんどの場合祭祀という形

態でのみ用いられた。その祭祀というのも、エネルギーをコントロールするという実際上の効果

を併ったものである以上、この民族(弥生民族)にとって銅器信仰がすたれることはなかったは

ずである。

[大国主の命に関する物語]

前節のスサノヲの系譜のうち最後に登場する大国主の命に関する物語がここから始まる。大国

主の命は、スサノヲの築いた偉業を引継ぎ農業を主軸として地上を支配していく新しい民族のこ

とである。かつての大変災で人類は新規巻き直しをはからねばならなかった。今にいう旧石器時

代をからくも演出していた人々の前に、かつてあつた知識のいく分かをもたらす賢者があらわれ、

風俗を正し、秩序を与え、農業の仕方を教えた。それを忠実に守ったのが後の大国主となる民族

である。彼等は他部族との闘争や当時活発であった火山活動に苦労してとても伸長できない状態

であったが、賢者が援助に訪れ火山鎮静の方法を教え、出雲八重垣を作らせた。これにより安定

した基盤が保証され、また戦闘手段も確立し、こうして他の民族を撃ち払い征服し、大地の支配

者と言われるに至ったのである。それは実に長い期間存続した。その間に国家の存続が危くなる

つど宇宙から援助がさしのべられたからである。

この歴史的事実は今から一万一千年前~八千年前の出来事であると考えられる。(縮図化は紀

元前数世紀から紀元二世紀頃にかけての日本史上の弥生時代にみられる)

(十一) 因幡の自兎 農耕民族の台頭

この物語はおなじみであり、原文、対訳、語訳を省略する。大国主の命には兄神が多く居たが、

みな土地を大国主に譲っている。これは、農耕を始めたのが特定の部族だけで、外辺部族は個別 哺

に共同体を営む狩猟民であったことを示す。そして、これらをやがて統一するのが農耕民族であっ

たというわけである。

兄神たちは、大国主を従僕として扱うが、大人しい農耕部族であればそれも仕方がない。やが

て時が進めば、今度は迫害に変わってくるのであるが、それは大国主の力が増大したからと言え

よう。

兎は地質の象徴である。当初、土地(兎)は火山など(鰐)によって痛められていた。そこに

海水の侵入等があってそれが去った後には岩塩が吹出したりしていた。それが八十神に欺された

兎で示されている。そこで、大国主は「蒲の花紛を敷く」に語られる有機的な土質改良方法を施

したという過程が示されている。

「いなば」は「稲場」であり水田地帯のことである。また、「八上姫」は、多くの部族の頭と

いう意味で、多数の部族が支配権を争ったことを示している。そしてその頭の位を得たのは、最

終的に大国主であった。

(十二) きさ貝姫とうむ貝姫

農業を主体にする民族は同じ土地に定着し、やがて都市をつくり繁栄する。これに対し、狩猟

民は定地をもたず、強力な共同体を作り難く、勢力的に劣勢に立たされる。このようにして、農

耕民族が文明の主導権を握っていったことが前節には語られていた。この節は、それを受けて農 岬

耕民族を襲った幾多の試練について語る。

——–原文 きさ貝姫とうむ貝姫———————————-

かれここに八十神怒りて、オホチムヂの神を殺さむとあひ議りて、ハハキの国の手間の山

本に至りていはく、「この山に赤猪あり、かれ我どち追ひ下しなば、汝待ち取れ。もし取ら

ずは、かならず汝を殺さむ」といひて、火もちて猪に似たる大石を焼きて、転し落しき。こ

こに追ひ下し取る時に、すなはちその石に焼きつかえて死せたまひき。

ここにその御祖の命哭き患へて、天にまゐ上りて、神産業日の命に請したまふ時に、きさ

貝姫とうむ貝姫とを遣りて、作り浩かさじめたまひき。ここにきさ貝姫きさげ集めて、うむ

貝姫待ちうけて、母の乳汁と塗りしかば、麗しき男になりて出であるき。

————————————————

農耕民族にふりかかった試練

「きさ貝」は「消・去・隠・火」、「うむ貝」は「生む隠火」で、農耕民族や農地の崩壊と再生

を意味している。民族は他民族(八十神)との抗争で生滅をくり返し、また農地は火山の猛威に

破壊され、再び築き直されたわけである。こうして幾度となく民族と土地の世代文替がなされた

ことを示す。

(十三) 根の堅州国 農耕民族への八重垣システム 運用法の伝授

八十神の大国主に対する迫害が繰り返されて彼の死と再生が繰り返される。御祖の神は、終い

には大国主が滅ぼされてしまうことを按じて大国主にスサノヲの許に行くよう勧める。彼はその

通りにして行ってみると、スサノヲの娘スセリ姫が応待し、スサノヲに報告する。スサノヲは彼

を蛇の部屋やムカデの部屋に入れて彼を試練する。彼を慕う娘スセリ姫は試練を難なく済ますこ

とができるように蛇のひれやムカデのひれを授ける。彼は、蛇などが害しようとすればそれを振っ

て追い払い、無事難関をパスする。

その後もスサノヲは彼を焼き撃ちにかけたり、頭に巣喰うムカデを取らせようとした。だが、

ネズミが安全なほら穴を教えたので焼き打ちを免れ、スセリ姫の策でムカデ取りを赤土の色でご

まかしてすっかリスサノヲを信用させることに成功した。寝入ったすきに、大国主はスサノプの

髪を部屋の柱や巨石にゆわえつけ、大神の所持する大刀弓矢などを奪って、スセリ姫と共に逃げ

ていく。気がついたスサノヲは黄泉比良坂(根の堅州国と現世の接点)まで追いかけるが、はる

か遠くをすでに大国主は走っている。そこでかつてイザナギ、イザナミがやったように事戸を大

国主に大声で言い渡す。その内容は、大刀や弓矢で八十神を撃退し、大国主の神(本当の国土の

支配者)としてスセリ姫を正妻にし自分にかわって宮殿を建てて国土経営をおこなうがいいとい

うもので、やはり時代の接点を境にした理念の世代交替を示している。

こうして、大国主は八十神を打ち払って国土経営を始める。先の八上姫は正妻スセリ姫に遠慮

して、生んだ子を木の俣にはさんで帰ってしまった。この子を御井の神という。以上ここまでが

この物語のあら筋である。

この章は八重垣による治山効果が発揮されるようになってから、スサノラから大国主へと国土

支配権と八重垣システムの効果的運用法の伝授がなされたことを示す。ここでスセリビメとは火

勢が収束する意味をもち、出来上った八重垣の一通りの効果が確かめられた頃あいを示している。

大国主とは、地上の支配者としての権利を得た古代人であり、ギリシャ神話ではクロノスに相当

する伝説上の農耕民族である。彼に授けられた運用法とは、「蛇のヒレ」、「ムカデのヒレ」で表

現されるもので、「蛇」は既出の火山のこと、「ムカデ」とは火山の断面図のマグマの有様の形容

であり、どちらも火山活動に関連している。

この中で「ヒレ」とはひらひらする布のことであるが、実は既述したエネルギー発光現象のこと

なのである。これが盛んになることは、それだけ八重垣のエネルギー変換が能率良く進んでいる

ことを示し、火山の動きも抑えられているわけである。ここでは大国主が効果的な祭祀の仕方、

奥義といったものを伝授されたとすべきであろう。また、マグマをみたてた赤土を用いる呪術的

方法も伝えられたようである。後世の埴輪は赤土に霊力が宿るとして盛んに製作されている。さ

らに、スサノヲはいくつかの試練を与え、火山活動そのものに古代人が慣むようにしむけ、引継

ぎを果たすという筋書きとなっている。

さて、根の堅州国とは一体どこであろう。黄泉比良坂が出てくるので、黄泉の国と同じという

説がある。古代人は確かに両者とも地底にあると考えていた。だがその原型は明らかに異なる。

後者は死者のなおかつ生存する次元的に地下の世界であり、前者は生者の隠れた世界である。つ

まり、根の堅州国こそ、真に地下の世界なのである。それは「ネズミ(根住み)」すなわち地下

に住む者が、大国主を洞窟に導いたことにも表わされている。そしてまた、スサノヲの住居が、

マグマの間にあることなども示されている。(頭にムカデが巣喰っているのだから)現今の地底

文明説も真実をうがっているように思われる。マヤ族が一瞬に消えた世界、ラマ教の僧院から通

じるという世界、それらは同じ場所ではあるまいか。そこには人類の成りゆきを温情的に見守る

聖者の住むシャンバラ伝説もあり、それこそかのスサノヲの居る根の堅州国に適わしいだろう。

また、御井の神とは、「三井」、「御井」といった地名の元になっている神である。それは川の

二つの本流の合流点に栄えた古代都市国家を示すものと考えられる。そこは農耕の中心地でも

あったし、全部族の頭(八上姫)の産んだものとして適わしい。

(十四) 大国主の神、大年の神の系譜――農耕文化 全盛時代の様相

この物語については、原文および対訳を省く。「大国主の神の系譜」の後に「少名毘古那の神」、

「御諸の山の神」の物語が続き、その後に「大年の神の系譜」が語られるのであるが、この両系

譜は農耕文化全盛時代の風俗、技術、栽培作物(あるいは政治)などを示すものであるため一括

してとりあげ系譜で区分して諸神の解釈を施すことにする。

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(十五)少名毘古那の神

大国主の時代に地球外知性が訪れ国造りの援助をして去つていったことを語る。

———原文 少名毘古那の神——————————-

かれ大国主の神、出雲の御大の御前にいます時に、波の穂より天の輝身の船に乗りて、ヒ

ムシの皮を内はぎにはぎて衣服にして、寄り来る神あり。ここにその名を問はせども答へず、

また所従の神たちに問はせども、みな知らずとまをしき。ここにタニグク白してまをさく、「こ

はクエビコぞかならず知りたらむ」と白ししかば、すなはちクエビコを召して問ひたまふ時

に答へて白さく、「ここは神産業日の神の御子スクナビコナの神なり」と白しき。

かれここに神産業日御祖の命に白し上げしかば、「こはまことに我が子なり。子の中に、

我が手俣より漏きし子なり。かれ汝アシハラシコヲの命と兄弟となりて、その国作り堅めよ」

とのりたまひき。かれそれより、オホチムヂとスクナビコナと二柱の神相並びて、この国作

り堅めたまひき。然ありて後には、そのスクナビコナの神は、常世の国に渡りましき。かれ

そのスクナビコナの神を顕し白しし、いはゆるクエビコは、今には山田のソホドといふもの

なり。この神は、足は歩かねども、天の下の事をことごとに知れる神なり。

—————————————————–

農耕文化時代の宇宙からの援助

スサノヲより国造りの手ほどきを受けてから後も他系世界から協力の手がさしのべられた。

スクナビコナは、天のカガミ船すなわち光輝やく船でやってきたということと、蛾の皮を思わ

せる衣服を着ており、背丈が小さかったという姿からスサノラとはまた違うタイプの宇宙人で

あったと考えられる。名を問うて答えられなかったのは言語の違いによるのだろう。そこでタニ

グク(谷潜)という峡谷に住む知識者に問うたところ、クエビコ(朽壊日子)なら知っていると

いう。これはやはり老境の賢者であろう。恐らく古い過去の知識を扱い、長い歴史の変転を知っ

ていた者と思われる。彼は友好を示して来た宇宙人と農耕民族の橋渡しをしたことになった。

ここでいう「神産巣日」は地上からみると隠れた世界である宇宙文明を示し、スクナビコナは

その一組織であることを物語っている。そしてしばらく協同作業をして、役割が終ると、彼は再

び宇宙(常世の国)に帰っていったというのである。

この結果、前述の「大年の神の系譜」にあるように、霊妙な科学のもとに堅固な知恵の統治体

制が確立したわけである。

(十六) 御諸の山の神

この節では、少那毘古の去った後、また別の地球外知性が訪れ、八重垣システムの効果的利用法

を教え、地上民族だけで独立して国土経営ができるように図らったことを物語る。

——–原文 御諸の山の神————————————-

ここに大国主の神愁へて告りたまはく、「吾ひとりして、いかにかもよくこの国をえ作らむ。

いづれの神とともに、吾はよくこの国を作らむ」とのりたまひき。この時に海をてらして寄

り来る神あり。その神ののりたまはく、「我が前をよく治めば、吾よくともどもに作り成さむ。

もし然あらずは、国成り難けむ」とのりたまひき。ここに大国主の神まをしたまはく、「然

らば治めまつらむ状はいかに」とまをしたまひしかば答へてのりたまはく、「吾をば倭の青

垣の東の山の上に斎きまつれ」とのりたまひき。こは御諸の山の上にます神なり。

—————————————————————

「祭り事」の本義を教えた宇宙人

地球上は厳しい自然環境であるために、知識は容易に風化していくのであろう。再び国土経営

に陰りがみえはじめた時、宇宙から再び使者が来た。それは、かつてスサノヲが築かせた八重垣

システムを再認識させるための役割をもった宇宙人であったようである。

かつての大国主へのシステム運用法の伝授は、ただ火山活動の鎮静に関するものであった。そ

の時は火山の鎮静が当面の課題であったからであるが、すでに安定期を迎え、多くの耕地が得ら

れている時となっては、第二の運用法というべきものの方が望まれたわけである。

既に述べたように、不可見な八重垣エネルギーはUFOのエネルギー補給に用いられるばかり

か、自然界の多くの生命が利用している。その中でも最大のものは人類であり、彼等のもつ意思

力によって有効な用いられ方をしなくてはならない。このエネルギーは意思力に感応して容易に

具体的力をもつに至る。この宇宙人はそのことを教えるために、自ら御諸の山に鎮座し、システ

ムの動作が祈り(祭ること)によって補完されることを示したのである。

人々が御諸の山に託して鎮護国家や豊穣を祈れば、エネルギーはその具体化を目指して働いて

いくという訳である。御諸の山は既に述べたように三輪山という特定した山ではない。それは津々

浦々にある秀麗なマウンド(神体山)のことである。

この時代は、次から次と宇宙から具体的な援助がもたらされ、良い知識が導入された。それも

当時の古代人にとって適わしい農耕を主体にした素朴な知的介入であった。このような形で安定

期を迎えた大国主の時代は人類の黄金時代と称されても不足は無いだろう。スサノヲによるマウ

ンド造りが今から一万三千年前、引継いだ大国主の時代が一万一千年前~八千年前と考えら

れる。

古代日本における大国主の時代の縮図化

筆者は、明確な年代を申し上げたが、これは地球史の大枠で申し上げるものである。ところで、

紀元前数世紀から後数世紀の日本古代史にも今までみてきた大国主の文化が適用できる。すなわ

ち弥生時代と呼ばれた頃であり、銅器が使われた。また世界の有史以降を考えても、オリエント

時代から農耕文化があり銅器が用いられている。こうすると、何も超古代に神話の起源を持って

いかなくとも良いと思われるかも知れない。確かに神話は部分的にその傾向がある。そのかわり、

スサノヲも、これから出てくる天つ神も、多少意味あいの異ったものとなってくる。これは、古

事記がどうにでも解釈できることを言っているということではない。既に言明したように、神話

は理念の世界の出来事を示すという特殊な事情によるからである。

理念はやがて具体化するが、形になる前には気配として存在し、形造られたものに対してはそ

の成りゆきの秩序的順序を与える演算子として作用する。理念は一種のプログラムであり、最も

根元的な理念は単に「こうなる」という概念的なものであったものが、何段階かブレークダウン

してその際に様々な条件要素が付加されて「〇〇を用いてAとなる」といった、より具体的な理

念として、現象となる直前には有りえているのである。この際の「こうなる」という理念を発動

するためには、その前提的な手続きをふまえておかなくてはならず、たとえば大国主の素朴な文

化が再現されるなら、前提的にスサノヲの介入に相当する手続がをふまれなくてはならないので

ある。人がよく独りでにおこなう「ツキを呼ぶ」行為も同じようなことであり、人が経験的に見

出した幸運という理念を発動させるための前提的手続きであると考えられる。

このような理念発動のパターンは、かなり定式化しているのだろう。考えようによってはおぞ

ましいカルマとも言える。しかし、識者は逆にこれを利用して、自らの有利なように物事を展開

するのであろう。孫子の兵法などは、まさにこの理念を把んだ理論ではないか。また、一部の予

言者は、理念の登場順序を知っていて、現在の時の流れの中に兆候を見出し次の現象を予告する

のであろう。現象は様々な要素が重畳して理解が難しくなっている。しかし注意深くこれを分解

すればある決まった定型パターンが時間や空間の尺度を異にしつつ複雑に組み合わさっているこ

とに気付くのではないか。これを筆者は「理念の要素に対する演算子効果」と名けて、後述する

宇宙構造モデルにも採用している。

さて、こういうことから、地球史のレベルの展開もそれを構成する時間的にも空間的にも局部

的な歴史の中に同じような展開が含まれていると考えられるわけである。特に日本古代史につい

ては、日本という局限の中で「歴史の縮図的相似効果」がありえている。それが神話の中に採り

入れられた形跡も無くはない。たとえば、銅鐸を示すウツシクニタマなどは弥生時代にのみユニー

クなものであろう。ヤチホコなどは超古代にも何らかの形で登場しているはずである。神話は理

念をとらえるものである以上、相似的な流れの中の素材が採り入れられていても仕方のないこと

であろう。

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[天照らす大御神と大国主の神]

ここからは宇宙からの介入も侵略的かつ組織的な色彩を帯び

てくる。その介入の仕方も非常に巧妙になっているので最も注

意を要するところである。原文は長文に及ぶので省き、筋書き

の説明を詳細に施していくことにする。

(十七) 天若日子  宇宙からの侵略的介入(懐柔 策)

この節から、突然天神系を主体にした歴史のなりゆきの説明

になる。まず、天照らす大御神は実り豊かな農耕文化を築いて

いる地上に全知識の体系を示す御子マサカアカツカチハヤヒア

メノオシホミミを降そうとする。ところが、天の浮橋から地上

の風俗を眺めると、非常に騒がしかったので、降りるわけには

いかなかった。そこで、タカミムスビの神がアマテラスの意向

を何とか実現しようとして、八百萬の神に思ひ金(コンピュー

ター)をまじえて協議して、地上の風俗を柔らげるためにまず

アメノホヒの神を平定のために遣わすことにした。

アメノオシホミミとは、既に述べたように「全分野の最高の

知識の体系」のことであり、古代世界共通の「知恵の木」でシンボライズされる神聖な知識体系

のことである。天の浮橋は、理念の存在する超空間であり、単に宇宙から降りてくると考えるの

は誤りである。これは後程、ニニギの命のところで詳述する。ここまでで重要なのは、地上の生

活が荒れていたために所期の最高学問の地上世界確立がすぐには実現できず準備期間が必要と

なったことを示していることである。

ところが、文明開花の意味をもつアメノホヒ(初火)は大国主の許で帰化してしまった。仕方

なく、タカミムスビは再びコンピューターに議って今度は天と地の両方の事に精通した宇宙文明

の中でも若輩のユニット(アマツクニタマの子アメワカヒコ)にミサイル(アメノハハヤ)など

を含む強力な兵器を併わせて送り込むことを決定した。これは恐らくそれまでに地上が啓蒙され

て相当な武力を持つに至っていたからであろう。だがこのユニットは、大国主の娘シタテルヒメ

と結婚し、地上を自分のものにしようとして、やはり帰化してしまった。ここでシタテルヒメとは、

準備段階を示している。

今度は、アマテラスがどうなっているのかを調べるために、やはリコンピューターに議って、

キギシナナキメに注告の言葉をそえて送る。だが地上社会も体制が確立しており、様々な逆調査

がなされた結果、宇宙文明の直轄支配の意図を察知し、地上政府はこれをミサイル攻撃した。こ

れは、一大戦争の発端である。キギシナナキメの攻撃されたことを知った宇宙文明(タカギの神)

は、アメワカヒコの地上勢力に報復攻撃をして禍根を絶ったのである。

懐柔策は裏切り(帰化)によって失敗

既に述べたように、インドの叙事詩ラーマヤーナにはラーマのシータ姫奪回の物語で核弾頭ミ

サイル使用の描写がある。伝説では、この武器は天空の住民から与えられたものとされている。

また、旧約聖書のソドムとゴモラの話はやはり核兵器使用であり、この場合は腐敗怠落した都市

人民に対し神が怒っておこなわれている。これらいづれも宇宙文明のした行為の正統化がなされ

たものである。前者は、文明の利器の偉大さに力を入れ、そのような兵器を英雄伝説に合一させ

ている。後者は神への長敬と神に忠実でない者に対する戒めに力点を置いている。古事記の場合

はこの両方の要素に加え先制攻撃に対する報復(還り矢)も語られているだけに裏の事情に詳し

いと言える。いづれにしても宇宙からの支配権をめぐる干渉を語っているに変りなく、同一事件

が様々な伝承に変化していると考えられる。

また、ここで夕カミムスビはタカギの神と名を変えて、あらわす実体の内容を刷新している。

ここでは「現象展開の超空間コンピューター」ではなく宇宙文明の組織体制を意味している。こ

れより前「少名毘古那の神」のときに出てきたカミムスビもタカミムスビと陰陽の性格の差こそ

あれ、同じものを意味している。つまり、スクナビコナもアメワカヒコもその組織から派遣され

たユニットなのである。カミムスビは保守的、温情的な性質をもちタカミムスビは進歩的、攻撃

的な性質をもつ。これはちょうどギリシャ神話のクロノスとゼウスに相当する。これは、主導的

方針あるいは思想の変化が宇宙文明にあったことを物語るのだろうか。

大義を生かすために小義を犠牲にする

物語ではこの後、死んだアメヮヵヒコのために同族の宇宙人達は組織を挙げて喪屋を営み長い

間なげき悲しんだが、その葬儀の場に容姿がアメワカヒコに似たアヂシキタカヒコネ(前出のア

ヂスキタカヒコネとは、「鋤き」と「敷き」の違いのあることに注意。この場合、他・地・征伐

を意味する)がやって来たので、家族はまだ彼が生きているものと錯覚する。これにアヂシキタ

カヒコネは非常に腹を立て、「汚れた死人と一緒にするな」と言って、オホバカリ(大量)とい

う大刀で喪屋を切り伏せてしまった。

この部分は非常に教訓めいているし、宇宙文明の組織内部の裏話も秘められている。つまり、

帰化と征服もしくは懐柔と侵略は根本的に似て非なることを述べようとしたのである。それは地

上においても複雑な原因で成りゆきが紛糾しがちになるのは歴史の通例でもある。それは宇宙文

明の組織内部でもよく意趣の伝わらなかったことであろうと思われる。これゆえ、「大量」の意

味する「より大きな計画」をここで示す必要があったというわけである。つまり、宇宙文明の方

針に変化は特に無く、時に従い様々な方便がありえていたというわけである。

ここまで世の歴史を深く取材できた者とは、かの海洋民族であったと言えるのであろうか。と

にかく、連綿とした時代において常に体制に随伴しながら知識の収集に努めてきた一つの役割が

あったと言えよう。

(十八) 国譲り 地上の支配権の委譲

一部的な宇宙人が入れ知恵した地上の文明も、それまで平静であった宇宙文明も、アメワカヒ

コの戦争が発端となり急展開することになる。いよいよ強制的に地上を開け渡すべく大国主に対

し威嚇するわけである。アマテラスは、またコンピューター(思ひ金)に議って、戦略兵器の第

一候補として強力なビームによる封じ込め兵器(イツノヲハバリ(力・波・張))、そして第二候

補としての核爆弾(タケミカヅチノヲ(猛・輝・雷・力))を用意した。だが、ここで採られた

のは後者の核兵器であった。これは、「天の鳥船」なる飛行艇で運ばれ、地上世界のとある沿岸(出

雲の国のイザサの小浜)で落された。その様子は、「十掬の剣を抜き逆に刺し立てて

その剣の先にあぐらをかいた」格好であったという(図2 ・19)それはまぎれもなく

核爆発のキノコ雲の状態の形容である。キノコ雲に別の言い方をすればこんな風な表

現になるだろう。

この威嚇で、大国主は無条件降伏する。

ただし、「八重事代主」に示される政府と、タケミナカタ(建・水・堅)に示される強

力な海軍がまだ残っていた。飛行艇を遣って威かくすると前者は降参したが、後者は抵抗を試み

たので、それで再攻撃して敗退させてしまったという筋書きである。

こうして、大国主たちは天つ神に降伏したが、国譲りのとき、住み家だけは天神と同等の格式

のものを要求する。国神を介することにより、国土は天神の方針どおりに動くであろうことを言っ

ているのである。これはいかに地上を治めることが難しいかを物語り、長年の実績をふまえた者

でなくてはやれないためにこのような取引きに及んだものだろう。その難かしさの第一は人類意

識の調御の難しさである。人間の個々は必ずその意識の中に固くなな獣性を持っているし、人間

の構造自体、地球のそれとかなり類似しているからである。たとえば背柱下の蛇クンダリーニは

火山エネルギーから生まれた八重垣エネルギーと相似のものであり、この利用の仕方によって

は天にも黄泉にもなるからである。そして第二は出雲八重垣とその守護神スサノヲのことがあろ

う。大国主の仲介で八重垣は正常な動作が保て、宇宙船のエネルギー基地たりえるからである。

さて、こうして、様々な方法で国神が支援する形で天神の直轄統治が可能になったわけである。

(十九) 天孫降臨(その一) 地球人類を媒介する 天神系理念の降臨

こうして地上は平定され、宇宙文明は所期の最高の知識体系を地上にもたらそうと予定した。

ところがまたまた予定が変わりその分子ともいうべき(アメノオシホミミの子)、アメニギシク

ニニギシアマツヒコヒコホノニニギの命(単にニニギの命という)に示される「文化の華美さ、

にぎやかさ、便利さ」などがもたらされることになった。これはオシホミミの中の部分的な知識

の産物による物質文化的な充足であり、全体ではない。また、同時に、ヨロズハタトヨアキツシ(萬

機豊倦きつし)姫の意味する「全ての産業分野の繁栄」の子でもあり、アメノホアカリ(知的文化)

と兄弟でもある。

こうして、物質文化がいつの時も先行してしまうのである。既にみた、イザナミ先行型の展開

と全く類似している。そして上つ巻のどこをつついてみても所期の精神文化を含むアメノオシホ

ミミの天降を書いた一節は見あたらない。つまり、予定されてはいたが実現されていないのであ

る。

さて、ニニギの命が降りようとする時に、天のヤチマタにあって、率先して迎えようと商人的

な立ちまわりをみせる「猿田彦」に示される国、乃至は民族があった。彼は非常に高い知識をもち、

宇宙文明と地上の双方の事情に精通していたので、ワンクッションおいて穏便な導入の手助けと

して用いられることになった。このサルタヒコについては次節で詳しくする。

——–原文 天孫降臨(その二)————————————–

ここに天の児屋の命、フトダマの命、天の宇受女の命、イシコリドメの命、玉の祖の命、

併せて五伴の緒をあがち加へて、天降らしめたまひき。ここにその招ぎしヤサカノマガタマ、

鏡、また草薙の剣、また常世の思ひ金の神、手力男の神、天の岩戸別の神を副へたまひての

りたまはくは、「これの鏡はもは我が御魂として、吾が御前を拝くがごといつきまつれ。次

に思ひ金の神は、前の事を取りもちて、政まをしたまへ」とのりたまひき。この二柱の神は、

折く釧五十鈴の宮に拝き祭る。次に豊受の神、こは外つ宮の渡らひにます神なり。次に天の

岩戸別の神、またの名は櫛石窓の神といひ、またの名は豊石窓の神といふ。この神は御門の

神なり。次に手力男の神は、佐那の県にませり。

かれその天の児屋の命は、中臣の連等が祖。フトダマの命は、忌部の首等が祖。天の宇受

女の命は、猿女の君等が祖。イシコリドメの命は、鏡作の連等が祖。玉の祖の命は、玉の祖

の連等が祖なり。

——————————————————————

文明の利器の移殖

こうして、地上に基地が置かれ(アメノコヤネ)、各種電子機器(フトダマ)、エネルギー発生

器(アメノウズメ)、精錬設備(イシコリドメ)、UFO母船(玉の祖)とそれに関係する五つの

技術者集団(五伴の緒)が降された。次に、既に述べた時空飛躍のメイン動力(ヤサカノマガタマ)、

表示装置(カガミ、つまり輝く身)レーザー装置(クサナギの剣、つまり、整流(コヒーレント)

された剣)、コンピューター(オモヒガネ)、土木加工機械(タデカラヲ)、通信機器(アメノイ

ハトワケ)が送り込まれた。

この中で、コンピューターとそれと連動する表示装置は、宇宙文明の系内に張りめぐらされた

コンピューターネットワーク(折く釧五十鈴の宮)の一つの構成要素として組み込まれており、

宇宙から司令が送られてくるようになっていた。またトユウケ(豊受)に示される情報収集シス

テムがこのコンピューターヘの情報入力になっていた。そして、コンピューターとディスプレイ

は特別なマシンルーム(内宮)に入れられ、入カシステムは外の部屋(外宮)に出された。

これはちょうど現在の大型計算機センターさながらである。マシンルームは通常機密保護

のため部外者立入禁止で、建屋の中央に置かれ、外部からタイムシェアリングやリモートバッチで情

報を処理できるようにしてあるのが普通である。このようなものが、より広域なネットワークと

して通信回線を介して結びつけられているものが七千年前に存在したのである。

次にクシイハマド(霊し言は窓)は霊妙な言語を話すボックスのことであり、恐らく、コンピュー

ターでしか分らないコード化データーを扱う出力装置のことである。このようなものがトヨイハ

マドに示すように多種多様にあるというのである。またこれは、通常会話による通信機、ラジオ、

テレビ、電話などと考えてもよい。というのは、「御門」すなわち対面の場で用いられるからで

ある。

これはまさに、現代の情報化社会の有様とほぼ一致するのである。また、古代皇室が知識の存

続保全に情報工学的手段を用いていたことは、知識そのものが内包する奥義だけに本当のことな

のである。

この時代は宇宙文明の積極的介入によって地球上は驚くべき発展を遂げた。世界各地に様々な

パターンの基地が設けられた。その意義は一重に地上への天神系理念の委嘱にあった。宇宙人の

目的は忽論別にあったかも知れない。例えば遠隔地への旅行の際のエネルギー補給基地としたり、

地球人類を宇宙文明の傘下に加えたりである。だがそれも、より高次元な宇宙の大目的に沿って

おこなわれたことは確かであろう。このため、ややあって後、(後述するが)完全に高文明の顕

わしが終った時点で基地は全て撤去され、高文明の中心的国家は壊滅の憂き目をみ、宇宙文明は

手を引いて終い、再び来ることはなかった。

豪族は知識伝承を分担して受け持っていた

さて、これら各種の重要機材は飛鳥奈良時代の有力豪族の先祖となっている。もしかすると、

はるか七・八千年も昔からこのような専門職の世襲がおこなわれていたのかも知れない。例えば

中臣氏は社殿造営に携わった(基地建設の形を変えたもの)家柄であり、忌部氏は祭器の前で祈祷

をする家柄(機械操作の模倣?)、猿女氏は舞踊(力場の回転の模倣?)、鏡作氏は銅器の鋳造な

どそれぞれもとあった役割を反映して伝えているらしいのである。

だが、家柄がずっと続いていたとするのはおかしい。そこまで強い役割があるなら大化の改新

以降の動乱(武士の時代も含めて)に、より強い結束がありえたであろう。やはり、知識存続の

役割意識を介して皇室との結びつきを深める手段であり、知識の内容をより正確に伝えるために

擬態模倣がおこなわれていたと考えられるのである。

これも、いづれ知識が再現されたときに戸惑わないために伝承していたのだとすれば何と驚く

べき役割の系譜ではあるまいか。

——–原文 天孫降臨(その三)———————————–

かれここにアメノヒコホノニニギの命、天の石位を離れ、天の八重多那雲を押し分けて、

イツの道分き道分きて、天の浮橋に、浮きじまり、そりたたして、筑紫の日向の高千穂の霊

じふる岳に天降りましき。

かれここにアメノオシヒの命アマツクメの命二人、アメノイハユキを取り負ひ、頭椎の大

刀をとり侃き、アメノハジユミを取り持ち、アメノマカゴヤを手挨み、御前に立ちて仕べま

つりき。かれそのアメノオシヒの命、こは大伴の連等が祖。アマツクメの命、こは久米の

直等が祖なり。

ここにのりたまはく、「此地は韓国に向ひ笠紗の御前にま来通りて、朝日の直射す国、夕

日の日照る国なり。かれここぞいとよきところ」とのりたまひて、底つ石根に宮柱太しり、

高天の原に氷橡高しりてましましき。

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二二ギ降臨譚は高次元アカシャの下降過程を語る

次に、実際にニニギの命の降りてくる有様が語られる。この道筋の叙述は実に含蓄が多く、宇

宙構造に決定的な手懸りを与えるものである。

アメノイハクラ(言は座)とは言語の座、すなわち、アカシックレコードのプログラムの存在領

域なのである。始めアカシックプログラムの中に在った華美で便利な技術知識は、ヤヘタナグモ

に示される多階層の次元のプリズムを経て、屈曲が加わりつつも、天神の命を受けた強力な理念

なのでイツノチワキチワキに示される物すごい勢いで降りてきて、一担、アメノウキハシに示さ

れる地上との間の暫定的なイデアの超空間に滞留する。それは、「そり立たして」にあるように

一群の知識体系として確立されており、そこから末端にある(ツクシ(尽くし))この知識に指

向した(ヒムカ)現実にあるたくさんの勢いのよい念の炎を上げる(タカチホ)人間の大脳(ク

ジフルタケ)に精神感応的に降臨したというのである。

この過程はT ・ベアデンに言わせれば、キンドリング(精神物体の漸時凝集)であり、拙モデ

ルで言えば、階層構造的なプログラム実行のブレークダウンのことである。原型となる総元締の

アカシャがあり、それをブレークダウンしたタイプのアカシャもある。そして末端的に現象があ

りえているというわけである。

我々のレベルで言えば、誰でもごく自然に考え、それに応じて新たな発想が閃きとして得られ

ているが、実にそのことをここでは述べているのである。これは、我々が大脳の中で過去の記憶

などをたどりながらその中だけでクローズして創作したことが必ずしも次の発想をもたらすので

はないことを意味している。確かに新たな発想あるいは発見につながる閃きといったものは、非

常に大量の情報であることを誰でも経験している。最近の科学では大脳を左右半球に分け、右脳

で抽象思考、パターン思考がなされているのだとしているが、なぜ抽象的にしか情報が扱えない

のかにまで解答が及んでいない。この解答は、発想をもたらす情報は非常に高次元であるからで、

現実の次元ではこれをまとめて解析することができないことがあげられるだろう。多くの人は高

度のことを思いつくが、それが一体何であったかを次の瞬間に思い出せないので、なかなか実ら

ない。そしてその情報を我々の次元の言葉に直すことも大相骨の折れることであり、このような

過程で多くの重要な情報が損われているのである。

また、閃いても置き替えるための言葉(物理学知識や天文知識等)や道具をもたないために、

個人の中で悟り気分で終らせてしまうものもある。我々の一生は無形の実在を具体的にするため

にあり、この道具あるいは言語取得のために勉強すると言っても過言ではない。古事記では、人

間の目的はあくまでも無形の理念を世に産み出すための分子たることにあると言明しているので

ある。これはその他の古代思想とて神との対比において同様のことを言っている。そして、古事

記をはじめ、種々の古代哲学は、このような無形な情報が交錯している領域のあることを語って

いる。特に古事記では、その領域すら順次ブレークダウンしていく仕組みになっていることを、

川の流れ、下降する道路などの擬態暗示を使ってあらわしているのである。

ニニギの命の出立した「磐座」とは、古神道の信仰形態からすると、荒御魂の主座なのであり、

ここから空間的に下位の位置関係で化御魂、和御魂の座が置かれるのが普通である。これは「奥

つ」、「中つ」「辺つ」の様式とも対応がとれていて、神体山と神体山、神体山と神社、神社と神社、

の格調的関係が成り立ち、その様はちょうど階層的なネットワーク構造の空間配置をしているの

である。(三章五節で詳しくする)

ひと(日戸)は理念具体化の窓口

ニニギの命も宇宙人ではないかと思われるかも知れないが、ここではアカシャの理念である。

ニニギの命の下に様々な文明の利器がぶらさがっているのである。ここでは、ニニギの理念が場

合によっては宇宙人という直接媒介を通して天降ることもあることを語っている。つまり、古事

記の神話の中では、全てが理念の相互作用として扱われているのであり、媒介の分子たる人間は

宇宙人であれ地球人であれ何でもよく、前面には出てこないのである。「華美さ」という形態すら、

仮定のものであり、それが同じ機能を満たすなら、他の何と置き替わっても構わないのである。

ここに理念というものの奇妙さがある。それは一種の演算子であって具体物がどのようなもの

であっても、所期の目的通り運行させようとする潜在意識的な働きかけなのである。ある者はこ

れをサタンと言い(人によっては自分を中心にして都合の悪いもののみをそう言う)、あるいは

蛇(業、カルマ)と言い、あるいは憑依霊と言う。これらすべて、理念の末端的なものと相互作

用した分子(人間)が場合に応じて抱く感想ではないだろうか。

結局、ニニギの命はイデアの領域でまとまった知識の体系を留め、ある決まった方向に投射す

るのみである。この方向は、三・(九)節で既にみてきたように、有形世界の空間にみたてれば、

入射角度四十九度三十分になるというのである。それは特定の思考形態に応じた超空間幾何学が

基礎にあるわけであろう。古代人はその原理を伝えるために地理的模倣をして、その拠点に適わ

しい名前をつけたのである。

天降した「思ひ金」、「櫛石窓」等の文明の利器も、むしろこのようにして開発されたとするの

が本当かも知れない。そうすると、宇宙文明の意味が薄れてしまうように思われるかも知れない

が、決してそうではない。地球上の人類は天神系と国神系の双方から意識的な制御を受けている

ことは否めないのである。しかも宇宙文明の方は積極的な精神感応という高等技術を用いて働き

かけている可能性もある。それを人類は一向に気付かず自分達だけで発明したように思い込んで

いるだけなのかも知れない。

さて、そのような中にアメノオシヒの示す「知識の普及、推進」がおこなわれ、アマツクメの

示す「終局への道案内」のもとに、アメノイハユキ、クブツチノタチ、アメノハジユミ、アメノ

マカゴヤなどの「兵器類」が登場してくるのである。

(二十) 猿女の君

高文明の華が開いた国家の事故による滅亡を語る。

———原文 猿女の君—————————————–

かれここにアメノウズメの命にのりたまはく、「この御前に立ちて仕へまつれる猿田彦の

大神は、もはら顕し申せる汝送りまつれ。またその神の御名は、汝負ひて仕へまつれ」との

りたまひき。ここを以ちて猿女の君等、その猿田彦の男神の名を負ひて、女を猿女の君と呼

ぶことこれなり。かれその猿田彦の神、アザカに坐しし時に、漁して比良夫貝にその手をく

ひあはさへて海水に溺れたまひき。かれその底に沈み居たまふ時の名を、底どく御魂といひ、

その海水のつぶたつ時の名を、つぶ立つ御魂といひ、その沫咲く時の名を、あわ咲く御魂と

いふ。……後略……

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一大高文明国家第二次アトランティス文明の減亡

積極的に高文明を志向した「猿田彦」は「去る田」あるいは「狭・転・田」であり、失地した

者をあらわす。この節では、彼は高文明導入の役目が終ったので、天命により抹殺されることに

なる。その後を担ったのが、アメノウズメ、すなわち、エネルギーの渦であり、具体的ななりゆ

きが、「アザカに坐しし時に……あわ咲く御魂という」に語られている。アザカはヒラサカと同

様ある種の境界点であり、すなわち、ある種の終末的時期にさしかかった頃の日々のなりわいに

あるとき、「ひらぶ貝」で示される平定の業火により土地が海中に引き込まれて没し去ったので

ある。

これは再び、伝説上の大陸アトランティス大陸の沈没を物語るようである。かつて天体の落下

により破壊を受け海没したが、無事残存した土地で、やはり温暖なメキシコ湾流に守られて、こ

の時代においても繁栄した文明を形成していたわけであろう。民族性を重んじ、積極的に宇宙文

明と接触し、地球上の他民族より優位を勝ち取ろうとした国家であり、既に述べた八十神を撃退

し、宇宙の知恵をあてにした「大国主」の事績と重畳するようである。その実、伝説ではアトラ

ンティスは海外に多くの植民地を持っていたといい、ェドガー・ヶlシーの過去透視によるとア

トランティスは数千年の間に数回に分けて水没したという。そしてその最後の時には、文明が高

度に進み、開発された磁気装置の操作上の誤りにより巨大なエネルギーが地殻に作用して異変を

もたらしたというのである。

これはまさに「天の岩戸」の時空ジャンプシステムであるアメノウズメの誤用による事件であ

ることを物語っているようである。これにより、アトランティスは地下の火を誘起して海中に没

し去ったのではあるまいか。

こうして、アメノウズメはサルメ(去る目)の君、すなわち消失を起す目型(のエネルギー

バリヤー)と呼ばれるようになったが、この地域は今でもサルメの現象を起すので魔のバミー

ダ海域として恐れられている。猿女氏の舞楽のわざの中には、この時の大陸が惨禍の中に壊滅

していく様子が伝えられていると考えられる。

それは、後述する「海幸彦」の水難が隼人の乱舞して宮仕えする起源であるとするのと相通ず

る。さて、この事件は今から七千年前の出来事と考えられる。

(二十 一)木の花の咲くや姫  華美で実のない高 文明は結局短命に終る

ニニギの命は、笠紗の岬で「木の花の咲くや姫」に出会い求婚する。だが彼女には姉「石長姫」

があり、一存では決められないので、父「大山津見」に話してくれという。そこでそのようにす

ると、「大山津見」は、非常に喜んで「石長姫」も副えて嫁にさし出した。ところが、ニニギの

命は、醜さのゆえ姉姫を返してしまった。そこで父「大山津見」は非常に残念がって、姉妹相並

べて差し出した理由を次のように説明した。

すなわち、「石長姫」により天神の子孫の命(理念)が磐石の如く寿命の長いものになり、かつ、

「木の花の咲くや姫」により華美な木の花のように栄えるものになる。こう考えて差し出したの

に、「咲くや姫」だけを留められたのでは、天神系の理念は木の花が開花し散るごとく短命なも

のになりましょうと。

既にみてきた高度な文明が爆発的に開花して、急速に散っていく事実を理念の領域で象徴的に

捉えているのである。つまり、ニニギの命のもたらした華美な文明は残念ながら長続きせず、「猿

田彦」の海没でみたように理念の現実への顕わしが急激に終ってしまえば、何らかの形態で現実

ともども衰滅していくということなのである。また、加えて、華美だけを尊び堅実を採らぬ発展

は一般的に長続きしないことを掛けて示している。これは古代歴帝の施策に強く反映されており

教訓として用いられた部分であろうと思われる。そして、華美さが目立ってきた飛鳥時代から天

皇の力は弱まりをみせ、まさに予言通りとなっている。

なお、「木の花の咲くや姫」の別名は「カムアタツ姫」であるが、これは文明の殿堂を示す。

また、「石長姫」は岩のようにしっかりしている意味と、「言は長」すなわち物を言う期間(プロ

グラム)が長いことを掛けて示している。

現代文明はこの物語の類例であり気をつけねばならない

ニニギ文化は既述したイザナミ文化に類似していることは否めない。そして現代もそれに酷似

していることも否めない。古事記の物語は重畳して現代の世相を預言しているとも言える。だが、

それは既にあった歴史があたかも性癖のようにして我々の時代に及んでいるからであることは既

に述べた。古代の予言者、知識者は、時の兆候を観る術を心得ていたが、超古代からの伝承をヒ

ントにしているのであろう。

歴史の終末を根拠づける「時の兆候」とは、前節で述べたコンピューターなどの文明の利器や

兵器類がにぎにぎしぐ登場してくることにみられ、終局の到来は、それらが一通り出揃ったか否

か(顕わし終えたか否か)で判別されるのである。文明の流れを加速し、いたづらに終局の到来

を早めようとする悪魔的な存在に我々は気をつけねばならない。彼等は現代のような高文明を好

ましいものとして印象付け、より高度な発展を正統化しようとするだろう。そして、いざ人類が

危機感をつのらせた時、新時代の輝かしい未来を吹聴して麻酔にかける術も心得ていることに注

意しなくてはならない。

華美な高度文明は短命

我々はいま少し時間に余裕があれば、アメノオシホミミの降臨を待つことができようし、黄泉

の段階に入る前にイザナギの救援を期待できよう“だがそれは未到来のことであるし、具体的な

ビジョンを知らない。だが、 一度終局すれば、非常に多大な労力と時間をかけて、ここまでにし

なくてはならない。まず最初の千年は旧石器時代を演じ、次の二千年で宇宙文明の手を汚しつつ

基盤造りをしなくてはならない。この時点で国づくりがうまくいけば宇宙文明が全面的に委嘱さ

れて理想世界が実現する。それが思わしくなければさらに三千年の有史とされる曲折の過程を経

て、現代的な姿にまで高められなくてはならない。そこで失敗すればまた一からやり直しである。

そのようなことを繰り返させまいと、古代の賢者がまとめてきた事の真相を改めて早急に公表し

なくてはならないことを痛感するのである。

アメノオシホミミもイザナギも全て人類自らの手で到来させなくては誰もやってくれようがな

い。それらの理想的な理念を我々の手で発動させ大いにキンドリングさせねばならないのである。

民衆の正義の抵抗と、理念界を清浄にし、理想的理念を天降らしめる「祈り」を以てせねば終局

は避けられないものとなるだろう。(ファチマの予言より)

さて、山の神である「大山津見」がこの節から始めて威信回復をみせた。それは、 一般的に優

位とされた天神系の本質を暴露した今、好位置で陽の当らなかった存在を浮上させているのであ

る。「少那毘古那」の節でもみてきたように、険しい峡谷や山岳の住人は普段消極的な賢者を示

していた。

———原文 木の花の咲くや姫(後半)———————————-

かれ後に木の花の咲くや姫、まゐ出て白さく、「妾は妊みて、今産む時になりぬ。こは天

つ神の御子、ひそかに産みまつるべきにあらず。かれまをす」とまをしたまひき。ここにの

りたまはく、「咲くや姫、 一宿にや妊める。こは我が子にあらじ。かならず国つ神の子にあ

らむ」とのりたまひき。ここに答へ白さく「吾が妊める子、もし国つ神の子ならば、産む時

幸くあらじ。もし天つ神の御子にまさば、幸くあらむ」とまをして、すなはち戸無し八尋殿

を作りて、その殿内に入りて、土もて塗りふたぎて、産む時にあたりて、その殿に火をつけ

て産みたまひき。かれその火の盛りに燃ゆる時に、生れませる子の名は、火照の命、次に生

れませる子の名は火須勢理の命次に生れませる子の名は火遠理の命、またの名はアマツヒコ

ヒコホホデミの命。

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二二ギ文化の燃焼による成果

さて、「咲くや姫」は一晩で子供をつくってしまい産気づいた。これはやはリニニギ文化が急

速な展開をみせることを示している。このとき「八ひろ殿」(回転体地球)を産屋とし、外界か

らしゃ断して火をつけて、ニニギ文化の成果を試す。これは地上の文明を他系から隔絶して業火

に焼き、その結果、無事に次代に引継がれれば天命に基づく承認されたなりゆきであることを示

すようだ。

「火照(ホデリ)」は文明の隆盛と業火の盛んに燃える様の異なる二態を掛けて示している。

「ホスセリ」は同様に、文明の衰えと業火の収束を示す。

「ホオリ」は同じく、文明の終結と業火の鎮静を示す。(火下り)

ところで、「ホオリ」のまたの名が「アマツヒコヒコホホデミ」というのは、知恵に基づくも

のの勢いのよい出現を意味している。つまり、物質文明もしくは華美な文化期が去って、知恵の

文化もしくは精神文化が登場することを言っているのである。だが果して黄金時代として輝くも

のであろうか。その解答は次々節三・(二十三)節に書かれている。ちなみにこの出来事は今か

ら七千年前~六千年前頃のアトランティス海没に併う世界的な文化の衰退や戦乱による荒廃を語

るものである。しかし、現代をはじめ様々な局所で類型のパターンが演じられるものであること

は言うまでもない。

また元へ戻るが「咲くや姫」の言葉の中に天つ神の出産は逐一申し出ねばならないことが語ら

れている。それは天神系の理念が隠れのないこと、全て現象上にあらわれて、そして何らかの観

測にかからねばならないことを意味している。

(二十 二)海幸と山幸  海洋民族の衰退と山間民 族の台頭

これまでは高文明の主役について語られてきたが、この節では世界全体との関連を述べている。

高文明国は世界の弱小国を意地めてきたが、変災を契機として立場が逆転していくことを示して

いる。

貧しい民族の救済

「ホデリの命」は海浜部で生産する海幸彦として、「ホオリの命」は山間部で生産する山幸彦

として登場する。これは、文明先進国と開発途上国の対照でもあり、また都市部と山間部の対照

でもあり、またこの場合アトランティスとその植民国の対照でもある。この二神がそれぞれの獲

物をとりかえて漁場を交替し、旨くいかなかった話は海浜の高文明を山幸の知識ではまかなえな

いことを示している。つまリアトランティスなき後、これを継ぐだけの力を持った者が居ず、た

とえ植民国に優れた文明の遺物が残されていても放置されたであろうということである。

さて、山幸が釣針を返せないために海幸の無理じいに泣いた話は、植民地民族の悲劇を物語る。

そこに「シホツチの神」が来て、山幸の釣針探しを援助する。ここに語られる一連の物語は文明

の恩恵から遠離していた民族の救済措置の内容であり、龍宮伝説の源になった実話であろう。し

かし、ここでまたしてもイザナギの汚土逃避の物語が再現しているのである。古事記上つ巻を通

じて一通りの物語が何度も繰り返し語られているにすぎないのであろうか。筆者はこの金太郎飴

的な展開の原因を既に与えてきた。それは、古事記の神話はアカシックレコードを参照した物語

であるからであり、この効果はアカシャが多段階にブレークダウンされた派生理念を多く引き連

れているから起きている。この辺の説明は四章で原理的なことを詳しくするが、これが予言者泣

かせになっていることは言うまでもない。よってここではァトランティスの海没に併い遠離行動

がおこなわれたかどうかは定かではない。ただこの一連の理念(文明の終局という)には、この

ような逃避行動が生ずる余地があるためにこうなったのであると考えることにする。

変災回避の逃避先は爬虫類型人類の惑星だった

さて、逃避行の内容は実に詳密をきわめている。「シホツチ」は海陸の事情を知る賢者であるが、

その造り与えた「マナシカツマの小船」とは「間無し勝間」でもあり「目成し堅間」でもある、い

わゆる二次元空間に関与しない超空間を航行可能にした眼型の宇宙機である。それに乗ってしば

らくすれば超空間の天然の通路に出てそのまま流れに乗っていけば「ワタツミ」の神の宮なる一

つの超空間上の世界に出るというのである。ここでも、異時空への説明の仕様のない道筋を船、川、

道、流れ、といった表現で示している。(ここは決して海中ではない)

さて、綿津見の宮はにおいてホオリの命はその神の娘「豊玉姫」と結婚して大相長い間そこに

滞まる。ところで、この世界の住人はこの時空上では秀麗な姿をしているが、現実世界から観れ

ば「ワニ」や「亀」や「龍」であったりする。つまり、爬虫類として捉えられるのである。日本

における巨石モニュメントに爬虫類を型取ったものが多いことは特筆すべきであろう。これらは

全て、異時空との境界石としてみたてられていたわけである。また昨今宇宙人捕獲のニュースが

出ているが、その姿はホ乳類というよりは爬虫類に近いのではないだろうか。伝説上の河童もこ

の類であろう。また、中国にも龍と玉にまつわる伝説が多く、ワタツミの神と豊玉姫にその根拠

が得られるようである。現在、地球近辺に出没するUFOは我々人類よりもはるかに高度の科学

力を有するにもかかわらず、顕著な敵対行為を示してはいないのであるが、この理由を海幸山幸

の物語が明快に与えているような気がする。

さて、山幸は幸福な日々を三年(みとし)間過ごすが地上でし残してきたことを思い出し、どう

しても戻らねばならないことを言い出す。そして所期の釣針を手に入れ、兄ホデリの命を打ち負

かす術策を授かり、この宮殿から帰る時に、ことさら帰還までの時間を気にかけるようなやりと

りがなされる。ワニを集めて何日で地上に戻れるかの能力を問うているのである。その中で一日

で送ることができるというワニが選ばれることになる。滞留期間が三年というのに奇妙なことで

あるのだが、これは明らかに異時空の間の距離が時間換算されていると共に、「ワニ」なる乗物

の性能によって船内観測時間が短縮されたりもすることを述べているのである。つまり滞流した

のは三年でなく数日であったとしても、地上との距離がそれだけの時間を運んでしまうのである。

しかも「三年」は「満年」のことで非常に長い年月のことである。

これが浦島伝説では「亀」が乗物になっており、帰還後には何十年もの時間のずれを発見する

という筋である。これらのことは特殊相対論で説明でき、浦島効果と呼ばれている。例えば帰還

後仮りに百年のずれがあったとしよう。かつワタツミの宮が宇宙のある遠方の天体として、往き

帰りに合計二日だけ宇宙機の中で過ごしたとすれば、計算上、宇宙機は加速しすぐさま光速近似

の速度で航行しているとして、二点間の距離は五十光年というものになる。だが、このような宇

宙機とは、相対論的には無限に近い質量をもつ一種のブラックホール的な天体となるといわれ、

広範囲な影響を考えれば存在しようのないものである。このようなことを解決するために、「目成

し堅間」でいう目型のバリアーをめぐらせて存在状態を変え、超空間を航行するものになっている

のではないか。存在状態の変化は、宇宙自体が電磁波動的な流れの上に乗っているので、その波動

のサイクルを局限した範囲のみで変えてやれば大域的な影響を及ぼさなくて済むはずである。

このような超空間航法では、宇宙機はタイムマシンにもなりうるわけであるが、これに対し、

何らかの規則で因果律の崩壊をカバーしているのであるに違いない。この規則のことが多く「石

置き」の手続きで表現されていたことに注意したい。また、大異変、あるいは地球浄化時代の百

年という期間を救済された地上の人々が一体何年と考えていたかも面白い問題である。旧約聖書

のノアは四十日であったが、これは五十光年ほどの距離をやはり準光速で四十日かけて往復した

ものかも知れない。箱船に入ったまま運搬されたために、何があったか気付かなかったのではな

いだろうか。

以上、時空の種類をみても様々なものがありえていることが分る。たとえば黄泉の国のように

現世の存在レベルを落とした程度のものもあれば、時間軸しか共有しないような超空間もあるこ

とを古事記は示している。これはホワイトヘッドの言った電磁波動空間としての在り方とベアデ

ンの言うような断層的に隔絶した空間の在り方の両方を肯定するものである。

物語は明らかに地球人のいくばくかが宇宙的知者によって異時空の国に遊行した事実を語って

いる。だが風土記に載る浦島物語と照合すると、異空間に行った事実とその時の記憶にウエイト

が置かれており、往く目的や帰る目的は決して重要ではなかったと思われるのである。この節の

本旨は異時空への往来にあり、これに歴史の展開を好位置でつなぐ伏線が組み合わされていると

考えるのである。伏線の一つとして、高い文化をもっていた海浜の民族は貧しい山間部族を日頃

卑げていたのであるが、様々な変災があり、立場が逆転していき、最終的には、英知主導の精神

文化が後者の高文明の音信を知らない人々の手でスタートすることが示されていると考えられ

る。また、今一つは隼人舞の起源を洪水に逆上ることを述べ、知識伝承における隼人族の役割を

明らかにしていることである。こうすると猿女舞も隼人舞も同一の事件を異った知識分担に変え

ていることも考えられ、いよいよ「豪族、あるいは地方部族は知識分担のために後天的に役割を

付与された」と考えることが本当のことのように思えてくるのである。

(二十 三)豊玉姫の命

新しく来たるべき知恵の時代が地球外知性の早期撤退により実現しなかったことを物語る。

———原文 豊玉姫の命————————————-

ここに海の神の女豊玉姫の命、みづからまゐ出て白さく、「あれすでに妊めるを、今産む

時になりぬ、こを念ふに天つ神の御子、海原に生みまつるべきにあらず、かれまゐ出きつ」

とまをしき。ここにすなはちその海辺のなぎさに、鵜の羽を葺草にして、産屋を造りき。こ

こにその産屋、いまだふき合へねば、御腹の急きにあへざりければ、産屋に入りましき。こ

こに産みます時にあたりて、その日子ぢに自して言はく、「およそ他し国の人は、産む時に

なりては、本つ国の形になりて生むなり。かれ、あれも今本の身になりて産まむとす。願は

くは、あれをな見たまひそ」とまをしたまひき。ここにその言を奇じと思ほして、そのまさ

に産みますを伺見たまへば、八ひろ鰐になりて、はひもこよひき。すなはち見驚き畏みて、

逃げ退きをたまひき。ここに豊玉姫の命、その伺見たまひし事を知りて、うら恥しとおもほ

して、その御子を生み置きて白さく、「あれ、つねは海道を通して通はむと思ひき。しかれ

ども吾が形を伺見たまひしが、いとはづかしきこと」とまをして、すなはち海坂を塞きて、

返り入りたまひき。ここを以ちてその産みませる御子に名けて、アマツヒコヒコナギサタケ

ウガヤフキアヘズの命とまをす。……後略……

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新らしい知恵の時代の不充分な成りゆき―― 黄鶴一去再不帰

この節では「ホホデミの命」の示す精神文化の成果について語られる。前々節でもそれが産屋

での子生みの形態で示されたように、ここでも同様である。「豊玉姫」は知恵の宝庫を示している。

海辺のなぎさに鵜の羽根でかやをふいて産屋を創ろうとしたのであるが、完成する前に産気付き、

御子の出産に間にあわなかったというのである。これにちなんで御子に名けられた「アマツヒコ

ヒコナギサタケウガヤフキアヘズ」は、知恵に基づく体制が不充分な状態で次代に引継がれてい

くことを示すものである。

さらに「豊玉姫」は産屋の不完全さゆえ、「ホホデミの命」におぞましい出産の有様を見られ

てしまい、恥じて海坂(異時空との接点。比良坂と類義)を閉ざして海(超空間)に帰ってしまっ

た。これは、文明の崩壊の痛手に充分な勢力ができず、知恵が不充分なままで、置き去られたこ

とを示している。高文明を実際に知らなかった人々にとっては、彼等だけで完成した精神文化を

築くことは不可能であった。これは今から七千年前~六千数百年前の出来事であると考える。旧

約聖書のバベルの塔の事件の前後の頃と話が対応する。

ここでも、また、一つの後悔が語られている。「ホホデミ」が「豊玉姫」の本質に懐疑をもた

なければ、もっと高度な知識体系が次代に引継げたであろうことが窺える。なぜなら「豊玉姫」

はある種の高い文化水準を有する地球外知性を示し、「ホホデミ」は援助を受けた人々の集合意

識をあらわしているからである。その頃の人々が相互不信を起さぬ程に寛容であれば、宇宙人も

じっくりと手助けしたであろうに、ということが後悔されているようである。

次に、天つ神の御子の出産は海原のような決して隠れた所ではおこなわれないという表現がみ

られる。前々節の「咲くや姫」の場合も、同じ理由から先ず報告している。これは天神系の命が

すべて現象空間上(ここでは地上)に表現されなくてはならないし、それが観測されなくてはな

らないことを示している。しかもその大役が地球だけに限定されていることに注意したい。

これは非常に重要である。まず理念の状態で成りゆく様が与えられる。これは一種のプログラ

ムである。それは既に述べたような精神感応的な過程を通して分子である人類を通じて表現され

ていく。だがそれはあくまでも一つの試みであり、実験炉中の出来事なのであり、実際どのよう

に展開するかは分らない。それゆえ観測とか報告とかいう手段が必要となるのであろう。この役

割も当然分子たる人類の意識が担っている。つまり彼の思い行動した結果を彼の目で観て思考し、

その結果を理念の高みにフィードバックしてゆくわけである。その結果は新たな理念発動のため

に機能すると考えられる。(これは拙宇宙モデルの根本的な概念である)人間の役割が嫌虚にこ

のようなところにあるとしたとき、古代哲学や宗教の考え方が矛盾なく受け入れられるのである。

(二十 四)鵜葺草葺合へずの命

結局、統一のとれた体制は確立できず、民族を分散して新らしい道を模索していくことが物語

られる。

———原文 鵜葺草葺合へずの命———————————

このアマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズの命、そのみをば玉依姫の命にあひて、

生みませる御子の名は、五瀬の命、次に稲氷の命、次に御毛沼の命、次に若御毛沼の命、ま

たの名は豊御毛沼の命、またの名はカムヤマトイハレヒコの命。かれ御毛沼の命は、波の穂

をふみて、常世の国に渡りまし、稲氷の命は、母の国として、海原に入りましき。

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次の時代への橋渡し(現時代への引継ぎ)

以上の節から、切角の知恵ある精神勢力のぼっ興も自然との闘いや文明復旧の難かしさから、

新体制造りがはかどらずついに意見対立などが生じ、幾つかの民族に分れてそれぞれの活路を探

し始める。この節は、「フキアヘズ」が「玉依姫」に示される知識依存の方針を踏襲する形で幾

つかの方向に民族を分散していくことを示している。

これは恐らく、かのバベルの塔の事件である。「バベルの塔」とは精神文化の体制確立の金字

塔のことであり、言語の乱れ(意見の対立)から四散するに至った転末を語る物語と同一のもの

とみなせよう。よって、この中心となった地域は小アジアであろう。「五瀬の命」は五種類の民

族の流れを示す。「稲氷(いなひ)の命」は海洋の部族として、地中海やインド洋さらには環太

平洋諸島に去り、「御毛沼の命」は残された利器UFOを使って宇宙に去った。そして「カムヤ

マトイハレヒコ」は「五瀬の命」と共に中東を拠点に主として東方に進路を開いたのである。

こうして、民族の分散して出来た四大文明や後のギリシャなどでは、非常に高度な哲学が華開

いた。だが、それはいづれも未完成なものの引継ぎであったために、現代をしのぐ程の体系をも

たず、我々の時代の無理解な権力の時期に対抗するに至らず、現代にその卓抜した物の観方のい

くばくかを窺わせる程度にとどまったのである。

以上が古事記上つ巻の全訳である。

 


第三章  古代人の世界観

古事記の神話の構成は実に美事である。二章三節でおこなった散逸的な解釈を表3 ・1にまと

めることにし、またそれぞれの物語が、どのような関係にあるかを図3 ・1 (次々頁)にする。

宇宙開びゃく論、地球創成論、人類史、超古代科学、そして一つの時代の初めから終りまでの歴史、

とまんべんのない体裁をとっていることがお分りになるだろう。

宇宙開びゃく論、地球創成論などは筆者が現代風に与えた解釈にすぎないが、古代人はこれら

のことを大宇宙の開始後連綿として続く歴史と捉えていた。それによると宇宙開びゃくは二段階

で起きている。古事記に関する限リビッグバンでなく、定常宇宙論的である。まず、超空間のメ

カニズムが何よりも前にあって、動き始め、現象界の基盤ができる。次に宇宙空間に物質的胎動

が起り、物質の究極的保存量である質量、電荷、スピンの三要素ができたとしている。さらに、

物質はプラズマ状態から、磁場に東縛されて宇宙を運ばれ、その先々で天体系にまとまったとさ

れる。最後の磁場縁起の過程は未だ現代科学でも未解明であるが、形而上的な理念の作用が現象

に先だって電磁的効果としてあらわれてくることを簡潔な物語で示しているのである。

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次に、地球ができてから巨大大陸が、今みるような形に分裂する過程を「天の御柱」を中心に

した男女二神の回転で表現する。「天の御柱」は多意を含み、ミクロからマクロまで仮想、実物

を問わず回転体の中心をなす軸であり、この形態は現象の基本的なところに必在する原理である

としている。これは現代科学が様々な現象の解明に伴ない、しだいに明らかにしつつある自然界

の究極原理であるだけに、非常に卓抜した科学が古代にあったと考えざるを得ない知識である。

次に、筋書きは一転して人類史となる。宇宙→地球→大陸の順序で時間。空間の視点を急降下

的にズームインして、次にでてくるのがある大陸の一角に栄えた交易都市の風物というパノラマ

的展開をみせる。そしてここから時間は平行移動して人類史の結末に至るまでの経過を明らかに

している。人類史が大戦争による陰惨な終り方をするのをイザナミの腐乱死体にたとえて表現し、

その汚土はそのままでは使いものにならぬゆえ、イザナギの身楔という環境浄化処理を適用する

と繋ぐ。しかし、この副作用で世界を暗闇が覆い、文明の滅亡に続いて今度は地球も瀕死となるが、

これを蘇生させるべく超科学が用いられ、暗く長い煩悩の年数(百十年)は去り新しい時代が到

来したとしている。

こうして、人類史は我々の時代の直前の時代の詳細を語るものとなるが、これもまた終末を迎

え、我々の四大文明に引継がれたとしている。

◇   ◇   ◇

人類史が三度に渡って書かれていること、これは同じことを三度述べて強調しているのでない

ことは、筋書きの詳細なずれがあることによって分かる。もっとも、類似したパターンをしてい

ることは確かであるが、ここではやはり三度分の時代の生滅が語られていると言ったほうがいい。

そしてさらに、我々の時代がちょうど表3 ・1の分類記号C ・Dで示す物語の論じている歴史展

開とよく似た状況にあることに強い不安感をまじえ「歴史は繰り返す」ことわりの真実を感ぜざ

るを得ないのである。

一説にもあるように、古事記は予言書としての可能性もある。しかし、それは我々の時代のみ

を対象にするのではない予言である。その理由は少なくとも表3 ・1の分類記号H~Uの物語(人

類史の二回目のものと考えてきた物語)が原形的理念を語るものであると考えられるからである。

それは自然界の多くのものが具有する定型的成りゆきをあらわすものであり、表3 ・1右欄に掲

げるように様々な伏線を見出せる。

また、人類史には地球外からと思われる高度な知性(宇宙文明と二章では述べた)が深く関わっ

ていたことが否めない。そしてその多くは地球上の生命環境の維持改善のためにシステム造りを

するという恩恵をもたらしてきた。その最大のものの一つは今なお活在しており、自然界の仕組

みの中に融け込んだ形で生命体地球の新陳代謝に欠かせないものとなっているらしい。

このように古事記の神話は、歴史、理念、予言、そして生命体地球の奥義をまとめたものとなっ

ている。この元なる知識が古代人の思想を形成していたのだとすれば、その思考レベルの深さは

再吟味されて然るべきである。それは古代世界に普遍していえることであり、むしろ過去ほど、

起源に近いゆえにより高度という信じ難い逆説が生じるのである。プラトンやアリストテレスな

どの哲学分野の先達の輩出は然るべくしてありえたと考えられるのである。

この章では、いささか散逸的ではあるが、いくつかの基本的テーマについて話を進めながら、

古代人の考え方がどのようなものであったかについてアプローチしていくことにしよう。

一 地球上の文明は生減をくり返してきた
(人類文明史七千年周期説)

仏教では、一つの文明が始まり、終止符を打つまでの期間を「劫」と呼び、その一劫にはある決っ

た年数が与えられている。そしてそのような劫が幾度もくり返すという文明興亡の輸廻説を説い

ている。

二章であらましを述べた拙宇宙モデルからするとコンピュータがプログラムを実行するとき予

め大記憶装置(データ。バンク)からプログラムを取り出し一定の大きさの記憶領域に置いて、

そこから順次実行していくというやり方をとるように、地球史を直轄する超空間上の宇宙意識が

地球文明史を展開するときにも理念の領域に一定の許容量があり、同様のことをしなくてはなら

ないのではないかと思うのである。

実に突拍子もない話のように聞えるかも知れない。また信じられない話かも知れないが、既に

述べてきたように、理念、アカシヤ、これらは波動場的であり、演算子的にふるまう高次元言語

で書かれたプログラムであり、これに対して形而上的なコンピューター的メカニズム「宇宙意識」

(仮定)により現象空間上に投写された結果が歴史現象となると考えることは四章で述べるが、

古代的世界観と基本的に一致する。だから、これを仮りに真実として考えてみよう。通常のコン

ピューターの場合は、記述できる命令語の数に限界が生じるのに比して、宇宙意識の場合は、現

象を構成する時間の総数すなわち年数に限界が生じると考えられる。だがコンピューターがいか

に記憶容量が小さくともソフトウェア的にロールインロールアウト、ページングなどの技法を用

いて巨大プログラムを部分的に順次入れかえつつ、あたかも巨大計算機の機能を模倣することも

できる。地球史のプログラムは、百数十億年分が今まで実行されてきている。この全てが全てと

は限るまいが、そのうちの人類史の部分は順次入れかえがなされていると考えるに足る証拠は、

古事記では既にみたように多く見出せるのである。ただこのくり返しがプログラムの虫つぶし(デ

バック】機能的欠患を見つけ出す)のためのテストランでありはしないかの疑間はある。

過去の理念(プログラム)が終結して新しい時代の理念が適用されることについて、ヨハネ黙

示録は次のように語る。「これより前の天と前の地は過ぎ去り、海もまた無きなり。我また聖な

る都、新しきエルサレムの、夫のために作りたる新婦のごとくそなへして、神の許をいで、天よ

り降るを見たり」これは古事記でいう「道返し」に相当する。「新しきエルサレム」とは次の時

代を演ずるプログラムである。これに関して、説により永遠の楽土であると言うか、元の黙阿弥

であると言うかの差が生じているのであるが、この点は何とも言い難い。また、前の天、地さら

に海までが無いというのも、現象が物質で運行されるのではなく、プログラムで運行されるため

と考えれば納得のいくことである。(但し、ここでいうプログラムとは理念であり、波動であり、

言語であり、高次元情報のことである。)

仏教ではスケールが大きく構えられており、 一定の期間で顕わすべきテーマがあって、それに

ちなんで「XX劫」といった表現で一つの時代を呼ぶことがよくなされている。また、一劫は非

常に長い期間のこととされているが、元義の正否はともかくとして決められた年数が与えられて

いた。

ノストラダムスの詩篇「一・四八」に七〇〇〇年周期を思わせる表現が出てくるが、筆者も七

000年で人類の大文明史はくり返しているという感想を持つに至っている。不吉なことを言う

かも知れないが、A ・D二千何年かに現在の時代が終結するとして、七千年づつ過去にたどると

B ・C五千年頃に開始があり、前の時代は約一万四千年前、二つ前は約二万一千年前という具合

になる。このようにして立てた仮説が筆者の提案する七千年周期大文明興亡説とその文明推移の

歴史年表(表3 ・2)である。しかし、厳密に七千年とすることはなく、大まかな誤差は有りう

ると考える。たとえば、前の時代は一万三千六百年前に始まっているというデータを、A ・ゴル

ボフスキ‐が見出している以上は、それに従う。

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七千年同期文明推移表の解釈

七千年周期説の根拠として、今から一万三千六百年前に起きた洪水をもたらした大異変、そし

て二万三千年前から始まり二万一千年前を狭む長い間衰滅をみせた地球磁場の逆転という事件で

ある。これらのことは、地上に繁茂した生命にとって壊滅的な出来事であったに違いない。そして、

七千年前にやはり、文明の極みに達した時の失策があり、それは人類を滅ぼすには至らなかった

が、全てを元の黙阿弥にしたのである。

過去から順を追って説明しよう。

(一)ムーロアを終らせた地磁場の衰滅

ムーロア文明の設定は、 一章で掲げたムーロア古写本の書かれているパピルス紙の炭素同位元

素分析によって明らかにされた製作年代が二万三千年前であることによる。この時代は地磁場強

度が大きく、生命系は健全に成育したに違いない。文明自体も非常に均勢のとれた理想国家と言っ

ても過言ではないものであったと考えられる。

二万三千年前から地磁場変動期にはいり、 一万九千年前頃まで乱脈をくり返す。地磁場が消失

したり衰退すると太陽からの有害放射線が大気圏内に直射して地上の生物は短期に痛手を被る。

しかし直ぐに大気を電離し、イオンの核を中心に水滴が形成され、ちょうど金星がそうであるよ

うに濃度な雲に覆われた状態になる。有害な宇宙線はくいとめられるが、反面寒冷化し、混屯と

した環境となる。この年代には生物の働きが著しく鈍ったことが地質学的に分っている。

この地磁場消失の原因は大域の地殻変動によると考えられる。ムーロア大陸なるものが在った

としたら、その海没との関わりも考えられる。ジェームス・チャーチワードによるとこの根本的

原因がやはり巨大天体の落下によったという。それは、ムー大陸の下に巣喰っていた地中の火を

解放し、一挙に大陸を壊滅させたというのだ。これほどの事件が地球それ自体に大勢的な影響を

もたらさないということはあるまい。

(二)アトランティス海洋文明の興亡(一万九千年前~一万三千六百年前)

次の時代は非常に寒冷な中に初まった。アトランティス時代の幕開けである。人類は温暖な低

緯度地帯に集まり、再び文化の灯をともした。古事記に書かれる歴史はこの時代の海洋国家の全

盛期の風俗描写から始まっている。運河、水路、市場の活況、自亜の建物群、港をゆきかう商船、

それら全てが、商業交易の中心地として栄えたアトランティスの貿易都市の様子を語るものであ

る。

この文明はやがて利益主義から独善主義さらにその輪が広がり、疑惑と不信をつのらせる混迷

の世相を招く。産業革命のようなことが起り、高度志向に拍車をかけ、飛行機、石油、火薬、兵

器類を生産する金属工業、非金属工業が隆盛した。このためこの頃の気温は上昇し、ウルム氷期

に間氷期をつくるほどとなっている。さらには戦争、そして世界大戦によって核兵器が用いられ

やがて人類史は終結したのである。この直後地球上の洗浄を促すような水天体の衝突により大量

の水がもたらされ、海面は一気に百数十メートル上昇し、地上のほとんどの地域を洪水が襲った。

災害はこればかりにとどまらない。地磁場は消失までせずとも衰弱し、再びムーロアの終りにあっ

たと同様の暗黒の時期が来た。また、火山活動が活発化し、各地で噴火が起り、粉塵を大気にま

き散らし、暗黒時代に拍車をかけた。恐らく、そのままの状態では地球は再び生命を育くむ星た

りえなかったであろう。そこに宇宙からの復旧の手がかけられた。古事記にはこの時期の復旧作

業について詳細に書かれている。それは地球上の重要な位置に超科学的システムを設置し、ちょ

うど生命体地球の心臓マッサージをおこなうが如きやり方で、磁場の活生化をはかったのである。

天体の落下から再び太陽が地上を輝らすようになるまで、百十年かかったょうである。

(三)宇宙文明の介入時代(一万三千年前~七千年前)

それからは、我々より一時代前の出来事となる。この時代は生物界が出そろいをみせるまでの

しばらくの間は人類の登場は据え置かれた。それは時代が再生する際の決まった手続でもあつた

だろう。短期のうちに太古から新世代までを模倣するのである。それからば人類は火山活動との

戦いから始まった。しかしこの頃、宇宙からの援助で火山活動を鎮める道具が各地に建てられて

いる。これは地球生命体で言えば心臓マッサージに継ぐ針灸理学療法とでも言うべきだろうか。

これにより、大地は安定し、人類は農耕民族を先進的種族としてまとまりをみせるようになる。

このような時にも地球外からの援助が加わり、新しい文明を生む下地が築かれるに至り、宇宙か

らは、新しい文明の移殖のための干渉がおこなわれる。これは本来やむを得ぬ歴史の流れという

ものであろうが、 一時代前が特別な宇宙からの顕在的な介入が無かったのに対し、この時代では

それが露骨である。新しい文明の利器を様々にとり揃え、侵略の形態をとって地上に高文明を置

こうとしたのである。まず、人類の性質が横暴であることから局地的に核戦争までしてこれを征

服する。次に本質的な最高知識体系をおあづけにして、高度物質文化を普及した。この役割を担っ

たのがアトランティスの復興された国家であったようだ。情報網が敷かれ、科学技術分野で非常

に隆盛した。この国家は世界に植民根拠地を多数設けていた。

だが何が原因してなのか、本質的知識はついに持ちこされることはなく、もはやこれ以上の顕

わしは無用と判断された時点で、高文明利器の事故により地中の蛇を触発して、大陸の全てを海

没させてしまったのである。高文明の音信とわずかな恩恵にあづかつていた植民国はほとんどれ

い属の現状であったので、根拠地ごとに利器が残されていたとしてもそれを維持することはでき

なかった。こうして当初、同一言語とも言うべき世界的な一大情報網の統一した指令で動いてい

た人類が、中枢部の崩壊により、個々別々の歩みを始めなくてはならなくなったわけである。ア

トランティスのファウンデーションは多くが破壊されたに違いない。これがバベルの塔、不敬な

目録見の塔と言われた事件である。この裏には宇宙文明と地球側の相互不信やいざこざの引き金

があったようである。この後、様々な覇を争う戦いや独立の戦いがなされ、結局収集がつかず地

域に分散してそれぞれに小国家が成立した。そして四大文明へと橋渡しがなされたのである。

二、古事記神 話に込められた伏線

前時代の人類史を語る表3 ・1の記号H~Uの展開は自然界の様々な局限的な時間経過の中に

もみられる。たとえば、植物のうちで弱い部類に属する一年性草本や多年性草本、あるいはある

時期に羽化し卵を産み落せば直ちに死んでいく昆虫などの生涯がぴったりと適てはまる。同様に

マクロな展開、たとえば、地球史、さらに宇宙史、日本古代史などが相当するのではないかと考

えられる。

筆者の考えでは、次のような時間経過が込められていると見受けられる。

(主線)大洪水後の新生から一大文明国家の滅亡まで(一万四千年前~七千年前)の世界史

(伏線その一)地質学的な歴史展開。荒れすさんだ誕生真際の地球~生命の登場、進化~人類登

場~地球生命系の役割終了までの地球史

(伏線その一ダッシュ)宇宙的な歴史展開。混屯と無秩序の中から、天体系が確立され、霊系宇

宙に服属され終了するまでの宇宙史。今後の成りゆきが不鮮明ゆえ”ダッシュ”としている。

(伏線その二)呪術的な旧石器時代~農耕石器(弥生)時代~大和朝廷統一までの日本史

「天地のはじめ」から順次訳した限りでは主線の事実を語ると考えられるが、時折挿入的な後

世の事物が登場するので伏線その二が重畳していることが分る。この両者についてはこの他、筆

者が実踏査した遺跡からも重畳を裏付ける混然一体となったものが見つかっている。(二章三・

(九)節で述べた)伏線その一は前「身楔」の段のアマテラス、月読、スサノプを太陽、月、地

球という構図として地質学的に捉えた場合に美事に対応がとれている。

このように幾種類もの異なる歴史を一つの筋書きに集約しようとすれば、当然余分な詳細は極

力省いて単純な物語にせざるを得ない。古事記の神話はどうして、これほどスケールの異なる伏

線を込めねばならなかったのだろうか。この理由は上つ巻が既に起ったこと、これから起ること

を含めて、現象に先立つものとしての原型的理念の世界を語る役割をもつからであろう。神道哲学

は神話に対して「自然現象の荒御魂」を語ったものであるという考え方を持っている。まさに、

これこそ神話の位置づけに関する古代世界共通の考え方なのであり、これを無視した神話解釈は

ナンセンスであると言って良いだろう。そこで次の話も含めることにする。

(伏線その三)以上を包含した理念的展開。まず、種があり、発芽し、基礎づくりがなされ、あ

る程度まで耕やされた頃に、華美で異質の急燃焼を旨とする理念の移殖がなされ、急激に盛えて、

土台もろとも急衰退するという一連の自然界の原理について語る。その適用例は、前記主伏線の

他、草本の一生、昆虫(かげろうや蝶など)の一生といった局在的なものにもみられる。

筆者は、二章二。(三)節の古事記解釈の手順説明の中で「神」や「命」は記憶のための重み

づけであるので、一担はずしてみれば考え易いと言った。しかし、ここでその修飾語が確実な意

味を持ってくる。全ての本源が我々の感覚では知り得ない超次元のかなたにあるとしたら、いか

にもこの表現が適切であるに違いない。その態様を古代人は「神」すなわち隠れ満ちるものと言い、

「命」(満言)すなわち高次元言語で成るプログラムと言っていた。そして「神」や「命」の言

葉や、彼等の行為する筋書きのすべてが歴史の展開に関わってくる理念であり、波動的にかかっ

てゆく性質を考えれば未来にも適用されるべき予言であったと言えるだろう。確かに主線、そし

て分類記号C ・Dの筋書きと類似したなりゆきを現在の文明は遅っており、現代に一つの警鐘を

鳴らすものと言えるだろう。ここに伏線その四として次の展開をつけ加えよう。

(伏線その四)紀元前五千年から紀元前二千年に至るまでの現時代世界史(旧石器時代~四大文

明~ルネサンス~現代~?)

伏線四については世界史をみれば分かるので説明を省き伏線その一~その三をそれぞれみてい

くことにしよう。

伏線その一 地球史に関して

地球史に関して言えば、生命の発祥から人類の登場、その滅亡に至るマクロな地質学的過程が

語られると考えられる。このとき古事記は生命の発祥に関して、一つの説を持っている。パンス

ペルミアである。古事記の宇宙論はビッグバンではなくむしろ定常宇宙論的であることから、星

のレベルの世代交替の観点からバンスペルミアに至ることは順当なものである。

なお、ゾロアスター教典によると、諸魔により汚された地上を浄化するため、アフラ・マツダ

の神族ティシュタル星が地上に大雨を降らせ魔生を絶滅したが、このとき、草本の主宰神である

アムルダードは地上で枯渇していた草木をとりすりつぶしてティシュタル星の降らす雨に含ま

せた。このため地上に一万種類の薬草が生い出でたという。これも外天体がもたらすバンスペ

ルミアを物語っている。これは「穀物の種」物語と筋書きが一致していることに注意したい。

その後は地質学的変動の収束に併い生物学的な進化論が適用される。オミヅノやフノヅノが

ここでは大地から出た角ではなく、身体から出た角、すなわち剣竜や一角竜などを示すと考え

れば、恐竜族の全盛時代(中生代)ということになる。次に、このような大地の眷属から新し

い種族にとってかわる。新生代のホ乳類や、温、寒帯植物の登場である。これが大国主とその替

族の時代であり、ギリシャ神話でいうところのクロノスの治世に相当する。 一世代前のスサノ

ラとその省族はチターン(巨人)族と対応がとれ、新生代より前の粗暴な地質学的時代を示すようだ。

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さらに、この新しい土壌の中に人類が登場する。天神で示されるのであるが、これは高次元霊

系宇宙の介入と考えられる。そして地球世界はこの傘下に服属せられるのである。これに併って

様々な面で変動を迎える。まず、試行錯誤を前提とした全くの新種が今まで統一のとれた自然界

に台頭することになる。また、これは、それまでの生物が類を単位として一つの「我」を持って

いたに対し、個々に我をもつものである。霊系を繋いでいる印しとして新種は大きな脳を保有し

た。また、自然界はそれまでは温室的であったのに対し実験炉としての性格を帯びることとなっ

た。実験炉の理由は、「木の花の咲くや姫」、「豊玉姫」のところで、天神系理念は全て観測され

なければならないことに表わされていた。

こうして、全く新しい方針が地球上に打ち立てられたわけである。それによると、天神の理念

遂行のためには国神系が犠牲にならねばならないこと、自然界のサイクルが短期的になっても己

むを得ぬことなどがある。このバックアップとして、「身楔」、「天の岩戸」などで述べられる回

復手続きと、「穀物の種」にあるように種子の保存が約束されるとしているのだ。だが時として、

国神は不満を爆発させることもあるとされる。これに関し、ギリシャ神話も同じことを語ってい

る。

伏線その一ダッシュ 宇宙史に関して

霊系宇宙との関係を考えた場合、その接触は決して地球世界のみにとどまるものではなく、宇

宙開びゃくの当初から関係づけられており、偶ま露骨に介入する時期が定型パターンの末期に相

当しているだけのことではあるまいか。

宇宙は当初、超高磁場がヤマタノオロチの如く、複雑に分極していき、切離されてそれぞれの

周りにガス星雲の渦を形成していったと思われる。それがスサノプの大蛇退治に語られると観る。

出雲八重垣とは宇宙空間にとった天体座標というべきだろうか。それがスセリビメなどで示され

るように、やがて、磁場の衰えと共に「国」の基である天体物質に冷え固まっていき、現在みる

ような宇宙ができ上ったと考えられる。これが大国主の時代に対応する。

一応の安定期にはいってしばらくして、霊系宇宙から介入がある。さらに不満足な霊系宇宙は、

宇宙を支配するようになり、その中で一つの実験計画を実施する。その結果安定的であるべき宇

宙は比較的短期に崩壊していく。この計画とは、今すでにその時期に入っていると考えられる。

なぜなら宇宙文明から五次元以上の方法を用いてUFOが飛来している。また、我々自身が霊系

と繋がった存在であるからだ。もはや実験計画下なのである。

そしてこの結果実験が終れば、再び宇宙開闢から新しい実験系の設定までが繰り広げられるこ

とになるというのがこの定型パターンから導けるSF的な将来予想であるが、この辺も考え方に

よってどのようにでも予想がつくので試されたい。つまり、理念という演算子のパラメーターの

与え方しだいというわけである。

伏線その二 日本古代史に関して

日本のれい明期には、島国日本とはいえ、非常に多数の海外渡来者が有ったことは否めな

い。

その中でも特に大量の民族の流入は波状的におこなわれ、日本の文化を段階的に異色で染

め上げ

ていくという経過をたどったに違いない。中でもその中心的役割を果たした地域が北九州であろう。

海流のせいでもあろうか、この地に海外の渡航者は漂着する可能性が過去の歴

史において最も大であるのだ。そして彼等は九州の中部までを区切りにして今度は東の本州ヘ

と足を延ばすのが常であったようだ。そのルートを遅った大民族は少なくとも二通りあった。

その経過を様々な要素をとりまぜてまとめたものが3 ・5 (次頁)表である。

伏線その二の重心は弥生時代以降に在るらしい。このため縄文時代以前の歴史に関しては、

全て「過去」の範ちゅうに含められていると考えられる。ここで、古代遺物、伝承等をふまえ

古代人の立場から次のように推測する。

超古代(一時代前)のれい明期において須佐の男が残した功業「出雲八重垣」は、その遺構

と共に伝説が縄文人の間に在った。それは「遠い我々の祖先(足名椎手名椎)が大地に巣喰う

巨大な蛇を鎮めるために、とてつもない石垣を築いたのだ」と。そして縄文人は巨石組みや土

塁を信仰の対象としていた。そこに紀元前八世紀頃徐々に侵透したであろう弥生人との文化の

相異、生活圏の相異などから数々の戦いがあり、融合がはかられた。そこでは「縄文人の祖先」

というのも邪見視され、「鬼が」とか、「巨人が」とか「天邪鬼が」とか言った表現に改められ

たであろうが、巨石組の意義、効果、人々が被る恩恵、さらには神霊すらそれを効用するとい

う言い伝えは、新民族である弥生人にとって、参考にすべき土地の知恵といったものだったろう。

弥生人の文化は、中国、朝鮮に基を置く。銅器を用い、農耕を営んだ。信仰は道教などの元と

なる中国の古代哲学に基を置く超自然的なものが対象であっただろう。縄文人の信仰は、その一

環で充分に融合できたと思われる。その融合の産物が銅鐸である。これは、銅鏡(中国や朝鮮で

もみられる)に加えて、スサノヲ系の巨石や山岳信仰がミックスされて新しいパターンを生み出

したものである。

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こうして、縄文人と弥生人はあるものは融合し、あるものは戦いの末、辺境に追いやられた。こ

うして形成された日本における勢力分布は、九州、西日本、中部、四国にかけて、弥生文化圏、

それ以外を隼人や蝦夷といった勢力が占めた。この辺の過程がスサノヲの治世から大国主の治世

への変遷、また八十神と大国主のし烈な戦いの中に縮図化されているようである。そして弥生人

は出雲族、三輪族、吉備族などの部族国家を形成させていった。

弥生人の中には多く秦の始皇帝が遣わしたという人々が居て、縄文信仰の融合のために「小さ

なスケールの石垣」を西日本各地に塁々と築いたようである。それは新天地にあって自由な境遇

で懐古する万里の長城の築城法の模倣であったとしても不思議ではない。こうして大国主の治世

は最も近しい朝鮮の支援によって充実した数百年を送る。その後新民族の先峰が渡来し、温厚な

弥生人のもとで帰化していく。彼等は中東系の思想を携えたインドに在った民族である。非常に

長い間、シュメール時代に有った知識を言語を熟成して持ち伝え、鉄器を知り、兵術に長じた進

取の気象ある民族であった。あるいは祇教を起し、馬術を知った中国人であったかも知れないが。

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とにかく皇室率いる新民族は海外から渡来した。しばらくの間九州の山岳地方で根拠し、日本全

上の探りを終わり、機の熟すを観て大軍を以で日本支配に乗り出したのである。この話が主線解

釈上の古事記中つ巻、以降の神武天皇の東征に始まる物語となっている。これは同時に、戦争や

威嚇によって大国主に国譲りを迫る物語に縮図化している。その後、大和に落ちつき安定期を迎

える。ニニギの命に示される華美なにぎわいは、都を置き、朝廷を設け政治と文化交流の場にし

た皇室の施策に反映されている。それは決して、超古代の驚異的文明のそれには値しなかったけ

れども、神話は傾向として生きづいているのである。

神話の定型パターンはここでも実証されるけれども、もしかすると、皇室は神話を一種の予言

書として考え、あえて予言の成就を自らの手でおこなっていたのではあるまいか。マヤ人、ユダ

ヤ人、ベルシャ人など古代人に多く共通しているのは、予言的神話と、その成就に貢献すること

が神べの奉仕と考えられていたことである。その流れを一部なりとも皇室が汲むとすれば、予言

書古事記のクライマックスは皇室が演ずるニニギ文化にあったと考えられ、そのターゲットは当

時、奈良時代開始の律令体制の完備と長安の都を模倣した平城京の完成、そしてそこに華美に動

めく無数の人並みに在ると考えられたのではあるまいか。本来なら口伝承すべき本辞神話を古事

記に書き記したこと、皇室の権力の衰退、純日本文化の衰退、これらは次段階の「猿女の君」の

急衰退消失の定型パターンに適わせるための驚くべき知識人達の諦観的議り事であったかも知れ

ない。(一章十二~十四節が関連)

だがそれでもなお歴史は動いていた。それはより大きなサイズの定型の中の一時点にすぎな

かったのだ。先述したように演算子のパラメーターに何を与えるかしだいなのである。この頃の

皇室は、残念ながら一つの思い込みで最も重要な決断を下してしまったのではあるまいか。

◇   ◇   ◇

ここで若干、道草をおこない、日本古代史の展開に関連して日本の古代思想を典型づけていた

神道の起源を考えてみよう。

◇   ◇   ◇

神体山信仰と神道のおこり 

神道の発祥は神社造営の開始と期を一にすると考えられる。その推進役を勤めていたのはやは

り皇室であろう。

皇室率いる新民族が日本を征服し根をおろした頃、それまでの弥生人(一般諸民)の信仰は民

族信仰とも言うべき神体山、巨石類をもとにしており超自然的な大地の神霊を拝するというもの

であったであろう。なぜなら、弥生人も、局部的に縄文人の思想を汲み取りつつ、彼等の神の概

念を発展させていたであろうから。そして、神体山や巨石組みは既に二章三。いでみたように、

それなりの実効力をもったシステムであるから、弥生人はそれを充分に利用する手段を心得てい

たであろう。涌き出るエネルギーは、石土造建造物により何らかの形態に直して取り出し得たし、

生物は本能的にそれを利用していた。また古代人は祈りの力によって、それを理念の世界に抽象

化し、やがて現象化の流れに乗って祈った通りのものが具体化されることを読んでいた。この思

想は当時の人にとって動かし難い真実であったに違いない。古代哲学や宗教に用いられている観

法、瞑想法はクンダリーニ(これは地涌のエネルギーと同じものである)を利用して精神的に昇

華したり、現象を意のままにする方法であるとして伝わっている。

皇軍が西日本征伐の折にも、具体的な抵抗以外に熊野の山中で一趣呪詛的な抵抗に遭いこのた

めに皇軍の先行きが危機に頻したことが中つ巻には書かれている。それはいわばヴーヅーの呪い

とでもいうべきか。熊野の山中に仕掛けられた「猪垣」は決して具体的な合戦のためのものでは

ない。地涌のエネルギーを怨敵撃退の方向に集中する呪術的設備であったのだろう。石垣は呪術

的に結界を意味するが、もとはといえば実に合理的な効果のもとに裏付けられた事実であったの

だ。その知識は、超古代から持ち越されていて、シユメールの城郭は外敵のみならず、大河の中

州にあってまで、水の侵入を結界の呪諷によって防ごうとしたあらわれである。その根元的意味

は、火山活動を地上に持ち来たさないこと、またあるいは、業的な障りからの隔絶といった「封

じ込め」、「超自然的バリアー」のそれであった。これらはすべて、地涌のエネルギーによってま

かなわれると考えられていたのである。

皇室の本来信奉する思想は光明神であった。それは、伝え守るべき知識と一心同体であったか

ら、征服民族としての所期の方針は貫かれねばならなかっただろう。こうして決して無視できな

い諸民信仰としての神体山や巨石を土台にしたエネルギー信仰の上に光明神を上のせする形で思

想的融合がはかられることとなる。

光明神は中東でも信じられているとおり、霊峰山岳のはるか高みにおわすると考えられていた。

(既に一章九節で述べた)このことは、趣旨は違うとはいえ、同じ神体山などの山体を媒介にす

る崇拝形態として非常にとけ込み易い素地ではなかっただろうか。こうして一方ではエネルギー

に対して、一方では光明神に対して、共通した「みたて」的な山体を介して結びつけられたので

ある。そして、神体山には、それをどこからでも眺めて拝するのではなく、それを諸民の主張にのっ

とって、禁足の地とした上で、拝所を特定のところに定め、そこに神社を設置して、そこから、

集中して拝するという形式を造ったものだろう。

神社の設置場所は非常に厳選され、それは二章三・(9)でみたように、八重垣のラインを生かし

ている。また、奥つ宮、中つ宮、辺つ宮が奇麗に一線で並ぶような配置を採ったものと思われる。

しかし比較的後世ほどこの原則は薄れてくることは己むを得ず、今でも残る官幣大社級の旧いも

のでないと厳選の跡は見出し難くなっているようである。

皇室の意図は恐らく身近な神体山にはなく、むしろ全国に散在する山並み豊かな山岳に求めら

れたことであろう。そして山岳名も、高原山とか、高御位山とか、高山とかいった「高天が原」

ゆかりの名前がつけられ、後に仏教の侵透と共に釈迦が岳とか須弥山を思わせる山名がつけられ

るに至った。いづれもより広大な神域をその上空にみたてたものであることに変わりはない。し

かし、この異和感をかもす二つのみたて信仰がやがて神体山信仰から神社の社殿信仰への遷移衰

退を引越こし、加えて諸民思想的な施策が充分でなかったことから、神体山が禁足の地、侵して

はならない地であるという考え方が早期にすたれていったといういきさつを推理する。

では、神道概念はどうだったのだろう。諸民信仰の崇拝形態の中に祭祀の原型が既に在り、古

伝的な思想がそれをバックアップしていたと思われる。これが自然神道の起源であろう。そこに

光明神信仰が一つの知識の体系を携えてはいってきた。従前の思想および民族の存在は、この知

識体系(神話の原型)の中の局部を占めるものとして位置づけられ(大国主の時代として)、そ

れにとって替わって皇室の登場がやはりその体系の中で後置される局部として位置づけられた。

では諸民(弥生人)の起源的思想である縄文文化はどうかと言えばやはり最も前置されるべき局

部(スサノヲ神話)に位置づけられた。こうして、皇室のもたらした知識体系は様々な場合を網

羅できる万能のものとして認識されたことと思われる。

高天が原思想の優位性は予言書的正確さで認識され、なおのこと存続の必要性は深まったので

はあるまいか。こうして、神社神道の側で知識体系は吟味し直され強力な思想として定着する。

そこでは知識体系の局部的受け持ちが決まり、様々な地方の神社に配分される。ある所では天つ

神あり、ある所では国つ神あり、あるいは海神ありで各々受け持ちがなされ、知識体系という中

央集中の一つのまとまりの中で幾多の地域がまとめ上げられることとなるわけである。

伏線その三 理念の定型パターン

以上観てきたように、時間、空間的スケールを異として非常に似通ったパターンが適用され

ていることがお分りになろう。歴史のもつ定型パターンと言えるものである。(図3 ・2)

ところが我々の生活レベルで適合するものとして、日常食料としている稲や麦などの一年性

草本の成長過程がちょうどこれに当てはまるのである。伏線(3)は共通的な理念のパターンを並

べたものであるが、これと穀類の生育とは次のように対応がとれる。

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ここで再び、古代イランの神話イシュタルの冥界下りと穀霊タンズムの蘇生のくだりが一つの

手がかりを与える。この物語が、古事記のイザナギの冥界下りとイザナミ救出の失敗諄と、共通

していることは既に述べた。その語るところの差は人類史の蘇生と、 一年性草本の蘇生のそれで

あるが、根底にこの理念の定型性が存在して両者に共通点をもたせていると考えられる。よつて、

この理念の定型パターンは確かに古代人が意識していたところのものであり、起源は古いもので

あることが分る。古代人は穀類の中に人類史、地球史、宇宙史、などの多くの重要な歴史の流れ

を観て取っていたわけである。つまり、穀類は生滅変転してやまぬ歴史のシンボルであったのだ。

これが樹木などではあらわせない道理である。しかし樹木はもっと永続性を保証するゆえに、現

象界からは遠く離れた恒久な「知恵の本」などのモチーフとして使われたようだ。(⇒四節)

◇   ◇   ◇

古事記を調べると古代人の思想が自づと分ってくる。その思想も決して日本のみに偏ったもの

ではなく、世界の共通した考え方であるので重要である。世界共通思想である理由は、一章で述

べたように古代思想の原点が出所を一つにしているからであり、古事記はその出所から生枠のま

まで高度な保全手段を構じて口伝されたものの精随であるからである。

ここではその思想を順次テーマ別に考えていくことにしよう。

三、古代人の考えていた世界の種類

古事記に語られる世界(空間)の種類を図3 ・3 (次頁)に示す。それは古代人が我々の現世

を中心にして考えていた世界の構図を与えるものと思われる。その中の少なくとも高天が原、海

原、黄泉の国、根の堅州国は海外の神話とも共通の素材である。

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高天が原は何にも増して重要である。現世の汎ゆるものを生起させ、移りゆく様を鳥観する位

置にあり、万物の原型的理念(荒御魂)を充満させ順次下位へと変化させ押し出している無限の

高所と考えられた。五次元以上の世界というものかも知れず、また我々の世界と少なくも時間軸

を共有する超空間というのかも知れない。それは、古代中東のハラーブルザティー、ギリシャの

オリュムポス、インドの須弥山で示されるように山岳地帯をモチーフとしている。

常世の国は常夜でもあり韓(空)でもある常に暗い真空のいわゆる宇宙空間である。少名彦名(小

人の宇宙人)はそこから天の輝身船(UFO)で地上に来て再び去って行った。

葦原の中つ国は現しき青人草(人類)の住む理念顕わしの舞台である。高天が原に対して葦

なる原であり、「葦」が示す通り、春には芽生き、夏に生い茂り、秋に地上部を枯れさせ、冬に地

下だけで過ごし、春を待つ多年性草本としての性質をもつ世界のことである。古代人はある時

は穀類、ある時は葦に、この世界をなぞらえた。

いづれも弱く空しい草本としての現世観が与えられていた。

山は中つ国の内にあるが、常人の往かぬ所とされた。神(理念)や霊や死者が昇降するとこ

ろであり、神託者か賢者か世捨て人の往く所であった。

海原は海とその水平線のかなたにある生命の淵源たる亜空間であり、汎ゆる超空間と交わる波

動の海原のことである。ここを経由することにより、非常に遠い天体にも(相対論的効果は無視

できないにしても)短時間に航行できるらしい。そしてその先にある綿津見の神の宮(龍宮城)

は地球から数十~数百光年離れた天体または超空間であっただろう。ギリシャ神話のオーケアノ

スとその涯にあるヘスペリデス、そこにある生命の樹を求めてゆくヘラクレス、古代イランのフ

ラークカルド海の深淵にある白ホーム樹、これらは同様のモチーフをしている。

黄泉の国は、死者が赴く異空間である。それは時代という大きな死者にも人という小さな死者

にも適用される幽界(冥府)であるが、現世の腐敗した惨状や腐乱死体を埋葬する墓地にもたと

えられる。このため暗くじめじめした地下にあるとも考えられた。アトランティス文明は死んで

肉身(イザナミ)が腐敗したままの状態で冥府にとどまったが、霊魂(イザナギ)は脱け出して

身を浄め天界へ昇華した。ギリシャでは冥王ハーデースの居所とされ死者はヘルメースに随伴さ

れて斑犬ケルベロスに見張られながら暗い辻道をそこへたどったという。古代イランでも光明

の女神イシュタルは毎年のように死ぬ穀物神タンズムを救い出しに冥界に赴くとされていた。

根の堅州国は超人的賢者(スサノヲ)と地下の火(マグマ)と鼠(根住み)の居る地下である

と考えられた。そこは地下の火を幽閉し、自然の基本的な猛威を制御する場所とも考えられて

いた。スサノヲは表からでは分らない仕組みを地上に張り巡らし、地下の火を制御した。ギリ

シャでも地上で火山や暴風として荒れ狂うチターン神族が今やゼウスの手でタルタロス(地

下)に幽閉されるという。その中にはサイクロプス(火山)やヘカトンケイレス(百手マグマ)

やテューポーン(暴風)が居る。

以上の世界に対して神々は図3 ・4のような分類ができる。神と空間は必ずしも一致しない

ことに注意が要る。

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四、万物を生滅輪廻させる草本の理 念と樹木の思想

古事記の神話とは一体何であったか、これをまとめてみると、汎そ一半は歴史事実を語るもの

であると共に残り一半は歴史展開に関わる理念の世界の意志の流れ、つまり理念世界を客観し

たときに把握される出来事を語るものと考えられる。

前者は一通り(一意に)に決まるが、後者は漠然としている。しかし後者は、ある特定の場合

に前者と一致する。この性質は素粒子を扱う時に考えに入れねばならない粒子性と波動性のパラ

ドックスに似ている。波動的な理念に対して、「時」を限定すれば粒子的足跡としての歴史が示

されるというわけである。筆者はまさにこの「時」を与える方法を神話に適用した結果、前述の

伏線を見出せているわけである。またこのようにして、神話から過去に生滅した二時代分の超古

代史を見出せたわけである。そしてこの場合が最も適切な解釈が得られたので主線に据えている。

神話を考えるときに、物理学的解釈ができるとすれば、逆に「理念」というものの実態がモデ

ル化でき把握し易くなる。「理念」の量子場としての把握法は予言のメカニズムを考える上で役

立つし、実体にかかる理念を分析し計算すれば未来予測すら可能になると思われるのである。ま

た古代哲学が観念論的に難解な言葉でこの実態を修辞していたものに対し、現代物理学的見地か

ら妥当なものとして古代の側につき上げることが可能となるのである。第四章では古代科学観と

現代科学観を融合する概念を述べることになるが充分に吟味されたい考え方である。

では、理念についてもう少し考え方を鮮明にしておこう。理念は中国古来の言葉「気象」にあ

たる。これは時の兆候という意味であるが、前提的に時の経過に併い成りゆく模範的定型的パター

ンが予じめ想定されている。それは最も大きいパターン「太極」の中に細かいがそれほど多くな

いパターンが在りそれが天工の造化によって適宣用いられるとする。古代インド哲学ではこれを

ブラフマンとしていた。古代人は、この定型的な内容を何らかの方法―それは超能力者をしてア

カシャの本源を観察せしめたのかも知れないし、あるいは長い過去の歴史から統計的に潜在する

本質を導き出したのかも知れない―で知り、その時々に生きた人々は日常のなりわいの中に時の

しるしを見出し、 一体今がどのパターンの中のどの位置にあるかをいつも考えていた。それは凡

その場合、占星術とか奇門遁行の兵術とかの形で秘術化したが、マヤのように民族共有のものと

したところもある。

理念の性質は、ある典型的な定型パターンを考えると、第一に「生・成・ 衰・滅」の波形のま

とまりをしていることである。釈迦は「生老病死」の問題意識ゆえ出家したが、このときの「生

老病死」とは決して人間に介在する煩悩のことではなく、天地万物が共通して抱える普遍的性質

ひいては神仏の本性を考えるためのテーマであったと考えられるのである。日本にも輸入されて

万物具有のはかなさ「無常観」として伝えられた。

第二に波動のように、または一種の「場」のように他の理念や実体に演算子的に掛かっていき、

その性質を付与することである。その結果、大小長短様々な成りゆきがこの性質を滞びて、ちょ

うど波動の重ね合わせ、量子場の掛け合わせのような格好で理念の空間で組み上がることとなる。

実体はその動かし難い結果、あるいは観測時間を投入された結果として生じてくる。そして、理

念と実体の境界にはこれ以下の時間の設定が不可能であるという観測限界があり、ミクロの不確

定性がありえているらしい。そして現象は様々な理念の重ね合わせであるので、ちょうど歴史と

は光の干渉縞のように多彩な類似パターンをその中に含みつつ、大域的に繰り返しているものと

考えられるのである。

マヤ人はこのパターンを予言として口伝した。そしてこれは一担成就すればそれで終りになる

のではなく、再び強い確信と共に訪れてくるものとされた。近い頃の伝承では、カトゥンの予言、

トゥンの予言などとして記録されている。カトゥンは二十年を示すが、十二期分が予言され三百

六十年でサイクリックに巡るという考え方を含み、様々な伏線的サイクルを持っている。旧約聖

書も予言とされる。それは主線としてユダヤ人の宿命を語り、既に多くが成就してきたとされて

いる。しかしその中には今後に通用する予言が多くみられるとされ、このため最近の予言ブーム

の中に再燃してきている。これは、定型の理念がスケールや要素を変化しつつ繰り返しあらわれ

ることを示している。

さて、「生・成・衰・滅」の定型パターンは確かに我々の世界においては汎ゆるもののなりゆ

きの中にありえている典型的なものであるし、表3 ・1の七段階の移ろいはその中でもまた多い

タイプのパターンである。だが、古代人はこのような変転きわまりないパターンよりも優性でか

つ安定したパターンの理念の存在することを考えていた。それが、樹木のパターンである。

樹木の思想

歴史のオーソドックスなスタイルは穀物のような一年性草本、または草のような多年性草本と

して繰り返すと考えられた。しかしこれは人類最大の疑間であり古代人にとっては是非とも解決

せねばならないことであっただろう。それをある民族は神の所望と考え、それに甘んじる中に超

然たる生き方を見出した。またそれを打開する方法を求める人々もあり、そのような中に釈迦が

居た。彼は、表面的な現象宇宙の深奥に決して生滅することのない永遠の仏土があると考え、生

滅してやまぬ現象宇宙をマヤ(幻影)であると観てとった。

この概念はもっと旧くペルシャにもあった。汎ゆる世界を囲続するアフラ・マツダの世界が永

遠に安定的にそこに在ってこれらの世界の成りゆきを鳥観すると考えられていた。問題はどうす

ればその世界に到達しうるかであるが、その点についても、 一つの概念を持っていた。それは簡

単に言えば、「天則にかなうこと」と「最高智を得ること」であった。前者は神の所望に従順で

あることであり、人の心がけしだいでまだしも容易である。しかし後者は、それがどのようなも

のであるか分らないばかりか、 一度は人類に付与されたものの、神の怒りにふれて遠ざけられた

と伝承するところの注「知恵の木」であった。

なぜ「木」に讐えられたのだろうか。考えられるのは、 一つとして現代でも学問体系をよく一

つのツリー図にして説明するようなことがあるのと同様に、非常に広範多岐な知識の体系が実際

に在ったのだけれどもその表象だけが伝えられたのではないかということである。それは超古代

の高文明を前提にすれば考え易い。またあるいは、最高智の体系はアカシャ(理念の知識部門)

の世界に厳然として樹立されていたものを言うのかも知れない。なぜなら理念界は逆トリー構造

をしており、上層に幹があり、下層ほど詳細な枝葉をかもしているとみられるからである。(図3 ・

5)そして人々は、これを得るべく、この内容を知るべく、知覚力増大の修行をおこなっていた

と考えられる。釈迦は、成仏するために阿褥多羅三貌三菩提(仏の最上の知恵)を得べきことを説いた。

そして彼は瞑想を通して菩提樹の下でそれを得たとされている。また将来仏である弥勒菩薩も竜華樹の

下で成仏するという。ともにここでいう「樹」とはアカシャの本と考えれば分り易い。

古事記の場合、直接的ではないが、「天の岩戸」の節で最高科学力の粋を掲げておいて、それらが一

本の「五百津の真賢木」にまとめられていることを語っている。マサカキとは真逆木であり上下逆さま

の本のことをいう。そのうちの初枝にかけられた「八

尺の勾玉の五百津の御統の玉」から生まれたのがアメノオシホミミ(最高知の体系)というわけ

である。図3 ・5はこれらの言葉を解くキー表象となっていることに注意。

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また、もう一つ考えられることとして、これを得ることにより永遠の命が得られると考えられ

ていたことから、草本に比べて永遠に近いシンボル常緑樹がその表象として採り入れられたので

はないかということである。このときの永遠の命とは人間の寿命のことではなく、興亡しない永久

安定の文明をもつということが原義であっただろう。

いづれにしても樹木に暗示されるものは個においても全体においても獲得すべきものであり、神の所望に従順であ

ることと共によりよき未来の理念のために必要とされていたものである。法則は法則として従い、それ以上のものを

出し合って、新しい輝かしい法則を持ち来たすことが本命とされたのであろう。

古事記の伝承も、やはり人類にこの最高知識を与えることがためらわれたことを物語っている。しかしこの場合、

神のねたみなどによるのではなく、人類の資質に問題があり、理念界の高みに据え置かれたとしている点で、海外の

伝承とは異なる意見をもっている。それは、いきさつが詳細であるだけにより真実を伝えていると思われる。

最高智獲得の課題は古代世界共通のものであったと考えられる。これを考える民族の主義主張

に応じて様々に変化したと思われる。例えば、ギリシャでは神話の中に満たされぬ願望として表

出し、半神半人の英雄ヘラクレスに知恵の本の実を取って来させている。古事記でも山幸物語の

中には、この往来かなわぬ世界への憧景が込められていると言えるだろう。

五、古代人の理念世界の考え方

理念の前提的存在の観念は古代世界共通の思想である。理念は具体的な形をとってあらわれる

以前の抽象的、高次元的な情報であり、我々が何かの行為をしようとする時の直前に閃かせるも

のである。これは人間ならずとも時間の流れが万物に与える変化の素となるものである。

理念が現象化してくるときのステップは汎そ次のように考えられていただろう。時の経過に併

い、最も大雑把な理念(荒御魂)が理念界の上層に徐々に落ち着いてゆく。時の経過により強力

かつ鮮明になるにつれ、その詳細な理念(中御魂)が他の様々な理念と掛け合わさって下層に形

成されてくる。これゆえ和御魂という。それが同様の経過でより下位へ下位へと退り、ついに現

象界の極近のところではほとんどの詳細が鮮明になった形で現象の事物に掛かってゆきそのなり

ゆきを変化させていくと。そして現象化が果たされれば、それをもたらした理念は順次消去して

ゆくことになる。また、最上層の理念は単一でも最下層になると非常に多種多様となっているが、

その関連樹の全てが終了して始めて理念は完遂したと言えるのであると。

たとえば「火のカグツチ」という理念がぁったとしよう。それは下層に多様化して、「イハサク」、

「ネサク」、「火のヤギハヤヲ」などの戦争の付帯性質を展開し、現象界には非常に多種多様な戦

争形態としてあらわれることになる。だが理念は始めから最も鮮明な形をしているのではない。

段階的に鮮明になってくるとも言えるし、またあるいは、その理念の範囲内で無限のケースが在っ

て状況に応じて取捨選択されてくるとも言える。実際の現象はあくまで実験炉の中の出来事ゆえ

理念はこのためにどのような変化にも対応すべく波動的な柔軟さを持っているのである。だがそ

うするうちにも時間的経過は多くの細部を確定したものに暫時変化していることは確かであり、

事態を変えようと思っても、手遅れになる確率はそれだけ大きくなるのである。イザナミ救出の

物語でみたように「くやしかも、速く来まさず、吾は黄泉つ戸喫しつ……」の結末になることが

多いということである。時の兆候は様々な方法で観ることができるようであるが、何の対処もせ

ずに放っておいたら変わるものも変わらず、宿命的様相を呈してくるというわけである。

さて古事記では、理念の展開の階層を三段階にして表現している。それを図3 ・6に示そう。

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これらは、「道」、「川」、「火」に讐えられている。そしてこれらの階層関係を端的に示せるモデ

ルとして、細胞内物質を考えてみる。細胞内は一つの歴史の生産を営む世界である。アミノ酸の

生産にたずさわる酵素はDNA核の存在を一切知らない。ただRNAに運ばれてくる限りの情報

を受け留めて、これを全体だと認識(する能力の有無は別として)する。その結果のまとまりが一つの臓器を円

滑に動かしているのであり、これと全く同様の原理が宇宙にも適用されている考えられるわけである。

「奥つ」、「辺つ」の意味と無限階層構造

理念の階層的ブレークダウンの過程を示す言葉に「奥つ」、「辺つ」がある。「辺つ火」というのは「かまど」

のことであるとなっている。これは、今でも地方で「へっついさん」と呼ばれている語源である。これは総じて衣

食住に関する物質的充足をもたらす知恵のシンボルである。逆に、「奥つ火」というのも、対隅の位置に考えら

れていたことが推測できる。これは、精神的充足の知恵のシンボルであると共に「辺つ火」の元なる理念のこと

であろう。また、「奥つ」は、左(日垂り)の方を意味するが、明らかに理念の垂述を物語っている。また、「辺

つ」は、右(身極)を意味し、確かに現象の側を示す言葉だ。よって、ここでも、道や川の概念にみた拠点の

考え方がなされていることに注意したい。

また、この配置は、相対的なものである。それは既に二章三・(6)節でみたようにより広域とい

う観方に立てばその関係はまた変わってくる。まさに、無限の広がりの中で任意の空間座標を設

定するものである。また、 一つの座標がまた別の座標の一部であったりしている。たとえば、最

小単位が神社の本殿―拝殿―鳥居であったとしよう。一段階上がると神体山―神社―御旅所とな

り、次に神社(奥)― ク(中)― ク(辺)あるいは神体山(奥)― ク(中)― ク(辺)となり、

次に、霊峰山岳―山ろくの神体山や神社などの霊所―街や都市となり、もしかしたらさらに日本

から海外へとラインで結べる関係があるのかも知れない。(図3 ・7)実際に日本にある限りに

っいては筆者が既に明らかにしているとおりである。

なぜこのような形態にしてあるのか。それは理念の降臨する段階的経路にあわせたのである。

今までみたように時間的経路などの抽象物の流路を空間的な表現に置き直しているのが古代人の

特徴だからである。理念の降臨を空間的にみたてるとき、たとえば神の加護が実際に村々に効果

としてあらわれてくるのは、まず神体山に降臨し、次に神社、さらに鳥居を経て村の津々浦々に

配られると信じられたから鳥居の前に民家が並び門前町となったのである。特に祭神が水分神で

あればなおのことである。このように階層構造的な配置の仕方を古代人は意図しておこなってい

た。それはとりもなおさず、彼等の元なる思想あるいは知識に根ざしていたのである。

古事記に語られる美事な理念展開のストーリー

古事記には理念展開の多段階程が省略され、三段階で顕われるというモデル化がな

されている。その例を図3 ・8に示そう。

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過去の歴史では、オシホミミに示される最高智の体系は地上にもたらされることな

く、理念界の高所に引揚げたままとなった。

この原因は「中つ国は、いたくさやぎてありなり」、すなわち地上の意識レベルが粗

野であることにより、この後もニニギの産まれたことにより据え置かれたからである。

かわつてニニギ(高度物質文化)が天の浮橋(理念の中間段階)にチャージされ、

その結果コンピューターや通信機器、土木建設機器などがその一環としてもたらされ、

そして最終的にニニギ自体の降臨による理念完遂となる。

まさに、古事記は正確に展開の経過を順を追ってえがいているのである。

また、イザナギ、イザナミニ神の造化についても同じことが言える。この場合もやはり天の浮

橋にあって天体や地球が理念のブレークダウンの原則に従って創られていることを示している。

神々の系譜は理念の因果の連鎖を語ろうとする

神々の系譜図は時間経過に併う理念の誘起発動を語るものである。この系譜が天地創造の当初

から連綿と続いてきていることは、宇宙の開始から現在に至るまでが一本のプログラムの中でお

こなわれていることを示している。これは、当り前のことのように思われるかも知れないが、重

大なことなのである。なぜならこの中に含まれる小単位のプログラムは何度も一からの出直しを

余議なくされているからで、今後途中坐折が無いとは言えないからである。

系譜上の親神は子神を包含するものであるか、もしくは子神の誘起要因を意味している。通常

親神は男女二神であるが、時には一神であったり、媒介的な要因が補助する場合もある。それを

表3 ・6 (次頁)に掲げよう。

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理念は単身の場合もあるが多くは二神で下位へ結果を折し出してゆく。そしてそこには媒介が

必ず在ってその権化として現実が動いているという形態をとる。我々が通常考えるのは、このよ

うな媒介からの段階がせいぜいで、それを動かしめている源までは考えたりしない。またもっと

悪くすれば、より結果的なものしか考えないかも知れない。たとえば、島生みのため天の沼矛(磁

場)が「漂へる国」(プラズマ星雲)に介在しているところまではよく分るが、二神がそれを書

き動かしているなどとは夢にも思えないことである。しかし、古代人は因果関係的な親も含めて、

超次元的な実体を意識していたのである。

理念界の浄化のなされ方(理念界の流産)

また、理念の領域の浄化についても語られる。詳しい手法は定かではないが、ここでは「水」

にたとえられる何かが用いられている。時代と時代の接点に理念界の中流域の浄化がなされ、そ

れ以下の地上に至るまでの段階が浄化されたことを示している。

浄化の方法は「水」であるがどうやら「出雲八重垣」のところでみた、不可見のエネルギーが

そうであると思われる。というのは、銅鐸の流水紋が農耕に多大な影響力をもつ八重垣エネルギー

を示していると考えられるからであるが、古代人はこのエネルギーを「水」に例えるものであった

らしい。水分神は雨司の神であると共に、山の神でもあったが、それは、エネルギー供給が起源

になっていると考えれば全て合理的につながるのである。

そして、このエネルギーは想念と相互作用し易いこともあり、想念の力で浄化の理念を理念界

の中流域で発生し、その発生点に自紙化プログラムを繋げたのであろう。これがイザナギの「中

つ瀬に降り潜き」の行動であらわされる物語となったと考えられる。イザナギ自体理念であると

共に、実行者なのである。白紙化(浄化)というのも理念であり、顕わされるべきものである限り、

地上に投影する時には合理化されて恐るべき水天体の地球衝突というあらわれ方をしたのであ

る。それは急激な浄化の方法であった。

ところでこのとき、上層部の浄化までは、「瀬速し」の理由で、なされていないことになって

いる。このためであろうか、我々人類は、かつてあったのとほぼ同様の歩みをしている。今やコ

ンピューターは日常生活にも入り込んできたし、そのネットワーク組織が随所で登場している。

土木工事とて同じである。さらに今後核兵器の使用が無いという保証はない。理念の完遂も間近

な気がするが、果して今後どうなるのだろうか。究極的なターゲットであるオシホミミは持ち来

たされるのであろうか。

六、古代人の 認識していた神の恩籠、生命環境制御システム

地球上に設置されている生命維持、環境制御のための機構はかなり多彩に登場した。それらは

ほとんどが時代の入れ替え期に起きる地球上の大事変に対処するために用意されているようであ

る。それを次表に示そう。

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「豊玉姫」物語で念を押すように語られているように、人類文明史は地球という一つの実験炉

の中でおこなわれる試し火の過程であるという考え方はこれでほぼ明らかになろう。 一つの実験

が成功する失敗するというのは我々のレベルの分別智では何も言えないことである。しかし、恐

らくは一つの実験が終れば次の実験のために様々な環境条件が復元されるのであるということは

言える。

一つの実験の終了と共に、惨劇の軽減、種の保存、そして時代の閉幕のためにUFOが大飛来し、

情性で殺戮を続ける軍隊を撃退するということは理にかなっている。また、地上の汚物の浄化の

ために荒療治であるが、水天体を衝突させる如きは天の知性の超科学力からすれば難しいことで

はなかったであろう。このもたらす泥土により、毒物は洗浄され、全ての前時代の遺物は泥の下

に埋め尽くされる。それに併いそれまで援徐に動いていた海洋浄化ダクトがフル回転すれば、短

期のうちに無機的な下地は回復されるだろう。そして、しばらくの凍結期間の後、地球に宇宙機

と化すシステムを設置することにより、新たな理念を賦活し、地磁場を蘇らせ有機的な下地の回

復がはかられれば、新年を迎える準備が整うというものである。

すると今度は、かの天体の力学的影響で歪んでいた地殻が火山活動を活発化させ生命の発展を

脅かす。このためこれを逆用して生命の賦活に効用すべく、知性は地上に呪術的なメガリスやマ

ウンドの超科学システム「出雲八重垣」を築く。(この辺はSF的破天荒さであるが、ただ信じ

てもらうしかない)これにより、地エネルギーは変換され、生命活生エネルギーとして地上の生

命体をはじめUFOの動力源としても幅広く活躍することとなる。地球はかくて生命が繁茂し、

宇宙を旅する船人のオアシスとして不可侵の秩序が守られると共に、人類の知らぬうちに宇宙文

明の根拠地となり、 一つの高度な計画下に参入しているという具合である。

また、このエネルギーは理念界の新陳代謝を高める働きもする。たとえば、先程の水天体投入

の前段階として、理念界の自紙化(アボート)手続きもおこなわれている。このためのエネルギー

源は、やはりこれしか無い。なぜなら、この八重垣エネルギーとは正しい用い方さえすれば、高

次元の高みにまで作用しうるほどの昇華力を持つというインド哲学でいうところの地中の蛇クン

ダリーニであるからだ。そして、出雲八重垣に相当するものは表3 ・7における前時代にも存在

した、というわけである。 また、「八俣の大蛇」とは必ずしも火山活動や火山帯を示すものと

は限らない。ちょうど人間が肉体部分と精神(霊や幽体)部分の複合体であるように、どのよう

なものにも精神がある。一説によると、人間をはじめ生物の出す破壊的想念が理念界の低所に「業」

として蓄積し、それが地下に沈み火山エネルギーに転化しているという。そればかりか、人々の

思考上に投影して破壊的、悪魔的な衝動にかりたてるという。 古来より卵をとりまく蛇のモチー

フがあり、暗に世界を示すとされていた。蛇はどの神話でも良くないことをしでかすものに醤え

られるが、これが地球をとりまくような格好で存在する業想念帯で、本来の理念が天降ってきて

もそれを破壊的な方向に偏極し、生命系の潜在意識を通して日夜破壊的衝動やトラブル、あげく

は戦争を起こさせ、実験炉のなりゆきを低質なものにしているとすれば実に問題があるだろう。

蛇は汎ゆるまとまりをみせようとする働きに逆らって、それを熱エネルギーに変化し消耗する摂

理のようなものかも知れない。それは業想念帯という精神部分と、火山活動、戦争、破壊といっ

た具体的部分の複合で成っている。そしてそれは、逆の良い方面の摂理である生命的組織化の摂

理とやはり重合する格好で世界の歴史を形成してきているわけで、宇宙の法則から熱力学第二法

則を外せというのが不可能なように、業的事象を取り去ることは不可能であろう。それでもこの

働きを抑制して、バランスよく歴史が運行していくように地球には優れた設備が置かれていると

いう考えができるだろう。

いま一説によると人類が光明化想念をもってすれば、宇宙にはそれを増幅して業想念を対消滅

すべく作動する地球外知性の築いたシステムがあるという。この考え方も八重垣システムの効用

を述べているのであろう。八重垣エネルギーは二章三・(十六)節でも述べたように「威儀を正

した祈り」の想念に感受して、具体化するからである。これを知らせるためにわざわざ御諸の山の

神なる知性が訪れてもいる。このようなことから、地球をとりまく、物心両界のエネルギー循環

系を考え、その中で宇宙の知性がもたらした環境浄化システムがどのような働きをしているかを

図3 ・9 (次頁)に示すことにする。

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こうしてみると、地球は一個の生命体である。そこには可見と不可見の領域に渡る循環系が

あり、さながら人体の仕組みを見る思いがする。その中で業的事象は一種の疲労物質であり、こ

の除去のために肝腎に相当する環境浄化システムが日夜活躍しているというわけである。このよ

うな対策が予じめ施してあるからこそ、今の時代の無謀な公害や汚染にも自然は未だ破壊し尽く

されず残っていると言えるだろう。自然の浄化作用と我々が思っているものの多くは、実は地上

を一つの実験系たらしめている知性の厚情の賜物によるものである。だがそれはどこまでも万全

とは思えない。特に次の二つの面で心配されるものがある。

一つは、人類の横暴に基づく汚染の最大のもの。核戦争になれば、決定的なオーバーワークを

もたらすだろう。二つは、国神族の反乱とも言うべき、自然の猛威の復活である。火山の爆発は

水爆に匹敵するほどの大気汚染をもたらす。これは八重垣システムが有効に働く限り大文夫であ

ろうが、山野の乱開発は明らかにシステムの援徐な破壊を引起し、活力を弱らせていないとは言

えない。そればかりでなく、システムの機能が効果的に活用されねば地球生命も文明も早い老化

をきたすことになるのは人体と同じである。だがこれも活用すべき人類の考え方の問題で効果

的活用には程遠い。結局のところ、本当に心せねばならないのは人類なのであり、多くの人が真

知に立ち帰り、知識者が一丸になっての大運動が今日下の急務なのである。

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古代人は、これらの事実を、体験者、観てきた者、地球外知性などから聞いた伝えなどを着実

に守って、彼等自らその意義を理解していたと思われる。神道をはじめ、世界の民族の宗教はこ

ぞって祭祀を教儀の中にとり入れ、自然的な浄化作用を賦活することに心がけてきた。祈れば理

念界にその種を播くことになる原理を活用していた。鎮護国家、豊穣、世界の安定、よりよき理

念の天降らされんこと等、実に様々な祈り方がありえただろう。それらは全て超科学力を駆使す

る神への従順と信頼により形成された方法であったことは間違いあるまい。

歴史の表層的流れは、しだいに単なる野望で動く者の手に渡り、価値の転倒が起こったが、過

去の貧しくて豊かな人々は、今なお多くの人の中に見受けられる。これは人が本質的に霊であり、

かつての記憶を持ち来たしているからと考えられる。このような人々の純粋な結東と新らしい動

きこそが陰惨な破局を回避することに繋がると確心されるわけである。

七、新嘗の思 想

先程来の説明においても、現象世界の歴史の生滅は実験炉の性格を持っていることを繰り返し

述べてきた。

実験炉の中における作用分子としての自分を古代人達は認識していたとするなら、それを運行

する神への奉仕という大きな役割の観念で行動することを旨としていた彼等の生活態度がかなり

鮮明に理解できる。そのような彼等が一体報酬として何を求めていたのであろう、と考えてみる

と、恐らく、日々の生活のかてである食料を得ることだとか、金銭を得ることだとかいった観方

が一切できなくなってくるだろう。彼等の全てが全てそうであったとは限らないだろうが多くの

人達は、食料を得ることは一つの手段であり、生きることすらも手段にすぎずただ歴史の流れが

今日下何かを要求しているのであれば、それを神の要求として認じ、それを遂行することを真職

としたと考えられる。ある時にはただ、次の子孫が何事かを成すことのために種族の維持のため

にのみ精を出し、ある時には、天命を知りその催しを率先して遂行したのであり、そこには神に

従うというただそのことのためにのみ「生」があったと考えられるのである。大ピラミッドやマ

ウンドの造営、穀物の栽培、収獲、祭礼、それら全てが、神の認識と繋がった中に労苦の軽重を

問わずおこなわれてきたのである。神の要求を知る手懸りは、 一つは予言書であり、 一つは時に

応じなされる神託者の宣言であった。神話は予言書であり、時の兆候をその中に知り、その時々

に応じた事業が神託者の指示でおこなわれねばならなかった。それは何も中東のみにとどまらぬ

日本も含め世界共通の古代人のやり方である。

そのような彼等が重要と考えたものは、彼等がその役割のために生まれるきっかけとなった本

源なる神への帰命であっただろう。このため、死後の世界観はどの民族でも共通して最重要テー

マとされていた。日本では、それが巨視的な時代の終了とその死後とも言うべき時代の有様とし

て伝えられている。それはしかも個人の死におけると決して相違するものではない。 一つの時代

が病める状態から荒涼たる死の黄泉の状態に遷移する。ここで歴史の精神はその惨状から綿密な

身楔をおこない、新しい状態へと翔いてゆく。その先には新しい形をもった魂が八百萬の神のと

りまきの中で暗黒の中から光明の中に身ぶるいして昇華してゆく有様としてえがかれる。もちろ

ん、この時には二章三・(七)節で述べたように宇宙人が八百萬の神に仮託されている。この宇宙人

(宇宙文明あるいは霊系宇宙の使い)こそ地球上を実験炉としている神(または神の使い)なの

であり、特別に目通りのかなう者(天則にかなった者)こそ理想的な神の意にかなった者と考え

られたのだ。その通り、宇宙人は実歴史上ではちらほら姿を見せ、何かを暗示するのみであり、

実歴史が終結したと測られたその時点に突然飛来し、次代のために必要な措置を構じるのである。

個人的死の際には忽論(天意にかなえば)神の世界(霊界)に往くことが心霊学的にも言われ

ていることである。(仏教で言えば成仏すると言う)そして次の転生の機会を待つ。同様に文明

のサイクルの継ぎ目も次の時代の準備期間中は神と会見できるチャンスであつたのだ。仏教では

大乗と小乗の分類をしているが、元義はこの辺に求められるのではないだろうか。古事記は観念

論の書ではなく、科学書であった。このゆえに、実体験的に宇宙人と会見できることを神と会見

するという位置に持ってきているのである。

かくして、新嘗は、役割を下された神との再会に焦点が絞られる。そしてその期間中に人々は

新たな時代のために威儀を正し、再出発に備えるのである。そのような新嘗のサイクルは自然界

の定型パターンによれば非常に多種多様なケースとして設定できる。中でも一年性草本穀類のパ

ターンに従って、 一年に数回とられるのがオーソドックスである。人々にとってはサイクルが余

りに長すぎても短かすぎても、新嘗の意義が風化してゆくと考えられたのであろう。現在新嘗

の習慣は、決してそうは思わないけれども、朝夕の仏壇、神棚の前で手を合わせる行為あるいは

キリスト教ではざんげの時間、イスラム教では聖都礼拝の行為などの中に見出せるのである。そ

れらはの本義は、神と心の中で再会をおこない、過去の禍ちの白紙化と新たな次の局面への再出

発の覚悟を固める手続きなのである。

八、「命(みこと)」と「顕わし」の原理

古事記の神話においては、歴史の流れがちょうど舞台劇のように脚本と舞台設備と配役で成る

といった観方がなされている。舞台設備とは、法則である「神」であり、脚本とは、神話に語ら

れるような大筋の理念であり、「命(みこと)」がこれに相当する。そして配役は、「みこと」を

分担して舞台上に表現していく「現しき青人草」すなわち我々人類と言えるだろう。「みこと」

は人類が分担して負うべき役割とか使命とかいうものであり、「神」の提供する素材を使ってこ

れを表明していくのである。少なくともこれが「神」と「命」の意味であろう。

古事記の神話は、理念世界を読み取ったものであるだけに、様々な歴史展開が縮図化され集約

されている文献である。そして実際に地球上には幾度も類似した理念が適用されてきたようで

ある。そこには、「種子期」、「土台構築期」、「基礎形成期」、「充実期」、「変化期」、「爆発的開花期」、

「急衰退消滅期」の七段階の歴史経過があり、その各々を構成するために、詳細な「命」が存在

している。そして人類は集合意識的にその一つ一つの「命」を受け持ち具体化していくのである。

古事記も中つ巻以降になると、個人に対して「命」の割当がなされており、理念も細部的には個々

のレベルにまで、ブレークダウンすることが示されているようである。もっとも、どのような人も、

単一の理念のみにとどまらず、複数のそれを併せ担っているわけであり、誰がどのような役割を

持っているかを一概に言うことはできないほど多重畳していると考えられる。

古事記では、理念の段階にあるものを「顕わす」ことが重要であることが何度も説明されてい

るのだが、「顕わし」は至ってビジネスライクにおこなわれ、顕わし終えたらもう舞台上には用

は無く、ただ去っていくだけという淡々とした観方になっている。これは神話が高能率に集約化

されているからというわけでもない。役割を終るまでが寿命という意味なのであり、それ以降は、

墓に葬られ、手厚ければ「斎き祭」られるという具合いである。ちょうど人間も「命」を担って

生まれ、その「顕わし」が終るまでが一生なのであると言えよう。「命」は生まれた時から担う

ものもあれば、後天的に付与される「命」もありえる。また「命」の中には我々が多く善悪と分

別することも含まれている。しかし、事の善悪や受け持つ「命」の好き嫌いを超えて「顕わし」

はおこなわれてゆくものである。そして個々の具体化が集合されて大きな「命」が歴史上に登場

してくるのであり、当然かも知れないが、歴史の流れはトップダウンされた多種多様な小さな「命」

とその「顕わし」の堆積で成立っているわけである。多くの中には、所期の「命」が果せない場

合もあろうし、逆に余分のことをしてしまうこともあろう。これゆえ歴史は一種の実験炉として

の性格をもつのである。

また、古事記においては、「命」は斬殺されても次々と新たな「命」を生む。そのように「命」

は具体的成果を通じて着実に次の段階に引継がれてゆく。そこには、因果的な流れこそあれ、人

間智的な分別は介在していない。では、分別や節度が必要無いのかというと決してそうではない。

個人のレベルでの努力は自分自身のために必要となろうし、その集合である全体的なレベルアッ

プは天降ってくる理念に、より高級なものを期待できることになるだろう。しかし、既に天降っ

ている理念が混屯を所望するものであれば、幾等社会にレベルアップを呼びかけてもどうにもな

らないのである。つまり、天の所望しない汎そ決まったものの実現を願っても奇跡以外はかな

いようがないのである。理念に無いものは、顕われず、それに逆らって事が運んだとしても、そ

れは確率的にごくまれな分子の仕業でしかない。古代の賢人は、このことから事始めの潮時とい

うものを時の兆候の中に観てとり、極近の理念の中に熟したものを観破して多くのことを成功さ

せたようである。

だが、もし識る者が天の不合理な所望を改善しようと図るなら、その祈りの時は、今しか無い。

しかも長い後の結実を見込まねばならない。それを良しとするなら今が新嘗のときであり、その

思い立った時の積み重ねが理念界の高みに楽土を呼び込むこととなるだろう。輝かしい人類の黄

金時代を可能とするなら次の理念界の主位の座に、よりよき理念の鎮座を長い間前以て準備した

限りにおいてである。人類の集合意識が求めねば、それは来ない。その求めじめるのは、個人の

厳粛な祈りの集合である。

世の多くの人々は、歴史の理念のキャリアーであるし、その実現状況のモニターである。(天

神系理念は表現され観測されねばならないから)もし理念が無知迷盲を所望するものであれば、

大多数の人々は、どんなに教育を施されても無知であり、迷盲しか演ずることができない。そし

て残り一つかみの人々は、この無知迷盲ぶりを醒めた眼で観察し、世の迷盲ぶりを嘆かねばなら

ないために相対的な知者となるのである。これが本当なら、もはや諦観しか無いのが実情だろう。

その通り、古代人の多くは、このような観念を持っており、自らを神の僕者と考えて、従順な生

活を送ると共に、良き明日を祈ったのである。ところで無知を演ずる人は本当に無知なのだろう

か。心霊研究では人間の本性は霊にあり、霊は格段に知覚力が優れるが、地上の作業のために能

力を減殺し記憶を失って生まれているのだという。つまり人間は既に述べたような霊系宇宙の派

遣者なのである。ここで次のようなたとえ話をすれば分り易いだろう。

天つ神、すなわち歴史の展開を所望する者は一つの大企業と考えられる。だが、天神カンパニー

には自社製品を世に出すために多数の従業員が要り、やや仕組みの異なった要員貸し企業(もっ

とも、「霊」を派遣するのであるが)にこれを求める。この要員リース社は「神産巣日」と言って、

従業員は様々な個性や能力を創ることを仕事とした霊であり、創り上げた商品である個性の殻に

入った状態を霊魂とか霊体とかいう。そしてこの企業では商品の出来具合いに応じて身分制度や

賞罰規定がある。(心霊研究においては、霊魂の差別相や霊界の事情を語るものの中にこのよう

な仕組みの存在が示されている。)そして、このような個性を被った霊たちは、一方で「神産巣日」

カンパニーの服務規定に従いながら天神カンパニーに出向し、そこで能力と実績に応じて「命」

を賜わり、この会社の服務規定のもとで働くこととなる。ある時はスサノヲ系生産工場に行き、

縄文人を演じ、ある時はニニギ系工場に行き現代人を演じたりする。そして、一仕事終れば、実績、

能力に応じて次の仕事が与えられる。本来の霊は当然それを良しとするだろう。そして「命」の「顕

わし」という大義のために為した記憶や罪悪(と分別されたこと)は、仕事が終る毎に一切が滅

尽されなくてはならない。(心霊研究では、戦争中における殺人は神の現前で情状酌了され、平

常時の殺人や自殺は、役割遂行を減殺するということから罪の重いものとなるという)

そもそも、神というか、仏というか、宇宙の叡知というかは、展開されるべき現象の全ての要

素(仏教では仏の三十二相と言っている)を保有しているのだろう。そこには善悪、長短、具象、

抽象などの相対の全てが結びつけられ存在しており。そのつながりの全てをあらわしていこうと

するのが、霊の使命であったろうと思われる。

それは丁度、私が古事記を説明するやり方に似ている。随分とまどろっこしい説明の仕方を

しているが、それは汎そ、図3 ・10のような風であろう。しかし私の考えの中には、これが全

部多次元的な塊りとして入っており、それを毛糸の玉をほどくように文章にしなくてはならな

いので、大相骨の折れることである。この場合には「一次元的にお話ししなければ読者に伝わ

らない」という事情があり、これが具体化の命題であった訳である。

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このように、物事を「あらわし」ていこうとするにはある索引キー に従って次元を落して展

開してゆかねばならないのであるが、これと同様のことが私達が自分自身のある仕事のため

に、霊の形をとり、幽の形をとり、肉体の形をとるという仕組みにあらわれているようであ

る。つまり、次元を落して翻訳する作業なので

ある。全ては構想として既に完備され存在しているのであるが、それを骨を折って次元を落して

表現し、意識の目を通tて観測しているのが私達だということである。逆に、索引キーでまとめて、

次元upしてやれば、全ての完備した一つの塊(仏塊とよぼう)ができ上るはずである。その大

きな境地に立つことが古事記流の世界観なのである。

だが、「知らざる」ことにより、あまたある歴史は築かれたのである。歴史の流れの中で相対的

な価値がいかに重要であったか。歴史のあらわしに従事する人類が、天降る理念に従って無知無

明といえどもその場その時の価値感を忠実に保持してきたために、理念の定型性が着実に実行さ

れ、所期の歴史が有りえたのである。もしも、全世界の人々が、古事記流の大きな世界観に立つ

ことを知っていたなら、万物の存在意義を感得して事の善悪を超えてしまい、いかなる面白い筋

書きの歴史展開もなくなっただろう。そして人々が全ての真実を知ってしまえば、歴史の流れは、

もはや必要なくなり、ある種のエントロピーマキシムの状態となり、仏国土が実現してしまうだ

ろう。

だが、古事記流の世界観を民族挙げて忠実に実行した人々が居た。マヤ族である。彼等はちょ

うど日本が古代国家を樹立する頃に、太平洋を隔てた大陸の接点につき出た半島に根拠し、約一

千年の間、奇跡的なほどに美と調和と深い認識を持続した国を営んだ。彼等は、汎ゆる努力と情

熱を「時間」を識ることにかけた。それは神と神の要望を識ることであり、その正確さを期すた

めに天の法則、宇宙運行の真理を識ることに努力が傾けられた。グレゴリオ暦をしのぐ精度の暦

命と顕わしの原理はこうしてつくられた。

彼等の世界観は、地上の世界とその歴史は決して自立的なものではなく、無限の一部であり、

現時点は時の巨大な車輪の一通過にすぎないと考えたことに端的に示されよう。大宇宙があり、

そこを流れる「時」があり、万物の創造を時間の中にコントロールせしめる神がそれによって運

ばれてくる。そして一度去った時は再び巡る。このため、間違いのない神の予言があり、それは

大宇宙図の記録の中に収められ、万民の共通の信仰と思想の基となった。

彼等は神の僕者であることを認じ、たとえ巡る神が気まぐれ勝手な運命を押しつけるもので

あっても彼等は宇宙の運行にリズムをあわせることに最大の安全地帯を見出していたという。彼

等は物の道理を知り尽くした霊肉一致の民族であったのだ。彼等は恐らく一年性草本的な歴史展

開を演ずるには適わしくない程に卓越したものとなっていたのだろう。マヤ族の主流民族は、か

の悪らつなスペイン人がやってくるはるか以前に、怠落した支流民族を残して、何の変災も受け

ることなくこの地上から突然消滅してしまったのである。

古事記の与える宇宙観はマヤ族のそれと何ら変わるものではない。これは古代の幾多の民族が

根元的に抱えていた思想ではなかったか。超古代の壊滅をかいくぐってきた精髄的知識と教訓で

はなかっただろうか。多くの民族は自然環境や他民族との葛藤の中にそれを風化させたが、マヤ

族は隔絶された理想状態にあった恵まれた民族であったように思う。彼等は彼等の信じていた神

と予言に従ちて、地上の汚土を離れ仏国土に去ってしまったのではあるまいか。

* 知恵の木

紀元前二千年の古代には知識を人間が持つことは神によって嫌われることであると考えられて

いた。ポポル・ヴフには、神々が自分と同等の力をもつことに不満で大異変を起こしたとされて

いる。バイブルにも神が知恵の本の実を食した始祖にしっとして楽園を追放し、その後、ケルビ

ムと回る剣でこの木を守らせたとある。この知恵の本にまつわる伝承は、ペルシャ、ギリシャ、

アステカ、インド、中国と、何らかの本で示され、それぞれ常人には得ることのできないものと

されている。だが逆に、これを得た者は永遠の命を得て全世界に君臨し支配する権限を与えられ

ると考えられていた。

 

—- 古事記と超古代史 完 —-